序列主義の異能学院

—1—

 放課後の第二校舎は昇降口から少し離れていることもあって文化部に所属している生徒以外はあまり立ち入らない。

 美術部、化学部、コンピューター部、文芸部、演劇部、茶道部、華道部、合唱部、ロボット研究部などなど。
 運動部に比べて地味な印象を持たれやすい文化部だが、異能力者育成学院では結構幅広く活動している。

「確か2階だったか」

 事前に浅香から聞いていた情報を頼りに目的地を目指す。
 オレが第二校舎を訪れた理由。
 それはとある部活動に所属するためだ。

 以前から部活動には興味があったのだが、なかなかまとまった時間が取れなかったため、踏み出すことができていなかった。

 現在、生徒会は暗空の件もあり活動自粛中。
 先日発表された集団序列戦のグループ分けについては、単独で挑むことを決めたから自ら行動を起こす必要はない。

 つまり、ようやく学生らしいことができるというわけだ。
 とはいえ、オレが何も考え無しに部活動に所属する訳が無い。
 オレがこの学院に入学した目的を果たすために部活動に所属するのだ。

 妹を誘拐した犯人の情報を掴み、夏蓮を見つけ出す。
 これがオレの最大の目的だ。

 そこでオレは数ある部活動の中から2つまで選択肢を絞った。 
 文芸部と陸上部。

 文芸部には妹を誘拐した紫龍虎珀(しりゅうこはく)が。陸上部には同じく溝端走(みぞばたそう)が所属している。

 2人と同じコミュニティーに所属すれば何か情報を得られるかもしれない。
 という訳でオレは手始めに文芸部の部室までやって来た。

「すみません、文芸部の体験で来ました」

 ドアを開くと部室の中には、窓際で本を読む紫龍の姿があった。

「神楽坂くんじゃない。体験と呼べるほど何かしているわけではないけれどどうぞ」

 紫龍に招き入れられて部室の中へ。

「他の部員はまだ来てないんですか?」

 見たところ部室には紫龍の他に部員の姿はない。

「浅香さんと火野さんは図書室に寄ってから来ると連絡があったわ。もうすぐ来ると思うわよ」

「そうですか。それにしても凄い本の数ですね」

 部室に入った瞬間から目に入っていたのだが、部室後方の壁面に配置された本棚に小説や参考書がびっしりと並べられていた。

「文芸部は毎年文化祭で文芸誌の販売をしているの。そこにあるのは参考資料や卒業した先輩が趣味で読んでいた本よ」

 左上から流し目で本のタイトルを見ていき、何気なく目に留まった1冊を手に取る。表紙には『文芸誌・翼』と書かれていた。
 中を開くとすぐに目次があり、作品名と部員の名前が記してあった。

「それは8年前の文芸誌ね」

「目次にある鞘師環奈(さやしかんな)保坂歩(ほさかあゆみ)っていうのは」

「ええ、1学年の担任をしている2人は学院の卒業生なのよ。鞘師先生が当時の文芸部の部長をしていたみたい」

「そうだったんですね」

 2人が学院の卒業生だという話はこれまで聞いたことがない。
 卒業して母校の教員をやっているというのはなんだか感慨深いな。

「ところで、神楽坂くんはどんなジャンルの本を読むのかしら?」

「ジャンルを問わず何でも読みますけど、最近はファンタジー系が多いですね」

「何だか意外ね。てっきりミステリーもののような固い話とかを好んで読んでいそうなイメージだったわ」

「ミステリーものは人によって結末の好き嫌いが分かれる作品が多いので、あまり読む機会はないですね。紫龍先輩はどんなジャンルを?」

「私はこれがジャンルになるのかは分からないけれど、力を持たない主人公が努力をした末に唯一無二の力を手に入れて悪に立ち向かうような、そんな話を好んで読んでいるわ」

 紫龍が言う小説は大まかにファンタジー系に分類されるのだろうか。
 無能な主人公がいわゆるチート能力を授かって強大な敵を討ち滅ぼす。こういった作品は数年前から流行の一つとして取り上げられている。

「オレが言うのもあれですけど何だか趣味が合いそうですね」

「そうね。本好きに悪い人はいないって言うのも嘘じゃないみたいね」

 紫龍を纏っていたオーラが部室に入ったときと比べて柔らかくなった。
 話が弾んだこともあってお互いに警戒心が解け始めたのだろう。
 だとしたらこちらとしては都合がいい。

「失礼します。おっ、神楽坂くんの方が早かったかー」

「ちゆが選ぶの遅いから」

「だって文芸誌の参考にしようと思ってた本が誰かに借りられてたんだもん」

 部室に入ってくるなり頬を膨らませる浅香。
 一方の火野はというと、マイペースに机に鞄を置くとその鞄を枕代わりにして突っ伏した。

「ちょっと休憩」

「もういのりん、紫龍先輩もいるんだから寝ちゃダメだってば」

 どちらかと言えば火野の方がしっかりしている印象だったが、案外そうではないのかもしれない。

「浅香さん、好きにさせてていいわよ。原稿の締め切りはまだ先だし、期限内に間に合えば問題ないわ」

「わかりました」

 浅香が頷き、火野の体を揺すっていた手を止めた。

「神楽坂くん、何読んでるの? あっ、先生の文芸誌か」

 オレが持っていた文芸誌を覗き込み、一人で会話を進めていく浅香。

「その鞘師先生の作品がめちゃくちゃ感動するから読んでみて欲しいな。純愛ものなんだけど2人に過酷な試練があって——」

「浅香さん、まだ読んでいない神楽坂くんにネタバレするのは可哀想よ」

 紫龍の的確なツッコミが入り、浅香の顔が「あっ、いけない」みたいな表情に変わった。

「ついうっかり全部話すところだった。ごめんね神楽坂くん」

「いや、大丈夫だ。オレはネタバレとかあまり気にしないタイプだから」

 例えネタバレをされたとしてもそれは展開の話であって、登場人物の心理描写や地の文章、作中の雰囲気など、口で説明するには限界がある。
 それに本当に面白い作品であれば展開が分かっていたとしても、それを超えて楽しませてくれる力があるはずだ。
 まあ、この考え方は人によって分かれるだろうな。

