ラスボスドラゴンを育てて世界を救います!〜世界の終わりに聞いたのは寂しがり屋の邪竜の声でした

「ハァ……ハァ……」

「トモナリがんばれー」

「顔出すなよ?」

「分かってるよぅ」

 ゆかりの許可が出たけれど少しばかり条件もあった。
 ちゃんと勉強することやヒカリの面倒を見ること、モンスターなので騒ぎにならないように外では出さないことなどしっかり話し合って決めた。

 トモナリはゆかりが仕事で家を出た後ジャージに着替えて外を走っていた。
 目的は当然体を鍛えるため。

 回帰してトモナリは自分の体の弱々しさにショックを受けた。
 骨格としては悪くないのにあまり体を動かすタイプではなく、体力筋力ともにギリギリ平均か貧弱なぐらいだった。

 これから来るべき時のために基礎的な体力ぐらいつけておかねばならない。
 何の道具もないトモナリにできるのは走り込むぐらいだった。

 体の調子を見るにそれでも十分だ。

「くそっ……貧弱な体め……」

 トモナリは肩で息をしながら悪態をつく。
 貧弱なのは自分の体なので悪いのは鍛えてこなかった自分なのである。

 少し走っただけで息が乱れる。
 初日でひどい筋肉痛に襲われた時に比べると少しだけマシになったが自分の中にある満足な基準にはとても及ばなかった。

 少しだけ荷重もある。
 大きめのリュックにヒカリを詰め込んで連れてきているので背中がずっしりと重たく、それもまた体力を奪う。

 息を整えながら周りを警戒する。
 こんな時間に中学生が外を出歩いていては警察に補導されてしまうかもしれない。

 補導されるだけならまだいいがリュックの中にヒカリがいるのでそれがバレてしまうのはまずい。
 だから多少周りを警戒しているのだ。

「水飲む?」

「いや、まだいい」

「そっか」

 リュックの中から水筒の先っちょが出てくる。
 ヒカリが出してくれている。

 ただまだ飲まないつもりだというとすぐに引っ込む。

「今日はもう少し走るぞ」

「どっかいくの?」

「ああ、ちょっとな」

 最初こそ色んなものが珍しいようで大変であったがヒカリは頭が良いようで言い聞かせるとしっかりとトモナリの言うことを聞いてくれた。
 今でも何かを見つけるたびに目をキラキラさせてリュックの中から覗いているが、周りの様子は確認しているらしくバレてはいない。

 息を整えたトモナリは再び走り出す。

「ふぅ……」

「ここ?」

 なんとなく固定されていたルートを外れて走っていき、大きな日本家屋の前でトモナリは走る速度を落とした。
 これまで見たことのない作りの家に面白いとヒカリはリュックから顔を覗かせている。

「これ、なんて書いてあるの?」

 塀にポスターのようなものが貼り付けてあってヒカリはそれを指差した。

「剣道を習いませんか?」

 まだ文字の読めないヒカリに代わってトモナリがポスターの内容を読み上げる。
 どうやらトモナリがいる日本家屋で剣道を教えているようで門下生を募集している張り紙であった。

「けんどー?」

「ああそうだ。さて、物は試しだ。突撃してみよう」

「おろ? けんどー習うのか?」

「剣道な。今のところ習うつもりはないけどな」

 トモナリは日本家屋のインターホンを鳴らした。

「はーい」

「剣道の門下生について話を聞きたいんです」

 インターホンから女性の声で返事が返ってくる。

「あっ、そうですか。どうぞ中に入ってください」

「おお! 勝手に開いていくぞ! 魔法か?」

「科学だよ」

 塀の門が開いていく。
 魔法でも同じことができるけれどこれは魔法ではなく科学の力で開いている。

「あら、意外と若い方ね」

 トモナリが門をくぐると家の中から女性が出てきた。
 こういう家の人だと和服なんかをイメージしていたけれど普通に洋服姿の綺麗な人だった。

「あっちの方に行くと剣道場があるから。そこにいるおじいさんに声をかけて聞いてみるといいわ」

「ありがとうございます」

 トモナリのような若い人が訪ねてきたことも疑問に思わないのか女性は普通に受け答えしてくれた。
 変に学校は、なんて聞かれるよりありがたかった。

 家の中には入らず石畳の道を通って家の横に行くともう一軒家があった。
 これが剣道場らしい。

 ドアをスライドさせて開くと広い仕切りもない木製フローリングの建物の端の方で老年の男性が座禅を組んでいた。

「失礼します」

 軽く頭を下げながら靴を脱いで剣道場に入る。

「あのー」

「なんじゃ?」

 トモナリが男性に声をかけると目を閉じたまま答える。

「神切が欲しいんですけど」

「なんじゃと?」

 あれ、もんかせーは? とリュックの中のヒカリは思った。
 驚いたように目を開けた男性はトモナリのことをじっと見つめている。

「なぜそれのことを知っている?」

「なぜでしょうね?」

 トモナリはここに門下生になりにきたのではなかった。
 必要なものがあるから欲しいと思っていた。

 ただお金でも売ってくれないだろうことは分かっている。
 だからといって盗み出すなんてこともできない。

 ならば正面から欲しいと言ってみようと思った。
 怒られたところで子供の戯言で済む。

「なぜあれが欲しい?」

「必要だから」

「……こんな時間にふらついている……高校生? いや、中学生か。誰かに復讐でもするつもりか」

 思いの外話を聞いてくれるようでトモナリは驚いた。
「誰かを殺すのに日本刀なんて使いませんよ。そこらの石でいい。それに誰か殺すつもりはありませんよ。……今のところは」

