そろそろチャイムが鳴る。
 社会の先生が教室に入ってきて、あいさつを済ませた。

 先生が黒板に字を書き始める音が、やけに遠く感じた。

 わたしはノートを開いたけれど、シャーペンを持つ手に力が入らない。
 頭痛のせいか、目の前の文字がどこか歪んで見えた。

 そんなとき、隣からなにか紙が渡された。
 いつも寝ているはずの広瀬くんだ。
 ノートの切れ端らしいその二つ折りの紙には、乱暴な字でこう書かれていた。

『顔色悪い』

 思わず、となりの彼を見る。
 すました顔をして前を向いていた。

 バレている。この人には、わたしがさっきから具合が悪いのを見抜かれている。

『平気』

 切れ端の空いているところにそれだけ書きつけると、押し付けるように紙を渡した。
 彼はそれを読むことなく、拳の中で握りつぶした。
 
 そのグシャ、という音は、板書を移す音と一緒に溶け込んで消えた。
 
 そのとき、彼が大きな音を立てて椅子から立ちあがった。
 机に手をついて、こちらを向く先生を正面から見ている。

「先生、のど痛いんで保健室行ってきます。あと、」

 そう言うと彼はわたしを指差して続けた。

「こいつも、具合悪そうなんで連れてきます」

 先生はあっけにとられるような顔をして、言葉が出てこないみたいだった。
 今まで授業を途中で抜けたことなんてないわたしが、初めて授業を抜け出すというのだから。

 みんなの視線が痛い。
 あとでサボりだと言われないだろうか。わたしは心配になって、無言で首を横に振った。

 すると手首をつかまれて、広瀬くんと目が合う。
 その目は本気で、もう逃げれないことを悟った。

 そうして、わたしは広瀬くんと一緒に、教室のドアから出ていったのだった。