「紫龍先輩から部活のこと聞いた?」

 文芸部の見学をしたいと浅香に相談していたこともあり、気を遣って聞いてきてくれた。

「ああ、文化祭で文芸誌を販売するんだろ?」

「うん、私もいのりんも今は題材探しをしているところなの。神楽坂くんも文芸部に入るなら何か書いてもらうことになるよ。ですよね紫龍先輩」

「そうね。短編から中編くらいの物語を1作品書いてもらうわ」

「中編というと何文字くらいですか?」

「厳密に設定はしていないけれど、3万文字くらいで完結させるイメージかしら」

 月に5冊ペースで本を読んでいるが書くことに関しては完全な初心者だ。
 3万文字と聞いてもイメージが湧かないな。

「神楽坂くん、私もいのりんも初心者だし一緒にやってみようよ!」

 浅香がニッと白い歯を見せた。

「そうだな。ただ、実は陸上部も気になっていてな。そっちを見てから決めようと思う」

「そっか。じゃあ、もし入部したいってなったらいつでも声掛けてね!」

「ああ、そのときはよろしく頼む。紫龍先輩もありがとうございました。今日はこの辺で失礼します」

 オレが部室の扉を開くと紫龍が軽く手を上げた。
 拒まれる可能性も考えていたがどうやらその心配は必要ないみたいだ。

 ひとまず文芸部の活動内容は把握することができた。
 文化祭に向けた文芸誌の作成という明確な目標がある以上、紫龍も積極的に部活に取り組んでいる様子だったし、オレが文芸部に所属すれば話す機会も増えるだろう。

 親しくしている浅香と火野がいることも大きい。
 後は陸上部の溝端と話してからどちらの部活に所属するか決めよう。
—1—

 集団序列戦前最後の休日を控えた金曜日。
 6月も終わりに近い今日の最高気温は32度。この調子で行けば無人島は暑さとの戦いにもなりそうだ。

 放課後、トイレでジャージに着替えたオレはローファーからランニングシューズに履き替え、グラウンドにやって来た。

 トラックの中にはウォーミングアップをする陸上部の部員の姿がある。
 男子が6人に女子が5人。
 2人1組で柔軟をしながら前に立つ男の話に耳を傾けている。

「各自アップを済ませたら記録を取ろうと思う。前回の記録を越えられるように気を引き締めて臨むように」

 陸上部部長の溝端(みぞばた)が1日の流れを説明し終えると視線をこちらに向けてきた。

「神楽坂、どうした? 何か用か?」

「陸上部に興味がありまして、見学させて頂くことは可能ですか?」

「そうか。それは全然構わないが。そうだな、糸巻(いとまき)!」

 溝端がアキレス腱を伸ばしていた糸巻を呼び出した。
 緑色の髪にシュッと細身の体型。顔は綺麗に整っていて中性的な雰囲気だ。
 前期中間考査では12位に位置し、先日集団序列戦のグループを敷島(しきしま)と組んだことでも話題に上がった。

「同じ1年生だし、神楽坂と一緒に練習してもらってもいいか?」

「わかりました」

「俺は順番に測定をしてくるからアップを済ませておいてくれ」

 溝端はそう言い残して他の部員の所に歩いて行った。

「よろしく頼む」

「そんなにかしこまらなくていいよ。俺は短距離をしているんだけど、走るのは得意? 苦手?」

「可もなく不可もなくってところだな」

 平均くらいを演じるのがちょうどいいだろう。
 ここで変に目立てば後々面倒臭いことになるのは目に見えている。

「なるほど。まあ苦手じゃないだけマシだな」

 記録の測定に入る前にランニングをしたり、50メートルを流して走ったりして感覚を掴んだ。
 2人で同じメニューをこなしているということもあって糸巻との距離も自然と近くなる。

「糸巻は中学も陸上部だったのか?」

「いや、陸上を始めたのは高校に入ってからだ。溝端先輩に誘われてな」

「そうだったのか」

 2年生にして学院の序列7位の溝端。
 普段は紫龍の影に隠れている印象だったが、後輩を部活に勧誘するくらい活発的な一面もあるみたいだ。

「神楽坂はなんで陸上部の見学をしようと思ったんだ? 俺が言うのもなんだがもうすぐ集団序列戦も始まるし、部活をしている暇はないだろ」

「確かにそうだが、せっかく高校生になったんだ。異能力だけじゃなくて高校生らしいことの1つや2つ、してみてもいいんじゃないかと思ってな」

「そういう考えもあるのか」

 オレの説明に納得した様子の糸巻。
 せっかくの機会だし、こちらから少し踏み込んだ話題を振ってみるか。

「集団序列戦といえば、糸巻は敷島と無名(むめい)とグループを組んだらしいな」

「ああ、もう情報が出回ってるんだな」

「敷島があれだけ目立っていたら噂にもなるだろ」

 特待生の千炎寺を下剋上システムで返り討ちにした衝撃は生徒の中でもかなり大きかったはずだ。

「敷島と話しているところをあまり見かけたことがなかったがどういう経緯でグループを組むことになったんだ?」

 糸巻は1学年の中でも進んで他人と群れるようなタイプではない。
 一方の敷島も我が道を行くといった感じで若干孤立している節がある。
 2人の共通点がまるで見当たらない。

「俺とふさぎが話すようになったのは、ソロ序列戦前の異能力実技の授業で対戦をしてからだな。グループを組む経緯は単純に目的が一致していたからなんだが、他人の事情を俺の口から言うのは反則だと思うから詳しいことは言えない」

「そうか。まあ、人によって色々事情はあるからな。無神経に聞いて悪かった」

「いや、謝ることじゃない」

 目的の一致か。
 グループを組んでいる以上、ある程度信頼関係は築けているに違いない。
 当然の話だが、オレの知らないところで色々動きがあるみたいだな。

 その後、糸巻とグラウンドで汗を流し、他の陸上部の部員とも会話を交わすことができた。
 目標に向かって共に汗を流し、笑い合う。
 正に青春とはこんな日常の一コマのことを言うのだろうな。

—2—

 グループ分け締め切りまで今日を含めて残り4日と迫った6月29日月曜日。
 昨日、一昨日の2日間は無人島で使用する必需品なんかを購入する生徒が多く見られ、寮とショッピングモールを行き来する生徒の姿が目立った。

 無人島で必要な物と言われても下着の替えくらいしか思いつかなかったため、オレは1人で異能力の基礎トレーニングや現在抱えている暗空や明智の問題の洗い出しに時間を費やした。

 幸いなことに暗空の件は落ち着きを見せ始めているが、日に日にやつれている千代田の様子を見るに明智から何かしらのプレッシャーを掛けられていることは明白だろう。

 暗空に恨みを持つ明智。
 この問題を解決しない限り、真に事件を解決したことにはならない。

「失礼します」

 生徒会室に入ると生徒会長の馬場先輩を初め、書記の滝壺(たきつぼ)先輩、会計の橋場(はしば)先輩、副会長の榊原(さかきばら)先輩、庶務の天童(てんどう)先輩が長机を囲っていた。

