――ピンポーン。
毎週月曜日、午前8時。
たいてい、高校の制服である紺と白のセーラー服を着終えるころに、チャイムは鳴り響く。
玄関を開けると、
「吸血鬼様、お届けに参りました」
赤黒いダンボールを抱えた郵便屋さんが、待ちかまえていた。
アタシんちは、この町最後の吸血鬼一族。
存在自体が都市伝説のように思われることも多くなった現代で、アタシの家系は細々とその貴重な血を繋いでいた。
しかし、次第に吸血鬼の数が少なくなり、必然的に一族の血は薄れていった。
今では、ほとんど人間と変わらない。
手入れ要らずの黒髪ロングに、紫外線嫌いな冷えた肌。特徴といえば、鋭い牙と赤い瞳くらい。
寿命は100とちょっとで、全然不老不死じゃないし、太陽の下もふつうに歩ける。にんにくは苦手だけど食べれなくはないし、コウモリみたいな羽だってない。
ただ、身体の構造だけは変えられなかったようで、ほぼ人間みたいなアタシはいまだに生き血を摂取しなければ、生きていけない。
なんて面倒な身体なんだろう。
ちょっと前までは、血を捧ぐ契約を交わした相棒とも家畜とも言える人間の家系があったらしいが、吸血鬼の数が少なくなるとともに関係は途絶えてしまった。
人間世界でそれはそれは楽しく青春している身としては、大事な友だちに食糧になってくれと頼むのは気が引ける。
そこで利用しているのが、
「吸血宅配サービス.comです」
これである。
50年ほど前に創設された、吸血鬼による吸血鬼のためのWebサービス。
簡単に言うと、鮮血の定期便のようなもの。
献血ルームや吸血鬼になじみのある家柄から支援を受け、より効率的に、双方に危害なく健康的な暮らしを提供できる、実に現代的なシステムとなっている。
郵便屋さんの持つ赤黒いダンボールの中には、快く分け与えてくれた生き血をたんまり注がれた180mlの紙パックが、1週間分詰まっていることだろう。
毎週のお楽しみ、というほどではないにしろ、ありがたみは常に感じている。
人間よりもはるか高貴な位を持っていた時代もあったアタシたちとの共存を、人間たちは考え続けてくれていることを、痛感させられるから。
「いつもありがとうございます」
「い、い、いえ……」
サインをしながら、自然と口から感謝の気持ちがこぼれた。
はじめての業務外の会話に、郵便屋さんはわかりやすくうろたえていた。
照りつける夏日の逆光のせいで、表情をはっきりとはつかめない。
真っ黒な制服の、硬めなシルエット。
つばの広い帽子で、隠れる素顔。
けれども、なんとなく、きれいな男であろうことは気づいていた。
玄関の段差でわかりづらいが、身長は最低でも180cmはありそうだった。うらやましいほど足が細くて長い。モデルみたい。
こめかみから首筋にかけて、艶やかな汗が伝っていた。影を帯びていてもなお白く感じるその肌は、ひどく気持ちよさそうだ。
「あ、あの……」
「あっ、つい見すぎました。すみません」
「い、いえ……はい……」
「……?」
「えっと……あ……」
夏バテ気味なのか、アタシを恐れてなのか、ただでさえ小さな声は低くかすれ、よく聞き取れない。
長い沈黙の最後に、いつもの礼をすると、足早に去ってしまった。
帽子のうしろからすらりと流れる、黒髪のポニーテールが、まるで風鈴のように揺れ、涼やかな風を感じられた。
アタシは早速ダンボールを開けた。
見た目はほぼトマトジュースの紙パックを冷蔵庫に敷き詰めたあと、ひとつだけ手に持ったまま家を出た。
家を包囲する生垣代わりの薔薇が見えなくなると、グリーンの日陰がなくなり、渋々日傘を差した。右手に黒の日傘、左手にストローをさした紙パック。これが最近の登校スタイルだ。
海沿いの通学路を歩きながら、待ち焦がれた鮮血を飲みこんだ。
「ん、うま」
高校3年生。
この夏を越せば、あっという間に卒業が近づく。
春になったら、アタシは大学に行く予定だ。
学ぶ側ではなく、研究される側として。
