私は大好きな兄に憧れて、中学校の先生の反対を押し切り、偏差値の高い兄の母校に入学した。
私たち、北大路一家は貧乏だ。
家族の負担になりたくなくて、兄のおさがりの制服を着た。もちろん、多くの女子はスカートを履くが私はズボン。
そして、ショートカットの髪型も相まって、''王子’’なんて呼ばれてしまった。
キッカケは、担任の先生が私の苗字である「北大路」の「北」を見逃して「大路」と言ってしまったのが、一軍女子の耳には「王子」と聞こえたらしく、そこから''王子’’と呼ばれるようになった。
こんなあだ名をつけられて、私は学校で浮いている存在だ。帰宅部なので、友達と呼べる存在は一人もいない。
私は、普通の女の子の友達を作り、彼氏も作って、青春をエンジョイしたかった。
そんなことを考えながら、イヤホンを耳に差し込みスマホで音楽を流そうとしたとき、
「りんさん、だよね?」
久々に名前を呼ばれた。
学校では''王子’’か''北大路’’としか呼ばれないし、家では基本''ねぇね''とか''お姉ちゃん''だ。
私は驚いて、硬直してしまった。
「え、りんさんで合ってるよね?」
その声にハッ、として急いで答える。
「あ、ごめん。りんで合ってる。何か用事?」
人見知りな私は思わず少ない口数で応えてしまった。
改めて、声の主を見る。地毛でない栗色の髪、ゴールドのピアスやネックレス、チャラい格好の男子、犬甘凛音だった。
「あのさ、ダンスとか興味ない?」
「え、ダンス?」
唐突な質問にびっくりして聞き返してしまった。
「うん、ダンス。興味ない?」
「えっと。あるけど、なんで?」
「ダンス部作りたくて!」
犬のような人懐っこくて、人を虜にするような可愛い笑顔。男子にしては少々高く、親しみやすい声。
「ごめん。部活には入る気ないんだ」
母子家庭で6人兄弟の長女である私は家事をしなくてはならなかった。
そのうえ、ギリギリで入学したこの学校の授業についていくには、毎日しっかり勉強する必要もあるのだ。
私の返事を聞いて、シュンとした犬のようにわかりやすくへこんで、
「そっか、じゃあ仕方がないね。また入る気になったらいつでも言ってね」
と言って去っていった。
ダンスは幼い頃に習っていたのでダンスは大好きだ。
しかも部活だなんて、the・青春。私の夢である「青春をエンジョイ」ができるかもしれない。
でも、やっぱり家族のことを考えると簡単に「ダンス部に入部したい」なんてできない。
「はぁ」
小さくため息をついて耳にイヤホンを差し込む。
今日は母の帰りが遅く、大学1年生の兄も夜までバイトなので夕食の担当は私だった。
たまたま、玉ねぎと人参と鶏肉が安く、家にクリームシチューのルーがあったので今日の夕飯はクリームシチューだ。
しかし、牛乳を買い忘れてしまった。
少々高いが仕方ない。小学2年生の妹、ひめ と小学校5年生の双子の弟、琥珀と翡翠、そして留守番すると思われたがなぜかついてくると言ったギャルの中学1年生、れら と一緒に近くのコンビニまで買いに行くことにした。
コンビニについて牛乳のみを手に取り、レジへ行こうとした。が、来た。攻撃が。
「ねぇね、これ買っていい?」
ひめが取ってきたのはちょっと高めのグミ。
「ねぇね、俺これ買いたい!」
「俺も!」
翡翠と琥珀が持ってきたのは、シュークリームにプリン。
「ねぇね~?これあとでお小遣いから出すから買ってて~」
れらが持ってきたのは、500円くらいのアイシャドウ。
こうなるから、コンビニには来たくなかった。
「ねぇねは、牛乳買いに来たの。買いたいなら れら みたいにお小遣いで買って!」
できるだけ無駄な出費を抑えるために、3人に言う。
「ひめ、今日お皿洗いするから、お願い」
「俺も料理手伝うから」
「俺、洗濯するから!」
「はぁ、仕方ないな」
3人のお願いに弱い私は買うことに。
喜ぶ3人の顔を見て、後悔はない。
ふと目線を正面に移すと暗い顔でコンビニ弁当を手に取る犬甘凛音の姿があった。
いつもの犬みたいに人懐っこくて明るい彼とは違う、クールで冷たい雰囲気だった。
犬甘と目が合う。
「ねぇね、早く家に帰ろうよ~」
ひめ がぐずる。
「あぁ、うん。そうだね、帰ろうか。ねぇね、お金払ってくるから翡翠と琥珀と れら と一緒にお外で待っててくれる?」
「うん、いいよ!」
笑顔で翡翠のもとに駆け寄る ひめ。
すると、犬甘がこちらに歩いてくる様子が見えた。
「あのさ、」
学校とは違う冷たい声色。
「このこと学校の奴らには内緒な。お前のことも言わないから」
「わかった」
冷たく言い放たれた言葉に私は頷くしかなかった。
夜10時過ぎ、ひめ はすっかり寝たが、翡翠と琥珀はリビングでテレビゲーム。れら は自室で友達と通話をしている。
9時前に帰ってきた兄は、ご飯を食べた後お風呂へ行った。
「そろそろゲームやめなよー」
そう声をかけると琥珀が
「あと1戦」
と答えた。
そんなやり取りを3回ほど繰り返すと、やっと二人はゲームの手を止める。
私だってゲームがしたい、自由にスマホを触りたい。でも、家事と勉強でいっぱいいっぱいな私の願いは叶うことがない。
なら、せめて青春だけでも……。
ガチャ
玄関の扉が開く音がした。母が帰ってきたのだ。
「ただいまー」
「おかえり、早かったね」
看護師をしている母は「遅くなる」と一言声をかけて仕事に行くとき、だいたい日付をまわるギリギリだ。
なのに今日は10時過ぎ。珍しく早かった。
母の夕食の準備をして居る間に、翡翠と琥珀は自室へ戻り、兄はお風呂から上がってきた。
母の夕食を机に並べる。
私は母の正面、兄は母の隣に座った。
チャンスだ、お願いをする。
私は長女。弟や妹に弱みを見せられない。
「あのさ、お願いがあるの」
私の一言にスマホを見ていた兄の視線が私に向く。
「ダンス部、入りたい」
その言葉に二人は目を見開いた。
「部費とか遠征費はお小遣いから出すし、家事だって今まで通り、勉強はもっと頑張るから」
ダメかもしれない。でも、ダンスがしたい。青春がしたい。
私のもとに母の言葉が降ってきた。
「そんな時間、どこにあるの?」
やっぱり、ダンス部には入れない。そう思った。
でも、母の言葉の続きは予想外だった。
「やりたいことがあるなら、やりなさい。勉強だってあなた十分頑張ってるでしょう。家事なんて れら とかに任せたらいいじゃない。お金だって、出すわよ」
久々に母の優しさに触れた。泣きそうになって、涙をこらえる。
たった少し、優しくされるだけで今まで積み上げてきた我慢が崩れそうになる。自分を保てなくなる。
「犬甘くん」
次の日の朝、クラスの中心で騒いでる明るい犬甘くんに話しかけた。
一瞬、彼は警戒の表情を見せたが、すぐいつもの明るい笑顔に戻り、
「なぁに?」
と柔らかい口調でしゃべり出す。
「ダンス部、入っても良いよ」
私は一言そう告げる。
犬甘くんは、驚いたように目を開く。
そしてすぐ、その言葉に反応した。
「本当!?ありがとう!これで人数がそろった~!」
犬甘くんは、本当に嬉しそうな顔をして言った。
犬甘くんの周りにいたクラスの1軍は、「本当にダンス部作るんだ」とか「よかったな」とか口々に犬甘くんに話しかける。
その隙を見計らって私はその場をそっと離れ自分の席に着いた。
遠目から彼を見る。昨日、コンビニで見た彼とはまったく正反対。
昨日の彼が本当の彼だと思ったら、今の彼は学校での''犬甘凛音’’を演じているのだ。
きっと本当の彼の姿を知ってるのは、この学校では私だけだろう。
私は犬甘くんが怖くなった同時に親近感が湧いた。
私だって学校では''クールで物静かな王子’’を演じ、家では''ねぇね’’を演じる。
じゃあ、本当の私はどこにいるのだろうか。
そんなことを考えながら、この世界から逃げるように耳にイヤホンを差し込む。
放課後、まだまばらに人が残っている教室内で犬甘くんに話しかけられた。彼は一枚の紙を私に渡す。
「これ、名前書いて」
そこには、おそらく彼の文字で大きく『ダンス部』とかかれており、その下には犬甘くんを含めた計3名の名前が書かれていた。
その下に丁寧に私の名前を書く。そして犬甘くんに渡した。
「ありがと!」
彼は笑顔でそういった後、言葉を続ける。
「ねぇ、職員室までついてきてくれない?これ届けに行かなきゃなんだよね~」
彼の笑顔には「いいえ」と言わさないような圧が感じられた。
私には彼の意図が分からない。彼には掴みどころがない。
「いいよ」
私は彼の意図を探りたくなって、そう言った。
職員室に向かうまでの間、彼は明るい笑顔で私に話しかける。
私は彼の笑顔の奥にある本性が怖くて、適当な笑顔を浮かべることしかできなかった。
「失礼します!1年2組の犬甘凛音です!古田先生いらっしゃいますか」
職員室に入るとき、彼は大きな声でそう言った。
職員室の奥の方から、私たちの学校のおじいちゃん先生の代表、古田先生が出てきた。
