花影は、今日も愛を叫ぶ

 最高な夢を見ていたのよ。枢木教官がね、私に接吻してくれる夢。そればかりか、私の事を好きって。愛しているって言ってくれたの。とても最高過ぎる夢だったの。

 だからもう一度まどろみたい。と、薫は懇願するが。その意志に反して、瞼はゆっくりと開き、甘い心地に漂っていた全てを現実に還らせた。

 ……目が覚めちゃった。
「嗚呼、最悪」
 開かれた視界にくっきりと映ってしまう現実に、薫は悔しげに呻く。

 この禍々しい象形文字がびっしりと連なった天井、間違いないわね。ここ、土御門宗家にある私の部屋……花牢《はなろう》だわ。

 薫は「本当にもう」ともう一度呻いてから、目元にバシッと片手を当てた。

 すると「お目覚めですか、お嬢様」と、柔らかな声がかかる。

 とても聞き馴染みのある声に、薫は目元を覆っていた手を少し下げて、そちらを伺った。
 見ると、いつもの様に美しい着物を纏った葛の葉が「此度は思ったよりもお早うございますよ」と手にしている盆を枕元に置いて言う。

「どれくらいなの?」
「五日でございます」
 薫は淡々と告げられた時間に「それでも、五日もかかっているのね」と、はぁとため息を吐き出した。

「お嬢様、そう嘆く事はございません。久しい暴走でありながら、こんなに早くお目覚めになったのですから」
 この葛の葉の予想以上でございます。と、葛の葉は朗らかな笑みを称えて答える。

 薫はその笑みを一瞥してから「あのね、葛の葉」と、天井の禍々しい文字を見つめながら言った。
「私、とっても良い夢を見ていたのよ。そのおかげで、ぐちぐち言い続けるコイツを撥ねのけられたの。本当にうるさかったけれど、幸せ過ぎてそれどころじゃなかったって言う感じなのよ」
「良い夢、とは……枢木様からの接吻やら告白やらでございましょうか?」
「そう、そうよ!」
 よく分かったわね。と、目を丸くして突っ込む。

 そんな薫に、葛の葉は「お嬢様」とやや憐憫を向ける声音で言葉を紡いだ。

「アレを全て夢と逃避してしまったら、枢木様があまりにも可哀想でございます。流石に、この葛の葉もお嬢様の味方には回れませんよ」
 可哀想にと言わんばかりに告げられる言葉に、薫は「待って」と小さいながらも、鋭く声を張り上げる。

「あ、貴女がそう言うって事は……も、もしかして、夢じゃない?」
 恐る恐る吐き出された問いに、葛の葉は「はい、何一つとして夢ではございません」と、直ぐさま首を縦に力強く振った。

 その肯定に、薫はゆっくりと唾を嚥下する。

 あ、アレが全て夢じゃなくて、現実だった……それってつまり、枢木教官が私を好きで、私も枢木教官が好き。

 私、私、枢木教官と両想いになれたって言う事?

 理解するや否やで、心の奥底から嬉しさがぼごおんんっと噴火し、ぶわっと一気にその熱を身体中に広げる。

 そして「キャーッ!」と、遅ればせながらの大歓喜が弾け飛び、バタバタッ、ゴロゴロッと布団の上を駆け転がった。
「とても愛らしい反応でございますが、お嬢様。そちらの方に控えているお客人様がいらっしゃるので、些かはしたのうございます」
 淡々と告げられた諫言によって、破顔一笑の薫にぐにゃりと歪みが入る。

「お客人?」
 誰か居るの? と、薫は歪んだ顔のまま「そちらの方に」と促す方を見る。

 刹那、小さく中央に寄っていた皺が全てカッと大きく開かれ、素っ頓狂な声が飛び出した。
「くっ、枢木教官! ?」
 薫は大きく飛び跳ね、慌てて布団の上でバッと正座し、サッと敬礼を作る。