 武器を使えば相手を倒すことは容易い。
 しかし武器を使った痕跡というのは分かりやすく、簡単にバレてしまう。

 殺すのはいいけれど逮捕なんてされる手段をトモナリは取らない。
 そもそも人を殺すつもりなどない。

 色々なことを正す上で人を殺すことも必要だとは思っているけれど現段階で殺すべき人はいない。

「ならばなぜ日本刀など必要とする?」

「今は必要じゃないけど……そのうち必要になるんです」

「今必要でないのなら今手に入れる必要はないではないか」

「欲しいと思った時にもらえるかも分かりませんし、そこにまだあるかも分かりませんから」

 トモナリが探しているのは神切という名前の日本刀であった。
 そんなものくれと言ってもらえるはずはないのだけど男性は頭ごなしに否定もしなかった。

「くれてやってもいい」

「えっ、本当ですか?」

「ただし、お前さんがアレを持つに相応しい思えばな。ワシは清水鉄斎(シミズテッサイ)。お前さんの名前は?」

「愛染寅成です」

「トモナリか」

 テッサイは壁にかけてあった木刀を手に取るとトモナリに渡した。

「神切を持つに相応しいと証明して見せろ」

 テッサイも木刀を手に取るとゆっくりと構える。
 要するに倒してみろということらしい。

「やってやろうじゃん」

 トモナリに諦めさせるための方便かもしれない。
 しかしトモナリだって戦いの人生を生き抜いた経験がある。

 逃げてばかりだったけれども戦わなかったわけじゃない。
 トモナリはヒカリの入ったリュックを下ろして数回木刀を振る。

 木刀は思ったよりも重くて少し顔をしかめる。
 まだまだ鍛え方が足りなくて十分に扱えなさそうな雰囲気がある。

「先手は譲ってやろう」

「ありがとうございます!」

 やや斜に構えたトモナリにテッサイは先手を譲った。
 トモナリは床を蹴って一気にテッサイと距離を詰めると真っ直ぐに木刀を振り下ろした。

 テッサイが木刀を防いでカァンと音が響く。
 想像していたよりも剣筋は良いと内心でびっくりしていた。

「まだまだ!」

 トモナリは素早く剣を引くとそのまま何度もテッサイを切りつける。
 テッサイは冷静にトモナリの攻撃を防御しているが思わぬ攻撃に舌を巻いていた。

 急所を狙った攻撃は鋭い。
 体格が追いついておらず木刀に振り回されている感じはあるもののそれすら活かして攻撃してくる様子はただの中学生に思えなかった。

「トモナリがんばれー!」

 ヒカリはリュックの中からチラリと目だけ出してトモナリを応援している。

「むっ!?」

 剣で押し切るのは大変そうだと思った。
 トモナリは左手を木刀から離すとテッサイの袖を掴んだ。

 勝つために手段など選んではいられない。

「ほほ……やりおるな」

 テッサイの首を狙って木刀を振る。

「じゃがまだまだ……」

 テッサイは袖を掴まれた右手を木刀から離すとそのまま腕を伸ばした。
 袖を掴んだままのトモナリは体のバランスを崩してしまう。

「うっ!」

 テッサイは木刀をトモナリのものと絡ませるように動かすと弾き飛ばした。
 片手ではとても支えきれずにトモナリの木刀は飛んでいき剣道場の床に落ちた。

「ワシの勝ちじゃな」

 そのまま尻餅をついて倒れたトモナリをテッサイは目を細めて見ていた。

「これでは神切を渡すことはできん」

「くっ……」

 正直勝てると思ってた。
 しかし力も技術もテッサイには劣っていて何度挑んだところで今の状態では勝てそうもなかった。

「トモナリをいじめるなー!」

「むっ?」

 トモナリが負けた。
 居ても立っても居られなくなったヒカリがリュックから飛び出してきてテッサイに襲いかかった。

「ふぎゃっ!?」

 ただテッサイも油断しておらずヒカリは普通に頭を木刀で殴られて床に叩きつけられた。

「なんじゃ!」

「ま、待ってください!」

 突然現れたモンスターに驚きながらもテッサイは再び木刀を振り上げた。
 いかに木といえどなんとも殴られれば危ない。

 トモナリはヒカリに覆いかぶさって守る。
 テッサイが途中で木刀を止めなかったらトモナリが殴られていたところだった。

「どけよ! そやつは……」

「こ、こいつは悪いやつじゃないんです!」

 世界を一度滅ぼした竜のくせに何をしているんだと思いながらトモナリは必死にテッサイを止める。

「うぅ〜ごめん……」

「いいから黙ってろ! こいつ、人を襲ったりしないんで……」

「今まさにワシを襲おうとしたではないか」

「それは……俺を守ろうとして」

「なに?」

 テッサイは思いきり眉間にシワを寄せた。

「神切とか、もうどうでもいいから……その、このことは秘密にしてほしくて」

 トモナリの腕の中でヒカリはテッサイを睨んでいる。
 けれど黙っていろと言われたのでとりあえず黙ってはいた。

「そやつを横に置いて立て」

「はい……」

 こうなってはトモナリに逆らうという選択肢はない。
 大人しくヒカリを床に置いてトモナリは直立不動で立つ。

 テッサイは木刀を壁に立てかけるとトモナリの前に立った。
「ふむ……」

 何をするのかと思ったらテッサイはトモナリの腕を掴んだ。
 何かを確かめるように力を入れては少しずつ掴む位置を変えていく。

 腕から肩へ、そして胴や足に至るまで全身一通り確かめる。

「何かスポーツは?」

「何もやってないです」

「体はいかにも普通だが骨は悪くない。動きも良かったし何かを習えば上達は早そうだ。トモナリよ、ワシの弟子にならんか?」

「えっ?」

「ワシの下で剣術を習ってみるつもりはないかと聞いておる」

 テッサイはトモナリの目を見てニヤリと笑った。

「このような時間をうろついているということは何か事情があるのだろう? 安心せい、聞くことはしない。だが時間に余裕があるなら何かを習ってみてもよいだろう」

 思わぬ提案に目をぱちくりとさせているトモナリにテッサイは畳み掛ける。

「それにじゃ。師というのは弟子の秘密を守るもんだ」

 テッサイがチラリとヒカリのことを見た。
 弟子になればヒカリのことも秘密にしておいてやると言っているのだとトモナリは察した。

 トモナリの理解したような顔を見てテッサイが満足そうに頷く。
 人の良い誘いに見せかけてとんでもない腹黒な脅しではないかとトモナリは苦い顔をする。

「少し……時間ください」

「ふぅーむ、なぜじゃ?」

「その……母さんに相談しないと。俺じゃ月謝も払えないですし、勝手に習い事のも……」

「はっはっはっ!」

 テッサイは一度大きく目を見開いた後大笑いした。
 あまりに才気溢れる若者を前にことを焦ってしまっていた。

