銀の雫ふれふれ 金の雫ふれふれ  (連載版)

 目覚めた瞬間、この世に感じたのは恐怖と絶望だった。
 それは目の前によく見知った三匹の人祖神がいたからだ。

「アーーーッ!」

 自分の悲鳴の反響から、この場に居る間仕切りのない建物が、そこそこの広さと高さを持っていることが分かる。
 暗闇に灯芯台の灯りがぼうっと浮かび上がり、赤い布で飾られた台座には、その周りに飾られている木でできた捧げものや高杯に盛られた草餅や盃も見えた。

 見覚えがある景色・・・ここは、人間が神に祈りを捧げる神殿では?
 私は突き刺さる男たちの視線から逃れようと身をひねると、寝ていた石の寝台から転げ落ちそうになった。

「アアッ、アアア‼」
「レンカさま、大丈夫ですか?」

 目測を見誤った。
 思ったより高さのある寝台から落ちる寸前、大柄の着物姿の男に抱きとめられて、私は優しくその場に座らされた。

「お前は・・・!」

 私はその男が誰かを知って唇を噛みしめた。私に仕える人祖神のひとり、従者のキムンだ。
 私は自分の背中を支えていたその手を乱暴に払いのけた。

「気安く私に触れるな! ここはどこだ⁉」

 気色ばんだ赤い瞳にサッと悲しみを宿した男は、手を背中に引っ込めると後ずさりした。

「申しわけありません。永い眠りから醒めて混乱する気持ちも分かります。
 ですが、ここは安全です。落ち着いてください。」

「これが、落ち着いてなどいられるか!」
 私は興奮して口の横から泡を吹いて叫んだ。

「キムンの言う通り、もう大丈夫です。何も心配はいりません。」

 私の言葉を遮るように灰色の髪の男が進み出てきて、微笑みながら人差し指を私の唇に当てた。
 この男も私の良く知る男、従者のニコ。

「レンカさまは、すでに転生しておいでなのです。」
「転生だと・・・?」

 私は自分の両目に映る小さな少女のような手を見て驚いた。しかも、無いはずの左目が見えるなんて・・・!
 私の中にあるはずの神力が微塵も感じられないこの身体は・・・いったい何なんだ?

「どういうことだ?
 私は、どうなってしまったのだ⁉」

 三人は少しためらう様子で顔を見合わせて、やがて背の高い金の髪に薄い紫の目を持つ男・従者のユクが声を発した。

「レンカさまは渡国の天子・ヤマトさまとの婚姻を前に何者かに毒殺されて神としての生涯を終えられたのです。
 そしてそのあと、私たち人祖神三人の力で百年をかけて幼い少女に転生させていただきました。」
「百年・・・⁉」

 私は理解が追いつかなくてその場に崩れ落ちた。
 胸が痛い。
 こんな痛みは産まれて初めてのことで、青ざめた。

「まさか・・・この身体は・・・!」
「そうです。人間の身体を依り代にレンカさまの魂を下ろしたのです。」

 人間は、辛いときに胸が痛いと言って目から透明な水を滴らせるが、いままさに私はそれを体現している。
 神であった時にはなかった痛み。
 そうか、これが苦しみなのか。

「なぜだ・・・? なぜ、そんなことを・・・!」 
「私たちにはレンカさまが必要なのです。」

 突然の事実を受け入れられず、むせび泣く私の前に男たちが静かに跪いた。
 私は彼らを恨めし気にキッと睨んだ。
 何をいけしゃあしゃあと・・・。

 私は知っている。
 この三人は私を憎んでいるのだ。
 そして神であった私を殺しただけでは飽き足らず、人間に転生させてまで恨みを晴らそうとしているんだ‼

 ※

 一年の半分が銀世界で覆われる古代の北の大地・渡島。

 渡島を創世した男神と女神の最初の仕事は、子を成すことだった。
 ただ、若いふたりには初めてのことだったので、その作法も分からず初めて産んだ子どもは片目のない不遇の神・・・それが私・レンカだった。
 私は知能も神力も後から産まれ出てきた妹や弟神に及ばず、太陽や月、海や大地といった世界を司る力がなかった。かといって神としての役目を果たさなければ神仙界には住めないので、創世神は頭を悩ませた。

 そこで知恵の象徴であるミミズクの神に不遇の神の行く末をゆだねると
「未熟な神には、神を模倣した寿命が短く神力を持たない【人間】の指導をさせるくらいがちょうどよい。」
 というお告げを頂いた。

 創世神の勅命を受けて、従者である人祖神三人とともに地上に降り立った私は【人間を司る神】として人間にサケやニシンやマスの捕り方を教えたり、船出するときの水神の機嫌の取り方などを教えた。
 そうして悠久の時を地上で暮らした私は神仙界に戻ることに興味はなく、むしろ地上の天子・ヤマトと愛を育み、相思相愛の仲になった。
 そして、三度の通婚を終えた二人が晴れて祝言を上げることになったその夜、事件が起きた。

 ※

「本当に、こんな私を妻にする気なのか?」

 それは、しんしんと白い雪が降り積もる日だった。
 白い袍に金の鳳凰が刺繍された背子・三色の色が入った裳をまとった私は、高く積み上げられた祝酒の盃を次々に飲み干していく、同じく金の朝服をまとうヤマトに絡んでいた。

「酒豪の嫁は嫌いではない。それに神と婚姻を結ぶとなれば、誰も反対する者などいないよ。」
「そうではないぞヤマト。」

 酒の回ったろれつのまわらない言葉で、ヤマトのあぐらの中にドカッと座り込んだ私は、よく鍛えられたヤマトの胸に背中を預けながら目を閉じた。

「私は神と言ってもその序列は最下層。そのうえ、右目に闇を抱えている。
 しかもお前が老いて死んでしまったあとも、私だけは老いないし滅多なことでは死にもしない。
 この地上で言うところの輪廻転生には当てはまらない者を妻として迎えることが、どれだけ大変なのかお前は本当に分かっているのか?」
「ああ、ちゃんとわかっていて求婚をしたよ。」

 ヤマトは笑いながら私を背後から抱きしめた。

「だから、子供をたくさん作ろう。孫もたくさん。
 そうすれば私がいなくなっても、レンカが寂しいことはない。」
「ヤマト・・・。」

 ※
 
 神と人間の王の恋愛。
 飽きるほど長い時間を過ごす神の一時の酔狂な遊びだと、私を知る神々や人間たちは二人を笑いものにした。
 実のところ、私もはじめはそんな気持ちだった。弱く儚い人間と心を通わせるなんてありえない、これは一時の遊びなのだと。
 しかし、出会ってから十年も愛を囁き続けるヤマトの言葉にほだされ、根負けして婚姻を承諾したことだけは真実だった。

