翌々日、薫は軍に復帰するや否や、枢木隊の面々の前でバッと敬礼を作った。
「本日から柚木薫、復帰致します! 長らく隊に穴を空けてしまい、本当に申し訳ありませんでした!」
 先輩方にご迷惑をおかけした分、しっかりと働きます! と、高らかに宣誓する。

 すると「そんな事より」と、中央に居た隆久が腕を組んで淡々と突っ込んだ。

「俺達に何か報告する事があるんじゃないのか?」
 隆久が言うや否や、すぐに周りが「そうだ、そうだ」と追随する。

 薫はやいのやいのと飛んで来る野次を「ううんっ」とわざとらしい咳払いで払ってから、「私の恋を応援して下さった先輩方に、大切なご報告が……」と、勿体を付けた前置きを紡いだ。

 そして
「長年の想いが通じ、枢木教官と婚約する運びとなりましたっ!」
 いよっ! とばかりに、高らかに報告する。

 これはもう、おめでとうの嵐なんじゃないの! ? だって、あんなに無理だって思っていた婚約者の位置に、私が座れる事になったんだもの! 先輩達だってきっと驚くし、おめでとうしか言えなくなるわよねっ!

 ふふんっと鼻を尊大に鳴らし、周囲の反応に大きな期待を抱いて待つ……が。

「なんだ、婚約かよ」「そんな勿体ぶるなよな」「結婚かと思っていたのによぉ」

 薫の抱いていた予想に大きく反して、枢木隊の面々からあがったのは大きな失望と「なんだよ」と言う呆れであった。

 薫はこんなにも信じられない出来事にひどく冷めた対応をする面々に、「ちょっと!」と声を張り上げる。

「分かってますか、先輩達! 私、あの枢木雅清中佐と婚約したんですよ!」
「ああ、うん」「はいはい」「おめでと、おめでと」
 パチパチとまばらに送られる拍手と冷め過ぎた祝いの言葉。

 薫は「ちょっと、何ですかそれは!」と、堪らずに突っ込んだ。

 すると「だって、なぁ?」と、史彦が冷めた面々を代表して言葉を紡ぐ。

「婚約ってようは、お付き合いの段階だろ? だから、まだそこかって。期待していたこっちとしてはかなりがっくり来ちゃった訳よ」
 あの人のあんな顔見ているから殊更。と、苦々しく告げると、周りの面々も直ぐさまうんうんと力強く頷いた。

 何とも自分勝手な釈明に、「そんなの勝手過ぎますよ!」と怒声を張り上げる。

「せめておめでとうは、ちゃんと言うべきでしょ! それか「あの柚木が婚約かぁ」とか、しみじみ思うとか、残念がるとかしてくださいよ!」
「残念がる人は誰も居ないと思うぞ」
 薫の怒声に、囲いの後ろに居た篤弘が淡々と鋭く突っ込んだ。

 刹那、「分かる」「柚木を取られたって思う奴は、うちの隊にいないだろ」「うちの隊って言うか、聖陽軍ではだよな」「逆に知りたいよな、ここでお前を取られて残念がる奴が居るの」と、滾々と冷たい突っ込みが重なった。

 薫は次々とあがる失礼な発言に、「何でですかっ!」と憤然とする。

「居るかもしれないでしょ!」
 犬歯がキラリと見える程に大きく口を開いて突っ込むと、「絶対に居ない」と、隆久から力強い否定が飛ばされた。

「万が一、居たとしてもすぐにあの人の恐ろしい牽制に負ける」
「恐ろしい牽制?」
 薫は怪訝に眉根を寄せ、力強く紡がれた言葉に「枢木教官が?」と首を傾げる。

 隆久は、そんな薫に「お前は分からなくて良い事だよ」と、苦々しく返答した。

 隆久の苦々しい言葉に、薫は益々怪訝になってしまったが。「分かる」と、その周りからは同意が次々と飛ぶ。

「あの人、結構ガルガルしてるよな」「一時期柚木にちょっかいだしていた他隊の奴だって、コテンパンにやられてたもんな」「今時そんな奴が居たら、ただの死にたがりにしか思えねぇよ」
 やいのやいのと飛ばされる言葉に、薫は「そうなんですか?」と少し喜色を浮かべて訊ねた。

