空を見上げてしばらくしたら、わたしはその場を離れた。
 教室に戻ると、わたしは藍ちゃんに声をかけられた。

「ね、ね、知ってる⁉ 今日、朔くんが学校に来てるっていう噂なんだけど……」
 
「え、そうなの? あの広瀬くんだよね?」

 つい、わたしのとなりの無人の席を見つめた。
 まだあそこに広瀬くんが座っているところは見たことがない。
 まだ新学期が始まって学校にきていないというのだから、それは当たり前なのだけれど。

「うん、そうらしいよ」
「みんなは待ってるけど……不登校気味だったのに教室に入ってきにく、」

 わたしが全部言い切る前に、教室の後ろのドアが勢いよく開いた。

 ガララララッ……バタンッ。

 その一瞬で、騒々しかった教室が水を打ったように静まり返った。
 クラスメイト全員の視線は、とある人に集中している。

「はよー……ってみんなどうしたの」

 ドアを開けた張本人が、クラスメイトに向かって明るくあいさつした。
 何事もなかったかのように、明るく。
 今までずっと教室にいたみたいに、最初から学校にいたみたいに。

「おはよ、朔」

 この人のことを知っているらしい男子が、次々にあいさつを返していく。
 普通ならわたしのあいさつを返した方がいいのかもしれない。けれど今はそんなことを気にする余裕もなかった。

 今、あの人のことを「朔」と呼んだ。
 みんな驚いて、自分の席に向かうその人のことを、目を丸くして見つめている。

 あの人が。こんなに朗らかに笑う人が、「広瀬 朔」……?
 
「はよ、これからよろしくねー」

 わたしのとなりに座った彼が、わたしに向かってそう言った。
 そう言われてしまったら、よろしくと返すことしかできない。

 そして、この状況を信じるしかなかった。
 
 そのとき、わたしはもう一つの事実に気づいていた。


 ……あの時の……。


 彼は、屋上で、危ないことをしていた、あの男子生徒だ。

 あの時の広瀬くんと、今の広瀬くん。
 何かが違う。

 でもその“何か”が、何なのか、それは彼の笑顔に隠されてしまった。