ブラックシュガー・セブンティーン




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 大抵の少女漫画には“学園の王子様”が存在する。ビジュアルが整っていてアイドルのようで、分け隔てなく振りまかれるスマイルは一般生徒を瀕死にさせる。加えて人当たりが良く友人が多い人気者、成績は常にトップで先生たちからの信頼も厚い。

 そう、王子様。ファンクラブが存在することこそ二次元の世界だけの話かもしれないが、確かに王子様は存在するのだ。……この学校も、例外ではない。


「きゃ〜!!王子のご登校!!今日もかっこいい〜!!」


 アーチ上の校門は学園ドラマの最初のカットで出てくるものみたいで憧れだった。レンガでかたどられたそれをくぐって昇降口へと向かう間にも周りに人が(主に女子が)集まる。毎朝毎朝、登校ってだけで拝むような眼差しを向ける女子たちには、王子が宝塚の男役スターのように見えているのだろう。


「わ、こっち見た! 私信!?」


 あぁ、いけない。無闇に視線を泳がせてはならない。私信だファンサだと勝手に騒がれてしまう。

 思わず声の主の方面へ視線を漂わせてしまって、即座に反省する。まっすぐ正面を向いて、声やら人物に視線を預けない。人より少しは整っていると自覚のある顔にはゆるやかな笑みを乗せておく。綺麗に口角が上がるようにマッサージをしているのはおそらく気づかれていないだろう。


花笑(かえ)王子、こっち向いて〜!」

「花笑さま〜!!!」


 学園の王子様というものは、多様性が叫ばれる昨今でも大抵は男子と相場が決まっている。が、しかしだ。この学校ではスタンダードではない。ある意味、多様性が進みまくっている。


「か〜え!朝からお疲れぃ!」

「おはよ、茉莉乃(まりの)……」


 花が笑う、と書いて、花笑。可愛らしさ満点のこの名前はお気に入りで、紛れもなくわたしのものだ。白木(しらき)花笑(かえ)、17歳。性別は女の子。わたしはこの学校の王子枠を、一手に担っている。




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 確かに昔から年齢よりも上に見られることが多かった。だけれど、わかりやすくベリーショートにしているとか、ジェンダーレス制服を着用しているとか、そうではない。前髪は作っているし、黒髪ストレートのロングヘアは後ろで一つに結っている。それこそポニーテールと呼ばれるこのヘアはほぼほぼ女子の専売特許だ。

 そう、わたしはべつに“女の子”なのだ。その上で周りはわたしを王子と持て囃す。

 貶されているわけではないので嫌な気分にはならないけれど、実はまったくキャラではない。とはいえ、王子だとかっこいいと言われて、それを覆そうとするどころか甘んじて受け入れている。失望されないように、ときちんと学園ドラマの王子さながら爽やかで分け隔てない王子像を演出している。


「朝から熱心だよねえ、ファンの皆さまがた」

「元はと言えば茉莉乃が王子とか言ったから始まったのよ」

「そうだっけ?」


 教室前方の窓際。自分の机にリボンやマスコットをじゃらじゃら付けたスクールバッグを掛けながらとぼける茉莉乃。罪の意識はなさそうで(べつに罪ではないけれど)、しまいには「てへっ」なんて舌を出すわたしの友人はこの可愛らしさで全て許されてきたのだろう。お人形さんのようなキャメルの長い髪は毎日くるくる綺麗に巻かれていて、ハーフアップにして下されている。結った部分には毎日違う色のリボンをつけていて、それに合わせて靴下、冬場はカーディガンの色が変わる。適度なわがまま、甘い顔立ちに人懐っこさ、外見への追求。

 わたしが“学園の王子様”であるのなら、茉莉乃は間違いなく“学園のお姫様”だろう。

 親友兼お姫様である茉莉乃は、王子がキャラであることこそ知っているけれど、“本当の白木花笑”は知らない。

 わたしが何を好きで、どんな人が憧れなのか、とか。茉莉乃は知らない、隠しているのだから知らなくて当然なのだけれど。

 茉莉乃の後ろの自分の席にわたしもバッグを掛ける。8時15分、まだHRまで15分時間がある。教室はまだそこまで賑わっていなくて、20分過ぎから朝練組も含めぞろぞろとクラスメイトたちがやってきて空っぽが充足してゆく。

 まだ、ちらほらしか人のいない教室。わたしより必ず先にそこにいる人物。教室後方、廊下側。わたしの席と対極の方向へ振り返って視線を漂わせれば、今日もやっぱりいると確認できる。

 背筋がしゃんと伸びて姿勢良く、上品さを感じさせる正しい制服の着こなしの割に前髪が重くて、分厚いレンズの眼鏡にかかっている。なんとなくバランスが取れていないような、そんな人。

 クラスの中にはその人──彼のことを地味だとか怖いだとか言う人もいるけれど、わたしはむしろ逆だった。

 強く、憧れた。

 周りにどう言われようとも気にしないところ、いつも誰より早く登校して、誰より早く教室を後にする。なぜかはわからないけれど自分の中でルールがある人、それを曲げない人。雑用を押し付けられかけてもきちんと断ることができる人。

