イジメから逃げて、幸せの場所を探しながら

  エピローグ



 北の地から自宅に帰るのに一日半以上かかってしまい、結局着いた時には夕刻となっていた。
 戻ってきたは良いものの、玄関の前で躊躇してしまう。しかしここまで来たのだからと勇気を出して鍵を使用して中へ入った。
 急な来客に玄関まで様子を見に来た母親は俺の存在を確認すると、急に抱きつきてきてその場で泣き出してしまう。予想外の反応に、どうしたらいいのか一層分からなくなってしまった。
 長い間、玄関でそうしていたが母親は一向に離れようとしないで泣き続けた。こんなに心配かけていたなんて驚きだった。何処にもいかないと散々説得し、母親の涙が枯れるとようやくリビングに行くことが出来た。
 一年半ぶりの我が家。いつもの大きなソファに座るも何となく居心地が悪くて身体が宙に浮く感じだった。まるで見知らぬ家に来た気分だ。
 母親はそのまま休む間もなく、慌ただしく様々な所へ電話を掛け始めたのでその様子をぼんやりと見つめていた。
 父親や兄貴、近所の人達に遠い親戚まで電話を掛けて俺が戻ってきた事、もう心配がない事を涙ぐんだ様子で伝えていく。あまりにも件数が多く、今回の家出で沢山の人達に心配と迷惑を掛けたのを実感する事になる。
 最終的に警察にまで電話をし始めて、捜索願も出されていた事を知った。
 一通りの電話が済むと、お腹がすいたでしょうと俺に一言掛けた後、休む暇なく今度は夕食の準備を始める。
「本当は買い物にでも行きたい所だけど、冷蔵庫の中の有り合わせで御免ね」
 そう言いながら作り始め、その間も時折俺の存在を確認しているみたいだった。また何処かに行かないか心配しているのだろう。それで買い物もいけないのだ。すぐに夕食を作り始めたのも、俺を逃がさないようにするというのもあるのかも知れない。何だか申し訳なく思った。
 それからしばらくして出てきた夕食は有り合わせと言いながらも普段と変わりない出来栄えだった。手作り料理は本当に久しぶりでとても美味しく胃袋に染みて涙が出てくるのをぐっと堪えなければならなかった。
 食べ終わった辺りに父親がいつもよりかなり早い帰宅をする。急いだ様子でリビングに入ってくると母親と同じく俺に抱きついてきて、泣き始めてしまった。父親が泣く姿を初めて見た瞬間だった。
 父親の涙が枯れるのを待って、今日は疲れているだろうからと休息を勧められたので、促されるままに入浴をして床につく。こびりついたような、奥深くにあるような汚れは取れた感じがしないのだけれども、それでも綺麗になってさっぱりして慣れた自分のベッドの中に入ると俺の意識は消失し、気が付いたら次の日の朝になっていた。
 うなされるような事もなく、すっきりと目が醒める。久しぶりの快眠に身体はとても軽かった。
 リビングに行くと会社を休んだらしく、父親と母親の他に、昨日まで居なかった兄まで揃っていて俺の事を迎えてくれる。なりゆきで財布を盗ってしまったので兄とは気まずかったが、向こうは俺を責める事なく落ち着いた様子だった。
 家族全員で軽い朝食を食べ終えると、そのまま家族会議が始まった。
 まず、こっぴどく叱られた。昨日の涙が嘘のような怒り方だった。その後、山崎の事と家出に至るまでの経緯を話す機会が与えられ俺は鳥井と鳥井の祖母に話した事を両親に伝えた。この件で俺の口から伝えるのは初めての事だった。
「お前も悪いが、お前だけが悪いわけではないことは分かった」
 全てを聞いた父親はそう結論づけた。
 それから山崎の虐めはどうなったのかという話に移った。結果から言うと事件は急展開となっていた。
 まず、学校側が第三者委員会を設置し、調査したところ虐めの主犯は藍沢であったと判明する事となる。俺が見ていない所や放課後に取り巻きで集まり、囲って虐めている所を何度も目撃されていたのだという。
 それから山崎の遺書も十数枚に渡り発見された。内容はほどんど同じであったが、主犯である人物の名前がそれぞれ違っていたのだという。
 藍沢は上手くやっていた為、山崎自身も主犯が誰か分からなかったのであろう。その為、このような手段に出たのだろうとの事だった。
 しかし、主犯がすでに判明しているという事は取り巻きの誰かに裏切られたのだろう。藍沢とその取り巻き達はしかるべき報いを受けているとの事だった。
 その為、俺が虐めの主犯で無い事が判明したらしい。それでもきっかけを作ってしまった事、口が悪いこと、虐められていたのに傍観して何もしなかったこと。それらについては父親にいつもの口調で再度叱られる。その上で俺からきちんと話を聞かなかった事を詫びられる事となる。
 そして、山崎の遺書に名前が書かれた以上は残された家族ときちんと話すべきと説明され、今度会いに行くこととなった。その時はここに居る全員が付き添って付いてくれるらしい。
 分かってもらえないと思っていたけれど、もう少し粘って話してみたら変わったのかもしれない。そしたらあんなに旅に出なくて良かったのかもしれないな。俺自身も軽率だったと思い、反省した。
 兄にも財布を手渡しで返す。謝るとすんなりと許して貰えた。どうやらクレジットカード類は止めていなかったみたいだった。使えば居場所が分かるだろうし、もしもお金の工面で困っても最悪の事態が免れるだろうとの配慮だった。もしも悪用していたらどうしていたつもりだったのだろう。
「それはさ、信用していたからな。そんな奴じゃないだろ。現に使わないで戻ってきたたし」
 との事で兄にも心配を掛けてしまったようでとても申し訳なく思った。兄にももっと相談すれば良かったと後悔する。
 家族会議はそれで終了し、全てを水に流そうと父親が家族でスーパー銭湯に行く提案をしてきたので、全員で快く承諾した。

