こんなバカげた話、誰が受け入れるのよ。
璃音先輩なんて、チャラいし、自分優先だし、人の気持ちなんておかまいなし。
失恋傷心中の私に"恋愛教育係"を頼むなんてどうかしてる。
好きでもないのに、どうして私を選んだの?
どうして私の人生に踏みこんでくるの?
どうしてそんなに強がってくるの?
どうして、
どうして、どうして…………。
でも、それ以上にバカげてると思っているのは……。
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――窓の向こうがはらりはらりと雪模様を描いていた、1月中旬。
私は入学してから9ヶ月間想いを寄せていた昌太郎くんに視聴覚室前へ呼び出された。
気分は常夏のビーチ。照りつける日差しが眩しすぎて丸焦げになりそうなほどの恋心を抱いたまま彼の正面につくと、赤面している彼はモジモジしながらこう言った。
「あの……さ。沙々にはずっと内緒にしていたけど……。俺、百南のことが好きなんだ」
「えっ……」
「だから俺らがうまくいくように協力してくれない? 頼めるのは沙々しかいなくて」
告白されるかと思いきや、まさかのド変化球。
常夏のビーチ気分が砂漠に変わった瞬間だった。
百南とは入学直後から仲が良い親友で、私の片想い歴とおなじ。
肩甲骨までの長い黒髪。雰囲気も、ゆったりした語り口調も、仕草ひとつにしても品がある。
どこを取っても平均的な私に勝ち目はない。
「そ、そっか……。百南って女の子らしいし優しいもんね。……もちろん、協力するね。全力で」
腹話術の人形のように開いた唇は、最善のテンプレートを吐き出していた。
勝手に勘違いしていたぶん衝撃が激しく、いまは立っているのが精一杯に。
とうぜん気が利く言葉なんて出るはずもなく、荒んだ気持ちがハッピー気分を上書きしている。
彼と別れたあと、逃げ出すようにひとけのない階段を駆け下りた。ドクンドクンと低い鼓動に包まれながら。
タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ、タッ……。
リズミカルに足を叩きつけていたが、残り4段というところでかかとがふわりと浮く。
「きゃっ!!」
”ダッ、ダダダダダダッッッ!!!!”
鈍い音とともに踊り場へ落下。
すかさず鈍い痛みが全身を走って体を起こすと同時に甲高い声が漏れる。
「〜〜〜〜っったぁあぁぁあああっ!!!!」
尻もちに加えて、ズキズキと痛むひざ。
みっともなくて泣きたくなるけど、不幸中の幸いなのは周りに人がいないということ。
痛む箇所を手でおさえると、階段の角でひざを擦ってしまったのか赤い血がじんわりとにじみ出てきた。
と同時に、喉の奥でとどめていた気持ちが爆発。両目からはマグマのような熱いものがこみ上がる。
「やだぁ、血……。保健室行かないと……」
半べそをかきながら軽く足をひきずったまま保健室の扉前に到着。
扉の取っ手に指先を伸ばすと、先にガラリと扉が開いた。見上げると、そこには怖い顔をした女子生徒の姿が。一瞬目は合ったが、彼女は風を切るように私の横を走り行く。
と同時に、室内エアコンの生温かい香りが出迎えた。
なにごとかと思いながら中へ入ると、部屋の奥にあるベッドから男子生徒が腰をあげて、スラックスのポケットに両親指を引っ掛けながらひょいひょいと私の方へ向かってきた。その表情は、いますれ違った女子生徒とは対象的なほど。
「ねぇ、あんた。泣いてるみたいだけど、ど〜したの?」
彼は一つ年上の佐倉璃音先輩。モテモテで有名人だから誰もが知っている。
軽く見回すが、養護教諭は不在のよう。もしかしたら、その隙を狙って先ほどの彼女と保健室に侵入したのかもしれない。
しかも、彼女は怒ってるように見えたからケンカでもしたのかな。
彼とは初コンタクトだけど、いまは誰とも喋りたい気分じゃない。だから、「なんでも……ありません」と鼻声で言って足をUターンさせると、彼は私の背中に言った。
「もしかして、失恋?」
「……」
「黙ってるってことは図星でしょ! あははっ! そっかぁ〜。あんた失恋しちゃったんだぁ」
いとも簡単に地雷を踏んできた瞬間、私は拳を握りしめる。
どうして赤の他人に失恋を笑われなきゃいけないの?
彼の笑声は、膝と心の痛みにチクリと刺激をもたらす。
「人の失恋を笑うなんて、ひどい……」
「えっ」
「モテる人にはフラれた人の気持ちなんてわかりませんよね。私がどんな想いで彼に恋心を抱いていたか、どんな想いのままフラれてしまったかなんて」
よりによって、昌太郎くんが好きな人は私の親友百南。
都合が悪いのは、その百南に好きな人がいることを内緒にしてたから。
口を割らなかった理由は、いまでも忘れられない中学生の頃のある事件が私を引き止めていたから。
自業自得なのはわかっているけど、もし昌太郎くんが百南に告白してしまったらと思うとやりきれない気持ちに。
「うん、わからない」
彼は不穏な空気などものともせずにさらりと答えた。
一瞬聞き間違えかと思って「えっ」と振り向くと、彼は真顔のまま。表情筋一つすら動かさない。
もちろん同情してほしいなんて思わないけど、少しくらい気が利く言葉を言ってくれてもいいのに……。
「だから教えてほしい。そのフラれた心境を」
「じょ、冗談はやめてください……。私、そんなことに付き合えるほど余裕ないですから」
「どうして?」
「えぇっ!! どうしてと言われても……」
「だって俺、恋をした経験がないからフラれる心境とか知りたいし」
「〜〜〜〜っっ!!」
最……低…………。
じゃあ、いま怖い顔で教室を出ていった女の子はなんなのよ。
なにごとも無かったように振るまう上に恋をした経験がないと言われても冗談としか思えないんだけど。
「嘘つかないでください! 璃音先輩は次から次へと彼女を変えてるって聞きましたよ。なのに、『恋をした経験がない』なんてウソをつかれても誰も信じませんから!」
「あれ……? あんた、俺のことを知ってるの?」
「先輩はチャラくて有名じゃないですか。この学校に知らない人なんていませんよ!」
売り言葉に買い言葉ということもあって、頭の中にある彼のイメージを叩きつけていた。
きっと失恋の傷口から出た毒が無意識に自分を守ろうとしているのだろう。
すると、数秒前の彼とは別人のように口角がストンと落ちた。
「あーー、そっ……。あんたは噂ひとつで人のことを決めつけるタイプなんだ」
このひとことは、外気以上の冷気をかもしだす。
それを身に感じつつも、私は失恋の傷を叩きつけるように反論した。
「だって、噂をされるということは事実だから。そんな簡単に女の子の気持ちをもてあそばないでください」
「ぷっ……。なに必死になってんの? ってか、あんたは誰かにもてあそばれたの?」
彼は怖い顔のまま一歩一歩私の方へ。
この時点で怒っているのは一目瞭然だったけど、人をバカにしたような態度が許せなかった。
「ちっ、違いますっっ!! ただ、璃音先輩に傷つけられた女の子の代弁をしてるだけです」
「俺が誰を傷つけたって?」
「だから、先輩にフラれた女の子たちです」
「あんたは俺のなにを知ってるわけ? 人の事情なんてなにも知らないくせに代弁する資格なんてない」
彼は冷淡な目で私の言葉にそう言いかぶせながら私の横の扉に”ドンッ”と左手を叩きつけた。
まるで心臓を撃ち抜かれてしまったような爆音とともに私の体はわずかに揺れる。
約40センチ先にあるのは、なにかを訴えるような表情。
無視すればいいものの、なぜかヘビに睨まれたカエルのように目が離せない。
「だっ、だって……」
「だって?」
「女の子をとっかえひっかえしてたら、普通にそーゆーイメージがつくし……」
「噂、イメージ……? そんな間接的なもので俺のなにがわかるの?」
「えっ」
「人の苦労を知らないくせに、噂ごときで勝手にイメージを作り上げないでくれる? そーゆーの、もう散々だから」
彼は嫌味口調でそう吐き捨てると、ドスドスと地面にかかとを踏みつけながら保健室を出ていった。
廊下の奥に消えていく足音。しだいに室内時計の秒針音が鮮明に聞こえるように。
彼がいなくなって緊張の糸がほどけたのか、「ふぅ」とため息がもれたあとにへなへなと扉へ寄りかかった。
失恋でストレスを抑えきれなかったとはいえ、私は自分の気持ちを守ることで精一杯だった。
この恋をバカにされたくなかった。
放っておいてほしかった。
こんなことになるなら璃音先輩と関わりたくなかった。
でも……、振り返れば自分も言い過ぎた。
指摘された通り、先輩のことを噂で聞いた通りの人と決めつけてしまったから。
本当はどんな人かさえ知らないくせに。
……。
…………。
近いうちに謝らないと……。
――この時は、次の機会で謝ればいいと思っていた。
謝罪の件が片付いたら、もう二度と彼にかかわることはないと思っていたから。
しかし、その翌日。
私は心の誓いを立てたことを忘れて再び彼に価値観を押しつけてしまう。
扉に手を叩きつける時に揺れていた袖口のボタンが、彼のすべてを物語っていたことさえ知らずに。