高校2年生への進級は、骨折とともに訪れた。
それは、春休暇の練習試合のことだった。
サッカー部に所属する僕は、試合中に相手選手との接触してしまい、変な倒れ方をしたのか右足の骨に重い負荷をかけて、骨折してしまったのだ。
そのせいで、ゴールデンウィーク初日である今日5月3日は、今こうしてこの街で1番大きな病院に来ていた。
「八雲陽太さんですね。今日は来院者が多いので、少々お時間いただきます。八雲さんの順番が回ってきましたらお電話おかけしますので、電話番号だけよろしいでしょうか?」
「分かりました」
母さんが受け答える。
待合室を見渡すと、僕みたいにゴールデンウィーク初日を病院で過ごしてしまう人が多くいた。
「陽太、どうする? 母さんは車の中で待っておくけど」
「うーん、僕は外で風に当たるよ」
「相変わらず外が好きね。でも、松葉杖なんだから気をつけなさいよ」
「分かってるって」
僕は体を動かすのが好きだ。
細かいこととか変なこととか、そんなの全部忘れて無邪気な子供に帰れるから。
骨折してようと、車でじっとするのは僕じゃない。
それに、この病院の裏には桜の木があるらしい。
なんでも、この街の住人たちが「入院してる人たちにも華やかな気持ちになってほしい」と寄付を募って立てたとか。
時期からして桜はもう散っているだろうが、微かに残る生命の息吹を見るのもまた、面白いだろう。
そういえば、月雲さんもここに入院してるって先生が言ってたっけ。
月雲さんは、高校で僕の隣の席の人。
……いや、隣になるはずだった人が正しいか。
彼女は体調がかなり悪いらしく、高校2年生で同じクラスになってから一度も会ったことがない。
友達から聞くに、どうやら1年生の頃からあまり来ていなかったらしい。
僕が知っているのは、『月雲輝夜』という女子ということ。ただそれだけ。
そんなことを考えつつ、転ばないよう足下に注意を払いながら、慎重に歩みを進める。
暖かい日差しが優しく地面を照らしてくれる。
数分も歩けば、広大な裏庭が見えてきた。
新緑が目に優しく、風に揺らされた葉っぱが舞い散る。
メインの道の脇に植えられた色とりどりの花たちは、僕たちを前向きに応援してくれているようにも感じる。
自然は素晴らしい。
五感全てに訴えかけてきて、様々な感情を生み出してくれるのだから。
たくさんの植物に目を向けつつ、松葉杖特有の音を鳴らしながら前に進む。
ふと視線を前に向けると、例の大きな桜の木の下に人影が見えた。
車椅子に乗っているので、おそらくここに入院している人なのだろう。付き人はいないようなので、ここまで1人で来たらしい。
すると僕は、なんでだか分からないけどその人影の持ち主の方へ向かった。
知らない地の知らない人へガツガツ行くようなタイプではないが、今だけはなんとなくこれが正しいような気がした。
運命だろう。
僕はこういうのに従うのも、大好きだ。
女性だった。
かなり若い女性で、年齢は僕と同じくらいに見える。
どこか儚い雰囲気を纏った彼女は、初対面ながらとても美しいと感じてしまった。
「綺麗ですね」
彼女の近くに立ち、早くもすっかり緑に覆われた桜の木を共に眺める。
僕の視界の端で、彼女がびっくりするようなきょとんとするような、そんな表情を浮かべながらこちらを見ていた。
しかし、それは一瞬の出来事で、彼女はまた桜の木に視線を移した。
「ええ、すごく綺麗です。注目されがちな桃色の花弁を散らした後も深く淡い色合いの葉っぱをこうしてつけている様子は」
透き通るような声だった。
そして、彼女もこちら側の人のようだ。緑に染まった桜に「綺麗」と言う人はなかなかいない。
「うん。人々からは特別な木からただの木に変わったのにこうして生命を紡いでるの、すごく素敵ですよね」
すると彼女は小さくクスッ笑い声をもらした。
その声に僕は彼女に視線を向けた。
「すみません。私と同じような考えの人に初めて会ったもので」
「やっぱり、そうだったんですね。僕もこういう考えの人に会うのはかなり久しぶりです」
僕は笑顔を浮かべながら言うと、彼女は柔和な微笑みを返してくれる。
その笑顔に思わず一瞬ドキッとしてしまう。
「あなたは……運動部なんですか? それも、サッカー部辺りかな……?」
驚いた。
彼女は僕の全身をサッと一瞥したと思ったら、何も言ってないのに部活を当てられてしまった。
「正解です。すごい」
「ふふ。私、こう見えても頭はいい方なんですよ?」
「こう見えても何も、賢そうですけどね。それにしても、なぜ……?」
