彼の瞳孔がスーッと小さくなって、驚いているのが分かった。
 自分でも、勝手に首を突っ込むんじゃなかった、という後悔がじわじわと襲う。

 言ってしまったものは仕方ない。
 やっぱり何でもないです、とその質問を取り消そうとしたら、彼の方が先に口を開いた。


「んー、何にもしてないけど……」


 え、とわたしが声を漏らすと、彼は少しだけ笑った。

「少し考えごとしてた、かな……」

 濡れた髪からぽたりぽたりと雨粒が伝い、小さな水たまりに波紋を描く。
 何もしてない、とは言っているけど、さっき彼は明らかに……いや、本当に考え事をしていただけなのかもしれない。
 余計なお世話だったかな……。
 
「す、すみません、こっちこそ変なこと聞いてごめ――……」
「俺こそごめんねー? 危なっかしいことしてるように見えちゃった?」

 ぼんやりとした、でもどこかはっきりとした声が雨を裂き、わたしの耳に届いた。
 ははは、と明るく笑った彼に向けて、わたしは口を開こうとした。

 けど、すぐに口を閉じた。

 まだ彼の言葉に続きがあるような気がしたからだ。

「きっと、俺を助けてくれたんだよね? ま、君が思ってるようなブッソ―なことじゃないから。でも……ありがと」

 彼の手の震えはもう止まっていた。
 手すりからそっと手が離されて、彼の足は屋上の扉に向かっている。

 わたしのすぐ横を通り過ぎて、この場を去る前に、わたしは彼の背中に向かって精一杯の忠告をした。
 
「あの、こういう危ないこと、もう絶対にしないでくださいっ。万が一でもあったら……」

 彼の足音がぴた、と止まる。
 
「ははっ。大丈夫だよ。今日はいろいろあってさあ」

 顔は見えないけど、心配ありがとねー、と笑っているのが分かった。

 なにそれ。そんなの何でもありになっちゃうじゃん。
 もともと屋上も立ち入り禁止なんだから……。

 わたしが言葉に詰まっている間に、彼は屋上を去っていく。

 おかげで助かったわ、とそんな言葉を残して。

 

 ――空はまだ泣いているようだった。