超有名VTuberマッドコリアンダー潤あるいは知る人ぞ知る玄人好みの地下アイドル松平潤ノス剣として活躍する潤ノ剣(仮名)は一見したところ普通の男子高校生である。しかし彼には、他の人の内部に深く眠っていた同性愛の資質を目覚めさせる才能があった。その素質を知らずに備えた者が彼を見ると、彼を愛してしまうようになるのだ。
そんな彼らを見て読者は思う。
「この2人をずっと見守っていたい♡」
そして、潤ノ剣を愛した男は願う。
読者に、そう思わせるようなカップルになりたいと!
だが、言うまでもないが、それに至る道は長く険しい。そんな幸せなマッチングに誰もがなれるわけではないのだ!
優しく見守られるには過酷な条件が課せられているのである。
それらを以下に列挙する。
・主要登場人物の年齢は男子高校生に設定してください
・この2人をずっと見守っていたい♡と思えるハッピーな世界観を描いてください
・読んでいてキュンとなる男子たちの会話をたくさん盛り込んでください
・人を好きになる瞬間や、感情の変化を大切に描いてください
これらの厳しい条件を満たさないキャラクターは除外の対象となる。従って最高の恋愛を成立させるためには適正審査が重要となると言っていい。二人の相性そして愛情、この二つが符合していない限り、地獄の閻魔大王より厳しく鬼より情け容赦のないBL読者から見守られる関係になりはしないのだ。
そんな関係になりたいと願い男は数多い。しかし、愛し合う相手は一人だけ。そう、全員が恋のライバルなのだ。
潤ノ剣と愛し合える男性を選ばねばならない。そのコンテストを、これから開催する。
コンペティションに参加を表明した男性陣をお披露目する前に、審査員の方々をご紹介しよう。
まずは審査委員長ケイワイ氏、男同士のラブだったら何でもカモ~ン! なBL超玄人。
続いて朝昼晩の食前食後と寝る前の癒やしにBLを嗜むBL大好きなジョニー・ジェーン・ドゥ氏。
そして最近になってやっとBLの魅力に気付き、もはや離れられなくなりつつあるBL初心者”最初で最後の恋”氏の三名である。
審査は、これら全員の合議で行われる。
ちなみに私は司会進行役だ。よろしく!
お待たせしてしまった。それではエントリーナンバー1番の方から、どうぞ!
【元アマチュアボクサー、黒壁純也(仮名)】
白銀に覆われた山嶺を赤く輝かせる落日が眩しい。視線を落とす。眩い黄金色から濃藍まで色彩を複雑に変えてゆく川面を恋人たちが堤防に座って見つめている。その横を通り過ぎた。川の淵を離れる。自転車に乗った制服姿の女子とすれ違う。彼女は、向こうからやって来たジャージ姿の若者の顔を見て、頬を赤く染めた。その青年は、あまりにも美形すぎたのだ。しかし走っている方は、それに気付かない。沈む夕日に背を向けて走る。十キロがノルマだ。まだ走らないといけない。満月の冴える夜が始まる直前の、かすかな青みをまとった空の香りが青年から流れ出た汗の匂いと混じる。爽やかな柑橘系の芳香とは一味違うが、嗅ぐ者によっては恍惚を感じるのかもしれない。潤ノ剣は、体臭までもが最高にセクシーな男子高校生だった。
やがて潤ノ剣は潰れた町工場の前で足を止めた。この中にトレーニング場があるのだ。錆びたシャッターの前に立っていたトレーナーの男が声を掛ける。
「前よりも早くなったな。この調子で行こう。パンチのスピードはあるんだ。後はスタミナさ」
トレーナーの男から手渡されたタオルで汗を拭い、潤ノ剣は言った。
「悪いけど、持久力には自信があるよ。ダンスとボクシングの体力は別だって言われるだろうけどさ」
ニッと笑ってトレーナーの男は言った。
「地下アイドルの体力を舐めているわけじゃない。俺だって地下アイドルのマネージャーやプロデューサーをしていたから、知っているよ。ただしストリートファイトは無差別級だからな。細マッチョのボクサーが力自慢の大男と戦うには、パワーが必要不可欠なんだよ」
タオルを男へ投げて潤ノ剣は尋ねた。
「次の試合の相手が決まったのかい?」
「ああ、決まった」
「聞いても知らないだろうけど、聞いておくよ。誰だい?」
男はジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、次の対戦相手の名前を読んだ。
「黒壁純也。元アマチュアボクサーで、学生チャンピオンになったこともあるんだって。ちょっとした喧嘩で逮捕されている。それでアマチュアの世界でやれなくなってしまったようだ。可哀想にな」
