目が覚めると、鈴村凛太郎四十五歳、妻とは死別して長閑な田舎で働く、サラリーマンの僕は真っ白な空間に寝かされていた。
(……ここは、どこでしょうか?)
冷え冷えした床から体を起こした僕の側に、真っ白なドレスを身に付けた、水色の長い髪の女性が土下座していた。
「あの、すみませんが。こことはどこですか?」
「……」
「すみません、ちょっといいですか?」
「……」
土下座の女性は、土下座のまま一言も話さない。
――もしや、変な体制で寝ているのでしょうか? あれですか? 最近見た、動画サイトで有名な猫がするごめん寝とか、じゃないですよね。
「そこの綺麗なお嬢さん、ここはどこですか?」
「綺麗なお嬢さん? は、はい」
ようやく土下座の女性は顔を上げて、目を覚ましたのか俺を見ると、髪の色と同じ色の瞳をほそめた。
――お嬢さんは、ほんとうに別嬪さんじゃないですか。
「ああ、よかった。……鈴村様、目を覚まされたのですね。……あ、あの、ほんとうに、申し訳ありませんでした」
容姿のきれいな女性は床にゴンとオデコを打ちつけ、もう一度土下座した。すごい音、お嬢さんのオデコが痛そうだが……いくら土下座されても、この状況を説明してくれないと訳がわかりません。
「お嬢さん。謝るのも、土下座するのもやめて、この状況を早く説明してください」
「この状況の説明? あ、は、はい」
オデコを真っ赤にした女性は慌てて立ち上がり、手を叩くと、真っ白な空間に真っ白なソファとテーブルを出した。「どうぞ、座ってください」と勧められたソファに座った。
「ではお嬢さん、説明をよろしいですか?」
「……わかりました」
お嬢さんはおずおずと、俺の反対側のソファに座った。
「……わ、わたくしはアジャール国の守り神、召喚の女神ルルーナと申します。半年前にこの世界の脅威、魔王ゴルゴンザーレが復活いたしました。突然の魔王復活により作物は枯れ、人々は魔物に襲われるようになり、国の魔法使い達は復活した魔王を倒すべく勇者召喚の儀を行いました。守り神のわたしくが力を貸したときに、その、クシャ……いいえ、わたくしのミスのせいで、あなた様を巻き込んでしまいました……」
「アジャール国? 守り神? 僕を勇者召喚に巻き込んでしまった……」
(いま、お嬢さんはくしゃみと、言おうとしていませんでしたか? そうですか、僕はお嬢さんのくしゃみで、勇者召喚に巻き込んだのですね)
女神ルルーナと名乗ったお嬢さんが発した言葉で驚きましたが、くしゃみが出てしまったら仕方ありません。しかし、力もないおじさんの僕が、若者達と一緒に勇者召喚に巻き込まれてしまった。
――これは、年甲斐もなくハマったファンタジーのライトのベル展開ですね。……さてさて、僕はこれからどうなるのでしょうか。出来るのなら、元の世界に戻れるのなら戻りたいですが。
もし帰れたのなら、休日をゆっくり喫茶店モーニングをいただきながら過ごして、お昼は人気のもやしたっぷりのラーメン店のミニを食べて、夜は焼肉屋でハラミ一人前でビールが飲みたいです。
「あの、お嬢さん、僕は元の世界へ帰れるのでしょうか?」
そう聞きましたが、お嬢さんは首を横に振った。
「……いいえ。巻き込まれたからといって、鈴村様も勇者として召喚されましたので、元の場所へは戻ることはできません」
「僕も勇者? ハハ、そうですか。では、いま僕はどのような状態ですか?」
「召喚後の鈴村様は……召喚の衝撃に耐えられなかったのか、気絶したままで……細身で、若さがない。あなたが目が覚めたら城から追い出すと、この国の王子が言っておられましたので……至急、魂だけここへ呼ばせていただきました」
「細身、若さがない? 城を追い出す? ……そうですか」
城を追い出されたら、どうしますかね。
わかりました。亡くなった妻が「あなた頑張って! 生きていれば、なるようになる」と言っていましたし、帰れないのなら、のんびりこの世界を楽しみましょうか。
(ここは異世界ですので、見たことがないめずらしい食べ物がたくさんありますよね)
「鈴村様……」
「わかっています。言われたとおり僕は若くありませんし、帰れないのは仕方がない。お嬢さん、そんな悲しい顔をしないでください」
「本当にすみません。あなた様がこの異世界で生きていくために必要なスキルと、あなたが欲しいスキルを五つお選びください」
「スキルを五つ?」
