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 4時限目の授業開始を告げるチャイムが鳴った。
 国語、数学、英語の3教科は勉強方針等の説明だけで、教科書の内容には一切入らなかった。わざわざ重い教科書を持ってきたというのに。

 準備を完璧に整えたときほど何も起こらない。世の中案外そんなものだ。

 授業初日から少しだけ損をした気分を味わうことになったが、それならお前は勉強がしたかったのかと訊かれれば別にそういうわけでもないので、まあこれはこれでよかった。

 なにせまだ環境の変化に慣れるだけで精一杯だからな。
 オレじゃなくても新しい環境に適応するまで時間のかかる生徒は少なくないだろう。

 寮とはいえ、初めての一人暮らしになる。親元を離れて精神的に不安定になっている生徒もいるはずだ。
 それに加えて異能力者育成学院には、特殊なシステムが数多く存在する。しばらくは、頭も心も休まることは無いだろう。
 卒業するその瞬間まで気を抜くことはできないのかもな。

 さて、3時限目まで教科書の内容に入らなかったと言ったが、勉強面のシステムについては軽く触れられた。

 まず、異能力者育成学院は2学期制になっており、前期と後期に分かれている。
 学校によっては、3学期制を取り入れているところもあるようだが、うちでは2学期制を採用しているとのことだった。
 テストは、前期に2回、後期に2回行われるらしい。

 ここまでは、誰もが調べさえすれば比較的容易に手に入れられる情報だ。

 しかし、ここからはどこにも載っていない内容になる。当然、オレも他の生徒同様初めて聞いたことばかりだった。

 それは年に4回行われるテストに関してだ。
 テスト終了の翌日に昇降口前の掲示板にて各教科の点数と合計点数、それから総合順位が張り出されるらしい。
 そして、成績上位者には学校側から何やら特典が貰えるとのことだった。
 その何かについては、4時限目に改めて説明があると連絡された。

 今がその4時限目。

「みなしゃん、あっ」

 教室にいる誰もが思ったことだろう。噛んだな、と。
 教卓の前に立つ小柄なスーツ姿の女、少女? が顔を真っ赤にしてしゃがみ込んだ。スーツを着ていることから先生であることに間違いないとは思うのだが、その外見が若すぎる。顔立ちもどこか幼い。
 中学生、いや、小学生と言われても受け入れてしまいそうなほどだ。

「ごほんっ、失礼しました」

 少女はわざとらしく咳払いをすると、小さな手を精一杯伸ばして黒板に何やら書き始めた。

「今日からあなたたち1年生の担当になりました。保坂歩(ほさかあゆみ)です。何かわからないことがあったら気軽に訊いて下さい」

 初っ端噛んでしまった失態を帳消しにさせる柔らかい笑顔を見せた。

「じゃあ、質問いいですか?」

 最後列に座っていた男が手を挙げる。昨日、バスの中で千代田(ちよだ)に異能を放とうとしていた男だった。
 あのときは、暗空(あんくう)が事前に阻止したからよかったものの、暗空がいなかったらどうなっていたことか。

「えっと、浮谷直哉(うきやなおや)君どうぞ」

 保坂先生が手にしていた名簿から顔を上げ、質問を受ける姿勢を作る。

「先生は小学生ですか?」

「なっ!? 小学生って……先生が小学生に見えますか?」

 予想外の質問に保坂先生が困ったように固まる。

「だって身長低いし、声もなんか子供っぽいし、あっ、でも胸は大きいんだよな。うん、確かにこの胸の大きさは小学生じゃないですよね」

 浮谷とその取り巻き数人がゲスイ笑い声を上げる。
 露骨な教師いじりだ。こんな程度の低い連中が異能力者育成学院に合格しているとは。学校側が定めている合格の基準がいまいちよくわからない。