 おそらく相手は学生で、それもまだ中学生ぐらいである。
 何をするにも制限があって然るべきで、己の判断だけでは難しいということを失念していた。

 それに照れ臭そうに母さんなどと口にするトモナリがなんとなく面白かった。

「金など取らん。門下生ではあるがワシが誘った弟子なのだからな。しかし保護者の同意というものも必要だろう。どれ、連絡先と住所教えろ」

「えっ?」

「ふっふっ、ワシが説得してやる」

 トモナリはまだ弟子入りするとは言っていない。
 しかしテッサイの中ではもうトモナリが弟子入りすることは決まっているようだ。

「弟子入り記念じゃ、ついてこい」

 住所と電話番号をメモ用紙に書かされて、受け取ったテッサイは忘れないようにと自分の財布の中にメモを畳んで入れた。
 ついてこいというのでトモナリはヒカリが入ったリュックを背負ってテッサイの跡を追って剣道場から出る。

 剣道場の裏には古めかしい大きな蔵があった。
 テッサイは懐から鍵を取り出すと蔵の扉を開けて中に入る。

「決して触れるでないぞ」

 蔵の奥に入ったテッサイは細長い木の箱を取り出した。
 ふっと息を吹きかけて埃を飛ばすと近くにあった適当な物の上に置いた。

「これが神切じゃ」

「これが……」

 木の箱を開けると中には一振りの日本刀が入っていた。
 しかしその様子は少し異常であった。

 刀は鞘に収められているのだが、鞘にはお札のようなものが貼ってあった。
 刀が抜けないようにツバから鞘にかけてもお札が貼ってあっていかにも曰く付きな代物に見えた。

「こんなもの欲しがるのはそういない。神を切る……などという大それた名前からだろうか、この刀は持つ人を狂わせる呪いの刀なのじゃよ」

 テッサイの目を見れば冗談を言っているのではないと分かる。

「なんか力を感じる」

 リュックから顔を出していたヒカリは神切を睨みつけるように見ている。

「これ、危なそうだぞ」

「どうやらそうみたいだな」

 神切がこんなものだとはトモナリも知らなかった。
 ただ回帰する前に知っていたもので、テッサイの手元にあったことを知っていたから欲しいと思ったぐらいだったのである。

「どうやってこの刀のことを知ったのかは聞かん。だが己を律する精神力を持たねば刀に取り込まれてしまう。そう言った意味でも弟子として修行することを勧めるのじゃ」

 テッサイは箱を閉じると再び蔵の奥に箱を押し込めた。

「もし仮にお前さんがアレを持つのに相応しい男になったのなら、その時はタダでくれてやる」

「……分かりました。タダでもらっていきます」

「気が早いな」

 テッサイは異様な刀を見ても物怖じすらしないトモナリにより好感を抱いた。

「どうじゃ、昼はまだだろう? 用事がなければうちで食べていきなさい」

「……こいつもいいですか?」

 トモナリは体をねじってリュックを前に出す。
 顔を出したヒカリがテッサイの目をじっと見つめている。

「危なくなさそうだしな、いいだろう。弟子のペットはワシも可愛がろう」

「ペットじゃない! トモナリと僕は友達!」

「友達か。そりゃ悪いことをしたな。弟子の友達なら歓迎しよう」

「テッサイ良い人!」

「はっはっ、ありがとさん」

 ーーーーー

「今日は何食べたの?」

「コンビニで適当に」

「……やっぱり朝何か作っていった方がいいかしら?」

「いいよ! 母さんも忙しいし」

 お昼はテッサイのところで食べましたなんて言えなくて適当に誤魔化す。
 夜ご飯を食べながらゆかりはトモナリが日中どんなことをしていたのを聞く。
 ランニングしていることなんかはまだ伝えていなくて、いつもは勉強していたとか言っている。

「あの……母さん」

「あら? ちょっと待ってね」

 テッサイに弟子入りすることについて話してしまおうと思って切り出した瞬間インターホンが鳴った。
 タイミング悪いなとトモナリは渋い顔をして、インターホンにつけられたカメラの映像に目をやった。

「……あれ?」

 なんとなく見たことがある人が映っているような気がした。

「トモナリ、清水鉄斎さんって方が来てるけれどお知り合い?」
 
 気のせいではなかった。

「このような夜分にお訪ねしたこと申し訳ございません」

「いえ、それよりもうちのトモナリが何かご迷惑でも?」

 まさかその日のうちに来るなんて思いもしなかった。
 トモナリが知っている人だというとゆかりはテッサイを家にあげた。

 手土産まで持ってきているテッサイだったがゆかりは見知らぬ年上の知り合いに不安げな顔をしている。
 トモナリが何か迷惑をかけたのではないかと少しだけ疑っているのだ。

「いやいや、迷惑などかけていないよ」

「でしたらどういったご用で? それに……どこでトモナリと?」

「改めて自己紹介いたしましょう。清水鉄斎と申します。近くで小さい道場をやっているものです」

 テッサイは懐から名刺を取り出してゆかりに渡した。

「清水剣道道場?」

「ええそうです。今回こちらにお伺いさせていただいたのはトモナリ君をうちの道場に入れてみるつもりはないかと思いまして」

「道場に? トモナリを?」

「たまたまトモナリ君をお見かけしまして。運動神経もよさそうですし、暇を持て余しているようなら剣道を習わせてみませんか?」

 突然の話にゆかりは困惑しているようだ。
 こうならないようにトモナリから話しておこうと思ったのにテッサイのフットワークが想像よりも遥かに軽かった。

「トモナリ、今の話…………」

「ゆかりのご飯は美味いのだ」

 話は本当で剣道を習うつもりがあるのかとトモナリの方をゆかりは見た。
 トモナリの隣ではヒカリがぱくぱくとご飯を食べていた。

「トモ……」

「母さん?」

「そ、それ……」

「それ?」

 ヒカリのことが他の人にバレてはいけない。
 ゆかりは今更ながら必死にヒカリのことをトモナリに伝えて隠させようとした。

 しかし視線で誘導しようとしてもトモナリからすれば盛大に目が泳いでいるようにしか見えなかった。

「ヒカリよ!」

 もうどうしようもないと小声でトモナリに伝える。

「あー、これは」

「これはじゃないでしょう!」

「トモナリ君のお母さん、ご心配なされるな」

「へっ?」

「見えてないわけでも、気づいていないわけでもありません。ちゃんと分かっております。トモナリ君のお友達のヒカリさんでしょう」

 ヒカリのことを知らない人が来たのならトモナリだってちゃんとヒカリのことを隠している。
 トモナリがヒカリがいる場で平然としていたのはテッサイがヒカリのことを知っているからである。