「はい、鈴村様がこの世界で生きていくために必要なスキル、戦闘スキル、生産スキルです」
戦闘スキル? 生産スキル? これは、いつも読んでいるファンタジー小説に似ていますね。
「お嬢さん、スキルはしばらく考えさせてください。先にいただける、スキルを教えていただけますか?」
「わかりました。私から鈴村様にお渡しするスキルは「どこでも自由に話せる言語」「クリーンなど体を綺麗にする生活魔法」「火を起こし、飲み水確保が出来るといった基本属性魔法」「無限にモノを収納できるアイテムボックス」です」
(言語、生活魔法、基本属性魔法、アイテムボックス……使っていけばわかりますか。あとは五つのスキル、最近読みました、ファンタジー小説のようなスキルがいいですかね……確か)
「鈴村様、ごゆっくりお考えください」
+
僕、鈴村凛太郎は真っ白な空間、ソファに座り、スキルを考えてた。目の前に座るお嬢さんはどこからかポットを取り出して紅茶を入れ、茶菓子まで準備し始めている。
「鈴村様、紅茶とお茶菓子です」
「ありがとう、いただきます」
(このお茶請けは琥珀糖ですか? 紅茶も良い茶葉だ)
お嬢さんが出した琥珀糖とは、寒天と砂糖を煮詰めて作る、透明で美しく宝石のようにキラキラとした見た目の甘さ控えめで、動画サイトのASMRでも人気のお菓子。
(琥珀糖の歯触りが良く、紅茶も美味しい)
さてと、僕はこの異世界でどう生きていきたい?
ファンタジー小説の主人公は楽して生きたいと、言っていた。楽して……はい、僕もそう思います。美味しい食事と健康な体は欲しいですね。
あと物の価値がわかり、お金も生活が出来るだけあればいい。料理は妻に任せてばかりだったので、自信がありませんが。妻が僕のために残したレシピノートは欲しい。
そうだ、残してきたニャン太郎の世話もしてくれないかな。もう彼も歳で寝てばかりですが、食欲は旺盛。子供のいなかった、僕と妻とで大切に育ててきた息子のような存在。
欲しいスキルかはわかりませんが、僕が望むもの。
そのことをお嬢さんに伝えようと、彼女を見た。
お嬢さんは鼻歌交じりで、一口サイズの琥珀糖をシャリシャリ音を出しながら食べて、香りのよい紅茶を飲むと笑顔になった。
「おいしぃ〜ニナねぇの琥珀糖と紅茶は格別に美味しいわ〜最高!」
「……ふふ」
(面白いお嬢さんだ。完全に、僕のことは忘れていますね)
「まあ、この琥珀糖は苺味だわ。美味しい〜」
楽しそうなお嬢さんを眺めながら、美味い琥珀糖と紅茶をご馳走になる。
「ごちそうさまでした。さてと、お嬢さん僕が欲しいスキルと言っていいかわかりませんが、取り敢えず決まりました」
+
お嬢さんに僕の考えを伝える。
彼女は僕の話を真剣に聞き頷いた。
「食事、健康な体、物の価値、生活ができるだけのお金、奥様のレシピノート。お願い事はニャン太郎様の世話ですね。わかりました。……目覚めの時がきたようです。鈴村様がおっしゃったスキルは付与しておきますので、目が覚めましたら、一度ステータスウィンドウで確認してください。大変申し訳ありませんでした。後この書類に母印をください」
お嬢さんは何処からか、一枚の紙を取り出した。
その紙を読もうとしたが、その字は小さくて老眼の僕に読めない。
「あの、お嬢さん……少し字が大きくなりませんか?」
「え、文字を大きく? はい、少々お待ちください。……はい、これで読めるようになったと思います」
何も変わっていないかと思いましたが、スラスラと小さな詩が読める。この紙にはこの異世界での生活保障、スキル、妻のレシピ、ニャン太郎のことが書いてあった、僕は頷き母印を押した。
「お嬢さん、ニャン太郎のことをよろしくお願いします」
「かしこまりました」
お嬢さんは深く頭を下げると同時に、真っ白な空間がバラバラと音を立てて崩れていく。これから異世界での生活が始まるのでしょう。僕の意識が浮上して、ランタンの明かりが淡く光る部屋の、硬いベッドで目が覚めた。
「……ここは?」
「お! オッサン、目が覚めたのか!」
「ほんと? ……よかった」
「心配をかけました。あの、僕はどのくらい寝ていたのですか?」
「どのくらい? ん、十分くらいかな?」
「そうね、十分くらいだったかしら?」
十分……あの真っ白な部屋に十分以上いた気がしますが、こちらの世界とお嬢さんの世界では時の流れがちがうのですね。
