「そんなに金がほしいなら…。ほら、やるよ」
そう言って、わたしに絡んでいた不良の頬を300万円の札束で引っ叩いたのは――。
学校一の地味男子“ジミー”こと、影山一颯だった。
しかし、その正体は――。
「おっ…お前、何者なんだよ!?」
「ん?なにって?ただのパリピです」
オシャレな格好で、オシャレな場所で、オシャレな仲間たちと夜な夜なエンジョイする…超パリピだった!
Q.高嶺花さんの第一印象は?
A.
・こんなドラマや漫画にいそうな人が実在するだ〜と思いました(2年生女子)
・クオリティやばすぎ(3年生男子)
・なにからなにまですべてが完璧で、非の打ち所がない。女子の憧れです!(1年生女子)
・ああいう人を『高嶺の花』っていうんでしょうね。何ひとつ名前負けしてなくて、名前そのまま!(1年生男子)
Q.高嶺花さんの魅力は?
A.
・顔よし、頭よし、運動神経よし(1年生男子)
・立ち居振る舞いが素敵(1年生女子)
・モデル並みにめっちゃスタイルがいい(2年生男子)
・絶対に枝毛なんてなさそうなサラサラストレートのロングヘア(3年生女子)
Q.高嶺花さんを動物に例えるなら?
A.
・神々しすぎてペガサス(3年生男子)
・鶴とかトキとか。そういう特別天然記念物レベル(2年生女子)
・オオカミ。いい意味で一匹狼って感じで、凛々しくてかっこいい(1年生男子)
・身近な動物で例えるなら猫。デレなしのスンとした猫みたい(1年生女子)
* * *
清凛高校の昇降口すぐの掲示板に張られた学校新聞。
記事は、去年の文化祭のミスコンにて『ミス清凛』に選ばれたわたしに関する内容だ。
今は新年度を迎え、学年も新しくなった春。
文化祭は去年の秋だし、この学校新聞も半年近く前に発行されたもの。
それなのに、未だに学校の一番目立つこの掲示板に掲載されている。
「あの人が去年のミス清凛だよね!?」
「うんうん!学校新聞に書かれてあるとおり、めちゃくちゃ美人!」
去年のミスコンを知らない新入生たちも、学校新聞を読んでわたしのことを知っているようだ。
とりあえず、会釈だけしておく。
「キャーーー!!!!今、こっち見たよね!?」
「見た見たっ!ニコッてされた!」
ただの会釈でこの騒ぎ。
教室に行くまでの廊下では、わたしの姿を見つけるなりみんなが道を開けるように端に寄る。
「今日の高嶺さんもきれい〜…」
「しかも、通り過ぎるときにふわっといい香りがするんだよな〜」
「目の保養。オレ、マジでこの学校に入ってよかったわ」
口々に発せられるわたしに向けられる言葉には、決して悪口はない。
みんながわたしをまるで神のように崇めている。
なぜなら――。
「マドンナが通るぞ!お前らどけって!」
「男子、その足元のゴミ拾って!マドンナが踏んだらどうするの!」
わたしは学校で“マドンナ”と呼ばれて、周りからは一目置かれる存在になっている。
「凛としてて、佇まいが美しい!」
「オレたちには絶対手の届かない高嶺の花だ」
他には、わたしの名前から“高嶺の花”と呼ばれることも。
“マドンナ”や“高嶺の花”なんてそんなあからさまな呼び名、わたしは恥ずかしい。
…ただ、そんな本音を話せる機会も相手もいないのだ。
「マドンナって座ってるだけで絵になるよね〜」
「高嶺さんがきた瞬間、教室が華やかになるな。さすが高嶺の花」
「おいっ、マドンナに話しかけてこいよ!」
「……無理無理!オレが声なんてかけたら、高嶺さんが汚れるから!」
「わかるわ〜。恐れ多すぎて近づくことすらできないよね」
というように、みんなわたしに話しかけるどころか近づくことすらしてくれない。
去年、この学校に入学したときからこんな感じだ。
「だれ、あのきれいなコ!?」
「なんか輝いて見える…!美人過ぎて、横に並べない!」
そんなふうに、全然クラスメイトから声をかけてもらえなかった。
かといって、わたしも人見知りのコミュ障。
だけど、このままじゃだめだと思い、入学して10日ほどがたったときに思いきってクラスの女の子に声をかけてみるも――。
「あ…、あの……」
「えっ、高嶺さんがあたしたちなんかに声をかけてくれた…!?」
「は、はい。よかったら――」
「…ダメダメ!あたしたちじゃ身分が釣り合わないから〜!」
と言って逃げられてしまった。
それがちょっとしたトラウマになって、ますます声をかけられてなくなってしまったのだ。
「はぁ…。どうしたら、高嶺さんみたいになれるんだろ〜」
「この学校にいる女子全員の憧れだもんね〜」
「女子だけじゃねぇよ。高嶺さんと付き合えたら、どれだけ鼻が高いかっ」
「無駄な想像はやめときなよ〜。高嶺さんは、あんたたちなんて眼中にないよ」
「そうだよ。お嬢様の高嶺さんと釣り合うのは、きっと年上の超お金持ちのスパダリくらいだよ」
わたしは普通の家庭に住むただの一般人なのに、尾ひれがついてなぜか“お金持ちのお嬢様”と思われているみたい…。
恐れ多くてだれも声をかけることすらできない、ミス清凛の学校のマドンナ――高嶺花。
だけど本当は、寂しがり屋で気軽に話せる友達がほしい……ただのぼっちなのです。
新学期になり、2年の新しい今のクラスになって1ヶ月。
どうやら、今学期も友達ができなさそうなフラグが立っています…。
学校帰り。
もちろん、今日の下校も1人ぼっち。
周りを見ると、友達と楽しそうに下校する清凛生たちが。
「このあとカラオケ行こーぜ!」
「いいねー!」
…友達とカラオケ。
「駅前のカフェ、新作フラペチーノが出たらしいよ!」
「それ気になってたやつー!今から行こ!」
…友達とカフェ。
わたしも行ってみたい。
放課後に、友達とカラオケやカフェ…!
わたしは、瞬時にブレザーのポケットからボールペンと手のひらサイズのメモ帳を取り出す。
青色のメモ帳の表紙には、マジックペンで【青春ノート】と書いてある。
【・友達とカラオケ】
【・友達とカフェ】
と、わたしはメモ帳に書き込んだ。
これは、『青春ノート』という名のわたしの大事なメモ帳。
わたしが高校生活でしてみたい憧れの青春シチュエーションを思いつくたびに忘れないように書き込んでいる。
いつかは友達とこんなふうにしてみたいと思いつつ、この1年ひとつも実行できていない…。
「この曲いいね」
「でしょ?好きかな〜って思って」
そんなわたしの隣を同級生のカップルが通り過ぎていく。
2人の片耳と片耳を繋ぐようにして有線イヤホンつけられていて、スマホから流れる曲をいっしょに聴いていた。
めちゃくちゃ憧れる…!!
ワイヤレスイヤホンじゃなくて、あえて有線イヤホンなのがいい!
【・恋人と有線イヤホンを片耳ずつつけて、いっしょに曲を聞く】
すぐさま青春ノートに書き込んだ。
「あっ、高嶺さんだ」
わたしの視線に気づいたのか、通り過ぎたカップルが振り返った。
「相変わらず美人だね」
「ほんと、女神すぎて同じ女子とは思えないよ」
「もしかして、嫉妬した?」
「するわけないよ〜。高嶺さんは、マドンナで高嶺の花だよ?完璧すぎて、嫉妬心すら沸かないよ」
みんな、わたしのことを言いように褒めてくれる。
だけど、わたしだけ扱いが違って、だれもかまってくれない。
…それがまた寂しいんだ。
電車通学のわたしは、今日もいつものように学校から駅まで歩いて向かう。
わたしと同じような学校帰りの学生たちが遊びにきている繁華街を抜けたら、駅はすぐそこだ。
いつもならまっすぐ家に帰るけど、今日はちょっと寄り道してみたくなった。
『駅前のカフェ、新作フラペチーノが出たらしいよ!』
さっきの話を思い出したのだ。
わたしは、そのカフェへと向かった。
「いらっしゃいませ。お1人様でしょうか?」
「はい」
『お1人様でしょうか?』と聞かれることにもすっかり慣れてしまった。
テーブル席はどこもいっぱいで、わたしは必然的にカウンター席へと案内された。
新作フラペチーノを頼んで、出てきたその見た目のかわいさに悶絶する。
イチゴの赤とクリームの白の層が交互に重なって、とってもきれい。
上にはたっぷりのホイップクリームに、ちょこんとネコのクッキーまで刺さっている。
スマホで撮りたい…!