「犬甘くん、人数集まったの?」
古田先生は優しくゆったりした口調で犬甘くんに話しかける。
「はい!4人集まりました」
「そう、良かったね。教頭先生と話し合ったんだけどね、やっぱり同好会からになるんだ。それでもいいかな?」
「もちろんです!」
ハキハキしゃべる犬甘くんとおっとり喋る古田先生のテンポよく続く会話。私はただ聞いてるだけだった。
「部長は犬甘くんだね。副部長は、北大路さんかな?」
ボーっと聞いてた会話の中に私の名前が出てきて驚いた。
その言葉に私ではなく、犬甘くんが反応した。
「そうですね。まだわかりませんが、その予定で考えています」
え?聞いてないのに。もしかして、私を副部長にさせるために一緒に職員室までついてこさせたのか。
「そうか。それじゃあ、また顧問や活動場所、活動日は決まったら後日報告するよ」
古田先生は優しく笑って職員室の中へ去っていった。
まだ帰宅部である私は、下駄箱に向かって歩き出す。
犬甘くんも帰宅部なので自然と同じ方向へ歩く。
「北大路りん、君は今日からダンス部の副キャプテンだ!」
犬甘くんにそう言われ、私は言い返す。
「私、副キャプテンやるって言ってないし。ダンス同好会だし」
「まぁまぁ、そう言うなって。部長と副部長で作戦会議しにいこうぜ。今から時間ある?カフェ行こう!」
犬甘くんは私の反論を華麗によけて、私をカフェに誘う。
今日の夕食当番は兄なので、確かに今日は時間がある。
そして犬甘くんの言う「作戦会議」とか「クラスメイトとカフェ」とかは青春の匂いがする。
私は犬甘くんの言葉に思わずうなずいてしまった。
久々のカフェ。最後にカフェに言ったのは多分、中学1年生のとき。
私はいちごフラペチーノを頼む。
なんとなく、犬甘くんに甘いものが好きそうなイメージがあったが彼が頼んだのはブラックコーヒーだった。
私はブラックコーヒーなんて苦くて飲めたもんじゃなかった。
彼はカフェで最初から作戦会議なんてする予定はなかった。
昨日、コンビニで会った時のような冷たい目つき、口調で犬甘くんは話す。
「昨日のこと、誰にも言ってないよな」
悲しいことに、私が話せるような相手なんていない。
「言ってないけど」
「そ、じゃあ良かった」
犬甘くんはそれ以降、口を開かなかった。それでも何か言いたげな様子だったので問いただす。
「なに、ほかに何か言いたいことがあるならいいなよ」
「いや、お前、学校とはだいぶ雰囲気違ったよな」
「あぁ、なんか勝手に''王子’’のレッテル貼られちゃったしね」
「そっちの方がいいんじゃね」
彼のそっけない言葉。
でも今、学校での犬甘くんじゃない、本当の彼が紡ぐ言葉は全て本当だと思えた。
彼の本音に私はなんだか、すごく嬉しかった。
「ありがとう。でもさ、犬甘くんも普段と全然違ったよね。なんかクールな感じ」
「学校では明るいからな」
「自分で言うんだ」
やっぱり、彼は彼を演じている。
「ってか、お前思ったより喋るんだな。学校では静かすぎて」
「喋り相手がいないんだから仕方がない」
なんて、自分で言って悲しかった。
「じゃあ、俺が喋り相手になろっか。りん の友達」
「え?」
犬甘くんの言葉に私はびっくりした。
私が犬甘くんと、友達......?
思考が追い付かない。けど、青春がしたい一心で私は頷いていた。
「よろしくお願いします」
side.凛音
ある人のためにダンス部を作り上げたかった。
そのために、学校では明るい自分を演じ、できるだけ人脈を広くした。
自分を偽るのは中学校のときから得意だった。
頭の良い人の70点代は低い。でも、馬鹿な人の70点代は高い。
普段やらない人は、少しやっただけで褒められる。普段からしっかりする人はそれが当たり前。
だから俺はバカを演じた。
そして、クラスのムードメーカとなり友達思いを演じる。
俺は自分自身を守り、自分自身を保つために自分を偽る。
帰宅部に片っ端から声をかけると、2人集まってくれた。ラスト一人。
皆から''王子’’と呼ばれている、物静かでクールな女の子、北大路りん に話しかけた。
「りんさん、だよね?」
北大路りん はしばらく固まる。なぜ固まるのか。
俺、名前を間違えただろうか。そう思って少し焦る。
「え、りんさんで合ってるよね?」
その声にハッ、としたように北大路りん は
「あ、ごめん。りんで合ってる。何か用事?」
と答えた。
改めて北大路りん の姿を見る。
女子では数少ないスラックス、ショートの黒髪、女子にしては高い身長、メイクもアクセサリーもない見た目、整った顔立ち、まさにクールな''王子’’だった。
「あのさ、ダンスとか興味ない?」
俺が問うと、
「え、ダンス?」
と驚いたように聞き返された。
「うん、ダンス。興味ない?」
「えっと。あるけど、なんで?」
そう問う北大路りん は怪訝そうだ。
迷惑だったかもしれない。
「ダンス部作りたくて!」
それでも、そんなの気にしないフリをして、偽りの自分で言葉を続ける。
「ごめん。部活には入る気ないんだ」
「迷惑」とか「いや」とかじゃなくて「入る気はない」
ダンス部でなくても、きっと入る気はないのだろう。
なんでかはわからない。
この学校は、部活をしている生徒がほとんどだ。
してない人は、バイトだったり学校外でなにかしらの習い事をしているか、勉強を頑張っている人ばかりだ。
でも、北大路りん にはそんな噂、聞いたことがなかった。
本当に部活に入る気はないんだと、少し落ち込み俺は言う。
「そっか、じゃあ仕方がないね。また入る気になったらいつでも言ってね」
俺はそう述べて、その場を立ち去る。
家に帰ると机の上に1000円札と『好きなもの買って食べて』と書かれている置手紙があった。
「またか、」
俺の独り言が暗くて広いリビングに響き渡る。
勉強をするために少し早めにコンビニへ行く。
コンビニ弁当を物色する。
どこからか、子供の声がした。
「はぁ、仕方がないな」
子供のわががままに折れた母親の声だろうか。
あいつらの母親は優しくていいな、そう思いながら声の方を見ると、知っている顔があった。
母親ではない、子供たちと一緒に買い物をしていたのは、おそらく姉である北大路りん だった。
北大路りん と目があった。
「ねぇね、早く家に帰ろうよ~」
小学校低学年くらいの妹らしき少女がぐずる。
「あぁ、うん。そうだね、帰ろうか。ねぇね、お金払ってくるから翡翠と琥珀と れら と一緒にお外で待っててくれる?」
「うん、いいよ!」
北大路りん の一言に少女は兄、北大路りん からみた弟たちの方へ笑顔で駆け寄っていった。
そのタイミングを見て、俺は北大路りん のもとへ歩いた。
北大路りん に偽りの姿を見られてしまった。
それでも、北大路りん だって学校では偽りの姿だと分かった。
今の北大路りん は明るく面倒見の良いお姉ちゃんに見えた。
クールな''王子’’だって、偽りの姿であることを隠したいだろう。
「あのさ、」
俺は偽りの俺ではない、いつもより暗く低い声で話した。この話し方が実際、本当の俺の話し方なのだが。
「このこと学校の奴らには内緒な。お前のことも言わないから」
「わかった」
バラされたくないのか、北大路りん は素直に頷いた。
家に帰り、1人寂しくコンビニ弁当を食べる。
「犬甘くん」
次の日の朝、クラスの1軍男子たちと騒いでいると、北大路りんに話しかけられた。
一瞬俺は、昨日のことをバラされてしまうかもしれない、と警戒したがすぐ自分を偽って
「なぁに?」
とできるだけ柔らかい口調を意識して話す。
「ダンス部、入っても良いよ」
北大路りん はたった一言そう告げる。
北大路りん の予想外の言葉に俺は驚いて思考回路が停止してしまった。
だが、すぐ頭を働かせて、言葉を理解する。
「本当!?ありがとう!これで人数がそろった~!」
嬉しさのあまり思わず、自分を偽れなかったが、違和感はなかっただろう。
俺の周りにいるクラスの1軍は、「本当にダンス部作るんだ」とか「よかったな」とか口々に話しかける。
その間にこの場をそっと離れていく北大路りん を確認した。
横目で彼女を見る。昨日、コンビニで見た彼女とはまったくの正反対。
昨日の北大路りん が本当の北大路りん だと思ったら、今の彼女は学校での'′王子’’である''北大路りん’’を偽っているのだ。
きっと本当の彼女の姿を知ってるのは、この学校では俺だけだろう。
改めて、俺と一緒だと思った。親近感が湧いた。
俺も学校では''明るい犬甘凛音’’を偽り、家では''孤独な犬甘凛音''である。
孤独を埋めるように、学校ではクラスメイトとバカをする。
放課後、まだ何人かが残っている教室で北大路りん に話しかけ、『ダンス部』と大きく書かれた下に俺を含めた3人の名前が書かれているか紙を渡した。
「これ、名前書いて」
北大路りん は丁寧に自分の名前を書く。
「ありがと!