 ※

 私は夜の闇と温かいヤマトの腕に身を委ねながら、持っていた盃を空にした。

「レンカ、少し飲み過ぎじゃないか?」
「私が飲み過ぎて困る者が居るならもう飲まないが、誰も私のことなぞ気にしないだろう。」
「飲んべの神さまじゃ、人間のお手本にならないよ。」
「私は神であることを辞めたい。
 できることなら神籍を捨てて、人間として地上でヤマトとともに生を終えるのも悪くないとさえ思うよ。」
「ありがとう。でも、そんなことをしたら君が神仙界から連れてきた人祖神たちに、私が恨まれてしまうよ。」
「もう、天界を追い出された時点で三匹には恨まれているよ。」

 私はため息をついて、生まれついての従者である獣の化身の人祖神をかわるがわる思い浮かべた。

「そうかな? いつだって私の目には、三匹が君を慕っているようにしか見えないが・・・。」
「まさか! 今日なんかこの王居に来るまでにどれだけヒドイ嫌がらせを受けたか。
 キムンは私の肩掛けを隠すし、ニコは朝からひと言も喋らない。
 ユクなんて、この婚姻には反対だと直に私に説教をしてきてな・・・!」
「・・・三匹には、五十年の辛抱だと言っておいてくれ。」

 笑いをこらえるように身を丸めながら、ヤマトは私の持つ空の盃に酒を注いだ。
 私はすぐに反論した。

「五十年だと? そんな寂しいことを言うな。人間は百年以上生きる者もいるんだ。
 それに神である私が側にいれば、加護を受けてヤマトはそれ以上生きることができるに違いない!」
「それは頼もしいね。私も、少しでも長くレンカの側に立っていたいと思う。君は本当に素敵な女性だからな。」

 歯の浮いた言葉をつらつらと述べるヤマトに、私は赤面して頬を膨らませた。 

「隻眼で、人間より多少神力が使える程度の女が素敵なものか。」
「両目があるからといっていつも真実が見えるわけじゃない。見える目はひとつでいい。」

 うっとりとした顔でヤマトは私の盃の酒を口に含み、私に口移しに酒を注いだ。
 甘美な酒が咽頭に流れ込み、私の目の前は虚ろになった。

「え・・・?」

 急激に胃の腑で何かが弾け、私は酒を吐き出した。

「ゴボッ・・・!
 な、なんだ、この酒は‼
 ヤマト、まずいぞ! この酒には毒のようなものが入って・・・!」

 振り向いた視界の先に、すでに青い顔で床に倒れ込むヤマトが目に入った。

「ヤマト‼」

 白目を吹いてゴボゴボと血の泡を吹くヤマトを見た私は、朦朧とした意識の中で神通力を発動した。
 人祖神たちへの緊急発信。

『誰か、誰か施薬院に行って薬師を呼んでくれ!
 ヤマトが毒を盛られたんだ‼』

 人祖神たちからの応答はなかった。
 初めての不安。胸の動悸が異常に大きく感じる。

 おかしい。
 私は涙を流して吐きながら、違和感を感じていた。

 人間には毒でも、神である自分にも効くような毒は限られている。
 そしてそれは、この地上で手に入るはずはないのに・・・!

 私の叫び声に気がついた官女のタカが、御簾の仕切りを跳ね上げて部屋に入って来た。

「キャア! 何があったのですか⁉
 レンカさま、しっかりしてくださいッ‼」
「私はいいから、ヤマトを助けてくれ。それから、人祖神たちに連絡を・・・。」
「それが・・・人祖神さまたちのご乱心で、施薬院が破壊されて薬師たちが負傷しているんです!
 それなのにヤマトさまもレンカさまも倒れられていて・・・いったい私は、どうしたらいいのでしょう⁉」

 私の上体を起こして膝に抱えながらタカが発狂寸前で叫んだ内容に、私は震えた。

「人祖神たちが? そんなのウソだ・・・。」
「ウソなんかじゃありません。それぞれが巨大な獣に化けて王居を破壊しています!
 それも『レンカさまに裏切られた恨みだ』と口々に叫んびながら・・・。」

 私は絶望を味わいながら、タカの膝の上で意識を失った。

 ※

 「私たちにはレンカさまが必要なのです。」

 跪きながら低頭する三匹の人祖神たちは、私の言葉を待っているようだった。
 過去の記憶を取りもどした私は、目の前の裏切者たちに対して憎悪の気持ちでいっぱいだった。
 しかし、逆にふと冷静になった。

 そして、それを確かめるためにこう言った。

「確認なのだが、私は渡国の大王であるヤマトと婚姻する予定だったのか?」
「エッ?」

 私はゆっくりと首を傾げて言葉を紡いだ。

「申しわけないが記憶がまだらに脱落しているようで、私は自分が死んだ日のことを覚えていないんだ。
 だから毒殺されて死んだと言われても、実感がなくて混乱している。」
「私たちのことは、覚えておいでですか?」
「もちろんだ。私が天仙界を追放同然で地上に遣わされたときに付いてきてくれた、大事な従者たちだからな。
 熊の化身神・キムン、フクロウの化身神・ニコ、鹿の化身神・ユクだろう?」

 にこやかに話すと、三匹はホッとしたように強張った顔を緩めた。

「転生の障害で記憶の一部が抜け落ちたのか?」

 キムンが声をひそめて言うと、ニコとユクが目配せをした。

「それならそれでいい。」
「ああ。」

 三匹は私が死ぬ寸前、タカから三匹が施薬院を襲ったという情報を聞いたことを知らない。
 だから、私が彼らに恨まれていると知っていることは隠した方が賢明だろう。
 そこで私は少々、確信に迫った内容の話を投げかけた。

「それで? 誰かに毒殺された私を百年かけて人間に転生させてまで呼び戻した理由はなんだ?
 私が死んだなら、お前たちは私を守護する役目から解放されて、大手を振って天仙界に帰れたのではないか。」

「それは・・・いまはまだ言えません。
 こうしている間にも、レンカさまが転生したことを嗅ぎつける悪い輩がいるかもしれませんから。」
 他の二人が答えるより先に、ユクが口を出した。

 私はこころの中でそっと舌打ちした。
 ユクは三匹の中でもあまり感情に支配されないタイプだから、攻略するのは難しいかもしれない。
 まあいい。いつか心根が単純なキムンかニコを個別に呼び出して、彼らの目的を探ろう。

「でも必ず、近いうちに真実を話します。天地神命に誓って。」
 ユクは申し訳なさそうにそう言うと、私に頭を下げた。

「では、非力な人間・・・しかも小さな少女になった私にこれからどうしろと?
 まさか他の人間たちと同じように田を耕し、稲を育てて暮らせというのではなかろうな?」
「そうです。これからレンカさまには、人間として生きていただきたいのです。」
「・・・本気か?」
「はい。三匹とも、同じ気持ちです。
 第二の人としての生を穏やかに過ごしていただくこと、これが私たちの願いです。」

 ※

 それから十年後。
 十七の娘に成長した私は、平日は畑仕事、週末は日用品売りとして都の市場で働いていた。
 人祖神たちも日替わりで畑仕事を手伝ってくれるので、女一人でも生きていけるくらいの日銀は稼げる。

 正直、人祖神たちの手を借りて生活をすることは複雑だった。しかし、人間に成り下がった私にできることは限られている。
 くすぶる心の闇を胸に秘めたまま、私は淡々と表面的には穏やかな日々を過ごしていた。

