「今季、男子フルマラソンの日本人トップのタイムで世界選手権の切符を手にした相良裕翔選手です!」

 インタビュワーの声をどこか他人事のように聞く。スタンドの観客をざっと見渡すけど、そこから特定の個人を見つけ出すのは難しそうだった。それも、高校生の頃から八年近く会っていない相手だ。

「大学時代からフルマラソンに専念してきてようやく掴み取った切符です。今のお気持ちをお聞かせください!」
「素直に、嬉しいです。僕のやり方は間違ってなかったと、一つ証明できた気がします」

 高校生の時、僕は駅伝に出られなかった。
 一年生の時は選手の枠から溢れて、二年生と三年生の時は部員不足で走れなかった。
 僕と駅伝は一生そりが合わない運命なのかもしれないと、大学は駅伝と関係ないところに進んで、個人種目に打ち込んできた。

「今日の結果をどなたに報告したいですか?」
「……そうですね、高校時代、一年間指導してくれた先生に」

 佐溝先生が陸上部の長距離を指導したのは一年だけだった。駅伝に出られないほど部員が退部したことが引き金となっただけではなく、自らコーチを辞めることを申し出たらしい。高校を卒業してから、佐溝先生を見たことは一度もない。

「なるほど、恩師ですね。会えたらなんと伝えたいですか?」
「とりあえず胸ぐら掴んで、『好き勝手して全部放り出しやがって』って一発ぶん殴りますかね」
「は、はあ……?」

 なるべく冗談っぽく言ってみたつもりだったけど、インタビュワーが困惑して言葉を探しているように見えた。
 学生時代、殆ど友人という存在がいなかったせいか僕は冗談があまり上手くないらしい。
 マラソンバカ――それが大学時代の僕のあだ名だった。

「すみません。僕がフルマラソンを目指したきっかけが、その先生の最後の言葉のせいだったので」

『君たちは孤独に慣れました。ただ、走ることだけに集中することを身に付けました。それはマラソンランナーに必要な基本的で、だけど得難い素質です。それをどう使うかは、君たち次第ですが』
 それが、僕たちが駅伝を走れなくなったあの日、佐溝先生が最後に言い残した言葉だった。
 別にそんな素質、欲しくなかった。もっと友達と遊んだり、恋愛したり、人並みの青春を味わいたかった。
 だけど、その言葉に鎖のように縛り上げられて、こんなところまで来てしまった。

「最後に、世界選手権での目標をお聞かせください」

 インタビュワーは早めにインタビューを切り上げることにしたらしい。僕もこういう舞台は慣れてないからありがたかった。

「優勝です。それが僕の、復讐なので」
「え? あ、えっと。相良裕翔選手です。ありがとうございました!」

 固い笑顔を浮かべるインタビュワーに一礼して、控室の方に向かう。
 その途中、スタンドにちらりと見えた姿に思わず足を止める。一人の男性が満足そうに頷いてから、競技場に背を向けてスタンドを後にした。殆ど背中しか見えなかったから、それが、僕が探している相手だったかはわからなかった。
 
 復讐。そう、復讐だ。
 貴方が立てなかった場所に立って、貴方のやり方が間違っていたと伝えたい。
 僕たちみたいな学生が、二度と生まれることの無いように。

「相良っ!」

 スタンドから声が飛んでくる。
 視線を向けると、かつての植木先輩と西原が笑顔でこちらに向かって手を振っている。
 そちらに手を振り返していると、後ろからグイっとヘッドロックをかまされた。
 僕から一分遅れでゴールした五木が、悔しさと祝福を混ぜ合わせたような顔で僕の首に腕を回している。
 全て捨ててきたと思っていた僕に残された、数少ない存在。

――先生。貴方が手を伸ばしても得られなかったものを、僕は全部掴んでみせるつもりです。