ワニくん

「おはよー」

週明けの月曜日に教室に入り、席に着く。後ろの席からつつかれて振り返る。

「何」
後ろの席は学校屈指のモテ男の和邇だ。

髪が乱れて顔が半分隠れ、この状態ではモテるかどうか判断しかねた。
「今日、放課後空いてる?」
「なんだよ」
「俺と遊んで」
「嫌だ。散々週末にみんなから連絡きて、和邇、俺が体調不良の時にふざけてキスしまくったらしいな。マジで思い出せねーんだけど」
「六郷が気絶して、寝起きがかわいくてキスしたら先生に出席簿で叩かれた」
「なんなんだよ。体調不良フェチ?」
「そうかも」
和邇は手ぐして髪をなおし、顔が見えた。
間近で見ると整っていて、変人のイメージだったがモテるのも納得だ。
唇を見る。きれいだ。この唇とキスしたとしても嫌悪感はあまりない。

キスした事はある。
商店街の同じ通りにある店のバーテンダーと、たまに『遊ぶ』。
向こうは大学生で、お互い暇な時に会っていた。
大学生からしたら、たくさんいる遊び相手のうちの、一番ランクが下なのが高校生の自分だろう。
自分にとっては初めての相手で、でも恋愛感情は無かった。


最初見かけたとき、彼は家の前にいた。
飲み屋街の端っこにあるうちの前で、男同士でいちゃついているのを家に入るときに邪魔だと思いつつ、遠慮無く眺めて睨まれた。

二度目に見かけた時はまたしても家の前でバーテンダーがタバコを一人で吸っていて、となりを通る時にチラと見られ『僕もゲイ』と一言言って家に入った。

ゲイだと、誰かに言ってみたかった。
まだ、誰にも言った事が無かった。今でもバーテンダー以外にゲイだとは知られていない。

その次にすれ違った時に腕をつかまれ、間近に引き寄せられてお互いの顔を見た。
『何歳』
『15』腕をパッと離される。
『無理。捕まる』
『捕まるような事しなければ?うち来る?誰もいないけど』
彼はタバコを吸いながら家にやってきて、捕まるような事をたくさんして、帰った。

「六郷!」
四時間目が終わり、教室の入り口に現れた別のクラス嶋原と昼食をとりに学食へ行く。

「恋人は連れて行かなくていいのかよ」
教室を振り返ると、和邇の膝に髪の長い派手な女の子が乗って楽しそうに何か話しかけていた。
和邇も顔はよく見え無いが口元は笑っている。

「お前のところまで、俺が和邇にキスされた話伝わってるんだ」廊下を学食まで歩きながら愚痴る。
「全校がしってる」
「金曜日の記憶無いんだよ。教室でいっぺん気絶してからふらふらで、保健室の先生が和邇に家まで送らせたらしい」
「正門のところでお前と和邇がキスしてたのが見られてる」
「なんだそれ」
「記憶ゼロ?」
「ゼロ」
「病院に行ったほうがいいんじゃねえの」

学食でうどんを食べる。
普段の食事は父親が手配した手伝いの人が作って、留守の間に部屋も掃除され洗濯も済み、食事は冷蔵庫に入っている。

「ここ座っていい?」和邇だ。
「ダメ。和邇は嫌い」和邇はお構い無しに学食のとなりに座り、パンを食べ始めた。
「なんで和邇は六郷にキスしたの」嶋原が直球で和邇に聞いた。
「身長差がキスしやすかったから」
適当な返事にはきっと真実は無い。
「さっきの子みたいに膝に乗せてキスすれば?身長関係なくなる」嶋原がカレーを口に運びながら言った。
「膝に乗せてた時もキスした」
「は?いつ?」
「六郷が教室で倒れた時」
「謝れ。オレにも先生にも、それを見せられたクラスの奴らにも謝れ」
「ごめんね。ニャー太郎は帰った?」
「……お前なんでニャー太郎の事知ってんの」
「金曜日に六郷の家に泊まったじゃん。俺もニャー太郎も」
嶋原が嬉しそうな和邇の顔を見たあとに、こちらを見た。
「六郷、お前マジで医者に行ったほうがいいんじゃねえの」

養護の先生に話をしにいき、早退して総合病院へ行く。父親はあとから来ると言っていて、待っている間に診察の時間がきて、問診のほかに血液検査などもされ、それなりの待ち時間のあとに後日MRIを撮る予約をして、帰るころになっても父親はまだ来なかった。

病院から父親に電話してどうしても来れないと言うので、仕方なく一人で家に帰る。
早く18歳になりたかった。

家の前の通りまで来ると、夕暮れで店に明かりがともり始めていた。
「アオ」出勤するバーテンダーに声をかけられる。
大学生っぽい服装。この一年で、彼の身長を超えた。
「リョーマ、久しぶり」
「今日仕事終わったらアオの家泊まっていい?」
「無理。さっき病院で夜はきちんと寝なさいって怒られた」
「病院?」
「うん。じゃあね。バイト頑張って」

家に帰り、冷蔵庫を開け食事を温めた。
制服をかけて、脱いだ服はランドリーバスケットに入れ、洗面所の鏡で顔と体を見る。中学までは器械体操をしていたが、高校では半年でやめた。祖母が骨折してから体調が戻らず施設に入り、家事や見舞いで忙しく部活どころでは無かった。
今はもう会いに行っても孫の顔もわからない。父親が家事の手配をして生活は安定し、今は部活を再開しようと思えばできる。嶋原も同じ部活で、2年生になるときにも戻れと言われたが戻らなかった。
身長が高校に入ってから10センチ近く伸び、やめてからは体も硬くなって全身の筋肉が落ちた。筋肉が落ちたから、背が伸びたような気もした。
パンツ一丁で、ダイニングテーブルで食事をとる。
祖母がいたらお説教だっただろう。母がいれば…。

スマホが光った。
『家の前』

玄関から出て門を開けるとニャーンとかわいい声がした。
「俺でーす。俺とニャー太郎」
制服姿の和邇が大きな口でニッと笑いながら、暗がりの中で茶トラの猫を抱いていた。