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9月5日(水)午後2時52分

 奈緒と話をしている間にすっかり体力が回復したので、私は集合場所である学校裏の大木に向かっていた。

 山の中は、木の根が剥き出しになっていて足場が悪い。それに加えて落ち葉に足を取られないように気を付けながら歩いているので神経を使う。

「はぁ、あともう少しだ」

 あまり人目につかないこの道は、予想以上に険しく、ほとんど斜面を登っている形だ。
 山はしばらくの間、整備されていないのでここが道と呼べるかも怪しいところだ。
 太陽が出ていないだけいくらかマシだが、それでも昨日の宝箱探しの疲れが残っている。

 額に浮かんだ汗を左腕に結んでいたバンダナで拭き、空を見上げると、木と木の隙間から綿あめのようなもくもくとした雲が見えた。
 お昼に比べて空を覆う雲の面積が増えている。やはり、夕方ぐらいに雨が降るのだろうか。

「奈緒のあんな顔は初めて見たなー」

 奈緒と別れてからずっと奈緒のことを考えていた。
 奈緒が私に見せた意外な一面。

 普段とのギャップから恐怖心に似た感情を抱いてしまったが、人間は誰しもが悩みを抱えて生きている。
 それは奈緒も例外ではないのだ。

 ドロケイの最中に奈緒の抱えている悩みの種を少しでも取り除いてあげることが出来たらいいんだけど。
 そのためにはもう1度奈緒と話さなくてはならない。

「凛花、こっち!」

 大木の下に小町の姿があった。

「ごめん、遅くなって。太郎さんと拓海さんは?」

「パパと拓海さんは、この先で体育館の様子を見てるよ」

 小町に案内されて太郎と拓海がいる場所まで移動した。
 学校の裏山に生えている大木。ここからなら学校の全体が見渡せる。当然体育館もばっちり見える。

「おー、来たか」

 山を少し下ったところに太郎と奈緒の母親である拓海がいた。2人とも屈んで態勢を低くしている。
 太郎にジェスチャーで座るよう指示されたので、私と小町も2人の横にしゃがみ込んだ。

「この態勢ならあっちからは見えないはずだ」

 双眼鏡を片手に、太郎が小さい声でそう言った。
 双眼鏡なんて一体どこから持ってきたのだろうか?

「あぁ、これか? バラバラになった後、家に戻って持ってきたんだ。必要になると思ってな」

 私が双眼鏡に視線を向けていると、太郎がそう答えてくれた。
 さすが太郎だ。家から双眼鏡を持ってくるなんて準備が良い。

「凛花ちゃんも見る?」

 太郎と同じものを持っていた拓海が双眼鏡を差し出してきた。

「ありがとうございます。えっと、どれどれ」

 さすがに体育館の中までは見えなかったが、体育館の周囲に人がいないことは確認できた。

 しかし、ここから分かるのは体育館の裏側の情報のみ。正面には警察の何人かが見張りとして立っているかもしれない。

「体育館にはバスケットボールのコートが2面あって、左右に鉄の扉があったよね?」

 双眼鏡を小町に渡すと、小町がそう聞いてきた。

「うん。鉄の扉は合わせて4つ。それとは別に正面に大きな扉が1つ。ステージ横に裏口の扉が1つだよ」

「なるほど、入り口は全部で6箇所か。当然鍵がかけられてるだろうな」

 太郎が双眼鏡を覗いたまま眉間にしわを寄せる。どこから中に入るのか考えているのだろう。

「警察チームも出入りするはずだから1箇所は開いてるんじゃないですか?」

「と、なるとやっぱり正面だろうな」

 太郎が双眼鏡を地面に置き、落ちていた木の枝を手に取ると手頃なサイズになるようへし折った。

「体育館の裏まで移動して人がいないことを確認。正面の様子を窺って人がいなかったらそのまま突入するか」

 説明をしながら地面に体育館の図と6箇所の扉を描く太郎。そこに私たちが通る経路を矢印で示していった。
 しかし、太郎が経路を書き終えることは無かった。なぜなら私が太郎の手を掴んだからだ。