と思った、そのとき――。
「見てっ。あれ、高嶺さんじゃない?」
「ほんとだ!高嶺さんもこういうところくるんだ〜」
後ろから声が聞こえ、どうやら清凛生に気づかれてしまった。
「あたしたちと同じフラペ頼んでる」
「高嶺さんも新作商品とか興味あるのかな?でも、アタシたちみたいにはしゃいで写真撮ったりなんてしないよね〜」
「しないだろうね。高嶺さんは、凛として静かに飲んでそう」
そんなことを言われてしまったら…。
撮りたい気持ちを抑えて、凛として静かに飲むしかなくなる。
そのあと、明後日にある古典の小テストの勉強もして、空が薄暗くなりかけてきたことに気づいて慌ててカフェを出た。
べつに門限があるというわけではない。
わたしの家は母子家庭。
お母さんは看護師で夜勤も多く、今日の夜も仕事で家にはいない。
だから、何時に帰ろうと怒られることはない。
ただ、わたしには夜遊びするような友達もいないし、どこかに寄り道したとしても用事が済んだらすることもなくて、いつも暗くなる前に帰宅している。
それに、そろそろ帰宅ラッシュの時間帯と被りそうだし。
わたしは足早に駅へと急いだ。
といっても、カフェから駅までは目と鼻の先にあり、カフェから出てすぐにわたしはカバンから定期券を取り出した。
そのとき――。
なぜかチラリと横目に入ってしまった。
建物と建物の間の路地のようなところで、こそこそとなにかをする人たちの姿を。
通り過ぎたけど、気になって思わず引き返してしまった。
出した定期券はカバンにしまい直して。
「おいっ。人にぶつかっておいて、なんもなしかよ?」
「…ごめんなさい、…ごめんなさい」
覗き込むと、少しガラの悪そうな2人の不良が、見るからにひ弱そうな制服姿の男の子を取り囲んでいた。
男の子のほうは、たぶん中学生。
「ボ…ボク、このあと塾があるんです…。だから…、許してください……」
「塾だぁ?そんなの知るか」
「誠意を見せろ、誠意を!」
どうやら、男の子が不良たちにぶつかって絡まれてしまったようだ。
「誠意…。どうしたらいいのでしょうか…」
「そうだなぁ。とりあえず、財布の中にある金、全部よこせ」
「こいつ、肩痛めちまったんだから治療費がいるだろ?」
「で、でもボク…、そんなにお金は――」
「いいから、さっさと財布出せよ!」
そう言って、半ば取り上げるようなかたちで不良たちは男の子からお財布を奪い取った。
そして、お札の入っているポケットを見てため息をつく。
「…ったく、なんだよ。3000円しか入ってねーじゃん」
「だから、本当に――」
「まあ、いいわ。とりあえず、これもらっておくから」
不良たちは勝手に財布からお札を引き抜いた。
これは、明らかなカツアゲだ。
こんな現場を目撃してしまったのなら、警察を呼んだほうがいい。
だけどわたしは、なぜだか体が勝手に動いてしまった。
「そ…そういうの、やめたほうがいいですよ」
はっとしたときには、わたしは彼らの前に立っていた。
…人見知りのコミュ障なのに。
「あ?なんか言ったか――」
とまで言って、振り返った2人は同時に固まった。
「…うわっ、すっげー美人」
「マジで…実物?」
わたしを見てぽかんと口を開ける不良たちの隙を突いて、中学生の男の子は3000円を奪い返すと、そのままわたしを押しのけるようにして逃げていった。
「あ…、気をつけてね」
わたしは足をもつれさせながら走っていく男の子の背中を見届けた。
まあ、この場の状況から助け出せたのはよかったけど。
…って、全然よくない。
「なんだよ、逃げられたじゃねーか!」
「いいんじゃね?代わりに、いい女がきたし」
不良たちがニヤリと微笑みながらわたしに視線を向ける。
やっぱりそうなりますよね…。
「あの…、わたしはただの通行人で――」
「いや、待てよ。みすみす帰すわけねーだろ」
不良たちは、引き返そうとしたわたしの行く先へ回り込む。
「ここを通してほしかったら、オレたちといっしょに遊ぶか、あいつから巻き上げられなかった分の金をよこしな」
「そ、そんなこと言われてもっ…」
久々に家族以外のだれかと会話をしたと思ったら、こんな不良。
なんかマズイ展開にもなってしまって、無駄な正義感で出しゃばらなきゃよかったかも…。
壁に追い詰められ、逃げ場がない。
どうしたものかと困っていると――。
不良の肩を軽くトントンと叩く手が後ろから伸びてきた。
「あ?」
それに反応した不良が振り返る。
「そんなに金がほしいなら…。ほら、やるよ」
不良の背後から低い声が聞こえたかと思ったら、突如その不良が強烈なビンタを食らってふっ飛ばされた。
「…おい!大丈夫かっ!?」
もう1人は、ビンタされて地面に倒れる不良のところへ慌てて駆け寄る。
あまりにも突然の出来事に、わたしは呆然としてその場に立ち尽くしていた。
「これだけあれば十分だろ?」
そう言って、へたり込む不良たちになにかをヒラヒラとチラつかせて歩み寄る男の人。
その手には、なんと札束が握られていた。
帯封がついている1万円札の束が3つ――。
ということは、…合計300万円!?
もしかして、それを使ってさっきビンタを…!?
「んっ、やるよ」
男の人はしゃがみ込むと、札束を不良たちに差し出す。
「は…はぁ!?なんだよ、その金の束…!ぜってぇ偽札だろ!」
「失礼だなー。正真正銘ホンモノだよ」
「んなわけねぇだろ!しかも、それをやるって意味不明だし…!」
「いや、だって金ほしいんだろ?」
「…い、いらねぇよ!そんなもん!」
謎の札束男の登場により、不良たちのさっきまでの威勢はどこかへいってしまった。
わたしだって、なんだかゾッとした。
いきなり大金を渡してくる人なんて、普通にこわすぎる…!
「おっ…お前、何者なんだよ!?」
不良たちの震える声。
その質問に対して、札束男はかけていたサングラスを少し下へずらして微笑みながらこう言った。
「ん?なにって?ただのパリピです」
パ…、パリピ…!?
頭のてっぺんから雷で貫かれたかのような衝撃が走った。
こんな札束をチラつかせてくるくらいだから、そりゃあもうヤクザかマフィアの危ない人に違いないと思っていたら――。
それが…、ただのパリピ!?
黒色のスキニーパンツに、白いロンティーの上にグレーのパーカー、春ニット帽を被ったシンプルでカジュアルな格好。
ネックレスとピアスをしていて、たしかに楽しく遊んでいそうな陽キャ漂う人物ではある。
だとしても、自分で『パリピです』なんて言う…!?
「パ、パリピって…意味わかんねぇし!」
「やっぱこいつ、頭おかしいんだよ…!」
「まあまあ、そう言わず〜。ほら、金」
「…だから、いらねぇって言ってんだろ!!」
すっかり萎縮してしまった不良は、差し出された札束を振り払う。
その瞬間、札束男が不良の胸ぐらをつかんで引き寄せた。
「いらねぇなら、カツアゲとかダッセーことしてんじゃねぇよ。さっさと失せろ」
それまでの気の抜けた態度から一変、凄みのある札束男の睨みに不良たちは震え上がった。
「やっ…、やべぇやつがいるぞぉぉ!!」
そうして、一目散に逃げていってしまった。
「ったく、金は大切にしろってな。ところで、大丈夫だった?」
と札束男が振り返ったときには、わたしは不良たちのあとに続いて路地から逃げ出していた。
「パリピこわい…、パリピこわい…、パリピこわい…」
そう何度もつぶやきながら。
「そういえば、さっきの制服…」
路地から顔をひょっこりと出して、札束男がわたしの後ろ姿を見ていたなんて、このときのわたしが知るはずもない。
それから数日後。
今は生物の授業。
先生が黒板に書くのを見計らって、わたしの前のほうに座る女の子たちが手紙をまわし合っていた。
…うらやましい。
わたしも、先生の目を盗んで友達と手紙交換したい。
そうだっ、メモメモ…。
【・先生に気づかれないように友達に手紙をまわす】
わたしは青春ノートに書き込んだ。
「それじゃあ、今日の授業はここまで。テストまでにちゃんと復習しておけよ〜」
「「は〜い」」
4限の生物の授業が終わった。
「そうだ。授業で使った人体模型を備品室に戻しておいてほしいんだが、今日の日直だれだ〜?」
「わたしです」
わたしはスッと手を上げた。
「じゃあ、高嶺。悪いが、お願いしてもいいか?」
「はい、大丈夫です」
わたしは、教卓のそばに置いてあった人体模型を抱えると教室を出た。
「…おおっ、マドンナが人体模型を運んでる」
「あの人体模型になりてぇ〜!」
「高嶺さんが触れたら、人体模型ですら輝いて見える…!」
お昼休みになり購買に向かう大勢の人に見られ、わたしは恥ずかしさのあまりうつむきがちに人体模型といっしょに備品室へと急いだ。
備品室は、特別教室が並ぶ向かいの校舎の2階にある。
ドアを開けると、少しほこりっぽい匂いがして、ブラインドの隙間から光が差し込むくらいで薄暗い。
だけど、備品室の奥に置いておくだけでいいと言われているから電気をつけるほどでもない。
資料や備品が並べられた大きな棚に、人体模型が当たらないようにぎゅっと抱きかかえ、気をつけながら進んだ。
だから、人体模型がわたしの視界を遮っていて、その先にあるものに気づかなかった。
「…わっ!」
突然足がなにかに引っかり、わたしは人体模型といっしょに前のめりに転んだ。
その衝撃で人体模型の取れやすい首が吹っ飛んだくらいで、幸いわたしにケガもなかった。
「な、なに…?」
だれかにわざと足を引っ掛けられた気分だ。
振り返ると、なんと本当に棚の陰からだれかの脚がニョキッと伸びていた。
「ひっ…!」
思わず人体模型を抱きしめる。
「ごめん、なんか足引っ掛けちゃった…?」
どうやら、備品室にある物置きと化した古びたソファの上で、だれかが脚を伸ばしたまま眠っていたようだ。
その人物が棚の陰から顔を出す。
ボサボサの黒髪に、目元が隠れるくらいの長い前髪。
まぬけに大あくびをしながら、お世辞にもかっこいいとは言い難いビジュアル。
はいている上履きは、つま先が青色。
あれは、1つ上の3年生の上履きの色だ。
ということは――。
知ってる、この人。
もしかしたら、違う意味でわたしと同じくらいこの学校で有名かもしれない。
たしか、名前は…影山一颯。
名字のとおり影があり、陰オーラが漂う。
そう、彼は学校一の地味男子。
通称、“ジミー”だ。
こんな見た目だから、周りからイジられたりバカにされているところをよく見かける。
まさか、そんなジミー先輩がこんなところでサボって昼寝してるとは思わなかった。
「えっと…、大丈夫?」
…ジミー先輩がわたしに声をかけてきた!
