ああ、またこの時間が始まった。コンビニで買ったおにぎりを口に運びながら、恵はうんざりした気持ちで友人たちの会話に耳を傾ける。
「でね、隣のクラスの立花くんがかっこよくて」
「あー、人気あるよね。競争率やばくない?」
「やっぱりそうだよなー。でも霧島君よりマシじゃない?」
「霧島はレベルが違う。なんか泉女子高に霧島のファンクラブあるんでしょ?」
「えー、やば!」
誰がかっこいいとか、誰が好きとか。話題の中心はいつだってそんなことばかり。恵は誰にもバレないようにこっそりと息を吐く。前までは前日のテレビ番組の内容とか好きな動物とか朝の占い結果とか、もっと色々な話をしていたのに。もっと楽しかったのに。どうしてこうなってしまったんだろう。黙ったままの恵をどう思ったのか、輪の中心にいた麻里子が「恵は?」と声を掛けた。
「え?」
「恵は好きな子いないの?」
「あー……いない、かな」
「えー、そうなの? じゃあクラスの中だったら誰がかっこいい?」
「え、う、うーん……」
興味津々と言った様子で身を乗り出して尋ねる友人たちを見て、恵はどう答えたものかと視線を彷徨わせる。私の年齢で好きな相手がいないというのはそんなにおかしいことなのだろうか。それに誰がかっこいいとか、そんなに簡単に評価できるものなのだろうか。曖昧な笑みを浮かべる恵を見て、麻里子は少しむっとしたように眉間に皺を寄せた。
「もういいよ。私たちにも言えないような相手ってことでしょ」
「そんなこと一言も言ってないんだけど」
「ならなに? 『私に釣り合うような相手はこのクラスにはいません』ってこと?」
「なんでそんなケンカ腰なの。少し落ち着いてよ……」
「恵の言う通りだよ。麻里子、ちょっと落ち着きなよ」
「でも恵も恵じゃんね。隠さなくてもいいのに」
「隠してるとかじゃないよ。とにかく、まだそういうの興味ないだけ」
「またまた。かっこつけちゃって」
恵は友人たちの機嫌を窺うように愛想笑いを浮かべる。ああ、この子たちとこんなに話合わなかったっけ。ここってこんなに居心地が悪かったっけ。どれだけ尋ねても質問に答えようとしない恵に焦れたのか、麻里子は「もういい!」と大きな声を出した。そんな麻里子を宥めるように芳乃が「ほら」と話を逸らす。
「恵には黒川がいるもんね」
「なんで臨の名前が出てくるの?」
「だって仲いいじゃん。幼馴染なんでしょ? 憧れちゃうなあ」
「家が近所ってだけだよ。それに臨だって私のことそんな風に見れないだろうし」
「あー、まあ恵は女子バスケ部の王子様だもんねぇ」
優紀が茶化しながら恵の両肩をぽんと叩く。恵は突然触れられたことにびくりと体を揺らしたが、不満はぐっと心の中に押しとどめた。ただでさえ自分のせいで変な空気にしてしまっているのだ。これ以上場の空気を乱したくない。「まあね」と笑った恵を見て麻里子は「確かにねぇ」と窓の外を指さした。
「ほら、お姫様たちが王子の顔見たくて待ってるわよ」
「なに言ってんの」
麻里子の言葉に窓の外を見た恵は驚きのあまり思わず声を上げそうになった。外にいる下級生らしき女の子たちは恵の姿を見ると「きゃあ!」なんて歓声を上げている。どうやら窓の下の女の子たちは本当に恵の姿を少しでも見たくて待っていたらしい。恵はどうしたらいいのか分からなくて適当に手を振った。女の子たちの反応を見るに間違ってはいなかったようだが、友人たちの目は冷たいものだった。
「なにそれ。アイドルみたいね」
「……どうしたらいいのか分からなくて」
「そんなの私たちだって知らないよ。恵みたいにきゃーきゃー言われたことなんてないもん」
麻里子の言葉にも芳乃の言葉にもトゲがある。恵はいたたまれない気持ちで食べかけのおにぎりを口に詰め込むと「トイレ行ってくる」と言って席を立った。友人たちは何も言わない。いつもなら誰か一人がトイレに行くというと「私も」だなんて言ってみんなついていくのに。