「ありがとうございます。えっと……まず同い年くらいに見えて、太ももとかの筋肉すごいなって思ったのと骨折してるところが外の運動部の方がよくしてしまうところだったので……」
「すごい……」
素直に称賛の声しか出ない。
「実は練習試合で悪い方向にこけちゃって……あ、そういえば、その、えっと……」
「──あ、自己紹介がまだでしたね」
僕がなんて呼ぶか言い淀んでいると、すぐに察した彼女がスッと提案してくれた。
本当に気遣いまでできる良い人だ。
「私は、一応すぐそこの高校に通う2年生の月雲輝夜といいます」
「えっ」
思わず声が出た。
まさかさっき考えてた人と、こんなすぐに会うことができるなんて。
やっぱり、運命は大好きだ。
「僕も同じ高校の2年生で、八雲陽太です。それに、今は月雲さんの隣の席でもありますよ」
「え! す、すごい……こんな奇跡あるんですね! ほんと、運命みたい……」
やはり彼女──月雲さんとは感性がよく似ていそうだ。
話せば話すだけ価値観が合う事がわかるし、些細なことなのに話してて楽しいと感じる。
「僕のことは陽太でいいですよ。敬語もいりません」
「ありがとうございます、陽太くん。敬語は私のクセみたいなものだからこのままでいますけど、陽太くんは無くて大丈夫ですよ?」
「──分かった。ねぇ、もう少し話してもいい?」
僕派そう切り出さずにはいられなかった。
こんなに楽しい時間をすぐに終わらせたくなかった。
月雲さんは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにまわ柔らかい顔になって、首を縦に振った。
「ええ。むしろ、私からお願いしたかったです。こんなに話が合う人、なかなかいませんから」
どこまでも同じ理由なのがおかしくて、また小さく笑ってしまった。
「私、植物とかお花が大好きなんです。だから体が元気なときはこうしてここに来て、大好きな時間を堪能してるんです」
「分かる。こういう自然に囲まれてると、言葉に表せないような不思議な感覚になれるんだよね」
自然は素晴らしい。
ただ感情に訴えかけてくるだけでなく、こうして人を繋いでくれるのだから。
「私、自然だけじゃないと思うんですよね」
彼女は桜の木に向いていた視線をさらに上に上げ、空を見た。
「あそこ、何があると思いますか?」
「何って……空、じゃないの?」
彼女の指さす方向を見る。
そこには淡い水色の快晴が広がっていた。
それ以上でもそれ以下でもない。
「えぇ、そのとおりです。何の変哲もない空が、そこにはあります。でも、夜になって花火が咲いたら、また変わってきませんか?」
彼女は空を指差したまま、俺に視線を向けてくる。
「あぁ……すごくわかるよ。あれは人々になんとも言えない感情を与えてくれる。そういう意味では、あれは人工的に花を作り出してるって言えるもんね」
「ふふ、やっぱり気が合いそうです」
彼女が手を下げながら笑う。
そんな様子を見つつ、僕は「あっ」と声を上げる。
「どうしました?」
「7月の末にさ、花火大会があるじゃん? それ一緒に見に行かない? 車椅子だったら僕が押していくからさ」
今日初対面だというのに、この誘いをすることに戸惑いは無かった。
友達と行くのもいいけど、同じ気持ちを持った彼女と行くことの方により魅力を感じたからだ。
しかし、その提案に彼女は今日初めて顔を曇らせた。
「……ごめんなさい」
「ううん。初対面なのにこっちこそごめんね」
「あぁっ、いえ、そうではなく……できないんです」
どうやら、僕が思っていることとは別の意味があるようだ。
「理由を聞いても?」
「驚かないでくださいね?」
彼女はそう前置きして────
「私、あと2ヶ月後の7月上旬が余命なんです」
──……思わず言葉を失ってしまった。
ああ…………彼女はこんなにも深刻な病だったのか。
「最後の桜も、もう終わってしまいましたね。花火まで持たないみたいなので、陽太くんとのお話が私の最期の想い出になるかもしれないです」
クスッと笑いながら言うが、それが偽りの笑みであることはすぐに分かった。
せっかくこんなにも話の合う人に出会ったのに、あと2ヶ月でお別れ?
花火が好きといった彼女がそれを見ることも出来ずにその天命を終えようとしている?
そんなの、駄目じゃないか。
「待ってて」
「え……?」
「僕が絶対、君に花火を見せてあげる」
不可能に近いかもしれないが、一筋の希望があるのならそれにしがみついてみせる。
初対面? 関係ない。
僕と彼女の大好きな運命ってのは、そういうものだろう?