ただでさえ人見知りのコミュ障なのに、年上の、しかもジミー先輩が相手だなんて絶対に無理…!
すると、ジミー先輩がわたしの顔を見てはっとした。
「…あれ?あんた…、もしかして――」
「だっ、だだだだだ…大丈夫です!なんともないので、ほんと…なんかわたしがお邪魔してしまい、すっ…すみませんでした…!」
わたしは人体模型の頭をくっつけて備品室の奥を置くと、瞬時にペコッと頭を下げて出ていった。
…びっくりした〜。
まさか、ジミー先輩に話しかけられる日がくるとは思わなかった。
そのあと、購買でお昼ご飯を買って教室へと戻った。
お昼休みに教室で食べるお昼ご飯。
もちろん、だれに誘われることもなく毎日1人。
「高嶺さん、今日のお昼はサラダパスタみたい!」
「似合う〜!クルクルとフォークで巻いて食べるところがほんとにお上品」
…いや。
備品室に寄ってたから、サラダパスタくらいしか買うものが残っていなかっただけ。
「朝は、ベーグルとスムージーとかなんだろうな〜」
そんなことないです。
今朝は、納豆かけご飯でした。
「カツ丼とかラーメンは絶対食べなさそう」
「わかる〜!男子が好きそうなものを高嶺さんが食べてるところが想像できない!」
残念ながら大好きです、カツ丼もラーメンも。
なんだったら、1人でラーメン屋も入ります。
…友達いないので。
わたしって、本当にどんなふうに見られているんだろう。
気づかれないようにため息をつく。
そうだ。
友達とラーメン屋に行くも、青春ノートに追加しよう。
そう思って、ブレザーのポケットに手を伸ばしてみるが――。
「…えっ。ない…!?」
なんと、いつも入れているポケットに青春ノートがなかった。
あるのはボールペンのみ。
慌てて他のポケットや机の中やカバンの中を見たけど、やっぱりどこにもなかった。
まさか…、…落とした!?
わたしの憧れの青春が書き込まれた、絶対にだれにも見られたくないあのメモ帳を…。
一瞬にして冷や汗が滲み出た。
残りのお昼休みの間に、教室や廊下を探したけど青春ノートは見つからなかった。
だれかに読まれたらと思ったら気が気じゃなくて、5限と6限の授業なんてまったく集中できなかった。
そして、放課後。
そういえば、ジミー先輩の脚に引っかかって転んだことをふと思い出した。
落としたとすれば、あのときに違いない…!
わたしは備品室へと急いだ。
床の目立つところに落ちていると思ったけどなく、しゃがみ込んで棚の下や積まれた段ボールの隙間にないか念入りに確認していく。
すると、つま先が青色の上履きをはいた脚が2本、わたしの視界に入ってきた。
まさかと思い、脚をたどるようにして視線を移すと、なんとお昼休みと同じところでジミー先輩が眠っていた。
「…ジミー先輩!」
まだいたのかと思い、思わず声が漏れた。
そのわたしの声に反応して、ジミー先輩がゆっくりとまぶたを開けた。
「あ〜。えっと、昼休みの…」
…見つかってしまった。
「どうかした?」
「い…いえ、なんでもありません」
本当は『このあたりで、わたしの青春ノート見ませんでしたか?』と聞きたいところだけど、あの持ち主がわたしだとは気づかれるわけにはいかないし。
「すみません、お昼寝の邪魔しましたよね。わたしはこれで失礼します」
すぐに立ち上がると、ジミー先輩にペコッと頭を下げた。
ある程度探したけど見つからなかった。
だから、ここじゃないかもしれない。
そう思って、備品室のドアに手をかけようとした――そのとき。
突然、後ろから手首をつかまれた。
その次の瞬間には、なぜかわたしは壁に押さえつけられていて、その上からジミー先輩が覆いかぶさる。
「…へっ?」
急な出来事に驚いて逃げ出そうとすると、わたしの行く手をふさぐようにジミー先輩が壁に左手をついた。
な、なんなの…この展開。
これってもしかして、壁ドン…?
現実で壁ドンされたことに困惑して目をパチクリとさせて固まっていると、そんなわたしの顎にジミー先輩がそっと手を添えた。
まるで俺のほうを向けと言わんばかりに、クイッとジミー先輩のほうへ顔を向けさせられる。
その瞬間、わたしは思わず息を呑んだ。
なぜなら、目にかかるほどのうっとうしい前髪をかき上げて露わになったジミー先輩の素顔は――。
切れ長の目に、鼻筋が通っていて、驚くほどきれいな顔立ちだったのだ。
不覚にも、実はイケメンのジミー先輩に一瞬見惚れていた。
「たしか、壁ドンからの顎クイがされたいんだっけ?こんな感じをご所望で?」
そう言って、ニッと口角を上げながらわたしの唇に視線を向けるジミー先輩の色っぽい表情に、わたしは思わずドキッとしてしまった。
というか、壁ドンからの顎クイッて――。
【・壁ドンからの顎クイされたい】
わたしの頭の中に、青春ノートに書き込んだ文字が思い浮かんだ。
「…それ!わたしが青春ノートに書いてたやつっ!」
はっとして、わたしはジミー先輩を押しのけた。
「“青春ノート”…?ああ、あの青色のメモ帳の表紙にそんなこと書いてあったっけ」
青色のメモ帳…。
まさしく、わたしが探していた青春ノートだ。
「拾ったんですか!?…しかも、中身見たんですか!?」
「だって名前書いてなかったし、中を見たらなにかしらわかるかな〜と思って」
…最悪だ。
わたしの頭の中の妄想で描いた、理想の青春シチュエーションをだれかに読まれただなんて。
わたしは絶望のあまり、床に突っ伏した。
「そ、そんなに悲しむこと…!?」
「…悲しいんじゃないです。消えたいくらい…恥ずかしいんです」
「まあまあ、そう落ち込まないで」
そう言って、ジミー先輩はわたしの顔の前へ青春ノートを出した。
「一生懸命に棚の下とかを見てなにしてるんだろうって思ってたけど、これを探しにきたんだ」
わたしはジミー先輩から青春ノートを奪い取ると、いじけた顔でジミー先輩を睨みつけた。
「全部読んだんですか…?」
「ん?読んでないよ」
「だってさっき…」
「あ〜、読んだというか見た。というか、見えた。最初だけね」
ジミー先輩はあやすようにわたしの頭をぽんぽんと撫でた。
「それにしても、青春ノートってなに?」
「…言わなきゃだめですか?」
「ここまで聞いたら気になるじゃん」
「え〜…」
「それにほらっ。俺が拾ってあげたわけだからさ」
ジミー先輩はニカッと笑った。
わたしはそんなジミー先輩のおどけた表情を横目で見ながら、「はあ…」とため息をついた。
「これは、…わたしの憧れです」
「憧れ?」
「高校生になったらこういうことがしたいなっていう、わたしの憧れの青春を密かに書き込んだメモ帳なんです」
わたしは、ぎっしりと書き込まれた青春ノートのページをパラパラとめくる。
「べつに書き込まなくたって、それを実際にしたらいいだけなんじゃないの?」
「そんなの…できませんよ!『お弁当のおかずを交換し合う』、『忘れた教科書の貸し借りをする』、『自転車を2人乗り』…。これ全部、1人でできると思いますか!?」
「…いや、だから。それは友達と――」
「友達がいないから憧れなんですよ!わたし…ぼっちなんです!」
決して自慢して言えることではないのに――。
ジミー先輩の言葉に思わずムキになってしまった。
わたしが突然大声を出すものだから、ジミー先輩はキョトンとしている。
きっと、わたしがそんな声が出るような人間だとは思わなかったのだろう。
「あんた…、あれだろ?この学校のやつらがマドンナ、マドンナって言ってる――」
「…2年2組の高嶺花です」
「そうそう、“高嶺の花”。俺でも聞いたことがあるよ」
ジミー先輩は自慢げに微笑む。
「そういうあなたは、3年の“ジミー先輩”ですよね?」
「な〜んだ、俺のこと知ってるんだ」
「もちろんですよ。この学校で知らない人はいないと思いますよ」
「すっげー。俺、超有名人じゃん」
「褒めてはないです」
“学校一の地味男子”といわれているから、てっきりもっと根暗で話しにくい人かと思っていた。
でも実際は、意外と話しやすかった。
「てか、なんで壁ドン?からの、顎クイ?今どき、そんなことされて喜ぶやつとかいるのかな」
「中学のときに読んだマンガで、主人公の女の子が高校の教室で好きな男の子に壁ドンされて顎クイされるシーンがあったんです…!それ見て、なんかいいなって」
「あ〜、なるほどね」
ジミー先輩は、ニヤニヤと微笑みながらわたしのことを見下ろした。
「“高嶺の花”と呼ばれるほどの学校のマドンナだから、てっきり友達や男に困ってないものと思ってたけど」
「偏見ですよ。友達も彼氏もゼロです」
わたしはふてくされたようにため息をつく。
「『恐れ多い』とか言われて、周りは遠くからわたしのことを見ているだけで話しかけてもらえないし、わたしもわたしで人見知りのコミュ障なので…」
「へ〜、意外。みんなからうらやましがられるあんたが、実はそんな悩みを抱えていたなんてな」
そう言いながら、わたしの顔を覗き込むジミー先輩の表情はニヤけている。
そういえばさっきからこの人、わたしをからかうみたいに笑っている。
「あの…。わたしのこと、ちょっとバカにしてますよね?」
「なんで?べつにしてないけど?」
「だって、さっきから笑って――」
「ああ、ごめんごめん。そういう意味で笑ってるんじゃなくて、なんかかわいいなって」
「かっ…。か、か、か、…かわいい……!?」
とっさに顔が真っ赤になるのがわかった。
「そう、かわいい。憧れの青春をノートに書きためるとか、ピュアで健気でめっちゃかわいいじゃん」
“かわいい”なんて、そんな言葉を恥ずかしげもなく直接言ってくるなんて…。
しかも2回も。
なんだか、ジミー先輩といたら調子が狂う…!
