ラスボスドラゴンを育てて世界を救います!〜世界の終わりに聞いたのは寂しがり屋の邪竜の声でした

 朝見た時に卵の大きさはいいとこ拳程度だった。
 それなのに今はトモナリの頭よりも大きくなっている。

 もはや見間違いなどと自分を誤魔化すこともできないぐらいのサイズである。

「重いな……」

 トモナリが卵を持ち上げてみるとずっしりとした重さがある。
 ハリボテの卵ではなく中身がある卵だ。

 卵を耳に当てて目を閉じる。
 卵の中の音に意識を集中させる。

「生きてるのか」

 トントンと卵の中から一定のリズムを刻んでいるのが聞こえてくる。
 何かの生き物が中にいて鼓動している。

 卵から顔を離して改めて考えてみる。
 こんな卵を拾ってきたことがあっただろうかと。

 だが改めて考えてみても卵を拾ってきたなんて記憶はない。
 こんなふうにデカくなる卵ならば絶対に記憶に残っていてもおかしくない。

 なのに全く記憶にないというのがまた恐怖すら覚える。
 だが一つだけ心当たりはある。

「……魔獣の卵か?」

 不思議な速度で大きくなる卵としてモンスターの卵というものがこれから先の時代に現れる。
 そのせいで色々な問題が起こるのだがそれはまた別の話である。

「……まあいい」

 思い当たる節もないのに記憶を探っても時間の無駄になるだけ。
 トモナリは卵をベッドの上に戻すと机に向かった。

 ボールペンを片手にノートを広げる。
 少し考えを整理しようと思った。

 1日経ったけど夢から覚める様子もない。
 夢だと痛みを感じない。

 だから自分の体をつねって夢かどうか確かめるなんてことがある。
 しかしカイトに殴られた時しっかり顔は痛かったし母親であるゆかりが悲しんだ時は胸が痛かった。

 じゃあどうしてこんなことになっているのか。

「あれの方が夢だってのか?」

 一度歩んできた人生の方が夢だったのかと考えてみる。
 戦って戦って、そして結局敗北して死んだ辛い記憶は鮮明に覚えている。

 夢とはとても思えない記憶がトモナリの中にはあるのだ。

「ん?」

 ゴロンと音がしてトモナリは振り返った。
 卵が床に落ちて転がっていた。

 置き方が悪かったのかなとベッドの奥に置いて今度は落ちないようにしておく。

「今の状況も夢じゃなく、記憶も夢じゃないとしたら……回帰、やり直しとかそんなものなのか?」

 トモナリはやり直しや回帰などの言葉を一応知っている前までいた友人がそうした小説が好きで話してくれたことがあったからだ。
 ただ細かくは知らない。

 危機的な状況から急に時間がさかのぼるような現象が起きて、人生をまたやり直すことがあるみたいな内容だったとおぼろげだ。

「俺が回帰した? なんでだ?」

 仮に回帰というものが己の身に起きたのだとトモナリは仮定してみた。
 そうすると一定程度の説明は成り立つ。

 死にかけの危機的状況から人生が巻き戻ってきた。
 だから一度駆け抜けた人生の記憶があるというところまでは説明がつけられる。

 だがそれにしても分からないことは多い。
 どうして回帰が起きたのか、なぜトモナリが回帰したのかなど全く記憶になくて説明がつけられない。

「ただ回帰したのなら……」

 思考を書き出していた手が止まる。
 もし仮に回帰したとするならばこれから先にまた激しい戦いが始まる。

 だが回帰したとしても1回目と違うことが一つある。

「俺は色々知っている……」

 回帰したならこれから先に同じようなこと起こるはず。
 トモナリは起こることのいくつかを知っている。

 不要な争い、失われた命、起こすべきではなかった災禍など正すことができるなら正したい出来事は多い。

「もしかしたら世界を救うことができるのか?」

 全てを正すことなど到底できやしない。
 しかし可能な限り正しい方に導いていけば世界を救うこともできるかもしれない。

 手が震えてきた。
 興奮、あるいは希望、あるいはそんなことが自分にできるのかという不安。

「俺にできるのか……?」

 震える手を握って額に当てる。
 記憶はある。

 しかし死ぬ瞬間までトモナリは他の人に比べて劣等的だった。
 記憶があったとしても本当に世界を救えるのかという不安が胸の中で大きくなり続ける。

「……なんだ?」

 再び重たいものが落ちる音がした。
 卵が床を転がっている。

「どうして?」

 ベッドの奥の方に置いて転がり落ちないようにしていた。
 なのに床に卵が転がっていることにトモナリは眉をひそめる。

「まあいいや」

 転がってきてしまうのなら床に放置しておく。
 今は状況を考えるのにいっぱいいっぱいである。

 再び机に向かってボールペンでノートに書き込みを始める。
 世界を救えるかは分からない。

 しかしできることはあるはず。
 回帰したとしたら経験した出来事は起こるはずなので記憶が薄れないうちにできるだけ書き留めておこうとする。

 しっかり考えるのは後にして思い出せる限り出来事を書き連ねていく。

「あれ?」

 ノートに出来事を書いていると足に何かが当たった。

「卵?」

 足元に卵があった。
 振り返ってみるとベッド横にあったはずの卵がなくなっている。

 思わず足元とベッド横を交互に見てしまう。
 転がってきたのだろうが、どうやって転がってきたのかトモナリには理解できない。
「自分で転がってきた? いや、まさかな」