「ワシはヒカリさんをどうこうしようというつもりはありません」

「そ、そうだったんですか……」

 ホッとため息をつくゆかり。

「話を戻しましょう。トモナリ君を道場にどうですか? 剣道は心身を鍛えるのにもいい。礼儀作法も身につきますしもっと先を見据えれば就職にだって有利でしょう」

 テッサイは意外とセールストークも上手い。

「……お金とかはかかるのでしょうか?」

「本来なら月謝や必要な道具のお金が必要になりますが今回ワシが出そうと思っています」

「えっ!?」

 月謝はいらないと聞いていたが道具のお金まで出す気だと聞いてトモナリも驚く。

「どうしてそこまで……」

「目の前に磨いてみたい原石が現れたのです。引き留めるためならこれぐらいするというものです。まあ、ジジイの道楽だと考えてください」

「ではせめて月謝ぐらい払わせてください」

 タダならタダでもいいのかもしれないけれどタダだとむしろ不安になってしまう側面もある。
 ゆかりは剣道の道具について何も知らないので揃えてくれるというのならその方がトモナリのためになるかもしれないと考えた。

「それではお母様の同意が得られたということでよろしいですかな?」

「あっ、トモナリは剣道を習いたいの?」

 なんとなく同意する方向で話が進んでいたがトモナリの意思を聞いていないとゆかりは思った。

「母さんがいいなら俺習ってみたい」

「じゃあ清水さんよろしくお願いします」

「ぜひ鉄斎とお呼びください」

「では鉄斎さんと」

 なんだかすごい速度で決まったけれど、ゆかりの許可も得られてトモナリは正式にテッサイの道場に通うことになったのである。
 テッサイに弟子入りしてトモナリの生活にも変化があった。
 朝は少しゆっくりとゆかりと過ごし、ゆかりが会社に行ったらトモナリはランニングして道場に向かった。

 テッサイの指導の下で体づくりをしたり剣を習ったりしてお昼はそのままテッサイのところでお昼もいただくことになった。
 そして午後は一応勉強ということになっている。

 でも回帰前のこの時期は普通に学校で学んでいたので少し復習すれば難しいことは何もなく、勉強の頻度を落としてまた体を鍛えたりしていた。

「なんの変哲もないように見えるけれど今この世界がどうなっているのか知ってるか?」

 たまにはと思って少し高くなっているところまでランニングしてきた。
 見下ろす町並みは平和そのものでなんの危険もないように見えるけれど、これが仮初のものであるとトモナリは知っている。

「ううん、知らない」

 周りに人がいないことを確認してヒカリはリュックから顔を出した。
 そして肩に頭を置くようにして同じく街並みを見下ろす。

「今この世界には危機が迫ってるんだ」

「危機?」

「そうだ。始まりは天がもたらした地獄の始まりと呼ばれる出来事だった」

 トモナリは街を見下ろすのをやめてゆっくりと坂を下り始めた。

「ある時全世界、全ての人の頭の中に声が響いた」

 “99個のゲートをクリアせよ。さすれば滅亡を避けられん”

 言葉の意味が理解できない人類だったがすぐに言葉の意味を理解した。
 不思議なゲートが現れて、その中から異形の化け物が出てきて暴れた。

 ただ希望も見えた。
 モンスターを倒した人が覚醒したのである。

 モンスターと戦える力が目覚めて、スキルという力を与えられて人類はモンスターと戦い始めた。
 今では最初に言われた99個のゲートのことを試練のゲートと呼んでいる。

「細かく言えば色々あったけど今では覚醒者が増えてモンスターと戦って平和を取り戻したんだ」

「へぇ……」

「それでもまだ世界中にゲートは残ってる。しかも99個に含まれないゲートまで発生したりと大変なんだ」

 だから仮初の平和であるとトモナリは言う。
 これから99個の試練のゲートが次々と出現し始めて人類は段々と追い詰められていく。

「そして最後に現れたのがお前なんだよ」

「僕?」

「そうだよ」

 試練のゲートはクリアせずとも次のものが現れて、やがてモンスターが外に溢れ出した。
 試練のゲートの中で99個目、最後のゲートから現れたのが邪竜であるヒカリだった。

「……そういや、99個目のゲートはどうなるんだろうな」

 99個目のゲートのボスがヒカリだった。
 正確には人類は79個のゲートまでしかクリアできず、99個目のゲートは中に入ったこともないのでヒカリがラスボスだったのかは不明である。

 しかしあの強さと状況を見るにヒカリが最後の敵だったのは間違いないはずであると誰もが信じていて、邪竜を倒せばと全力で挑んだものだった。
 でも今ヒカリはトモナリと一緒にいる。

 そうなると99個目のゲートはどうなるのか。
 ヒカリと同じ邪竜がまた生まれるのか、あるいはまた別のモンスターがボスになるのか。

「まあどうでもいいか」

 そもそもどうにかしてそこまで行かねば確認もできない。
 今回はちゃんと試練のゲートをクリアしていきたいものである。

「そのためにも準備しなきゃいけないことがある」

「何やるんだ?」

「ふふ……まずは覚醒だな」

 ーーーーー

 トモナリは朝のランニングをしていた。

「おはよう、いつもより早いんじゃないかい?」

「おはようございます。今日はちょっと用事があって」

 走っているのはいつものルートで、毎日走るものだからあいさつに声をかけてくるような人も何人かいたりする。
 ただ今日いつもと違うのは走っている時間が早いということである。