「わ…わたし、帰ります…!」
「え?もう帰んの?」
「はい、青春ノートは無事見つかったので…!」
わたしは慌てて床に置いていたカバンを肩にかける。
そして、備品室のドアを開けようとしたけど、そのドアをジミー先輩が片手で押さえつけた。
またしても…壁ドン。
「今度はなんですか…。わたし、早く帰りたいんですけど」
「じゃあ、いっしょに帰ろうか?」
「…はい?」
わたしはぽかんとして振り返る。
「『友達といっしょに帰る』、それもそこに書いてあったよね?」
そう言って、ジミー先輩が指さすのは青春ノートが入っているわたしのブレザーのポケット。
「…なっ、なんで知ってるんですか!やっぱり中見てますよね!?」
「違う違うって〜。ほんとに、初めにチラッと見えただけだから」
ごまかすようにおどけるジミー先輩に、わたしは目を細めて冷たい視線を注ぐ。
「とりあえず、わたしは帰ります」
「そう?1人で大丈夫?」
「大丈夫です。いつものことですからっ」
ジミー先輩、やっぱりわたしのことをからかっている。
プーと頬を膨らませながらジミー先輩を睨みつけると、わたしは備品室から出ていった。
無事に青春ノートが見つかってよかったけど、変な人に絡まれちゃった。
『ああ、ごめんごめん。そういう意味で笑ってるんじゃなくて、なんかかわいいなって』
『かっ…。か、か、か、…かわいい……!?』
絶対あの人、わたしの反応を見て楽しんでた。
わたしのほうが年下だからって。
――でも。
同じ学校のだれかと話したのって、…いつぶりだろうか。
いや、もしかしたら……初めて?
わたしも人見知りのコミュ障のはずなのに、いつの間にか自然とジミー先輩と話してた。
それに、あんなこと――。
『たしか、壁ドンからの顎クイがされたいんだっけ?こんな感じをご所望で?』
ジミー先輩に壁ドンと顎クイをされた場面を思い出すだけで、顔から火が出そうだった。
そういえば、前髪をかき上げたジミー先輩の素顔…。
どこかで見たことがあるような気がするんだけど…、どこだったかな。
次の日。
「な…、なぜマドンナが朝からこんなところに!?」
階段を上って、わたしが3階の3年生の階にきたことによって、周りにいた3年生たちがざわついていた。
「…やばい!朝日よりもまぶしすぎて直視できない…!」
「オレまだ寝ぼけてるっていうのに、朝からマドンナは刺激が強すぎる…!」
そう言いながら、廊下の隅にはける人たちのところへわたしはズンズンと歩み寄った。
「あ、あの…!ちょっといいですか」
わたしが話しかけると、3年生の2人は目を丸くして口をあんぐりと開けた。
「…えぇー!?マドンナに話しかけられた!?」
「落ち着け!オレたちなんかが口を利いていい相手じゃない!」
あまりの驚きように逃げ出そうとするその2人の腕をなんとかつかんだ。
コミュ障のわたしがせっかく勇気を振り絞って声をかけたというのに、ここで逃がすわけにはいかない。
「すみません、お願いがあるんです…!わたしの話を聞いてください」
「えっ…!?マドンナからの…お願い!?」
「マ、マドンナのご命令とあらば、なんなりと!」
2人はピシッと敬礼をする。
そんな2人にわたしは深々とお辞儀をした。
「ジミー先輩のクラスを教えてください…!」
そう言ってゆっくりとわたしが顔を上げると、なぜか2人はぽかんとして固まっていた。
「ジ…ジミーって、髪の毛ボサボサで陰オーラ漂う――」
「学校一の地味男子の…、影山一颯?」
「はい」
「…えっと、マドンナとは正反対のジャンルに属してると思うけど、そのジミー?」
「はい、そのジミー先輩です」
そのわたしの返事を聞いたときの2人の――いや、その場にいた3年生たちの顔といったら。
みんな顎が外れそうなほど口を開けて、目をむき出しにして、息が止まっていた。
「マドンナから呼び出し…!?ジミーのやつ、前世でどんな徳を積んだらそんなことが起きるんだ…!!」
「か、影山なら2組だけど、どうしてマドンナがあのジミーなんかに…!?」
「2組ですね。ありがとうございました」
わたしはペコッとお辞儀をすると、3年2組の教室へと向かった。
なぜわたしが学校に登校してすぐに、普段ならくることもないような3年生の階にきて、ジミー先輩を探しているかというと――。
それは昨日、ジミー先輩にわたしの青春ノートのことを口止めするのを忘れていたから、それを言いにきたのだった。
絶対にだれにも見られたくなかった青春ノート。
それをジミー先輩に見られ、悶絶するほどの羞恥を味わったというのに、もしあれをジミー先輩が他のだれかに話したら――。
そうなってしまったら、わたしの恥ずかしメーターが振り切って、きっともう学校にこれない。
ジミー先輩がもしだれかにバラしたらと思ったら、昨日なかなか寝つけなかった。
だから、今日朝一にジミー先輩にお願いにきたのだ。
3年生の階でアウェイ感が半端なく、わたしの人見知りがいつも以上に発動している。
だけど、あとまだ2組に行ってジミー先輩を呼び出すというミッションが残されている。
…恥ずかしい。
でも、青春ノートをバラされるよりはマシ…!
「すみません…!影山一颯先輩いらっしゃいますか!」
自分を奮い立たせ、わたしは3年2組の教室のドアのところから叫んだ。
すると、教室にいた人たちが一斉に振り返った。
一気に注目が集まり、緊張がピークに達する。
「…マ、マドンナ!?」
「どうりでいい匂いがすると思ったら…!」
「てか、そんなことよりも今の聞いたかよ!?」
「マドンナが…ジミーを呼び出し!?」
女の先輩はムンクの叫びのような顔をしていて、男の先輩はイスからずっこけている。
そこへ、よたよたと女の先輩が歩み寄ってくる。
「た…、高嶺さんだよね?」
「はい、そうです」
「えっと、だれを探してるんだっけ?」
「影山先輩です」
わたしがそう言うと、女の先輩の表情が固まる。
「マドンナが…、ジミーに用事?いや、ないない…。きっとなにかの間違いだ」
なぜか女の先輩はブツブツとひとり言をつぶやいている。
「ウチのクラスにイケメンの“カネヤマ”がいるけど、探してるのはそっちだよね?」
「カネヤマ…先輩?いえ、わたしが探しているのはカ“ゲ”ヤマ先輩です」
「ホントのホントに!?」
「ホントのホントです」
女の先輩はごくりとつばを飲み込む。
「…で、でも、どうしてマドンナが影山なんかに…」
「ちょっと…、大事な話があって…」
青春ノートをだれかにバラされるかもと思ったら、わたしは恥ずかしさで顔が赤くなった。
「だ…、だだだだ…大事な話…!マドンナが…影山に!?」
すると、顔を赤くしてうつむくわたしを見た女の先輩は、大口を開けて驚愕していた。
「…ウソだー!!マドンナと影山が…そんなことに!?」
「違う!これはなにかの間違いだ!!天変地異が起こったとしても、マドンナとジミーが関わるはずがない…!!」
なぜか2組の教室の中も騒がしくなって、わたしはよくわからずキョトンと首をかしげる。
「え…、えっと。せっかくきてもらったんだけど、残念ながらまだ影山はきてなくて――」
「俺がなんだって?」
すると、わたしのすぐ後ろから声がした。
振り返ると、髪がボッサボサのジミー先輩だった。
「…影山!あんた、くるのが遅いよ!」
「えっ…。なんで俺、朝から怒られてんの。いつもどおりっつーか、いつもより5分も早いのに」
「とにかく!2年の高嶺さんがあんたに話があるからってきてくれたんだよ!」
「…俺に話?」
ジミー先輩はわたしに視線を落とした。
「ああ。昨日はどーも」
そう言って、少しだけ口角を上げた。
「きっ…、聞いたか!?『“昨日”はどーも』…だって!」
「昨日、あの2人にいったいなにがあったんだぁー!?」
また教室内が騒がしくなった。
昨日のことなんて、絶対だれにも聞かれたくない。
「…ジミー先輩!こっちにきてください…!」
わたしはジミー先輩の袖を引っ張った。
「おい、影山!てめぇ、マドンナに対する返事によってはオレたちが許さねぇぞ!」
「そもそも、これはなんかの間違いなんだからな!ジミーが勘違いすんじゃねぇぞ!」
教室から罵倒が飛び交い、ジミー先輩は困り顔。
「…なんで俺、怒鳴られてんの?」
「知りませんよ。とにかく、わたしといっしょにきてください…!」
わたしはジミー先輩の手を引いた。
なぜだかわからないけど、廊下を歩くといつも以上に注目を浴びて騒がれる。
「マドンナ!…と、ジミー!?」
「なんで、あの2人がいっしょに!?」
「どう考えたって、月とスッポンの組み合わせだろ…!」
どうやらジミー先輩といっしょにいることで、それが相乗効果となっているようだ。
校舎の隅にいても、野次馬たちが覗きにくる。
だから仕方なく、だれもいない屋上へジミー先輩を連れ出した。
「ほんと、マドンナは大変だな」
屋上に出たジミー先輩はのんきに笑っている。
「で、俺に話ってなに?」
キョトンとするジミー先輩に、わたしはスタスタと歩み寄った。
「あ…、あの…」
「ん?どうかした?」
「そのぉ…」
…がんばれ、わたし!