「全員揃ったな」

 机の上で肘をつき、指を組んでいた馬場会長が口を開いた。
 オレは空いていた入り口近くの席につき、馬場会長の対面に座る暗空に視線を向けた。

 これまで生徒会会議への出席を避けていた暗空だったが、事態が収まりつつある今ここに姿を見せたのは何か理由があるのだろうか。

「暗空の張り紙の件を受けて自粛という形を取っていたが、学院の行事を運営する以上いつまでも自粛しているわけにもいかない。そこで話を前に進めるためにも今日はみんなに集まってもらった。まず、暗空から何か話しておきたいことはあるか?」

「今回は皆さんにご迷惑をおかけする形となってしまい申し訳ございませんでした。生徒会の一員という自覚が足りていなかったからこのような事態を招いてしまったのだと思います」

 暗空が深く頭を下げて謝罪する。

「張り紙に記載されていた内容は事実ではないんだな」

 榊原が暗空の表情を読み取ろうと視線を向けるが暗空の表情は変わらない。

「分かりません」

「分からない、だと」

 榊原の視線が強くなる。

「人は生きているだけで大小はあれど社会に何かしらの影響を与えていると私は考えています。私が存在しているせいで、無意識に誰かを傷つけていたのだとしたら私はそれに気づくことができませんでした」

 暗空なりの考え。
 自分の意図しないところで他人に迷惑をかけていたとしたら自分から気づくことは難しい。
 人は生きている以上、絶対に他人と関わっていかなければならないため、そういった無意識下での衝突も起こり得るだろう。

「確かに暗空の言い分も理解できる」

 生徒会会議の司会進行役の馬場会長が1枚のA4用紙を目の前に掲げた。

「これは掲示板に貼られていた実際の物だ。ここから犯人の特定に繋がればと調べていたのだが、何も手掛かりは出てこなかった。滝壺の方でも事件当日の怪しい人物の目撃情報を探ってもらっていたが今の所めぼしい情報は出てきていない」

「うーん、かなり計画的な犯行ですねー」

 天童が指先から指先に電撃を飛ばしながら唸り声を上げた。
 電撃を飛ばす度にバチバチと弾けるような音が鳴るので普通に怖い。

「会長、どうするんですか? このままでは一生解決しませんよ」

 榊原先輩が馬場会長に指示を仰ぐ。
 何も情報が出てきていない以上、動くに動けないというのが正直な所だろう。

 ここで言うべきかは迷うが、話を切り替えるという意味でも発言してみるか。
 オレは静かに右手を挙げた。

「神楽坂」

 馬場会長に指名され、立ち上がる。
 生徒会全員の視線がオレへと集まった。

「実はとある筋からの情報で掲示板に張り紙をした犯人に心当たりがあります」

「なんでそれを早く言わなかったんだ」

「榊原、そう責めてやるな。神楽坂、何か理由があったんだろ?」

「すみません、確信を持てていない段階で個人の名前を出すことに抵抗があったので」

「まあ、一理あるな」

 前屈みになっていた榊原が姿勢を正した。

「それで、今発言したということは確信に変わったということか?」

「いえ、本人と直接接触する機会はあったのですが、尻尾を掴むことはできませんでした」

「まあ、手の込んだことをしてくる相手だ。そう簡単にはいかないだろうな」

「しかし、個人的にはそろそろ動き出す頃だと思います」

 張り紙以降すっかり大人しくなった犯人の心理を読むと、何か機会を窺っているようにも思える。
 直近で派手に動けることと言えば。

「集団序列戦か」

「そうです。無人島で行われる集団序列戦は、教師からの監視の目も行き届かないので犯人にとって絶好の機会です。暗空に強い恨みを持っているのなら直接狙ってくるはずです」

 馬場会長が人差し指を顎に当てて考える素振りを見せた。

「必ずしも100パーセントがそうだとは言い切れないが、絶対にないとも言い切れないな。神楽坂、万が一に備えて暗空の周囲を警戒してもらってもいいか? もちろん、バトルポイントがかかっている大事な序列戦だ。できる範囲で構わない。近くの教師に助けを求めるのも1つの手としてあるしな」

 馬場会長の真っ直ぐな瞳。
 あの目で頼まれたら断ることなどできない。

「分かりました。可能な限り暗空を護衛します」

 雲行きの怪しかった生徒会会議は、オレの発言をきっかけに動き出した。
 無人島での暗空の護衛と言っても明智の動向を逐一確認していれば事は防げるはずだ。
 それほど難しいことではない。
—1—

 グループ分けの締め切りとなる7月2日。
 ここまで来ればどの生徒も大きな動きを見せることはない。
 ほとんどがグループを組み終えているため、話題は翌日の無人島までの移動の話になる。

 先程、学院のウェブサイト上で発表された無人島移動の班分け。
 無人島には4台のバスと船で移動することになるのだが、バスのメンバーが発表されたのだ。

 決して遊びに行く訳ではないが顔見知りの多い方が緊張も解れるのは間違いない。
 初日は移動だけで終わるみたいだから気軽に話せる人で固まりたいと考えるのが自然だろう。

 スマホを操作して自分の班のメンバーを確認する。
 オレは1号車。
 同じ班には、千炎寺と西城と千代田の名前があった。

 他のメンバーの名前も一通り目を通したが、特に法則性のようなものはなく完全にランダムで選ばれていることがわかった。

 本番はあくまでも集団序列戦。
 そこまで気にする必要もなかったか。

「神楽坂くん、一緒に帰ってもいいかな?」

 昇降口を抜けると、西城に声を掛けられた。

「ああ、西城は用事はないのか?」

 普段同学年の生徒とショッピングモールに足を向けていることを知っていたため、視線をそちらに向けた。

「今日は神楽坂くんと話をしたいと思ってみんなには悪いけど誘いは断らさせてもらったよ」

「そうか」

 友人の誘いを断ってまでオレに話とは何だろうか。

「あっという間だったね」

「何かとバタバタしていたから時間が過ぎるのも早く感じたな」

「神楽坂くんは生徒会もあるもんね。僕とは比べ物にならないほど忙しいんだろうな」

「いや、西城も学年の輪を強めたり、序列下位の生徒に声を掛けたりして色々動いてただろ」

 グループ分け期間中も孤立している生徒がいたら積極的に声を掛けて、メンバーを募集している生徒へ繋ぐパイプの役割を自ら進んで行っていた。

「そのせいで自分がグループに所属することができなかったんだけどね」

 西城が自虐的に笑った。
 他人を優先するあまり自分のことは二の次になってしまう。
 身を削って信頼を勝ち取ったとしても肝心のバトルポイントが得られなければこの学院に入った意味が無くなる。

 西城には中学時代の先輩の記憶を取り戻したいという目標がある。
 その目標に近づくためにももう少し自分にリターンのある行動をしてみてもいいとは思うのだが、西城の性格上なかなか難しい話なのも理解できる。