「ふふ。目が覚めたようですが、覚めなかった方が良かったのかもしれませんね」
「シンジ! バカなことを言うなよ」
「僕はおじさんに、本当のことを言ったまでです」
目が覚めた僕のそばに、今風の装いの若い男女がいた。彼らが、白い空間で会ったお嬢さんが言っていた、勇者召喚で呼ばれた若者達ですね。
「オッサン、驚くなよ。ここは異世界らしい」
「何度言えばわかるのですか! ここは異世界らしいじゃありません。異世界なんです」
「二人とも、おじさんはいま目が閉めたばかりなんだから、大声を出さない。五月蝿いわよ」
三人の若者は三者三様で、みんな元気ですね。
+
ランタンが灯る、家具はなく、ベッドだけが置かれた部屋。目が覚めると、勇者としてこの世界に呼ばれた若者達がいた。
「俺、外の騎士にオッサンが目覚めたことを伝えてくる!」
「ありがとう、お願いするわ」
一人の若者が胸に手を当て嬉しそうに語る。
「おじさん聞いてください、僕は勇者なんです」
「あなた小説の読み過ぎ!」
「勇者とは、すごいですね」
「そうです、勇者は凄いんです!」
「おじさんだって一緒にこの国へ来たんだから、勇者でしょう?」
「いいえ、おじさんは勇者召喚に巻き込まれた人です」
「ふむふむ、僕は巻き込まれですか」
「いい加減な事を言わないの」
言い合いながらも、楽しそうに笑い合う。
この三人が勇者なら、この国は助かりそうですね
「お前ら煩いぞ! さうだ、オッサン。外にいた騎士にオッサンが目が覚めたって伝えてきた」
外に出ていた、一番元気な若者が戻ってきてそう伝えた。
「ありがとうございます」
「じゃ、もう少ししたら呼びにくるわね」
「遂に勇者として何をすべきかの、話が始まるのですね」
「だろうな。楽しみだ」
「危ない事をさせられるのかしら?」
「勇者なのですから、仕方がありません!」
――呼ばれた部屋で、僕はあの白い部屋で会ったお嬢さんが言っていた通り、ここを追い出されるのでしよう。でも大丈夫。お嬢さんから必要なスキルと、僕の欲しいスキルをいただいているはずなので、なんとかなりますね。
(スキル、と言えばそうでした。僕が目が覚めたら、一度ステータスウィンドウを開いてと言っていましたが、彼らもいますし、確認は追い出された後にしますか)
扉がコンコンコンと鳴り、鎧を身につけた騎士が部屋に来て、胸に手を当て頭を下げた。
「シズク様、アンリ様、シンジ様、もう一人の召喚された者、王の間で国王陛下がお待ちです」
とうとう来ましたか。
心の準備をしますかね。
「さあ、呼ばれたわね。みんなで、王の間へ行きましょう……えっと」
「僕は鈴村凛太郎と言います」
「俺、相葉シズク!」
「私は美空アンリです」
「……僕はシンジだ、シンジ様と呼べ」
「お前、偉そうだな」
「偉そうじゃない。勇者なんだぞ、僕は偉いんだ!」
「ほら、二人とも騒がない。行くわよ」
呼びに来た騎士に連れられて、王の間へと移動した。
玉座には身なりのよい国王陛下と、その横に金髪碧眼の王子がいた。
そして国王は、勇者として召喚された三人の後ろにいる僕に目を向け告げた。
「昨夜、女神から託けを受けました。あなたを勇者召喚へと巻き込んでしまい、申し訳ない」
あのお嬢さんは、この国の国王に伝えてくれたんですね。陛下の言葉の後、隣で頷いていた王子が続いた。
「だが……能力をない者を、危険な魔王討伐には連れていけない。あなたには王城に止まるか、ここを出るか決めてもらいたい……出るのなら、ここで国で暮らせるだけの保証をしよう」
(お嬢さんは追い出されると言っていましたが、聞いていた話と違いますね。でも、これはありがたい申し出です)
「国王陛下、王子様、温情、ありがとうございます。僕はこの世界でゆっくり暮らしたいので、いろいろと保障してもらえると嬉しいです」
今のうちに、もらえるだけ貰おう。
俺がそう伝えたこと、コクリと頷き。
「うむ。ゆっくり、この世界で暮らしたいか、そうか……わかった。君が当分らくに暮らせる資金と、身分証となる冒険者か、商人ギルドカードの入手をギルドへと連絡をしよう。あとはこの土地の地図、当分の食料、使える武器、守りの魔法が付与された防具も用意させしよう」
「ありがとうございます」
「シズク様、アンリ様、シンジ様は明日から、勇者として騎士と一緒に訓練をしてもらいます」
