ブラックシュガー・セブンティーン



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「花笑ちゃん、1日目、お疲れ様でした」

「お疲れ様でした、明日からもよろしくお願いします」

「今日はたくさん寝て、また次元気に出勤してね。七緒くん、帰りはよろしく!」

「はい、お疲れ様でした」


 アルバイト初日を無事に終えた20時。カフェ「black sugar」の店長さんに挨拶をして帰路に着く。清潔感とナチュラルさのあるすっきり美人な店長さんは、20代に見えるけれど実はアラフォーと呼ばれる年齢だ。先代のご両親から継いだこのカフェをほぼひとりで経営しているのだと言う。地元の常連客にも愛されたまま、若い新規客を取り入れられるよう、数年前にリフォームして現在に至るそう。

 片方だけのあみ下ろしヘアを揺らしながら一緒に顔を傾けて、にこやかに手を揺らめかせる店長さんに一礼をしてblack sugarを後にした。隣には言われていた通り、榊原くん。

 10月、外が暗くなっていることが曲がりなりにも放課後アルバイトをしてきたことを実感させる。秋に差し掛かる紺色の空はいつもより高くて星たちの主張が強い気がした。

「白木さんお疲れ様。大変だったでしょ、一日」

「いやいや。お客さんも優しい人ばかりだったし、榊原くんが丁寧に教えてくれたから。たくさんフォローしてくれてありがとう」


 密かに憧れていた彼は、アルバイトの先輩として、さらなる憧れの対象となった。メニューを覚えること、卓番を覚えることがメインのわたしに、覚え方や常連さんを教えてくれた。仕事への取り組み方が真摯で教えるのも上手で、店長さんをはじめスタッフやお客さんからの信頼も高いのだろうなと一日でわかった。

「白木さん飲み込み早いからすぐ独り立ちできると思うよ。あ、このあと少し時間ある?」


 柔らかに目を細められ、小さく頷いた。榊原くんが指をさした先、ぽやっと淡く照らっているライトはアイスの自販機だった。


「ここでよくアイスを食べてから帰るんだ。付き合ってくれる?」


 帰り道のセブンティーンアイス。浮かべたその文字に、ときめいた。



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 浮き足立つ高揚感を抑えながら、ぼんやり浮かぶ長方形の前の、わたしたち。


「俺はもう決まってる、カラフルチョコ」

「わたしもおなじ!」


 一緒なことに嬉しくなって、つい声にスタッカートを追加してしまった。声と肩が跳ねてしまって恥ずかしくなって顔を伏せた。


「白木さん、本当に学校と印象違うね。俺はそのほうがいいと思うよ。はい、どうぞ」

「……ありがとう、お金出すね」

「ううん、大丈夫。俺が誘ってるわけだし」

「でも……」

「じゃあ、もっと本当の白木さんのこと教えて?」

「そんなことで、よければ?」

「そんなことじゃないよ、大切」


 柔らかに微笑む榊原くんは絶対に学校で見ることはできない。いつもとは違う雰囲気と端正な顔立ちのせいで心臓が緩やかに高鳴るのは仕方ない。
 自販機の前のベンチにふたりならんで座って食べたアイスはいつもより美味しく感じた。「俺、実は甘党で」と、また学校では知ることのできない彼を知った。


「あ、さっきのに加えて、一緒にパフェ食べに行ってくれたら嬉しい」

「わ、わたしでよければ」

「ひとりでも余裕で行けるけど、白木さんと一緒に行けたら嬉しいかも」


 今度は確かに、どきんと心臓が弾けるように鳴った。榊原くんはわたしの心を動かす天才なのかもしれない。

 悪い気はしないどころか嬉しくて二つ返事でOKしてしまった。いつも誰にも干渉しなくてひとりで堂々といられる彼が、わたしと少しでも行きたいと思ってくれたことが嬉しかったから。数時間でわたしはかなりチョロい人間だったのだと思い知らされた。


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 ご飯を食べてお風呂に入って自分のベッドに倒れ込むと、一日の疲れが一気に押し寄せてきた。だるさがのしかかる身体であっても、頭の中は今日の出来事が軽やかに浮かんでくる。
 カワイイを乗っけたわたしの前にバイト先の先輩として現れた榊原七緒。学校とは180度違う姿でたくさんの話をした。



