とある月曜日のジャーナル ~北御門その①~

 俺の名前はペルセウスだ。
 これは比喩でも誇大表現でもなく、俺の名前は正真正銘、ペルセウスだ。
 もう少しだけ正確に親切に説明すると、姓は北御門(きたみかど)。そして名前が歴世守(ぺるせうす)
 で、北御門歴世守。
 初っ端からこうして説明しているからこの名前を授けられた事を全く気にしていないと思われるかもしれないが、もちろんそんなはずはない。
 ただ最終的には名前なんて知れ渡ってしまうものだから後になってこの名前を知られて驚かれて変な目で見られるのを待つより、最初から宣言しておいた方がよっぽど精神衛生上いいというだけだ。
 先延ばしにしていると気になって仕方ないから、嫌な事はとっと片付ける。それが俺の信条。
 まあ、信条とかいう程の御大層な物でもない。ただ単に傾向と言うか性癖と言うか、その程度の物で。
 ――と、話は少し逸れたけど、つまり俺はこの名前を歓迎している訳じゃないという事だ。
 むしろこの名前を心の底から鬱陶しく思っている。
 それはごく一般的な感性だと思う。そう信じたい。そうであってくれ。
 だって、ペルセウスだよ?
 どこの親が好き好んでそんな名前つけるよ?
 例えば進学した時、進級した時。
 俺が自己紹介で『北御門歴世守です』というと決まって周りは日妙にザワつく。
 え、嘘?という珍獣でも見るかの様な明らかな好奇の目にさらされるし、この先の事を考えたって気が重くなる一方。
 何せ就職試験で内定も貰いにくくなるとか言われてるし、名前なんて一生付きまとうのだ。
 つまり、これが一生続く。
 まあ、家庭裁判所に申し立てをすれば改名も出来るらしいけど、それは多分俺の母親が許さない。
 何せ俺の母親は命がけで俺の名前を愛している。
「何でペルセウスにしたの?」
 と中学に入った時に一度訊いてみた事はある。
 返って来た答えは
「えー? だってカッコいいじゃないの、ペルセウスって! アンドロメダ姫を助けた勇者なのよ? 素敵よ!」
 だった。
 頬を紅潮させながら心底嬉しそうに、しかも何も間違っていないといった感じで目を輝かせていた母親を見て、ああこの人に何を言っても無駄だと俺は確信した。
 俺の母親は良い意味でも悪い意味でも、思考回路が破綻した人だ。
 根っから明るく細かい事は気にしない、子供をそのまま大きくしたような人間で、未だに今の高校生が熱中してるようなキャラもののグッズを収集してたりしている、おおよそ三十七歳とは思えない人間。
 だけど外見も性格も小柄で可愛いタイプだから、それが『不似合い』や『常識知らず』の域にギリギリならないで済んでいる感じで、しかも名前だけは美由(みゆ)というごく平凡なやつだったりして、俺に歴世守なんてキテレツな名前を付けた人間が、美由という至極真っ当な名前を貰っている――俺はこれをこの世で一番の不条理だと思っていたりする。
 今日だってそうだった。
 通っている帝東(ていとう)高校の月一の模試の結果が発表されて昇降口に張り出されたんだけど、そこで俺の名前が一番上の一位の欄に載っても――注がれたのは羨望ではなく冷ややかとも言える視線。
 そう、例え俺がこの名前について回るマイナスのイメージを払拭しようと努力を重ねて全国でも有数の進学校に入学しようとも、そしてその高校で学年一位の成績を収めても、至極真っ当な真面目な校則通りの品行方正な恰好をして素行を良くしても、歴世守というこの俺の名前を知った瞬間、周囲の見る目は一気に逆転する。
 それまではそれなりに尊敬の眼差しを送られていても、え?まじ? とか、本当かよ、と思いっきり顔に書いた表情で俺を見てくるようになる。
 何なんだ。
 俺の受けるはずだった賞賛と賛美賛辞をまとめて返せ、と言いたくなる。
 しかもその時厄介な人達に絡まれたのも今日は最悪だった。