ねぇ、職員室までついてきてくれない?これ届けに行かなきゃなんだよね~」
俺はそう言って北大路りん を職員室まで誘う。
彼女と友達になりたかったからだ。
偽りでない俺を知っている彼女にはどんな弱みを見せても大丈夫な気がした。
「いいよ」
北大路りん の答えに俺はホッとした。
職員室に向かうまでの間、俺は北大路りん と仲良くなりために明るく、たくさん話しかけた。
それでも彼女は、ただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
職員室に着いた。
「失礼します!1年2組の犬甘凛音です!古田先生いらっしゃいますか」
そう言うと、職員室の奥の方から、ほんわかしている年配の古田先生が出てきた。
「犬甘くん、人数集まったの?」
古田先生は優しい口調で俺に話しかける。
「はい!4人集まりました」
「そう、良かったね。教頭先生と話し合ったんだけどね、やっぱり同好会からになるんだ。それでもいいかな?」
「もちろんです!」
「部長は犬甘くんだね。副部長は、北大路さんかな?」
突然の北大路りん の名前が出てきて、今までボーっと聞いているだけだった本人はびっくりしている。
副部長、考えた事なかったけど、確かに北大路りん にはピッタリな気がする。
そう思って北大路りん が否定する前に俺は答える。
「そうですね。まだわかりませんが、その予定で考えています」
本人はびっくりしているがそんなの関係ない。
「そうか。それじゃあ、また顧問や活動場所、活動日は決まったら後日報告するよ」
古田先生は優しく笑って職員室の中へ去っていった。
先に歩く北大路りん を俺は追いかける。
靴箱に向かっているのだろう。俺も帰宅部なので同じ方向へ向かう。
「北大路りん、君は今日からダンス部の副キャプテンだ!」
副部長の件に「yes」も「No」の返答もないので意思を確認するために言う。
「私、副キャプテンやるって言ってないし。ダンス同好会だし」
正論を飛ばされる。でも、押せばやってくれそうだ。
「まぁまぁ、そう言うなって。部長と副部長で作戦会議しにいこうぜ。今から時間ある?カフェ行こう!」
もっと北大路りん と仲良くなりたい。
そう思って「作戦会議」名目というで誘った。
断られると思ったが、なぜか北大路りん は頷いてくれた。
駅の近くのコーヒーがおいしいカフェ。
俺は毎回1人来るときに頼むブラックコーヒーを頼む。
北大路りん はなんとなくコーヒーのような大人なものが好きなイメージがあったが、いちごフラペチーノを頼んだ。
いちごフラペチーノ、俺も一度頼んだことがあるが、すごく甘かったのを覚えている。
俺はもう、きっと注文しないだろうが。
俺から誘ったものの、話すネタなんてない。
必死に考えたとき、昨日のコンビニでのことを思い出した。
きっと誰にも言ってないだろうけど、確認しておかないと少し怖かった。
思わず家での口調で話してしまったが、本当の姿を知っている北大路りん だから良いだろう。
「昨日のこと、誰にも言ってないよな」
「言ってないけど」
即答する北大路りん に俺は安心した。
「そ、じゃあ良かった」
続けて、昨日の、本当の北大路りん の方が良いと言おうと思ったが、なんとなく照れくさくてやめた。
しかし、そんな様子に気が付いた北大路りん は問い詰めてくる。
「なに、ほかに何か言いたいことがあるならいいなよ」
直接、昨日の方が良いなんて言えなくて、遠回しに言う。
「いや、お前、学校とはだいぶ雰囲気違ったよな」
「あぁ、なんか勝手に''王子’’のレッテル貼られちゃったしね」
やっぱり、北大路りん は王子を演じているのだ。
「そっちの方がいいんじゃね」
やっぱり照れくさくて、そっけなく言う。
でも鈍感な彼女はそんな俺に気づかないらしく、少し照れながら言った。
「ありがとう。でもさ、犬甘くんも普段と全然違ったよね。なんかクールな感じ」
当たり前だ、偽りの自分なんだから。
「学校では明るいからな」
「自分で言うんだ」
今日の彼女はよく喋る。きっとこの姿が本当の''北大路りん''の姿なのだろう。
「ってか、お前思ったより喋るんだな。学校では静かすぎて」
「喋り相手がいないんだから仕方がない」
少し悲しそうに言う、北大路りん。
もしかして、彼女は友達が欲しいのかもしれない。
そう思うと、俺の口は勝手に言葉を発していた。
「じゃあ、俺が喋り相手になろっか。りん の友達」
「え?」
りん はびっくりして固まっていたけど、俺だって本当の自分からそんな言葉が出てくるなんて思ってなくてびっくりしている。
それでも、なんとか りん は頷いてくれた。
「よろしくお願いします」
side.りん
犬甘くん、改め凛音と友達になってから、私の学校でのイメージが変わった。
''王子’’という表現は変わらないものの、物静かでクール、というイメージは少々なくなったらしい。
一言も話さずに帰ることはなくなった。
そして、友達と呼べる人がもう一人できた。
同じクラスの1軍女子、大原皐月だ。
皐月は元々バレー部だったのだが、凛音に誘われダンス部に入るために退部してきたらしい。
それでも、クラスの中心的な存在だったため、ハブられることもなく、今まで通りに過ごしている。
皐月の学校生活で変わったところを強いて言うならば、私と話すことぐらいだ。
それでも、昼休みはイヤホンを着けて過ごすことが多い。
今日からダンス部(同好会)での活動が始まる。
活動場所は中庭の出入り口付近にある大きな鏡の前。同好会なので部室はない。
顧問、とは言えないけれど、一応、古田先生がダンス部を見てくれることになった。
「りん~!」
凛音が私を呼ぶ声がした。
「なに?」
と返す。
「踊る曲、決めたよ!」
凛音はそういいながら、スマホでダンス動画を見せてくれる。
その曲は私の知っている曲で、一度趣味程度で踊ったことがあった。
「いいじゃん、その曲」
「私もこれ踊りたーい!」
私と近くで見ていた皐月が賛同する。
もう一人のダンス部メンバーである猿田奏真は、多少嫌そうな顔はしつつも頷いてくれた。
奏真は、クラスの1軍で凛音と同じグループ。
凛音とは正反対で髪染めもしていないし、アクセサリーを着けているところなんて見たことない。
クールな塩顔イケメンで、女子からは絶大な人気を誇る。
しかしながら、彼には他校に美人で可愛い彼女がいると噂だ。
見よう見真似で踊ってみる凛音。
それを見ながら、奏真と皐月も踊る。
私は3人の後ろでフリを再確認する。
鏡を前にしてダンスをするなんて、何年ぶりだろう。
皐月の長いポニーテールが揺れる。
奏真の髪が跳ねる。
凛音のアクセサリ―がぶつかり合い音を鳴らす。
みんなと踊るダンスってこんなに楽しかったっけ。
皐月が凛音に告ったらしい。という噂が流れた。
結果は知らない。
嫌な予感が頭をよぎる。
皐月と凛音が付き合ったらどうしよう、って。
そこまで思って自分の違和感に気が付く。
なんで皐月と凛音が付き合うのが嫌なんだろうか、と。
そして、イヤホンで音楽を流しながらその可能性に気が付く。
私は凛音が好きだからじゃないか、って。
その日のダンス部は地獄の雰囲気だった。
凛音は皐月の告白を「友達でいたいから」と断ったらしい。
凛音と皐月は気まずくて、いつもよく喋る二人が全然話さない。
代わりに、奏真がいつもの3倍喋る。
私も私で凛音のことが好きだと気づいて意識してしまっている。
このままでは、活動に支障が出る、そう思って私は声を上げる。
「今日は、ここまでにしよう!」
みんな、早く終わりたいと思っていたのか、頷く。
私は、凛音が好きだと自覚してから凛音を目で追ってしまうようになった。
凛音と皐月は和解したのか、どちらかが吹っ切れたのかは知らないが、多少ぎこちないものの、いつも通りに戻り問題なく活動できている。
私は、私を演じることが少なくなった。
