僕たちの音を奏でて。

「ただいま」
 誰もいないけど。はぁ、と今日何度目かのため息をつき、自己嫌悪モードへ突入。
「なんで今日私、あんなに暗い返事しちゃったのかなぁ。嫌われたよ、絶対」
 暗い返事といえば、中学の卒業式の返事も暗かったな。中学といえば、なんであの時、あんなこと言っちゃったのかな。絶対傷つけたよ。それと、入学式の日、友達のクラス、本人がまだ見てないのに言っちゃって。絶対悲しませたよな。
 最近の1つの失敗から、何年も前の失敗を2個、3個、4個と芋蔓式に思い出して、余計自己嫌悪に陥る。気にしすぎなのは分かってるんだけど、どうしても考えすぎてしまう。どうせ、明日には忘れてヘラヘラ笑ってるのに。
「…なんか曲聴こ」
 YouTubeを開いてイヤホンをつける。それだけだとなんだか物足りないのでとりあえず今日の数学の課題のページを開く。
「え、数学めんどくさ」
 開いた瞬間やる気は無くなったがそのままぼーっと曲を聴く。1曲終わると勝手に次の曲が再生されるのでひたすら聴き続ける。そうしているうちに日が傾き、毎日17時に流れる音楽がイヤホンの外からうっすら聞こえてきた。そろそろ親が帰ってくる時間だ。課題やってるフリでもしておこう。
 シャーペンを持って問題の上に置いてみる。依然としてやる気は出ないが終わらせないといけないので少しずつ解いていく。ゆっくりと解いていき、2問目を解き終わった頃、お母さんが帰ってきた。
「おかえり〜」
「ただいま〜!勉強してた?」
「まぁ、うん。やってたよ」
「ほんと〜?今日の晩ご飯、どうする〜?」
「なんでもいいよ〜」
「それじゃあ鯖にしようか〜」
 お母さんは割と明るい人だと思う。そんなお母さんの性格に合わせて明るく振る舞う。無意識に。
 そのまま数学の課題を進めていると、
「ご飯できたよ〜」
「はーい」
 すると、ちょうどお父さんも帰ってきた。
「いただきまーす」
 うん。今日の鯖も美味しい。本当にお母さんすごいと思う。
「今日さ〜上司が〜」
 お母さんの上司の愚痴。私はお母さんの、性格の悪いところが似たのか、こういった愚痴を聞くのは楽しい。いつもは面白く聞くのだが、今日の失敗をふとした瞬間に思い出して、あまり楽しめなかった。美味しいかったはずの鯖も、だんだん、味が薄くなっているように感じた。


「おは〜」
「おはよ〜」
「どしたん、紗夜(さや)めっちゃ眠そうじゃん」
「そうなんだよぉ。昨日ちょっと寝るの遅くて〜」
「推しがドラマにでも出てたの?」
「そうなんだよ〜おかげで寝るの11時くらい」
「本当にそうなんだ。11時でも十分早いけど」
「うち、毎日9時には寝る健康優良児ですから」
「確かに」
 紗夜は私の親友だ。毎日9時には寝るところを除けばJKらしいJK。高校生で9時ってすごいと思う。
「逆に海空(みそら)は1時くらいまで起きてたんじゃないのー?」
「1時半に寝たよ」
「なんでそんなに元気なの?!眠くないの?!」
「正直眠い」
「だよね?!なんでそんな時間まで起きてられるんだか…」
「スマホ見てたらそんな時間になっちゃった」
「えぇ…」
 実際はそういうわけではないのだが。
「ていうか、今日の課題やった?数学の」
「やったよ〜」
「めっちゃ難しくなかった?うち、4問くらい解いて諦めて答え見ながらやったよ〜」
「私も3時間くらいかけてなんとか解き切ったよ」
「えー?海空で3時間もかかるのー?先生酷くない?!」
「私でって言っても、数学苦手だから…」
「いやいやいや、学年7位の天下の海空さんが何言ってるんですか!」
「あはは…」
 少し、疲れてきた。
「あ、もう直ぐチャイムなるね。じゃ、後でね〜」
 先へ戻っていく紗夜にひらひらと手を振り返す。表情筋がうまく戻らない。しばらく同じような笑顔を貼り付けていたからだろうか。ゆっくりと口角が下がっていく。学校でも無意識にキャラ作っているようで、誰も見ていない時は基本無表情。誰かと話しているときはずっと同じような笑顔を貼り付けている。多分。いつのまにか習慣づいてたからあまりよくわからない。
《ドサッ》
 やはり昨日寝るのが遅かったのが悪いのか、自分の上に大量の砂を被せられる感覚とドサッという幻聴までしてきた。今日は早く寝よう。そのためには今日は失敗しないように…。そう思った瞬間、昨日の失敗をまた思い出す。そのまま芋蔓式に2個、4個、6個、8個…と昔の失敗を思い出す。今回は小学生まで遡った。つらいことは忘れればいいという人もたまに居るが、つらいことはもちろん、何年も何年も前の失敗も忘れられず、どんどん心の中に蓄積されていく。あぁ…なんで私ってこんなに…
「——?—野?おい、日野(ひの)?」
「っえ、はいっ?!」
「号令かかってんぞ?」
「え、あ、ご、ごめんなさいっ!」
 ガタッと音を立てて席を立つ。勢い余って後ろの机にぶつけてしまった。
「ご、ごごご、ごめんなさいっ!!」
「え、あ…」
 あああ、後ろの人も困っている!!