 トモナリは足元の卵を拾い上げる。
 なんかまた少しだけ大きくなったような気がする。

 これからの計画について考えるのはいいけれど卵についても放ってはおけない。
 正体がわからない以上安全なものと断じることもできない。

 危険なものであったのなら早々に処分しなければ周りが危険に晒されてしまう。

「黒い卵……なんかあったかな?」

 手に入れたという記憶ではなく人生のどこかで黒い卵について聞いたことがないか思い出してみようとする。
 トモナリだって特別なことはなくただの人。

 全ての情報を扱っていたなんてことはなく、身の回りの出来事や話を聞いたぐらいのことしか記憶にない。
 有名な話だってトモナリがアンテナを張っていなければ耳に届かないこともある。

 記憶の中を順に辿ってみるけれど黒い卵について聞いた覚えはなかった。
 トモナリは机に卵を置いて手のひらで転がす。

 黒色だといかにも悪く見えるが黒だから悪いなどと断じることはできない。

「あれ……ヒビ入ってる」

 転がして全体を見てると卵の一部にヒビが入っているのを見つけた。

「ベッドから落ちた時に割れたのか……?」

 堅そうな卵だが絶対割れないなんてことはないだろう。
 ベッドから2回も落ちたのだから割れてもおかしくはない。

「大丈夫かな?」

 知らないものなので割れて失ってもなかったものと同じだと割り切ることはできる。
 しかしせっかくならどんなものなのか知りたいし失えば惜しい気持ちはある。

「えっ!?」

 ピキリと音を立ててヒビが広がった。
 内側から何かがぶつかるようにドンドンと音がしてトモナリは卵を手放して机から離れる。

 何か武器になりそうなものはと部屋を見回すけれどろくなものがない。
 とりあえず学校に行く時に使っているカバンを手に取って盾のように構える。

「トーモーナーリー!」

「うわっ!?」

 卵がパカンと割れて中から何かが飛び出してきた。
 真っ直ぐに飛んできたそれを受け止めきれずにトモナリは後ろに倒れる。

「トモナリ! トモナリ!」

「な、なんだぁ!?」

 顔に何かが擦り付いてきてトモナリは困惑する。
 激しく擦りつくのでそれがなんなのか確認もできない。

 硬くてゴツゴツしている。
 擦り付けられて削られるような若干の痛みはあるけれど攻撃ではなく敵意や害意は感じない。

「ちょっ……はな、れろ!」

 トモナリは自分にしがみつくそれを鷲掴みにして体から離した。

「……な、なんだお前!?」

「でへへ……僕だよ!」

 引き剥がしてよくそれの姿を見てみたがトモナリにはそれがなんなのかよく分からなかった。
 デカいトカゲか? と思ったが明らかに言葉を話したし背中に翼も生えている。

「お前何者だ?」

「えっ……」

「おわっ!? ちょ! なんだよ!」

 トモナリの言葉に固まったデカいトカゲは急に涙を流し始めた。

「僕たち友達だっで、いっだじゃないがぁ!」

「友達? なんの話……」

 知らないと言おうとした瞬間思い出した。
 忘れたくても忘れられないような強烈な記憶。

 死ぬ間際の、邪竜との会話を。

「ヒカリ……?」

 そういえばそんな名前をつけた。

「うん!」

 トモナリが邪竜につけた名前を呟くとデカいトカゲは嬉しそうに笑った。

「ヒカリだと? 一体どういう……」

「トモナリ! よかった! 覚えてた! 無事だった!」

 ヒカリはトモナリの胸に飛び込むとグリグリと顔を擦り付ける。
 可愛らしいとは思うけれど状況がわからなすぎてトモナリは非常に困惑していた。

 時が戻った挙句、邪竜たるヒカリが生まれた。
 しかもヒカリはトモナリが回帰する前のことを覚えているようだった。

「ともかく……お前はあの邪竜のヒカリなのか?」

「そうだよ!」

 犬のように尻尾を振るヒカリはトモナリの顔を見上げて笑っている。
 腹にペシペシと尻尾が当たって意外と痛い。

「どういうことなんだ……?」

「何が?」

「この状況全てがだよ。どうして回帰して、どうしてお前がここにいるんだ?」

「分からない!」

 口の横から舌を出してヒカリはへらりと笑う。

「トモナリと一緒にいたいって思ったんだ! そしたらなんか光るのが現れて望みを叶えてやろうってピカーってしたんだよ!」

「光るの? 望みを叶える?」

「うん!」

「……分からないな」

 ヒカリの話は要領を得ず何が起きたのかトモナリも理解できない。

「ただその願いってやつが今の状況を生み出したみたいだな」

 光るものが何かは置いておいて、ヒカリの願いが叶ったことがこの状況に繋がったのだと考えた。
 一緒にいたいという思いが叶ったために記憶を保ったまま時間が回帰して、トモナリのところにヒカリがやってきた。

 なんでじゃ、と思うポイントがないわけではないがとりあえず回帰した原因がヒカリにありそうなことは分かった。

「……今はもう誰かを殺したり破壊したりしたくはないのか?」

 ヒカリが邪竜だということも分かった。
 ならば確認しておかねばならないことがあるとトモナリは思った。

 邪竜だったヒカリは世界を滅ぼした。
 残っていたシェルターも立ち向かった覚醒者も周りにいた他のモンスターでさえ邪竜によって消え去った。

 今一度あんな悲劇を繰り返させるわけにはいかない。
 ヒカリが危険な存在に育つというのならトモナリはここでヒカリを殺しておかねばいけない。
「うん……もう頭の中で何も聞こえない。ずっとモヤモヤした感じだったのに頭の中がスッキリして自由になった感じがあるんだ!」

「…………そうか」

 今ならまだ力のないトモナリでも殺せそう。
 どう殺すか考えていたトモナリにヒカリは屈託のない笑顔を向けた。

 あまりにも純粋な目をしている。
 そこに破壊の色は少しも見られない。

 キラキラとしたヒカリの目に見つめられていると殺さねばという思いが非常で極悪なものに感じられて、トモナリは引きつったような笑みを浮かべてヒカリの頭を撫でた。
 ヒカリは目を細めてトモナリに撫でられている。