 人、人、人。生徒達でごった返している中、
「きたみー、さすがー」
 とか言って同じ生徒会をしている城咲(じょうざき)由香利(ゆかり)先輩に発見されてつかまったりして。
 しかも何故か一緒にいた佐久間(さくま)和樹(かずき)先輩にまで
「いや、良かった。このままの調子で頼むな。生徒会に入ったから成績落ちたって言われても困るし」
 なんて言われて。
 割とガチで切れそうになったんだけど、一応相手は先輩で生徒会長だったので我慢したのはここだけの話にしておこう。
 そもそも俺が生徒会の会計になったのは佐久間先輩の希望だったんだけど、先輩はあくまでも今までの慣例に則ってやっただけだと主張する。
 だけど俺はそれが嘘だと、もう既に分かっている。
 確かにうちの高校には平均成績トップが生徒会に任命されるしきたりに似た様な物があったらしいが、それは何も絶対の規則ではなかったらしい。
 つまり嫌だったらそうしなくてもよかった――つまる所要するにそういう規則をぶち破ったりして戦うのが面倒臭かったからこれまで通りにやっただけなのだ。絶対そうだ。この人はそういう人だ。
 何とも言えない気分で苦虫をかみつぶしていた俺に、城咲先輩が俺の右腕にしがみついて言った。
「きたみーはすごいねえ! ずっと成績一位じゃん!」
 入学した時から不動じゃん! 凄い凄い~! と両手で掴んだ俺の手をぶんぶんと興奮の感情に任せ揺さぶって来る城咲先輩にはやっぱり少しだけむっとしたけど、これもまた何とか我慢した。
 子供みたいな人に子ども扱いされるって何?
 心底不可解でこれもまた理不尽だって思った。
 第一、たかだか一年先に生まれたくらいで先輩風を吹かされるというのが気に入らない。
 何年生きてようが学習してない人間は学習してないし、成長してない人間は成長していないのだ。
 うちの母親みたいに。
 自分の気持ちのまま、面白い時には笑い、嬉しい時には喜び、不機嫌な時には口を尖らせる。
 いつまで経っても子供みたいな人間。
 ふわふわに巻いたスーパーロングの髪に、接近した時に微かに漂って来るフローラルな甘い香り。
 薄い化粧をしてる華やかな外見は、否が応でも人目を引く。
 そんな城咲先輩はぱっちりとした目でしっかり俺を見て、うんうん、と何故か自分の事の様に誇らしげに頷いていた。
「この分だと大丈夫そうだね、さすがきたみー! えらいぞー」
 こくこくと首を縦に二回振って偉そうに言って来て。
「あのですね。その上から目線止めてもらえます? あとそのきたみーって呼び方、やめて下さい」
 不満を抱いた俺は粛々とクレームを入れた。
 たかだか一年先に生まれたくらいで偉そうにされたらたまらない。
 すると城咲先輩は
「えー!? いいじゃーん、北御門って呼びにくいじゃん。き、た、み、か、ど。五文字もあるんだよ、五文字!」
 と、初めて会った時と同じ主張をして来た。
『よし、今日から君は”きたみー”だ。”きたみー”って呼ぶね!』
 去年の九月に現生徒会が発足されて、初めて会った時の事を思い出した。
 あの時もこっちのやめて下さい普通に北御門って呼んで下さい慣れて下さい、っていうこっちの言い分を平気で聞き流されてしまい、そしてそのまま現在まで至っている。
「きたみーはきたみー。きたみ―でいいんだもん!」
 ぷんぷん、と頬を膨らませて城咲先輩は言った。
 こちらの要求は今日も通らないようだ。
 しかも語尾のもん、って何だ。もん、って。
 本当にこの人はやる事成す事考える事幼すぎる、とため息しか出ない。
 大体、五文字で多いって言うけど、それを言うなら『城咲』だってひらがな変換すると同じ五文字だ。
 まあ、確かに俺の苗字の方が多少呼びにくい感は否めないけれど。
「きたみ―でいいよね? きたみ―がいいよ! ね?」