「気をつけ、礼!」


 はぁぁぁ、と昨日よりも深いため息をついて家に入る。ただいまと言う気も起きない。
「あぁぁ、どうしてこうなっちゃうのかなぁ」
 朝は、失敗しないようにしようと思った矢先みんなに迷惑かけるし、その後もぼーっとしてて紗夜の話聞いてなかったり…。本当に、なんで私ってこんなにドジでダメなんだろう。
「はぁぁぁ」
 今日何回目かもわからないため息をつく。
「つらいなぁ」
 声にしてみたそれは感情など全く持たない、ただの「つらい」と言う言葉でしかなかった。つらいときは声に出してみるといい。そう聞いたことがあるけれど、それを実践してみて何か効果があったかといえば特に無い。焦燥感が募るだけ。私のこの感情は、大きな何かによって生まれたわけでは無い。何年も積もった小さな失敗、小さな後悔、小さな嫌悪感。そんな「小さな」何かの蓄積によって生まれた複雑な感情。言葉では言い表せない感情。
 嫌なことは少しの間でも忘れるのが一番だ。課題をしよう。今日の古典の課題を用意してイヤホンとYouTubeをスタンバイする。案外楽そう。
「よし、やろう。終わったら寝よう」
 早く寝たいがために昨日とは比べものにならないスピードで解いていく。早くしないとお母さんが帰ってきて寝られなくなる。少しでも嫌なことから離れたいから寝たい。寝ている間は何も考えなくていいから。
 問題を解いていると突然通知音がなった。お母さんからのメッセージだ。
【海空〜!ご飯炊いてくれるー?】
【了解!】
「それじゃあさっさとやりますか」
 早く休みたい。その一心でひたすらお米を研ぐ。炊飯器に入れ、スイッチを押してすぐに課題をしに戻る。
問題を解き終え、答え合わせをしていると玄関の扉が開く音がした。今日はお父さんが先に帰ってきたようだ。どちらにしろ課題を終えた後に寝る計画は失敗だ。親が帰ってくる前に寝始めれば寝たふりで押し通せるのだが。とにかく今日は早く寝てたくさん寝よう。
「おかえり」
「ただいま〜」
 課題の古典は終わったから本当は寝たいところだけど寝られそうにないので別のワークを開く。また今度課題になりそうだから少しだけ進めておく。
「ただいま〜」
「あ、お母さんおかえりー!」
「ご飯炊いてくれたー?」
「もーちろーん」
「ありがと〜!ハンバーグにする?業務スーパーのアジフライ揚げる?」
「お父さんはどっちがいい?」
「え〜?じゃあアジフライで」
「お母さーん!アジフライだって!」
「りょーうかい!」
 絵に描いたような幸せな家庭。自分で言うのもなんだが私は恵まれている方だと思う。欲しい服も買ってもらえるし、本も買ってもらえる。親はちょっと過保護だけどいつも明るい。習い事もたくさんさせてくれる。人並みに幸せな家庭。そんな家庭に生きているのにつらいと言うのは傲慢だろうか。
「海空〜!何もしないなら勉強しなさーい」
「あ、はぁい」
 その日のアジフライもあまり味がしなかった。


『ゆいちゃん!みぃちゃん!おっはよー!』
『あ、みそちゃん!おはよう!』
『おはよ〜』
『ねぇねぇみそちゃん、見て!新しくイラスト描いたんだ!』
『ゆいのイラスト、先に見せてもらったけどすごかったよ』
『ほんと?!見せて見せて!』
『じゃーん!!』
『わぁぁぁっ!かわいい!綺麗!流石すぎるゆいちゃん!』
『えへへ、ありがとう!明日も新しいイラスト、持ってくるね!』
『うちも持ってこようかな』
『みぃちゃんのも見れるの?!楽しみすぎる〜!私にも画力分けて〜』
『あははっ』
『ちょっとそりゃむずいかも』
 ———朝か。そういえばゆいちゃんとみぃちゃん、今日新しいイラスト………
 違う。ゆいちゃんも、みぃちゃんも、今日は来ない。昨日も来てない。明日も、来ない。夢、か。幸せで、残酷な夢。2人とも、もう、ずっと、学校に来れてないのに。私の一番の親友たちは——。いられるものなら、ずっと夢の中にいたかった。ゆいちゃんとみぃちゃんが、私の目の前で私と話している、そんな、夢の中に。