これが、今日最後の勇気…!
「青春ノートのことは、周りには秘密にしてもらえますか…?」
言えたっ…!
あれは、わたしの頭の中の妄想を文字にしたもの。
わたしがこの学校でマドンナと呼ばれていようといなかろうと、だれかに知られるのだけは絶対にイヤ。
…もうジミー先輩に知られちゃったけど。
それでも、ジミー先輩さえ黙ってくれていれば――。
「いいよ」
そんな返事が聞こえて、わたしはすぐさまパッとした表情で顔を上げた。
「…いいんですか!?」
「いいも悪いも、だれかに言いふらすことでもないでしょ」
「あ…、ありがとうございます!」
ジミー先輩、地味で変な人だと思っていたけど、実際は案外普通なのかも。
「とりあえず、よかった〜…」
わたしは安心して足の力が抜けた。
「そんなことを言うためだけに、人見知りでコミュ障の高嶺の花が俺を探しに3年のクラスへ?」
クスッと笑うジミー先輩。
…また笑われた。
そう思っていると――。
「がんばったな」
すると、ジミー先輩がわたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
【・「がんばったな」と言われ、頭を撫でてもらいたい】
これも青春ノートに書いていたことだ…!
やっぱりジミー先輩、青春ノートを読んで――。
でも、最初のほうしか見ていないと言っていたし、これはただの偶然なのだろうか。
そのとき、わたしの頬を爽やかな風が撫でた。
「気持ちいい…」
ふと立ち上がり見上げると、空は雲ひとつない青空だった。
その青空の下に、街並みが広がっている。
「きれい…。ここって、こんなに見晴らしよかったんですね」
「そうだよ。知らなかったの?」
「はい。なんだかんだで、屋上くるの初めてかもです」
わたしはそよ風になびく髪を手で押さえながら、柵のそばにいるジミー先輩の隣に並ぶ。
「今日は天気もいいし、ここで昼寝したくなるよな」
「昼寝って、まだ朝ですよ。でもたしかに」
キーンコーンカーンコーン…
そんな話をしていると、朝礼前の予鈴が鳴った。
「…あっ、チャイム。そろそろ戻らないと」
わたしはそうつぶやき、校舎の中に戻ろうとした――そのとき。
「もう行くの?」
その声とともに、ジミー先輩がわたしの腕をつかんだ。
「なに言ってるんですか。さっきの予鈴ですよ?朝礼始まって、そのあと1限が――」
「べつにサボったらいいじゃん」
ジミー先輩の突拍子もない発言に、わたしは一瞬目を見開く。
「サボるって、そんなことできるわけないですよ」
「なんで?こんなに気持ちいいのに、日向ぼっこしないとかもったいないじゃん」
「…もったないって――」
「『授業をサボって屋上へ』っていうのも、青春ノートに書いてあったと思うけど?」
わたしの腕をつかむジミー先輩が意地悪く笑った。
それを聞いて、わたしの頬が徐々に赤くなる。
「やっ…やっぱり、じっくり中まで見てるじゃないですか…!」
「ほんとに誤解だって〜。そんなことが書いてあったような気がしたからさ〜」
「もうっ…、絶対見てますよね…!」
わたしはプイッと顔を背けた。
いじけるわたしを見て、ジミー先輩は笑い声を漏らす。
「じゃあさ、俺がサボるのに付き合ってくれない?」
ニッと笑ってみせるジミー先輩。
今日の天気がとても気持ちいいから。
心地よい日差しを浴びたらお昼寝したくなったから。
ジミー先輩がそう言うから。
そんな理由を並べてなんとか自分を正当化させ、わたしはジミー先輩と1限をサボった。
「てかさ、思ってたんだけど、こんなに名前をそのままかたちにしたような人がいるもんなんだね」
「わたしの名前ですか?」
「うん、“高嶺の花”。名前のとおりじゃん」
それは…実はわたし自身も思ってはいる。
よっぽど自分の娘に自信があるような親でない限り、さすがにこんな名前はつけないだろう。
――ただ。
「もともとは違う名字だったんです。だけど、中学に入る前に両親が離婚して。それで、母が旧姓に戻したんです」
「へ〜、お母さんのほうの名字が“高嶺”だったんだ」
「はい。それで、わたしも“高嶺花”に名前が変わって」
幸い、この名前のせいでいじめられたことはない。
それに、“花”という名前は気に入ってるから、わたしにとって“高嶺花”という名前は後付けでそうなっただけだと思っている。
そんな話をジミー先輩としていたけど、結局授業をサボるなんて自分の柄じゃなくて、1限開始10分ですでにわたしはムズムズそわそわしていた。
「あ、あの…。ジミー先輩、そろそろわたし…」
「なに、もう帰るの?」
驚くジミー先輩に、わたしはぎこちなくコクンとうなずく。
「さっきから…、落ち着かなくて…」
たしかに【・授業をサボって屋上へ】と青春ノートに書いていたけど、実際にやってみたらサボったことへの先生の反応とかがこわくて、青春を楽しむなんてできなかった。
「なんだよー。せっかく付き合ってくれてると思ったのに」
「…すみません」
「まあ、べつにいいんだけどさ。じゃあその代わり、今日の夜8時に学校前に集合」
「え…?」
突然のことでよくわからなくて、わたしは聞き返した。
「もしかして、門限とかあった?その時間、家から出られなかったりする?」
「…いえ、大丈夫だとは思いますけど…」
「だったら、8時に学校前なっ。じゃあ、授業行ってこい。俺はもう少しここにいるから」
屋上に残るジミー先輩に軽くお辞儀して、わたしは教室へと急いだ。
『じゃあその代わり、今日の夜8時に学校前に集合』
あれは、どういう意味だったんだろう。
なんで夜に学校へ?
真偽はわからなかったけど、その夜わたしは素直にも8時に学校へ着くように準備をしていた。
家の最寄り駅から学校の最寄り駅までは、電車で15分ほど。
いつもなら朝に制服で乗る電車に、わたしは着替えた私服姿で乗り込んだ。
電車から降りて、普段とは違う雰囲気漂う夜の装いとなった繁華街を入る。
学校帰りの時間は当然のように中高生たちが多いけど、今は飲み会終わりの大学生らしき人や、仕事帰りのサラリーマンが行き交っている。
いつもの知っている繁華街とは少し違って、わたしは足早に通り過ぎようとした。
そのとき――。
「めっちゃかわいいコ、見〜つけたっ♪」
突然、だれかに肩をつかまれた。
驚いて振り返ると、少し顔を赤く染めた大学生らしき男の人が3人いた。
「うわ〜!マジで美人!」
「モデルかなんか?1人でどこ行くの〜?」
若干呂律が回ってなくて、お酒の臭いがするから、この人たち…酔っ払ってる。
「俺たちこれから2軒目行くんだけど、いっしょにどう〜?」
「…離してくださいっ。それにわたし、まだ高校生なのでお酒なんて飲めません」
「え〜!ウソだ〜!」
「こんな大人っぽい高校生いたらビビるわ〜!」
酔っ払っていて、わたしの話なんてまったく聞こうとしてくれない。
面倒くさい人たちに絡まれてしまった。
どうしようかと困っていると――。
「なにしてるの、あんたら?」
そんな声が聞こえたかと思ったら、わたしの肩をつかむ大学生の腕をだれかがつかんでいた。
見上げると、キャップを被った男の人が。
「…あっ」
はっとして、思わず声が漏れた。
なぜなら、間に割って入ってくれたその人は、なんとこの前の札束パリピ男だった…!
今回はキャップを被っていて、この前の春ニット帽とは違うけど、雰囲気ですぐにわかった。
と同時に、なにかに気づいてしまった。
ま、待って…。
このきれいな顔立ち、どこかで見たことがある。
…いや、そんなはずない。
そう自分に言い聞かせてみるも――。
「も…もしかして…、ジミー先輩…!?」
わたしがそう発すると、札束パリピ男はニッと笑った。
「なんだよ、今ごろ気づいたのかよ」
やっぱり…ジミー先輩だ!!