「……未来は変えられる」

 ヒカリを撫でているとふとある人の言葉を思い出した。
 悲観的に思えるような未来でも努力をすれば変わることがある。

 ヒカリがここにいる時点でもはや回帰前とは大きな変化が起きている。
 もしかしたらヒカリの未来だって変えられるかもしれないと思った。

 世界を滅ぼすほどの力を持っていたヒカリを上手く導いてやれば世界の滅亡を回避することができるのではないか。
 そう考えた。

「ステータス」

 トモナリは前を向いた。
 何かを見つめるような目をしていたが期待していたものが出てこなくて眉をひそめた。

「ステータスオープン」

 もう一度試してみるがなんの変化も起こらない。

「まだ覚醒してないのは確かなようだな」

 なんとなくは分かっていたがヒカリがいるしもしかしたらと思った。
 だが人生そう上手くはいかないようである。

「よいしょっと」

 床に座ったままなのでヒカリを抱きかかえて立ち上がる。
 持ち上げてみるとヒカリはずっしりと重たかった。

「何してるの?」

 机の上にヒカリを置いて椅子に座る。
 ボールペンを片手にノートに向かい合うトモナリをヒカリが興味深そうに覗きこむ。

「未来の計画を考えてるんだ」

 といってもほとんどのことは書き終えていた。
 何を書こうかはすでに決まっていた。

 “ヒカリを正しい方に育てる”

「なんて書いてあるのだ?」

「ふふ、秘密だよ」

「ただいまー」

「げっ!?」

 細かいことはおいおい考えていけばいい。
 クルクルとボールペンを回しながらニヤリと笑ったトモナリは玄関が開く音が聞こえてきて焦り出す。

 サッと時計を確認すると意外と遅い時間になっていた。

「トモナリ?」
 
 慌てたように部屋の中を見回すトモナリをヒカリは不思議そうな顔で見ている。

「ちょ、お前ここ入れ!」

「むぎゃ! トモナリ何する!」

「いーから!」

 トモナリはヒカリを掴むとクローゼットの中に押し込めようとした。
 ヒカリは訳も分からず閉じ込められることに抵抗してトモナリの腕にしがみつく。

「トモナリ、昼のことについて話し合いたいんだけど……」

 ガチャリとドアを開けてゆかりが入ってきた。
 一度病院まで来てくれたゆかりだったのだが、仕事も途中でありまた仕事に戻っていたのだ。

 帰ってくる時間だったことをトモナリは完全に失念していた。
 ドアを開けたゆかりが見たのは慌てたような顔をしているトモナリと必死に腕にしがみついて抵抗するヒカリの姿だった。

「……そ、それなに!?」

「あ、あはは……」

 どうやって言い訳しようか。
 これからそれを考えるつもりだったのに何かを考える前に見つかってしまった。

 トモナリはとりあえず乾いた笑いで誤魔化しつつゆっくりとクローゼットの扉を閉めたのであった。

 ーーーーー

「どこで拾ってきたのかしら?」

 リビングのイスに座らせられて事情聴取が始まる。
 ヒカリはトモナリの膝の上に大人しく座っていて、黙っているようにというトモナリのいうことを聞いている。

「その……帰ってくる時に」

 卵から生まれましたと言ってもいいのかもしれないがそうなると卵の出どころを聞かれる。
 卵がどこから来たのかトモナリには説明できないし、回帰しましたなんてところまで話がいってしまうと面倒である。

 猫や犬じゃないんだからと思いつつもどうにか拾ったことにするしかない。

「それに何なのそれ?」

「…………トカゲかな」

「ト……モグゥ!」

 ドラゴンにしてみるとトカゲと言われるのはかなり心外なことである。
 驚いてトモナリを見たヒカリが抗議しようとしたけれどトモナリはサッとヒカリの口を手で塞いだ。

「今喋らなかった?」

「気のせいだよ……」

「トモナリ……正直に言いなさい。その子、モンスターでしょ」

 流石のゆかりもごまかされはしない。
 トカゲというのもギリギリ理解はできなくないが背中に翼が生えているトカゲなど見たことがない。

 となるとモンスターしかないということは少し考えれば分かる。

「今通報するから……」

「まっ、待って!」

 猫や犬なら元いたところに捨ててきなさいというところだがモンスターとなると話が違う。
 そこらへんに放つわけにいかないのでゆかりは警察にでも連絡しようとした。

 トモナリは慌ててゆかりを止める。

「何かしら? モンスターを放っておくっていうのかしら」

「こ、こいつ危ない奴じゃないから!」

 トモナリが抱きかかえたヒカリをゆかりの前に差し出す。
 ゆかりの前に差し出されたヒカリはキラキラとした目をしている。
 トモナリの母親ならヒカリにとって友達の母親ということになる。

 できるだけ印象を良くしてくれよというトモナリの願いが通じたようにヒカリは可愛い顔をする。

「うーん?」

 確かにとゆかりは思う。
 そもそも危険なモンスターなら今頃トモナリもゆかりも無事では済まない。

 よく見ると可愛い顔もしているし危ない感じはしない。

「ちゃんと世話するから!」

 ここで通報されてしまったらヒカリは連れて行かれてしまう。
 連れて行かれてしまうと何をされるか分かったものではない。

 生きたまま研究されればまだいいのかもしれない。
 単純に殺処分されたり殺された上で素材の研究にされる可能性もある。

 もしかしたらヒカリは人類の希望になるかもしれないのだ、通報されてはならない。

「でもモンスターでしょ? 今は危なくなくてもそのうち危なくなるかもしれないじゃない」

 ゆかりはヒカリがモンスターであるということに気がつきはした。
 しかしただの一般人であるゆかりはモンスターというものの知識がない。

 危険なものという認識はあるけれどどんなものなのか分かっていないのだ。
 トモナリはこれ以上疑問を持たれる前に押し切ってしまおうと考えた。

「それに……母さんがいない間、俺一人で寂しいし……」

「トモナリ……」

 ゆかりがうっとした表情を浮かべる。
 トモナリの体は何ともなく、カイトにいじめられていたことなどつゆほどにも普段に思っていないが、身体的精神的に休めるためにトモナリは少し休むことになっていた。