 ゆいちゃん——新名(にいな)ゆいちゃんは家庭環境が複雑。苗字が変わったりもした。けれど、常に明るく可愛い彼女と私は性格や趣味がほとんど同じで中学1年の頃から仲が良かった。先生に双子みたいと言われるほどに。私たちは学年の人数が少ない学校だったから、奇跡的に3年間同じクラスでいられた。高校も同じところに進学し、これまた奇跡的な確率で同じクラスになれた。だが、彼女は徐々に学校に来る頻度が減っていった。ちょうどその頃、私は高校で知り合い、同じクラスになった紗夜とよく話すようになっていた。それでだと思う。ゆいちゃんと話すことは減っていき、私は、彼女の悩みに気づけなかった。ある日からゆいちゃんは、学校に、来なくなった。
 みぃちゃん——保科(ほしな)心優(みゆう)ちゃんとは小学校1年生の頃から仲が良く、小学校に入ってから初めての友達だ。毎週のように遊ぶほど仲が良かった。中学校に入ってから1年生の頃はクラスが別れて、休み時間中に廊下で話したりすることが多かった。でも、みぃちゃんは休むことが増えていった。風の噂—もとい、みぃちゃんのお母さんとよく会う母が言うにはめんどくさいとのことだった。めんどくさがり屋の彼女らしい理由だった。でも、たまに来てはいたから楽しかった。2年生はみぃちゃんと同じクラスになれた。最初の方は今まで通りくらいの休む頻度だったけど夏休み明けから全く来なくなってしまった。3年生も全く来られず、今は通信制高校に通っているらしい。
 だから、この2人が今日、私の学校に来るはずがない。ゆいちゃんは今、保健室登校をしているが滅多に見かけない。ごく稀に、授業中、外を見てみると早めに帰っていくゆいちゃんを見かける程度だ。
 とはいえど、全く関わっていないわけではない。それぞれ別の時ではあるが好きなアーティストのライブに誘ったり、イベントに誘ったり。たまに生存確認はしている。2人の笑顔が見られると安心する。私の前で笑っている。って。それに、住んでいるところは近いからいつでも会える。2人とも遠くに引っ越したわけではないのだから。そう、頭ではわかっていても、
「こんな、現実を見なきゃいけないのか」
 なら、2人が、私の前で、笑顔でいられる夢に、ずっと……
「海空ーーー!!時間大丈夫なのー?」
 ハッと我に帰る。時計の針は既に7時15分をまわっている。急がないと学校に遅れてしまう。準備遅いから。
「やばーい!」
「急いでーー!」
「はーーい!」
 本当は行きたくない。でも、行かないといけない。
 重い腰を上げてベッドを降りる。洗面所に行き顔を洗って急いで準備やら朝食やらを済ます。
「いってきまーす!」
「いってらっしゃい!」
 あぁ、こんなことを思うのは不謹慎だとは承知だが、学校に行かない、と言う選択肢をとれた2人を羨ましく思ってしまう。
〈ザザッ〉
 また、大量の砂の感覚と幻聴が聞こえた気がした。


 結局、学校に着いた時間は遅刻間際だった。
「海空おはよ〜」
「おっ、、はよ、、」
「海空にしては遅かったね〜。めっちゃ息切れしてるじゃん」
「ちょっと、今日、、寝坊しちゃって、」
「まぁまぁ、そんなこともたまにはありますって」
 あはは、と苦笑いで返す。ただでさえ夢で精神的に疲れて、学校に来るので肉体的に疲れてるのに、教室に入ったら速攻笑顔貼り付けて“優等生”の演技。休ませてくれ。
「じゃあうちはそろそろ席に戻るねー」
「んー」
 紗夜が離れていった途端、表情筋が元に戻る。今日はしゃべるの短かったな。まさか、演技してるの、バレた…?演技してるってバレて愛想尽かされて…?いや、いやいや、今までバレてなかったのに急にバレることはないだろう。多分、走ってきた私を気遣ってくれたんだ。きっとそう。
 メンヘラ気味にそんなことを考えている間に荷物も片付け終わった。まだHR前だから席に着いてぼーっとする。ぼーっとしてるうちに今日見た夢を思い出した。私、疫病神かなにかなのかな。ゆいちゃんやみぃちゃんだけじゃなくて、私の友達、もう2人、不登校になっちゃったりした人、いるんだよな。本当に疫病神かなんかじゃん。私、人と関わらない方がいいのかもしれん。ていうか、今日はみんなに迷惑かけないようにしないと。それが今日の目標。
 視界の端で先生が入ってきたのが見えた。意識を現実に戻す。
「HR始めるぞー」
「起立!」
「気をつけ!」
「礼!」
「着席!」
 今日は完璧にできた。はず。