ジミー先輩はわたしを背中に隠すようにして、男の人たちの前に立ちはだかる。
「で、あんたらだれ?俺の彼女になんか用?」
「へ?カノジョ?」
酔っ払いの男の人たちは、ぽかんとした顔を見せる。
だけど、それはわたしも同じだった。
い、今…ジミー先輩、わたしのことを…“彼女”って言った!?
「わ〜。なんかごめんなさい、彼氏いるとは知らなくて〜」
「そうそう、そんな怒らないでね〜。オレたち、ちょぉ〜っと声かけただけだから〜」
「早く次行こう〜ぜ〜」
わたしのときとは違って、ジミー先輩が登場するとすぐに男の人たちは引き下がっていった。
「あ、ありがとうございます。ジミー…?先輩」
わたしの前に立つパリピがジミー先輩だとは思えなくて、『ジミー先輩』と呼ぶことに違和感がする。
「気にしなくていいよ。こんな時間に呼び出したのは俺だから。むしろ、変なやつらに絡まれることになってごめん」
ジミー先輩は頭を下げた。
「…いえ、それはかまわないんですけど……」
やっぱり、目の前にいるこの人がジミー先輩だということが未だに信じられない。
「あの、その格好…」
「これ?べつに、普段の私服だけど?」
「…私服!?でも髪型とかちゃんとして、学校の雰囲気とはまったく…。それに、前に言ってた“パリピ”って――」
「あ〜、“パリピ”っていうのは俺が勝手にそう思ってるだけだけどな」
いや、この格好からでもよくわかります。
正真正銘の“パリピ”だと。
「まあ、だいたい毎日だれかと夜遊んでるかな」
…めっちゃパリピ。
「帰って寝るのが遅いから、毎朝寝坊してんだよ。それで、髪とかセットする時間がなくて」
どこにそんな毎晩毎晩遊ぶお金があるのだろうと思ったけど、聞く感じだと、どうやらジミー先輩の家はお金持ちのようだ。
しかも、ジミー先輩自身も高校生ながらにアプリのゲーム会社を立ち上げ、そこの社長をしているとかなんとか。
どうりで、300万円分の札束を所持しているわけだ。
…それにしても驚いた。
清凛高校では、“学校一の地味男子”としてバカにされているジミー先輩が、まさかそんな一面があったなんて。
「他にまだ聞きたいことある?」
正体を知って放心状態のわたしにジミー先輩が尋ねる。
その問いに、わたしははっとして顔を上げた。
「そ、そういえば…、さっきわたしのこと…」
「ん?なに?」
「いや…、その…」
わたしは手をもじもじさせる。
だって、自分で口にするのは気恥ずかしい。
「ああ、“彼女”って言ったこと?」
ジミー先輩の言葉に、わたしの頬が一瞬ぽっと熱くほてった。
「なんか勝手なこと言ってごめんな。ああ言っておいたら、引き下がってくれるかなって思って。とくに深い意味はないから気にしないで」
うつむくわたしをなだめるように、ジミー先輩は頭をぽんぽんと撫でた。
また頭を撫でられた…!
わたしの胸がドキッと音を鳴らした。
そのあと、ジミー先輩に連れられて夜の清凛高校へとやってきた。
もちろん校舎は真っ暗だが、先生がまだ残っているのか、職員室には明かりがついていた。
「忘れ物ですか?」
「違ぇよ。ほら、行くぞ」
ジミー先輩は、校門の外からぽかんと校舎を見上げていたわたしの手を引いた。
夜の校舎はしんと静まり返っていて、なるべく足音を立てないように歩いていても、やけにその音が響くような気がする。
「ジ…ジミー先輩、見つかったらどうするんですか」
「見つかったら、忘れ物を取りにきたって言えばいいじゃん」
窓から入る月明かりが、ニッと微笑むジミー先輩の顔を照らす。
そのとき、わたしたちとは違う足音が聞こえてきた。
そっと廊下の角から顔を覗かせると、懐中電灯を握って校舎を巡回する警備の人だった。
忘れ物を取りにきたと言い張ったとはいえ、見つかったら絶対に怒られる。
「帰りましょうよ、ジミー先輩…!」
「なんで?だってめちゃくちゃスリルあるじゃん」
不安丸出しのわたしとは違って、なぜかジミー先輩は楽しそうだ。
ジミー先輩に連れられて物陰に隠れて息を潜めていると、警備の人はわたしたちに気づくことなく通り過ぎていった。
「でも、どうして夜の学校なんかに」
「だって、書いてあったじゃん。青春ノートに」
「え?」
「『夜の学校に忍び込みたい』って」
初めはぽかんとしたけど、ジミー先輩にそう言われて、ずいぶんと前にそんなことを書いたようなことを徐々に思い出してきた。
「なっ…!!やっぱりジミー先輩、わたしの青春ノートを全部見て――」
「シー…!!声がでかいって…!」
「だれかいるのかっ!?」
それほど大きな声ではなかったけど、警備の人の足音しかしない静かな夜の校舎に、わたしの声がわずかに響いたようだ。
警備の人が引き返してきて、足音がどんどんこちらに近づいてくる。
わたしの心臓は、この音が外に漏れてしまうのではないだろうかと思うくらいずっとドキドキしていた。
だけどこれは、警備の人に見つかったらどうしようというドキドキではない。
――なぜなら。
わたしの口を片手で塞いだジミー先輩が、体を密着させるようにわたしを後ろから抱きかかえているからだ。
壁の陰に隠れて、少しでも死角に入るように2人で小さく丸くなって息を殺す。
「いい子だから、そのままな」
そんなジミー先輩の声が耳元で響いて、その耳がカッと熱くなった。
警備の人の足音がすぐそばで止まり、わたしたちの目の前の壁が懐中電灯で照らされた。
もうダメだと思ったけど、その懐中電灯の灯りはわたしたちの足元ギリギリをかわしていき、違う方向へと向いた。
「…変だな。気のせいか」
警備の人のつぶやき声が聞こえ、足音が遠ざかっていった。
「っぶねぇー…」
ジミー先輩は安心してその場で脱力した。
そのおかげで、わたしもジミー先輩から解放される。
い…、今の…。
ジミー先輩に後ろから抱きしめられてたよね…?
【・後ろから抱きしめられたい】
そういえば前に、ドラマの影響で青春ノートにそんなことを書き込んだことがあったけど――。
実際のバッグハグって、こんなにドキドキするものなんだ…!
今が暗い校舎の中でよかった。
じゃないと、真っ赤になった顔をジミー先輩に見られるところだった。
その後、ジミー先輩がわたしを連れてきたのは、今日の朝にもきた学校の屋上だった。
夜なんかにきてここになにが――と思ったら、わたしは思わず感嘆の声を漏らした。
「…すごい」
朝ここから見た街並みは、赤色や黄色や白色などのさまざまな色の光の粒を放った夜景となっていた。
「見晴らしがいいと思ってましたけど、夜になるとこんなにきれいだったなんて」
「すごいだろ?1回文化祭の準備で夜遅くまで残ったことがあって、そのときに知ったんだ」
自慢げに話すジミー先輩。
「わたし、夜景…初めてかもしれないです」
「え、マジ?」
「はい。この時間はいつも家にいるので」
「でもさ、友達とちょっと近くの夜景見に行こうぜっとかならな――」
と言いかけたジミー先輩だったけど、バツが悪そうに慌てて自分の口を両手で塞いだ。
「…わたし、友達いないので」
「そうだったな。なんかごめん」
ジミー先輩がペコッと頭を下げる。
そのまま2人とも黙り込んでしまった。
しばらく無言で夜景を眺めていると、肩をトントンと軽くたたかれた。
顔を向けると、ふにっと頬にジミー先輩の人差し指が突き刺さる。
「もうっ、なんですか――」
「じゃあさ、俺がなってやろうか?」
ジミー先輩の言葉にわたしはキョトンとする。
「だから、俺があんたの友達1号になってやろうかって言ってんだよ」
「ええ…!?ジミー先輩が!?」
「なんだよ、嫌なのかよ」
「いえ…、そういうわけではなくて…」
“友達”なんていう響き、わたしには新鮮すぎたから…つい。
「高校生になって友達とやりたいこと、あの青春ノートにいっぱい書いてあるんだろ?」
「そ…そうですけど…」
「じゃあその青春、俺が叶えてやるよ」
そう言って、ジミー先輩はやさしく微笑んだ。
――わたしに、人生初めての友達ができた。
『俺があんたの友達1号になってやろうかって言ってんだよ』
『高校生になって友達とやりたいこと、あの青春ノートにいっぱい書いてあるんだろ?』
『じゃあその青春、俺が叶えてやるよ』
きっかけは、ジミー先輩のあの言葉たち。
ジミー先輩は、青春ノートに書かれているわたしの憧れの青春を叶えるため、わたしの友達になってくれた。
【・学校までの道で友達を見つけて、いっしょに行く】
今までなら友達がいないわたしが、だれかといっしょに学校に行くことすら想像がしたことがなかった。
だけど、今は違う。
駅から出て少し歩いていると、前方にボサボサの黒髪を見つけた。
「ジ…、ジミー先輩!」
わたしは勇気を出して後ろから声をかけた。
すると、すぐにジミー先輩が振り返った。
「だれかと思ったら、高嶺か。おはよー」
「…おはようございます!あ、あの…」
「ん?」
「いっしょに学校行ってもいいですか…?」
わたしがジミー先輩の顔色をうかがいながら聞くと、ジミー先輩の表情が緩んだ。
「うん、いっしょに行こ」
それを聞いて、わたしから思わず笑みがこぼれた。