「プロの世界へ行けばいいのに」
「殴った相手が悪かった。大物政治家のバカ息子だったんだ。そいつはプロボクシングの興行主に顔が効いてな。プロの世界へ行ってもロクなことになりゃしないってんで、地下の非合法ボクシングへ流れてきたんだ」
「運の悪い奴だな、黒壁純也は」
そう呟きながら、シャッター横の通用口から中へ元工場のトレーニングジムへ入りかけていた潤ノ剣は振り返った。
「そいつ、高校生じゃないか?」
「ああ、そうだ」
「その名前の人間が、この前うちの高校に転校してきた」
「ん? ああ、そのようだ」
そんな偶然があるんだな、と男は言った。彼は潤ノ剣に続いて工場内に入った。リングを顎で指す。
「グローブを付けたら練習を始めよう。実戦形式だ。試合まで間が無いからな」
潤ノ剣がボクシングを始めたのは遊び半分の気持ちからだ。もう半分は遊ぶ金が欲しかったからだ。VTuberと地下アイドルの稼ぎでは不足だった。病気で働けない親と数多い弟と妹を養うためには、金があればあるだけ良い。それで、良い稼ぎ口を探していたら、元地下アイドルのスタッフから声がかかった。地下ボクシングのトレーナー兼マネージャーをやっている男だった。潤ノ剣はたぐいまれな運動神経の持ち主だった。その身体能力の高さを生かし、賭けボクシングで稼いでみないかと誘ってきたのである。その誘いに乗ると、一か月の集中トレーニングが待っていた。それを終えると試合だった。相手は平べったい顔のストリート・ファイターで、自分の戦う人間が異様なまでに美形であることに驚き、それが異常に強いことに気づくと同時にノックアウトされた。それから今まで、ずっと無敗が続いている。次第に対戦相手がいなくなってきた。それで組まれたマッチメイクの相手が黒壁純也だった。
ある日、学校で潤ノ剣は、黒壁純也に話しかけてみた。
「今度の試合の相手だろ。よろしくな」
黒壁純也は、研ぎ澄まされた刃物に似た鋭さのある男だった。彼は言った。
「対戦相手とは、戦う前に話さないようにしている」
緊張した声だった。潤ノ剣は、あえて柔らかな声で理由を尋ねた。
「知り合いになると、殴れなくなる。戦意が消えてしまうんだ」
こいつは、良い奴だな。潤ノ剣は、そう思った。きっと消極的な戦術を取るに違いないと予想を立てる。敵のパンチに合わせてカウンターを放つようだ。
しかし実際に戦ってみると、黒壁純也は攻めて攻めて攻めまくるタイプだと分かった。弱点を確実に攻めてくる狡猾なファイターで、しかもスタミナの化け物だったのだ。その圧倒的なパワーに押され、潤ノ剣は敗北を喫した。ボディーを攻められ、弱ったところを、さらに、もう一撃で失神KO。完膚なきまでにやられたのである。
試合後、控室を訪れた黒壁純也は、潤ノ剣が目覚めるまで、ベンチの傍らでずっと見守っていた。そして意識を取り戻した潤ノ剣に頭を下げた。
「許してくれ。本当は、こんなことしたくないんだ」
強いくせして、変な奴だな。潤ノ剣は、そう思った。
「すみません、ここで待ったが入りました」
司会進行役を務める私が言うと、待ったをかけた審査委員長ケイワイ氏が勝手に話し始めた。
「潤ノ剣と黒壁純也のボーイズラブなのだと思うけど、この二人、ほとんど会話していなくないかしら? これだとね、読んでいてキュンとなる男子たちの会話をたくさん盛り込んでくださいっていう条件と合っていないと思う。もっと会話を多くしないと」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏も不満を述べた。
「この2人をずっと見守っていたい♡と思えるハッピーな世界観を描いてくださいとあるわけで、この話だと全然ハッピーじゃないよ。減点」
BL初心者”最初で最後の恋”氏も文句をつける。
「人を好きになる瞬間や、感情の変化を大切に描いてくださいって書いてあるのに、そういうの何も書いてないじゃない。零点です」
審査委員の三人が否定的な意見を述べたことを踏まえ、私は言った。
「厳しい結果となってしまいましたが、気を落とさず、次を目指して下さい。本当に残念でした」
それから明るい口調に切り替える。
「さて、それでは次に参りましょう。エントリーナンバー2番です!」
【男子高校生CEO、ドストエフスキー健児(仮名)】