 その慌てふためいた姿に、雅清は「直れ」と呆れ混じりに告げた。
「思ったより、元気そうだな」
「は、はい……それはもう」
 ご、ご心配、ありがとうございます。と、薫は身を縮め込ませながら敬礼を解いてから、「ど、どうしてこんな所に?」と、おずおずと問いかけた。

 そのおどおどした問いに答えたのは、葛の葉だった。

「私が分身を送り、枢木様をこちらにお呼びした次第にございます」
 お互いに、まだ伝えるべきお話があるかと思いまして。と、フフフッと蠱惑的な笑みを零す。

 そして「では、葛の葉はここで一度下がらせていただきますね。頃合いかと思った頃に、参上致します」と、身をぎこちなく強張らせる薫と、なんとはなしに気まずそうに佇む雅清を見やってから、ポンッと煙と共に消えてしまった。

 気がとても利くけど、とても利き過ぎてとても気が利かないわよ! 葛の葉!

 薫は煙と共に消えた彼女に向かって絶叫した。勿論、その叫びをあげたのは、見透かす事の出来ない内心と言う奥深い世界である。

 どうするのよ、ここから! あんな醜態を晒しておいて、この先はどうしたら良いって言うのよ!
 葛の葉ぁっ! と、薫は込み上げる羞恥に耐えきれずに声を荒げそうになった。

 その時だった。
「もう、大丈夫なのか?」
 雅清が気まずく下りた沈黙を先に破り、薫に向かって問いかける。

 薫はその問いに、小さく息を呑んでから「は、はい」と答えた。
「あ、あの、またご心配とご迷惑をおかけして。本当に、申し訳ありませんでした」
「謝らないで良い」
 雅清はフッと口元を綻ばせて返すと、薫としっかり向き合える様にサッとあぐらをかいて座った。

 そしてスッと手を伸ばし、大暴れをかまして乱れた薫の髪を整えながら「お前がこうして元気になった、もうそれだけで大満足だ」と、優しく告げる。

 甘く蕩ける声音と優しく整えられる手に、薫の胸はドキドキッと痛む様に高鳴った。

「……で、でも。また隊に穴を空けちゃったし」
 薫は胸の痛みを誤魔化す様にして、ドギマギしながら食い下がる。

 雅清は彼女の痛みに気がつく事なく、そのままに「そう気負うな」と言葉を続けた。
「アイツ等には毒の物の怪にやられて、毒抜きに時間がかかっていると伝えてある。だからお前を悪く思う奴は誰も居ない。逆に、大丈夫なのかと心配しているぞ」
 だがまぁ、怜人はそうじゃないと勘づいている気がするがな。と、薫の髪から手を戻して、小さく肩を竦めた。

 薫は付け足された言葉に、「柊副教官が」とボソリと呟く。
「でも、そうかもしれませんね。霊気探知に長けていらっしゃいますし、色々と達観されているお方なので……もう、花影と言う事をお伝えした方が良いでしょうか?」
「いずれは話さねばならない時が来るだろうが、今はまだその時ではないだろう。だからまだ怜人には話さなくて良い」
 雅清はおずおずとした提案をきっぱりと断ってから「お前に二つ、話がある」と、切り出した。
「はい、何でしょう?」
「一つめは、四日前に東雲嬢と破談になった事」
「えっ? !」
 サラリと告げられた告白に、薫は素っ頓狂な声をあげる。

 すると雅清は「そんなに驚くか?」と、眉根をキュッと寄せて憮然とした表情を見せつけた。

「俺が好きなのはお前だから、破談は当たり前の事だろう。だからここは淡々と流す話だと思っていたのだが」
「な、流せる訳ないじゃないですか!」
 薫は淡々としている雅清に、がぶっと噛みつく様に声を荒げる。

「だって、東雲嬢と破談と言う事はですよ? ! 私の事が好きって言うのが、本気なんだって」
「お前。俺が、冗談で好きだなんだと言っていると思っているのか?」
 おずおずとした反論をバッサリと遮る物々しい突っ込みに、薫は間髪入れずに「いいえっ!」と首をぶんぶんと横に振って答えた。