 ついでにトモナリはイジメを理由にしてくだらない授業なんて受けないように話を持っていくつもりだった。
 ゆかりとしてもトモナリが辛いのなら無理して学校に行くことはないと同じ思いを抱えていた。

 休むことになっているので少なくともしばらくは家にいることになる。
 そんな時に寂しいと言われるとゆかりとしても心苦しさがあった。

「ね?」

 働いているゆかりは日中トモナリのそばにいてあげられない。
 いじめがあった後だしトモナリが精神的に弱っていて寂しいと言われてしまうとゆかりは強く否定もできなくなってしまう。

「お願い!」

「う〜〜ん」

 トモナリはゆかりの目を見つめる。
 普段あまりわがままを言わないトモナリのお願いに唸るような声をあげてゆかりは悩む。

 そして一方でヒカリは感動していた。
 どうにも反応が良くないゆかりに食い下がっていることで自分のために友達がこんなにも頑張ってくれているとウルウルしている。

「ちゃんと面倒見るのね?」

「うん!」

「危ないと思ったらすぐに言うのよ?」

「分かった!」

「……ひとまず様子を見てみましょう」

 渋々ではあるがトモナリを一人にしておくこともゆかりは心配だった。
 ヒカリが何なのかという不安はあるもののトモナリを信頼してみようとゆかりは決めた。

「ありがとう、母さん!」

「やったー!」

 ゆかりの許可が出た。
 ヒカリも嬉しそうにトモナリに抱きついた。

「……やっぱり喋ってるじゃない!」
「ハァ……ハァ……」

「トモナリがんばれー」

「顔出すなよ?」

「分かってるよぅ」

 ゆかりの許可が出たけれど少しばかり条件もあった。
 ちゃんと勉強することやヒカリの面倒を見ること、モンスターなので騒ぎにならないように外では出さないことなどしっかり話し合って決めた。

 トモナリはゆかりが仕事で家を出た後ジャージに着替えて外を走っていた。
 目的は当然体を鍛えるため。

 回帰してトモナリは自分の体の弱々しさにショックを受けた。
 骨格としては悪くないのにあまり体を動かすタイプではなく、体力筋力ともにギリギリ平均か貧弱なぐらいだった。

 これから来るべき時のために基礎的な体力ぐらいつけておかねばならない。
 何の道具もないトモナリにできるのは走り込むぐらいだった。

 体の調子を見るにそれでも十分だ。

「くそっ……貧弱な体め……」

 トモナリは肩で息をしながら悪態をつく。
 貧弱なのは自分の体なので悪いのは鍛えてこなかった自分なのである。

 少し走っただけで息が乱れる。
 初日でひどい筋肉痛に襲われた時に比べると少しだけマシになったが自分の中にある満足な基準にはとても及ばなかった。

 少しだけ荷重もある。
 大きめのリュックにヒカリを詰め込んで連れてきているので背中がずっしりと重たく、それもまた体力を奪う。

 息を整えながら周りを警戒する。
 こんな時間に中学生が外を出歩いていては警察に補導されてしまうかもしれない。

 補導されるだけならまだいいがリュックの中にヒカリがいるのでそれがバレてしまうのはまずい。
 だから多少周りを警戒しているのだ。

「水飲む?」

「いや、まだいい」

「そっか」

 リュックの中から水筒の先っちょが出てくる。
 ヒカリが出してくれている。

 ただまだ飲まないつもりだというとすぐに引っ込む。

「今日はもう少し走るぞ」

「どっかいくの?」

「ああ、ちょっとな」

 最初こそ色んなものが珍しいようで大変であったがヒカリは頭が良いようで言い聞かせるとしっかりとトモナリの言うことを聞いてくれた。
 今でも何かを見つけるたびに目をキラキラさせてリュックの中から覗いているが、周りの様子は確認しているらしくバレてはいない。

 息を整えたトモナリは再び走り出す。

「ふぅ……」

「ここ?」

 なんとなく固定されていたルートを外れて走っていき、大きな日本家屋の前でトモナリは走る速度を落とした。
 これまで見たことのない作りの家に面白いとヒカリはリュックから顔を覗かせている。

「これ、なんて書いてあるの?」

 塀にポスターのようなものが貼り付けてあってヒカリはそれを指差した。

「剣道を習いませんか?」

 まだ文字の読めないヒカリに代わってトモナリがポスターの内容を読み上げる。
 どうやらトモナリがいる日本家屋で剣道を教えているようで門下生を募集している張り紙であった。