「それで、何かオレに話があったのか?」

「うん、僕も学年をまとめるという立場上迷いに迷ったんだけど、神楽坂くんに相談したいことがあったんだ」

 西城が足を止める。
 真剣な表情をする西城を見るに相当悩み抜いたことが窺える。

「相談には乗るが応えてやれるかは分からないぞ」

「ありがとう。神楽坂くん、僕とグループを組んでくれないかな?」

 7月に入り、太陽が出ている時間も伸びた。
 この世の全てを燃やし尽くしてしまうのではないかと思える赤が西城の背後から差していた。

 グループへの打診。
 まさか初めての打診が西城からになるとは思ってもいなかった。
 いや、今日2人きりになった時点で薄々その可能性も頭には入れていた。

 しかし、自分より他人を第一に考えて行動する西城がオレに声を掛けてくるとは。

「すまない。色々と事情があってオレは1人で臨もうと考えてる」

 当初から1人で臨む方針だったが、暗空の護衛の件もあって誰かとグループを組むという選択肢は完全に消え去った。

「どうしてもダメかな?」

「すまない」

 答えは変わらない。

「ううん、ごめんね何度もしつこくしちゃって。序列上位入りを目指すならどうしても僕1人の力では叶えられそうにないから神楽坂くんと組めたらなと思ったんだ」

「ああ、気持ちはわかる」

「他の人の力を借りて序列上位になって七草先輩の記憶を取り戻せたとしても七草先輩は喜ぶのかなとも考えたんだ。自分の力で目標を叶えてこそ意味があるんじゃないかって。でも結局それは僕自身の感情の話で七草先輩には関係の無い話だから」

 眩しいほどの赤がオレと西城の体を暖めていく。

「ソロ序列戦や異能力実技の授業でみんなが確実に力をつけていく中で僕は自分の無力さを思い知ったんだ。僕の異能力は他人をサポートする異能力だから僕自身が強くなる訳じゃない。1人だと本当に無力なんだ。このままだと序列上位に入るどころかいつまでも下位から抜け出すことはできない」

「だからオレとグループを組んでバトルポイントを獲得する選択肢を選んだのか」

 西城が黙ったまま頷いた。

「だが、それではすぐに下剋上システムでポイントを奪われるのは目に見えている。西城もそれは分かっているんだろう?」

「うん、結局僕なんかが序列上位を目指すのは無理なのかもしれないね。だけど、だからといって諦める訳にはいかない」

 西城が拳を強く握り締めた。
 絶対に曲げられない決意。
 それが西城を突き動かす原動力となっている。

「異能力は使い方によって無限の可能性を与えてくれる。西城の異能力も西城が思っている以上にまだまだ可能性があるんじゃないのか?」

 西城の心が折れない限り可能性は潰えない。
 腐らず上を見て走り続けていれば今日のオレの言葉の意味が分かる日も来るだろう。
—1—

 翌日、無人島へ向かうバスが発車する。
 乗車人数は運転手の男と教員の鞘師(さやし)先生を含めて40人。
 オレたちが乗る1号車の後に2、3、4号車と続いている。

千代田(ちよだ)、昨日は眠れたか?」

「い、いえ、考え事をしていたら朝になってました」

 精神的にかなり削られているのか、隣に座る千代田の目の下にはクマができていて血色も悪い。

 千代田から相談を受けて以来、あえて千代田との距離を置いていたのだがもう少し裏でフォローしておくべきたったのかもしれない。
 とはいえ、オレと千代田が必要以上に絡んでいることが明智の耳に入れば千代田への当たりが強くなることは容易に想像できるため、オレの判断は間違っていなかったはずだ。

 この1号車に明智の熱烈なファン、手駒が潜んでいる可能性も十分に考えられるが明日の今頃は無人島で序列戦が行われている真っ最中だ。

 掲示板の件の犯人が本当に明智であるならば千代田ではなく、暗空に意識が向いているに違いない。

「談笑中にすまないが集団序列戦について大事な連絡があるから聞いて欲しい」

 鞘師先生の呼び掛けで車内の空気が引き締まる。

「たった今、グループ分けの結果が開示された。各自端末内の集団序列戦アプリから確認するように。それと合わせて無人島で購入することができる物資の価格も公開された。こちらも明日までに一通り目を通しておくように」

 無人島で購入できる物資も気になるところだが、まずはグループ分けについて確認しておいた方がいいだろう。
 事前にインストールしておくようにと指示されていた集団序列戦アプリを開き、新着欄をタップする。

【グループ分け結果】
3人グループ・21グループ
2人グループ・38グループ
1人・15人

 思ったよりもソロで臨む生徒が少ないみたいだ。
 序列戦2日目終了までであれば150000ライフポイントを支払えばグループに所属することは可能だが、大金を支払うくらいなら初めからグループを組んでしまった方が手っ取り早い。

 無人島ではライフポイントを消費することが事前に告知されているため、物資の確保にポイントを割く方が賢いと言える。
 人数が多ければポイントの負担もカバーし合える訳だからこの結果は妥当だろう。

「千代田はグループを組んでないんだよな?」

「はい、そこまで友達が多い方ではないので。浅香さんは火野さんと組まれたみたいですし」

 火野が序列6位だから序列9位の千代田とグループを組むことはできない。
 千代田に限った話では無いが女子1人で無人島は厳しい戦いになりそうだ。

「何かあったら気軽に連絡してくれ」

「ありがとうございます」

 オレたちが向かっている無人島について生徒会長の馬場に直接話を聞いたのだが、どうやら人口減少によって無人島となった島を学院が買い取ったらしい。
 毎年、1年生の夏に集団序列戦を無人島で行うことが恒例になっているそうだ。

 それにしても無人島を買い取ってしまう学院の資金力とは一体。

「千代田、1つだけ聞いておきたいことがある」

「なんですか?」

 車内は無人島で購入できる物資の話や船に乗ったら何をするかなど、あちこちで盛り上がりをみせている。
 オレたちの会話に耳を傾けている生徒はいないだろう。

「明智と元の関係に戻りたいと思うか?」

 恐らく集団序列戦が2人の関係にとって大きなターニングポイントになる。
 実際に動きを見てみないと何とも言えないが、今の千代田の気持ちを聞いておきたかった。

「……戻りたいです。私にとって明智さんは憧れであり、目標なので」

「そうか」

 入学式前、学院に向かうバスの中で出会った千代田と明智。
 千代田にとって自分と真逆の性格を持つ明智の姿は大きな存在として映ったのだろう。

 千代田の複雑そうな表情がバスの窓に反射して見えた。
—1—

 舞台は陸から海上へ。
 全10層からなる豪華客船に乗り込んだオレたちは、集団序列戦アプリに配信された部屋割りを頼りに船内を歩いていた。

 5階にエントランスロビー、フロントがあり、上層階にはショーステージ、映画館、プール、ジャグジー、ジム、図書室、ショッピングエリア、レストラン、カフェ、展望浴場などが備えられている。