 高校は退学となっていた。こんなに長い期間不在だったのだ。当たり前だろう。しかし、通信制の高校に編入出来るように両親が手配くれたので来月から再び高校生活が始められるようになるらしい。
 携帯端末も新しくした。それに伴って登録していた連絡先も全て消した。また一からのやり直しだ。
 全ての事が元通りというわけではないけれど、新しい生活が始まろうとしていた。
 ここで、見つけられるだろうか。人を救い続ける方法を。
 山崎の悪夢は無くなる事はなく、今でも続いている。けれどもこれで良いのだと思った。
 虐めの主犯は藍沢だったが、それでも俺の罪は消えない。悪夢と一緒に一生付き纏ってくるのだろう。
 見るたびに俺がしてきた事を思い出し、道標となってくれるだろう。
 鳥井の祖母の言葉を思い出す。
――人は生きていく中で沢山の過ちは犯すわ。でも、犯したらそれでおしまいってわけではなくって人生は続いていくの。
 俺の人生はこれから始まったばかりなのだろう。まずは山崎への罪を償いながらイジメを無くす方法を考え続けて行かなければならない。
 この先の道はきっと難しくて、途方も無くて苦しいものとなるだろう。けれども、その先の幸せの場所で鳥井が待っていてくれるのならば。
 走り続けられるような気がした。
 通信制の学校が始まるまでの期間、俺はリビングのソファーに座って読書する事が日課となっていた。そんな様子を見て母親は驚いていたけれども、何だか嬉しそうだった。
 天気のいい昼間、読書の休憩がてら、ふと窓の外を見る。そこには青空が広がっていて何処までも広い。この自由な空を羽ばたくように今も鳥井は希望の中を進んでいるのだろうか。
 鳥井の祖母から受け取った携帯端末のメモはまだ残っていた。お互いに幸せになるまで会わないと決めた。でも、連絡しないとは決めてないよな。そう気づいて新しい携帯端末を取り出すと鳥井の番号を登録する。
 まっさらな電話帳に鳥井の名前だけが表示される。それは新しく築をいていく為の土台のように感じた。それだけで、充分勇気が貰えるような気がする。
 俺はそっと携帯端末のディスプレイを切ると青空の元、読書を再開させた。
 鳥井の幸せを、ただ願いながら。