 今日は力持ちのキムンが麦と野菜と魚を運んでくれた。
 キムンは屈強な見た目のわりには恥ずかしがり屋で、店の売り子はやりたがらない。
 私は木の台に持ってきた物品を綺麗に並べて、声を張って呼び込みをした。

「そこの方、新鮮な魚はいかが? 葱も太くて美味しいよ。」
 
 声をかけるたびに人々は振り向くが、すぐに興味を失って立ち去っていく。
 この仕事は根気勝負だ。今日は、どれくらい持ち帰ることになるだろうか。
 雨が降らなきゃいいなと思いながら空を見上げると、不意に声をかけられた。

「娘さん、その片目はどうしたの? 怪我でもしたのかい。」
 店の前で足を止めた烏帽子に白い直衣の男性が、私の眼帯を見て興味深そうにしている。

 貴族だろうか。
 直衣の生地がここらでは見ないような上等な織物のように見える。
 物品の話ではないことにガッカリするけど、これがきっかけで会話をしたら常連客になる人もいる。
 私はにっこりと笑顔を向けると、スラスラと受け答えた。

「いえ、両目とも見えますが、片目のほうが見やすいので隠しているんです。
 右目は虚像、左目は真実を映します。私は真実だけを見ていたいので右目を隠しているんです。」
「変わったことを言う娘だな。
 ねぇ、君みたいな娘は仙女に向いてるんじゃない?」
「へぇ、お客さんこそ面白いことを言いますね。
 人間が仙女になれないことくらい、私のような下賤の民でも知ってますよ。
 冷やかしなら他所に行ってください。」

 私がそう切り返すと、烏帽子の上品な男の顔が百合の花のように輝いた。

「それならいいことを教えてあげよう。一年に一度、人間にも仙女になる機会があるんだよ。
 今月の末日に二大神を祀る大きな祭がある。この島の齢十七を迎えた少女は、太陽神・チュプか月神・クンネチュプのどちらかの大御神殿の女官になる機会が与えられるんだ。」
「大御神殿の女官に?」
「女官は神の恩恵を受けて、多少の神通力と百年の寿命を授かることができる。それが仙女と呼ばれるのさ。
 君はいくつ?」
「十七になりました。」
「では、仙女になる資格があるよ。女官試験を受けてみなさい」
 
 仙女・・・!
 私は落雷が落ちたかのように言葉を失った。
 仙女たちは神に仕える業のため、長寿の恩恵を受けることができる。うまく大御神殿にもぐり込めば、私とヤマトが毒殺された経緯を知る仙女に出会うことができるかもしれない。

「今日はこれを頂こう。」
 烏帽子の男性は葱を一束取ると、私の手のひらに五枚の硬貨を握らせた。

「あ、まいど・・・あッ! お客さん、こんなには多いです。
 ここの品物を全てを買い取れるくらいのお金ですよ?」
「お喋りのお駄賃さ。それじゃあ、待っているよ。」

 待っている?
 私はその言葉をうまくのみこめず、渡された硬貨を固く握りしめた。

 ※

「仙女になる試験を受けようと思う。」

 竪穴に屋根を乗せただけの簡易住居に帰ると、私は頭の中に張りついていた考えを口に出して話した。
 キムンは、ひどく驚いた顔で市場で売れ残った物を入れた籠を蓙の上にズドンと降ろした。

「急に何をおっしゃるのですか?」
「今日、店に来た客から聞いたんだ。今月末に行われる祀りで、大御神殿の女官試験があるらしい。
 選ばれるかは分からないが、人間の命は短いからな。挑戦してみる価値はあるだろう。」
「大御神殿に祀られているのは太陽神と月神の二大神。レンカさまの弟妹ではありませんか!」
「今の私は人間だ。とくに問題はなかろう。」
「だからといって、妹君と弟君に仕えるなんて・・・!」
「なにを今さら。私はもう神ではないし、見た目も元の身体とはかけ離れているではないか。
 そもそも天界では、チュプやクンネチュプとは顔も合わせたことがないからな。
 私さえ口を開かなければ・・・いや、口を開いたところで毒で死んだ不遇の神のことなど、誰も覚えていないさ。」

 自嘲的に笑った私に、キムンは何か言いかけて口ごもった。
 この十年間、いつもそうだった。

 明らかに人祖神たちは何かを隠して行動をしている。
 私の好きなように生きるのが彼らの願いと言いながらも、ずっと私から離れずにいる。

「ですが、大御神殿ともなれば我らがついて行くことははばかられます。
 ニコやユクの意見も聞かないと・・・。」
「私ももう十七だ。これまで幼い私を見守ってくれたことには感謝するが、自分のことは自分で決めたい。
 お前たちも私なんかには囚われずに各々の道を行くがいい。」
 
「レンカさまは、それで平気なのですか? 我らがいなくても・・・。」
 キムンが急に切ない表情を浮かべた。

「お前たちは私を転生させたことについて隠していることを話さない。そんな奴らのことを、これからも信用しろというのか?」
「それは・・・!」

 私は人間に転生して以来、ヤマトのことは一度たりとも忘れたことはない。
 あのあと、ヤマトは助かったのだろうか?
 それともあのまま・・・?
 真実を知るのが怖くて、人祖神たちにはヤマトのことはいちども聞けずにいた。

 私はキムンに背を向け、声が震えるのを抑えながら聞いた。
「私は毒殺されたときの記憶を失って覚えていないが、ヤマトは・・・婚姻をあげるはずだったヤマトはその後どうなったのだ?」
「ヤマトさまは・・・レンカさまと同じように祝言の酒に仕込まれていた毒を誤って飲まれてしまい、私たちが駆けつけた時にはもう、手遅れでした。
 レンカさまを転生させたことについては、時期が来たら必ずお話をするつもりです。どうか、もう少しだけお待ちいただけませんか?
 私たちには、レンカさまが必要なのです。」
「もういい・・・頼むから一人にしてくれ。」

 キムンが大きな体を小さくしながら家を出たあと、私は胸が苦しくなって左の胸を抑えながら床に伏せた。
 予想していたこととはいえ、胸がえぐり出されるような衝撃に耐えられない。
 また、目が熱くなって涙というものが目から零れ落ちるのを止められないのが不思議だった。

 その夜、ヤマトのことを思い出すのはもうやめようと思った。
 そして、私たちの運命を引き裂いた人祖神たちに復讐するために残りの人生を捧げよう。
 そのためには、必ずや仙女にならなくてはならない。
 私は朝がくるまで、何度も何度もこの誓いを呪いのようにつぶやいた。   
 太陽神チュプと月神クンネチュプの二大御神を祀る正宮がある大御神殿は、標高900メートルの冠雪活火山の頂に位置している。
 大御神殿とは二大神が地上に降る時に鎮座する一時的な神の仮住まいで、仙人と仙女が地上の穢れから神を守るために管理している渡島で最大級の神殿だ。