「けんどー?」

「ああそうだ。さて、物は試しだ。突撃してみよう」

「おろ? けんどー習うのか?」

「剣道な。今のところ習うつもりはないけどな」

 トモナリは日本家屋のインターホンを鳴らした。

「はーい」

「剣道の門下生について話を聞きたいんです」

 インターホンから女性の声で返事が返ってくる。

「あっ、そうですか。どうぞ中に入ってください」

「おお! 勝手に開いていくぞ! 魔法か?」

「科学だよ」

 塀の門が開いていく。
 魔法でも同じことができるけれどこれは魔法ではなく科学の力で開いている。

「あら、意外と若い方ね」

 トモナリが門をくぐると家の中から女性が出てきた。
 こういう家の人だと和服なんかをイメージしていたけれど普通に洋服姿の綺麗な人だった。

「あっちの方に行くと剣道場があるから。そこにいるおじいさんに声をかけて聞いてみるといいわ」

「ありがとうございます」

 トモナリのような若い人が訪ねてきたことも疑問に思わないのか女性は普通に受け答えしてくれた。
 変に学校は、なんて聞かれるよりありがたかった。

 家の中には入らず石畳の道を通って家の横に行くともう一軒家があった。
 これが剣道場らしい。

 ドアをスライドさせて開くと広い仕切りもない木製フローリングの建物の端の方で老年の男性が座禅を組んでいた。

「失礼します」

 軽く頭を下げながら靴を脱いで剣道場に入る。

「あのー」

「なんじゃ?」

 トモナリが男性に声をかけると目を閉じたまま答える。

「神切が欲しいんですけど」

「なんじゃと?」

 あれ、もんかせーは? とリュックの中のヒカリは思った。
 驚いたように目を開けた男性はトモナリのことをじっと見つめている。

「なぜそれのことを知っている?」

「なぜでしょうね?」

 トモナリはここに門下生になりにきたのではなかった。
 必要なものがあるから欲しいと思っていた。

 ただお金でも売ってくれないだろうことは分かっている。
 だからといって盗み出すなんてこともできない。

 ならば正面から欲しいと言ってみようと思った。
 怒られたところで子供の戯言で済む。

「なぜあれが欲しい?」

「必要だから」

「……こんな時間にふらついている……高校生? いや、中学生か。誰かに復讐でもするつもりか」

 思いの外話を聞いてくれるようでトモナリは驚いた。
「誰かを殺すのに日本刀なんて使いませんよ。そこらの石でいい。それに誰か殺すつもりはありませんよ。……今のところは」