「花火を炸裂させるだけに留めないよ。散りゆくその一滴一滴の涙を、君無しで見たくない。僕が、君と空を泣かせてあげる」
それは、春休暇の練習試合のことだった。
サッカー部に所属する僕は、試合中に相手選手との接触してしまい、変な倒れ方をしたのか右足の骨に重い負荷をかけて、骨折してしまったのだ。
そのせいで、ゴールデンウィーク初日である今日5月3日は、今こうしてこの街で1番大きな病院に来ていた。
「八雲陽太さんですね。今日は来院者が多いので、少々お時間いただきます。八雲さんの順番が回ってきましたらお電話おかけしますので、電話番号だけよろしいでしょうか?」
「分かりました」
母さんが受け答える。
待合室を見渡すと、僕みたいにゴールデンウィーク初日を病院で過ごしてしまう人が多くいた。
「陽太、どうする? 母さんは車の中で待っておくけど」
「うーん、僕は外で風に当たるよ」
「相変わらず外が好きね。でも、松葉杖なんだから気をつけなさいよ」
「分かってるって」
僕は体を動かすのが好きだ。
細かいこととか変なこととか、そんなの全部忘れて無邪気な子供に帰れるから。
骨折してようと、車でじっとするのは僕じゃない。
それに、この病院の裏には桜の木があるらしい。
なんでも、この街の住人たちが「入院してる人たちにも華やかな気持ちになってほしい」と寄付を募って立てたとか。
時期からして桜はもう散っているだろうが、微かに残る生命の息吹を見るのもまた、面白いだろう。
そういえば、月雲さんもここに入院してるって先生が言ってたっけ。
月雲さんは、高校で僕の隣の席の人。
……いや、隣になるはずだった人が正しいか。
彼女は体調がかなり悪いらしく、高校2年生で同じクラスになってから一度も会ったことがない。
友達から聞くに、どうやら1年生の頃からあまり来ていなかったらしい。
僕が知っているのは、『月雲輝夜』という女子ということ。ただそれだけ。
そんなことを考えつつ、転ばないよう足下に注意を払いながら、慎重に歩みを進める。
暖かい日差しが優しく地面を照らしてくれる。
数分も歩けば、広大な裏庭が見えてきた。
新緑が目に優しく、風に揺らされた葉っぱが舞い散る。
メインの道の脇に植えられた色とりどりの花たちは、僕たちを前向きに応援してくれているようにも感じる。
自然は素晴らしい。
五感全てに訴えかけてきて、様々な感情を生み出してくれるのだから。
たくさんの植物に目を向けつつ、松葉杖特有の音を鳴らしながら前に進む。
ふと視線を前に向けると、例の大きな桜の木の下に人影が見えた。
車椅子に乗っているので、おそらくここに入院している人なのだろう。付き人はいないようなので、ここまで1人で来たらしい。
すると僕は、なんでだか分からないけどその人影の持ち主の方へ向かった。
知らない地の知らない人へガツガツ行くようなタイプではないが、今だけはなんとなくこれが正しいような気がした。
運命だろう。
僕はこういうのに従うのも、大好きだ。
女性だった。
かなり若い女性で、年齢は僕と同じくらいに見える。
どこか儚い雰囲気を纏った彼女は、初対面ながらとても美しいと感じてしまった。
「綺麗ですね」
彼女の近くに立ち、早くもすっかり緑に覆われた桜の木を共に眺める。
僕の視界の端で、彼女がびっくりするようなきょとんとするような、そんな表情を浮かべながらこちらを見ていた。
しかし、それは一瞬の出来事で、彼女はまた桜の木に視線を移した。
「ええ、すごく綺麗です。注目されがちな桃色の花弁を散らした後も深く淡い色合いの葉っぱをこうしてつけている様子は」
透き通るような声だった。
そして、彼女もこちら側の人のようだ。緑に染まった桜に「綺麗」と言う人はなかなかいない。
「うん。人々からは特別な木からただの木に変わったのにこうして生命を紡いでるの、すごく素敵ですよね」
すると彼女は小さくクスッ笑い声をもらした。
その声に僕は彼女に視線を向けた。
「すみません。私と同じような考えの人に初めて会ったもので」
「やっぱり、そうだったんですね。僕もこういう考えの人に会うのはかなり久しぶりです」
僕は笑顔を浮かべながら言うと、彼女は柔和な微笑みを返してくれる。
その笑顔に思わず一瞬ドキッとしてしまう。
「あなたは……運動部なんですか? それも、サッカー部辺りかな……?」
驚いた。
彼女は僕の全身をサッと一瞥したと思ったら、何も言ってないのに部活を当てられてしまった。
「正解です。すごい」
「ふふ。私、こう見えても頭はいい方なんですよ?」
「こう見えても何も、賢そうですけどね。それにしても、なぜ……?」