「そう分かっているなら良いが、今度また同じ様な事を言ってみろ。俺を見下していると受け取り、本気で罰を与えるからな」
 物々しく告げられた脅しに、薫は「ひいっ」と息を呑んで「分かりましたっ!」と身を竦ませて敬礼する。

 その姿にふんと鼻を鳴らしてから、雅清は「二つめは」と淡々と言葉を継いだ。
「謝罪だ」
「謝罪? 何のですか?」
「あの時、お前をあやかしにみすみす攫わせた事。影王の力を解放させるまでに追い詰めさせてしまった事、そしてお前を深く傷つけ続けていた事……本当にすまなかった。隊長としても、一人の男としても、俺が不甲斐なさ過ぎた」
「そんな事ありません!」
 前から苦しげに紡がれる謝罪に、薫は瞬時に声を張り上げて否定する。

「元はと言えば、私が全部悪いんです。勝手に一人で持ち場を離れた挙げ句、あやかしだと見抜けずに相手を近寄らせてしまった私が悪いんですよ。私がそんな事をしていなければ、こうはなっていませんでした。だから枢木教官が謝る事なんて何一つありません!」
「いや。それでも、やはり非があるのは俺だ」
 非番の一件から、俺は選択を誤りすぎた。と、雅清は薫の訴えを苦々しく一蹴した。

「その上、決断が遅かった。だからいつもお前だけを傷つけてしまっていたんだ」
「そ、そんな事」
「だが、もう間違えない。二度と、遅れも取らない」
 ないですよ。と、続くはずの薫の優しい擁護に、力強い宣誓が重なった。

 雅清は薫の手をサッと取ると、ギュッと強く握りしめ、真剣な眼差しで薫の顔をしっかりと見つめる。
 その熱い手と眼差しに、きゅううんと身体の中枢まで響き渡る様なトキメキが薫の身体を巡った。

「く、枢木教官」
 トキメキがわなわなと震えるまま、彼の名を小さく呟く。

 薫の口から吐き出された呼び名に強く応える様に、雅清は更にギュッと手を握りしめて言った。

「この先は、何が何でもこの手からお前を離さないし、何があっても絶対にお前を守り抜くと誓おう。だからお前も、ここに居てくれ。俺の隣に居続けてくれ」
 彼の心が熱くこもった宣誓に、薫の目からじわりじわりと喜びが溢れ始める。

 ……枢木教官が、こんな私を離さないでくれる?
 花影と言う悍ましい化け物だし、面倒くさい性格だし、強情っ張りだし、ちっともお淑やかじゃないし、まっすぐって言う所しか良い所がない女なのに。

 本当に、こんな私を選んでくれるなんて。こんな誓いをたててくれるなんて。

 その涙に、雅清は柔らかく相好を崩して「薫」と、優しく彼女の名を呼んだ。
「返事は?」
「勿論、ハイですっ!」
 今までにない位の幸せが纏われた返事が、溌剌と弾け飛ぶ。そしてありったけの想いを返す様に、雅清の手を強く強く握り返した。

 薫からの返答に、雅清は喜色を浮かべる。
 その優しい笑顔に、薫の笑顔も益々広がった。

 あぁ、本当に幸せ。枢木教官がこんな笑顔を返してくれるなんて……本当に、幸せ。

「それにしても、柚木」
「はぁい?」
「何故、あの時一人で勝手に持ち場を抜け出したんだ?」
 突然、幸せの絶頂に佇んでいた薫の足場が小さくカラリと崩れる。

 ギクギクッと身体が強張り、「えっ、えっと……」と目が右へ左へとバシャバシャと泳いだ。

 ……い、言えないわ。勝手に持ち場を抜け出しただけでも叱責ものなのに、その理由が躍っていた二人を見て嫉妬したからなんて。言えないわ、口が裂けても言えないわよ。

「そ、それはですね……あのぉ」
 薫は上手い言い訳を必死にひねり出すが。その前に「何故だ、言え」と、有無を言わさぬ声で重ねられてしまった。

 その為に、薫は直ぐさま「教官が東雲嬢と躍っていたからですっ!」と、明かす事に憚りを持っていた事実を吐き出す。

 い、言っちゃった。で、でも言わなきゃ、逆に怒られると思うから。仕方なかったわ、うん、仕方なかったのよ……。
 押し寄せる罪悪感と後悔に、薫は「仕方ない事よ」と白状してしまった自分を宥める。

