「大丈夫ですよ、皆さん。落ち着いて、もうすぐ片が付くはずですから」
 薫はざわざわと不安を零し、不満を募らせ続ける町人を宥め回る。

「頼む! 俺の家がどうなっちまったか、見に戻らせてくれ!」
「駄目ですよ! 家よりも命を大切にしなくちゃ、命があればどんな問題だって必ず何とかなります!」
 ねっ! と、立ち上がった男性を宥めた、その時だった。

 薫の足裏から「ぼこぼこっ」と、地面の胎動が伝う。

 ……地震、かしら?
 薫は不気味に揺れ立つ地面に眉根を寄せたが、すぐにこの揺れが地震ではないと分かった。

 ぞわぞわと近寄ってくる百足の霊気を肌で感じ、ガタガタと這い進む嫌な音が耳に突き刺さる。

 まさか、こっちに向かってきているの? !

「薫! 出るぞ!」
 共に警護に回っていた篤弘が刀を引き抜き、声を張り上げた。

 薫は「うんっ!」と頷き、シャッと刀を引き抜き「皆さん、絶対に動かないでくださいね!」と釘をしっかりと刺してから、篤弘と共に駆け出す。

 高い警戒を纏い、避難所から少し離れた場所で彼等は待ち構えた。

 薫はギュッと柄を握りしめ、ゴッゴッと徐々に強まる胎動にゴクリと息を飲む。

 その次の瞬間だった。ボコボコッと眼前の地面が突如隆起し、「ウギャギャッ!」とオオムカデの物の怪が姿を現す。

「薫! 俺が奴を斬るから援護を頼む!」
「分かったわ!」
 篤弘の声に答えるや否や、薫はふうっと小さく息を吐き出し、自身の霊力を刀の方へ流し込み始めた。

「雷電付呪! 豺牙!」
 バチバチッと紫電が纏った刀身をぶんっと振り下ろすと同時に、ダダダッと地を駆ける豺《やまいぬ》が形成され、「ガオオッ!」と轟く吠え声と共にバッと襲いかかる。

 豺は一歩も足を緩める事なく突進し、オオムカデの身体に飛び込んだ。
 刹那、オオムカデの腹部からバチバチッと鋭い紫電が貫く。

「ギャッギャッ!」とオオムカデの醜い悲鳴があがり、黒光りした身体にバチバチッと紫電が幾筋も迸った。

「篤弘!」
「わーってる!」
 篤弘はダンダンッと力強く屋根の上を駆け、バッと虚空へと身を投げ出す。

「水雪付呪《すいせつふじゅ》!」
 猛々しい叫びに呼応して、鈍色の刀身が一気に青緑色へと色を変え、ヒュオオッ! と鋭い冷気を纏い始めた。

「氷鋭斬《ひえいざん》!」
 重力と共に振り落とされる一撃は、オオムカデの頭上を直撃し、斬り込んでいく。

 斬り込まれた刀傷から、ビキビキッと氷つき、オオムカデの身体が両断されながら固まっていった。「ウギャギャ」と醜い呻きも消え入り、オオムカデの生がピシシッと緩やかに止まっていく。

 薫はその姿に「やった!」と歓声をあげ、刀を鞘に収めて「篤弘~!」と駆け出した。

 そしてトンッと軽やかに着地した篤弘に向かって、「やるじゃない!」と飛びかかる。
 篤弘は「うおっ、危ねぇよ!」と抱きついてきた薫に慌てて刀を避けて、受け止めた。

 だが、そんな気遣いもつゆ知らず、薫はバシバシッと背中を力いっぱい叩き「私の援護のおかげだけど! 凄いじゃない!」と、称賛を送る。

 篤弘は「いってぇよ!」と、渋面で非難し、薫の腕をバッと振り払った。
 そしてキンッと刀を鞘に収めてから、薫の前でフンッと大きく鼻を鳴らす。

「枢木雅清中佐直々に鍛えてもらってんだから、こんなの出来て当たり前だっての」
 けどあの人なら、もっと軽やかに倒せていただろうからなぁ。俺はまだまだだ。と、くうっと拳を作って悔しがりだした篤弘に、薫の顔がぎこちなく引きつり始める。

 枢木教官大好きっ子だから、本当にどんな時でもあの人を引き合いに出してくるわね。おかげで、私のおかげって言い張った私が図太くて恩着せがましい奴になっちゃったじゃないの。

 薫は求めていた突っ込みが飛んでこない事に、はぁと肩を落としてから「はいはい」と前から語られる憧れを流した。

 そして「もう戻るわよ」と、くるっと背を向けて歩き出す。篤弘も「待てよ、まだ俺の話が途中」と、その背を慌てて追う。

 その時だ、バッバッとオオムカデが現れた穴から百足の物の怪が飛び出した。

「? !」
 二人が反応し、バッと後ろを向いた時には、全ての百足が薫の眼前に迫っていた。

 慌てて腰に差さった刀に手が伸びるが、もはや迎撃は間に合わない。

 マズい! 
 薫の顔が切羽詰まった焦りと自らの失態に対する後悔で、ぐにゃりと歪み……腹部が、ズキズキッと熱を持ってうずき出す。

『カオル』

 意地悪くニタリと綻ばされる口が、自身の名を蠱惑的に囁いた。

 すると同時に、襲いかかる百足達の身体に異変が走る。
 ビリビリッと赤い雷に纏われる者、旋風に突き上げられながら微塵にされる者。そしてゴウッと橙の火柱に囚われ、じゅうじゅうと身を焼かれる者。