 今日の夜は船で一泊することになっているが、とてもじゃないが全部回るのは難しいだろう。

「まずは部屋に荷物を置いてからレストランにでも行ってみるか」

 客室は2人1部屋。
 オレの相部屋の相手は——。

「おう、神楽坂。短い間だがよろしくな」

 部屋に入ると、千炎寺が鞄の中を整理していた。

「こちらこそよろしく頼む。何かオレの行動で気になることがあったら言ってくれ。すぐに直す」

「ははっ、男2人だ。そんなに気を遣うことはねーよ。よしっと」

 千炎寺が膝に手をついて立ち上がった。

「まだ飯は食ってないよな? 良かったら一緒にどうだ?」

「そうだな。ここに来る途中で船内図を見たんだが、9階にレストランがあるらしい」

「決まりだな」

 荷物を部屋の隅に置き、オレと千炎寺は食欲を満たすべくレストランへ向かうのだった。

—2—

 時刻は昼時。
 慣れない環境であっても時間が経てばお腹は空く。
 オレたちと同じように客室に荷物を下ろした生徒が上層階へと移動を始めていた。

 レストランに着く頃には、入り口に順番待ちの列ができていたが流石は豪華客船。
 次々と空いている席に案内されていき、あっという間に席に着くことができた。

「うっ」

 メニュー表を見て千炎寺が頭を抱える。

「どうした?」

「いや、カタカナばっかりだと思ってな」

 料理名の下に詳細な情報も記載されているが、その欄ですらカタカナばかりなので千炎寺が頭を抱えたくなる気持ちも分かる。

「無難にシェフのお勧めとかでいいんじゃないか?」

「そうするか。シェフが勧めてるなら間違いはなさそうだしな」

 ウェイトレスにメニューを注文し、軽く雑談をしていると程なくして料理が運ばれてきた。
 海の具材をふんだんに使ったシチュー。
 トマトソースベースのシチューに貝やら海老やら魚やらがこれでもかと入っている。

 匂いだけで美味しいのが伝わってくる。

「美味ッ、口の中に海が広がっていくようだ」

 千炎寺の笑顔に釣られるようにオレもスプーンでシチューを口に運ぶ。
 刹那、頬に衝撃が走った。
 あまりの美味しさで頬が驚いたのだ。

 千炎寺の言うように、具材を噛み締めると海の旨味が口全体に広がっていく。

「これは美味いな」

 思わず溜息が漏れる。
 レストラン内は、明日に集団序列戦を控えているとは感じられないほど和やかな雰囲気が流れている。
 まあ、この料理を前にしたら自然と笑みが溢れるのも頷ける。

 しかし、笑っていられるのも今だけだ。
 明日の午前8時には無人島サバイバルが幕を開ける。
 時刻が近づけば近づくほど、生徒の緊張感も高まっていくだろう。

—3—

「風が気持ちいいな」

 外の景色を堪能するべくデッキに訪れたオレと千炎寺は海を眺めていた。
 太陽の光が水面に反射してキラキラと輝いている。
 視線を空に移せば海鳥が涼しい顔をして飛んでいる。

 集団序列戦さえ無ければ最高に豪華客船を満喫できるというのに。
 腹も満たされたことで話題はライフポイントで購入することできる物資についてへと切り替わっていた。

「食料が1食分で1000ライフポイント。飲み物が500mlのペットボトルで300ライフポイント。いくら何でも高くないか?」

 千炎寺が集団序列戦アプリの画面を開き、スクロールしながらボヤく。

「毎食必ず食べるとすると食料だけでも7000ライフポイントかかる計算だな。飲み物に至ってはこの暑さだ。いくらあっても足りないだろうな」

 水分補給を怠って倒れでもしたら本末転倒だ。
 節約を心掛けるのは大事だが、削る場面とそうでない場面とを見極めることも大切だ。

「他にも簡易トイレが3000ライフポイント。野営用のテントが7000ライフポイントって、序列下位の生徒には痛い出費だな」

「序列下位の生徒じゃなくてもこの出費は大きいだろうな。7月に支給されたライフポイントがいきなり無くなるようなもんなんだからな」

「かと言って無人島でテント無しはキツイぜ」

「そういう面ではグループを組んでる生徒は割り勘できるから出費は抑えられる。そういえば千炎寺はグループを組んだのか?」

「俺は1人だ。敷島さんとのバトルで恥をかいたからな。誰からも誘われなかったわ」

 千炎寺が苦笑しながら頭を掻いた。

「恥ってことはないだろ」

「いいや、歯が立たなかったのは事実だ。特待生として入学した暗空、氷堂と比べて俺はまだまだ実力が足りない」

 実力だけで見れば一般生徒より頭ひとつ抜けているのは確かだが、火野や敷島のように特待生で無くても実力を持っている生徒はいる。

 オレの勝手なイメージだが、千炎寺はやり方によってはまだ伸びる可能性がある気がする。
 その点については先日千炎寺の父親も触れていた。

「千炎寺、触れられたくない話だったら先に謝る」

「何だよ?」

「千炎寺は強くなりたいんだよな?」

「ああ、そんなの言うまでもない。俺は親父を超える刀使いになる」

「だとしたら今は刀よりも異能力を伸ばした方がいい」

 瞬間、千炎寺の目に殺意が宿った。

「なんでだよ。なんで神楽坂も親父と同じことを言うんだよ。俺は、俺を見限った親父を刀で超えることで証明してやるんだ。俺の方が正しかったって」

「待て、最後まで話を——」

「うるさい!」

 オレの言葉を遮り、千炎寺が肩を突き飛ばしてきた。
 そして、そのままデッキから立ち去ってしまった。

 話に聞く耳を持ってくれない以上、千炎寺は自分で気がつくしかない。
 異能力を伸ばすことがどれだけ自分の力になるのかということを。

「さて、困ったな」

 オレと千炎寺は相部屋であるから同じ部屋で寝なくてはならない。
 オレの荷物も部屋に置きっ放しだ。
 この状況はかなり気まずい。

 だが、起きてしまったことは考えていても仕方がない。
 オレは時間潰しも兼ねてしばらく海を眺めることにした。
—1—

 船が出港してから約2時間ほどで着岸作業が始まった。
 ここから先のスケジュールは基本的にフリータイムになっている。

 船の自室でのんびり過ごすも良し、友人と船内を散策するも良し。
 また、無人島の砂浜エリアが夕方まで開放されるとアナウンスが入ったため、下調べも兼ねて外に出てもいいだろう。