「よかったー…。緊張しました」
「なんでこんなことで。それも、青春ノートの?」
「はい。『学校までの道で友達を見つけて、いっしょに行く』です」
「なんだそりゃ」
ジミー先輩はクスクスと笑った。
そんな並んで歩くわたしとジミー先輩を見た清凛生たちは、口をあんぐりと開けてわたしたちのことを見ていた。
「あの人ってたしか…。3年のジミー先輩だよね…!?」
「なんで、ジミー先輩とマドンナがいっしょに登校!?」
驚きを隠せない1年生の女の子たち。
「そういえば、この前もマドンナがジミーを呼び出してたよな…!?」
「えぇえ!?もしかして、マドンナとジミーって――」
「お前ら落ち着け!それはないだろ…!だって、相手はあのジミーだぞ!?」
後ろのほうから3年生のそんな話し声が聞こえ、ジミー先輩は「はぁ」と気だるげなため息をついた。
「勝手に話盛るなよなー。高嶺とはただの友達だよ」
そう言って、ジミー先輩はその3年生たちのほうを振り返る。
「とっ…、“友達”…!」
「よかった〜…と思いつつも、なんでジミーがマドンナの友達!?」
「マドンナと友達だなんて、庶民がなっていい階級じゃねぇよ…!」
3年生たちは震え上がり、なぜか後退りしていった。
「な…なんなんでしょうか、あの人たちは」
「知らね。いつもあんなんだから気にすんな」
ジミー先輩の言葉にわたしは苦笑いした。
すると、隣で「あっ」とジミー先輩の声が漏れた。
「そういえば俺、さっきから“高嶺”って呼んでたな」
ジミー先輩が気にしてくれていたのは、青春ノートに書いていたある項目についてだった。
【・友達から名前で呼ばれたい】
友達になった夜、ジミー先輩はそれを見て『花』と呼ぶと言ってくれていた。
「構いませんよ。ジミー先輩が呼びやすいほうで」
「そこはちゃんとしないとダメだろ。俺が友達になって、青春叶えてやるって約束したんだから。なっ、花」
――“花”。
初めて名前で呼ばれた。
家族以外の人に。
なんだか、胸の奥がぽっと温かくなったような気がした。
ジミー先輩はわたしの友達として、学校でしてみたい青春をたくさん叶えてくれた。
【・お弁当のおかずを交換し合う】
約束をして、お互いお弁当を作ってきて、お昼休みにだれもいない屋上でおかずを交換し合いながらいっしょに食べた。
【・忘れた教科書の貸し借りをする】
たまたまわたしが2年3年共通で使う教科書を忘れたとき、ジミー先輩が貸してくれた。
【・自転車を2人乗り】
気まぐれで自転車通学するというジミー先輩の自転車に、通学途中に偶然会ったときに後ろに乗せてもらった。
それを校門前で先生に見られ、2人いっしょに怒られた。
でもなんでだろう。
先生に怒られているのに、なぜかうれしかったのは。
「それにしても、ちゃんと見たらすごい量だな」
とある日の放課後。
ジミー先輩とカフェにきて、わたしの青春ノートをペラペラとめくるジミー先輩。
これにて、【・友達とカフェ】が達成された。
ちなみに、【・友達とカラオケ】は先週に達成されている。
「してみたい青春欲がすごいな」
「夢は大きくです!」
わたしのやってみたい青春の数々に、ジミー先輩は苦笑いを浮かべる。
「じゃあ、次はこの辺りをしてみるか」
そう言って、ジミー先輩は青春ノートのあるページを指さした。
それは、『夜遊びシリーズ』だ。
【・夜にゲームセンターに行きたい】
【・夜景を見にいきたい】
【・花火をしたい】
【・夜の海に行ってみたい】
そもそも夜に出かけることに慣れていないわたしは、これらの項目を“禁忌”と呼んでいる。
「ついに禁忌を…!」
「なにが禁忌だよ。案外フツーなことしか書いてねぇぞ?」
ジミー先輩にそう言われ、わたしはなんだか恥ずかしくなって顔が赤くなった。
「でもこの『夜景を見にいきたい』って、この前夜の屋上で叶ったよな?」
「たしかにあれも夜景ですけど、みんなでノリで『このあと夜景見にいこうぜ!』って話になって見にいってみたいなー…と思いまして」
「設定が細かいな」
「す、すみません…!無理なら全然いいんですけど…」
わたしがジミー先輩の顔を覗き込むと、ジミー先輩は顎に手をあててなにか考え込んでいた。
「花、今日の夜は?出られる?」
「は、はいっ。お母さん今日も夜勤なので、11時までに家に帰れば」
「わかった。じゃあ、10時までには家に帰すから6時に駅まできてくれる?」
「わかりました。なにをするんですか?」
「それは、そのときのヒミツ」
ジミー先輩は、口元に人差し指をあててニッと微笑んだ。
そのあと家へと帰り、制服から私服に着替えた。
今日の授業の復習をして、時間がくると家を出た。
そして、待ち合わせの駅へ。
でもそこにジミー先輩の姿はなかった。
「ジミー先輩、まだかな」
辺りをキョロキョロしていると、ふと音楽が聞こえてきた。
ヒップホップなどのダンスに使われそうなテンポの速い曲だ。
静かな駅前には少し合わない曲がどこから流れてきているのかと探していたら、向こうのほうからやたらとピカピカ光るワンボックスカーが現れた。
大音量で曲を流しているのはあの車だ。
車内も盛り上がっているのか、肩を揺らしている人たちが乗っているのが外からでもなんとなくわかる。
そんなことよりも、ジミー先輩は――。
と思っていたら、なぜだかその派手な車がわたしの前で止まった。
そしてスライドドアが開き、中からサングラスをかけたイケイケのお兄さんが降りてきた。
「え〜っと、花チャン?」
「…え、……え?そうですけど…」
「やっぱり〜!聞いてたとおりの美人じゃん!」
「あ、あの…、どうしてわたしの名前を――」
「とりあえず乗って乗って〜!」
と言われたけども、見ず知らずの人の車に乗り込むことなんてできるわけがない。
気を悪くさせないために笑顔で断ろうと思ったけど、イケイケのお姉さん2人も降りてきてわたしの手を握った。
「だ〜いじょうぶ、花チャン!迎えにきただけだから」
「むっ…迎えに!?」
「べつに取って食おうとかじゃないから、安心して〜」
そんなこんなで、わたしは押し込まれるようにしてワンボックスカーに乗せられて――。
…その場から連れ去られたのだった。
車内は知らないイケイケのお兄さんとお姉さんさんばかりで、わたしは緊張でガチガチ。
どこに連れて行かれるんだろうとビビっていた。
「着いたよ〜!」
運転手の入れ墨ゴリゴリお兄さんが笑顔で後部座席を振り返り、そうしてスライドドアがゆっくりと開いた。
連れてこられた場所は、なんとボウリング場。
「…へ?ボウリング?」
「花チャン、こっちこっち〜!」
キョトンとするわたしだったけど、イケイケお姉さんたちに誘われてボウリング場へ。
ボウリング場にくるのは小学生のときに家族できた以来で、すごく久しぶりだった。
重みのあるボールが転がる音。
白いピンが弾ける音。
ボウリング場独特の音に、思わずわたしは興奮してしまった。
「ちゃんと連れてきてくれたじゃん」
そんな声が聞こえて振り返ると、そこには学校とはまったく違うおしゃれな私服姿のジミー先輩がいた。
「花、びっくりしたろ?突然、変なやつらに連れ去られて」
わたしは目をパチクリとさせながら、周りのイケイケお兄さんたちに目を移す。
「おい、一颯!変なやつらとは失礼だなー」
「そうよ〜。花チャンは丁寧におもてなししてここまで連れてきたんだから〜」
“変なやつら”と言われたことが不服のようで、お兄さんたちはジミー先輩に文句を言っている。
でも怒っているというわけではなく、みんな笑ってるから冗談を言い合っているようだ。
「花の話したらさ、みんな見てみたいって言うから、こいつらに迎えを頼んだんだよ」
「…えっと、ジミー先輩。わたし、いまいち状況が理解できていないのですが…」
「ああ、そういえばまだなにも言ってなかったな」
そう言って、ジミー先輩はわたしに説明してくれた。
「こいつらは、俺の友達」
「イェ〜イ、よろしく〜!」
ノリノリのお姉さんたちにわたしはペコペコと頭を下げた。
「それで、今からみんなでボウリングするってわけ」
「それはなんとなくわかりましたけど…、なんでボウリングなんですか?」
「え?だって、『みんなでボウリングで盛り上がりたい』って書いてあっただろ?」
ジミー先輩に言われて、はっとした。
そういえば、そんなことも青春ノートに書いていたと。
「でも、ボウリングならジミー先輩とだってできますし」
「俺だけじゃ、“みんな”とは言わねぇだろ」
「…それは、たしかに」
そこで、ジミー先輩はこうしてパリピ仲間のみなさんを集めてくれたようだ。
学校との姿が違いすぎるから、まだまだわたしはジミー先輩のパリピ姿を見慣れていないけど、ここにいる人たちの中に入れば、むしろジミー先輩は馴染んでいた。
というか、他の人のほうがジミー先輩よりも派手だ。
「花チャンはこっちのレーンだよ〜!」
イケイケお姉さんに呼ばれる。
「…えっ。でもわたし、人見知りなので――」
『人見知りなのでジミー先輩と同じレーンがいいです』
と言おうとしたけど、イケイケお姉さんが腕を組んできた。