「騎士と訓練?」
「私、戦うの?」
「キタキタ! 僕は勇者だ、」
「頑張ってくださいね」
明日、ここを出るときに陛下は約半年分の生活費として、百枚の金貨が渡されるとおっしゃった。そして、王子からは守りの付与が付いた防具と、小型ナイフをいただいた。
「鈴村様、古いですがこの辺りの地図です。新しい地図はギルドに行けばもらえますので、登録をするときにもらってください」
僕は古いこの世界の地図を受け取った。
「ありがとうございます」
(古いですか。土地勘がないので、この辺りの地図はありがたいですね)
なにせ、このまま無一文で追い出されると思っていたので、助かります。
+
この日の夕食は王城の食堂で、勇者三人に混じりいただきました。さすが国の王です、良いものを食べていますが、ここは異世界なのか味付けが薄いですね。
ですが、育ち盛りの勇者達は食事をモリモリ食べ、会話をして楽しそう。僕もみんなに習って、量はそれほど食べれませんが、と思っていたですが。勇者三人と同じくらいの量をいただけました。
(歳で食べる量が減っていたのが、お腹が空いていたのでしょうかね)
+
「鈴村様、部屋へ案内いたします」
「お願いします」
食事の後、勇者三人と同じく僕にもメイドが付き、部屋へと案内された。部屋につくと、メイドはお風呂を準備して「何かあったら呼び鈴でお呼びください」と下がって行った。
「食事と風呂までいただけるなんて、ありがたいですね」
お風呂には入りながら、明日からのことを考えようとしましたが。明日は明日の風が吹くと言いますか、なんとかなるでしょう。
お風呂からあがり、ベッドに潜りこの日はゆっくりをと眠りについたが。早朝『幸運スキル、発動終了まで残り十分』と、頭の中に響く女性の声に叩き起こされる。
「幸運スキル? 発動終了まで残り十分?」
(言っている事がよく分かりませんが……僕に幸運スキルというものが付いていて、それ後十分で終了するのですね。幸運とは運が良いこと。僕に良いことがずっと起きていた、それが切れるということは……よくない事が起こる)
例えば、昨夜まで追い出さないと言っていた、陛下の気持ちが変わり追い出される。王子に貰った武器、防具、地図を返せと言われるとかでしょうか?
いただけると言っていた、金貨百枚も無理ですね。
それよりも、幸運の反対語は不運です……難癖を付けられて、僕は捕まったりしないでしょうか。
(巻き込んだのだから、金貨百枚を寄越せと言っていたとか、防具と武器を奪ったとか)
聞こえてきた声は、幸運スキルがあと十分で効果がきれると言っていました。その幸運スキルが切れる前に、ここを出ましょうと。僕は着ていた服を脱ぎ畳んで、隣に武器、防具、地図を置き、元の服に着替えて王城の外へ急ぎました。
+
幸運スキルのおかげでしょうか、迷路なような城中を迷わず抜け、城門を潜り外に出た瞬間。
《幸運スキル終了。只今より、クールタイム(三百分)です》
と、また頭の中に声が聞こえた。
(よかった。ちょうど王城を出たと同じに、幸運スキルが切れたようですね。クールタイム――再び同じスキルが使用可能になるまでの時間が三百分となりますと、約五時間のクールタイムですね)
確認していませんでしたが、僕の持ち物は財布とハンカチ、スマホ……ハンカチは使えますが、財布の中のお金はもちろん、スマホは電波が無さそうなので使えないですね。
――何処に行きましょうか。
石材の家が立ち並ぶ、中世に似た王都の中をやみくもに歩き回っていましたら繁華街に出たようで、多くの馬車が通り、大勢の人が行き交っていた。
僕は大勢の人混みに紛れて歩いているうちに、辺りを見る余裕ができましたが、この異世界でジャケット、シャツとジーパン姿はこの街では目立っていますね。
――あまり、ジロジロ見られるのもいい気はしませんね。
早急、服屋を見つけて服を変えたい。服装さえ変えてしまえば、平凡顔の僕は街に溶け込みやすいだろう。あとは安い宿を探して、お嬢さんから貰ったステータスを確認しなくては。
街の中は店屋によって、看板が店先にぶら下がっていた。異世界なので異世界の文字ですが、スイーツ、パン屋、大食堂、飲み屋とお嬢さんがくれた、言語スキルのおかげで、困らずスラスラ読めるのはありがたいです。
何軒か服屋を見つけて、安そうな服屋の扉を僕は開けた。
(……ここは、どこでしょうか?)