 さらには、集団序列戦開始時の混雑を避けるべく無人島で使用可能な生活必需品の事前販売を行うとのことだった。
 販売場所はスタート地点の砂浜エリア。
 すでに教師陣が船から物資を運び出し、テントの設営を進めている。

「綺麗な海に豊かな自然。いいねぇー、私にピッタリの場所だねぇー」

 船の上から無人島を眺めていると、独特な話し方が特徴的な岩渕周(いわぶちあまね)がタラップに姿を見せた。
 なぜか海パンだけを身に纏った状態で上半身は裸だった。
 引き締まった筋肉が太陽の光に照らされて輝いている。

「わざわざ道を開けてもらってすまないねー」

 岩渕の登場とその姿に驚いた生徒が左右に避けたことで、岩渕が悠々と下船した。
 同学年のはずなのになぜか大物感が出ているから不思議だ。

 岩渕の後に続いて続々と下船する生徒たち。
 無料で浮き輪やビーチボールの貸し出しも行っているらしく、砂浜に向かう生徒も案外多い。

 少し早めの夏休みといったところか。
 この状況でこれだけリラックスすることができるというのも才能の1つなのかもしれないな。

 船外に人が流れている今、船内には人目に触れないスポットが生まれつつある。
 オレはデッキから船内に場所を移し、スマホを操作する。

「映画館は8階か」

 砂浜エリアの開放が夕方までと決められているときにわざわざ長時間拘束される映画館に足を運ぶ生徒は少ないはず。
 そう推測したオレはこれから始まる映画のチケットを2枚取ると、ポップコーンと飲み物を買ってしばし人を待つことにした。

「神楽坂くん、お待たせしました」

 目を閉じて無心になっていると、いつの間にか目の前に暗空が立っていた。

「突然呼び出して悪かったな」

「いえ、外は混んでいるみたいですし、ちょうど私も暇を持て余していたところです」

「そうか。それならよかった。とりあえず中に入るか」

 真ん中の1番後ろの席に並んで腰をかける。
 オレの予想通り館内に生徒の姿はなかった。

 映画はファンタジーモノで、ヒーローランキング1位の男が同じく2位の女と協力して異能力犯罪を解決していくという話だった。
 男のキャラクター性もこの作品の人気の1つなのだが、他にもド派手なアクションシーンも見所となっている。

「適当に選んだんだが、この作品でよかったか?」

 隣に座る暗空の顔色を窺う。
 スクリーンには映画の予告が淡々と流れている。

「まあ、世間一般的に高校生の男女が2人きりでこういった作品を観るのかがわかりませんけど、青春作品よりかはよかったです。恋愛とかはよくわからないので」

「オレも恋愛はよくわからないな」

 そう言って定番の塩味のポップコーンを摘む。
 映画の導入は過去最大の異能力犯罪を前に、ソロで活動していたヒーローランキング1位の男が日本最大規模のヒーローギルドに所属するというシーンから始まる。
 そこで男はヒーローランキング2位の女と出会う。
 初めはぶつかり合う2人だったが、徐々に認め合い、信頼関係を築いていく。

 正に王道の展開と言っていいだろう。

『ヒーローランキング1位の男が大手ヒーロギルドに所属し、ナンバー2の女とバディーを組んだ』

 このニュースが世間を賑わせ、一時は落ち着きを見せた犯罪組織の犯行だったが、ヒーローギルドに所属するヒーローランキング5位の男が殺害されたことをきっかけに一気に物語が加速していく。

 次々と殺されていく仲間たち。
 派手な動きを見せているにも関わらず一向に犯人の正体が掴めない苛立ち。
 男と女はぶつけようのない怒りと悲しみを抱えて前を向く。

「神楽坂くんは誰が犯人だと思いますか?」

「さあ、ヒーローギルド関係者とかか?」

「さすがですね。私もそう思います。悪人ほど人に近づくときは善人のふりをするものです。そして、信頼し切った所で簡単に裏切ります」

 暗空の言うように映画の終盤に差し掛かると、ヒーローギルドに勧誘した男こそが真のラスボスであることを明らかにした。
 ヒーローランキング1位と2位のコンビは、傷つきながらも力の全てを出し切って敵に勝利した。

「面白かったですね」

 誘った手前、楽しんでくれているか不安だったがこの反応を見るに満足してもらえたみたいだ。

「犯人は暗空の言う通りだったな」

「ファンタジーも現実も人間が作っている以上本質はあまり変わりませんからね」

「そうかもしれないな」

 スクリーンにはエンドロールが流れている。
 これだけ多くの人間が携わって1つの作品を作り上げている。改めて凄いことだ。

「それで、メッセージで言っていた私に話というのは?」

「掲示板の犯人について、暗空の耳に入れておきたいことがある」

 暗空を呼び出した本当の理由。
 それは明智が掲示板の犯人であることを伝えるためだ。
 未だ証拠は出てきていないが明智が犯人である可能性は極めて高い。

 警戒しておくに越したことはないだろう。

「確か犯人に心当たりがあると言ってましたね」

「ああ、ただ証拠が無いから伝えるか迷っていたんだが、馬場会長から護衛に任命された以上、伝えた方がお互いに動きやすいと思ってな」

「回避できるリスクがあるのならしておいた方が良いですもんね。納得です。で、誰なんですか?」

「明智だ」

「明智さんですか」

「オレの信頼できる人から聞いた話だが、暗空のことをかなり恨んでいたらしい。何か心当たりはあるか?」

 暗空は目を細めて考える素振りを見せてから静かに首を横に振った。

「いえ、全く」

「そうか。何かあったら気軽に連絡してくれ。基本的にはいつでも駆けつけられるようにはしておく」

「それは頼もしいですね」

 席を立ち、暗空を前にして出口へ向かう。
 と、そのとき、館内で何かが動いたような気配を感じた。

「どうかされましたか?」

 暗空が振り返って首を傾げる。

「いや、何でもない」

 館内にはオレと暗空しかいなかったはず。
 じゃあ、あの気配はなんだったんだ? 

