君の夢をかじらせて

 私が十六の誕生日になったときだった。
 ベッドでころんころんと転がり、友達から誕生日のお祝いメッセージを受け取っていた。誕生日をそろそろ喜ぶのも厳しい頃になってきたけれど、高校生のうちは素直に喜んでおこう。そう思っていたのに。
 気付けばスマホの画面から遠ざかっていることに気付いた。

「あれ?」

 思わず声を上げたものの、私の喉を通って音にならない。しゃべってるのに。

「あれ? え? ええ?」

 思わず下を見ると、私はベッドに転がっていた。夜更かしで、誕生日メッセージは日付が変わったのと同時に送られてきて、それに私は返信を続けていたはずだ。
 ……だとしたら、今の私はなに。思わず自分をペタペタ触って気が付いた。気のせいか、部屋の壁紙が透けて見える。そして、私は空を飛んでいる。
 ……幽体離脱。ホラー番組でときどき聞く、魂が体から離れてしまうそれを思い出して、私は両手で頬を抑えた。
 誕生日になった途端に幽体離脱したなんて、シャレにならない。どうしよう。どうしよう。私はパニックに陥って、自室から飛び出してしまった。ドアを魂が擦り抜けていくのがなんとも言えずに悲しい。

「お母さん助けて! 私、魂が体から抜け出ちゃったみたい!」

 普通に考えて、親に言ったところで意味などないだろう。でも私はパニックに陥ったまま、どうにかして自分が幽体離脱したことを伝えないといけなかった。
 風呂上がりのお母さんは私の悲鳴を聞いて、私をマジマジと見つめた……どうも私が見えているらしかった。

「あー、そっか。ごめんね凛生(りお)。もうそんな年頃だと思ってなかったから、伝え忘れてたわ」
「はあ?」

 幽体離脱するお年頃ってなんなんだよ。私はあまりにも普通過ぎるお母さんの反応に、こちらも思わず声が裏返った。
 そしてお母さんは平然と続ける。

「うちの家系、代々夢魔だから。年頃になったら幽体離脱して、自分の好みの夢を探しに行くものなのよ」
「はあ? むま? むまってなに?」
「最近あんまりオカルトの本って流行ってないみたいだけど。知らない? 夢を食べる存在。インキュバスとかサキュバスが有名だけれど、獏なんかも夢魔の一種ね。夢をかじったら普通に体に戻れるはずだから。頑張って」
「待って。夢をかじるってなに? 夢ってかじるものなの?」
「大丈夫よ、お母さんが年頃のときだって、頑張って夢をひとかじりして元に戻れたから。夢をかじったらちゃんと戻れるから。それからちょっとお話ししましょう」

 あまりにもあっさりと言われてしまい、私は途方に暮れて浮かんでいた。
 お母さんはリビングで白湯を飲みはじめたから、一応私のことを待ってくれているみたいだし、とりあえず私は自分の家を出てプカプカと浮きはじめた。
 夜は誰もいないし、星もあんまりない。それでも既に日付が変わっているせいで、街の灯りは思っているより落ち着いている。その中で、私は人の夢が見られそうな場所を探した。高校生はまだ起きてるだろうけれど、保育園児だったらもう寝てないかなあ。そう思いながら探していたら、ふいにいい匂いが鼻孔をくすぐった。
 魂の私が、キュルルとお腹を鳴らすのはどういうことだろう。私はプカプカ浮かびながら、匂いの方向へと向かった。そこでは、高校生の男の子がすやすやと眠っていた。どうも野球部らしい男の子は、既に寝ているらしかった。
 いい匂いはどこからしたんだろうと、その男の子の枕元をふわふわと浮かんでいたら、その男の子からもやもやしているものが浮かんできているのに気付いた。もしかして、これが夢?
 私はその中に顔を突っ込んでみる。綿飴のようにふかふかしているそれは、ひと口かじるとバジルとグレープフルーツのサラダの味がした。それをもしゃもしゃと食べた途端に、私は今まで頼りなかったのに、急になにかに引っ張り込まれることに気付いた。
 どうも夢をひと口食べたことで、体に戻るように号令がかかるらしかった。

****

 パチッと目を覚ますと、見慣れた天井だった。枕元に放置していたスマホには、通話アプリのお祝いメッセージやらスタンプやらがポンポン付いているのがわかる。
 私はようやく起き上がると、リビングに出て行った。お母さんは白湯を飲んで待っていた。
 お父さんは仕事で夜の九時にはもう就寝しているから、今起きているのは私とお母さんだけだ。

「お帰り。食べられた?」
「うん……あのさあ、夢魔ってなに? なにというか、なんで?」
「そうねえ、どう説明しようか。お母さんも年頃になったら、急に幽体離脱するようになって、誰かの夢をひと口かじらないと元に戻れなくなっていたの。大昔は、人の夢をコントロールしたり、悪夢を食べたりもできたらしいんだけど、今は幽体離脱と夢をかじることくらいしかできないみたい」
「なにそれ。そもそもお母さんが幽体離脱する体質だって、今初めて聞いたけど」
「だってお母さんお父さんと付き合いはじめてから、その体質治ったし」

 夢魔って治るものだったの?
 私が唖然としている中、お母さんはのんびりとカップに私の分の白湯を汲んでくれた。私もそれをひと口飲むと、ちょっとだけ気持ちが落ち着いたような気がした。

「夢魔はね、自分の中で一番おいしい夢をかじったら治るらしいのよ。お母さんの場合はお父さんの夢をかじってから、一度も幽体離脱しなくなったのね」
「それって……」

 そういえば。お父さんとお母さんは元々が中学時代からの同級生で、高校時代から付き合いはじめた、十年恋愛してからの結婚というのを、たびたび聞いていた。
 詳しい馴れ初めなんて聞いてなかったけれど、まさか夢をかじったからなんて、誰が思うのか。お母さんはあまりにも世間話の様相で、非日常的なことを次々と暴露していく。

「大昔、サキュバスやインキュバスは子供が欲しくってその相手を求めて人の夢を渡り歩いてたらしいけど、今は多分そこまで強い力がないみたいだから、こんな中途半端な力になったんでしょうね。だから凛生も頑張ってね」
「え、ええ……」

 そんなこと言われても、と私は思った。
 いきなり幽体離脱する体質になりました。元に戻りたかったら一番おいしい夢を探しなさい。お母さんの場合は、中学時代からお父さんがいたからよかったけれど。
 私は初恋だってまだだし、好きな男の子なんてできたことがない。その中、夢を渡り歩いて一番おいしい夢の人を探せだなんて荷が重い。
 でもな……。高校に入ったら、すぐに修学旅行がやってくる。修学旅行中に幽体離脱なんて絶対に嫌だ。
 どうすればいいんだろうと、私はテーブルに突っ伏してしまったんだ。