「俺が東雲嬢と躍っていたから?」
 雅清はしゅんと肩を落とした薫に向かって、確認する様に繰り返した。

 その繰り返しに、薫は「そうです」と弱々しく頷く。
「ファーストダンスって言うのは婚約が決定している二人が行うみたいな事を聞いた事があったので『嗚呼、本当に二人は結婚するんだ』って、悲しくなっちゃって。それに何よりお似合いでしたから」

「そんな事で、持ち場を離れたのか?」
「そんな事って、恋する乙女にとっては結構傷つくものなんですよっ!」
 解せないと言わんばかりに眉根を寄せて腕を組む雅清に、薫は唇を尖らせて反論を噛ました。すると

「そうだったのか。なら、俺が悪かったのだな。本当にすまなかった」
 と、思いも寄らぬ謝罪がしっかりと紡がれる。

 枢木教官が「それでも一人で抜け出すなっ!」って怒るんじゃなくて、「悪かった」って謝るなんて何事……?

 薫は「えぇ?」と呆気に取られてしまうが。雅清はそんな薫に気がつかず、「でも、一つ言わせてくれ」と、弱々しい口調で言葉を続けていた。
「仕事があるからと断ったんだが。東雲嬢に恥をかかせる訳にもいかなかったし、怜人にも「今は躍るしかない」と窘められて仕方なくの事だったんだ」
「そ、そうだったんですか」
 呆気に取られたままではあったが。薫は紡がれた弁明をまっすぐ受け取り「それなのに、私ってば……申し訳ありませんでした」と、謝罪を述べた。

 雅清は「いや、お前が謝る事はない」と、優しく口元を綻ばせ、握りしめている薫の手をキュッと優しく握り直す。

「それに俺は、もうこの手しか取らないから。安心してくれ」
「く、枢木教官」
「そこは名で呼ぶ所だぞ、薫。今の俺は教官じゃないからな」
 瞬く間に、呆然としていた心がきゅううんと深まるトキメキに塗り変わった。

 その加速ぶりについていけず、薫はボンッと上気し、パクパクッと何度も口を開閉させる。

「む、むむ、無理です。こんな急に、そんな笑顔で促されても」
 やっとの想いで、パクパクと繰り返す口から、あまりにも素っ頓狂な声がか細く震えながら発せられた……が。

「お前、始めの頃は平気で名前呼びしてただろ。あと、偶に呼んでいなかったか? 雅清さんって」
「今は教官・隊長歴が長すぎて無理ですし、その時は危機的状況で咄嗟に出たやつですからっ!」
 それに、こう、羞恥心が襲ってくるのでっ! と、薫は呆れ混じりに打ち返す雅清に全身をわたわたとさせながら噛みついた。

 するとまたも、雅清の口から「お前なぁ」と呆れたため息が吐き出される。
「結婚したら必然と名前呼びになるんだから、そんな恥ずかしがる事じゃないだろ」
「けっ、結婚? !」
 薫は目をカッと大きく見開き、大絶叫をあげた。そればかりか、信じられないと言わんばかりの顔で雅清を見つめ「結婚なんて、誰と誰が」と、口早に突っ込む様に訊ねる。

 雅清は急な大興奮を見せる薫にやや面食らいながらも「するだろ? 俺とお前が」と、優しく答えた。

 その答えに、薫の興奮が格上げされ「わっ、私と! ? ほっ、本当ですかっ!」と、土御門邸を大きく揺るがす程の声が弾け飛ぶ。

 雅清はその声に苦笑を浮かべながら「あぁ、駄目だったか?」と、問いかけた。

 その問いに、直ぐさま「駄目な訳ないじゃないですかっ!」と、猛々しい突っ込みが噛みつく。
「断る理由なんて何一つない位に、幸せな提案なんですからっ!」
 薫は大興奮をそのままぶつける様に訴えた。