冷え冷えした床から体を起こした僕の側に、真っ白なドレスを身に付けた、水色の長い髪の女性が土下座していた。
「あの、すみませんが。こことはどこですか?」
「……」
「すみません、ちょっといいですか?」
「……」
土下座の女性は、土下座のまま一言も話さない。
――もしや、変な体制で寝ているのでしょうか? あれですか? 最近見た、動画サイトで有名な猫がするごめん寝とか、じゃないですよね。
「そこの綺麗なお嬢さん、ここはどこですか?」
「綺麗なお嬢さん? は、はい」
ようやく土下座の女性は顔を上げて、目を覚ましたのか俺を見ると、髪の色と同じ色の瞳をほそめた。
――お嬢さんは、ほんとうに別嬪さんじゃないですか。
「ああ、よかった。……鈴村様、目を覚まされたのですね。……あ、あの、ほんとうに、申し訳ありませんでした」
容姿のきれいな女性は床にゴンとオデコを打ちつけ、もう一度土下座した。すごい音、お嬢さんのオデコが痛そうだが……いくら土下座されても、この状況を説明してくれないと訳がわかりません。
「お嬢さん。謝るのも、土下座するのもやめて、この状況を早く説明してください」
「この状況の説明? あ、は、はい」
オデコを真っ赤にした女性は慌てて立ち上がり、手を叩くと、真っ白な空間に真っ白なソファとテーブルを出した。「どうぞ、座ってください」と勧められたソファに座った。
「ではお嬢さん、説明をよろしいですか?」
「……わかりました」
お嬢さんはおずおずと、俺の反対側のソファに座った。
「……わ、わたくしはアジャール国の守り神、召喚の女神ルルーナと申します。半年前にこの世界の脅威、魔王ゴルゴンザーレが復活いたしました。突然の魔王復活により作物は枯れ、人々は魔物に襲われるようになり、国の魔法使い達は復活した魔王を倒すべく勇者召喚の儀を行いました。守り神のわたしくが力を貸したときに、その、クシャ……いいえ、わたくしのミスのせいで、あなた様を巻き込んでしまいました……」
「アジャール国? 守り神? 僕を勇者召喚に巻き込んでしまった……」
(いま、お嬢さんはくしゃみと、言おうとしていませんでしたか? そうですか、僕はお嬢さんのくしゃみで、勇者召喚に巻き込んだのですね)
女神ルルーナと名乗ったお嬢さんが発した言葉で驚きましたが、くしゃみが出てしまったら仕方ありません。しかし、力もないおじさんの僕が、若者達と一緒に勇者召喚に巻き込まれてしまった。
――これは、年甲斐もなくハマったファンタジーのライトのベル展開ですね。……さてさて、僕はこれからどうなるのでしょうか。出来るのなら、元の世界に戻れるのなら戻りたいですが。
もし帰れたのなら、休日をゆっくり喫茶店モーニングをいただきながら過ごして、お昼は人気のもやしたっぷりのラーメン店のミニを食べて、夜は焼肉屋でハラミ一人前でビールが飲みたいです。
「あの、お嬢さん、僕は元の世界へ帰れるのでしょうか?」
そう聞きましたが、お嬢さんは首を横に振った。
「……いいえ。巻き込まれたからといって、鈴村様も勇者として召喚されましたので、元の場所へは戻ることはできません」
「僕も勇者? ハハ、そうですか。では、いま僕はどのような状態ですか?」
「召喚後の鈴村様は……召喚の衝撃に耐えられなかったのか、気絶したままで……細身で、若さがない。あなたが目が覚めたら城から追い出すと、この国の王子が言っておられましたので……至急、魂だけここへ呼ばせていただきました」
「細身、若さがない? 城を追い出す? ……そうですか」
城を追い出されたら、どうしますかね。
わかりました。亡くなった妻が「あなた頑張って! 生きていれば、なるようになる」と言っていましたし、帰れないのなら、のんびりこの世界を楽しみましょうか。
(ここは異世界ですので、見たことがないめずらしい食べ物がたくさんありますよね)
「鈴村様……」
「わかっています。言われたとおり僕は若くありませんし、帰れないのは仕方がない。お嬢さん、そんな悲しい顔をしないでください」
「本当にすみません。あなた様がこの異世界で生きていくために必要なスキルと、あなたが欲しいスキルを五つお選びください」
「スキルを五つ?」
「はい、鈴村様がこの世界で生きていくために必要なスキル、戦闘スキル、生産スキルです」
戦闘スキル? 生産スキル? これは、いつも読んでいるファンタジー小説に似ていますね。