恵は一人廊下を歩きながらぐっと唇を噛み締めた。一体いつからこうなってしまったのだろう。小学生のころは友人たちとの間にこんなにも壁を感じることなんてなかったのに。
あの場をとにかく離れたくて口実にしただけで、トイレには用がない。恵は洗面台の前に立つと顔をばしゃばしゃと洗った。多少なりとも嫌な気分を洗い流せたら。すっかり癖になってしまった愛想笑いを洗い流せたら。そう思ったが、鏡に写る恵の姿は何も変わらなかった。ただ濡れた前髪が顔に張り付くのに不快感を覚えただけ。恵はため息を吐いてハンカチで顔を乱暴に拭う。
私の何がそんなに気に食わないのだろうか。最近友人たちが自分に嫌味っぽい言い方をするようになったことに恵は気が付いていた。嫌味と言うよりは僻みのようにも思える。とにかく彼女たちは私のことが気に入らないらしい。そんなに嫌いならわざわざ関わってこなければいいのに、と友人たちの顔を思い浮かべて恵は内心で舌打ちをした。
恵は鏡に写る自分の姿を睨みつける。成長したのは身長ばかりで中身の方は伴っている気がしない。友人たちが恋愛なんかの話に花を咲かせているのに自分はまだ異性に興味を全く持てなかった。かといって同性とどうこうなる姿も想像できない。恵は先ほど優紀に触れられた肩をそっと撫でる。恵は男女問わず誰かに触られるのが苦手だった。そんな自分が誰かのことを好きになって手を握ったり抱き合ったりなんてできるのだろうか。全く想像がつかない。
「水も滴る……って感じ?」
「ゆ、優紀、いたの?」
「恵の様子がなんか変だったから追いかけてきた。どうかした?」
「あー……私がいたら盛り下げちゃうでしょ。ちょっと頭冷やそうと思っただけ」
「そんなことないと思うけど。……悩みがあるなら聞くよ。私なんかが力になれるかどうか分からないけどね」
優紀の言葉に恵は思わず口を開きかけたが、すぐにぐっと言葉を飲みこんだ。言ってしまってもいいのだろうか。でも、なんと言えばいいのだろう。「あなたたちの言い方が嫌味っぽくて一緒にいるのが辛い」なんて直接言えるわけがない。躊躇する恵を見てどう思ったのか、優紀はこれみよがしにため息を吐いた。
「王子様の悩みなんて、私たちには分かんないってこと?」
「……そういう言い方がいやだ」
「……ぁ、あー。なるほど。なるほどねぇ……。分かった。気を付けるよ」
三人相手だと言いづらいが、一対一ならまた違う。恵は優紀の意地の悪い言葉に思わず言い返した。優紀は一瞬何を言われたのか分からなかったように目を丸くしたが、すぐに納得したらしく居心地悪そうに恵から視線を逸らす。しかし言質は得られた。恵は少しだけ安堵して「ありがとう」と優紀へ言うと「こっちこそごめん」と優紀も応える。優紀の言葉を聞いて恵は久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
「とりあえず昼休憩終わっちゃうし教室戻ろ。麻里子たちにはまた私から言っとく」
「うん。優紀、ありがとね」
「こっちこそ。いつもごめんね。気づかなかった」
優紀は言いづらそうにごにょごにょと謝罪の言葉を口にするとじゃれるように恵の腕に抱き着いた。そしてそのままトイレを後にして廊下を歩き始める。突然のことに恵はされるがままだったが、我に返ると抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっと!」
「別にいいじゃん。女同士なんだから。それに王子をはべらせてるみたいで気分いいし」
「……あのさぁ」