多くのガードマンに周囲を守られた男子高校生CEO、ドストエフスキー健児(仮名)は転校初日に潤ノ剣を見初めた。
「あいつ、いいべ」
そして彼は潤ノ剣を教室の隅に追い詰め、壁ドンした。
「俺と付き合えよ、いい思いさせてやるぜえ」
潤ノ剣は、突然の無作法に驚き、混乱した。
「え、なに、なんなの、どうすればいいの?」
そんな潤ノ剣に熱い視線を注ぐ、ドストエフスキー健児! いきなり情熱的なキスをする。そして言った。
「ふふ、面白い奴だな。面白れえ、面白れえよっ」
笑いながらポケットに手を入れる。そこから金の薄い板を取り出す。
「キスの代金だ。受け取れ」
キッと相手を睨み付け、潤ノ剣は言った。
「受け取れません」
「どうしてだ?」
「受け取る理由が無いからです」
ドストエフスキー健児は面白そうに眉を挙げた。
「遠慮するなよ、キス代だ」
そう言って潤ノ剣の手に金のインゴットを押し付けると、その場を立ち去った。
「こんなもの、欲しくないのに……」
そう呟いて瞳を潤ませる潤ノ剣だった。
「ちょっといいですか?」
BL初心者”最初で最後の恋”氏が挙手した。
「どうぞ」
「男子高校生CEOが、どうして転校してきたんです?」
ストーリーのあらましを書いたメモには転校の理由が書かれていない。だから私も分からなかった。
「そういう設定、大事だと思います」
そんなわけで次の挑戦者、エントリーナンバー3番お願いします!
【天才外科医、江ノ島フランソワ龍恋(仮名)】
頭の中から爪の先まで、いかなる手術も完ぺきにこなす若き天才外科医の江ノ島フランソワ龍恋は、たまたま出かけた水族館でイルカとパフォーマンスをするダンサーのバイトしていた男子高校生に恋をした。
その男子高校生の名は潤ノ剣。
どうしても潤ノ剣と親しくなりたかった江ノ島フランソワ龍恋は、イルカが泳ぐプールへ飛び込み、一緒にダンスした。潤ノ剣にウインクをする。
「は~い! 僕、どう思う! イルカに乗った美少年って感じしない?」
潤ノ剣は、ドン引きを通り越し恐怖に顔を歪ませて逃げ去った。
「待って、もっと話をしようよ!」
逃げた潤ノ剣を追いかけ水色のベンチに押し倒してグイグイ迫るも警備員に取り押さえられ水族館を追い出された江ノ島フランソワ龍恋は、潤ノ剣の個人情報を入手した。そして潤ノ剣が通学する高校へ転校したのだった。
「あの、すみません」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏が断ってから話し始めた。
「主要登場人物の年齢は男子高校生に設定しなければならないわけですけど、大学を出た医者が高校生の年齢というのは無理があるでしょう」
人物の設定資料集を見ながら私は答えた。
「飛び級で医学部を出たそうですが」
「それで、今は幾つなんです?」
「十七歳くらいかと」
「それは荒唐無稽な設定です。リアリティーの欠片もありません」
呆れた様子のジョニー・ジェーン・ドゥ氏に、私は言いたかった。BLにリアリティーを求めて、どうするの、と。荒唐無稽は逆にOK、絶対にありえないシチュエーションであれ、面白ければ全然平気! なのではないか? と。
だが、そんなことを言える雰囲気ではなかった。審査委員長ケイワイ氏は顔を紫色にし両手の拳を机に叩きつけて叫んだ。
「いつまで茶番を見せられるんだ! もっとまともなキャラクターはいないのか? 三人とも駄目だ、話にならない! 人選のミスだよ。ボーイズラブをやるキャラクターじゃない! 登場人物の設定を、ちゃんと考えてくれ!」
BL初心者”最初で最後の恋”氏が同調した。
「登場人物に魅力がないんですよ。主人公を含めて。VTuberやアイドルの設定ですけど、意味が分かりません。そういう特徴を生かしていないので、まったく無意味ですね。とにかく読んでいても少しもキュンとなりません。ただただ、不愉快になるだけです」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏も辛らつだった。
「投稿するだけ無駄だと思いますよ。読む人の手間と苦痛を思いやることができないのですか?」
そう思わなくもないが、五千字を越えたので出してみる。何事も“攻め”の姿勢で。それが、このコンテストで私が学んだことだから。
そんな彼らを見て読者は思う。
「この2人をずっと見守っていたい♡」
そして、潤ノ剣を愛した男は願う。
読者に、そう思わせるようなカップルになりたいと!