 いつもはゆかりが仕事に行った後にトモナリとヒカリも家を出るのだが、今日はゆかりよりも早くに家を出た。
 
「上手く借りられたな」

 トモナリは走るペースを落としてのんびりと歩く。
 いつものジャージにヒカリが入ったリュックスタイルであるのだが手に木刀を持っている。

 不思議がって聞いてくる人もいたが剣道習ってるんですよと普通に答えるとそれで納得してもらえた。
 木刀の出どころはもちろんテッサイである。

 素振りしたいから貸してくれというと殊勝なことだと言って木刀を渡してくれた。

「さてと、忍び込むか」

「んー? ここが目的地?」

「そっ」

「おっきー家だねー」

「家じゃないぞ。これは学校っていうんだ」

 トモナリが立ち止まったのは小学校の前だった。
 しかし小学校は昼間にも関わらず門が閉じられ、あるはずの活気がなく校舎の中は暗い。

 それもそのはずでトモナリがいる小学校は現在廃校となっていて校舎は利用されていないからである。
 数年前に近所にもう一つある小学校と合併になってそれから使われていない。

 まだまだ知識不足のヒカリから見ると小学校はとても大きな家に見えた。

「よいしょっと……」

 門は閉じているが小学校の門だからそんなに立派なものでもない。
 最近鍛えているトモナリはひょいと壁を蹴って高く飛び上がると門を飛び越えた。

「くだらないイタズラする奴もいるんだな」

 割と綺麗に見える校舎だが段ボールを窓に貼り付けてあるところもある。
 忍び込んで石でも投げつけたのだろう。

「よしっと……一回出てくれ」

「ほいほーい」

 小学校の入り口でリュックを下ろす。
 廃校に人はいない。

 ヒカリはリュックから飛び出すと翼を広げてグーっと体を伸ばす。
 トモナリはリュックの中に手を突っ込むとプラスチックのボトルを取り出した。

 中には透明な水が並々と入っている。
 ボトルの蓋を開けると入り口に水をぶちまけていく。

「しょっぱ」

「こらこら汚いぞ」

 床にまかれた水を舐めてヒカリがべっと舌を出す。
 一通り入り口に水をまくと土足のまま校舎の中に入っていく。
 古い感じはあるけれどまだ使えそうな校舎である。

 校舎がダメになったからではなく児童数の減少によって学校を合併することになったので廃校となったのだからまだ使えて当然である。
 イベントに使うとか貸し出すとかいくつかのアイデアはあったようだけどどれも実現しないまま放置されている。

「……にしたって分かんないよな」

「何探してるのだ?」

 誰もいない校舎の中でヒカリはリュックから体を出してトモナリの頭に自分の頭を乗せている。
 校舎の中を歩き回っているトモナリは小さくため息をついた。

 何かを探しているようだけど何を探しているのだろうかとヒカリは疑問に思っていた。

「ゲートを探してるんだけど……出てこなきゃ分かんないしな」

 トモナリが探していたのはゲートだった。

「ゲートってなんなのだ?」

「そんなことも知らない……まあ知らなきゃ知らないか」

 今の世界においてゲートとは常識であるがトモナリにとっての常識をヒカリにそのまま当てはめるのは酷だろう。

「ゲートってのはな、異世界に繋がる不思議な入り口のことなんだ。どうやってゲートができるのかは分からないけれどある時急に現れて、中からモンスターが出てきたりするんだ」

「じゃあ僕もゲートってところから出てきたのか?」

「覚えてないのか?」

「……あんまりあの時のこと記憶にないんだ」

「そっか。多分ゲートから出てきたと思うけどそれを見たやつはいないからな」

 今回ヒカリは卵から出てきた。

「そんでゲートも俺たちがクリアしなきゃならない99個の試練ゲートと関係のないモンスターゲートがあるんだ。今回探してるのはモンスターゲートの方」

「ここにあるのか?」

「あるってか、出るはずなんだ。記憶ではな」

 この時期の記憶はトモナリの中で遠い。
 いじめられていた時期で思い出したくないことが多いせいか記憶が薄いのだ。

 トモナリの日常のせいだけでなくトモナリの周りでは平和で記憶に残るような出来事も少なかった。
 ただそんな中でも覚えていることもある。

「今日この学校にゲートが出現するんだ」

 モンスターゲートの出現は平和だった日常に大きな衝撃を与えた。
 トモナリが直接被害に遭ったものではなかったが朝の通勤通学の時間を直撃したモンスターの襲撃は意外と大きな混乱を生んで被害をもたらした。

 おかげで学校は数日休みになったとか小さい影響はあったが、近所のスーパーがゲートの影響で閉店してしまったのは生活に影響を与える被害だったといえる。
 当時はどこでゲートが発生したのかわからなくて対応が遅れてしまったけれど廃校として誰も立ち入らなかったここがゲートの発生場所だったのである。

「ゲートで何をするんだ?」

「まあちょちょいとモンスターを倒して覚醒したら逃げるんだ」

 99個のゲートをクリアするため、モンスターに対抗するために人類には力が与えられた。
 魔力、スキルなどこれまでになかった力を引き出す最初の一歩が覚醒である。

 やり方は簡単でモンスターを倒せばいい。
 どんな方法、どんなモンスターかは問わず、モンスターを倒せれば覚醒することができる。
 
 途中まで人類は望む人だけに覚醒を促していた。
 覚醒した人は覚醒者と呼ばれて自分の能力を使ってモンスターと戦いゲートを攻略した。

 しかし事態が差し迫ってくるとなんの能力も持たない人を守ってもいられなくなった。
 そして全人類総覚醒者時代が訪れる。

 トモナリはその前から覚醒していたが覚醒者となった時期が遅かったことは否めない。
 今回は計画がある。

 そのためには早めに覚醒しておきたいと考えていた。
 しかし覚醒も楽じゃない。

 そこらへんをノラモンスターが歩いているはずもないし、覚醒前の一般人の状態でモンスターを倒すのは困難である。
 基本的には覚醒者の大人がついてモンスターを倒させてあげるお膳立てをしてもらって初めて覚醒できる人がほとんどになる。