 その華々しさとは対照的に、神殿の周囲は地中から吹き上げる硫黄ガスの影響で草木が極端に少なく、常に腐った卵のような不快な臭いが漂っている。
 雪山の背後から強く吹き付ける風は冷たく、見渡す限り白と茶褐色の色しかない景色はまるで死後の世界を想起させるような恐ろしさだ。しかし、信仰深い人々にとっては足を踏みいれにくいことが逆に好ましく、魔物を寄せつけない神聖な地として崇め奉られている。

「冷えるな。」
 私は金の牡鹿の背中から雪の積もった地に降り立つ。

 外気温が氷点下に下がった朝。樹氷で覆われた木々は朝の光に輝いている。山の周囲には霧が発生していて少し視界が悪いが、神が鎮座する山の頂と思えば神々しいとも言えるかもしれない。

 背中から吹き付ける風に身を震わせ、樹氷から神殿の屋根へと目を向けた私は、大きな木材2本を交差させた千木を見て感心しながらつぶやいた。

「あんなに太くて立派な木材を屋根に乗せているのに、よく建物が崩れないものだな。」

 足もとに粉雪を舞わせて牡鹿から人型に変化したユクは、皮肉げに頬を緩めた。

「二大神の神力の成せる業でしょう。まぁ、神力が雀の涙ほどしかなかったレンカさまには想像もできないことでしょうね。」
「フン。その嫌味を聞くのも今日までかと思うと、名残惜しい気がしないでもないぞ。
 ユク、キムンとニコにはくれぐれもよろしく伝えておいてくれ。『十年間、世話になった』と。」
「お待ちください。今日までですって? まさか、ご自分が女官の試験に受かるとでも?」
「落ちると思って試験に来る人間がいるのか?」
「よくお考え下さい、レンカさま。年に一度、毎回女官を受け入れて仙女として長寿を授けていては、大御神殿が女官であふれてしまうとは思いませんか?」

 昔から、ユクの歯に物が詰まったような言い方が嫌いだ。
 私は眉間にシワを寄せた。 

「何が言いたいのだ?」
「女官試験とは表向きで、その裏は神への人身御供なのでは?」
「何を馬鹿な。」
「親も生贄に取られるよりは仙女に出してやったと思えば、十七年間育てた娘を手放すのも、幾分気持ちが楽でしょう。」

 思いもよらないユクの言葉に、私は胸がざわついた。 

「そんな詐欺まがいの話を、大御神殿で? 」
「神は本来、完全無欠の捕食者です。特に創世神に近ければ近いほどに。レンカさまは例外ですが。」
「私が人間の神だったときには、そんなことを絶対に許していなかった・・・。」
「逆にレンカさまがいなくなったので、神仙界から人間への干渉はしやすくなったと思います。
 ゆえに、現在の地上の秩序は崩れています。神殿の中もです。」

 私はユクの言葉を丸ごと鵜呑みにする気にはなれなかった。
 だって、この人祖神は平気で嘘を言って私を騙そうとする輩なのだ。
 
 私が黙っていると、ユクがすべて見透かすような菫色の瞳を伏せた。 

「信じてはもらえなそうですね。あとはご自身の目で確かめたらいい。」
「そうするつもりだ。だが、心配してくれたのは嬉しい。ありがとう。」

 歩き出そうとした私を、またもユクが呼びとめた。

「待ちなさい。」
「まだ何かあるのか?」
「私もついて行きます。」
「どうやって?」
「こうして。」

 牡鹿の姿に戻り小指ほどに小さく縮んだたユクが、私の絞り袴をピョンピョンと這い上がって肩に乗ってきた。

「おい正気か? 大御神殿に人祖神が紛れ込むなど、チュプやクンニチュプの耳に知れたら懲罰ものだぞ。」
「二大神の月に一度の鎮座は、この女官選抜の次の日だと聞いております。今は人間上がりの神官や仙人たちしかいないはず。
 あ奴らに見破られるほど、私の神力は弱っておりません。」

 ユクは私の懐に潜り込み、ニィッと口の端を引いた。

「・・・好きにしろ。」

 そうは言ったものの、私は内心舌打ちをした。
 これでは自由に行動ができないではないか。

 やはりユクたちは何らかの恐ろしい目的があって、転生させた私を絶えず監視しているのだと思う。
 私は胸元のユクを捕らえて、全てを吐かせてしまいたい衝動を抑えるのに必死だった。

(待っていろ。いつか必ず、お前たちの罪を白日のもとに晒してやる・・・!)
 
 ※

 見上げるほどに大きな大御神殿の朱色の門の前に立つ。
 白い雪野原にクッキリとした朱色が鮮烈に目に焼き付いた。

(もう、後もどりはできない。)

 私は意を決して、門の前に並ぶ娘たちの列の最後尾に並んだ。
 門に近づくにつれ祀りの時にだけ掲げられる黄色の上りが見えてきて、私は痛む左胸を強く押さえた。

「ややや!」

 門の前に立ちはだかっていた門番の男が、私を見るなり野良犬を払うようにシッシと手で追いやった。

「帰れ帰れ! 貴様のような女子が足を踏みいれて良い場所ではないぞ‼」

 一斉にその場に居た人間たちの目が私ひとりに集まる。

 驚いた私はあらためて前列に並ぶ娘たちの姿を見た。
 皆、髪も着物も小綺麗に着飾っている。

 農作業をするときの土まみれの小袖に絞り袴、髪は無造作に一束に括っているだけの私は、かなり浮いた存在のようだった。
 しかし、ここで負けるわけにはいかない。

「十七の娘なら、女官に応募できると聞いてやってきました。」
「身の程知らずが! それは神の託宣を受けた貴族の娘に限るのだ‼
 平民のうえに隻眼で小汚い娘をこの神殿に入れるなど、誠にけしからん!
 分かったなら今すぐに立ち去れぃ!」

 門番は周囲に響く大声でがなり立てた。
 美しく着飾った娘たちは、クスクスと忍び笑いをしている。

 気後れして数歩引き下がった私に、胸元のユクが小さく話しかけてきた。

『ほら、だから言ったでしょう。』
「ああ。悔しいが、土俵にも立てないようだな。」
『しかし、無礼な門番だ。帰る前に、私が一発くらい蹴っておきましょうか?』

 私が血の気が上ったユクをなだめようとした時、門の内側から凛とした夜風のような声が吹き抜けた。

「よく来たな、隻眼の少女よ。」

 スッと姿を現したのは、市場で声をかけてきた色白の貴族風の男だった。
 今日も白い直衣に白の袴、紅色の単を下に着ているが烏帽子は被っておらず、元服前の童のような肩まである垂髪だった。

「あ、貴方は・・・!」
 私が思わず声を上げると、白袴の男は静かに白い歯を見せて微笑んだ。

(わたくし)を覚えていたか?」 
「もちろんです、お客さま。」
「おや。あの時はずいぶんと威勢が良かったのに、今日はずいぶん大人しいではないか。」
「あの時は調子の良い冷やかしだと思ったのです。ちゃんとお金を払って葱を買ってくれたから、あなたはお客さまですよ。」
「私は葱に救われたのだな。」