 雅清はその大興奮に「そうか、なら良かった」と、フッと笑みを零してから「でも、今すぐと言う訳じゃないからな」と、釘を刺す。

「お前が中尉になったら位の話だ」
 幸せから一転。薫は淡々と告げられた事実に愕然とし、「中尉なんて、今の私じゃ総帥になる位の壁があるんですけれど」と、大きく肩を落とした。

 だが、雅清は「頑張れ」と端的に打ち返し、彼女の嘆きを一蹴する。

 ……この鬼教官め。鬼畜過ぎるわよ。頑張れの一言だけであとは取り合わないって、どういう事よ!
 中尉なんて遠すぎる。と、紡いでいた悲嘆が、ガラリと禍々しい恨み言に変わった。

 悲嘆の時よりもつらつらと速い速度で、内心に恨みが募っていく……が。

「勿論、お前が頑張っている間に俺も頑張る。だから共に頑張っていこう」
 優しい声音が紡ぐ力強い宣言と、ポンッと優しく頭を撫でる手に、薫の恨みは直ぐさまピタッと止まった。

「枢木教官が頑張る? 教官は、もう何も頑張る事なんてないじゃないですか。地位も名声もあるし、充分強いし」
「そんな事はない。俺はまだまだ弱い、それを此度の一件で痛感した」
 雅清は薫の言葉を力強く否定し、グッと苦々しい面持ちで吐露する。

「今回は葛の葉や竜胆、お前に付く式神達が居たおかげでお前を救えた。だからその力がなくとも、影王を止められる力をつけておきたい。最低でも、囲う闇からお前を引き上げられる力は持っておきたい」
 そうでないと、花影の夫としてお前の横に立てないからな。と、微苦笑を浮かべて告げた。

 その宣誓に、薫の胸にぎゅううっと熱い想いが駆け広がっていく。

 花影を罵るでも、気持ち悪いとも受け取らなくて。影王がついて居ても、いつだって彼は私を私として見てくれて、こんな私を優しく受け止めて、護ってくれる。

 ……嗚呼、もう本当に好き。大好き、大好き、大好きっ!

 こんなにも想ってくれる愛しい人の想いに、何一つとして応えない訳にはいかないわっ!

 薫はキュッと唇を結び直してから、「雅清さん!」と声を張り上げた。

「私、頑張ります! 絶対に、絶対に中尉になってみせますっ!」
 朗らかに、そして高らかに告げられた宣言に、雅清は顔を柔らかく綻ばせる。

 そしてつつつと流れる様に頭に置いていた手を首元に下げ、ぐいっと薫の顔を自身の方へ引き寄せた。

「その時が来たら、結婚しよう」
 眼前で甘く囁かれる、プロポーズ。
「ハイ」
 喜びと嬉しさでいっぱいに緩んだ口で答えるや否や、薫の唇は甘く塞がれる。

 惚けて、蕩けて、二人の世界は幸せに溶け合ったのだった。
翌々日、薫は軍に復帰するや否や、枢木隊の面々の前でバッと敬礼を作った。
「本日から柚木薫、復帰致します! 長らく隊に穴を空けてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
 先輩方にご迷惑をおかけした分、しっかりと働きます! と、高らかに宣誓する。

 すると「そんな事より」と、中央に居た隆久が腕を組んで淡々と突っ込んだ。

「俺達に何か報告する事があるんじゃないのか?」
 隆久が言うや否や、すぐに周りが「そうだ、そうだ」と追随する。

 薫はやいのやいのと飛んで来る野次を「ううんっ」とわざとらしい咳払いで払ってから、「私の恋を応援して下さった先輩方に、大切なご報告が……」と、勿体を付けた前置きを紡いだ。

 そして
「長年の想いが通じ、枢木教官と婚約する運びとなりましたっ!」
 いよっ! とばかりに、高らかに報告する。

 これはもう、おめでとうの嵐なんじゃないの! ? だって、あんなに無理だって思っていた婚約者の位置に、私が座れる事になったんだもの! 先輩達だってきっと驚くし、おめでとうしか言えなくなるわよねっ!

