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9月3日(月)午後3時40分

 とある山奥にある田舎道。
 そこを歩く1人の少女がいた。

「暑い……」

 今年は例年に比べて残暑が厳しいようだ。
 私、万丈目凛花(まんじょうめりんか)は額に浮かぶ汗をハンカチで拭き、鞄の中から1冊の本を取り出した。

 車なんて滅多に通らないので、下を向いて歩いていても何ら問題はない。本でも読んで、この暑さから少しでも気を逸らさないと倒れてしまう。

「おや、(りん)ちゃん、もう学校終わりかい?」

 次のページをめくろうとしたとき、畑で農作業をしていた佐藤タエに声を掛けられた。
 本を閉じて鞄にしまい、畑を見る。

「こんにちは、タエさん。今日はいつもより早く終わったんです」

「そうかそうか、それはよかったね。そうだ、凛ちゃんはきゅうりとトマトは好きかい?」

「はい、どっちも好きです!」

 元気いっぱいにそう答えると、タエが嬉しそうに笑った。

「それじゃあね、今日いっぱい収穫したからお母さんに持ってってちょうだい。お父さん! ビニール袋に詰めて持って来てちょうだい」

 タエが叫ぶと、畑の奥から夫の平治(へいじ)が現れた。
 タエと平治は、70歳を超える老夫婦で広大な敷地で野菜を育てている。
 学校帰りにここを通ると野菜や果物など、何かしら渡してくれるのだ。

「ありがとうございます」

 平治から野菜を受け取る。ビニール袋いっぱいに入っていて、ずっしりと重みがある。

「凛花ちゃんは、この村のアイドルみたいな存在だからね。儂らも何かしてあげたくなるんだよ」

「そんなアイドルだなんて」

 村の人口は24人。全員が生まれた時から顔見知りだ。
 高齢化が進み、若い人は村を出て行ったので、子供は私を含めて5人だけ。

 高校生の阿部克也(あべかつや)小町(こまち)の兄妹は、村の外にある学校に毎日通っている。
 中学生は、私と私の親友の早坂奈緒(はやさかなお)の2人。
 小学生に至ってはたったの1人だけだ。その小学生である8歳の我妻大吾(わがつまだいご)は、私たちと同じ教室の後ろ半分を使い、授業を受けている。

 というわけでこの村では数少ない子供は特別なのだ。
 だから私なんかでも村のみんなは可愛がってくれている。

「野菜ありがとうございました。失礼します」

 その後、少しだけタエと平治と会話をしてから別れた。

—2―

「ったく、重いな……」

 平治から貰った野菜が重くて左腕が痛いが、本の続きが気になっていたので再び本の世界へ。

 携帯電話を持たず、テレビもあまり見ない私にとって、本は私の知らない新しいことを教えてくれる魔法のアイテムだ。

 炎を吐く竜の話、昆虫になって探検をする話、人間と犬とが起こす感動物語。
 その全ての出会いが刺激的だった。

 そして、様々な知識を付けていくうちに、ふと疑問が浮かび上がる。

「本物の私はどれだっけ?」

 元気で明るい、村のアイドルの万丈目凛花ちゃん。
 左手に持っているビニール袋が重くて『うざい』と思っている万丈目凛花。
 両親の前では大人しく、部屋の隅で本ばかり読んでいる少し地味な万丈目凛花。

 そのどれもが私を構成する一部だということは理解しているつもりだ。
 でも、時々分からなくなる。

「私は誰?」

 呟いた私の疑問に答えてくれる人はいない。
 しかし、不思議なことにこの疑問の答えは、すぐに分かるような予感がしていた。

 いつまでも続くと思っていた日常は突如崩れ去る。
 物語の始まりは、大体いつもそんな感じだ。

 それは私の人生という名の物語も例外ではなかった。