 私と白袴の男は互いの目を合わせると、ニヤリと笑った。
 この男は変人かと思っていたが、意外とウマが合うかもしれない。

「ともかく、門をくぐって先に行きなさい。この門番に試験会場まで案内させよう。」

 先ほどまで偉そうな態度を取っていた門番は、黒目を小さくして小刻みに震えている。
 何に怯えているのかは知らないが、こんな男に案内されるのはゴメンだ。
 
 私は慌てて白袴の男の上衣の裾を引き留めた。

「お客さまが案内役を買ってくれませんか?」

 男はひどく驚いた顏をしたのちに、クシャクシャに破顔した。

「心の強い女子だな。だが、不思議と嫌ではない。」
 
 この男はいったい幾つなのだろう。
 整った顔だから大人びて見えるが、感情を表に出すと幼くも見える。

 男は服の裾をつかむ私の手を優しく握り、踵を返した。
 
「それでは私が案内するとしよう。ついて来なさい。」
「よろしくお願いします、お客さま。」

 男は少し考える風に顎に手を当てると、私に微笑んだ。

「姉は私をピリカと呼ぶ。そう呼んでくれ。」

 ※

 私は知らなかった。
 門番がぼう然と門の内部に入る私たち見送り、消え入りそうな声で呟いていたのを。

「あの小娘・・・あのお方をどなただと・・・ええい、ワシは何も知らないぞ‼」 
 ピリカのあとに続いて豪華絢爛な彩りの回廊を進んでいくと、軒並みに仙女たちが顏を隠して深く低頭する場面に出会った。
 もちろん私に対して敬意を払うわけがないので、私の前を歩くピリカがよっぽど位の高い神官なのだろう。

「さあ、私の案内はここまでだ。」

 ピリカが大きな白木の扉の前で足を止めて繋いでいた手を離すと、鈴のように響く声で囁いた。
 普段の眼光は鋭いのに、目が合うと花開く笑顔は私の胸をたやすく掴む。

「君の名を教えてくれないか?」

 私は本能的にたじろいだ。
 隻眼の私に差別なく接してくれる人間は、ヤマト以外には居なかったからだ。

 この男は単に、人が良いだけなのだろうか?
 それとも・・・。

 私は頭の中の花畑のような妄想を振り払うために、腿の肉をつねりあげた。
 今の私の使命は、前世の死の真相を解き明かすこと。
 それ以外の浮ついた感情は要らない。
 
「私はレン・・・。」

 つい、本当の名前を明かしそうになり、胸元のユクに牡鹿の角で肌を鋭く突かれた。

(ッ、危ない!)

「レン、です。」
「ハハ、名まで似ているのか。」
「私の名が、何かに似ていましたか?」

 ピリカが微かに頭を振って、自嘲ぎみに笑う。

「いや、何でもないんだ。レンの幸運を祈っているよ。」

 ピリカが手を差し出してきたので握手かと思って手を掴むと、手の中には物が隠されていた。

「これはなに?」
「もし、試験で困ったことがあれば、こっそり使いなさい。」

 渡された物をよく見ると、ひと粒の白い真珠だった。

「どうやって?」

 目線を上げたときに、もうそこにピリカは居なかった。
 
「・・・薄気味の悪い男ですね。」

 ユクがひょっこり顔を出したので、私は急いで真珠とともに胸元の奥に押し込めた。

「大御神殿の妖怪かもしれんな。
 とにかく、これからはもうお喋りは不要だ。オマエは押し黙るといい。」

 私は白木の扉の取っ手を力強く押した。

 ※  

 扉の向こうは雪の華がちらほらと舞うだだっ広い雪原だった。

(たった今、室内にいたはずでは?)

 当然、部屋があると思っていた私は面食らった。

「なにこれ?」
 
 たった今この部屋にたどり着いた女官候補生の少女たちも、同様に驚いている。

「もしかしたら、もう試験が始まっているのかしら?」

 明るい茶髪を左右ダンゴ状に結わえている、背の低い少女が怯えの色を浮かべている。
 背の高い長い黒髪の少女は、凛とした口調で受け答えた。

「そうでしょうね。
 この女官試験は五常の三徳である【礼】【智】【心】を重んじるのだと、神官であるお父さまに聞いています。
 この雪野原の風景は私たちの行動からその徳を見抜く試練なのかもしれません。」
「じゃ、じゃあさ、これから三人で協力して進もうよ。みんなで同じ行動したら一緒に合格できるかもしれないし!」

 調子のいいことを言うダンゴ髪の少女を、黒髪の少女がジロリとにらんだ。

「これは試験です。合格者の人数が提示されていない以上、協力するのが正しいのかは判断できないわ。」

 発言を一蹴されたダンゴ髪の少女は、頬を膨らませて私を見た。

「なによ、ケチ! ねぇ、そっちの眼帯のコはどうするの?」
「袖触れあうも何かの縁だろう。私は二人に協力するよ。」
「ホント? ヤッター! アタシははポンよ、よろしくね。」
「私はレンだ。あなたの名は?」

 黒髪の少女は、苦虫を嚙み潰したような顔で答えた。

「私はサッテ。
 私は好きにするから、あなたたちは協力でもなんでも勝手にしたらいいわ。」
「それでは、中に入ろう。」
 
 私たちは思い切って扉の向こうに一歩足を踏み入れた。

 足裏にサクッとした新雪の踏み心地を感じると同時に、ひんやりとした冷たさが足首に伝わってくる。
 まるで、本物の雪のようだ。
 不思議だと感じながら歩みを進めると、やがて雪の冷たさで足の感覚が無くなってくる。

(寒い。)

 雪に素足を突っこんでいれば冷えるのは当たり前だけど、動いているのに一向に血流が回らない。
 このまま凍りついてしまいそうな感覚に、私は冷や汗を流した。

「これは・・・幻術か?」

 私は無意識にユクに語りかけていた。
 胸元から、私にだけ聞き取れる大きさの声が返ってきた。

『幻術といえどかなり物理的に影響力のある術です。早く破らないと、本当に凍死するかもしれません。』
「ふむ。」

 私は辺りをグルリと見まわした。
 見渡す限り一面に広がる銀世界。
 人の気配はないが、私は今までの経験から近くに術者がいることを見抜いた。

「簡単には出てこないか。」

 私は屈んで雪を両手に抱えると、四方に向けて雪をなぎ払った。

「これでどうだッ!」
「キャッ!」

 雪原に突如として現れたのは、美しい仙女だった。
 桃色の長袖の長衣にショール、翡翠の首飾りを身につけた彼女は、雪を全身に浴びて面食らっている。

「驚いたわ。こんな方法で私の幻術を見破った人間は、あなたが初めてよ!」
「早くこの雪を解除してくれ。このままじゃ、仙女になる前に凍死してしまう。」
「度胸があるのね。」