Q. 好きなものはなんですか?
A. 可愛いものが好きです

Q. 学校でかけている分厚い眼鏡は?
A. あれは伊達眼鏡、視力は1.5です

Q. なぜ学校と違う姿なんですか?①
A. 王子として求められる自分でいることに慣れてしまったからです

Q. なぜ学校と違う姿なんですか?②
A. 外見だけで寄ってくる人が苦手だからです


──あら、わたしたち、真逆だ
──そうだね、だからこそ俺は本当の白木さんを知れて嬉しいな


Q. ならなぜアルバイトの時は一般的に好かれる格好を?
A. black sugarは自分の両親が出会った大切な場所。そこで働くときに、自分の容姿がプラスに働くなら喜んで本当の自分を見せますよ



本当のわたしも、本当の榊原七緒くんも、わたしたちふたりだけの秘密。


【お疲れさま。ゆっくり休んでね】

【来週のパフェ、楽しみにしてるね】


 優しく目を細めながら話す姿が目に浮かぶ。今日一日で、憧れの人への憧れがもう一個増えて、ちょっぴり近づけたような気がした。
 ご飯を食べて歯磨きもしたのに、まだアイスの甘さが残っているみたいだった。




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 翌日、前髪重め分厚眼鏡の榊原くんで、わたしもわたしでいつも通り王子を演じていた。シンプルなスクールバッグを机の横に掛けて、同じように掛けられた茉莉乃の派手なバッグを目で追いながら、毎朝の日課に移る。

 振り返って、廊下側後方の席の確認。「話したことのないクラスメイト」から「バイト先の先輩」に変わった人。

これまで視線が重なることは絶対になかったはずなのに、今日はじめて、ばちっと繋がった。普段合わさることのない視線は、掃除道具入れに向けたことにしていたのに、こうして眼鏡の奥の瞳にとらえられて、誤魔化せない。

 頬に熱が宿って、わたしが好きな薄桃色が乗ってしまっている気がする。隠すように目を逸らして、逆方向、窓の外の校庭へとあわてて顔を向けた。その瞬間に机の上に置いていたシンプルなカバーをつけたスマホが震えて、画面をのぞいてみれば。


【朝、こっそり白木さんを見るの日課だったのに。バレちゃったな】


 送り主は、さっきわたしが目を逸らした相手だ。もう、わたしの胸の高鳴りは止まってくれない。きゅんと鳴った音はスマホの通知音に隠れて茉莉乃には聞こえていないといい。


【えー!そうだったの笑】


 わたしも同じだなんて、言わなかった。言えなかった。知らんぷりして、思いきり机に伏せて、どきどきを収まらせることで精一杯だ。



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「(その人のこと学校で見かけても絶対スルーくせに!!)」


 black sugarの看板店員である榊原七緒は今日も大人気だ。わたしの教育係である彼とのシフト被りも、もうすぐわたしが独り立ちするにあたって少なくなるだろう。寂しいけれど、彼が女の子に言い寄られている姿を見なくて良くなるのはメリットなのかもしれない。今日も今日とて爽やかで、王子様アイドルのような均衡のとれた笑顔を振りまいている。


「七緒くんインスタやってないの〜」

「やってないです、ごめんね」

「えー、じゃあ彼女は?」

「いないです」

「そうなの〜!じゃあ私、彼女に立候補してもいい?」

「うーん、立候補してほしい子は他にいるから、だめかも」

「え〜なにそれ〜!きゃはは!」


 black sugarでのアルバイトも少しずつ慣れてきたと思う。数回シフトに入れば要領も掴めてきた。「花笑ちゃんそろそろ一人でも大丈夫そうだね」と店長さんに言ってもらえるくらいには。と、同時に榊原くんが女の子に言い寄られ、爽やかに交わす場面も幾度となく目撃した。悪態を吐きまくっている心の声は絶対に口には出さないけれど、お門違いな独占欲に近い何かが自分を支配している状況がここ数日、続いている。きっと榊原くんからしたら迷惑でしかないのに。


 今日はそんな榊原くんと前々から約束をしていたパフェデート(ちゃっかりデートと呼ばせてもらう)の日だ。わたしも榊原くんも朝の8時から12時までのシフトで、そのあと一緒にパフェを食べに行こうとふたりで決めた。学校とは打って変わる榊原くんのモテ具合に若干むっとしつつも、そんなふうに醜い感情を抱ける立場ではないので静かに留まっておく。

 「キリついたら上がってね」と店長さんに声をかけられて、わたしはまた「はい!」とスタッカートプラスの声をお届けしてしまった。いつも以上に気合を入れたメイクと髪型だけど、バイト終わりでもきちんと可愛く保たれているか確認したかったから、榊原くんまだキリつかないで、と悪魔みたいなことを考えてしまった。

 更衣室でカワイイを上塗りする。チークとリップで色味を足して、コードレスアイロンで前髪と後毛を整えて。鏡の前の白木花笑、ちゃんと可愛いかな。うん、きっと大丈夫。


【セブンティーンアイスの前で待ってるね】


と送って、ベンチで榊原くんを待った。さすがに今日はアイスは買わずに待っていたのに「食べてるかと思った、カラフルチョコ」なんて言われてしまったわたしはだいぶ食いしん坊だと思われてるのかもしれない。