「お嬢さん、スキルはしばらく考えさせてください。先にいただける、スキルを教えていただけますか?」
「わかりました。私から鈴村様にお渡しするスキルは「どこでも自由に話せる言語」「クリーンなど体を綺麗にする生活魔法」「火を起こし、飲み水確保が出来るといった基本属性魔法」「無限にモノを収納できるアイテムボックス」です」
(言語、生活魔法、基本属性魔法、アイテムボックス……使っていけばわかりますか。あとは五つのスキル、最近読みました、ファンタジー小説のようなスキルがいいですかね……確か)
「鈴村様、ごゆっくりお考えください」
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僕、鈴村凛太郎は真っ白な空間、ソファに座り、スキルを考えてた。目の前に座るお嬢さんはどこからかポットを取り出して紅茶を入れ、茶菓子まで準備し始めている。
「鈴村様、紅茶とお茶菓子です」
「ありがとう、いただきます」
(このお茶請けは琥珀糖ですか? 紅茶も良い茶葉だ)
お嬢さんが出した琥珀糖とは、寒天と砂糖を煮詰めて作る、透明で美しく宝石のようにキラキラとした見た目の甘さ控えめで、動画サイトのASMRでも人気のお菓子。
(琥珀糖の歯触りが良く、紅茶も美味しい)
さてと、僕はこの異世界でどう生きていきたい?
ファンタジー小説の主人公は楽して生きたいと、言っていた。楽して……はい、僕もそう思います。美味しい食事と健康な体は欲しいですね。
あと物の価値がわかり、お金も生活が出来るだけあればいい。料理は妻に任せてばかりだったので、自信がありませんが。妻が僕のために残したレシピノートは欲しい。
そうだ、残してきたニャン太郎の世話もしてくれないかな。もう彼も歳で寝てばかりですが、食欲は旺盛。子供のいなかった、僕と妻とで大切に育ててきた息子のような存在。
欲しいスキルかはわかりませんが、僕が望むもの。
そのことをお嬢さんに伝えようと、彼女を見た。
お嬢さんは鼻歌交じりで、一口サイズの琥珀糖をシャリシャリ音を出しながら食べて、香りのよい紅茶を飲むと笑顔になった。
「おいしぃ〜ニナねぇの琥珀糖と紅茶は格別に美味しいわ〜最高!」
「……ふふ」
(面白いお嬢さんだ。完全に、僕のことは忘れていますね)
「まあ、この琥珀糖は苺味だわ。美味しい〜」
楽しそうなお嬢さんを眺めながら、美味い琥珀糖と紅茶をご馳走になる。
「ごちそうさまでした。さてと、お嬢さん僕が欲しいスキルと言っていいかわかりませんが、取り敢えず決まりました」
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お嬢さんに僕の考えを伝える。
彼女は僕の話を真剣に聞き頷いた。
「食事、健康な体、物の価値、生活ができるだけのお金、奥様のレシピノート。お願い事はニャン太郎様の世話ですね。わかりました。……目覚めの時がきたようです。鈴村様がおっしゃったスキルは付与しておきますので、目が覚めましたら、一度ステータスウィンドウで確認してください。大変申し訳ありませんでした。後この書類に母印をください」
お嬢さんは何処からか、一枚の紙を取り出した。
その紙を読もうとしたが、その字は小さくて老眼の僕に読めない。
「あの、お嬢さん……少し字が大きくなりませんか?」
「え、文字を大きく? はい、少々お待ちください。……はい、これで読めるようになったと思います」
何も変わっていないかと思いましたが、スラスラと小さな詩が読める。この紙にはこの異世界での生活保障、スキル、妻のレシピ、ニャン太郎のことが書いてあった、僕は頷き母印を押した。
「お嬢さん、ニャン太郎のことをよろしくお願いします」
「かしこまりました」
お嬢さんは深く頭を下げると同時に、真っ白な空間がバラバラと音を立てて崩れていく。これから異世界での生活が始まるのでしょう。僕の意識が浮上して、ランタンの明かりが淡く光る部屋の、硬いベッドで目が覚めた。
「……ここは?」
「お! オッサン、目が覚めたのか!」
「ほんと? ……よかった」
「心配をかけました。あの、僕はどのくらい寝ていたのですか?」
「どのくらい? ん、十分くらいかな?」
「そうね、十分くらいだったかしら?」
十分……あの真っ白な部屋に十分以上いた気がしますが、こちらの世界とお嬢さんの世界では時の流れがちがうのですね。
「ふふ。目が覚めたようですが、覚めなかった方が良かったのかもしれませんね」
