—1―

9月5日(水)午後2時52分

 凛花たち、救出作戦組が学校裏にある大木の陰から体育館の様子を窺っていた頃と時を同じくして、場所は体育館の中。

「健三、俺たち見捨てられたんじゃねーのか?」

「それはないと思う。太郎さんならきっと助けに来てくれるはずだ」

「だけどもう3時間だぞ。いい加減限界だ。どうせ死ぬなら俺は最後まで好きにするぜ」

 ドロケイが始まってからもうすぐ3時間が経つというのに一向に助けが来ないので、ペナルティーとして初めから牢屋にいた清がステージ上で苛立ちを見せていた。
 同じ場所に何時間も留まるというのは想像以上にストレスが溜まるものだ。

 体育館の防衛を任せられたのは、克也、奈美恵、恭子、大吾の4人。
 恭子と大吾の親子は、ステージ側にあるバスケットボールのコートの中央に座っていた。役割としては清と健三の監視だ。

 2人に怪しい動きが無いかチェックするよう克也から頼まれたのだ。
 しかし、監視と言ってもぎすぎすした雰囲気ではない。

 というのも小学校に通う大吾の担任がステージ上にいる健三だったからだ。
 ドロケイが始まり、国竹たちが体育館から出て行った後も普通になんでもない会話をしていた。

 まだ8歳とはいえ大吾は健三と敵対する立場にあることを理解している。
 だが、小学校に入り土曜、日曜、祝日以外のほぼ毎日健三から勉強を教わってきた。

 数年という年月で築かれた信頼関係が、ドロケイで敵対したからといって簡単に崩れ去ることは無いのだ。

 大吾は母の恭子と同じくらい健三に懐いている。
 これには大吾の家庭事情が関係する。

 大吾には父親がいない。大吾が生まれた2年後に交通事故で亡くなったのだ。
 だから大吾は写真でしか父親の顔を見たことがない。
 大吾にとって健三は1番父親に近い存在なのだ。

 健三は恭子からその話を聞き、それ以降大吾のことを今まで以上に気にかけるようになった。
 そしていつからか恭子のことも異性として気になる様になっていた。

 選別ゲームといういつ死ぬかもわからない、理不尽なゲームに巻き込まれてしまった以上、悔いの無いように生き抜きたい。
 頭の中ではそう思っている健三だったが、行動には出せないでいた。

 恭子もまた、健三の気持ちに薄々気が付いていたけれど、自分から言い出す勇気はなかった。
 もし自分の勘違いだったら今の関係性が変わってしまうかもしれない。そう思うとなかなか踏み出せなかったのだ。

 しかし、後4時間後にはドロケイが終了するため、健三と恭子のどちらかが確実に脱落してしまう。お互いそれは分かっている。
 分かっているのだが……。

—2―

9月5日(水)午後2時58分

 国竹から体育館防衛のリーダーを任された克也は、正面の扉の内側で何やら書き物をしていた。
 体育館の床に膝をつき、紙を広げ、時より頭を抱えてはまたペンを走らせる。

「克也くん、さっきから何を書いてるの?」

 同じく正面の入り口の防衛を担当していた奈美恵が、克也の横まで来ると、屈んで覗き込んだ。
 さらさらとした黒髪が揺れ、シャンプーのいい香りが克也の鼻をくすぐる。

 すると、克也が勢いよく立ち上がり、紙を半分に折って背中に隠した。

「な、なんでもないです!」

「なんでもないなら見せてくれてもいいんじゃない? ほらっ、先生に見せてみなさい」

 奈美恵がしゃがみ込んだまま両手を克也の前に差し出す。

「ちょっ、奈美恵先生、胸、胸見えてますから」

 顔を逸らしながら克也が奈美恵の胸元を指差す。
 奈美恵は、ゆとりのある大きめのサイズの服を着ていたので、立っている克也からだとボリュームのある胸が丸見えだったのだ。
 克也の頬と耳がみるみる赤く染まっていく。

「もう克也くんはエッチだなー」

 奈美恵が胸の前で腕をクロスさせ、克也をからかうようにそう言う。

「俺が悪いんですか!?」

「だって見たんでしょ?」

「そ、それは不可抗力というか自然と目に入ったというか。すいません」

「はははっ、許してあげる。その代わりに何を書いてたか教えて欲しいな」

 克也が観念したのか背中に回していた手を奈美恵の前に出した。
 手に握られている紙には『凛花へ』と書かれていた。

「このゲームが終わったら必ず俺か凛花のどっちかが脱落するじゃないですか。だからその前に好きな人に想いを伝えようと思いまして」

 照れながらラブレターを書いていたことを白状した克也。
 それを聞き、奈美恵が優しく微笑んだ。

「そうだったのね。頑なに隠そうとするからそういうことだろうとは思ってたけど。凛花ちゃんに渡せるといいわね」

 ゲームの作戦を書いていたのであればあそこまで必死に隠す必要は無い。
 奈美恵は、一生懸命悩みながら手紙を書く克也の姿を見て気付いていたのだ。

「青春かぁ」

「えっ? すいません、聞き取れませんでした」

 ぽつりとこぼした奈美恵の言葉を克也は聞き取ることが出来なかった。

「ううん、なんでもない」

 長い人生の中で1度しか訪れない青春というキラキラとした眩しい瞬間(とき)を生きている克也を見て、奈美恵は当時の自分と重ねていた。

—3―

9月5日(水)午後3時09分

 今からちょうど10年前、高校3年生の時。私、志賀奈美恵には好きな人がいた。

 その人の名前は斎藤和樹(さいとうかずき)
 私と和樹は、志賀と斎藤ということもあり席が隣だった。

 サッカー部に所属していた和樹はクラスのムードメーカー。
 一方の私はスクールカーストでいうとちょうど真ん中ぐらいだった。目立ち過ぎず、地味過ぎずといったポジションだ。