だが、言うまでもないが、それに至る道は長く険しい。そんな幸せなマッチングに誰もがなれるわけではないのだ!
優しく見守られるには過酷な条件が課せられているのである。
それらを以下に列挙する。
・主要登場人物の年齢は男子高校生に設定してください
・この2人をずっと見守っていたい♡と思えるハッピーな世界観を描いてください
・読んでいてキュンとなる男子たちの会話をたくさん盛り込んでください
・人を好きになる瞬間や、感情の変化を大切に描いてください
これらの厳しい条件を満たさないキャラクターは除外の対象となる。従って最高の恋愛を成立させるためには適正審査が重要となると言っていい。二人の相性そして愛情、この二つが符合していない限り、地獄の閻魔大王より厳しく鬼より情け容赦のないBL読者から見守られる関係になりはしないのだ。
そんな関係になりたいと願い男は数多い。しかし、愛し合う相手は一人だけ。そう、全員が恋のライバルなのだ。
潤ノ剣と愛し合える男性を選ばねばならない。そのコンテストを、これから開催する。
コンペティションに参加を表明した男性陣をお披露目する前に、審査員の方々をご紹介しよう。
まずは審査委員長ケイワイ氏、男同士のラブだったら何でもカモ~ン! なBL超玄人。
続いて朝昼晩の食前食後と寝る前の癒やしにBLを嗜むBL大好きなジョニー・ジェーン・ドゥ氏。
そして最近になってやっとBLの魅力に気付き、もはや離れられなくなりつつあるBL初心者”最初で最後の恋”氏の三名である。
審査は、これら全員の合議で行われる。
ちなみに私は司会進行役だ。よろしく!
お待たせしてしまった。それではエントリーナンバー1番の方から、どうぞ!
【元アマチュアボクサー、黒壁純也(仮名)】
白銀に覆われた山嶺を赤く輝かせる落日が眩しい。視線を落とす。眩い黄金色から濃藍まで色彩を複雑に変えてゆく川面を恋人たちが堤防に座って見つめている。その横を通り過ぎた。川の淵を離れる。自転車に乗った制服姿の女子とすれ違う。彼女は、向こうからやって来たジャージ姿の若者の顔を見て、頬を赤く染めた。その青年は、あまりにも美形すぎたのだ。しかし走っている方は、それに気付かない。沈む夕日に背を向けて走る。十キロがノルマだ。まだ走らないといけない。満月の冴える夜が始まる直前の、かすかな青みをまとった空の香りが青年から流れ出た汗の匂いと混じる。爽やかな柑橘系の芳香とは一味違うが、嗅ぐ者によっては恍惚を感じるのかもしれない。潤ノ剣は、体臭までもが最高にセクシーな男子高校生だった。
やがて潤ノ剣は潰れた町工場の前で足を止めた。この中にトレーニング場があるのだ。錆びたシャッターの前に立っていたトレーナーの男が声を掛ける。
「前よりも早くなったな。この調子で行こう。パンチのスピードはあるんだ。後はスタミナさ」
トレーナーの男から手渡されたタオルで汗を拭い、潤ノ剣は言った。
「悪いけど、持久力には自信があるよ。ダンスとボクシングの体力は別だって言われるだろうけどさ」
ニッと笑ってトレーナーの男は言った。
「地下アイドルの体力を舐めているわけじゃない。俺だって地下アイドルのマネージャーやプロデューサーをしていたから、知っているよ。ただしストリートファイトは無差別級だからな。細マッチョのボクサーが力自慢の大男と戦うには、パワーが必要不可欠なんだよ」
タオルを男へ投げて潤ノ剣は尋ねた。
「次の試合の相手が決まったのかい?」
「ああ、決まった」
「聞いても知らないだろうけど、聞いておくよ。誰だい?」
男はジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、次の対戦相手の名前を読んだ。
「黒壁純也。元アマチュアボクサーで、学生チャンピオンになったこともあるんだって。ちょっとした喧嘩で逮捕されている。それでアマチュアの世界でやれなくなってしまったようだ。可哀想にな」
「プロの世界へ行けばいいのに」
「殴った相手が悪かった。大物政治家のバカ息子だったんだ。そいつはプロボクシングの興行主に顔が効いてな。プロの世界へ行ってもロクなことになりゃしないってんで、地下の非合法ボクシングへ流れてきたんだ」