「シンジ! バカなことを言うなよ」
「僕はおじさんに、本当のことを言ったまでです」
目が覚めた僕のそばに、今風の装いの若い男女がいた。彼らが、白い空間で会ったお嬢さんが言っていた、勇者召喚で呼ばれた若者達ですね。
「オッサン、驚くなよ。ここは異世界らしい」
「何度言えばわかるのですか! ここは異世界らしいじゃありません。異世界なんです」
「二人とも、おじさんはいま目が閉めたばかりなんだから、大声を出さない。五月蝿いわよ」
三人の若者は三者三様で、みんな元気ですね。
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ランタンが灯る、家具はなく、ベッドだけが置かれた部屋。目が覚めると、勇者としてこの世界に呼ばれた若者達がいた。
「俺、外の騎士にオッサンが目覚めたことを伝えてくる!」
「ありがとう、お願いするわ」
一人の若者が胸に手を当て嬉しそうに語る。
「おじさん聞いてください、僕は勇者なんです」
「あなた小説の読み過ぎ!」
「勇者とは、すごいですね」
「そうです、勇者は凄いんです!」
「おじさんだって一緒にこの国へ来たんだから、勇者でしょう?」
「いいえ、おじさんは勇者召喚に巻き込まれた人です」
「ふむふむ、僕は巻き込まれですか」
「いい加減な事を言わないの」
言い合いながらも、楽しそうに笑い合う。
この三人が勇者なら、この国は助かりそうですね
「お前ら煩いぞ! さうだ、オッサン。外にいた騎士にオッサンが目が覚めたって伝えてきた」
外に出ていた、一番元気な若者が戻ってきてそう伝えた。
「ありがとうございます」
「じゃ、もう少ししたら呼びにくるわね」
「遂に勇者として何をすべきかの、話が始まるのですね」
「だろうな。楽しみだ」
「危ない事をさせられるのかしら?」
「勇者なのですから、仕方がありません!」
――呼ばれた部屋で、僕はあの白い部屋で会ったお嬢さんが言っていた通り、ここを追い出されるのでしよう。でも大丈夫。お嬢さんから必要なスキルと、僕の欲しいスキルをいただいているはずなので、なんとかなりますね。
(スキル、と言えばそうでした。僕が目が覚めたら、一度ステータスウィンドウを開いてと言っていましたが、彼らもいますし、確認は追い出された後にしますか)
扉がコンコンコンと鳴り、鎧を身につけた騎士が部屋に来て、胸に手を当て頭を下げた。
「シズク様、アンリ様、シンジ様、もう一人の召喚された者、王の間で国王陛下がお待ちです」
とうとう来ましたか。
心の準備をしますかね。
「さあ、呼ばれたわね。みんなで、王の間へ行きましょう……えっと」
「僕は鈴村凛太郎と言います」
「俺、相葉シズク!」
「私は美空アンリです」
「……僕はシンジだ、シンジ様と呼べ」
「お前、偉そうだな」
「偉そうじゃない。勇者なんだぞ、僕は偉いんだ!」
「ほら、二人とも騒がない。行くわよ」
呼びに来た騎士に連れられて、王の間へと移動した。
玉座には身なりのよい国王陛下と、その横に金髪碧眼の王子がいた。
そして国王は、勇者として召喚された三人の後ろにいる僕に目を向け告げた。
「昨夜、女神から託けを受けました。あなたを勇者召喚へと巻き込んでしまい、申し訳ない」
あのお嬢さんは、この国の国王に伝えてくれたんですね。陛下の言葉の後、隣で頷いていた王子が続いた。
「だが……能力をない者を、危険な魔王討伐には連れていけない。あなたには王城に止まるか、ここを出るか決めてもらいたい……出るのなら、ここで国で暮らせるだけの保証をしよう」
(お嬢さんは追い出されると言っていましたが、聞いていた話と違いますね。でも、これはありがたい申し出です)
「国王陛下、王子様、温情、ありがとうございます。僕はこの世界でゆっくり暮らしたいので、いろいろと保障してもらえると嬉しいです」
今のうちに、もらえるだけ貰おう。
俺がそう伝えたこと、コクリと頷き。
「うむ。ゆっくり、この世界で暮らしたいか、そうか……わかった。君が当分らくに暮らせる資金と、身分証となる冒険者か、商人ギルドカードの入手をギルドへと連絡をしよう。あとはこの土地の地図、当分の食料、使える武器、守りの魔法が付与された防具も用意させしよう」
「ありがとうございます」
「シズク様、アンリ様、シンジ様は明日から、勇者として騎士と一緒に訓練をしてもらいます」
「騎士と訓練?」