 オレと暗空は誰もいない館内をぐるりと見回してから映画館を後にするのだった。

—2—

 夜。消灯時間の22時を迎え、オレは部屋に戻ってきた。
 月明かりが室内に差し込んでいて千炎寺がベッドに寝ていることが確認できる。
 オレは物音を立てないように寝る準備を進めることにした。

「戻ったのか?」

 制服からパジャマに着替えていると、千炎寺が話し掛けてきた。

「なんだ寝てなかったのか」

「昼間は悪かったな。少し言い過ぎた」

「オレの方こそ悪かった。千炎寺の事情も知らないのに無神経だった」

「いや、神楽坂は何も悪くない。親父の言葉と被って聞こえたからついカッとなったんだ。俺はこの序列戦で親父を倒す」

 千炎寺が天井に拳を突き上げた。

「無理だと思うか? 神楽坂、今度は怒らないから正直に答えてくれ」

「そうだな。現時点では1対1で戦ったとしてほぼ100パーセント千炎寺が負けるだろうな」

 正嗣が戦っている姿を直接見たことがないけど、刀に固執している今の千炎寺では世界一の称号を持つ相手には敵わないだろう。
 世界一という称号はそれだけ重いものだ。

「……1パーセントもないのか。じゃあ、どうやったら——」

 そこまで口にして千炎寺は言葉を止めた。

「それを神楽坂に聞くのは違うな。悪いな俺の話に付き合わせて」

「いや、大丈夫だ。明日は早い。そろそろ寝るか」

「ああ」

 布団を体に掛け、目を閉じる。
 次に目を覚ましたら序列戦の幕開けだ。
【集団序列戦・日程】
7月4日(土)『集団序列戦』開始。午前8時〜午後7時。
7月5日(日)『集団序列戦』。午前8時〜午後7時。
7月6日(月)『集団序列戦』午前8時〜午前12時まで。

【集団序列戦・基礎ルール】
1・左胸に付けた校章を砕かれた者が脱落となるサバイバル方式。(行動不能、体調不良になった生徒も脱落となる)
2・校章を砕いた者には1点が入る。
※教師の校章を砕いた者には10点が入る。
3・得点上位7人には報酬としてバトルポイントが支払われる。
4・安全のため、午後7時から午前8時までの一切の戦闘行為を禁止とする。
5・食料や生活必需品、携帯端末の充電などは全てスタート地点か特定のエリアでライフポイントと引き換えることが可能。
6・1点を支払うことで無人島全域の生徒のGPSサーチをすることが可能。
7・3点を支払うことで特定の人物のGPSサーチをすることが可能。

【集団序列戦・特別ルール】
1・2日目から教師が参加する。教師は視界に入った生徒を攻撃する。
参加教師:鞘師環奈(さやしかんな)保坂歩(ほさかあゆみ)千炎寺正嗣(せんえんじまさつぐ)、クロム、イレイナ。
2・3日目から得点上位7人のGPSが常時作動する。

【集団序列戦・報酬】
1位3000バトルポイント
2位2500バトルポイント
3位2000バトルポイント
4位1500バトルポイント
5位1000バトルポイント
6位500バトルポイント
7位250バトルポイント
教師撃破ボーナス1000バトルポイント
生存者ボーナス50バトルポイント

【集団序列戦・グループ分け】
1・6月17日から7月2日まで、上限3人までのグループを組むことができる。
2・序列10位以内の生徒同士でグループを組むことはできない。
3・グループの誰かが得点上位7位以内に入った場合、もしくは教師を撃破した場合、報酬のバトルポイントはグループのメンバーで均等に振り分けられる。
4・1度グループを組んだらそのグループから抜けることはできない。
5・集団序列戦が始まってから2日目が終了するまでに150000ライフポイントを支払えば新たにグループを組むことが可能。

【グループ分け結果】
3人グループ・21グループ
2人グループ・38グループ
1人・15人

【ライフポイントで購入できる物資一覧】
テント・7000ライフポイント。
簡易トイレ・3000ライフポイント。
モバイルバッテリー・2500ライフポイント。
食料1食分・1000ライフポイント。
救急セット・500ライフポイント。
懐中電灯・400ライフポイント
水500ml・300ライフポイント。
ライター・150ライフポイント。
—1—

 7月4日。午前7時15分。
 船内放送で砂浜エリアへの集合を掛けられたオレと千炎寺はスマホを片手に部屋を出た。

 集団序列戦は午前8時から。
 それまでの間は物資の購入や集中力を高めたり、体を動かしたりと最終調整の時間になる。
 1度船から降りたら次に戻れるのは敗北したとき。もしくは集団序列戦を戦い抜いたときだけだ。

「おはよう神楽坂、千炎寺」

「おはようございます」

 タラップに鞘師先生が待ち構えていた。
 鞘師先生は、異能力者育成学院の校章である鳩の羽が描かれたバッジが大量に入った袋を持っており、通り掛かる生徒に配っていた。

「事前説明で陣内校長が話していたバッジだ。序列戦が始まるまでに左胸に取り付けるように」

「わかりました」

 鞘師先生からバッジを受け取り、その場で取り付ける。
 2日目から序列戦に参加する鞘師先生もすでに左胸に付けている。
 お互いのバッジを砕き合うというシンプルなルールだが、狙われる場所がわかっている以上防御もしやすい。

 そうなると、奇襲攻撃やグループを組んだ者同士の連携で押し切る形が有効になりそうだ。

 その点、オレも千炎寺もソロで臨むことになるから注意しなくてはならない。
 タラップを抜け、千炎寺と雑談を交えながら砂浜エリアへと足を進める。

「神楽坂は物資は買ったのか?」

「いや、まだ買ってない」

「そうか。俺はもう一通り買い揃えたぜ」

 千炎寺が背負っていたリュックサックのチャックを開いた。
 中を覗くと500mlの水が3本、モバイルバッテリー、簡易トイレなどが入っていた。

「荷物を背負いながらとなると戦いづらくなりそうだな」

「そのときは荷物を下ろせばいいだろ」

「あ、それもそうだな」

「なんだ神楽坂って意外と天然なのか?」

 千炎寺が笑いながら肩を叩いてきた。
 昨日の暗い、重い雰囲気とは一変。1日経ったことで少しは気持ちを切り替えることができたみたいだ。

「時間までオレも物資を覗いて来ようと思うが千炎寺も来るか?」

「俺は砂浜で体を動かしてるわ」

「そうか」

 千炎寺と別れ、物資が売っているテントへ。
 購入するのは必要最低限の物だけでいい。

 500mlの水2本とモバイルバッテリー。これだけあれば十分だろう。
 無人島内には砂浜エリアを除き、物資補給エリアが東西南北に一箇所ずつ設けられている。

 集団序列戦が始まったらまず周囲の地形を把握しつつ、各補給エリアを目指そうと思う。
 暗空や明智、千代田の件もあるから状況を見ながら動いていくことになるだろう。

 オレはスマホで3100ライフポイントを支払うと、物資が入ったリュックサックを背負った。
 序列戦が始まるまでは砂浜で大人しく待機だ。

—2—

 序列戦開始時刻の15分前。
 砂浜に集まった154人の生徒はグループ毎に固まってはいるものの綺麗に整列し、前方の鞘師先生に視線を向けていた。

 いよいよ序列戦前最後の説明が行われる。

「お前たちにとって2回目の序列戦だ。心の準備はいいか?」

 鞘師先生の問い掛けにゴクリと生唾を飲む生徒。
 一方で口の端を上げている生徒もいる。

「無人島という特殊な環境下で2泊3日という期間を戦い抜かなければならない。肉体、精神共にかなりの負荷がかかるだろう。体調を崩した生徒は最寄りの物資補給エリアか集団序列戦アプリ内のSOSボタンで助けを求めるように」