「運の悪い奴だな、黒壁純也は」
そう呟きながら、シャッター横の通用口から中へ元工場のトレーニングジムへ入りかけていた潤ノ剣は振り返った。
「そいつ、高校生じゃないか?」
「ああ、そうだ」
「その名前の人間が、この前うちの高校に転校してきた」
「ん? ああ、そのようだ」
そんな偶然があるんだな、と男は言った。彼は潤ノ剣に続いて工場内に入った。リングを顎で指す。
「グローブを付けたら練習を始めよう。実戦形式だ。試合まで間が無いからな」
潤ノ剣がボクシングを始めたのは遊び半分の気持ちからだ。もう半分は遊ぶ金が欲しかったからだ。VTuberと地下アイドルの稼ぎでは不足だった。病気で働けない親と数多い弟と妹を養うためには、金があればあるだけ良い。それで、良い稼ぎ口を探していたら、元地下アイドルのスタッフから声がかかった。地下ボクシングのトレーナー兼マネージャーをやっている男だった。潤ノ剣はたぐいまれな運動神経の持ち主だった。その身体能力の高さを生かし、賭けボクシングで稼いでみないかと誘ってきたのである。その誘いに乗ると、一か月の集中トレーニングが待っていた。それを終えると試合だった。相手は平べったい顔のストリート・ファイターで、自分の戦う人間が異様なまでに美形であることに驚き、それが異常に強いことに気づくと同時にノックアウトされた。それから今まで、ずっと無敗が続いている。次第に対戦相手がいなくなってきた。それで組まれたマッチメイクの相手が黒壁純也だった。
ある日、学校で潤ノ剣は、黒壁純也に話しかけてみた。
「今度の試合の相手だろ。よろしくな」
黒壁純也は、研ぎ澄まされた刃物に似た鋭さのある男だった。彼は言った。
「対戦相手とは、戦う前に話さないようにしている」
緊張した声だった。潤ノ剣は、あえて柔らかな声で理由を尋ねた。
「知り合いになると、殴れなくなる。戦意が消えてしまうんだ」
こいつは、良い奴だな。潤ノ剣は、そう思った。きっと消極的な戦術を取るに違いないと予想を立てる。敵のパンチに合わせてカウンターを放つようだ。
しかし実際に戦ってみると、黒壁純也は攻めて攻めて攻めまくるタイプだと分かった。弱点を確実に攻めてくる狡猾なファイターで、しかもスタミナの化け物だったのだ。その圧倒的なパワーに押され、潤ノ剣は敗北を喫した。ボディーを攻められ、弱ったところを、さらに、もう一撃で失神KO。完膚なきまでにやられたのである。
試合後、控室を訪れた黒壁純也は、潤ノ剣が目覚めるまで、ベンチの傍らでずっと見守っていた。そして意識を取り戻した潤ノ剣に頭を下げた。
「許してくれ。本当は、こんなことしたくないんだ」
強いくせして、変な奴だな。潤ノ剣は、そう思った。
「すみません、ここで待ったが入りました」
司会進行役を務める私が言うと、待ったをかけた審査委員長ケイワイ氏が勝手に話し始めた。
「潤ノ剣と黒壁純也のボーイズラブなのだと思うけど、この二人、ほとんど会話していなくないかしら? これだとね、読んでいてキュンとなる男子たちの会話をたくさん盛り込んでくださいっていう条件と合っていないと思う。もっと会話を多くしないと」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏も不満を述べた。
「この2人をずっと見守っていたい♡と思えるハッピーな世界観を描いてくださいとあるわけで、この話だと全然ハッピーじゃないよ。減点」
BL初心者”最初で最後の恋”氏も文句をつける。
「人を好きになる瞬間や、感情の変化を大切に描いてくださいって書いてあるのに、そういうの何も書いてないじゃない。零点です」
審査委員の三人が否定的な意見を述べたことを踏まえ、私は言った。
「厳しい結果となってしまいましたが、気を落とさず、次を目指して下さい。本当に残念でした」
それから明るい口調に切り替える。
「さて、それでは次に参りましょう。エントリーナンバー2番です!」
【男子高校生CEO、ドストエフスキー健児(仮名)】
多くのガードマンに周囲を守られた男子高校生CEO、ドストエフスキー健児(仮名)は転校初日に潤ノ剣を見初めた。