先ほどそういう言い方をされたくないと恵が口にしたことを、優紀はもう忘れてしまったのだろうか。それとも恵の心からの願いは優紀には全く伝わらなかったのだろうか。涙がにじんでしまわないよう、恵はぐっと目元に力を入れた。泣くな。泣いたって誰も助けてなんてくれないんだから。
「でね、隣のクラスの立花くんがかっこよくて」
「あー、人気あるよね。競争率やばくない?」
「やっぱりそうだよなー。でも霧島君よりマシじゃない?」
「霧島はレベルが違う。なんか泉女子高に霧島のファンクラブあるんでしょ?」
「えー、やば!」
誰がかっこいいとか、誰が好きとか。話題の中心はいつだってそんなことばかり。恵は誰にもバレないようにこっそりと息を吐く。前までは前日のテレビ番組の内容とか好きな動物とか朝の占い結果とか、もっと色々な話をしていたのに。もっと楽しかったのに。どうしてこうなってしまったんだろう。黙ったままの恵をどう思ったのか、輪の中心にいた麻里子が「恵は?」と声を掛けた。
「え?」
「恵は好きな子いないの?」
「あー……いない、かな」
「えー、そうなの? じゃあクラスの中だったら誰がかっこいい?」
「え、う、うーん……」
興味津々と言った様子で身を乗り出して尋ねる友人たちを見て、恵はどう答えたものかと視線を彷徨わせる。私の年齢で好きな相手がいないというのはそんなにおかしいことなのだろうか。それに誰がかっこいいとか、そんなに簡単に評価できるものなのだろうか。曖昧な笑みを浮かべる恵を見て、麻里子は少しむっとしたように眉間に皺を寄せた。
「もういいよ。私たちにも言えないような相手ってことでしょ」
「そんなこと一言も言ってないんだけど」
「ならなに? 『私に釣り合うような相手はこのクラスにはいません』ってこと?」
「なんでそんなケンカ腰なの。少し落ち着いてよ……」
「恵の言う通りだよ。麻里子、ちょっと落ち着きなよ」
「でも恵も恵じゃんね。隠さなくてもいいのに」
「隠してるとかじゃないよ。とにかく、まだそういうの興味ないだけ」
「またまた。かっこつけちゃって」
恵は友人たちの機嫌を窺うように愛想笑いを浮かべる。ああ、この子たちとこんなに話合わなかったっけ。ここってこんなに居心地が悪かったっけ。どれだけ尋ねても質問に答えようとしない恵に焦れたのか、麻里子は「もういい!」と大きな声を出した。そんな麻里子を宥めるように芳乃が「ほら」と話を逸らす。
「恵には黒川がいるもんね」
「なんで臨の名前が出てくるの?」
「だって仲いいじゃん。幼馴染なんでしょ? 憧れちゃうなあ」
「家が近所ってだけだよ。それに臨だって私のことそんな風に見れないだろうし」
「あー、まあ恵は女子バスケ部の王子様だもんねぇ」
優紀が茶化しながら恵の両肩をぽんと叩く。恵は突然触れられたことにびくりと体を揺らしたが、不満はぐっと心の中に押しとどめた。ただでさえ自分のせいで変な空気にしてしまっているのだ。これ以上場の空気を乱したくない。「まあね」と笑った恵を見て麻里子は「確かにねぇ」と窓の外を指さした。
「ほら、お姫様たちが王子の顔見たくて待ってるわよ」
「なに言ってんの」
麻里子の言葉に窓の外を見た恵は驚きのあまり思わず声を上げそうになった。外にいる下級生らしき女の子たちは恵の姿を見ると「きゃあ!」なんて歓声を上げている。どうやら窓の下の女の子たちは本当に恵の姿を少しでも見たくて待っていたらしい。恵はどうしたらいいのか分からなくて適当に手を振った。女の子たちの反応を見るに間違ってはいなかったようだが、友人たちの目は冷たいものだった。
「なにそれ。アイドルみたいね」
「……どうしたらいいのか分からなくて」
「そんなの私たちだって知らないよ。恵みたいにきゃーきゃー言われたことなんてないもん」
麻里子の言葉にも芳乃の言葉にもトゲがある。恵はいたたまれない気持ちで食べかけのおにぎりを口に詰め込むと「トイレ行ってくる」と言って席を立った。友人たちは何も言わない。いつもなら誰か一人がトイレに行くというと「私も」だなんて言ってみんなついていくのに。
