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 視界の端で、まばゆい前照灯(ハイビーム)を感じた次の瞬間――地響きするほどのジョイント音が背後を過ぎ去っていく。風圧に押され、あたしはつんのめりかれの背中に受けとめてもらう。「おっと。……あははっ、大丈夫?」

 こちらに向き直って、あたしの身体をしっかり支えてくれる、かれのあったかい腕。

「へ、平気。ごめん」

 あたしは見上げ――つかのま、見惚れてしまった。かれの優しいまなざし、果てしない銀河。

 三両編成の車窓で切りとられた四角い電球色が、かれの顔をシネマトグラフのように素早くながれていた。派手なステッカー広告とか吊り革につかまってる乗客の影は、ガラスカレットのオブジェクトとなり、かれの瞳のなか、いちどっきりの幾何学模様を描くカレイドスコープのきらめきであたしを釘づけにする。

 そう――鏡のように見つめ合うだけでよかった。さっきの悩みも不安も凌駕しちゃうくらい巨大な、もっと「あなたの側にいたい」ってきもちが、すべてを覆いつくしていく……

 引き波のように消えていく車輪の音。けたたましい警報音が止み、ふたたび夜のとばりに包まれ、雪の降る音がよみがえる。

「じゃあ、おれこっちだから……はっくしゅん」

 町中にとどきそうな盛大なくしゃみで、われにかえる。あたしはじぶんのマフラーをほどくと、かれの首に巻いてあげる。

「これ貸してあげる。いつも思ってたけど、コートくらい着たほうがいいよ? そんな薄っぺらいカーディガンだけじゃ、風邪ひいちゃう」

 かれは呆然とした表情でかたまっている。ちゃんときこえてるのか怪しい。でも、「少ししゃがめる?」ってお願いしたら、気の抜けた声で「ああ、うん」とかがんでくれた。ほんのり揺れる、爽やかな柑橘系(シトラス)の匂い。かれの柔軟剤? それとも香水?

「……よしっ。これでおっけー」

 あたしの気にいりのマフラーをかれが巻いている。ふしぎな感じだった。「マフラーって、こんなに温かいんだ。それに、巻き方も複雑そう」

「こんなの、だれでも覚えられるから」

 あたしは飽きれるようにいう。じゃあ、あたしが毎日巻いてあげる――そんな台詞が頭にうかび、(もしも、かれに言ったら……どうなるんだろう?)想像しかけ、慌ててふり払う。

 そこであたしは、かれが珍しくうろたえてることに気づいた。大切そうにマフラーにふれて、寒さで赤らめた頬をより一層まっ赤にして。かれから視線を逸らすのも、きっと初めてのこと。

「あんまり近づかないでもらえる? だれかに変な勘違いされたら、困るし」

 かれの不自然な裏声、朗読するような口調。一瞬であたしは意図を理解する。

「ねえ! それ、さっきのあたしじゃんっ。まねしないで全然似てないから!」

 あたしの抗議をものともせず、平常運転にもどったかれは仰け反って笑っている。

「ごめん、いまの嘘。マフラーありがとう。うれしかった。……あした返すから」

「うん。いつでも」

「やっぱり、駅まで送るよ」

「ううん、ここでいい。ありがとう」

 それは一糸纏わぬ本音だった。この帰り道のことを思い返しながら、ひとり、熱っぽい頭をさます時間がほしかった。

「だから……あしたも、一緒にかえろう」


 結論からいうと、その約束は叶えられた。けれど次第に、自然と、約束の《《つらなり》》は途絶えていった。

 あたしの臆病さ、ちょっと邪魔すぎて。かれとの合間に立ち塞がらないでほしかった。

 そうすれば、きっと。もっと、かれのことを正しくみつめられた。みつめたかった。


 瞼のうら、今でもかれは、あたしに手を振り続けてくれている――



         to be continued‥