 武器を使えば相手を倒すことは容易い。
 しかし武器を使った痕跡というのは分かりやすく、簡単にバレてしまう。

 殺すのはいいけれど逮捕なんてされる手段をトモナリは取らない。
 そもそも人を殺すつもりなどない。

 色々なことを正す上で人を殺すことも必要だとは思っているけれど現段階で殺すべき人はいない。

「ならばなぜ日本刀など必要とする?」

「今は必要じゃないけど……そのうち必要になるんです」

「今必要でないのなら今手に入れる必要はないではないか」

「欲しいと思った時にもらえるかも分かりませんし、そこにまだあるかも分かりませんから」

 トモナリが探しているのは神切という名前の日本刀であった。
 そんなものくれと言ってもらえるはずはないのだけど男性は頭ごなしに否定もしなかった。

「くれてやってもいい」

「えっ、本当ですか?」

「ただし、お前さんがアレを持つに相応しい思えばな。ワシは清水鉄斎(シミズテッサイ)。お前さんの名前は?」

「愛染寅成です」

「トモナリか」

 テッサイは壁にかけてあった木刀を手に取るとトモナリに渡した。

「神切を持つに相応しいと証明して見せろ」

 テッサイも木刀を手に取るとゆっくりと構える。
 要するに倒してみろということらしい。

「やってやろうじゃん」

 トモナリに諦めさせるための方便かもしれない。
 しかしトモナリだって戦いの人生を生き抜いた経験がある。

 逃げてばかりだったけれども戦わなかったわけじゃない。
 トモナリはヒカリの入ったリュックを下ろして数回木刀を振る。

 木刀は思ったよりも重くて少し顔をしかめる。
 まだまだ鍛え方が足りなくて十分に扱えなさそうな雰囲気がある。

「先手は譲ってやろう」

「ありがとうございます!」

 やや斜に構えたトモナリにテッサイは先手を譲った。
 トモナリは床を蹴って一気にテッサイと距離を詰めると真っ直ぐに木刀を振り下ろした。

 テッサイが木刀を防いでカァンと音が響く。
 想像していたよりも剣筋は良いと内心でびっくりしていた。

「まだまだ!」

 トモナリは素早く剣を引くとそのまま何度もテッサイを切りつける。
 テッサイは冷静にトモナリの攻撃を防御しているが思わぬ攻撃に舌を巻いていた。

 急所を狙った攻撃は鋭い。
 体格が追いついておらず木刀に振り回されている感じはあるもののそれすら活かして攻撃してくる様子はただの中学生に思えなかった。

「トモナリがんばれー!」

 ヒカリはリュックの中からチラリと目だけ出してトモナリを応援している。

「むっ!?」

 剣で押し切るのは大変そうだと思った。
 トモナリは左手を木刀から離すとテッサイの袖を掴んだ。

 勝つために手段など選んではいられない。

「ほほ……やりおるな」

 テッサイの首を狙って木刀を振る。

「じゃがまだまだ……」

 テッサイは袖を掴まれた右手を木刀から離すとそのまま腕を伸ばした。
 袖を掴んだままのトモナリは体のバランスを崩してしまう。

「うっ!」

 テッサイは木刀をトモナリのものと絡ませるように動かすと弾き飛ばした。
 片手ではとても支えきれずにトモナリの木刀は飛んでいき剣道場の床に落ちた。

「ワシの勝ちじゃな」

 そのまま尻餅をついて倒れたトモナリをテッサイは目を細めて見ていた。

「これでは神切を渡すことはできん」

「くっ……」

 正直勝てると思ってた。
 しかし力も技術もテッサイには劣っていて何度挑んだところで今の状態では勝てそうもなかった。

「トモナリをいじめるなー!」

「むっ?」

 トモナリが負けた。
 居ても立っても居られなくなったヒカリがリュックから飛び出してきてテッサイに襲いかかった。

「ふぎゃっ!?」

 ただテッサイも油断しておらずヒカリは普通に頭を木刀で殴られて床に叩きつけられた。

「なんじゃ!」

「ま、待ってください!」

 突然現れたモンスターに驚きながらもテッサイは再び木刀を振り上げた。
 いかに木といえどなんとも殴られれば危ない。

 トモナリはヒカリに覆いかぶさって守る。
 テッサイが途中で木刀を止めなかったらトモナリが殴られていたところだった。

「どけよ! そやつは……」

「こ、こいつは悪いやつじゃないんです!」

 世界を一度滅ぼした竜のくせに何をしているんだと思いながらトモナリは必死にテッサイを止める。

「うぅ〜ごめん……」

「いいから黙ってろ! こいつ、人を襲ったりしないんで……」

「今まさにワシを襲おうとしたではないか」

「それは……俺を守ろうとして」

「なに?」

 テッサイは思いきり眉間にシワを寄せた。

「神切とか、もうどうでもいいから……その、このことは秘密にしてほしくて」

 トモナリの腕の中でヒカリはテッサイを睨んでいる。
 けれど黙っていろと言われたのでとりあえず黙ってはいた。

「そやつを横に置いて立て」

「はい……」

 こうなってはトモナリに逆らうという選択肢はない。
 大人しくヒカリを床に置いてトモナリは直立不動で立つ。

 テッサイは木刀を壁に立てかけるとトモナリの前に立った。
「ふむ……」

 何をするのかと思ったらテッサイはトモナリの腕を掴んだ。
 何かを確かめるように力を入れては少しずつ掴む位置を変えていく。

 腕から肩へ、そして胴や足に至るまで全身一通り確かめる。

「何かスポーツは?」

「何もやってないです」

「体はいかにも普通だが骨は悪くない。動きも良かったし何かを習えば上達は早そうだ。トモナリよ、ワシの弟子にならんか?」

「えっ?」

「ワシの下で剣術を習ってみるつもりはないかと聞いておる」

 テッサイはトモナリの目を見てニヤリと笑った。

「このような時間をうろついているということは何か事情があるのだろう? 安心せい、聞くことはしない。だが時間に余裕があるなら何かを習ってみてもよいだろう」

 思わぬ提案に目をぱちくりとさせているトモナリにテッサイは畳み掛ける。

「それにじゃ。師というのは弟子の秘密を守るもんだ」

 テッサイがチラリとヒカリのことを見た。
 弟子になればヒカリのことも秘密にしておいてやると言っているのだとトモナリは察した。

 トモナリの理解したような顔を見てテッサイが満足そうに頷く。
 人の良い誘いに見せかけてとんでもない腹黒な脅しではないかとトモナリは苦い顔をする。

「少し……時間ください」

「ふぅーむ、なぜじゃ?」

「その……母さんに相談しないと。俺じゃ月謝も払えないですし、勝手に習い事のも……」

「はっはっはっ!」

 テッサイは一度大きく目を見開いた後大笑いした。
 あまりに才気溢れる若者を前にことを焦ってしまっていた。

 おそらく相手は学生で、それもまだ中学生ぐらいである。
 何をするにも制限があって然るべきで、己の判断だけでは難しいということを失念していた。

 それに照れ臭そうに母さんなどと口にするトモナリがなんとなく面白かった。

「金など取らん。門下生ではあるがワシが誘った弟子なのだからな。しかし保護者の同意というものも必要だろう。どれ、連絡先と住所教えろ」

「えっ?」

「ふっふっ、ワシが説得してやる」

 トモナリはまだ弟子入りするとは言っていない。
 しかしテッサイの中ではもうトモナリが弟子入りすることは決まっているようだ。

「弟子入り記念じゃ、ついてこい」

 住所と電話番号をメモ用紙に書かされて、受け取ったテッサイは忘れないようにと自分の財布の中にメモを畳んで入れた。
 ついてこいというのでトモナリはヒカリが入ったリュックを背負ってテッサイの跡を追って剣道場から出る。

 剣道場の裏には古めかしい大きな蔵があった。
 テッサイは懐から鍵を取り出すと蔵の扉を開けて中に入る。

「決して触れるでないぞ」

 蔵の奥に入ったテッサイは細長い木の箱を取り出した。
 ふっと息を吹きかけて埃を飛ばすと近くにあった適当な物の上に置いた。

「これが神切じゃ」

「これが……」

 木の箱を開けると中には一振りの日本刀が入っていた。
 しかしその様子は少し異常であった。

 刀は鞘に収められているのだが、鞘にはお札のようなものが貼ってあった。
 刀が抜けないようにツバから鞘にかけてもお札が貼ってあっていかにも曰く付きな代物に見えた。

「こんなもの欲しがるのはそういない。神を切る……などという大それた名前からだろうか、この刀は持つ人を狂わせる呪いの刀なのじゃよ」

 テッサイの目を見れば冗談を言っているのではないと分かる。

「なんか力を感じる」

 リュックから顔を出していたヒカリは神切を睨みつけるように見ている。

「これ、危なそうだぞ」

「どうやらそうみたいだな」

 神切がこんなものだとはトモナリも知らなかった。
 ただ回帰する前に知っていたもので、テッサイの手元にあったことを知っていたから欲しいと思ったぐらいだったのである。

