とある月曜日のジャーナル ~北御門その➁~

『俺のせいにならない為にも、成績をこのままトップのままキープしてくれ』と、佐久間先輩は言った。
 正直、それに従うような感じになるのは気に入らないけど、結果としてそうするつもりではいる。
 何と言っても俺には歴世守というこの名前を返上する義務がある。
 義務というより、試練といった方が良いかもしれない。
 名門校に入学したのも、それなりに品行方正を保っているのも、そして生徒会に入るのを了承したのも――結局はその全てが自分のプラスになると判断したからだ。
 佐久間先輩に少し上手いように利用されてしまっている感は否めないけれど、別に生徒会の仕事自体は嫌いではない。
 特に入りたい部活があった訳でもないし、となると必然的に放課後の時間は余る事になるし、となると生徒会に入って無ければ一日の時間を持て余してしまう訳で。
 いや、持て余すというよりこの家に居なければいけない時間が増えるという訳で、と言った方が良い。
 とにかく、そんな俺の時間潰しの場所として活動できる生徒会は、何だかんだでメリットも多い。
 だからとりあえず文句を言わず、日々雑務をこなしている。
 そう、雑務。
 生徒会なんて聞こえは恰好良いかもしれないけれど、平たく言ってしまえば体のいい校内の雑用係だ。
 煌びやかで華やかで、権力を誇っている――そんなものはそれこそアニメや漫画の世界だけで、実際の所はいつもしゃかりきになって学校運営の為に活動している。
 俺の担当は会計だから大抵毎日、数字との格闘が仕事になっている。
 余計な思考を求められる事が余りない、ただシステムチックに考える事がメインのこの仕事は自分には適していると思う。
 そう考えると、俺を会計という担当にした佐久間先輩はやっぱり人を良く見れている人間なのだろう。
 ――と家から戻って、部屋で着替えを済ませながら微妙に悔しい気持ちになっていた時、一階にいる母親から声がかかった。
「ペル君、ご飯出来てるよ~」
 とにかく耳にしたくない呼ばれ方だ。
 何だ、ペル君って。俺はペットか。どこかの犬猫か。
 高校二年にもなった男子高生を捕まえてそんな呼び方するなと主張したいが、何せここに住んでいる人間はもれなく『北御門』であって、誰の事を読んでいるのか判別をつけるには名前で呼ぶしかないのだから仕方ないといえば仕方ないけれど、やっぱり納得いかない。
 だからそもそも歴世守なんて名前を最初から付けるな、という結論にいつも至る。
 そしてその俺にその名前を授けた人間、つまり母親は、今日もいつも通り考えなしとも取れる明るい声で、俺を呼んでいる。
「分かったから! ちょっと待っててよ!」
 ついイラっとしていつもより強めの口調と大きな声量で下に向かって叫ぶ。
 するとすぐさま、ぱたぱたぱたっという階段を登って来る足音が聞こ開くえて来た。
 まずい、と後悔するのとほぼ同時に俺の部屋の扉がばん、と開いた。
「ペル君! 今の言い方!」
 ノックもせずに俺の部屋に侵入したかと思うと、本当に子供みたいな言い方で俺に抗議してきた。
 ぷんぷん、と怒りの感情を隠そうともしていない。
 正直母親(このひと)と付き合うのは真剣にしんどすぎる。
「生徒会の仕事、持ち帰りの分があってやってただけだから。すぐ行くよ」
 なんで学生で子供の俺が年上である母親に対して気を使ってやらなきゃならんのだ、といつも思うが、もうあいては大きな子供だと思って俺は諦めている。いや、諦めるしかないのだ。
 何せ子供は親を選べない。
 俺がこの人の息子であるという事実は変わらない。多分。変な複雑な事情さえなければ。
 いや、むしろそんな事考える方が実の親に向かって失礼か。
 つとめて静かにそう諭した俺に、母さんはむっとした顔を一応は閉まって、ご飯冷めちゃうから早く来てねと言い残して部屋を去って行った。
 ドアを閉める音がこんな時にはやけに大きく響く。
 誰も居なくなった部屋で、はあと俺は一つため息をついた。
 小学生の頃から愛用している勉強用の机に散らばる生徒会の書類を何となく見つめる。
 仕事をしていたのは本当だ。非常に不真面目なパートナーのせいで。
(全く……)
 今日は厄日なのだろうか。
 生徒会の俺のパートナーと言うのは、言わずもがな、一緒に会計を担当している城咲先輩だ。
 あの人の怠慢さでいつも俺にしわ寄せが来ている。
 今日も『何だかやる気でない~』とか言って生徒会室に来たは良いものの、その後真面目に仕事をするそぶりも無くひたすらスマートフォンで遊んでいた。
 ゲームだった。あれは間違いなくゲームだった。
 そしてそれを他の生徒会員は誰も咎めようとしない。
 今日も生徒会長、副会長、会計二名、書記二名、合計六名――きっちり役員は揃ったけど、それぞれが仕事とは全く関係ない話をしてひたすら時間をつぶしていたり、今日返ってきたらしい答案の見合わせをしていたり、真面目に仕事していたり(もちろん俺はこの部類だ)。
 うちの生徒会はいつもそんな感じで、とにかくフリーダム過ぎる。 
 まあ肝心要の会長の佐久間先輩があれだから、そうなっても仕方ないのだけれど。
 こんなんで大丈夫かうちの生徒会、と活動が始まった当初は本気で思ったものだ。
 けれど、今の所何とか回っている。
(いや、回しているんだけど!)