 ぼーっとしながら話を聞いて終わりの号令に合わせて礼をする。
 今日も、長い長い1日が始まる。
 3時間目、体育。今やっている競技はバスケ。スポーツが苦手な私にとって団体競技は本当に憂鬱だ。シュートはおろか、パスもドリブルもままならない。そもそもパスをもらうことが少ないからやることもほとんどないが。結果は3戦中0勝3敗。私のせいだろうなぁ。珍しくもらえたパスに舞い上がりすぎて入らないくせにシュートするし。パスも届かなくて敵に取られるし。逆に勢い余ってコートから出るし。ボールばっかり追っててほかの子とぶつかるし。多分私いない方が点取れてたかもしれない。もしかしたら別にそんなこと思われてないかもしれないけれどどうしてもマイナスに考えてしまう。特に女子は腹の底が知れないから本当に怖い。だから中学生の頃はよく男子と一緒にいることが多かった。でも、高校への偏見から男子と関わったらいじめられると思っているので高校入ってからは基本女子と一緒に女子に合わせて振る舞っている。ただ、女子と話すのはやっぱり苦手で、長く話してると疲れてきてしまう。こう言ったら怒るかな、こう言えば喜ぶかなとか相手のことを考え続けながら話さないといけないから。対して男子と話す時はそんなことも考えずに話せるから楽だ。
「海空〜」
「どした?」
「疲れた」
「まだ私よりマシだよ。紗夜、バレー部じゃん。私なんて運動らしい運動しないからね」
「いや、まぁ、それはそうなんだけどさ。バレーよりめっちゃ走るじゃん。バレーのコートよりも広い範囲を頭使いながら走るとかむずすぎる」
「あーなるほど」
 とりあえず相手の機嫌を損ねないようにする。中学の頃は口が悪かったからその頃のような口調にならないようにもしないと。
「でも紗夜は私みたいにボールに嫌われてないから大丈夫だよ。私なんてボールが知らないうちにどっか行ってるからね」
「まだそれよりマシだわ」
「でしょ?」


 何とか1日を乗り越え帰路に着く。紗夜とは家の方面が違うので帰りは1人だ。紗夜以外に一緒に帰るような友達がいないのも寂しいが優等生の演技をしながら帰るよりはよっぽどいい。それに明日は休日。私は帰宅部だから部活はない。代わりに地域の吹奏楽団に入っている。
「そういえば、明日は新しい人が入るって言ってたっけ。同い年の男子って聞いてるし、話しやすい子ならいいな」
 私はクラリネットパートで、人数は多いけど男子はいない。だから内心ワクワクしてる。知り合いだったら面白そう。全くの初心者で、私と同い年だから教えてあげてって言われてるし頑張ろう。ネットとかでどう教えたら分かりやすいか調べてみよう。で、楽しんでやってもらえるように明るく。ちょうど私が練習を休んだ時に色んな楽器を体験したらしいから多少はできるのかな。意外と難しくて諦める人が多いクラリネットを選んでくれたってことはきっと多少音は出たのだろう。どれくらいできるかな。音階までできるのかな。組み立て方は教えてもらってるかな。思った以上にできてて教えることなかったらどうしよう。一緒に曲の練習しようかな。
 楽しみすぎて帰りはずっとそのことを考えていた。その間にいつのまにか家に着いていたが家に着いても明日のことを考え続けていた。ネットやYouTubeでクラリネットの教え方を調べているうちにお母さんが帰ってきた。
「ただいま〜。何やってんの?」
「あ、おかえり。明日楽団に新しい人が入ってくるからどう教えたらいいかなってシミュレーションしてる」
「ふーん。お勉強もしてね」
「はぁい」
 せっかく楽しいことを考えてたのに「勉強」の1単語で一気に憂鬱になってくる。私が楽しそうな時くらいその話しないで欲しい。分かんないのかな?
 そう思いながら明日のことを考える。どうやって話そうかな。何から教えよう。自己紹介もした方がいいかな。頭の中でシミュレーションもしてみる。こういうイベントは大好きだ。新しい環境は苦手だけど、慣れた環境に小さな変化が訪れるのはワクワクして楽しい。
 お風呂に入って、少しだけ勉強もして、ベッドに入ってもずっと考え続けていた。どんな子かな、どう教えたらいいかな、楽しんでくれるかな。そんなことを考えていたらいつのまにか寝てしまっていた。