「正面は難しいと思います。裏口にしませんか?」

 私は、太郎の考えとは別の案が思いついていた。私の考えた作戦の方が捕まる確率が低いはずだ。

「裏口と言っても鍵が開いてなかったら中に入れないぞ」

「それは正面も同じです」

 私は、太郎が書いた経路を靴の裏で消した。
 そして、地面に転がっていたちょうどいいサイズの木の枝を拾い、新たに裏口へ向かうルートを書き足した。

「裏口のドアは、上半分がガラスで出来ています。先週の体育の授業で確認したので間違いありません。扉がガラスなら石か何か固いもので割ることが出来ますよね?」

「あぁ、それは、そうだな」

 私の勢いに押されつつ太郎が頷いた。
 それを確認した私は、太郎が地面に描いた体育館の裏口の部分を丸で囲った。

「その後は、ドアノブの鍵を解錠して中に入ります。奇襲攻撃にもなるはずですし、効果があると思うんですけど、どうですか?」

「凄いわ、凛花ちゃん!」

 拓海が私の手を握ってきた。
 捕まった3人を助ける明確なイメージが浮かんだのだろう。

「凛花、ここから裏口は見えないよ」

 小町が双眼鏡を顔から離してそう言った。
 そんなことは、双眼鏡を使わなくても確認できる。

「うん。だから、体育館裏に人がいない今のうちに全員であそこまで移動しよう。その後に体育館裏から裏口に見張りがいないかどうかの確認をする。もし見つかった場合は走って逃げるしかない」

 結局、どの作戦を実行するにしても、私たち泥棒は警察チームに見つかった時点で全力で逃げるしかないのだ。
 ドロケイとは、そういうゲームだとここ3時間で私は学んだ。

 私と小町がやり取りをしている間も太郎は、顎を手で擦りながら悩んでいた。
 場合によっては、ここにいる全員が捕まってしまう可能性がある。だからすぐに決断することが出来ないのだろう。

 そこで私は、奈緒から聞いた情報を話すことにした。ここでじっくり考えている時間は無い。ドロケイは時間との勝負でもあるのだ。

 私は、体育館を守っているのが4人だということ。
 真登香を牢屋まで連行しているのが浩二だということ。
 国竹と麻紀は、泥棒を探して見つからなかったらすぐに体育館に戻ると言っていたということ。

 これらの3点を私が直接奈緒の口から聞いたという事実と合わせて3人に説明した。

「奈緒の言うことは信用できるの?」

 小町が不審げな表情で聞いてきた。
 私と奈緒は敵同士。小町がそう思うのも無理はない。私が小町の立場だったら同じように聞いていたはずだ。

「信じていいと思う。私には奈緒が嘘を言っているようには見えなかった」

 奈緒が言っていたことが真実だと証明するものは何も無い。
 ボイスレコーダーなんて持っていなかったし。例えボイスレコーダーに録音していたとしても奈緒の言っていたことが本当だとは限らない。

 ただ私が奈緒を信じたいだけなのかもしれない。

「あの子がそう言っていたのなら信じていいと思うわ。ただ、時間が経っているから状況は変わっているでしょうけど」

 奈緒の母である拓海の言葉に小町はやや不安そうな表情を見せた。そのまま答えを求めるように太郎に視線を向けた。

「よしっ、信じよう。急がないと村にいる警察も戻って来ちゃうしな。凛花ちゃんの作戦を採用してこっちから仕掛けよう」

 太郎が悩んだ末、ようやく決断した。

 太郎を先頭に態勢を低くして、体を木や植物に隠しながらゆっくりと斜面を下りていく。一歩一歩確実に体育館との距離を詰める。

 警察チームを指揮している奈緒の父、国竹が牢屋の防衛担当にどんな指示を出しているのか分からないが、まさか裏口から入ってくるとは思っていないだろう。

 いや、国竹ならそこまで頭に入れているだろうか?
 お互い命が懸かっているのだ。生き残るためには何でもするはずだ。

 私は、若干不安を抱えたまま太郎と拓海と小町と体育館裏に向かった。