「私、戦うの?」
「キタキタ! 僕は勇者だ、」
「頑張ってくださいね」
明日、ここを出るときに陛下は約半年分の生活費として、百枚の金貨が渡されるとおっしゃった。そして、王子からは守りの付与が付いた防具と、小型ナイフをいただいた。
「鈴村様、古いですがこの辺りの地図です。新しい地図はギルドに行けばもらえますので、登録をするときにもらってください」
僕は古いこの世界の地図を受け取った。
「ありがとうございます」
(古いですか。土地勘がないので、この辺りの地図はありがたいですね)
なにせ、このまま無一文で追い出されると思っていたので、助かります。
+
この日の夕食は王城の食堂で、勇者三人に混じりいただきました。さすが国の王です、良いものを食べていますが、ここは異世界なのか味付けが薄いですね。
ですが、育ち盛りの勇者達は食事をモリモリ食べ、会話をして楽しそう。僕もみんなに習って、量はそれほど食べれませんが、と思っていたですが。勇者三人と同じくらいの量をいただけました。
(歳で食べる量が減っていたのが、お腹が空いていたのでしょうかね)
+
「鈴村様、部屋へ案内いたします」
「お願いします」
食事の後、勇者三人と同じく僕にもメイドが付き、部屋へと案内された。部屋につくと、メイドはお風呂を準備して「何かあったら呼び鈴でお呼びください」と下がって行った。
「食事と風呂までいただけるなんて、ありがたいですね」
お風呂には入りながら、明日からのことを考えようとしましたが。明日は明日の風が吹くと言いますか、なんとかなるでしょう。
お風呂からあがり、ベッドに潜りこの日はゆっくりをと眠りについたが。早朝『幸運スキル、発動終了まで残り十分』と、頭の中に響く女性の声に叩き起こされる。
「幸運スキル? 発動終了まで残り十分?」
(言っている事がよく分かりませんが……僕に幸運スキルというものが付いていて、それ後十分で終了するのですね。幸運とは運が良いこと。僕に良いことがずっと起きていた、それが切れるということは……よくない事が起こる)
例えば、昨夜まで追い出さないと言っていた、陛下の気持ちが変わり追い出される。王子に貰った武器、防具、地図を返せと言われるとかでしょうか?
いただけると言っていた、金貨百枚も無理ですね。
それよりも、幸運の反対語は不運です……難癖を付けられて、僕は捕まったりしないでしょうか。
(巻き込んだのだから、金貨百枚を寄越せと言っていたとか、防具と武器を奪ったとか)
聞こえてきた声は、幸運スキルがあと十分で効果がきれると言っていました。その幸運スキルが切れる前に、ここを出ましょうと。僕は着ていた服を脱ぎ畳んで、隣に武器、防具、地図を置き、元の服に着替えて王城の外へ急ぎました。
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幸運スキルのおかげでしょうか、迷路なような城中を迷わず抜け、城門を潜り外に出た瞬間。
《幸運スキル終了。只今より、クールタイム(三百分)です》
と、また頭の中に声が聞こえた。
(よかった。ちょうど王城を出たと同じに、幸運スキルが切れたようですね。クールタイム――再び同じスキルが使用可能になるまでの時間が三百分となりますと、約五時間のクールタイムですね)
確認していませんでしたが、僕の持ち物は財布とハンカチ、スマホ……ハンカチは使えますが、財布の中のお金はもちろん、スマホは電波が無さそうなので使えないですね。
――何処に行きましょうか。
石材の家が立ち並ぶ、中世に似た王都の中をやみくもに歩き回っていましたら繁華街に出たようで、多くの馬車が通り、大勢の人が行き交っていた。
僕は大勢の人混みに紛れて歩いているうちに、辺りを見る余裕ができましたが、この異世界でジャケット、シャツとジーパン姿はこの街では目立っていますね。
――あまり、ジロジロ見られるのもいい気はしませんね。
早急、服屋を見つけて服を変えたい。服装さえ変えてしまえば、平凡顔の僕は街に溶け込みやすいだろう。あとは安い宿を探して、お嬢さんから貰ったステータスを確認しなくては。
街の中は店屋によって、看板が店先にぶら下がっていた。異世界なので異世界の文字ですが、スイーツ、パン屋、大食堂、飲み屋とお嬢さんがくれた、言語スキルのおかげで、困らずスラスラ読めるのはありがたいです。
何軒か服屋を見つけて、安そうな服屋の扉を僕は開けた。