「はい!花チャン、行くよ〜!」
そうして、強制的にジミー先輩とは離れたレーンに連れて行かれたのだった。
ここに集まったのは、ジミー先輩のお友達10人。
みんな似たようなイケイケで、これまでわたしが関わったことのないような人たち。
ただでさえ人見知りのコミュ障なのに、初対面でいきなりイケイケのみなさんとボウリングだなんて、わたしにはハードルが高すぎる。
そう思っていたけれど、みなさんはそんなわたしの壁を容易く打ち砕いてくる。
「次、花チャンだよ!」
「花チャン、ナイスぅ〜!めっちゃうまいじゃん!」
気づいたら、わたしは笑顔でハイタッチを交わしていた。
そのあとは、イケイケお兄さんの車に乗ってみんなで夜景を見にいった。
『みんなでノリで『このあと夜景見にいこうぜ!』って話になって見にいってみたいなー…と思いまして』
学校帰りのカフェでジミー先輩に話した理想の夜景を見にいく流れ。
今がまさにそれだった。
山道を上ったところにある、この辺りでは定番の夜景スポット。
でも、駅からは遠いし、バスもこの時間はほとんど通っていないから、くるとなると車が必要になる。
わたしじゃ絶対に行くことができないような場所。
でも、ジミー先輩のパリピ仲間は年齢も職業も様々で、その中の人が今回車を出してくれたのだ。
「うわー!きれいー…!」
屋上で見た夜景とは比べ物にならないほどの光の海が広がっていた。
「花チャンの反応、初々しすぎ!夜景、見たことないの?」
「ないことはないんですけど、こういう定番スポットにはきたことがないです」
「へ〜、そうなんだ!」
「はい。だから、目に焼き付けておきます」
わたしがそう言うと、なぜかみんなが笑った。
「そんな、目に焼き付けなくてもいいよ!」
「でも、きれいなので――」
「見たくなったら、オレがこうして車出すからさっ」
「そうだよ。またみんなでこようよ!」
――“またみんなで”。
その言葉がうれしくて、わたしは目の奥がじんわり熱くなった。
「どう?『夜景を見にいきたい』っていう青春、叶った?」
ジミー先輩がわたしの顔を覗き込む。
そんなジミー先輩に、わたしは満々の笑みで答えた。
「はい!」
そのあと車で送ってもらい、10時までには家に帰ることができた。
こうして、毎日じゃなくとも、ジミー先輩がわたしを夜遊びに誘ってくれた。
夜にゲームセンターにも行ったし、花火もした。
ジミー先輩のパリピ仲間もいっしょに。
でも、パリピ仲間もいろいろな人がいて、ジミー先輩は何人友達がいるんだろうと思うくらい、見かける人はいつも違った。
だけど、みんなとても話しやすくて楽しい人ばかりで。
わたしもいろんな人に会えるのが楽しみになっていた。
【・夜の海に行ってみたい】
というわたしの青春は、ある意味でわたしの想像とは違った。
わたしは、夜の海で静かな波音を聞く風景を想像していたんだけど――。
なんと、ジミー先輩がクルーザーを手配していた…!
こんなものどうやって…と思ったけど、そういえばジミー先輩はちょっとした社長だったということを思い出した。
海に浮かぶクルーザーの上で、パーティーが始まる。
みんな好きなドリンクを飲みながら、BGMに合わせて踊っていた。
終わったら、ジミー先輩が家まで送ってくれる。
わたしにとっては刺激的な夜遊びの数々だけど、いつも真面目に10時までには家に送ってくれる。
ジミー先輩はわたしを送ったあと、また遊びに合流しに行くらしい。
そうして夜更かしするものだから、また次の日は髪がボサボサのジミー先輩として学校にくる。
夜はパリピだということは、わたしだけが知っているジミー先輩の裏の顔だ。
ジミー先輩やパリピ仲間の人たちのおかげで、わたしの人見知りのコミュ障もずいぶんと改善されてきたような気がする。
ジミー先輩のおかげだ。
わたしの青春を叶えるために、“友達”になってくれたジミー先輩。
だから、友達のジミー先輩とまさかあんな展開になるなんて思いもしなかった――。
それから、数日後。
今日は日直で、わたしはだれもいない教室に残って1人で日誌を書いていた。
「おっ、いた」
そんな声が聞こえて顔を上げると、ドアのところでジミー先輩が顔を覗かせていた。
「どうしたんですか?2年の階にくるなんてめずらしいですね」
「花いるかなーって思って見たら、本当にいた」
「なんですか、それ」
わたしは思わずクスッと笑った。
「そうだ、花。今日の夜空いてる?またあいつら、海行きたいとか言っててさ」
――“海”。
「だからまた――」
「…あの、ジミー先輩」
わたしは意を決してジミー先輩の話を遮った。
そして、きゅっと唇を噛む。
「クルーザーでの夜の海、すごく楽しかったです」
「そっか、よかった。花が楽しんでくれたのなら、今回も――」
「でも違うんです」
「…違う?」
ジミー先輩はキョトンとして首をかしげた。
ジミー先輩はわたしの憧れの青春を叶えてくれている。
わたし1人じゃ絶対に叶えることができないくらいのお金と時間をかけて。
でも、――そうじゃない。
「ジミー先輩がわたしのためにしてくれること、すごくうれしいです。…だけど、わたしの思い描く青春とは少し違うこともあって」
「例えば?」
「『夜の海に行ってみたい』というのも、静かな浜辺を散歩してみたかったんです。もちろんみんなでワイワイするのも楽しいんですけど、どちらかというと2人でまったりとした青春が理想だなって…」
自然とわたしの声が震えた。
きっとジミー先輩に嫌な思いをさせた。
わたしのためにしてくれているのに、それに文句を言うようなこと。
もしかしたら、友達の縁を切られるかもしれない。
こんな面倒くさい友達、もういらないって――。
「そっか。たしかにそういう青春もいいな」
ふと聞こえたジミー先輩の言葉に、わたしは慌てて顔を上げた。
「気づいてやれなくてごめん。俺、派手な遊びしかしてこなかったから、そういう考えなかったわ」
「…え、怒って…ないんですか?」
「なんで怒るの?むしろ、俺もまったり青春やってみたい」
そう言って、ジミー先輩は微笑んでくれた。
…驚いた。
てっきり嫌われるかと思っていたのに、いっしょにまったり青春をしてみたいだなんて――。
「で、花のまったり青春ってどんなの?もっと聞かせて」
ジミー先輩がわたしの前の席に座って、こちらを向いて頬杖をつく。
わたしの話を聞いてくれようとするその姿勢がうれしくて、わたしは興奮気味に青春ノートを開けた。
「ま…まずですね、夜の静かな浜辺を歩きたくて」
「それは今聞いたよ。あとは?」
「あとは、朝家を出たら待ってくれてていっしょに登校したり、今は寒くないので無理ですけど、『寒いね〜』なんて言って手繋いで相手のコートのポケットに入れたり――」
わたしのしてみたいまったり青春がフィーバーして、思わず早口になってしまう。
「あと、これ!有線イヤホンを片耳ずつつけて、いっしょに音楽を聞きたいんです!これ、すごく憧れで!“有線イヤホン”ってところがポイントです!」
と言ってふとジミー先輩の顔を見ると、ジミー先輩の目が点になっていた。
…まずい。
わたしがいろいろ話しすぎて、絶対に引かれた。
「あ…、でもこれはただの理想で…。やっぱりなんでもないです…、はい」
冷静になったら当然恥ずかしくなって、わたしはゆっくりとうつむいた。
すると、正面からプッと笑い声が漏れた。
「いいじゃん、やろうよ全部」
「えっ、いっしょにしてくれるんですか…?」
「うん。初々しいくらいに内容全部ピュア恋ばっかでびっくりした」
「ピュ…、ピュア恋!?」
「だって、これ全部恋人とする青春でしょ?」
ジミー先輩に言われて初めて気づいた。
たしかに今挙げた青春すべて、彼氏としてみたい青春だった。
「…あ、なんかごめんなさい。盛り上がりすぎて、…つい。こんなの無理に決まってるのに――」
「無理じゃないよ。だったら付き合おうよ、俺たち」
そのとき、どこからともなく空耳が聞こえた。
ぽかんとしていると、目の前にはニッと白い歯を見せて笑うジミー先輩の顔。
「俺と付き合ってよ、花」
「…なっ、なに言ってるんですか!」
「あれ?これも青春ノートになかったっけ?『放課後の教室で告白されたい』って」
わたしの握りしめている青春ノートを指さすジミー先輩。
慌てて見返すと、たしかにあった。
【・放課後の教室で告白されたい】――と。
「俺が花の彼氏1号な」
『俺があんたの友達1号になってやろうかって言ってんだよ』
あの言葉がきっかけて、ジミー先輩はわたしの友達役になってくれた。
だから、今回もわたしの青春を叶えてくれるためだけの恋人役への立候補。
ジミー先輩にとって、とくに深い意味はないはず。
だから――。
「こ、こんなわたしでよければ、…よろしくお願いします」
わたしはペコッと頭を下げた。
それを見たジミー先輩は満足げに微笑むと、わたしの頭をわしゃわしゃと撫でた。
「りょーかい。じゃあ、俺とピュア恋はじめよっか」
こうして、わたしとジミー先輩の奇妙な恋人関係が始まろうとしているのです。
Fin.