学校ではもう''クールで物静かな王子’’ではなくなったし、家では相変わらず''ねぇね’’だけれど、ダンス部に入りたいとお願いした次の日から母と兄のおかげで れら と琥珀と翡翠が家事を手伝ってくれるようになったので、楽になった。''ねぇね’’であるプレッシャーが薄れていき、自分らしく居れるようになった。
だが、勉強時間は少々減り、今回のテストは赤点ギリギリだった。
「今回のテストマジでヤバかった~」
凛音がそう嘆いている。
その言葉に私も奏真も皐月も賛同する。
「結局、何位だったの?」
奏真が凛音に聞く。
「2位」
呟くように自然に凛音の口からそう言葉が零れた。
「え、凛音って頭良かったの?」
驚いて固まる私を見ながら凛音は言う。
「学校入学してから、初めて1位逃した。入学のときも首席だったのに」
そう言われて新入生代表の挨拶を思い出す。確かに、凛音が言っていた。
「嘘、凛音頭良かったんだ。私と同類だと思ってた」
思わず私が言葉を零すと、すかさず凛音が
「どうだったの?」
っと聞いてくる。
「赤点ギリギリ。とても人に言えるような点数じゃないよ」
と私は答えた。
「親になんか言われないの?」
凛音は不思議そうに私に聞いた。
「もともとギリギリで入学したから、赤点じゃないだけ偉い!って言われた。ま、もっと頑張らないと、とも言われたけどね」
「え、そーなんだ」
驚いたように、凛音は言った。
きっと凛音の親は厳しいのだろう。
次の日、明らかに「体調不良です」みたいな顔をした凛音が登校してきた。
みんなが心配するけど、凛音はいつもと変わらず「大丈夫だよ~」と笑顔で答える。
その日はダンス部での昼ミーティングがあった。
ミーティングが終わって教室へ戻る。
皐月は女子トイレで溜まっている友達を発見し、そこに混じっていたし、奏真はグラウンドへ、そして凛音は職員室へ用事らしいので、私は一人だった。
教室に入る前、1軍男子がグラウンドに居るのをいいことに、2軍男子が大きな声で話しているのが聞こえた。
「まじ、犬甘凛音ムカつかね?」
その言葉に私はドアの陰に隠れて盗み聞きをする。
「わかる、誰にでもいい顔してるよな」
「まさに八方美人だな」
「なんか、全部ウソっぽいよな」
そう言いながらガハハと笑う男子たち。
友達、そして好きな人のことを悪く言われてすごくムカついたが私は言い返せる立場でない。
教室に入ろうとしたとき、後ろの人影に気が付いた。
振り向くと、話のネタのご本人、凛音がいた。
「いつから居たの?」
私は思わず聞いた。
「え?りん がドアの陰に隠れるあたりから」
ってことは、凛音への悪口が全部聞こえている。
「凛音、大丈夫?」
私にはかける言葉が分からなかった。
「大丈夫だよ」
私は知っている。凛音が大丈夫じゃないとき、必ず「大丈夫」っていうことを。
本当に大丈夫な時は「大丈夫じゃないかも~」なんて、ふざけて返す時が多いからだ。
五時間目の現国のとき、黒板の右半分が埋まったころくらいに
ガタン
と大きな音がした。
音のした方向を見ると、凛音が椅子ごと倒れていた。
奏真が急いで駆け寄り、保健室まで連れていく。
私はなにもできなかった。
ただ、見ているだけだった。
凛音は5時間目も6時間目も帰ってこなかった。
放課後、ダンス部の活動をなしにして保健室に行くと、元気そうな凛音の姿があった。
その姿を見た瞬間、私はホッとした。
「凛音、大丈夫なの?」
それでもやっぱり心配して声をかける。
「え~、大丈夫じゃないかも~」
なんてふざけた口調で返す凛音を見てさらに私はホッとする。
「そんなことよりさ、りん 暇?これからカフェ行こうよ」
「そんなことしていいの?休んでた方が......」
「いいの!俺が行きたいから!体調ももう回復したし!」
「いいよ、わかった」
私は仕方なく頷き、2人でカフェに行く。
「なんで、倒れたの?」
私が問うと
「寝不足だって。あとストレスもあるかもって」
ストレス、きっとさっきの悪口に加えてなにか原因となるものがあるのだろう。
「寝不足って、ゲームのしすぎかな?」
学校と変わらない口調で話す凛音を見て私は思わず言った。
「私の前でも自分を演じるの?」
その言葉を聞いて凛音はハッとしたようだった。
「ごめん」
「寝不足の原因はなんなの?ストレスの原因はなんなの?」
「わかんないけど、多分親。昨日、テストで学年1位をとれなかったから、遅い時間まで勉強させられてて」
side.凛音
俺の家族は医者の家系だった。
そのなかでも、俺は出来損ない。
高校の本命受験に落ちたからだ。
従妹は東大の医学部を卒業して、立派な医者になったのに、俺は志望校より下の学校に入学して、そのうえで1位が取れない出来損ないだった。
だから、俺の両親は俺に冷たいし厳しい。
それが多分、ストレスになった。
ポツリ、ポツリと弱弱しく言葉を零す俺。
りん は真剣に俺の話しを聞いてくれている。
学校のみんなのノリとは違う、真剣に。
それが嬉しかった。
「なんで、そんな俺に構うの?」
俺は聞いた。
「だって、凛音は私を助けてくれた人だから。私に夢の青春を味わわせてくれた。それに、凛音のことが好きだから」
びっくりした。
ずっと俺の片思いだと思ってたから。
「俺も、りん のことが好き。ずっと前から。俺の命の恩人だから」
「え?私が凛音の命の恩人なの?なんで?」
「中学のとき、公園で踊ってる りん の姿を見たんだ。そんとき、俺、親と喧嘩して、自殺しようとしてたんだけど。りんの姿見て一目惚れした。高校で同じクラスになったときはびっくりしたよ。命の恩人がいるんだから」
「知らなかった......」
驚いた、というように呟く りん。
「改めて、俺と付き合ってください」
「もちろん」
りん がいつも愛用しているイヤホンを片耳分くれた。
それは、俺が一目惚れしたときに公園で りん が踊っていた曲だった。
その曲は、俺の死を止めてくれた曲だった。
クラスで りん と出会って、りん のためにダンス部を立ち上げようとしたことは一生秘密にしておこう。
私たち、北大路一家は貧乏だ。
家族の負担になりたくなくて、兄のおさがりの制服を着た。もちろん、多くの女子はスカートを履くが私はズボン。
そして、ショートカットの髪型も相まって、''王子’’なんて呼ばれてしまった。
キッカケは、担任の先生が私の苗字である「北大路」の「北」を見逃して「大路」と言ってしまったのが、一軍女子の耳には「王子」と聞こえたらしく、そこから''王子’’と呼ばれるようになった。
こんなあだ名をつけられて、私は学校で浮いている存在だ。帰宅部なので、友達と呼べる存在は一人もいない。
私は、普通の女の子の友達を作り、彼氏も作って、青春をエンジョイしたかった。
そんなことを考えながら、イヤホンを耳に差し込みスマホで音楽を流そうとしたとき、
「りんさん、だよね?」
久々に名前を呼ばれた。
学校では''王子’’か''北大路’’としか呼ばれないし、家では基本''ねぇね''とか''お姉ちゃん''だ。
私は驚いて、硬直してしまった。
「え、りんさんで合ってるよね?」
その声にハッ、として急いで答える。
「あ、ごめん。りんで合ってる。何か用事?」
人見知りな私は思わず少ない口数で応えてしまった。
改めて、声の主を見る。地毛でない栗色の髪、ゴールドのピアスやネックレス、チャラい格好の男子、犬甘凛音だった。
「あのさ、ダンスとか興味ない?」
「え、ダンス?」
唐突な質問にびっくりして聞き返してしまった。
「うん、ダンス。興味ない?」
「えっと。あるけど、なんで?」
「ダンス部作りたくて!」
犬のような人懐っこくて、人を虜にするような可愛い笑顔。男子にしては少々高く、親しみやすい声。
「ごめん。部活には入る気ないんだ」
母子家庭で6人兄弟の長女である私は家事をしなくてはならなかった。