 そうだ、不真面目な人間がサボった分は、誰かが必ずフォローを入れている。
 そしてその白羽の矢が立つのが総じて神経質で真面目で、ちゃんとやらなきゃいけない人間だ。
 そんな訳で、本日は全く働きモードではなかった城咲先輩に押し付けられる形で仕事を持ち込む事になっている。
 いや、別に押し付けられたわけじゃないけど。
『明後日やるー、きたみーそれそのまましといてー』
 と間延びした声で言われただけで。
 それでも、俺はこうして城咲先輩の分の仕事を持ち帰っている訳で。
 何せ、面倒な事は先にさっさと終わらせるのが信条なので。気になるので。
 つくづく損な性格だと自分でも思う。
 いつも誰かしらの犠牲になっている気がする。
 そういえば、ペルセウスはそんな人物だったな、と俺は思う。
 母親を守るためにメデューサを倒しに行かなければいけなくなったペルセウス。
 言い換えれば、母親の犠牲となった人物だ。
 俺が受け継いだのはペルセウスという名前だけではなかったようだ。
 そんな思案にふけっていると、再びドアをノックする音が聞こえた。
 姿を現したのは父親だった。
 母の次は父か。
「母さんが待ってるぞ~。早く降りてこい~」
 声は低いが、間延びした話し方は母さんそっくりだ。
 何年か前に似ている、と指摘したら、いや、似て来たんだよ、と父さんは笑っていた。
「だから行くって」
 両親の攻撃のしつこさに辟易して、俺は父さんにも短く冷たく言い放った。
「来ないからこうして父さんが呼びにきてるんだろう」
 だけど父さんは母さんとは違って真っ当な指摘をして来る。
 それだけでもしっかりしていてマシかもしれない。
 というか、父さんまであんな性格だったらそれこそこの家庭は破滅だ。やっていけるはずがない。
 確かに面倒な考え事をしていたせいで、母さんが呼びに来てからまた少しばかり時間が経っていたかもしれない。
「母さんの作ってくれた料理が冷める。いくぞペル」
 俺を連れ出すようにそう声をかけてくる。
 いや、だからペルって呼ばれたくない。しかも君が抜けるとますますペット感が増し増しだ。
 そんな俺の不満に思っている心中を知ってか知らずか、父さんは終始穏やかな様子を崩さない。
 まあ、父さんからペルって呼ばれるのもいつもの事だからここでいちいち腹を立てて反論するのもおかしいんだけど。
 父さんは相変わらず母さん贔屓だ。
 結婚して何十年も経っている今でも、平然と俺の前で母さんに対して『母さん愛しているよ』とか言ったりする。
 いや止めろいい年したオッサンが、と言った事もあるが、改善される気配がないのでこれもまたもう諦めている。
「ずっと思ってたけどさ。母さんの料理甘くない?」
 何とか口に出来た反論は、それとは言えない程度のものになってしまった。
 でも、それは本当に俺が心の中でずっと思っていた事だった。
 母さんの料理は基本どれも味付けが甘い。
「何を言っているんだ。母さんの料理は美味しいじゃないか。世界一だ」
 自慢げに返して来た父を見て俺は痛感した。やっぱりこの人には母さんの事に関しては何を言っても無駄だ。
「何だ? 母さんの料理が嫌で食べたくないのか?」
 的外れな疑問を口にしてきた父さんに、俺はそうじゃないと答えて
「……本当に仕事があったんだよ、生徒会の」
 と説明する。
 すると父さんは机の上にあった資料を見てふうむ、と顎に手を当てて考えるそぶりを見せた。
「お前は真面目すぎるんだよ。もっと肩の力を抜け」
 どんな言葉が飛び出すのかと思えば、これだ。
「いや、父さんたちはいい加減すぎる」
「あはは、そうか。――うん、そうかもしれないなあ」
 うんうん、と頷きながら俺の意見を肯定する。
 全く効いていないな、これは。
「……ねえ。何で俺の名前、歴世守にしたの?」
 色んな事が発生したせいで、長年の疑問がついに口をついて出た。
 パンドラの箱的な質問だと思ったけど、父さんはそれに対しても全く動じなかった。
「それは母さんがそうしたいっていったからだよ」
「いや、それは何となく分かるけど。知ってるけど」
 母さんが決めたって事は知識としてもう知っている。
 何せもう何十年も一緒に生活しているから。
 俺が訊きたいのはそういう事じゃない。
「何で止めなかったのかって訊いてるの俺は」
 そう、それだ。
 いくら母さんがそうしたいと言っても、それを止めるのが正しい父親というものじゃないか。
 少なくとも俺だったらそうする。――家庭なんて持ってないけど。
「だって、仕方がないじゃないか。母さんが『この子を歴世守にしないんだったら離婚する!』って言ったんだから」
 ――り、離婚!?
 初めて耳にした真実に、開いた口が塞がらない。
 何だその母さんのペルセウスに対しての執着。
「父さんも流石にやめておいた方が良いんじゃないかって言ったんだけどなー。そう言われて仕方なかったから、そうしたんだよ」
 いや、そこは負けるなよ。もっとちゃんと戦えよ。息子の一生決める問題なんだぞ。
 俺はそのせいで正に今、十字架背負ってて、大変な目に合ってるんだぞ。
「役所の人にもびっくりされたなあ。懐かしいなあ」
 しみじみとそう告げる父さんに、俺は冗談抜きで眩暈がしてきた。
 俺の味方は誰もいないのか。俺の考え方の方がおかしいのか。
 役所の人間も通すなそれを。歴世守なんてありえない名前を。
 言いたい事が発生しすぎて、何だかもう何から何をどう言えばいいのか分からなくなってきた。
 とにかく、この両親の元に生まれ落ちた以上、俺はペルセウスの呪縛から解き放たれそうにない。
 それだけを実感した日だった。