「どうやってこの刀のことを知ったのかは聞かん。だが己を律する精神力を持たねば刀に取り込まれてしまう。そう言った意味でも弟子として修行することを勧めるのじゃ」

 テッサイは箱を閉じると再び蔵の奥に箱を押し込めた。

「もし仮にお前さんがアレを持つのに相応しい男になったのなら、その時はタダでくれてやる」

「……分かりました。タダでもらっていきます」

「気が早いな」

 テッサイは異様な刀を見ても物怖じすらしないトモナリにより好感を抱いた。

「どうじゃ、昼はまだだろう? 用事がなければうちで食べていきなさい」

「……こいつもいいですか?」

 トモナリは体をねじってリュックを前に出す。
 顔を出したヒカリがテッサイの目をじっと見つめている。

「危なくなさそうだしな、いいだろう。弟子のペットはワシも可愛がろう」

「ペットじゃない! トモナリと僕は友達!」

「友達か。そりゃ悪いことをしたな。弟子の友達なら歓迎しよう」

「テッサイ良い人!」

「はっはっ、ありがとさん」

 ーーーーー

「今日は何食べたの?」

「コンビニで適当に」

「……やっぱり朝何か作っていった方がいいかしら?」

「いいよ! 母さんも忙しいし」

 お昼はテッサイのところで食べましたなんて言えなくて適当に誤魔化す。
 夜ご飯を食べながらゆかりはトモナリが日中どんなことをしていたのを聞く。
 ランニングしていることなんかはまだ伝えていなくて、いつもは勉強していたとか言っている。

「あの……母さん」

「あら? ちょっと待ってね」

 テッサイに弟子入りすることについて話してしまおうと思って切り出した瞬間インターホンが鳴った。
 タイミング悪いなとトモナリは渋い顔をして、インターホンにつけられたカメラの映像に目をやった。

「……あれ?」

 なんとなく見たことがある人が映っているような気がした。

「トモナリ、清水鉄斎さんって方が来てるけれどお知り合い?」
 
 気のせいではなかった。

「このような夜分にお訪ねしたこと申し訳ございません」

「いえ、それよりもうちのトモナリが何かご迷惑でも?」

 まさかその日のうちに来るなんて思いもしなかった。
 トモナリが知っている人だというとゆかりはテッサイを家にあげた。

 手土産まで持ってきているテッサイだったがゆかりは見知らぬ年上の知り合いに不安げな顔をしている。
 トモナリが何か迷惑をかけたのではないかと少しだけ疑っているのだ。

「いやいや、迷惑などかけていないよ」

「でしたらどういったご用で? それに……どこでトモナリと?」

「改めて自己紹介いたしましょう。清水鉄斎と申します。近くで小さい道場をやっているものです」

 テッサイは懐から名刺を取り出してゆかりに渡した。

「清水剣道道場?」

「ええそうです。今回こちらにお伺いさせていただいたのはトモナリ君をうちの道場に入れてみるつもりはないかと思いまして」

「道場に? トモナリを?」

「たまたまトモナリ君をお見かけしまして。運動神経もよさそうですし、暇を持て余しているようなら剣道を習わせてみませんか?」

 突然の話にゆかりは困惑しているようだ。
 こうならないようにトモナリから話しておこうと思ったのにテッサイのフットワークが想像よりも遥かに軽かった。

「トモナリ、今の話…………」

「ゆかりのご飯は美味いのだ」

 話は本当で剣道を習うつもりがあるのかとトモナリの方をゆかりは見た。
 トモナリの隣ではヒカリがぱくぱくとご飯を食べていた。

「トモ……」

「母さん?」

「そ、それ……」

「それ?」

 ヒカリのことが他の人にバレてはいけない。
 ゆかりは今更ながら必死にヒカリのことをトモナリに伝えて隠させようとした。

 しかし視線で誘導しようとしてもトモナリからすれば盛大に目が泳いでいるようにしか見えなかった。

「ヒカリよ!」

 もうどうしようもないと小声でトモナリに伝える。

「あー、これは」

「これはじゃないでしょう!」

「トモナリ君のお母さん、ご心配なされるな」

「へっ?」

「見えてないわけでも、気づいていないわけでもありません。ちゃんと分かっております。トモナリ君のお友達のヒカリさんでしょう」

 ヒカリのことを知らない人が来たのならトモナリだってちゃんとヒカリのことを隠している。
 トモナリがヒカリがいる場で平然としていたのはテッサイがヒカリのことを知っているからである。

「ワシはヒカリさんをどうこうしようというつもりはありません」

「そ、そうだったんですか……」

 ホッとため息をつくゆかり。

「話を戻しましょう。トモナリ君を道場にどうですか? 剣道は心身を鍛えるのにもいい。礼儀作法も身につきますしもっと先を見据えれば就職にだって有利でしょう」

 テッサイは意外とセールストークも上手い。

「……お金とかはかかるのでしょうか?」

「本来なら月謝や必要な道具のお金が必要になりますが今回ワシが出そうと思っています」

「えっ!?」

 月謝はいらないと聞いていたが道具のお金まで出す気だと聞いてトモナリも驚く。

「どうしてそこまで……」

「目の前に磨いてみたい原石が現れたのです。引き留めるためならこれぐらいするというものです。まあ、ジジイの道楽だと考えてください」

「ではせめて月謝ぐらい払わせてください」

 タダならタダでもいいのかもしれないけれどタダだとむしろ不安になってしまう側面もある。
 ゆかりは剣道の道具について何も知らないので揃えてくれるというのならその方がトモナリのためになるかもしれないと考えた。

「それではお母様の同意が得られたということでよろしいですかな?」

「あっ、トモナリは剣道を習いたいの?」

 なんとなく同意する方向で話が進んでいたがトモナリの意思を聞いていないとゆかりは思った。

「母さんがいいなら俺習ってみたい」

「じゃあ清水さんよろしくお願いします」

「ぜひ鉄斎とお呼びください」

「では鉄斎さんと」

 なんだかすごい速度で決まったけれど、ゆかりの許可も得られてトモナリは正式にテッサイの道場に通うことになったのである。
 テッサイに弟子入りしてトモナリの生活にも変化があった。
 朝は少しゆっくりとゆかりと過ごし、ゆかりが会社に行ったらトモナリはランニングして道場に向かった。