そのうえ、ギリギリで入学したこの学校の授業についていくには、毎日しっかり勉強する必要もあるのだ。
私の返事を聞いて、シュンとした犬のようにわかりやすくへこんで、
「そっか、じゃあ仕方がないね。また入る気になったらいつでも言ってね」
と言って去っていった。
ダンスは幼い頃に習っていたのでダンスは大好きだ。
しかも部活だなんて、the・青春。私の夢である「青春をエンジョイ」ができるかもしれない。
でも、やっぱり家族のことを考えると簡単に「ダンス部に入部したい」なんてできない。
「はぁ」
小さくため息をついて耳にイヤホンを差し込む。
今日は母の帰りが遅く、大学1年生の兄も夜までバイトなので夕食の担当は私だった。
たまたま、玉ねぎと人参と鶏肉が安く、家にクリームシチューのルーがあったので今日の夕飯はクリームシチューだ。
しかし、牛乳を買い忘れてしまった。
少々高いが仕方ない。小学2年生の妹、ひめ と小学校5年生の双子の弟、琥珀と翡翠、そして留守番すると思われたがなぜかついてくると言ったギャルの中学1年生、れら と一緒に近くのコンビニまで買いに行くことにした。
コンビニについて牛乳のみを手に取り、レジへ行こうとした。が、来た。攻撃が。
「ねぇね、これ買っていい?」
ひめが取ってきたのはちょっと高めのグミ。
「ねぇね、俺これ買いたい!」
「俺も!」
翡翠と琥珀が持ってきたのは、シュークリームにプリン。
「ねぇね~?これあとでお小遣いから出すから買ってて~」
れらが持ってきたのは、500円くらいのアイシャドウ。
こうなるから、コンビニには来たくなかった。
「ねぇねは、牛乳買いに来たの。買いたいなら れら みたいにお小遣いで買って!」
できるだけ無駄な出費を抑えるために、3人に言う。
「ひめ、今日お皿洗いするから、お願い」
「俺も料理手伝うから」
「俺、洗濯するから!」
「はぁ、仕方ないな」
3人のお願いに弱い私は買うことに。
喜ぶ3人の顔を見て、後悔はない。
ふと目線を正面に移すと暗い顔でコンビニ弁当を手に取る犬甘凛音の姿があった。
いつもの犬みたいに人懐っこくて明るい彼とは違う、クールで冷たい雰囲気だった。
犬甘と目が合う。
「ねぇね、早く家に帰ろうよ~」
ひめ がぐずる。
「あぁ、うん。そうだね、帰ろうか。ねぇね、お金払ってくるから翡翠と琥珀と れら と一緒にお外で待っててくれる?」
「うん、いいよ!」
笑顔で翡翠のもとに駆け寄る ひめ。
すると、犬甘がこちらに歩いてくる様子が見えた。
「あのさ、」
学校とは違う冷たい声色。
「このこと学校の奴らには内緒な。お前のことも言わないから」
「わかった」
冷たく言い放たれた言葉に私は頷くしかなかった。
夜10時過ぎ、ひめ はすっかり寝たが、翡翠と琥珀はリビングでテレビゲーム。れら は自室で友達と通話をしている。
9時前に帰ってきた兄は、ご飯を食べた後お風呂へ行った。
「そろそろゲームやめなよー」
そう声をかけると琥珀が
「あと1戦」
と答えた。
そんなやり取りを3回ほど繰り返すと、やっと二人はゲームの手を止める。
私だってゲームがしたい、自由にスマホを触りたい。でも、家事と勉強でいっぱいいっぱいな私の願いは叶うことがない。
なら、せめて青春だけでも……。
ガチャ
玄関の扉が開く音がした。母が帰ってきたのだ。
「ただいまー」
「おかえり、早かったね」
看護師をしている母は「遅くなる」と一言声をかけて仕事に行くとき、だいたい日付をまわるギリギリだ。
なのに今日は10時過ぎ。珍しく早かった。
母の夕食の準備をして居る間に、翡翠と琥珀は自室へ戻り、兄はお風呂から上がってきた。
母の夕食を机に並べる。
私は母の正面、兄は母の隣に座った。
チャンスだ、お願いをする。
私は長女。弟や妹に弱みを見せられない。
「あのさ、お願いがあるの」
私の一言にスマホを見ていた兄の視線が私に向く。
「ダンス部、入りたい」
その言葉に二人は目を見開いた。
「部費とか遠征費はお小遣いから出すし、家事だって今まで通り、勉強はもっと頑張るから」
ダメかもしれない。でも、ダンスがしたい。青春がしたい。
私のもとに母の言葉が降ってきた。
「そんな時間、どこにあるの?」
やっぱり、ダンス部には入れない。そう思った。
でも、母の言葉の続きは予想外だった。
「やりたいことがあるなら、やりなさい。勉強だってあなた十分頑張ってるでしょう。家事なんて れら とかに任せたらいいじゃない。お金だって、出すわよ」
久々に母の優しさに触れた。泣きそうになって、涙をこらえる。
たった少し、優しくされるだけで今まで積み上げてきた我慢が崩れそうになる。自分を保てなくなる。
「犬甘くん」
次の日の朝、クラスの中心で騒いでる明るい犬甘くんに話しかけた。
一瞬、彼は警戒の表情を見せたが、すぐいつもの明るい笑顔に戻り、
「なぁに?」
と柔らかい口調でしゃべり出す。
「ダンス部、入っても良いよ」
私は一言そう告げる。
犬甘くんは、驚いたように目を開く。
そしてすぐ、その言葉に反応した。
「本当!?ありがとう!これで人数がそろった~!」
犬甘くんは、本当に嬉しそうな顔をして言った。
犬甘くんの周りにいたクラスの1軍は、「本当にダンス部作るんだ」とか「よかったな」とか口々に犬甘くんに話しかける。
その隙を見計らって私はその場をそっと離れ自分の席に着いた。
遠目から彼を見る。昨日、コンビニで見た彼とはまったく正反対。
昨日の彼が本当の彼だと思ったら、今の彼は学校での''犬甘凛音’’を演じているのだ。
きっと本当の彼の姿を知ってるのは、この学校では私だけだろう。
私は犬甘くんが怖くなった同時に親近感が湧いた。
私だって学校では''クールで物静かな王子’’を演じ、家では''ねぇね’’を演じる。
じゃあ、本当の私はどこにいるのだろうか。
そんなことを考えながら、この世界から逃げるように耳にイヤホンを差し込む。
放課後、まだまばらに人が残っている教室内で犬甘くんに話しかけられた。彼は一枚の紙を私に渡す。
「これ、名前書いて」
そこには、おそらく彼の文字で大きく『ダンス部』とかかれており、その下には犬甘くんを含めた計3名の名前が書かれていた。
その下に丁寧に私の名前を書く。そして犬甘くんに渡した。
「ありがと!」
彼は笑顔でそういった後、言葉を続ける。
「ねぇ、職員室までついてきてくれない?これ届けに行かなきゃなんだよね~」
彼の笑顔には「いいえ」と言わさないような圧が感じられた。
私には彼の意図が分からない。彼には掴みどころがない。
「いいよ」
私は彼の意図を探りたくなって、そう言った。
職員室に向かうまでの間、彼は明るい笑顔で私に話しかける。
私は彼の笑顔の奥にある本性が怖くて、適当な笑顔を浮かべることしかできなかった。
「失礼します!1年2組の犬甘凛音です!古田先生いらっしゃいますか」
職員室に入るとき、彼は大きな声でそう言った。
職員室の奥の方から、私たちの学校のおじいちゃん先生の代表、古田先生が出てきた。
「犬甘くん、人数集まったの?」
古田先生は優しくゆったりした口調で犬甘くんに話しかける。
「はい!4人集まりました」
「そう、良かったね。教頭先生と話し合ったんだけどね、やっぱり同好会からになるんだ。それでもいいかな?」
「もちろんです!」
ハキハキしゃべる犬甘くんとおっとり喋る古田先生のテンポよく続く会話。私はただ聞いてるだけだった。
「部長は犬甘くんだね。副部長は、北大路さんかな?」
ボーっと聞いてた会話の中に私の名前が出てきて驚いた。
その言葉に私ではなく、犬甘くんが反応した。
「そうですね。まだわかりませんが、その予定で考えています」
え?聞いてないのに。もしかして、私を副部長にさせるために一緒に職員室までついてこさせたのか。
「そうか。それじゃあ、また顧問や活動場所、活動日は決まったら後日報告するよ」
古田先生は優しく笑って職員室の中へ去っていった。