 ふふんっと鼻を尊大に鳴らし、周囲の反応に大きな期待を抱いて待つ……が。

「なんだ、婚約かよ」「そんな勿体ぶるなよな」「結婚かと思っていたのによぉ」

 薫の抱いていた予想に大きく反して、枢木隊の面々からあがったのは大きな失望と「なんだよ」と言う呆れであった。

 薫はこんなにも信じられない出来事にひどく冷めた対応をする面々に、「ちょっと!」と声を張り上げる。

「分かってますか、先輩達! 私、あの枢木雅清中佐と婚約したんですよ!」
「ああ、うん」「はいはい」「おめでと、おめでと」
 パチパチとまばらに送られる拍手と冷め過ぎた祝いの言葉。

 薫は「ちょっと、何ですかそれは!」と、堪らずに突っ込んだ。

 すると「だって、なぁ?」と、史彦が冷めた面々を代表して言葉を紡ぐ。

「婚約ってようは、お付き合いの段階だろ? だから、まだそこかって。期待していたこっちとしてはかなりがっくり来ちゃった訳よ」
 あの人のあんな顔見ているから殊更。と、苦々しく告げると、周りの面々も直ぐさまうんうんと力強く頷いた。

 何とも自分勝手な釈明に、「そんなの勝手過ぎますよ!」と怒声を張り上げる。

「せめておめでとうは、ちゃんと言うべきでしょ! それか「あの柚木が婚約かぁ」とか、しみじみ思うとか、残念がるとかしてくださいよ!」
「残念がる人は誰も居ないと思うぞ」
 薫の怒声に、囲いの後ろに居た篤弘が淡々と鋭く突っ込んだ。

 刹那、「分かる」「柚木を取られたって思う奴は、うちの隊にいないだろ」「うちの隊って言うか、聖陽軍ではだよな」「逆に知りたいよな、ここでお前を取られて残念がる奴が居るの」と、滾々と冷たい突っ込みが重なった。

 薫は次々とあがる失礼な発言に、「何でですかっ!」と憤然とする。

「居るかもしれないでしょ!」
 犬歯がキラリと見える程に大きく口を開いて突っ込むと、「絶対に居ない」と、隆久から力強い否定が飛ばされた。

「万が一、居たとしてもすぐにあの人の恐ろしい牽制に負ける」
「恐ろしい牽制?」
 薫は怪訝に眉根を寄せ、力強く紡がれた言葉に「枢木教官が?」と首を傾げる。

 隆久は、そんな薫に「お前は分からなくて良い事だよ」と、苦々しく返答した。

 隆久の苦々しい言葉に、薫は益々怪訝になってしまったが。「分かる」と、その周りからは同意が次々と飛ぶ。

「あの人、結構ガルガルしてるよな」「一時期柚木にちょっかいだしていた他隊の奴だって、コテンパンにやられてたもんな」「今時そんな奴が居たら、ただの死にたがりにしか思えねぇよ」
 やいのやいのと飛ばされる言葉に、薫は「そうなんですか?」と少し喜色を浮かべて訊ねた。

 その問いに、史彦が「ああ」と力強く頷いて答える。

「柚木は俺の女感強いからなぁ、誰も手ぇ出す気にはなれねぇよ」
 きっぱりと告げられた真実に、薫は「へ~」と頷きかけた……が。その口は「あ」と言う一言で大きく固まる。

 何故なら……

「実際、柚木は俺の女だからな」
 史彦の背後からかかる、淡々とした宣言。そしてぶはっと弾ける、楽しそうな笑い声。

 背後からの二つの声に、史彦は「ひいっ!」と飛び跳ねて距離を取り、慌てて振り返った。

「くっ、枢木隊長! 柊副隊長!」
 戦々恐々と彼等の名を張り叫ぶと。雅清は史彦及びしれっと囲いを解いて整列している自隊の面々を冷たく見据え、怜人は「格好良い、もう一回言ってよ。雅」と雅清を大いに煽っていた。(これには、「黙れ」と直ぐさま一喝されていたが。彼は悪びれる事なく、「残念だなぁ」と大仰に肩を竦めていた)
 勿論、薫も彼等に混じって整列し、柚木薫二等兵としての心に入れ替える。