 テッサイの指導の下で体づくりをしたり剣を習ったりしてお昼はそのままテッサイのところでお昼もいただくことになった。
 そして午後は一応勉強ということになっている。

 でも回帰前のこの時期は普通に学校で学んでいたので少し復習すれば難しいことは何もなく、勉強の頻度を落としてまた体を鍛えたりしていた。

「なんの変哲もないように見えるけれど今この世界がどうなっているのか知ってるか?」

 たまにはと思って少し高くなっているところまでランニングしてきた。
 見下ろす町並みは平和そのものでなんの危険もないように見えるけれど、これが仮初のものであるとトモナリは知っている。

「ううん、知らない」

 周りに人がいないことを確認してヒカリはリュックから顔を出した。
 そして肩に頭を置くようにして同じく街並みを見下ろす。

「今この世界には危機が迫ってるんだ」

「危機?」

「そうだ。始まりは天がもたらした地獄の始まりと呼ばれる出来事だった」

 トモナリは街を見下ろすのをやめてゆっくりと坂を下り始めた。

「ある時全世界、全ての人の頭の中に声が響いた」

 “99個のゲートをクリアせよ。さすれば滅亡を避けられん”

 言葉の意味が理解できない人類だったがすぐに言葉の意味を理解した。
 不思議なゲートが現れて、その中から異形の化け物が出てきて暴れた。

 ただ希望も見えた。
 モンスターを倒した人が覚醒したのである。

 モンスターと戦える力が目覚めて、スキルという力を与えられて人類はモンスターと戦い始めた。
 今では最初に言われた99個のゲートのことを試練のゲートと呼んでいる。

「細かく言えば色々あったけど今では覚醒者が増えてモンスターと戦って平和を取り戻したんだ」

「へぇ……」

「それでもまだ世界中にゲートは残ってる。しかも99個に含まれないゲートまで発生したりと大変なんだ」

 だから仮初の平和であるとトモナリは言う。
 これから99個の試練のゲートが次々と出現し始めて人類は段々と追い詰められていく。

「そして最後に現れたのがお前なんだよ」

「僕?」

「そうだよ」

 試練のゲートはクリアせずとも次のものが現れて、やがてモンスターが外に溢れ出した。
 試練のゲートの中で99個目、最後のゲートから現れたのが邪竜であるヒカリだった。

「……そういや、99個目のゲートはどうなるんだろうな」

 99個目のゲートのボスがヒカリだった。
 正確には人類は79個のゲートまでしかクリアできず、99個目のゲートは中に入ったこともないのでヒカリがラスボスだったのかは不明である。

 しかしあの強さと状況を見るにヒカリが最後の敵だったのは間違いないはずであると誰もが信じていて、邪竜を倒せばと全力で挑んだものだった。
 でも今ヒカリはトモナリと一緒にいる。

 そうなると99個目のゲートはどうなるのか。
 ヒカリと同じ邪竜がまた生まれるのか、あるいはまた別のモンスターがボスになるのか。

「まあどうでもいいか」

 そもそもどうにかしてそこまで行かねば確認もできない。
 今回はちゃんと試練のゲートをクリアしていきたいものである。

「そのためにも準備しなきゃいけないことがある」

「何やるんだ?」

「ふふ……まずは覚醒だな」

 ーーーーー

 トモナリは朝のランニングをしていた。

「おはよう、いつもより早いんじゃないかい?」

「おはようございます。今日はちょっと用事があって」

 走っているのはいつものルートで、毎日走るものだからあいさつに声をかけてくるような人も何人かいたりする。
 ただ今日いつもと違うのは走っている時間が早いということである。

 いつもはゆかりが仕事に行った後にトモナリとヒカリも家を出るのだが、今日はゆかりよりも早くに家を出た。
 
「上手く借りられたな」

 トモナリは走るペースを落としてのんびりと歩く。
 いつものジャージにヒカリが入ったリュックスタイルであるのだが手に木刀を持っている。

 不思議がって聞いてくる人もいたが剣道習ってるんですよと普通に答えるとそれで納得してもらえた。
 木刀の出どころはもちろんテッサイである。

 素振りしたいから貸してくれというと殊勝なことだと言って木刀を渡してくれた。

「さてと、忍び込むか」

「んー? ここが目的地?」

「そっ」

「おっきー家だねー」

「家じゃないぞ。これは学校っていうんだ」

 トモナリが立ち止まったのは小学校の前だった。
 しかし小学校は昼間にも関わらず門が閉じられ、あるはずの活気がなく校舎の中は暗い。

 それもそのはずでトモナリがいる小学校は現在廃校となっていて校舎は利用されていないからである。
 数年前に近所にもう一つある小学校と合併になってそれから使われていない。

 まだまだ知識不足のヒカリから見ると小学校はとても大きな家に見えた。

「よいしょっと……」

 門は閉じているが小学校の門だからそんなに立派なものでもない。
 最近鍛えているトモナリはひょいと壁を蹴って高く飛び上がると門を飛び越えた。

「くだらないイタズラする奴もいるんだな」

 割と綺麗に見える校舎だが段ボールを窓に貼り付けてあるところもある。
 忍び込んで石でも投げつけたのだろう。

「よしっと……一回出てくれ」

「ほいほーい」

 小学校の入り口でリュックを下ろす。
 廃校に人はいない。

 ヒカリはリュックから飛び出すと翼を広げてグーっと体を伸ばす。
 トモナリはリュックの中に手を突っ込むとプラスチックのボトルを取り出した。

 中には透明な水が並々と入っている。
 ボトルの蓋を開けると入り口に水をぶちまけていく。

「しょっぱ」

「こらこら汚いぞ」

 床にまかれた水を舐めてヒカリがべっと舌を出す。