「もう、先生をからかわないで下さい!」

 保坂(ほさか)が両腕をクロスさせ、胸を隠しながら頬を膨らませた。
 その仕草がより幼さを感じさせる。

「浮谷君、やめないか先生に向かって」

 教卓の前、最前列に座っていた爽やかオーラを放つ少年が立ち上がり、浮谷と対峙する。

「なんだよ西城(さいじょう)、初日から優等生気取りかよ」

「そういうわけじゃない。僕はいけないと思ったことに対してやめた方がいいと言っただけだ」

「生意気な。なあ西城、そういうのを何て言うか知ってるか? 余計なお世話って言うんだよ」

 浮谷と西城、両者一歩も引かない。
 お互いに譲歩する気が無い話し合いは平行線をたどるだけだ。出口が見えない。
 そんなとき。

「おいおい、騒がしいな。どうした保坂(ほさか)、説明は終わったのか?」

 保坂先生とは、対称的な背の高いスラッとした美人教師が教室に入ってきた。

鞘師(さやし)先生~」

 保坂先生が美人教師に抱き着く。

「こら、保坂。しっかりしろ。コアラみたいに私の足にしがみつくな。ったく、足に胸を押しつけるな。新手の嫌がらせか?」

 鞘師(さやし)先生と呼ばれた女が保坂先生を引き剥がそうとするが、腕力が強いのか全然引き剥がせない。

「だって、生徒におっぱいお化けってからかわれて。好きで大きくなったわけじゃないのに。気にしてたのに」

 誰もそこまで言ってはいないと思うのだが。
 しかし、浮谷もその取り巻きもそこには突っ込めなかったようだ。気まずそうに目を逸らしている。

「そういうことか」

 鞘師(さやし)先生が溜息をつく。
 それから保坂先生の両肩を掴み、正面から見つめると。

「保坂、お前の胸が大きいのも背が低いのも個性だ。私には無い。そもそも人間なんてみんな違うだろ。ちょっと想像してみろ。世界中の人間が全員丸っきり同じ体型で同じ容姿だったら怖いだろ?」

「う、うん」

「私だって背が高くて羨ましがられることもあるけど不自由なことも多い。例えば合う服が無いとか子供に怖がられるとかな。数え出したら本当にキリがない。ただ、それをマイナスに捉える必要なんてないんだ。それと同じくらい良いところもあるんだからな。保坂の容姿も体型も他の人には無い武器だ。もっと自分に自信を持て」

環奈(かんな)ちゃん」

 どうやら保坂先生の胸に鞘師先生の言葉が刺さったようだ。

「おい、学校では恥ずかしいから名前で呼ぶなって前に言っただろ」

「あっ、ごめんなさい鞘師(さやし)先生」

 いつからか浮谷(うきや)西城(さいじょう)も自分の席に座り、教室には和やかな雰囲気が流れていた。
 だが、その雰囲気をぶち壊す笑い声が不快音となって耳に届いてきた。

「クククッ、黙って聞いていれば、一体私たちは何を見せられているんだい?」

 金髪のイケメン風の男が肩を揺らしながらそう呟いた。

「お前は?」

「失礼なティーチャーだな。人に名前を訊くときはまず自分から名乗るべきだろう。両親から習わなかったのかい?」

 鞘師先生に対して挑発的な態度を取る金髪イケメン。

「失礼。私は鞘師環奈(さやしかんな)だ。保坂と同じく今日からお前たちを担当することになった」

 落ち着いた大人な対応を見せる鞘師先生。

岩渕周(いわぶちあまね)。それが私の名だ」

 足を組み、堂々とした態度を崩さない。
 名前からして日本人なんだろうが、話し方が特徴的だな。

「鞘師ティーチャー、生憎と私は無駄な時間を過ごしたくない主義でね。時計を見てみたまえ。ティーチャーのくだらない茶番のおかげで10分近くも無駄にしたじゃないか。1度失った時間は永遠に返って来ない。ほら、システムについての説明があるんだろう。手短に頼むよ」

 言葉遣いにやや問題ありだが、岩渕の言い分も正論だ。
 授業が始まってからというもの、オレたちは現在進行形で貴重な時間を奪われ続けている。

「それは悪かったな。だが岩渕、口の利き方には気をつけろ。あくまで私は教師でお前は生徒だ」

「ソーリー。以後気をつけるとするよ」

 声のトーンや態度からそんなことなどこれっぽっちも思っていないということが伝わってきた。

神楽坂(かぐらざか)くん、なんというか独特な人だね」

「そうだな。ただ者じゃないことは確かだな」

 誰に対しても天使のような対応を見せる明智(あけち)もこれには苦笑を見せた。
 鞘師先生は、ぐるりと教室を見回し教室が静まるのを待つと、システムについて話し出した。