 寒さで凍えるポンとサッテをチラリと見た仙女は、サッと手のひらを上にあげた。
 すると雪原は消え去り、そこは神殿の室内になった。

「すごいな。」

 ガラリと様変わりした光景に気を取られていると、仙女がショールを掛けた右腕を胸に当てて一礼した。

「私は女官指導員のマヤ。では、次の試験よ。」

 急に足もとがパックリと大きく開けて、私たちは大きな穴に飲み込まれた。

「ウワァッ!」

 穴の中は深く、暗い底には無数の瞳が輝いている。
 私たちは規格外の大蛇が蠢く巣に投げ出されたのだ。

「ッ!」

 大蛇の上に落ちるとヌメッとした嫌な感触がして、うまく体勢が保てない。

「なによこれは⁉」

 眼鏡を落としたサッテが状況を飲み込めないようなので、私は叫んだ。

「大蛇の巣だ!」
「ギャアー‼」

 ポンが断末魔の悲鳴をあげ、白目をむいて気を失った。
 クタッとしたポンに、大蛇の牙がメキメキと鱗をこすり合わせて襲いかかる。

「しっかりしろ!」
 
 私が大蛇の波を押しのけてポンを抱えると、私の下で大蛇が警戒して首をもたげ「シューッ」という墳気温を出した。
 巣を脅かす外敵に対する臨戦態勢は整っている。

 サッテが怯えて壁に背中を擦り付けた。
「もう無理! 誰か助けて‼」

 妖しい微笑みを浮かべたマヤが穴の上から顔を出し、私たちの様子をのぞきこんで煽る。

「さぁ、どうやって脱出しますか?」

 私の胸元からユクの声が空気を裂いて放たれた。

『レンカさま、今です!』

 ユクの声に押された私は興奮してとぐろを巻いていた大蛇をサッと捕まえると、マヤの白い首に目がけて思い切り投げつけた。

「グッ・・・。」

 蛇の尾が放物線を描いてマヤの首に絡みつき、一気に締め上げる。
 マヤの顔が恐怖に青ざめた。

「ゲホゲホッ!」

 マヤは首を押さえ、四つん這いになりながら激しく咳込んだ。
 私はロープ代わりに蛇をグイグイ引っ張りながら、ついに二人の体を両脇に抱えて穴から脱出してみせた。

 私が脱出した途端、大きな穴とともに大蛇は消えてしまった。

『やはりこれも幻術でしたね。』

 ユクが私の胸元で嬉しそうに声を弾ませる。

「自分の幻術に首を絞められるなんて、よほど腕がいいんだな。」

 私の発言に、仙女が悔し気に眉根を寄せた。

「やり方は滅茶苦茶。
 だけど私の幻術を見抜き、大蛇にも冷静に対処し、他の二人への気配りもできている。
 でもそう簡単には・・・これが最後の試験よ。」

 マヤの両手の中で時空が歪み、突然花の鉢が現れた。
 マヤは手に持つ鉢を傾けて、中の白くて小さな釣鐘花を私たちに見せた。

「この釣鐘花の鉢は数日前に何者かに割られました。
 あなたたちにはこの花の気持ちを読み取ってもらい、鉢を割った犯人を当ててもらいます。」
「花の気持ちを読んで犯人を捜せだと?」

 マヤは含み笑いをして、戸惑う私たちを上目遣いに見た。 

「花には私たちを同じように心があるのです。
 仙女の特殊能力の一つに『植物を操る』というものがあります。
 しかし、その気持ちに寄り添わなければ、植物を操ることはできません。」

(これも幻術なのか。)

「この花は住処である鉢を割られて悲しみに暮れています。どうか早く犯人を捜してください。」

 私たちをあざ笑うかのように、マヤが長い袖を優雅に振るって華麗に舞う。
 すると、私たちの周囲がガラリと様変わりして一気に春の気配になった。
 凍えて感覚のなかった手が、雪解けのようにじんわりと熱を帯びてくるのを感じる。

(天候を操る幻術を容易く使うとは、さすが女官指導員というところか。)

 私はハラリハラリと落ちる桜の花弁の中で舞うマヤを、感心して眺めた。

(これだけの術の使い手ならば、優に百歳は超えているだろう。
 もしも、マヤが百年前のことを記憶している仙女ならば、私の欲しい情報にたどり着くのも早いかもしれない。)

「花にも心があるなんて、考えてもいなかったわ。」

 サッテが絶望のため息を吐くと、ポンが鉢を地面に置いてわめいた。

「どうやって花の気持ちを解れというの?
 レンカ、あなたはどう? なにか良い考えはない?」

 急に話を振られた私は素直に首を横に振った。
 動物ならある程度の思考は理解できるのだが、植物の思考を読もうと思ったことはない。
 
「いや、特にない。さて、どうしたものかな。」
「わーん、仙女になってクンネチュプさまのお側に居たいと思っていたのに!」
「騒ぐなポン! 邪な気持ちで女官に志願するとは、心根が貧しいぞ‼」

 ポンが嘆いて泣き出すと、サッテがついにヒステリーを起こした。

 春のうららかな暖かさとはうらはらに、私たち三人の心はバラバラになり途方に暮れた。
 期待はしていないが、ユクもだんまりを決めている。

 私の悪運もついにここまでか。
 そう思った時、私の胸元がポウと淡く光った。

(ユクか?)

 苦い思いで胸元を見た私は、ハッとした。
 光ったのはユクではなく、ピリカに貰った真珠だったのだ。

『困ったことがあったら使いなさい。』

 ピリカの真意は分からないが、この八方ふさがりの状況を打破するキッカケになれば儲けもの。
 私は親指ほどの大きさの真珠を取り出すと、試しに耳に当ててみた。

『ア・・・ナ・・・タ・。』

 微かな雑音のような音。
 私はポンとサッテの間に入り、小競り合いを止めさせた。

「もしかしたらこれで、植物の声が聴こえるかもしれない。
 耳を澄ませて。」
「ホ、ホント⁉」
「静かに。耳を澄ませて。」

 三人で顏を見合わせて小さな真珠に耳を寄せた。
 すると、ポンの持っている鉢の方から不思議な声がハッキリと聞こえた。

『アノ オンナガ ワッタ。』

 私たちは我が耳を疑った。

「あの女・・・?」
「こちらの花にも聞いて、情報を集めてみよう。」

 サッテの持っている花の方に真珠を向けると、また不思議な声が聴こえた。

『キヲツケロ アノ オンナニ オマエタチモ ワラレル。』

「これ、本当に花が喋ってるの?」

 ポンが半笑いで私を見る。
 サッテも気味が悪そうに花を見ながらつぶやいた。

「ワル、悪、割る・・・壊す・・・殺す?」

「やめてよサッテ!」
 ポンが悲鳴にも似た声をあげた。
 
「もしこれが本当のことなら、あの女って・・・。」
「レンの花の声も聴いてみよう。」

 最後にサッテが私の花に真珠を向けると、ハッキリとした声が聴こえた。

『マヤガワッタ。』

 背筋がゾクリとして、肌が粟粒のように立った。
 これは・・・どういう感情だろう?