 仮に体調を崩したり、怪我の状況が酷く、教師陣の判断で序列戦の続行が不可能と判断された場合、その時点で棄権扱いとなる。
 自己管理も含めた序列戦ということだ。

「集団序列戦に関するルールはアプリから確認することができるが、状況に応じてルールが追加されることもある。その場合は通知が流れる仕組みになっているから各自で確認すること。何か質問がある生徒はいるか?」

 事前に陣内校長がルールを説明し、今回鞘師先生が補足したため疑問点はほとんど解消された。
 オレが見た限り、手を挙げようとする生徒はいない。

「今は7時49分か」

 鞘師先生が腕時計に目を落とす。

「それでは、7時50分から8時までの10分間を移動の時間とする。8時になったら保坂先生がピストルを鳴らすからそれを合図に序列戦開始だ」

 保坂先生が手にしていたピストルをちょこんと頭上に掲げて見せた。
 恐らく陸上部のスターターピストルか何かだろう。

「移動開始!」

 鞘師先生の掛け声を合図に生徒が一斉に走り出した。
 それを横目にオレは目的地を決めるべくアプリでマップを展開する。
 現在地の砂浜エリアは無人島の最も南に位置している。

 物資補給エリアはここを含めて5箇所。
 東西南北に設けられているポイントには、マップ上に目印として赤いピンが刺さっている。

 ここからだと1番近いのは東のエリアだ。
 暗空と連絡を取りながらになるが、東→北→西→南の反時計回りで進んでみるのが良さそうだ。

 とりあえず8時までもう時間がない。
 森の中に入って人目を避けつつ様子を見るとしよう。

 序盤で焦って動く必要はない。
—1—

 集団序列戦開始を知らせるピストルが鳴り響いてから40分が経ち、オレはただひたすらに生い茂る木々の中を歩いていた。

 時間が経過するにつれて太陽も登っていくため、気温も上昇する。
 加えて木の根や傾斜の関係で足場が安定していない分、余計な体力を消費してしまう。
 ペットボトル2本だけではすぐに底をついてしまいそうだ。

 戦闘面とサバイバル面、この両立に多くの生徒が苦しまされることになるだろうな。

 序列戦開始直後はあちこちから激しい戦闘音が聞こえてきたのだが、今はその頻度も減ってきている。
 とはいえ、想定よりも序盤から飛ばす生徒が多い印象だ。

 今回の序列戦で上位を勝ち取るためには大きく分けて2通りの作戦を取ることができる。

 1つ目は生存者が多い序盤でポイントを稼ぐだけ稼いで圧倒的な差を作ること。
 時間が経てば経つほど、無人島に残るのは実力者ばかりになる。
 となると、1度の戦闘で消費する体力も大きくなる。また、敗北する可能性も高くなる。

 そう考えると1人倒せば1ポイントというルール自体は変わらないのだからポイントを獲得しやすい序盤に無理をしてでも行動に起こした方がいい。

 しかし、これにはリスクもある。
 序列戦3日目になるとポイント獲得数上位7人のGPSが常時発動してしまうので恰好の的となってしまう。

 派手に目立つのも考え所だ。

 そして、2つ目は中盤以降からスパートを掛けていく方法だ。
 序盤はポイント獲得数上位に食い込まないようにセーブして戦い、教師が参加する2日目以降にポイントを狙っていく。

 3日目突入時にGPSの対象者に入らない程度のポイント数を獲っておくことが理想だが、そこは生存者数と相談だろう。
 ポイントの細かい調整が重要となってくるため、腕に自信のある生徒しかこの選択肢は取れない。

 オレも序盤は様子を見るつもりだったが、思ったよりもハイペースな展開になったため、作戦を変更することも視野に入れなくてはならない。

「あれは明智か?」

 前方に明智の姿を捉えた。
 周囲を気にしている様子から誰かの跡をつけていることが窺える。
 暗空が狙われている可能性がある以上、オレも見過ごすことはできない。

 十分な距離を保ちながらオレは明智の跡をつけることにした。

—2—

 南西から北東にかけて無人島を二分するように山が伸びているため、生徒がまず悩むのが山を越えて西エリアと北エリアを目指すか、山を越えずに森が広がっている東エリアを進み、迂回して北エリアを目指すかという点だ。

 別に必ずしも北エリアを目指さなくてはいけないというルールは無いので、東エリアと砂浜エリアを軸に行動するのも作戦として悪くはない。
 だが、山の中に比べたら視界が開けているため敵の目に掛かりやすいというデメリットがある。

 どちらを取るかはグループのメンバーの異能力にも左右されるところだろう。

「ひ、卑怯だぞ、お前たち!」

 南西の山中で尻を地面につきながら目の前の男2人に指をさす少年。

「卑怯? 生憎と俺にはお前が何を言ってるのかわかんねーな」

 指をさされた浮谷直哉(うきやなおや)は、薄ら笑みを浮かべながら男の左胸に向かって手を伸ばす。

「く、来るな!!」

 男は必死に抵抗しようと浮谷の手を振り払うが、それにイラついた浮谷が男を空中に投げ飛ばした。
 木の枝にガサガサと音を立ててぶつかり、地面に叩きつけられる男。
 これまで山道を走り回ってきたのか男に余力は残っていない。

「門倉、やれ」

「仰せのままに」

 浮谷の指示を受け、背後に控えていた門倉(かどくら)が男のバッジを拳で叩き割った。

「この卑怯者め! こんなのチートじゃないか!」

「浮谷さん、こいつどうしやすか?」

「放っておけ」

 敗者に興味などないと、浮谷が男から視線を外して歩き出した。
 その後を門倉が追う。

「チートか。まあ、ある意味チートかもしれないな」

 男の言葉を思い出し、浮谷が小さく笑った。

「そんなに俺の異能力ってやばいっすか?」

「少なくともお前が思ってる以上にはな」

「へへっ、優勝も夢じゃないっすね!」

 門倉がペットボトルの水を豪快に頭から被った。

「おい、貴重な飲み水なんだから無駄にすんじゃねー」

「あ、いけね」

「ったく、その馬鹿がマシになれば良い線いくんだけどな」

「それはあれっすよ。浮谷さんの頭脳で補って頂ければ」

「チッ」

 浮谷が短く舌打ちをした。
 序列戦が始まってまだ1時間足らず。
 得点獲得数上位7人の途中経過は1日目終了時と2日目終了時に発表されることになっている。

 つまり、この時点ではまだ誰も知らない。
 浮谷と門倉のグループが単独で首位に躍り出たという事実を。