 そこまで待っていられない。
 だからトモナリは記憶の中にあったモンスターゲートを利用しようと計画していたのである。

「出るまで待つっきゃないか」

 しかし学校は思いの外広い。
 学校の中でゲートが発生したという話は聞いたけれど学校の中のどこでゲートが発生したかなんて聞いた覚えはない。

 多分そんな情報はニュースとか新聞とかでも出ていなかったとトモナリは思う。
 わざわざ教室の位置まで報道されないので知らなくても仕方ない。

 ただどこにゲートが出るのか分からない以上はゲートが出るまで待つしかない。

「しゃーねえ」

 トモナリは適当な教室に入った。
 そこにはまだ机と椅子が残されていて生徒が通っていた頃の面影を残している。

 適当な椅子の埃を払って座るとリュックの中から弁当箱を取り出した。

「ほれ」

「ありがと」
 
 朝ご飯を適当に詰め込んできたもので、ウィンナーと卵焼き、それにおにぎりである。
 いつもの朝ごはんは目玉焼きなのだけどお弁当用に卵焼きをゆかりが焼いてくれたのだ。
 ヒカリは普通に食事する。
 最初何も分からなかったゆかりが犬の餌を買ってきてヒカリが怒った事件があったのだけど、今ではトモナリやゆかりと同じ人の食事をモグモグしているのだ。

 だからお弁当もヒカリの分を用意してある。

「卵焼きだ!」

 ヒカリは目玉焼きよりも卵焼きの方が好きらしい。
 しかも甘めの味付けが好みである。

「美味いぞ〜」

 卵焼きを口に放り込んでヒカリはご機嫌そうにしている。
 流石に箸は使えないので手で摘んでひょいひょいと食べている。

 おにぎりは器用に持っている。

「むぐっ!」

「慌てて食べるな。お茶だ」

「ゴキュ……プハッ、危なかったぁ」

 ヒカリの食べるペースは速めでおにぎりを喉に詰まらせてしまった。
 少し苦笑を浮かべたトモナリが水筒を渡してやるとお茶でどうにかおにぎりを流し込んだ。

「大丈夫か?」

「うん、危なかったけど大丈夫!」

「ならよかったよ。少しはゆっくり食え」

「そうする」

 朝ご飯を食べながらトモナリはスマホで時間を確認した。
 もう通勤通学のピーク時間が近くなってきた。

 つまりはそろそろゲートが現れる時間になるはずなのだ。

「手、拭け」

 素手で食べるという都合上ヒカリの手は汚れる。
 トモナリはちゃんと用意していたおしぼりを取り出してヒカリに渡した。

「そろそろまた教室回るぞ。ゲートが出るかもしれない」

 腹も満たされたのでまたゲートが発生してないか校内を回ろうと思った。

「トモナリ、何か感じる」

「感じるだと? 何をだ?」

「分かんないけど……下の階」

「下か……行ってみるか」

 上の階の教室から回っているとヒカリが何かを感じとった。
 それが何かは知らないけれどドラゴンであるヒカリならゲートの存在を感じ取れるのかもしれないとトモナリは思った。

「もう一つ下」

「分かった」

 四階建ての学校の二階まで降りてきた。

「むむむむむむ……」

 ヒカリは違和感がどこから感じるのか集中して見極めようとしている。

「ここじゃない」

 一つずつ教室を回りながらヒカリは違和感の原因を探す。

「……ここ!」

 三年七組の教室でヒカリは強い力を感じ取った。

「何かがある」

「今んところ何もないけど……」

 トモナリが教室の中を見回してもただの教室である。
 しかしこんな状況で何もないと考えることはできない。

 多分ここがゲートの発生場所なのだとトモナリは確信を持った。
 トモナリはリュックの中から水の入ったボトルを取り出す。

 そして学校の入り口でやったように教室の入り口にも水を撒いていく。

「うっ!」

「トモナリ!? 大丈夫か?」

「ああ……大丈夫だ」

 急に耳鳴りがして頭に痛みが走った。
 トモナリは思わずボトルを落としてしまい、ヒカリが心配そうに顔を覗き込む。

「今のは……あれが原因か」

 何が原因でそんなことになったのかすぐにわかった。
 教室のど真ん中に魔力が集まっている。

 普段は目に見えないはずの魔力が青く光って渦巻いていて、最初は人の頭ほどの大きさだったものが大きくなっていく。
 そして天井にもつきそうなほどに青く渦巻く魔力が広がるとトモナリが感じていた耳鳴りが収まった。

