ワニくん

児童相談所から人が来て、警察と何か話し始めたがこちらまでは聞こえなかった。
児童相談所の職員は顔見知りで、自分のために来てくれたが、このまま父親が現れなければ弟も何とかしなければならない。
何度連絡しても父親は現れず、警察が保育園から住所を聞いて自宅まで見に行った。

保育園の副園長先生がやってきて、不安だというのでそちらにもパトカーを送るという話になる。
「和邇は帰っていいよ。今日は『遊べない』」
「ウルトラマン帰るの」
「うん。またね」
「また来る?」
「うん」
弟は何かしらのビームを発しながら門のところまで和邇を追いかけて、戻って来た。
「アオ!ウルトラチョップ!」弟が叫んだ。

警察と副園長と児童相談所の人たちはまだ話合っていて、商店街から来た三厨のお母さんがお茶をいれ、三厨のお父さんが弁護士さんと一緒にもうすぐ来るらしく、担任だか学年主任だかも来ると聞いた。この家には入り切らないだろう。

「アオー」
弟は走ってきて、縁側に座っていた僕の膝に抱きついた。
「抱っこして」仕方なく抱き上げて膝に乗せる。子供特有のムッとするようなニオイがした。
「早くパパが善を迎えに来るといいな。それまで俺と…お兄ちゃんといよう」
「パパ?」
「いるだろ。パパ」
「パパいないよ。レンくんしかいない」
「レンくんは家にいる?」
「うん」
警察はもう父親の家に向かっている。
「すいません、あの弟が…」
“レンくん”の話をする。登場人物が多すぎる。この庭にいる人数も、家の中にいる人数も多すぎて、あふれ出しそうだ。

まだ女が逃走中で家は危険という事で、弟と児童相談所に一時保護されることになった。
三厨や玉田も来て、玉田は眠たそうな弟を抱っこして荷物をまとめるあいだ、待っていてくれた。
「猫がいる?」警察官に聞かれる。
「隣の家の猫用です」
寝てしまった弟を児童相談所の人が玉田から受け取って、副園長先生が泣きながらチャイルドシートに座らせた。
レンくんがどうなったかはわからない。
父親からの連絡もない。

「え、ベッドひとつですか」
「定員オーバーで空きが無いので」
弟と隅のほうで食事をとり、一緒に風呂に入って服を着せてやった。歯磨きも口を開かせてすると、虫歯がありそうに見えた。
高校生向けの二人部屋のシングルベッドに九時に追いやられて弟と二人で眠る。
「おねしょしないよ」
善は念の為寝る前におむつを履かされて不満顔だ。
「えらい」褒めると笑ってくっついて来た。
あのムッとするようなニオイはしなくなり、ただシャンプーのニオイと、寝る前に貰っていた幼児用のミルクのニオイがした。

翌朝は六時に起きて、弟の着替えを手伝うとおむつにおねしょをしていて泣き出し、泣きやまない。
同室のヤツにうるせーと言われ、着替えもそこそこに職員を探すが見つからない。
抱っこして施設の中を散歩しているうちに泣き止んだ。
「善、朝ご飯食べよう。美味しいニオイがしてる」
一緒に並んで朝食をとる。
弟は膝に乗って食べさせてもらいたがり、あまえんぼーとからかわれても無視して抱きついたままだった。
弟を食べさせてから、自分の分を大慌てで食べ、歯を磨いてやりその後に自分の歯も磨く。
弟は施設内の保育室に行くのが嫌で泣き、仕方なく自分も一緒に保育室へ行くと、人手不足も極まれりといった様子で片手に弟、もう片手に知らない子を抱っこして辺りをウロウロする。
保護された事情が事情なだけに、安全のためにスマホは没収されていた。
10時頃に幼児のおやつの時間で、まだ赤ちゃんの子がコップを振り回してばらまいたミルクを拭いていると、職員から声をかけられる。
「面会です」
弟は朝より少し落ち着いて、おやつを食べながら隣の子にウルトラマンの話を一方的にしていた。

そっと部屋から出る。
「六郷くん、お母さん見つかったの」
「お母さん…?」
「弟さんのお母さん」
「よかった」
「警察の人が話があるそうですから行きましょう」

警察の人の話によると、善の母親は走って駅の反対側の自宅マンションへ向かう途中に地下道を駆け抜け、地上に出るエスカレーターも駆け上がり登り切ろうとしたところで足を踏み外したらしかった。
後ろ向きに転がり落ちて首を折り、即死に近い状況だったらしい。
ブランドものの革のバッグからはパンきりナイフと包丁の二本が弟の話通り出てきた。


「あの女の人と父は結婚してたんですか」
「そうです」
「じゃあ、善は弟って事ですか」
「そうなりますね。お父さんと連絡はまだ取れません」
「父とは半年くらい話して無いんです。祖母を施設に入れる手続きをしてからしばらく経ってからそうなりました。連絡しても折り返しに学校や病院にはかけて来るんですけど、僕には連絡が無くて。病院で大きな検査を受けたのでどうしても付き添いがいるって言っても駄目でした」
ひとつ大きなため息をつく。
「姿も見せないし僕のお金を勝手に使うので、父相手に裁判を起こすとなって家に現れたのはあの女の人で…これって父は行方不明ですよね。僕、どうしたらいいですか」