まだ帰宅部である私は、下駄箱に向かって歩き出す。
犬甘くんも帰宅部なので自然と同じ方向へ歩く。
「北大路りん、君は今日からダンス部の副キャプテンだ!」
犬甘くんにそう言われ、私は言い返す。
「私、副キャプテンやるって言ってないし。ダンス同好会だし」
「まぁまぁ、そう言うなって。部長と副部長で作戦会議しにいこうぜ。今から時間ある?カフェ行こう!」
犬甘くんは私の反論を華麗によけて、私をカフェに誘う。
今日の夕食当番は兄なので、確かに今日は時間がある。
そして犬甘くんの言う「作戦会議」とか「クラスメイトとカフェ」とかは青春の匂いがする。
私は犬甘くんの言葉に思わずうなずいてしまった。
久々のカフェ。最後にカフェに言ったのは多分、中学1年生のとき。
私はいちごフラペチーノを頼む。
なんとなく、犬甘くんに甘いものが好きそうなイメージがあったが彼が頼んだのはブラックコーヒーだった。
私はブラックコーヒーなんて苦くて飲めたもんじゃなかった。
彼はカフェで最初から作戦会議なんてする予定はなかった。
昨日、コンビニで会った時のような冷たい目つき、口調で犬甘くんは話す。
「昨日のこと、誰にも言ってないよな」
悲しいことに、私が話せるような相手なんていない。
「言ってないけど」
「そ、じゃあ良かった」
犬甘くんはそれ以降、口を開かなかった。それでも何か言いたげな様子だったので問いただす。
「なに、ほかに何か言いたいことがあるならいいなよ」
「いや、お前、学校とはだいぶ雰囲気違ったよな」
「あぁ、なんか勝手に''王子’’のレッテル貼られちゃったしね」
「そっちの方がいいんじゃね」
彼のそっけない言葉。
でも今、学校での犬甘くんじゃない、本当の彼が紡ぐ言葉は全て本当だと思えた。
彼の本音に私はなんだか、すごく嬉しかった。
「ありがとう。でもさ、犬甘くんも普段と全然違ったよね。なんかクールな感じ」
「学校では明るいからな」
「自分で言うんだ」
やっぱり、彼は彼を演じている。
「ってか、お前思ったより喋るんだな。学校では静かすぎて」
「喋り相手がいないんだから仕方がない」
なんて、自分で言って悲しかった。
「じゃあ、俺が喋り相手になろっか。りん の友達」
「え?」
犬甘くんの言葉に私はびっくりした。
私が犬甘くんと、友達......?
思考が追い付かない。けど、青春がしたい一心で私は頷いていた。
「よろしくお願いします」
side.凛音
ある人のためにダンス部を作り上げたかった。
そのために、学校では明るい自分を演じ、できるだけ人脈を広くした。
自分を偽るのは中学校のときから得意だった。
頭の良い人の70点代は低い。でも、馬鹿な人の70点代は高い。
普段やらない人は、少しやっただけで褒められる。普段からしっかりする人はそれが当たり前。
だから俺はバカを演じた。
そして、クラスのムードメーカとなり友達思いを演じる。
俺は自分自身を守り、自分自身を保つために自分を偽る。
帰宅部に片っ端から声をかけると、2人集まってくれた。ラスト一人。
皆から''王子’’と呼ばれている、物静かでクールな女の子、北大路りん に話しかけた。
「りんさん、だよね?」
北大路りん はしばらく固まる。なぜ固まるのか。
俺、名前を間違えただろうか。そう思って少し焦る。
「え、りんさんで合ってるよね?」
その声にハッ、としたように北大路りん は
「あ、ごめん。りんで合ってる。何か用事?」
と答えた。
改めて北大路りん の姿を見る。
女子では数少ないスラックス、ショートの黒髪、女子にしては高い身長、メイクもアクセサリーもない見た目、整った顔立ち、まさにクールな''王子’’だった。
「あのさ、ダンスとか興味ない?」
俺が問うと、
「え、ダンス?」
と驚いたように聞き返された。
「うん、ダンス。興味ない?」
「えっと。あるけど、なんで?」
そう問う北大路りん は怪訝そうだ。
迷惑だったかもしれない。
「ダンス部作りたくて!」
それでも、そんなの気にしないフリをして、偽りの自分で言葉を続ける。
「ごめん。部活には入る気ないんだ」
「迷惑」とか「いや」とかじゃなくて「入る気はない」
ダンス部でなくても、きっと入る気はないのだろう。
なんでかはわからない。
この学校は、部活をしている生徒がほとんどだ。
してない人は、バイトだったり学校外でなにかしらの習い事をしているか、勉強を頑張っている人ばかりだ。
でも、北大路りん にはそんな噂、聞いたことがなかった。
本当に部活に入る気はないんだと、少し落ち込み俺は言う。
「そっか、じゃあ仕方がないね。また入る気になったらいつでも言ってね」
俺はそう述べて、その場を立ち去る。
家に帰ると机の上に1000円札と『好きなもの買って食べて』と書かれている置手紙があった。
「またか、」
俺の独り言が暗くて広いリビングに響き渡る。
勉強をするために少し早めにコンビニへ行く。
コンビニ弁当を物色する。
どこからか、子供の声がした。
「はぁ、仕方がないな」
子供のわががままに折れた母親の声だろうか。
あいつらの母親は優しくていいな、そう思いながら声の方を見ると、知っている顔があった。
母親ではない、子供たちと一緒に買い物をしていたのは、おそらく姉である北大路りん だった。
北大路りん と目があった。
「ねぇね、早く家に帰ろうよ~」
小学校低学年くらいの妹らしき少女がぐずる。
「あぁ、うん。そうだね、帰ろうか。ねぇね、お金払ってくるから翡翠と琥珀と れら と一緒にお外で待っててくれる?」
「うん、いいよ!」
北大路りん の一言に少女は兄、北大路りん からみた弟たちの方へ笑顔で駆け寄っていった。
そのタイミングを見て、俺は北大路りん のもとへ歩いた。
北大路りん に偽りの姿を見られてしまった。
それでも、北大路りん だって学校では偽りの姿だと分かった。
今の北大路りん は明るく面倒見の良いお姉ちゃんに見えた。
クールな''王子’’だって、偽りの姿であることを隠したいだろう。
「あのさ、」
俺は偽りの俺ではない、いつもより暗く低い声で話した。この話し方が実際、本当の俺の話し方なのだが。
「このこと学校の奴らには内緒な。お前のことも言わないから」
「わかった」
バラされたくないのか、北大路りん は素直に頷いた。
家に帰り、1人寂しくコンビニ弁当を食べる。
「犬甘くん」
次の日の朝、クラスの1軍男子たちと騒いでいると、北大路りんに話しかけられた。
一瞬俺は、昨日のことをバラされてしまうかもしれない、と警戒したがすぐ自分を偽って
「なぁに?」
とできるだけ柔らかい口調を意識して話す。
「ダンス部、入っても良いよ」
北大路りん はたった一言そう告げる。
北大路りん の予想外の言葉に俺は驚いて思考回路が停止してしまった。
だが、すぐ頭を働かせて、言葉を理解する。
「本当!?ありがとう!これで人数がそろった~!」
嬉しさのあまり思わず、自分を偽れなかったが、違和感はなかっただろう。
俺の周りにいるクラスの1軍は、「本当にダンス部作るんだ」とか「よかったな」とか口々に話しかける。
その間にこの場をそっと離れていく北大路りん を確認した。
横目で彼女を見る。昨日、コンビニで見た彼女とはまったくの正反対。
昨日の北大路りん が本当の北大路りん だと思ったら、今の彼女は学校での'′王子’’である''北大路りん’’を偽っているのだ。
きっと本当の彼女の姿を知ってるのは、この学校では俺だけだろう。
改めて、俺と一緒だと思った。親近感が湧いた。
俺も学校では''明るい犬甘凛音’’を偽り、家では''孤独な犬甘凛音''である。
孤独を埋めるように、学校ではクラスメイトとバカをする。
放課後、まだ何人かが残っている教室で北大路りん に話しかけ、『ダンス部』と大きく書かれた下に俺を含めた3人の名前が書かれているか紙を渡した。
「これ、名前書いて」
北大路りん は丁寧に自分の名前を書く。
「ありがと!