今や絶滅危惧種といっても過言ではない、吸血鬼という生物を、知りたくて仕方ない人間は、思いのほか大勢いるらしい。
アタシは、そんなヒトたちの、実験体になる。
隅々まで分析されるのは恥ずかしいけれど、煮るなり焼くなりされるわけではないし、こちらが特別何かすることもないから、よく言えば不労所得も同然だ。
吸血鬼だって楽に生きたい。
研究されるだけでお金をもらえるなんて、人生イージーじゃないか。
もしかしたら、アタシで吸血鬼の血は途絶えちゃうかもしれない。
結婚するかわからないし、結婚相手が人間なら、なおさら一族の血は弱まっていく。
本当にアタシで最後になるなら、目に見える形として存在を残せることは、とても幸せなことではないだろうか。
「――そう思いません? おにいさん」
「あ……えっと……」
翌週、午前8時。
寸分の狂いなく訪れた郵便屋さんは、どうやら臨機応変というやつが苦手らしい。もしくは、単純に、アタシのことが苦手か。
「そんな身構えないでくださいよ。ただの世間話ですよ」
「は、はあ……」
「おにいさん、いくつ?」
「え……に、21……で」
「え、3個上? 見えない」
「えっと……」
「いい意味ですよ。褒めてます」
「……は、はぃ……」
強引に話を続けていくにつれ、彼はそわそわと落ち着きをなくしていく。
アタシの気まぐれに付き合わなくてもいいのに。無視されたってアタシ、怒らないし。
やさしいんだろうな。いつか泣かせてしまいそう。
あぁ、おもしろい。
あぁ、かわいい。
なんて脆弱なヒト。
さぞ血液もおいしいのだろう。
「あ……」
ふと、彼の視線が、アタシんちの薔薇に向いていた。
「きれいでしょう?」
「ぁ……は、はい……」
「昨日やっと満開に咲いたんですよ」
家を守るように立つフェンスを、一面埋め尽くす、真っ赤な薔薇。
葉やツルが銀の網目をしつこく這い、強力な日差しを求めるように伸びていく。そのすべてが、特別美しい花弁を引き立てる。
華やかな香りで、満ちあふれていた。
「でも、気をつけてくださいね」
「え……」
「きれいなものには、棘がありますから」
大輪の花に気を取られ、安易に近づけば痛い目に合う。
この目で何人も被害者を見てきた。
いつのころだったか、小さな手を傷だらけにしてまで薔薇を欲しがった男の子もいた。
変な子だったな。
一度欲しいと思ってしまった以上、あきらめきれなかったようで、指に棘が埋まり、涙目になってもなお手を伸ばし続けていた。
薔薇の香りを、血の匂いが上回っていた。
幼かったアタシは、我慢できるはずなく、生傷からにじむ鮮血を舐めとってしまった。
今まででいちばん濃厚で、苦く、――まずかった。
「あのときの子、元気してるかな……」
「えっと……?」
「いや、血の味を思い出しちゃって」
「……」
「あ、大丈夫ですよ。この中にあるのはちゃんと全部おいしいんで」
伝票にサインを書きなぐり、赤黒いダンボールを自慢げに抱えこむ。
「おにいさんもちょっと飲んでみます?」
「えっ」
「おすすめはAB型のなんですけど、この中にあるかな」
「……あ、あぁ……」
またそわそわしてる。
何か言いたそうに薄い唇をはくはくと開閉させ、きゅっと引き締める。
その帽子をはぎ取ったら、どれほど情けない表情をしているだろう。
アタシは思わず笑ってしまった。
「冗談ですよ。全部、アタシのですから」
「は、はい……」
「おにいさんも、ね」
「はい……、え?」
無防備な彼の手を軽く握れば、ひゅっと息をのむ音がした。
すぐさま手を引っこめられる。
覗きこんで窺ってみると、じっとりと汗ばんだ顔はやけに白く、浅い呼吸を繰り返しながら平静を装うと必死だった。
ちょっと、罪悪感。
「冗談が過ぎましたね」
やっぱり彼は苦手だったんだろう。
吸血鬼の、アタシのことが。
薔薇の1本や2本、お詫びにあげればよかったかも、と思いついたのは、彼が帰ったあとだった。