「ありがとうございます。えっと……まず同い年くらいに見えて、太ももとかの筋肉すごいなって思ったのと骨折してるところが外の運動部の方がよくしてしまうところだったので……」
「すごい……」
素直に称賛の声しか出ない。
「実は練習試合で悪い方向にこけちゃって……あ、そういえば、その、えっと……」
「──あ、自己紹介がまだでしたね」
僕がなんて呼ぶか言い淀んでいると、すぐに察した彼女がスッと提案してくれた。
本当に気遣いまでできる良い人だ。
「私は、一応すぐそこの高校に通う2年生の月雲輝夜といいます」
「えっ」
思わず声が出た。
まさかさっき考えてた人と、こんなすぐに会うことができるなんて。
やっぱり、運命は大好きだ。
「僕も同じ高校の2年生で、八雲陽太です。それに、今は月雲さんの隣の席でもありますよ」
「え! す、すごい……こんな奇跡あるんですね! ほんと、運命みたい……」
やはり彼女──月雲さんとは感性がよく似ていそうだ。
話せば話すだけ価値観が合う事がわかるし、些細なことなのに話してて楽しいと感じる。
「僕のことは陽太でいいですよ。敬語もいりません」
「ありがとうございます、陽太くん。敬語は私のクセみたいなものだからこのままでいますけど、陽太くんは無くて大丈夫ですよ?」
「──分かった。ねぇ、もう少し話してもいい?」
僕派そう切り出さずにはいられなかった。
こんなに楽しい時間をすぐに終わらせたくなかった。
月雲さんは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐにまわ柔らかい顔になって、首を縦に振った。
「ええ。むしろ、私からお願いしたかったです。こんなに話が合う人、なかなかいませんから」
どこまでも同じ理由なのがおかしくて、また小さく笑ってしまった。
「私、植物とかお花が大好きなんです。だから体が元気なときはこうしてここに来て、大好きな時間を堪能してるんです」
「分かる。こういう自然に囲まれてると、言葉に表せないような不思議な感覚になれるんだよね」
自然は素晴らしい。
ただ感情に訴えかけてくるだけでなく、こうして人を繋いでくれるのだから。
「私、自然だけじゃないと思うんですよね」
彼女は桜の木に向いていた視線をさらに上に上げ、空を見た。
「あそこ、何があると思いますか?」
「何って……空、じゃないの?」
彼女の指さす方向を見る。
そこには淡い水色の快晴が広がっていた。
それ以上でもそれ以下でもない。
「えぇ、そのとおりです。何の変哲もない空が、そこにはあります。でも、夜になって花火が咲いたら、また変わってきませんか?」
彼女は空を指差したまま、俺に視線を向けてくる。
「あぁ……すごくわかるよ。あれは人々になんとも言えない感情を与えてくれる。そういう意味では、あれは人工的に花を作り出してるって言えるもんね」
「ふふ、やっぱり気が合いそうです」
彼女が手を下げながら笑う。
そんな様子を見つつ、僕は「あっ」と声を上げる。
「どうしました?」
「7月の末にさ、花火大会があるじゃん? それ一緒に見に行かない? 車椅子だったら僕が押していくからさ」
今日初対面だというのに、この誘いをすることに戸惑いは無かった。
友達と行くのもいいけど、同じ気持ちを持った彼女と行くことの方により魅力を感じたからだ。
しかし、その提案に彼女は今日初めて顔を曇らせた。
「……ごめんなさい」
「ううん。初対面なのにこっちこそごめんね」
「あぁっ、いえ、そうではなく……できないんです」
どうやら、僕が思っていることとは別の意味があるようだ。
「理由を聞いても?」
「驚かないでくださいね?」
彼女はそう前置きして────
「私、あと2ヶ月後の7月上旬が余命なんです」
──……思わず言葉を失ってしまった。
ああ…………彼女はこんなにも深刻な病だったのか。
「最後の桜も、もう終わってしまいましたね。花火まで持たないみたいなので、陽太くんとのお話が私の最期の想い出になるかもしれないです」
クスッと笑いながら言うが、それが偽りの笑みであることはすぐに分かった。
せっかくこんなにも話の合う人に出会ったのに、あと2ヶ月でお別れ?
花火が好きといった彼女がそれを見ることも出来ずにその天命を終えようとしている?
そんなの、駄目じゃないか。
「待ってて」
「え……?」
「僕が絶対、君に花火を見せてあげる」
不可能に近いかもしれないが、一筋の希望があるのならそれにしがみついてみせる。
初対面? 関係ない。
僕と彼女の大好きな運命ってのは、そういうものだろう?
「花火を炸裂させるだけに留めないよ。散りゆくその一滴一滴の涙を、君無しで見たくない。僕が、君と空を泣かせてあげる」