 今にも泣きそうな表情のサッテとポンがお互いを抱きしめ合う。

「どうしたらいいの?」
「犯人が、マヤさまだなんて、私には言えないわ。」
「ならば、私が言う。」
「レン!」

 私は二人の制止を振り払って、マヤの前に立った。

「鉢を割った犯人が分かりました。」 

 マヤは静かに微笑んだ。

「素晴らしいわね、レン。では、その者の名を教えてください。」
「花が、犯人はあなただと言っている。
 合っていますか?」

 マヤの表情が180度急転した。
 柔らかい微笑みは凍りつき、凍土のような硬くて蔑んだ表情を美しい顔に浮かべた。

「くだらないわ。」
「どうくだらないか説明してください。」
「花の気持ちが分からないからって的外れも良いところよ。」
「ならば、あなたにも聴こえるようにしましょう。」

 私は真珠を取り出すと、マヤの耳のそばに近づけた。

『マヤガハンニン!マヤ!マヤ!』
『ニョカンモクウ!』
『ミンナワラレル‼』

 花たちの大合唱が真珠から鳴り響き、うつむいたマヤはポキポキと指を鳴らした。

「ここに来る前に女官が人知れず消えるという噂を聞いたが、全部お前のせいだったのだな。」
「私は自浄処理をしているだけ。不要な異物を排除しているに過ぎないわ・・・隻眼の娘よ、お前は何者だ?」

 私はあとずさりして身構えた。

「ただの女官候補生だよ。」 
「ならばあなたたちは全員、不合格よ!」

 桜吹雪と共にみるみるうちに体が膨れ上がったマヤは、口が耳まで裂けて臭気を放つ巨大な鬼女になった。
 サッテとポンが断末魔の叫び声を上げる。

「私だけのものよ・・・。
 大御神殿に勤めて二大神の信頼を集め、ご尊顔を間近に拝見する権利は誰にも渡さないわ。」
「その姿、骨の髄まで私欲にまみれて鬼に囚われたようだな。」

 私がマヤを見上げるのと、マヤが口から炎を吹いたのが見えたのが同時だった。
 とっさに横に飛び退き難を逃れたが、一歩遅れれば丸焦げだった。

 桜の花弁はたちまち火の粉の塊と化し、私たちの頭上に降り注いだ。
 私は緊張して胸元のユクに話しかけた。

「ユク、サッテとポンの安全を頼めるか?」
「レンカさまはどうされるのですか?」

 私は胸元から金色の小刀を出すと、逆手に構えた。

「戦う。」

 胸元から鹿の姿のユクが飛び出し、逃げ惑うサッテとポンの前に降り立った。

「ギャー!」

 ユクをマヤの幻獣だと勘違いした二人が、二度目の断末魔の叫び声を上げて失神した。
 素早くサッテとポンの襟首を咥えたユクは、颯爽と空を翔けていく。

「空を翔ける鹿だと⁉ 」

 マヤが大きな首をブンと振り回すと黒い突風が吹き荒れた。
 私は荒れ狂う風に逆らって走り、ユクを目で追うマヤの足元に走り寄った。

「受け取れ、これはお前に騙された少女たちの恨みだ!」

 巨大な足の甲目がけて思い切り小刀を振り下ろすと、マヤが痛みに呻いた。

「なんだ、この痛みは・・・神の加護を受けしこの体に小刀の裂傷など効くわけがないのに。」
「その昔、この刀に魔物を滅する力を入れておいたのだ。こんな風に使う日が来るとは思わなかったがな。」
 
 ヤマトを魔物から守るために持たせていた小刀---皮肉にも、自分を守るために使うことになるなんて。
 苦鳴をあげて崩れ落ちるマヤ。

 その時、持っていた真珠が煌めいて、目を焼く白い光が周囲にほとばしった。

「マヤ、愚かなことをしたな。」

 光の中から男の声がして、マヤは愕然と巨大な膝をついた。
「あなたは・・・!」

 光に目が慣れると、私はその中に見知った影を認めた。

「ピリカ!」

 マヤが一瞬でもとの仙女の姿に戻り、地に頭をつけるように低頭した。

「これは・・・その隻眼の娘が悪いのです!
 虚言を吐いて厳正な女官試験をかき回し、それを指摘すると逆上して本性を出しました。
 獣を操り刃物を私に向けてきたので、成敗するところだったのです‼」

 泡を吹いて虚言を繰り返すマヤには向き合わずに、ピリカは私に手を差し出した。

「レン、あの真珠を。」

 私がピリカに真珠を手渡すと、小首を傾げるように真珠を耳に当てたピリカが釣鐘花の方を向いた。

「これは私がレンに持たせた真珠。
 そのものの真実の声が聴こえる神具だ。
 マヤが私欲のために、女官候補生たちをわざと試験に受からないように画策していたと花が言っている。
 仙女には花の声が聴こえるはずだが・・・お前には聴こえないのか?」

 マヤがグッと苦しそうに息を飲み、苦しみの声をあげた。

「どうか、どうかお慈悲を! 私はただ、大御神殿の規律を守るために・・・。」
「オマエごときが大御神殿の規律を?」

 柔和な雰囲気をまとっていたピリカの周囲が、急に張り詰めた空気を纏った。

「消えろ。」

 マヤがピリカの指先の動きだけで姿を消した。
 静寂に包まれた春の庭が、一瞬で大御神殿の部屋に戻った。

 マヤの幻術が解かれたのだろう。
 それは、完全にマヤが地上から姿を消したことを意味している。

 私はピリカの底知れぬ力に呻いた。

(こ奴は、本当にただの神官なのか?)

 ピリカは柔和な笑顔を取り戻し、耳障りの良い声で宣言した。

「そなたたちの働きに感謝する。
 よって、三人全員をクンネチュプ付きの女官にすると約束しよう。」

「クンネチュプさまの⁉」
「あああ、ありがたき幸せです!」

 失神していたはずのサッテとポンが感涙にむせび泣いている。
 私は呆気にとられて抗議した。

「あなたがそんなことを、勝手に決めていいのか?」

 フッと微笑んだピリカが、悪戯な子どものように悪い顏をした。

「構わないよ。だって、私がクンネチュプだから。」 
 一般開放されている大御神殿は表向きの参拝用で、チュプやクンネチュプが鎮座する居住地域はその裏側の山にあった。
 晴れて女官や神官に選ばれた新米たちは半日かけて雪山を下り、また次の雪山を登る。

 今回の選抜で残ったのは私とポンとサッテともう一人、神官候補の少年だけだった。
 本来なら案内役はマヤだったのだが、粛清されたマヤに代わりすぐに別の女官指導員が姿を現した。

 私は少し侘しい気持ちになった。

(マヤは自分が神殿の自浄役だと豪語していたが、代わりはいくらでも居るんだな。)