ねぇ、職員室までついてきてくれない?これ届けに行かなきゃなんだよね~」
俺はそう言って北大路りん を職員室まで誘う。
彼女と友達になりたかったからだ。
偽りでない俺を知っている彼女にはどんな弱みを見せても大丈夫な気がした。
「いいよ」
北大路りん の答えに俺はホッとした。
職員室に向かうまでの間、俺は北大路りん と仲良くなりために明るく、たくさん話しかけた。
それでも彼女は、ただ愛想笑いを浮かべるだけだった。
職員室に着いた。
「失礼します!1年2組の犬甘凛音です!古田先生いらっしゃいますか」
そう言うと、職員室の奥の方から、ほんわかしている年配の古田先生が出てきた。
「犬甘くん、人数集まったの?」
古田先生は優しい口調で俺に話しかける。
「はい!4人集まりました」
「そう、良かったね。教頭先生と話し合ったんだけどね、やっぱり同好会からになるんだ。それでもいいかな?」
「もちろんです!」
「部長は犬甘くんだね。副部長は、北大路さんかな?」
突然の北大路りん の名前が出てきて、今までボーっと聞いているだけだった本人はびっくりしている。
副部長、考えた事なかったけど、確かに北大路りん にはピッタリな気がする。
そう思って北大路りん が否定する前に俺は答える。
「そうですね。まだわかりませんが、その予定で考えています」
本人はびっくりしているがそんなの関係ない。
「そうか。それじゃあ、また顧問や活動場所、活動日は決まったら後日報告するよ」
古田先生は優しく笑って職員室の中へ去っていった。
先に歩く北大路りん を俺は追いかける。
靴箱に向かっているのだろう。俺も帰宅部なので同じ方向へ向かう。
「北大路りん、君は今日からダンス部の副キャプテンだ!」
副部長の件に「yes」も「No」の返答もないので意思を確認するために言う。
「私、副キャプテンやるって言ってないし。ダンス同好会だし」
正論を飛ばされる。でも、押せばやってくれそうだ。
「まぁまぁ、そう言うなって。部長と副部長で作戦会議しにいこうぜ。今から時間ある?カフェ行こう!」
もっと北大路りん と仲良くなりたい。
そう思って「作戦会議」名目というで誘った。
断られると思ったが、なぜか北大路りん は頷いてくれた。
駅の近くのコーヒーがおいしいカフェ。
俺は毎回1人来るときに頼むブラックコーヒーを頼む。
北大路りん はなんとなくコーヒーのような大人なものが好きなイメージがあったが、いちごフラペチーノを頼んだ。
いちごフラペチーノ、俺も一度頼んだことがあるが、すごく甘かったのを覚えている。
俺はもう、きっと注文しないだろうが。
俺から誘ったものの、話すネタなんてない。
必死に考えたとき、昨日のコンビニでのことを思い出した。
きっと誰にも言ってないだろうけど、確認しておかないと少し怖かった。
思わず家での口調で話してしまったが、本当の姿を知っている北大路りん だから良いだろう。
「昨日のこと、誰にも言ってないよな」
「言ってないけど」
即答する北大路りん に俺は安心した。
「そ、じゃあ良かった」
続けて、昨日の、本当の北大路りん の方が良いと言おうと思ったが、なんとなく照れくさくてやめた。
しかし、そんな様子に気が付いた北大路りん は問い詰めてくる。
「なに、ほかに何か言いたいことがあるならいいなよ」
直接、昨日の方が良いなんて言えなくて、遠回しに言う。
「いや、お前、学校とはだいぶ雰囲気違ったよな」
「あぁ、なんか勝手に''王子’’のレッテル貼られちゃったしね」
やっぱり、北大路りん は王子を演じているのだ。
「そっちの方がいいんじゃね」
やっぱり照れくさくて、そっけなく言う。
でも鈍感な彼女はそんな俺に気づかないらしく、少し照れながら言った。
「ありがとう。でもさ、犬甘くんも普段と全然違ったよね。なんかクールな感じ」
当たり前だ、偽りの自分なんだから。
「学校では明るいからな」
「自分で言うんだ」
今日の彼女はよく喋る。きっとこの姿が本当の''北大路りん''の姿なのだろう。
「ってか、お前思ったより喋るんだな。学校では静かすぎて」
「喋り相手がいないんだから仕方がない」
少し悲しそうに言う、北大路りん。
もしかして、彼女は友達が欲しいのかもしれない。
そう思うと、俺の口は勝手に言葉を発していた。
「じゃあ、俺が喋り相手になろっか。りん の友達」
「え?」
りん はびっくりして固まっていたけど、俺だって本当の自分からそんな言葉が出てくるなんて思ってなくてびっくりしている。
それでも、なんとか りん は頷いてくれた。
「よろしくお願いします」
side.りん
犬甘くん、改め凛音と友達になってから、私の学校でのイメージが変わった。
''王子’’という表現は変わらないものの、物静かでクール、というイメージは少々なくなったらしい。
一言も話さずに帰ることはなくなった。
そして、友達と呼べる人がもう一人できた。
同じクラスの1軍女子、大原皐月だ。
皐月は元々バレー部だったのだが、凛音に誘われダンス部に入るために退部してきたらしい。
それでも、クラスの中心的な存在だったため、ハブられることもなく、今まで通りに過ごしている。
皐月の学校生活で変わったところを強いて言うならば、私と話すことぐらいだ。
それでも、昼休みはイヤホンを着けて過ごすことが多い。
今日からダンス部(同好会)での活動が始まる。
活動場所は中庭の出入り口付近にある大きな鏡の前。同好会なので部室はない。
顧問、とは言えないけれど、一応、古田先生がダンス部を見てくれることになった。
「りん~!」
凛音が私を呼ぶ声がした。
「なに?」
と返す。
「踊る曲、決めたよ!」
凛音はそういいながら、スマホでダンス動画を見せてくれる。
その曲は私の知っている曲で、一度趣味程度で踊ったことがあった。
「いいじゃん、その曲」
「私もこれ踊りたーい!」
私と近くで見ていた皐月が賛同する。
もう一人のダンス部メンバーである猿田奏真は、多少嫌そうな顔はしつつも頷いてくれた。
奏真は、クラスの1軍で凛音と同じグループ。
凛音とは正反対で髪染めもしていないし、アクセサリーを着けているところなんて見たことない。
クールな塩顔イケメンで、女子からは絶大な人気を誇る。
しかしながら、彼には他校に美人で可愛い彼女がいると噂だ。
見よう見真似で踊ってみる凛音。
それを見ながら、奏真と皐月も踊る。
私は3人の後ろでフリを再確認する。
鏡を前にしてダンスをするなんて、何年ぶりだろう。
皐月の長いポニーテールが揺れる。
奏真の髪が跳ねる。
凛音のアクセサリ―がぶつかり合い音を鳴らす。
みんなと踊るダンスってこんなに楽しかったっけ。
皐月が凛音に告ったらしい。という噂が流れた。
結果は知らない。
嫌な予感が頭をよぎる。
皐月と凛音が付き合ったらどうしよう、って。
そこまで思って自分の違和感に気が付く。
なんで皐月と凛音が付き合うのが嫌なんだろうか、と。