「柚木の復帰で大いに盛り上がり、皆で和気藹々と結構な事だ……が。俺は俺が来る前に整列していろと言ったはずだ」
 それはつまり、黙って整列していろと言う事だ。と、雅清は物々しい眼差しで総員を睨めつけた。

「総員、グラウンド百周行って来い」
 淡々と告げられた命に、直ぐさま「えぇ」と悲鳴があがりかけるが。そんな悲鳴を一蹴するが如く、雅清はピイッと鋭く笛を鳴らした。

「ダラダラと鈍間な奴は、もう百周追加させるぞ!」
 背を蹴り飛ばす笛の音に加えて、バシンッと容赦ない鞭を入れられ、薫達はバタバタッと転がり込む様にグラウンドへと駆け出す。

 死ぬ、死ぬわっ! 復帰早々にグラウンド百周って、とんでもなさ過ぎるわよ!
 
 ひいひいと悲鳴を小さく零しながら、薫は一生懸命告げられた百周に取りかかっていた。
 だが、五日も眠りについていた身体は、急激な過酷にそうも易々と順応出来ない。
 息はハッハッと直ぐさま短く切れ、足は瞬く間に鉛の様に重くなった。

 く、苦しい……。まだ十周もしてないのに。私、これ百周も出来るかしら?
 いやいや、そんな事を考えちゃ駄目。走れるわよ、私なら!
 
 薫はハァハァと苦しい中、必死に自分を鼓舞して走り続けた。

 そして何とか残り五周と、ゴールが目前に迫ってきた時だった。

「柚木っ!」
 張り叫ばれる怒声に、薫はギクリと身を強張らせ、声が飛んで来た方をチラリと窺う。

 見ればそこには、仁王像の如く憤然としている雅清の姿があった。

「ちんたらと走るな、もう五周追加っ!」
 ちょっと嘘でしょ? ! あと少しで終わりだったのに、ここに来て五周も追加されるの? !
 薫は張り叫ばれた怒声に愕然とし、もう少しで休めると緩んでいた手足達も「そんな、無理だ!」と悲痛な悲鳴をあげた。

 もう無理って? 私も無理よ、絶対に走れない!
 ギャアギャアと悲鳴をあげる身体に力強く言い返すが。すぐに「そんなの考えちゃ駄目よ!」と、理性の薫が一喝する。

「あの人に無理って言うのが伝わっちゃいけないわっ!」
 頑張るわよ! と、奥歯を噛みしめ、薫は「ハイッ!」と力強く応えた。

 あの人の隣に居る為にも頑張らなくちゃ! 残り十周、上等よ!

 うおおおっと力強く叱咤し続け、足を必死に前へ前へと動かし始めた。

 その時だった。
「柚木、遅いぞ! また追加されたいのか!」
 猛る薫の耳に、とんでもない叱責が貫く。

 こっちは必死に走っている最中だって言うのに、貴方に相応しい様な強い女になる為に必死に自分を鼓舞して走っているって言うのに……!

 遅いぞですって! ?

 信じられない、あの鬼! よくもそんな事を言えるわね!

 薫の足が俄然やる気、いや、殺る気に満ちて走り出した。

 もう、本当に大嫌いっ! 
 あの鬼教官、本当に大っ嫌い!
                                    了

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:0

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

時を結ぶ縁~鬼頭の不器用な囚愛~

総文字数/104,609

あやかし・和風ファンタジー22ページ

本棚に入れる
表紙を見る
錫色の世界には黒色が滲んでいる

総文字数/119,095

現代ファンタジー10ページ

本棚に入れる
表紙を見る
憐姫と麒麟~笛の音で結ばれる運命~

総文字数/104,351

あやかし・和風ファンタジー107ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア