一般開放されている大御神殿は表向きの参拝用で、チュプやクンネチュプが鎮座する居住本殿はその裏側の山にあった。
晴れて女官や神官に選ばれた新米たちは半日かけて雪山を下り、また次の雪山を登る。
今回の選抜で残ったのは私とポンとサッテともう一人、神官候補の少年だけだった。
本来なら案内役はマヤだったのだが、粛清されたマヤに代わりすぐに別の女官指導員が姿を現した。
私は少し侘しい気持ちになった。
(マヤは自分が神殿の自浄役だと豪語していたが、代わりはいくらでも居るんだな。)
浮き足立って一番に橇を履いていたポンが、本殿に向かう雪深く険しい道中に悲痛な声を上げた。
「女官に選ばれたら、仙女の力を授かるんじゃなかったのー⁉」
「女官だからといって、すぐに仙女になるわけではありませんよ。」
先を歩いて雪に足跡をつけていたいた案内役のクワという名の女官が振り返り、クスリと笑った。
「もともと、人間は200年は存命する生きものなのです。」
「私は父上に、人間は50年もすれば老いて動けなくなると習いました。」
これには女官のすぐ後ろを歩いていたサッテが反論した。
クワは残念そうに小さく頭を横に振った。
「ここから先の神の仮住まいの本殿には神仙界と同じ空気が流れています。
その空気には人を悩ます病気や老いなどの穢れはありません。穢れがないということは、本来持っている資質を存分に生かせるということ。だから、長寿と仙女の能力に直接の関係はないのです。」
「・・・そういうことか。」
長らく地上にいたくせに、地上にいる仙女については知識もなかった私は納得した。
「それでも、もっと簡単に移動する方法はないのー⁉」
「転がって、雪玉になれば早いんじゃないか?」
「サッテのバカー!」
慣れない雪山を歩きすぎて傷んだふくらはぎをさするポンはまだ不満顔だ。
クワが足を止めて私たちに微笑んだ。
「本殿に着くまで道のりはまだ少しあります。いったん休憩をしましょう。」
小川のせせらぎのある谷で私たちは荷を下ろして茣蓙を敷き、腰を落ち着けた。
今日は晴れて雪が降っていないのが幸いだが、いつ天候が崩れるとも限らないから道のりは急いだほうがいいだろう。
二大神のおひざ元とはいえ、ここは山の神の影響が強い。
そして山の神は気まぐれだ。
「でも、マヤは色んな術を使ったわよね。
私たちもあのような力を神から授かれば、こんな山はひとっ飛びで超えることができるんじゃないの?」
「神は術を授けたりしません。それはあなたたちの努力次第ですよ。」
ポンのふくらはぎに軟膏を刷り込むクワが優しく語る。
「仙人も仙女も、長年の修行の上で様々な役に立つ術を身に着けていくのです。
マヤの場合は能力のありそうな人を喰らい鬼となることで強力な術を身に着け出世しましたが、神はすべてお見通しです。」
「働きながら修行しなきゃならないなんて・・・もう、考えただけで心が折れそう!」
「ずっとうるさい。なら、ひとりで今すぐ帰れ!」
「意地悪なサッテ!
ひとりで帰れっこないのは分かるでしょ? あたしは愚痴を言いたいだけよ‼」
ポンとサッテの不毛な言い合いを聞いていたクワの顔が、少し歪んだように見えた。
「こんなことで腐る必要はありません。だって、あなたたちは幸運の持ち主じゃないですか。
普段、拝顔さえ許されないクンネチュプさまより直々にご指名をいただいたのですから。
私はただただ、あなたたちが羨ましい・・・。」
私はあらためてクンネチュプを思い浮かべた。
その顔は百合の花のように白く可憐で、立ち姿は月のように手が届かないような高貴さを持ち合わせていた。
実の弟だというのに神だったころの私とは似ても似つかないので、嫉妬の範疇にもない。
「本当にあの方はクンネチュプさまだったのですか?」
サッテがクワに尋ねた。
「私は恐れ多くて、クンネチュプ様のお顔を見ることはできませんでした。」
ポンもサッテに同意した。
「お顔を見ようとすると霞がかったようになって、私も拝顔できなかったわ。」
「女官ごときが神を拝顔するのは叶いません。
そのためにも女官は様々な修練を積んで、お側に勤めさせていただくようにするのが宿命なのです。」
私は口をつぐんだ。
(まずいことになったな。
神を正視できたのは、私だけか。)
もしかして、クンネチュプは私が顔を見ていたことに気がついただろうか?
それで疑いをかけられて月の正殿付きの女官に任命されたのかもしれない。
私が偽りの体を借りて二大神を欺き、私怨を果たそうとしていることがバレてしまえば復讐は叶わない。
この思いをユクに相談するわけにも行かず様々な思案を巡らせていると、おとなしく一番後方に佇んでいた神官候補の少年の胃がグウと鳴って一同の視線を集めた。
「腹が空いているのか?」
問いかけると、私より背の低い少年は恥ずかしそうにうつむいた。
顔を半分まで覆うモジャモジャの髪で表情が読み取れないが、ポンやサッテのように社交性があるようには見えない。
どういう経緯で選抜に残ったのかは知らないが、この容姿なら私のようにあの煩い門番に疎まれたかもしれない。
親近感を覚えた私は腰巾着に備えていた干し肉を数枚取り出し、少年に差し出した。
「食え。」
驚いたように頭を強く振る少年。
「ウサギの肉だ。クセも少なく美味だぞ。」
「いら・・ない。」
少年がようやく絞り出した声は、怯えの色が混じっていた。
それを見たポンが、すぐに挙手をした。
「その子がいらないならポンが食べてあげる!」
「レンはお前には聞いてないぞ。」
サッテがポンの顔をわしづかみにして動きを止めた。
ジリジリと私から距離を取ろうとする青白い顔の少年からは、連続して腹の音が鳴り続ける。
私たち三人はお互いに目を合わせた。
「ポン、サッテ、手伝って。」
「いいよ。」
「まかせて。」
少年を三方から囲むようにゆっくりとにじり寄ると、少年は怯えて甲高く叫んだ。
「な、何をする!」
その声を合図に私が素早く動き、少年の首根っこをつかんだ。
日頃農作業で鍛えている私に、ヒョロヒョロした痩せっぽっちの少年を捕まえるのは造作もないことだった。
ポンとサッテに暴れる少年の脇をしっかりと固めてもらい、私は持っていた干し肉をちぎり、無理やりその口にねじこんだ。
「・・・ッ!」
仕方なく口に入り込んだ肉を咀嚼して嚥下した少年は、むせながらもこけた頬に一筋の涙を流した。
「美味しい・・・。」
「なんのために絶食をしていたんだ?」
呆れながら私は泣く少年に聞いた。
「母上に…大きな男子は神官試験には受からないと言われた。
だから、ここ一週間はまともに物を食べていない。」
「それなら、遠慮せずにもっと食えばいい。神官の試験に残ったんだぞ。お前の母もここには居ない。」
「でも・・・。」
ためらいを見せる少年は、まだ残りの肉を食べることを拒絶している。
私は少年の顔が見えるように髪の毛を後ろに束ねてから紐でくくった。
痩せすぎで頬がこけて目玉だけが大きく見える。
「もう、我慢する必要はない。
ここから先、お前の道は自分が決めなきゃならないんだ。
しっかりと自身のその目で善悪を見定めろ。」
少年はがっくりと雪の上に崩れ落ちて、辺りかまわずむせび泣いた。
成り行きを見守っていたポンとサッテが、ニヤリとして少年から離れた。
「レンって、ホントにお人よしよね。」
「それがレンの良いところだ。」
「レン・・・?」
しゃくりをあげる少年が私の名を口にした。
「そうだ。私はレン。こっちはポンとサッテだ。
お前の名は?」
「レラ。」
「レラ。同じクンネチュプさまの本殿に仕えていれば、顔を合わせることもあるかもしれない。よろしくな。」
レラは充血する赤い目で大きく頷き、貪るように干し肉を喰らった。
晴れて女官や神官に選ばれた新米たちは半日かけて雪山を下り、また次の雪山を登る。
今回の選抜で残ったのは私とポンとサッテともう一人、神官候補の少年だけだった。
本来なら案内役はマヤだったのだが、粛清されたマヤに代わりすぐに別の女官指導員が姿を現した。
私は少し侘しい気持ちになった。
(マヤは自分が神殿の自浄役だと豪語していたが、代わりはいくらでも居るんだな。)
浮き足立って一番に橇を履いていたポンが、本殿に向かう雪深く険しい道中に悲痛な声を上げた。
「女官に選ばれたら、仙女の力を授かるんじゃなかったのー⁉」
「女官だからといって、すぐに仙女になるわけではありませんよ。」
先を歩いて雪に足跡をつけていたいた案内役のクワという名の女官が振り返り、クスリと笑った。
「もともと、人間は200年は存命する生きものなのです。」
「私は父上に、人間は50年もすれば老いて動けなくなると習いました。」
これには女官のすぐ後ろを歩いていたサッテが反論した。
クワは残念そうに小さく頭を横に振った。
「ここから先の神の仮住まいの本殿には神仙界と同じ空気が流れています。
その空気には人を悩ます病気や老いなどの穢れはありません。穢れがないということは、本来持っている資質を存分に生かせるということ。だから、長寿と仙女の能力に直接の関係はないのです。」
「・・・そういうことか。」
長らく地上にいたくせに、地上にいる仙女については知識もなかった私は納得した。
「それでも、もっと簡単に移動する方法はないのー⁉」
「転がって、雪玉になれば早いんじゃないか?」
「サッテのバカー!」
慣れない雪山を歩きすぎて傷んだふくらはぎをさするポンはまだ不満顔だ。
クワが足を止めて私たちに微笑んだ。
「本殿に着くまで道のりはまだ少しあります。いったん休憩をしましょう。」
小川のせせらぎのある谷で私たちは荷を下ろして茣蓙を敷き、腰を落ち着けた。
今日は晴れて雪が降っていないのが幸いだが、いつ天候が崩れるとも限らないから道のりは急いだほうがいいだろう。
二大神のおひざ元とはいえ、ここは山の神の影響が強い。
そして山の神は気まぐれだ。
「でも、マヤは色んな術を使ったわよね。
私たちもあのような力を神から授かれば、こんな山はひとっ飛びで超えることができるんじゃないの?」
「神は術を授けたりしません。それはあなたたちの努力次第ですよ。」
ポンのふくらはぎに軟膏を刷り込むクワが優しく語る。
「仙人も仙女も、長年の修行の上で様々な役に立つ術を身に着けていくのです。
マヤの場合は能力のありそうな人を喰らい鬼となることで強力な術を身に着け出世しましたが、神はすべてお見通しです。」
「働きながら修行しなきゃならないなんて・・・もう、考えただけで心が折れそう!」
「ずっとうるさい。なら、ひとりで今すぐ帰れ!」
「意地悪なサッテ!
ひとりで帰れっこないのは分かるでしょ? あたしは愚痴を言いたいだけよ‼」
ポンとサッテの不毛な言い合いを聞いていたクワの顔が、少し歪んだように見えた。
「こんなことで腐る必要はありません。だって、あなたたちは幸運の持ち主じゃないですか。
普段、拝顔さえ許されないクンネチュプさまより直々にご指名をいただいたのですから。
私はただただ、あなたたちが羨ましい・・・。」
私はあらためてクンネチュプを思い浮かべた。
その顔は百合の花のように白く可憐で、立ち姿は月のように手が届かないような高貴さを持ち合わせていた。
実の弟だというのに神だったころの私とは似ても似つかないので、嫉妬の範疇にもない。
「本当にあの方はクンネチュプさまだったのですか?」
サッテがクワに尋ねた。
「私は恐れ多くて、クンネチュプ様のお顔を見ることはできませんでした。」
ポンもサッテに同意した。
「お顔を見ようとすると霞がかったようになって、私も拝顔できなかったわ。」
「女官ごときが神を拝顔するのは叶いません。
そのためにも女官は様々な修練を積んで、お側に勤めさせていただくようにするのが宿命なのです。」
私は口をつぐんだ。
(まずいことになったな。
神を正視できたのは、私だけか。)
もしかして、クンネチュプは私が顔を見ていたことに気がついただろうか?
それで疑いをかけられて月の正殿付きの女官に任命されたのかもしれない。
私が偽りの体を借りて二大神を欺き、私怨を果たそうとしていることがバレてしまえば復讐は叶わない。
この思いをユクに相談するわけにも行かず様々な思案を巡らせていると、おとなしく一番後方に佇んでいた神官候補の少年の胃がグウと鳴って一同の視線を集めた。
「腹が空いているのか?」
問いかけると、私より背の低い少年は恥ずかしそうにうつむいた。
顔を半分まで覆うモジャモジャの髪で表情が読み取れないが、ポンやサッテのように社交性があるようには見えない。
どういう経緯で選抜に残ったのかは知らないが、この容姿なら私のようにあの煩い門番に疎まれたかもしれない。
親近感を覚えた私は腰巾着に備えていた干し肉を数枚取り出し、少年に差し出した。
「食え。」
驚いたように頭を強く振る少年。
「ウサギの肉だ。クセも少なく美味だぞ。」
「いら・・ない。」
少年がようやく絞り出した声は、怯えの色が混じっていた。
それを見たポンが、すぐに挙手をした。
「その子がいらないならポンが食べてあげる!」
「レンはお前には聞いてないぞ。」
サッテがポンの顔をわしづかみにして動きを止めた。
ジリジリと私から距離を取ろうとする青白い顔の少年からは、連続して腹の音が鳴り続ける。
私たち三人はお互いに目を合わせた。
「ポン、サッテ、手伝って。」
「いいよ。」
「まかせて。」
少年を三方から囲むようにゆっくりとにじり寄ると、少年は怯えて甲高く叫んだ。
「な、何をする!」
その声を合図に私が素早く動き、少年の首根っこをつかんだ。
日頃農作業で鍛えている私に、ヒョロヒョロした痩せっぽっちの少年を捕まえるのは造作もないことだった。
ポンとサッテに暴れる少年の脇をしっかりと固めてもらい、私は持っていた干し肉をちぎり、無理やりその口にねじこんだ。
「・・・ッ!」
仕方なく口に入り込んだ肉を咀嚼して嚥下した少年は、むせながらもこけた頬に一筋の涙を流した。
「美味しい・・・。」
「なんのために絶食をしていたんだ?」
呆れながら私は泣く少年に聞いた。
「母上に…大きな男子は神官試験には受からないと言われた。
だから、ここ一週間はまともに物を食べていない。」
「それなら、遠慮せずにもっと食えばいい。神官の試験に残ったんだぞ。お前の母もここには居ない。」
「でも・・・。」
ためらいを見せる少年は、まだ残りの肉を食べることを拒絶している。
私は少年の顔が見えるように髪の毛を後ろに束ねてから紐でくくった。
痩せすぎで頬がこけて目玉だけが大きく見える。
「もう、我慢する必要はない。
ここから先、お前の道は自分が決めなきゃならないんだ。
しっかりと自身のその目で善悪を見定めろ。」
少年はがっくりと雪の上に崩れ落ちて、辺りかまわずむせび泣いた。
成り行きを見守っていたポンとサッテが、ニヤリとして少年から離れた。
「レンって、ホントにお人よしよね。」
「それがレンの良いところだ。」
「レン・・・?」
しゃくりをあげる少年が私の名を口にした。
「そうだ。私はレン。こっちはポンとサッテだ。
お前の名は?」
「レラ。」
「レラ。同じクンネチュプさまの本殿に仕えていれば、顔を合わせることもあるかもしれない。よろしくな。」
レラは充血する赤い目で大きく頷き、貪るように干し肉を喰らった。