 浮き足立って一番に(かんじき)を履いていたポンが、本殿に向かう雪深く険しい道中に悲痛な声を上げた。

「女官に選ばれたら、仙女の力を授かるんじゃなかったのー⁉」
「女官だからといって、すぐに仙女になるわけではありませんよ。」

 先を歩いて雪に足跡をつけていたいた案内役の女官が振り返り、クスリと笑った。
 
「もともと、人間は200年は存命する生きものなのです。」
「私は父上に、人間は50年もすれば老いて動けなくなると習いました。」

 これには女官のすぐ後ろを歩いていたサッテが反論した。
 女官は残念そうに小さく頭を横に振った。

「ここから先の神の仮住まいの本殿には神仙界と同じ空気が流れています。
 その空気には人を悩ます病気や老いなどの穢れはありません。穢れがないということは、本来持っている資質を存分に生かせるということ。だから、長寿と仙女の能力に直接の関係はないのです。」
「・・・そういうことか。」

 長らく地上にいたくせに、地上にいる仙女については知識もなかった私は納得した。

「それでも、もっと簡単に移動する方法はないのー⁉」
「転がって、雪玉になれば早いんじゃないか?」
「サッテのバカー!」

 慣れない雪山を歩きすぎて傷んだふくらはぎをさするポンはまだ不満顔だ。
 女官が足を止めて私たちに微笑んだ。

「本殿に着くまで道のりはまだ少しあります。いったん休憩をしましょう。」

 小川のせせらぎのある谷で私たちは荷を下ろして茣蓙を敷き、腰を落ち着けた。
 今日は晴れて雪が降っていないのが幸いだが、いつ天候が崩れるとも限らないから道のりは急いだほうがいいだろう。

 二大神のおひざ元とはいえ、ここは山の神の影響が強い。
 そして山の神は気まぐれだ。

「でも、マヤは色んな術を使ったわよね。
 私たちもあのような力を神から授かれば、こんな山はひとっ飛びで超えることができるんじゃないの?」
「神は術を授けたりしません。それはあなたたちの努力次第ですよ。」

 ポンのふくらはぎに軟膏を刷り込む女官が優しく語る。

「仙人も仙女も、長年の修行の上で様々な役に立つ術を身に着けていくのです。
 マヤの場合は能力のありそうな人を喰らい鬼となることで強力な術を身に着け出世しましたが、神はすべてお見通しです。」
「働きながら修行しなきゃならないなんて・・・もう、考えただけで心が折れそう!」
「ずっとうるさい。なら、ひとりで今すぐ帰れ!」
「意地悪なサッテ!
 ひとりで帰れっこないのは分かるでしょ? あたしは愚痴を言いたいだけよ‼」

 ポンとサッテの不毛な言い合いを聞いていた女官の顔が、少し歪んだように見えた。

「こんなことで腐る必要はありません。だって、あなたたちは幸運の持ち主じゃないですか。
 普段、拝顔さえ許されないクンネチュプさまより直々にご指名をいただいたのですから。
 私はただただ、あなたたちが羨ましい・・・。」 
 
 私はあらためてクンネチュプを思い浮かべた。
 その顔は百合の花のように白く可憐で、立ち姿は月のように手が届かないような高貴さを持ち合わせていた。

 実の弟だというのに神だったころの私とは似ても似つかないので、嫉妬の範疇にもない。

「本当にあの方はクンネチュプさまだったのですか?」

 サッテが女官に尋ねた。
 
「私は恐れ多くて、クンネチュプ様のお顔を見ることはできませんでした。」

 ポンもサッテに同意した。

「お顔を見ようとすると霞がかったようになって、私も拝顔できなかったわ。」 
「女官ごときが神を拝顔するのは叶いません。
 そのためにも女官は様々な修練を積んで、お側に勤めさせていただくようにするのが宿命なのです。」

 私は口をつぐんだ。

(まずいことになったな。
 神を正視できたのは、私だけか。)

 もしかして、クンネチュプは私が顔を見ていたことに気がついただろうか?
 それで疑いをかけられて月の正殿付きの女官に任命されたのかもしれない。

 私が偽りの体を借りて二大神を欺き、私怨を果たそうとしていることがバレてしまえば復讐は叶わない。
 この思いをユクに相談するわけにも行かず様々な思案を巡らせていると、おとなしく一番後方に佇んでいた神官候補の少年の胃がグウと鳴って一同の視線を集めた。

「腹が空いているのか?」

 問いかけると、私より背の低い少年は恥ずかしそうにうつむいた。

 顔を半分まで覆うモジャモジャの髪で表情が読み取れないが、ポンやサッテのように社交性があるようには見えない。
 どういう経緯で選抜に残ったのかは知らないが、この容姿なら私のようにあの煩い門番に疎まれたかもしれない。

 親近感を覚えた私は腰巾着に備えていた干し肉を数枚取り出し、少年に差し出した。

「食え。」

 驚いたように頭を強く振る少年。
 
「ウサギの肉だ。クセも少なく美味だぞ。」
「いら・・ない。」

 少年がようやく絞り出した声は、怯えの色が混じっていた。
 それを見たポンが、すぐに挙手をした。

「その子がいらないならポンが食べてあげる!」
「レンはお前には聞いてないぞ。」

 サッテがポンの顔をわしづかみにして動きを止めた。

 ジリジリと私から距離を取ろうとする青白い顔の少年からは、連続して腹の音が鳴り続ける。
 私たち三人はお互いに目を合わせた。

「ポン、サッテ、手伝って。」
「いいよ。」
「まかせて。」

「何をする!」

 甲高く叫ぶ少年の首根っこをつかみ、動きを封じる。
 日頃農作業で鍛えている私に、ヒョロヒョロした痩せっぽっちの少年を捕まえるのは造作もないことだった。

 二人に嫌がる少年の脇を押さえてもらい、私は持っていた肉を一枚無理やりその口にねじこんだ。

「・・・ッ!」

 仕方なく口に入り込んだ肉を咀嚼して嚥下した少年は、むせながらもこけた頬に一筋の涙を流した。

「美味しい・・・。」
「なんのために絶食をしていたんだ?」

 呆れながら私は泣く少年に聞いた。

「母上に大きな男子は神官試験には受からないと言われた。
 だから、ここ一週間はまともに物を食べていない。」
「それなら、遠慮せずにもっと食えばいい。神官の試験に残ったんだぞ。お前の母もここには居ない。」
「でも・・・。」

 ためらいを見せる少年は、まだ残りの肉を食べることを拒絶している。
 私は少年の顔が見えるように髪の毛を後ろに束ねてから紐でくくった。

 痩せすぎで頬がこけて目玉だけが大きく見える。

「もう、我慢する必要はない。
 ここから先、お前の道は自分が決めなきゃならないんだ。
 しっかりと自身のその目で善悪を見定めろ。」

 少年はがっくりと雪の上に崩れ落ちて、辺りかまわずむせび泣いた。
 成り行きを見守っていたポンとサッテが、ニヤリとして少年から離れた。

「レンって、ホントにお人よしよね。」
「それがレンの良いところだ。」

「レン・・・?」

 しゃくりをあげる少年が私の名を口にした。

「そうだ。私はレン。こっちはポンとサッテだ。
 お前の名は?」
「レラ。」 
「レラ。同じクンネチュプさまの本殿に仕えていれば、顔を合わせることもあるかもしれない。よろしくな。」

 レラは充血する赤い目で大きく頷き、貪るように干し肉を喰らった。

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