 俺の心などつゆ知らずといった体で、城咲先輩は佐久間先輩の方を見てそう言った。
 やめろ。佐久間先輩まで味方に付けようとするな。厄介さをこれ以上増加させるな。
「――まあ歴世守って呼ばれるのと、どっちがいい?」
 城咲先輩の悪ノリに見事に乗った佐久間先輩が、ニヤニヤ笑みを浮かべながら一番痛い所を突いて来る。
 ――本当に嫌な人だこの人。本気で腹立つ。
 どっちも嫌です、と断じて許可をした覚えはないという意味を込めて俺は短く返した。
 どうせ何と言おうが城咲先輩のきたみ―呼びは変わらない。戦うだけ体力を消耗して損だ。
「いいなーいいなー。俺も”きたみ―”って呼んでいーい?」
 さらにそんなふざけた事を佐久間先輩が言って来たので、俺は瞬時に絶対嫌です駄目です、ときっぱりと断っておいた。
 本気で不快感をあらわにしたのが良かったのか、佐久間先輩はとりあえずそこまでで俺をからかうのをやめて、俺の肩をぽんと叩いて言ってくる。
「でもまあ、帝東期待の星だよな。帝東(うち)で一位って、大分誇っていいぞ」
 一応のフォローのつもりなのだろうか。
「それ、先輩が言います?」
 じっと佐久間先輩を見て、俺は短く反論する。
「先輩だって今回も一位じゃないですか」
 今まで見ていた二年の順位表から少し視線を上にあげると、そこには三年の順位表が掲示されていて。
 そのトップには見事に佐久間和樹、という名前が記されていた。
 そう、何せこのふざけた嫌味な先輩も、帝東に入ってから一度もトップを譲った事のないという人だった。
 万年一位、生徒会長というエリート街道爆走中の人間なのだ。
 ついでに言うと俺は城咲先輩と一緒に会計を担当している。
「凄いよねー、あんた何者ー? 人間じゃないよ人間じゃ」 
「うるさい黙れ」
 軽口を叩いてきた城咲先輩に、佐久間先輩は切り捨てる様に返す。
 この二人は俺を挟まない時はこうして結構容赦のないやり取りをしていたりする。
 俺に対する対応とはまた少し違っていて、こういう時何だかもやもやしてしまう。何故か。
「俺はお前みたいに毎日をぐーたらに過ごしてない、一緒にするな。そんなんだから成績下げるんだ」
「あ、ひっどーい! 今回のはたまたまだもん!」
 成績表を見上げながら、そんな会話を交わす二人を俺は黙って見ているしかなかった。
 城咲先輩の名前は順位表の十五番目の位置に記されている。
 十分立派な成績だけど、いつもは五位以内に入るか入らないかにいた城咲先輩にしては確かにかなり落としていると言っていい。
「何? 言い訳あるならどうぞ」
「現国のヤマを外しました。大外ししました。以上ですー」
 ああ、と佐久間先輩は納得したように呟いている。
倉茂(くらしげ)先生のテストかなり出題範囲が偏るからなー、確かに今回はひどかった」
「でしょでしょー!? 意地悪、もう嫌! 現国嫌いー!」
 そのまま二年の俺にはついていけない会話が続いて行って疎外感を感じ始めた時に、新たな声が加わった。
「――こら、そこ。人の悪口で盛り上がるな」
 俺達より低くて重さのある声と共に登場して城咲先輩の頭をぱかりと叩いたのは倉茂先生だった。
 叩かれた事に反応して、城咲先輩が俺に絡めていた腕を離して頭を抑える。
「あ、体罰体罰! 暴力教師! 意地悪教師発見ー!」
「意地悪って何だ、自分の勉強不足を人のせいにするな。完璧に勉強して全部内容頭に入れてればヤマも何も関係ないだろ」
 どうやら全て筒抜けになっていたらしい文句にぐうの音も出させない正論で対抗しつつ、
 短く言い残して去って行く倉茂先生に、城咲先輩はぶつぶつと文句を言いながら後を付いていく。
 残された俺は、佐久間先輩と顔を見合わせた。
「……うるさいやつだな、あいつ」
「……ですね」
 今日初めてこの人と意見が合ったなと思いつつ、俺は深く同意して頷いた。