 茉莉乃にしてもそうだ。自己表現を明確にすることのできる人への憧れ。わたしはたぶん、生まれてこのかた他人軸で生きている。自分軸で生きている彼が、わたしは憧れで羨ましくて、朝、なんとなく彼の存在を確認するのが日課になっていた。誰にも気づかれないような一瞬の日課。

 重なるはずのない視線は今日も、その後ろの掃除道具入れに向けたことにしている。




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 今日も彼より早くは帰れなかった。物理的な距離で負けるのだから、仕方ないと言えばそうだ。それでもわたしは今日、彼に負けないくらいに急いで教室を出なければならなかった。王子という対外的なキャラクターを取っ払ってでも、急ぐ必要があった。


「花笑がそんなに急いでるの珍しい〜、いつも余裕そうなのに」

「これからしばしばあるかも、じゃあまた明日ね!」


 ばたばたと教室を後にして、いつもとは逆方向の電車に乗り込む。おそらく学校を彼の次、二番目に出た。同じ制服で溢れる帰り道の電車の中はがらんとしていて他校の制服がぽつぽつ見えるくらいだ。

 よし、成功。学校ダッシュ大作戦。今日は大切で大事な特別な日。30分ほど揺られた先は高校がある場所よりも緑が目立って主人公として君臨するようなのどかな雰囲気の場所。改札を出る前にお手洗いのお化粧台スペースに駆け込んだ。ここに淡いライトで照らされた綺麗な鏡とベロア生地の椅子と、コンセントがあるのは予習済みだった。


「可愛くなるもんね、花笑」


 と、自分に言い聞かせるように発して、思う存分“カワイイ”をわたしのためだけに施してゆく。

 ──誰も知らない、わたしだけの秘密。

 小さいころからずっと可愛いものが好きだった。ちゃんと魔法少女が好きだったしおにんぎょう遊びが好きで、近所のオシャレなお姉さんに憧れた。けれど、いつからだろう。小学生のときだろうか。「自分の好き」を伝えることが怖くなった。表現することが怖くなった。おなじクラスの、もう名前も思い出せないような男の子に言われた言葉が今でも忘れられない。わたしの頭のなか、ゆるくてふわふわで可愛いものだけが浮遊していてほしいのに、地を這うような言葉はこびりついてとれない。

 ──『男みたいなおまえが、女ぶるなよ』

 鈍器で後ろから殴られたような衝撃は、わたしの中からカワイイを弾け飛ばした。同時期、はじめてわたしは女の子から「本命チョコ」をもらった。どうしてわたしに、と聞けば、「かっこいいから」という返答。わたしはどうやら、“男みたい”かつ“カワイイ”ではなく“かっこいい”を受けとる人間らしかった。

 その時から少しずつわたしは自分を封印して、代わりに求められる白木花笑を演じるようになった。それの究極系が、学園の王子様だった。

 けれどもわたしは元来カワイイが大好きで、容姿も持つものもカワイイで揃えたいのだ。わたあめみたいにふわふわしてたいし、お砂糖みたいに甘さを振りまきたいし、アイスクリームみたいにときめく自分でいたい。

 だから17歳、こっそり挑戦したの、セブンティーン。SNSで見つけた隠れ家的なオシャレカフェに、アルバイトの応募をして働くことになった。学校からも地元からも離れているから知っている人と会うことはないだろうという算段で、思い切りカワイイを乗せて。

 鏡の前のわたしにぽわんと可愛い魔法をかける。普段の茉莉乃に負けないくらいのピンクブラウンメイク。後頭部の真ん中で二つに分けた髪を耳の横で結ぶ。結んだストレートをくるくるしてふわふわさせれば、わたしの理想のカワイイが完成する。

 そうして出来上がった、カワイイに溢れたわたし。両親ですらわたしは可愛いものに興味がないと思っているから、本当にこれはわたしだけの秘密で知っている人に見せるつもりはない。…………と思っていたのに。

 まさか。まさかのまさかだ。“彼”がいたのだ、そこに。まさかいないと思っていたそのカフェに、先輩として、大人気店員として君臨していたのだ。わたしが密かに憧れていた、教室廊下側後方の彼が。


「白木さんって、学校のときとは雰囲気変わりますね」

「は、はは、は……」


 わたしの面接をしてくれた店長さんから、素性は当然に聞いているのだろう。わたしは何も聞いていなかったけれど……。わたしも雰囲気が違うのはもちろん、あなたも──榊原くんだって180度違う。普段は、あまり良い言い方ではないけれど、地味で目立たなくて怖い、と言われているような人だ。こんなふうに人前に立って、それも爽やかで世界中を味方にするような笑みを散らすような人ではない。腰に巻かれた短いサロンと白いシャツがこれでもかってほどに似合いすぎている。


「でも僕もあまり人のことは言えないし、また話そうよ。今日の帰りにでも」

「え」

「送っていくよ、店長が言うには僕ら結構家近いらしいし」


 あぁ、もうそこまで筒抜けなんですね……。榊原くんと家が近いなんて全く知らなかった。中学は違うから、隣の学区だろうか。


「話してみたかったんだ、白木さんと」


 柔らかで曖昧な微笑みを向けられて、一瞬だけドキ、と胸が高鳴ったのは、秘密にしておこう。憧れていた人にそう言われるのは悪い気分じゃなかった。