「……来たか」

 ゲートが開いた。
 青く渦巻くような魔力の中からスケルトンがゆっくりと出てきた。

 人間の骨のようなモンスターで動きは鈍くて力も弱いけれど痛みを感じず大量に発生することもある厄介さがある。

「んじゃさっさと覚醒するか」

 トモナリは木刀を手に持つとボトルに残っていた水をかけた。

「俺の第一歩、ご苦労さん」

 出てきたばかりのスケルトンと素早く距離を詰めるとためらいなく木刀を振り下ろして頭をかち割った。
 どたんとスケルトンが床に倒れて動かなくなる。

「う……」

『覚醒しました!』

 直後全身を不思議な感覚に襲われてトモナリはふらついて近くの机に手をついた。
 覚醒する時の独特の感覚。

 人によって感じ方は違うらしいけれどトモナリはめまいにも近い感じを受けた。
 回帰前はほとんど何も感じなかったのになと思いながら頭を振って改めて状況を確認する。

 視界の端に不思議な表示が見えて、トモナリはニヤリと笑った。

「逃げるか」

 ゲートからは続々とスケルトンが出てきている。
 覚醒したとはいってもまだ子供であるトモナリ一人で大量のスケルトンを相手にするのは難しい。

 確かめてはいないものの感覚的には覚醒しているので目的は達成できた。
 すぐさま教室を出て逃げ始める。

「えっと……通報通報っと」

 教室を飛び出して階段を降りながらスマホを取り出した。
 このままゲートを放置しておけば通勤通学の人たちが襲われて被害が出てしまう。

 スーパーの閉店を防ぐためにも早めに通報して、早めにゲートを閉じてもらう必要がある。
 警察ではなく覚醒者協会というところに電話する。

 番号は事前に調べてある。

「はい、モンスター対策窓口です」

「ゲートが発生してモンスターが出てきているんです!」

「本当ですか! どちらでゲートが?」

 学校から出て一応後ろを確認しながらトモナリはゲートの発生を通報する。
 鈍いスケルトンが追いついてくるはずもないし、しっかりと時間を稼ぐための対策もしてある。

 後ろにはスケルトンもおらず、このまま帰ってしまえば後はゲートが攻略されるだろうと思った。

「きゃー!」

「……なんだ?」

 少し様子を見て大丈夫なことを確認したトモナリが帰ろうとした時だった。
 学校の中から女の子の悲鳴が聞こえてきた。
「……人がいたのか?」

 全く気づかなかった。
 そもそも廃校に忍び込むのはトモナリのように何かの目的を持った人か、イタズラしにきたバカかのどちらかである。
 
 こんな朝からイタズラしに来るやつなんてそうそういない。
 しかもこうしたイタズラをするのは男が多いのだが今の声は女の子のものだった。

「トモナリ?」

「助けに行こう」

 知らない奴がどうなろうと知ったことではない。
 けれど回帰前トモナリは色んな人に助けてもらった。

 これから世界を救うために頑張ろうというのにこんなところで助けられそうな人を見捨ててはいけない。
 トモナリは木刀にまた水をかけると学校の中に戻っていった。

「悲鳴が聞こえたということは……」

 モンスターに遭遇したのだろうという予想がたつ。
 つまりは二階のゲート周辺に人がいるのだろうと思った。

「ヒカリ、お前飛んで外から人を探してくれ」

「分かった! トモナリ、怪我するなよ!」

 トモナリの頭からヒカリが離れて学校の外に飛び出していく。

「うっ! これはまずいな……」

 二階に上がってみようと階段の上を見上げあるトモナリは顔をしかめた。
 教室からスケルトンが溢れ出していて、階段を降りてきていた。

 スケルトンはトモナリを見つけるとカタカタと音を立ててほんの少しだけ速度を上げて階段を降りてきた。

「ここから上に行くのは厳しいな」

 トモナリはスケルトンに背を向けて走る。
 廊下を真っ直ぐに走っていって校内の逆側にある階段までやってきた。

「こっちにはいないな」

 教室に近かった階段はスケルトンがいたけれど逆の方にある階段にはまだスケルトンはいない。
 二階に上がって角から廊下を覗き込む。

 遠くの方にスケルトンが見える。
 階段の方に多くのスケルトンが流れていっていて校舎の逆側に向かってきているスケルトンは多くない。

「トモナリ!」

「ヒカリ!」

 閉じている窓をヒカリがゴンゴンと叩いていた。
 トモナリが鍵を開けるとヒカリが中に入ってくる。

「四階に誰かいるぞ」

「四階だと? しょうがない」

 誰なのかは知らないが面倒なところにと舌打ちしたい気分だった。
 しかし四階にいてはすぐにスケルトンが学校中に溢れて逃げられなくなってしまう。

 トモナリは四階に向かった。

「んーと、あっち!」

 ヒカリが集中力を高めて人の存在を探す。
 さすがはドラゴンでそうした感覚も人より優れているようだ。

「おい!」

 ヒカリが言う教室には誰もいないように見えた。
 けれどどこかに誰かいるはずで、人が隠れられる場所など限られている。

 トモナリは教卓の下を覗き込みながら声をかけた。

「ヒッ!」

「こんなところで何してる?」

 教卓の下に女の子がいた。
 トモナリと同い年ぐらいの子で手には猫を抱えていた。

「ひ、人?」

「人だ。もっかい聞くぞ。こんなところで何してる?」

 もっとガキ、あるいはもっと悪そうな奴ならともかく、女の子はスレたようには見えなかった。
 廃校に忍び込んで遊ぶような子ではなさそう。

 艶やかな黒髪を腰あたりまで伸ばした可愛らしい顔をしていて左目の下に泣きボクロがある。

「その……猫ちゃんが入ってっちゃって……そしたらモンスターが……」

「今時猫かよ……」

 予想もしなかった答えにトモナリは頭を抱えた。

「こんなところに隠れてたんじゃ手遅れになる。早く逃げるぞ」

「あっ……うん」

 怯えたような表情をしていた女の子だが人に会って少しだけ安心したようだ。
 
「トロトロしてるとスケルトンに逃げ道を封じられる」

「で、でも階段はモンスターが……」

「あっちの階段でいくぞ」

 どうやら女の子が逃げようとした時にはスケルトンが階段にいたようだ。
 だからひとまず上に逃げたのだろう。

 そこから逆側の階段へといかないのはパニックになっていたら仕方ない。
 教室から顔を出して廊下を確認する。

 まだ四階にはスケルトンは上がってきていない。
 トモナリたちは逆側の階段まで走って降りていく。

 三階、ゲート近くの階段の方にスケルトンが見える。
 ただ逆側の階段の方はまだギリギリ大丈夫だった。

「モ、モンスターが!」

「俺が道を切り開くから先に行け!」

「でも……」

「でもじゃない! 行くぞ!」

 三階から二階に行くともうすでにスケルトンが逆側の階段の方まで来ていた。
 動く骨に女の子は怯えて立ち止まってしまったが時間をかけるほどにスケルトンは増えていってしまう。