「異能力者育成学院には、序列を左右するバトルポイントとお金の代わりになるライフポイントの2つのポイントシステムが導入されている。どちらのポイントもスマート端末から確認することができる。いいか、もう登録は済んでるという前提の上で話を進めるぞ」

 鞘師先生が自身のスマート端末にポイント確認画面を表示させ、頭上に掲げた。

「バトルポイントとは、戦闘で勝利することによって得られるポイントだ。わが校では総ポイント数によって序列が決定する。ポイントは年に数回開かれる大会などで手に入れることができる。その中でも優勝ポイントは桁外れだ。そうだな、1番近い大会だと、ゴールデンウィークにあるソロ序列戦だな」

 1カ月後には、初めての大会が控えているのか。そこで優勝すれば周りと一気に差をつけることができるというわけか。これは面白い。

 ここでの説明でも下剋上システムについては説明されなかった。
 まあ、昨日の公園で繰り広げられた明智(あけち)土浦(つちうら)のバトルの目撃者も多かったし、システム自体が広がるのも時間の問題だろう。

「次はライフポイントについてだ。ライフポイントとは、生活に直結するポイントだ。つまりお金の代わりとなる。ポイントは毎月支給されるが、序列によって支給額が大きく異なる。上位になればなるほど金額も増していくようなイメージだな。それと、テストの成績上位者にはボーナスポイントも支給される。獲得したポイントは学校側が所有する全ての施設で使用することができる」

 学校が所有する広大な敷地には、生徒が不自由な思いをしないように様々な施設が用意されている。
 アパレルショップ、書店、映画館、カラオケ、ボーリング場、ゲームセンターなどの娯楽施設や校内では食堂、購買、自動販売機に至るまで、その全ての支払いがライフポイントで行えるのだ。

 ライフポイントの存在自体は、生徒全員が周知している。
 というのも昨日の入学式終了後、10万ポイントが振り込まれたという通知がスマートフォンに届いたのだ。
 オレも今朝、ポイントを使って飲み物を購入した。

 異能力者育成学院に通う生徒の数は、およそ450人。その生徒に毎月10万円ずつ払うとなるととんでもない額になる。
 そんな大金一体どこから出しているのだろうか。

「ライフポイントは使い方が多岐にわたる。自分で使うもよし、他人に譲渡してもよし。ただしポイントの使い過ぎには注意が必要だ。所持ポイントが底をつくなど笑い事では済まないからな」

「0ポイントになったらどうなるんですか?」

 明智が手を挙げて鞘師先生に尋ねる。

「退学だ」

 一瞬、教室内がざわついた。

「当然だろう。こちらは無償でポイントを提供しているんだ。自分のポイントもろくに管理できない生徒の面倒までみている余裕は無い。岩渕、お前と同じでこの学校も無駄が嫌いなんだ」

「クールだねぇ。実にわかりやすくて愉快なルールだと思うよ」

 クククッと楽しそうに笑う岩渕。

「ポイントシステムの説明は以上になる。何かわからないことがあれば私か保坂まで個別で訊きに来るんだな。では解散」

 背を向け、ひらひらと手を振り鞘師先生が出て行った。その後を保坂先生が追う。2人が並ぶと身長差によるデコボコ具合が凄いな。

 序列を左右するバトルポイント、生活をする上で必須となるライフポイント。
 この2つが今後序列上位を目指すうえで鍵になってくる。

「神楽坂くん、食堂行かない? 風花ちゃんも行こっ」

「ああ、そうするか」

「はい」

 机の上を片付けて立ち上がる。同級生はいくつかのグループに分かれて食堂やら購買やらに向かうみたいだ。
 家から弁当を持参して来ている者もいるようだが、オレにはレベルが高くてとてもじゃないが真似できない。

「せっかくだし、暗空(あんくう)さんも一緒にどうかな?」

「有難い誘いだけど私は遠慮しておくわ」

「そっか。残念」

 オレたちは、暗空に振られた明智を先頭にして食堂へ向かうことにした。

 午後は異能力を使用した実技の授業だ。1カ月後にはソロ序列戦も控えている。同級生の実力を測るには良い機会だ。