加害者の女が死んだので安全、という身も蓋もない理由で登校を許可され、スマホも返ってきた。
弟には会わず、自室に戻る。
制服を着てバッグを持ち職員に付き添われて一時保護施設を出た。
学校に着くなり校長室に呼び出され、事情を説明して補習の段取りをする。
祖母が施設に入って一人暮らしになった時に相談して欲しかった、と言われたがどうしようもない。
「おはようございます」四時間目の最中に登校して教室に入るのは本来気まずいものだろうが、気にならなかった。
熟睡している和邇の頭をひっぱたき席につく。
すぐに昼休みになった。
弁当を持って学食へ行く。
「珍しいじゃん」
「金持ってない。定期だけ」
「どうした、金欠?」
「親父とずっと連絡取れなかったんだけど、親父が行方不明じゃないかってなっていま児童相談所。弁当持たせてくれた」
「え、大変じゃん」
「大変。でも高校は辞めないでいいらしい」
「俺に出来る事あったら言えよ。何も出来ねえかもしれないけど」
「嶋原はアレ出来るじゃん。後方伸身宙返り、なんとかひねり」
「してほしい時は言えよ」
二人で笑った。
「なんとかなる、たぶん」

「六郷、飯終わったら付き合って」
「うん。昨日ありがとう」
「お母さんが心配してた。アキラも」

弁当を食べ終えて、和邇と席を立つ。
「校庭に行こう」
校舎から出て、メタセコイアのしたのベンチに座った。
「あの女の人は死んだ。階段から落ちて、事故らしい」
「そうなんだ」
「親父が行方不明で…そっちが片付くまでは家に帰れねえかも」
「気分は」
「あり得ないくらいいいんだ」
「……あの女の人だったと思う」
「何が」
「プールで六郷を引っ張ってた人」

「プールで溺れる少し前にあの女が会いに来たんだ。『お母さんが死んだならお前も死ね』って言われた。昨日も俺を殺しに来た。中二の時はなんだろうな。三、四年前…」
「弟が生まれた頃?」
「そうかも。善さあ、昨日の夜に絶対におねしょしないからおむつしたくないって言ったのに、朝起きたらおねしょしてて泣いてた。昨日一緒に寝たんだよ。おむつ履かせててよかった。風呂も飯も全部一緒で…」
予鈴が鳴った。
「戻ろう」
「そうだな」

父が行方不明のまま1週間ほどで弟と一緒に一時保護施設は出て、別の児童養護施設で暮らす事になった。
ホームヘルパーの依頼の時点で既に父は行方不明になっていたようで、申し込みに来たのはあの女だった。
“レンくん”は覚醒剤所持で逮捕され、父の行方については知らないと言っているそうだ。
あの女が不動産屋の従業員になっていて、この1年で家賃収入などかなり使い込まれていたが、不動産の名義は父ではなく会社名義の現金しか動かせなかったため、被害はそこまでではなかった。
父にも横領の容疑がかかっているが、見つかりそうもない。
不動産屋は解散し、持ち物件の管理などはそのまま三厨の知り合いの不動産屋に委託して、税理士も変えた。
一ヶ月後には弟は施設から家庭的に養育してもらえるグループホームに移る事ができた。


「シンデレラは何時が門限?」
「9時」涼真は就職が決まり、実家から大学に通うのをやめて一足早くマンションを借りた。
「施設からはいつ出られる?」
「18」
「俺の家で同棲しよう」
「涼真ってそういう事言うタイプだっけ」
非行で入所したわけではないが、施設の生活は色々と決まりが厳しく、少しでも自由時間が欲しくて体操部に出戻った。
まだ全く元のレベルには戻っていないが、部活は楽しい。
「俺、彼氏いるって言った?」
「聞いてない」
「付き合ってすぐに施設送りになったから、まだバニラっていうより、ほとんどキスしかしてない」
「俺にしとけよ」後ろからのしかかられて、さっきまでしていたところをくすぐられる。ペリッという音がして、ゴムを付けている気配がした。
「涼真はきっと俺に飽きる。そもそも好きじゃないだろ」
「アオ、ケツ上げて」
涼真との関係がなんなのか、よくわからない。
女嫌いのゲイ、バリタチでS、短気、背は同じくらいだが鍛えていてからだはバキバキ、時々優しい。
誰一人そばにいてくれなかった時にいてくれたのが涼真だった。

ゆっくりはいってきて、揺さぶられる。
欲求を満たしてくれるのは涼真だけで、後ろから抱きつかれてぎゅうぎゅうに奥までされて、泣きたくなった。
「リョーマ!」このあいだまで名前も知らなかった。

終わったあとも泣いていて、めんどくさいヤツだと思われたくないと思っても泣きやめなかった。
涼真は無言で時々キスしたりしながら泣き止むのを待って、涙も拭いてくれた。
「高卒で就職する。公務員試験を受ける」
「大学行きたいって昔言ってなかったか」
「弟を引き取る。来年年少組なんだ。勉強もしなきゃならない。涼真とはあえなくなるけど、いままでありがとう」
「それきちんと周りに相談して決めたのか。公務員になりたいなら大卒で公務員目指せ。お前資産があるような事言ってただろ。弟を引き取りたいなら学生のほうが自由に時間を使える。精神的な余裕もある、忙しい時期もあるけど、何かあっても休学出来る」
「……すげー真面目に答えてくれるんだ」
「当たり前だろ。大学目指すなら施設から塾に通えるように話し合え」
真面目に考えてくれている事に胸が苦しくなった。
「ごめん」また涙が出始めて謝る。
「次に謝ったら殴る」

施設のそばまで送ってもらい、またねと言って人目が無いか伺ってからキスした。
自分は涼真の事を何も知らなかった。名前だけでなく、何もかも。