そして、イヤホンで音楽を流しながらその可能性に気が付く。
私は凛音が好きだからじゃないか、って。
その日のダンス部は地獄の雰囲気だった。
凛音は皐月の告白を「友達でいたいから」と断ったらしい。
凛音と皐月は気まずくて、いつもよく喋る二人が全然話さない。
代わりに、奏真がいつもの3倍喋る。
私も私で凛音のことが好きだと気づいて意識してしまっている。
このままでは、活動に支障が出る、そう思って私は声を上げる。
「今日は、ここまでにしよう!」
みんな、早く終わりたいと思っていたのか、頷く。
私は、凛音が好きだと自覚してから凛音を目で追ってしまうようになった。
凛音と皐月は和解したのか、どちらかが吹っ切れたのかは知らないが、多少ぎこちないものの、いつも通りに戻り問題なく活動できている。
私は、私を演じることが少なくなった。
学校ではもう''クールで物静かな王子’’ではなくなったし、家では相変わらず''ねぇね’’だけれど、ダンス部に入りたいとお願いした次の日から母と兄のおかげで れら と琥珀と翡翠が家事を手伝ってくれるようになったので、楽になった。''ねぇね’’であるプレッシャーが薄れていき、自分らしく居れるようになった。
だが、勉強時間は少々減り、今回のテストは赤点ギリギリだった。
「今回のテストマジでヤバかった~」
凛音がそう嘆いている。
その言葉に私も奏真も皐月も賛同する。
「結局、何位だったの?」
奏真が凛音に聞く。
「2位」
呟くように自然に凛音の口からそう言葉が零れた。
「え、凛音って頭良かったの?」
驚いて固まる私を見ながら凛音は言う。
「学校入学してから、初めて1位逃した。入学のときも首席だったのに」
そう言われて新入生代表の挨拶を思い出す。確かに、凛音が言っていた。
「嘘、凛音頭良かったんだ。私と同類だと思ってた」
思わず私が言葉を零すと、すかさず凛音が
「どうだったの?」
っと聞いてくる。
「赤点ギリギリ。とても人に言えるような点数じゃないよ」
と私は答えた。
「親になんか言われないの?」
凛音は不思議そうに私に聞いた。
「もともとギリギリで入学したから、赤点じゃないだけ偉い!って言われた。ま、もっと頑張らないと、とも言われたけどね」
「え、そーなんだ」
驚いたように、凛音は言った。
きっと凛音の親は厳しいのだろう。
次の日、明らかに「体調不良です」みたいな顔をした凛音が登校してきた。
みんなが心配するけど、凛音はいつもと変わらず「大丈夫だよ~」と笑顔で答える。
その日はダンス部での昼ミーティングがあった。
ミーティングが終わって教室へ戻る。
皐月は女子トイレで溜まっている友達を発見し、そこに混じっていたし、奏真はグラウンドへ、そして凛音は職員室へ用事らしいので、私は一人だった。
教室に入る前、1軍男子がグラウンドに居るのをいいことに、2軍男子が大きな声で話しているのが聞こえた。
「まじ、犬甘凛音ムカつかね?」
その言葉に私はドアの陰に隠れて盗み聞きをする。
「わかる、誰にでもいい顔してるよな」
「まさに八方美人だな」
「なんか、全部ウソっぽいよな」
そう言いながらガハハと笑う男子たち。
友達、そして好きな人のことを悪く言われてすごくムカついたが私は言い返せる立場でない。
教室に入ろうとしたとき、後ろの人影に気が付いた。
振り向くと、話のネタのご本人、凛音がいた。
「いつから居たの?」
私は思わず聞いた。
「え?りん がドアの陰に隠れるあたりから」
ってことは、凛音への悪口が全部聞こえている。
「凛音、大丈夫?」
私にはかける言葉が分からなかった。
「大丈夫だよ」
私は知っている。凛音が大丈夫じゃないとき、必ず「大丈夫」っていうことを。
本当に大丈夫な時は「大丈夫じゃないかも~」なんて、ふざけて返す時が多いからだ。
五時間目の現国のとき、黒板の右半分が埋まったころくらいに
ガタン
と大きな音がした。
音のした方向を見ると、凛音が椅子ごと倒れていた。
奏真が急いで駆け寄り、保健室まで連れていく。
私はなにもできなかった。
ただ、見ているだけだった。
凛音は5時間目も6時間目も帰ってこなかった。
放課後、ダンス部の活動をなしにして保健室に行くと、元気そうな凛音の姿があった。
その姿を見た瞬間、私はホッとした。
「凛音、大丈夫なの?」
それでもやっぱり心配して声をかける。
「え~、大丈夫じゃないかも~」
なんてふざけた口調で返す凛音を見てさらに私はホッとする。
「そんなことよりさ、りん 暇?これからカフェ行こうよ」
「そんなことしていいの?休んでた方が......」
「いいの!俺が行きたいから!体調ももう回復したし!」
「いいよ、わかった」
私は仕方なく頷き、2人でカフェに行く。
「なんで、倒れたの?」
私が問うと
「寝不足だって。あとストレスもあるかもって」
ストレス、きっとさっきの悪口に加えてなにか原因となるものがあるのだろう。
「寝不足って、ゲームのしすぎかな?」
学校と変わらない口調で話す凛音を見て私は思わず言った。
「私の前でも自分を演じるの?」
その言葉を聞いて凛音はハッとしたようだった。
「ごめん」
「寝不足の原因はなんなの?ストレスの原因はなんなの?」
「わかんないけど、多分親。昨日、テストで学年1位をとれなかったから、遅い時間まで勉強させられてて」
side.凛音
俺の家族は医者の家系だった。
そのなかでも、俺は出来損ない。
高校の本命受験に落ちたからだ。
従妹は東大の医学部を卒業して、立派な医者になったのに、俺は志望校より下の学校に入学して、そのうえで1位が取れない出来損ないだった。
だから、俺の両親は俺に冷たいし厳しい。
それが多分、ストレスになった。
ポツリ、ポツリと弱弱しく言葉を零す俺。
りん は真剣に俺の話しを聞いてくれている。
学校のみんなのノリとは違う、真剣に。
それが嬉しかった。
「なんで、そんな俺に構うの?」
俺は聞いた。
「だって、凛音は私を助けてくれた人だから。私に夢の青春を味わわせてくれた。それに、凛音のことが好きだから」
びっくりした。
ずっと俺の片思いだと思ってたから。
「俺も、りん のことが好き。ずっと前から。俺の命の恩人だから」
「え?私が凛音の命の恩人なの?なんで?」
「中学のとき、公園で踊ってる りん の姿を見たんだ。そんとき、俺、親と喧嘩して、自殺しようとしてたんだけど。りんの姿見て一目惚れした。高校で同じクラスになったときはびっくりしたよ。命の恩人がいるんだから」
「知らなかった......」
驚いた、というように呟く りん。
「改めて、俺と付き合ってください」
「もちろん」
りん がいつも愛用しているイヤホンを片耳分くれた。
それは、俺が一目惚れしたときに公園で りん が踊っていた曲だった。
その曲は、俺の死を止めてくれた曲だった。
クラスで りん と出会って、りん のためにダンス部を立ち上げようとしたことは一生秘密にしておこう。