 あの頃はどちらかと言えば大人しい性格だったので、クラスメイトと会話をするのも1日に数回程度だった。
 その数回の中には隣の席の和樹も含まれている。

 ムードメーカーの和樹は、白い歯がとても似合う爽やか系イケメンということもあり、女子からの人気が凄かった。
 和樹に想いを寄せている人は、私が知るだけでも6人いた。

 そんな中でも私と和樹の関係は良好な方だったと思う。
 教科書の貸し借り、共通の趣味である音楽の話、和樹の部活の話。

 当時は控えめな性格だった私だが、和樹と話をしている時だけは楽しくて、常に笑っていた記憶がある。

 しかし、1学期が終わる間近。クラス内にこんな噂が流れた。

『志賀奈美恵は男をたぶらかしている』
『他校の生徒と手を繋いで夜の街を歩いていた』
『○○ちゃんが放課後、奈美恵に暴言を吐かれた』

 などなど。噂は日に日にエスカレートしていった。
 もちろん全て嘘である。恐らく和樹のことを好きだった女子生徒が嫉妬心から、あることないこと言いふらしていたのだろう。

 当然その噂は和樹の耳にも入っていたはずだ。噂が嘘だと分かっていても疑ってしまうのが人間である。
 しかし、和樹は噂を一切信じず、普段通り明るく隣の席に座る私に声を掛けてくれた。

 私はそれが心から嬉しかった。和樹は自分の味方でいてくれる。和樹が自分の味方だと分かっただけでこの酷い噂にも耐えられる。
 そう思い、私は和樹のことを無視した。

 なぜ無視をしたのか。それには私なりの理由がある。

 その頃、噂は学年中に広まっていた。
 初めは面白がって声を掛けてきた人もいたが、それも数日の間だけだった。自分から進んで噂の渦中にいる人物に話し掛けようとする変わり者は、和樹の他にいなかった。

 典型的ないじめだ。いじめはいつの時代になっても存在する。恐らくこの先何年経っても無くなることはないだろう。

 次の日もその次の日も和樹が話し掛けてきたが、私は無視し続けた。

 いじめのターゲットにされている自分と関わると今度は和樹が何をされるか分からない。
 いや、違う。そうじゃない。自分が和樹と関わることでいじめがエスカレートするのが怖かったのだ。

 私は教室にいる時は極力空気になるよう努めた。みんなを刺激しなければ暴力を振るわれることがなかったからだ。

 何度か担任の先生に相談したこともあったが「あなたの勘違いなんじゃない?」と、冷たく言うだけで聞く耳を持ってくれなかった。

 両親を心配させたくなかった私は、家にいる間は普段通り過ごし、気付かれないように注意した。

 そして、私が空気になってから半年。その日は卒業式だった。
 式が終わり校舎の前で記念写真を撮る生徒たちを横目に、私はようやくこの地獄から解放されるとホッとしていた。

 その時、空気であるはずの私に声が掛けられた。

「あんたが調子に乗るからいけないんだよ。1年間楽しかったね、奈美恵」

 声を掛けてきたのは、噂を流していた張本人にして、いじめの実行犯のリーダー格となっていた女子だった。

 名前は若宮早苗(わかみやさなえ)
 クラスメイトの早苗は私を見て微笑むと、勝ち誇ったようにとある人物の名前を呼んだ。

「和樹くん、早く私たちも一緒に写真撮ろうよー!」

「分かった! 今行く!」

 振り返ると昇降口からこちらに走ってくる和樹の姿が見えた。
 どうやら2人は付き合っているようだ。空気となっていた私には他人の情報など入って来なかった。正直ショックだった。

「悪い、サッカー部のみんなと話しててさ。あっ」

 和樹と目が合った。

「どうしたの和樹くん? そこには何もないはずでしょ。ほらっ、早く写真撮ろ♪」

「あ、ああ」

 早苗が私に見せつけるかのように和樹と腕を組み、昇降口の方へ歩いて行った。
 私は悔しくて早苗の背中に穴が空くくらい鋭く睨んでいると、早苗だけが振り返り、私の目をしっかり見てからニヤリと口角を上げた。

 私はその日の出来事を絶対に忘れない。
 私が空気になってからの日々を忘れない。
 私を助けてくれなかった先生、いじめに加担したクラスのみんな、見て見ぬふりをした人たち、早苗、和樹。

 誰が忘れようと私だけは一生忘れてやらない。そう誓った。

 高校を卒業した私にはある目標が出来ていた。
 私が半年間味わったような辛い思いをしている人を救いたい。

 そのために私は必死に勉強をして教師になった。見て見ぬふりをする大人には絶対にならない。
 生徒の心に寄り添った優しい先生になる。生徒からも大人からも信頼され、感謝される人間になる。

 選別ゲームに巻き込まれる前までは、思い描いていた自分になるための行動をとってきたつもりだ。
 それなのに……。

「これさえなければ」

 私は私の全てを狂わせた物が付いている心臓の辺りを手で擦った。
 これさえなければ人を殺さずに済んだのに。