 トモナリは気づかれる前にとスケルトンに近づいて水に濡れた木刀で殴りつける。
 骨が砕けてスケルトンが倒れて周りにいたスケルトンがトモナリに気がつく。

「いけ!」

「うっ……!」

 女の子はトモナリの叱責になんとか勇気を奮い立たせて走り出す。

「邪魔だ!」

 トモナリは邪魔になりそうなスケルトンを木刀で倒して道を確保し、女の子はなんとか階段を降りていく。

「きゃー!」

「おい、なんで戻ってきた!」

「し、下にもモンスターが!」

「……くそっ」

 すぐに追いかけようとしていたら女の子がまた階段を上ってきてしまった。
 もう階段下までスケルトンが回ってきていたのである。

 トモナリは思わず舌打ちをした。
 スケルトンを学校の外に出さないための工作が裏目に出たのだと察知した。
「ど、どうしますか!?」

 階段下からもスケルトンが上がってきている。
 このままでは囲まれてしまう。

 しかし上の階に逃げたところで追い込まれることに変わりはない。

「……ヒカリ!」

「僕も戦えるぞ!」

「ふええっ!? また別のモンスター!?」

 リュックの中に隠れていたヒカリが出てきて女の子は驚きに後ずさる。
 
「飛び降りるぞ」

「え……えええっ!?」

 こうなったら逃げ道は窓しかない。
 近くに先ほどヒカリが入ってきて開けっぱなしになっていた窓がある。

 ここは二階である。
 少し危険はあるけれど飛び降りることもできないわけではない。

「……出来るな?」

「やってみる!」

 トモナリはヒカリに作戦を伝えた。
 安全性を少し高めるぐらいの作戦だがないよりマシだろう。

「飛び降りろ!」

「ええ……そんな……」

「モンスターに殺されるよりマシだろ!」

 窓から飛び降りろという言葉に女の子はためらいを見せる。
 気持ちは分からなくもない。

 たとえ二階といっても下を見れば結構な高さがある。
 ヤンチャなガキならともかく普通の人は二階から飛び降りるということは簡単な行為ではない。

 しかし今は悩んでいる時間も惜しい。
 ゆっくりと迫り来るスケルトンは数を増やしていてジリジリとトモナリたちは追い詰められている。

「うっ……と、飛び降りる……」

 女の子は窓から下を見て飛び降りることをためらっている。

「早くしろ!」

 トモナリは近づいてきたスケルトンを木刀で倒す。
 あまりスケルトンも倒したくないのにと内心苦々しい思いでいっぱいだった。

「チッ……ヒカリ!」

「むふー! やっちゃうよ!」

「へっ……キャアアアア!」

 これ以上待っていられない。
 痺れを切らしたトモナリはヒカリを女の子に差し向けた。

 ヒカリは女の子の服を掴むとそのままグイッと引っ張って窓の外に引きずり出した。

「ふぬー!!!!」

 目を閉じて衝撃に備えた女の子だったけれど思いの外地面につかない。
 そっと目を開けるとゆっくりと地面が迫ってきている。

「ふぃ〜」

 トモナリがヒカリに伝えた作戦はヒカリが服を引っ張って落下速度を緩やかにできないかというものだった。
 少しでも速度が落ちて安全に着地できるならと思っていたけれどヒカリの力はトモナリの想像よりも強くて、安全に女の子を下ろすことができた。

「早く逃げろ!」

 そのまま地面に下ろされて呆然とする女の子にそれだけ言うとヒカリはまたトモナリのところに戻っていく。

「しまっ……!」

 トモナリが横に降った木刀はスケルトンの頭を破壊することができずにそこで止まった。
 高い物理力があればスケルトンを破壊して倒すことができる。

 しかしスケルトンは腐ってもモンスターでまだまだひ弱なトモナリで倒すことは簡単でなかった。
 そこでトモナリはスケルトンの弱点を突くことにしていた。

 スケルトンはアンデッド系モンスターであり、神聖力という力に弱い。
 これはスキルによって与えられる神様の神聖な力で、スケルトンのみならずアンデッド系モンスターのほとんどに対して強い力を発揮する。

 けれど神聖力の用意など現段階のトモナリにはできない。
 だがスケルトンにはまた別の弱点があった。

 それは塩なのである。
 スケルトンを含めた一部の弱いアンデッド系モンスターは塩に弱いという特徴を持っていた。

 トモナリは事前に塩を用意して水に大量に塩を溶かし込んでいた。
 校舎の入り口や教室で撒いたもの、あるいは木刀に振りかけていたのもこの濃い塩水であった。

 塩をふりかけてもスケルトンは倒せないけれど塩の効果を持ったもので攻撃するとスケルトンの防御力が大きく下がるのである。
 しかし何度も木刀を振るっているうちに水が飛んでいって塩の効果が薄くなっていてしまった。

 倒せなかったスケルトンはそのままトモナリに手を伸ばした。

「あぶなーい!」

 窓から飛び込んできたヒカリがスケルトンの頭に飛びかかった。
 スケルトンが勢いに負けて倒れて、密集していた他のスケルトンもドミノ倒しに倒れていく。

「ナイス、ヒカリ!」

「あいつは無事だ!」

「じゃあ飛び降りても大丈夫そうだな!」

 骸骨に囲まれても嬉しくない。
 トモナリはスケルトンに背を向けると窓に向かって走り出した。

「ヒカリ、いくぞ!」

「おうとも!」

 トモナリは窓枠に足をかけて飛び出す。
 倒れなかったスケルトンが手を伸ばして追いかけてきたけれどトモナリの背中には届かない。

「キャッチ!」

 ピークを過ぎて落ち始めたトモナリのリュックをヒカリが掴む。
 そして黒い翼を思い切り羽ばたかせる。

「ふぬぅーーーー!」

 流石に女の子よりも重たい。
 でも普通に落下するより遥かに緩やかな速度でトモナリは落ちていって上手く着地することができた。

「……あいつは逃げたようだな」

 もう女の子はいなかった。
 いたらいたで何してんだと思うがいないといないで礼ぐらいあってもなんて思う。

「まあいい、行こうか」

 先ほど通報したのでもうすぐ人も来るだろう。
 校舎の中にいたなんてバレると何と言われるか分からないのでさっさと学校の敷地内から出る。

「効果はあったな」

 見ると学校の入り口でスケルトンたちがうろうろしている。
 濃い塩水を越えられないのだ。

 教室の方はおそらくゲートから次々とスケルトンが溢れてくるので押し出されたのだろうが、入口の方はまだもう少し持ちそうだった。

「……到着したようだな」

 警察のサイレンが聞こえてくる。
 あとは大人たちに任せればいいとトモナリとヒカリはそのまま道場に向かったのだった。