恵は一人廊下を歩きながらぐっと唇を噛み締めた。一体いつからこうなってしまったのだろう。小学生のころは友人たちとの間にこんなにも壁を感じることなんてなかったのに。
あの場をとにかく離れたくて口実にしただけで、トイレには用がない。恵は洗面台の前に立つと顔をばしゃばしゃと洗った。多少なりとも嫌な気分を洗い流せたら。すっかり癖になってしまった愛想笑いを洗い流せたら。そう思ったが、鏡に写る恵の姿は何も変わらなかった。ただ濡れた前髪が顔に張り付くのに不快感を覚えただけ。恵はため息を吐いてハンカチで顔を乱暴に拭う。
私の何がそんなに気に食わないのだろうか。最近友人たちが自分に嫌味っぽい言い方をするようになったことに恵は気が付いていた。嫌味と言うよりは僻みのようにも思える。とにかく彼女たちは私のことが気に入らないらしい。そんなに嫌いならわざわざ関わってこなければいいのに、と友人たちの顔を思い浮かべて恵は内心で舌打ちをした。
恵は鏡に写る自分の姿を睨みつける。成長したのは身長ばかりで中身の方は伴っている気がしない。友人たちが恋愛なんかの話に花を咲かせているのに自分はまだ異性に興味を全く持てなかった。かといって同性とどうこうなる姿も想像できない。恵は先ほど優紀に触れられた肩をそっと撫でる。恵は男女問わず誰かに触られるのが苦手だった。そんな自分が誰かのことを好きになって手を握ったり抱き合ったりなんてできるのだろうか。全く想像がつかない。
「水も滴る……って感じ?」
「ゆ、優紀、いたの?」
「恵の様子がなんか変だったから追いかけてきた。どうかした?」
「あー……私がいたら盛り下げちゃうでしょ。ちょっと頭冷やそうと思っただけ」
「そんなことないと思うけど。……悩みがあるなら聞くよ。私なんかが力になれるかどうか分からないけどね」
優紀の言葉に恵は思わず口を開きかけたが、すぐにぐっと言葉を飲みこんだ。言ってしまってもいいのだろうか。でも、なんと言えばいいのだろう。「あなたたちの言い方が嫌味っぽくて一緒にいるのが辛い」なんて直接言えるわけがない。躊躇する恵を見てどう思ったのか、優紀はこれみよがしにため息を吐いた。
「王子様の悩みなんて、私たちには分かんないってこと?」
「……そういう言い方がいやだ」
「……ぁ、あー。なるほど。なるほどねぇ……。分かった。気を付けるよ」
三人相手だと言いづらいが、一対一ならまた違う。恵は優紀の意地の悪い言葉に思わず言い返した。優紀は一瞬何を言われたのか分からなかったように目を丸くしたが、すぐに納得したらしく居心地悪そうに恵から視線を逸らす。しかし言質は得られた。恵は少しだけ安堵して「ありがとう」と優紀へ言うと「こっちこそごめん」と優紀も応える。優紀の言葉を聞いて恵は久しぶりに心からの笑みを浮かべた。
「とりあえず昼休憩終わっちゃうし教室戻ろ。麻里子たちにはまた私から言っとく」
「うん。優紀、ありがとね」
「こっちこそ。いつもごめんね。気づかなかった」
優紀は言いづらそうにごにょごにょと謝罪の言葉を口にするとじゃれるように恵の腕に抱き着いた。そしてそのままトイレを後にして廊下を歩き始める。突然のことに恵はされるがままだったが、我に返ると抗議の声を上げた。
「ちょ、ちょっと!」
「別にいいじゃん。女同士なんだから。それに王子をはべらせてるみたいで気分いいし」
「……あのさぁ」
先ほどそういう言い方をされたくないと恵が口にしたことを、優紀はもう忘れてしまったのだろうか。それとも恵の心からの願いは優紀には全く伝わらなかったのだろうか。涙がにじんでしまわないよう、恵はぐっと目元に力を入れた。泣くな。泣いたって誰も助けてなんてくれないんだから。