「あいつ、いいべ」
そして彼は潤ノ剣を教室の隅に追い詰め、壁ドンした。
「俺と付き合えよ、いい思いさせてやるぜえ」
潤ノ剣は、突然の無作法に驚き、混乱した。
「え、なに、なんなの、どうすればいいの?」
そんな潤ノ剣に熱い視線を注ぐ、ドストエフスキー健児! いきなり情熱的なキスをする。そして言った。
「ふふ、面白い奴だな。面白れえ、面白れえよっ」
笑いながらポケットに手を入れる。そこから金の薄い板を取り出す。
「キスの代金だ。受け取れ」
キッと相手を睨み付け、潤ノ剣は言った。
「受け取れません」
「どうしてだ?」
「受け取る理由が無いからです」
ドストエフスキー健児は面白そうに眉を挙げた。
「遠慮するなよ、キス代だ」
そう言って潤ノ剣の手に金のインゴットを押し付けると、その場を立ち去った。
「こんなもの、欲しくないのに……」
そう呟いて瞳を潤ませる潤ノ剣だった。
「ちょっといいですか?」
BL初心者”最初で最後の恋”氏が挙手した。
「どうぞ」
「男子高校生CEOが、どうして転校してきたんです?」
ストーリーのあらましを書いたメモには転校の理由が書かれていない。だから私も分からなかった。
「そういう設定、大事だと思います」
そんなわけで次の挑戦者、エントリーナンバー3番お願いします!
【天才外科医、江ノ島フランソワ龍恋(仮名)】
頭の中から爪の先まで、いかなる手術も完ぺきにこなす若き天才外科医の江ノ島フランソワ龍恋は、たまたま出かけた水族館でイルカとパフォーマンスをするダンサーのバイトしていた男子高校生に恋をした。
その男子高校生の名は潤ノ剣。
どうしても潤ノ剣と親しくなりたかった江ノ島フランソワ龍恋は、イルカが泳ぐプールへ飛び込み、一緒にダンスした。潤ノ剣にウインクをする。
「は~い! 僕、どう思う! イルカに乗った美少年って感じしない?」
潤ノ剣は、ドン引きを通り越し恐怖に顔を歪ませて逃げ去った。
「待って、もっと話をしようよ!」
逃げた潤ノ剣を追いかけ水色のベンチに押し倒してグイグイ迫るも警備員に取り押さえられ水族館を追い出された江ノ島フランソワ龍恋は、潤ノ剣の個人情報を入手した。そして潤ノ剣が通学する高校へ転校したのだった。
「あの、すみません」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏が断ってから話し始めた。
「主要登場人物の年齢は男子高校生に設定しなければならないわけですけど、大学を出た医者が高校生の年齢というのは無理があるでしょう」
人物の設定資料集を見ながら私は答えた。
「飛び級で医学部を出たそうですが」
「それで、今は幾つなんです?」
「十七歳くらいかと」
「それは荒唐無稽な設定です。リアリティーの欠片もありません」
呆れた様子のジョニー・ジェーン・ドゥ氏に、私は言いたかった。BLにリアリティーを求めて、どうするの、と。荒唐無稽は逆にOK、絶対にありえないシチュエーションであれ、面白ければ全然平気! なのではないか? と。
だが、そんなことを言える雰囲気ではなかった。審査委員長ケイワイ氏は顔を紫色にし両手の拳を机に叩きつけて叫んだ。
「いつまで茶番を見せられるんだ! もっとまともなキャラクターはいないのか? 三人とも駄目だ、話にならない! 人選のミスだよ。ボーイズラブをやるキャラクターじゃない! 登場人物の設定を、ちゃんと考えてくれ!」
BL初心者”最初で最後の恋”氏が同調した。
「登場人物に魅力がないんですよ。主人公を含めて。VTuberやアイドルの設定ですけど、意味が分かりません。そういう特徴を生かしていないので、まったく無意味ですね。とにかく読んでいても少しもキュンとなりません。ただただ、不愉快になるだけです」
ジョニー・ジェーン・ドゥ氏も辛らつだった。
「投稿するだけ無駄だと思いますよ。読む人の手間と苦痛を思いやることができないのですか?」
そう思わなくもないが、五千字を越えたので出してみる。何事も“攻め”の姿勢で。それが、このコンテストで私が学んだことだから。