 その問いに、史彦が「ああ」と力強く頷いて答える。

「柚木は俺の女感強いからなぁ、誰も手ぇ出す気にはなれねぇよ」
 きっぱりと告げられた真実に、薫は「へ~」と頷きかけた……が。その口は「あ」と言う一言で大きく固まる。

 何故なら……

「実際、柚木は俺の女だからな」
 史彦の背後からかかる、淡々とした宣言。そしてぶはっと弾ける、楽しそうな笑い声。

 背後からの二つの声に、史彦は「ひいっ!」と飛び跳ねて距離を取り、慌てて振り返った。

「くっ、枢木隊長! 柊副隊長!」
 戦々恐々と彼等の名を張り叫ぶと。雅清は史彦及びしれっと囲いを解いて整列している自隊の面々を冷たく見据え、怜人は「格好良い、もう一回言ってよ。雅」と雅清を大いに煽っていた。(これには、「黙れ」と直ぐさま一喝されていたが。彼は悪びれる事なく、「残念だなぁ」と大仰に肩を竦めていた)
 勿論、薫も彼等に混じって整列し、柚木薫二等兵としての心に入れ替える。

「柚木の復帰で大いに盛り上がり、皆で和気藹々と結構な事だ……が。俺は俺が来る前に整列していろと言ったはずだ」
 それはつまり、黙って整列していろと言う事だ。と、雅清は物々しい眼差しで総員を睨めつけた。

「総員、グラウンド百周行って来い」
 淡々と告げられた命に、直ぐさま「えぇ」と悲鳴があがりかけるが。そんな悲鳴を一蹴するが如く、雅清はピイッと鋭く笛を鳴らした。

「ダラダラと鈍間な奴は、もう百周追加させるぞ!」
 背を蹴り飛ばす笛の音に加えて、バシンッと容赦ない鞭を入れられ、薫達はバタバタッと転がり込む様にグラウンドへと駆け出す。

 死ぬ、死ぬわっ! 復帰早々にグラウンド百周って、とんでもなさ過ぎるわよ!
 
 ひいひいと悲鳴を小さく零しながら、薫は一生懸命告げられた百周に取りかかっていた。
 だが、五日も眠りについていた身体は、急激な過酷にそうも易々と順応出来ない。
 息はハッハッと直ぐさま短く切れ、足は瞬く間に鉛の様に重くなった。

 く、苦しい……。まだ十周もしてないのに。私、これ百周も出来るかしら?
 いやいや、そんな事を考えちゃ駄目。走れるわよ、私なら!
 
 薫はハァハァと苦しい中、必死に自分を鼓舞して走り続けた。

 そして何とか残り五周と、ゴールが目前に迫ってきた時だった。

「柚木っ!」
 張り叫ばれる怒声に、薫はギクリと身を強張らせ、声が飛んで来た方をチラリと窺う。

 見ればそこには、仁王像の如く憤然としている雅清の姿があった。

「ちんたらと走るな、もう五周追加っ!」
 ちょっと嘘でしょ? ! あと少しで終わりだったのに、ここに来て五周も追加されるの? !
 薫は張り叫ばれた怒声に愕然とし、もう少しで休めると緩んでいた手足達も「そんな、無理だ!」と悲痛な悲鳴をあげた。

 もう無理って? 私も無理よ、絶対に走れない!
 ギャアギャアと悲鳴をあげる身体に力強く言い返すが。すぐに「そんなの考えちゃ駄目よ!」と、理性の薫が一喝する。

「あの人に無理って言うのが伝わっちゃいけないわっ!」
 頑張るわよ! と、奥歯を噛みしめ、薫は「ハイッ!」と力強く応えた。

 あの人の隣に居る為にも頑張らなくちゃ! 残り十周、上等よ!

 うおおおっと力強く叱咤し続け、足を必死に前へ前へと動かし始めた。

 その時だった。
「柚木、遅いぞ! また追加されたいのか!」
 猛る薫の耳に、とんでもない叱責が貫く。

 こっちは必死に走っている最中だって言うのに、貴方に相応しい様な強い女になる為に必死に自分を鼓舞して走っているって言うのに……!

 遅いぞですって! ?

 信じられない、あの鬼! よくもそんな事を言えるわね!

 薫の足が俄然やる気、いや、殺る気に満ちて走り出した。

 もう、本当に大嫌いっ! 
 あの鬼教官、本当に大っ嫌い!
                                    了