「これって……!」
 眼前で突然のたうつそれぞれに、薫は目をカッと見開いた。

 すると物の怪の背後から「柚木っ!」と、雅清の声が飛ぶ。

 薫はその声にハッとし、導かれる様にしてそちらを向いた。

「「枢木隊長! 柊副隊長!」」
 ダダダッとこちらに向かって駆け走る上官達の姿に、薫と篤弘は歓声をあげる。

「柚木! 高藤も、大事ないか? !」
 二人の前に立つや否や、雅清は鋭い声音で訊ねた。

 二人はその声音に、小さくビクッとしてしまったが。すぐに「大丈夫です」と、しっかりと答えた。

「そうか、なら良かった……が。すぐに刀を抜けない事態に陥るとは何事だ! 最後まで気を抜くなといつも言っているだろう! だから反応に遅れるんだ!」
 全てが安全と確認出来るまで二度と気を緩めるな! と、零された安堵が瞬く間に厳しい叱責に移り変わる。

 二人は目の前から浴びせられる怒声に身をヒュンッと縮め「は、ハイッ! 申し訳ありませんでした!」と、バッと揃って頭を下げた。

「まぁまぁ、叱りつけるのもそこまでにしておこうよ」
 怜人が朗らかに仲裁に入り「二人は俺達の尻拭いをしてくれたんだしさ」と、二人の擁護に回る。

「よくオオムカデの物の怪を討伐出来たね。一人の力じゃなかったとしても、何も恥じる事はないよ。二人で協力してあの物の怪を倒した事は、とても立派な事だ」
 よく頑張ったね、二人とも。と、怜人は薫と篤弘に向かって仏の様に優しく、柔らかな微笑を零した。

 その柔らかな微笑と温かな称賛に、「ひ、柊副隊長~」と、薫と篤弘の口から情けない声が発せられ、じわじわっと目から嬉しさが込み上げる。

「ったく、お前等は……」
 雅清がはぁと苦々しくため息を吐き出すと、「お~い」とほのぼのとした声が飛んだ。

「柚木ちゃんは無事~?」
 のらりくらりとした足取りで、雅清の横に並ぶ男。宮地隊隊長・宮地澄春《みやじすみはる》だ。ほのぼのとした雰囲気を常に放ち、一瞥だけでどんな毒気でも抜いてしまう様な相貌。
 しかしながらそんなふにゃふにゃとした容貌とは打って変わって、彼の実力は凄まじく恐ろしい。彼の刃に捉えられた者は須く粉微塵にされ、澄春の戦場では必ず血の雨が降ると言わしめる程だ。

 そっか、風の攻撃があったのはこの人がいたからだったのね!
 薫は現れた澄春に「宮地隊長! 助けていただき、ありがとうございました!」とバッと敬礼を作った。

 澄春は「良いの良いの~」とニコニコと手を朗らかに左右に振る。
「逃がしたこっちがごめんねぇって感じだしねぇ。それにしても不思議だねぇ。どうして柚木ちゃんだけ狙われたんだろうねぇ?」

 薫は彼の口から安穏と紡がれた疑問に、小さく身を強張らせてしまった。

「そ、それは、多分……」
「高い霊力を持つ女だったからだろ」
 薫のおずおずとした言葉をバッサリと遮り、雅清が淡々と答える。

 その答えに、澄春は「あ~、そっか~」と朗らかに納得した。

「雅清君のせいで、ついつい忘れちゃうけど。柚木ちゃんも女の子だったねぇ」
「……んん、宮地隊長? それはどういう意味でしょうか?」
 ほのぼのとした言葉に、薫は鋭く突っ込むが。悪気も毒気も一切無い澄春は「そのままの意味だよ~」と、にこやかに打ち返した。

「可愛い女の子だったよねって事さぁ~」

 か、かか、可愛い女の子! ?

 突然告げられた「可愛い」に、薫は思いきり面食らい、ボフッと沸騰してしまった。

 すると怜人が「もうそれ以上は辞めてね、澄」と、軽やかに突っ込む。

「これ以上君が何か言ったら、うちの隊長と隊員の関係が大変になっちゃうからさ」
「え~、それってどういう事ぉ?」「何を言ってんだ、お前は!」
 怜人の朗らかな言葉に、興味津々の疑問と猛々しい怒声が同時に弾けたが。怜人はどちらも気にする事なく「さっ、篤弘。柚木さん」と、事を呆然と静観していた部下を促した。

「俺達は避難した人達の解放に行こうか」
「怜人、何を勝手に……! おい、俺を無視して行こうとするなっ!」