指導室の机に模試の結果が広げられていた。静かに白く広がるLEDの光が〈弁天校(べんてんこう)合格C判定〉の文字を眩しく照らす。

「見てのとおりC判定です。これは受験生の半数が腹痛で欠席でもしないと合格できない確率です。志望校の選定をやり直した方がいい」

 講師の乾いた声が白い空間に響く。 
 面談を終えた生徒が教室で自習をしている。夏樹(なつき)がいる特別進学クラスは私立進学校受験者を対象としているため、生徒は熱心で遅くまで残る者が多い。

「お前どうだった?」

 ニヤついて聞いてきたのは冬真(とうま)だ。夏樹は黙ったまま教室を出ようとした。

「B判定は取ってるよな。C以下なら早く諦めろよ」
「ほっとけ!」

 夏樹は冬真の顔を見ることなく出て行った。夏樹と冬真は中学一年の時に入塾をした。入塾テストでは差は殆どなかった。だが、二年生になって一気に差をつけられた。今回の試験でも冬真はA判定。夏樹はといえば、いまのクラスのカリキュラムについていくのがやっとで、今回の模試の結果からクラス落ちしてもおかしくなかった。それでも志望校を変えるなど考えられなかった。

 夕食を買うために塾を出ると、近くのコンビニに足を運んだ。人通りの多い歩道でブラウンのスーツ姿の学生とすれ違った。弁天校の制服だ。

 地元では超エリートの進学校として有名である。公立の進学校よりもレベルが数段上であることから、当然、難関大学への進学率も全国レベルで上位ときていた。ゆえにその制服を着た学生は、地元では一目置かれる存在となった。

(あの制服を着てみたい)

 幼い頃から夏樹の憧れである。自然とその目は、学生を見送っていた。

 コンビニではイートインの席に座り、いくつか買ったパンのうちからクリームチーズのかかったパンを選び口に運んだ。想像していたよりも甘く、思わずカフェオレを吸い込んだ。同時に計算問題を見返して眉をしかめる。

 弁天校の入試の数学は複雑な計算式を解かせるのが特徴で、とにかく計算をいかに正確に早くするかに掛かっていた。

(こんな複雑な計算問題を解く弁天校受験者は、どうかしている)

 夏樹はパンをかじるのと同時にペンを走らせて計算式を解いていった。キリが良いところで問題集から顔を上げると、ギョッとして固まってしまった。

 店の外から小学三、四年生くらいの女の子がこちらを見ているのだ。目が合ってしまった。それゆえ、その表情は読みとれた。(うらや)ましげというか我慢しているというか。とにかく、食べたそうにしているのだ。

(これ以上食べられないな)

 夏樹はかじりかけのパンをバッグに仕舞い込み、手をつけていないパンを持って外に出ると、女の子に渡そうとした。女の子は驚いて夏樹を見たまま首を振り、受け取ろうとはしなかった。

(まてまて。これじゃ、年上である僕の立場がない。この手はもう引っ込められないぞ)

 しゃがみ込んで女の子と目線をあわせる。

「これから塾に戻らないといけないんだ。塾には食べ物を持ち込めないから、食べてくれたら助かるな」

 夏樹が笑いながらパンを差し出すと、小さな手が受け取ってくれた。女の子は頭を下げて何度も振り返ると、少し離れたところでライムグリーンの鮮やかな色のパーカーを身につけた少女に挨拶をしていた。少女は夏樹とのやり取りを見ていたのだ。塾に戻ろうとする夏樹に、少女がチラシを手渡してきた。迷ったが少女の笑顔に、手を引っ込める選択肢は無いとばかりに受け取ってしまった。

(こんなに可愛い子、学校でも塾でも見たことがない)

 一目で笑顔が夏樹の脳裏(のうり)に焼き付いて、離れなくなった。

 夏樹は家に帰り部屋に入ると、チラシを取り出した。ふと彼女の笑顔が浮かんでくる。目を通すと、子供たちの学習ボランティアと食料支援をするアフタースクールという地域密着のボランティア施設が紹介されていた。

(歳は近い感じだったよな。施設の職員かな。ここに行けば、また会えるのかな)

 夏樹は淡い少女への期待を膨らませるのだが、行く口実が思いつかなかった。理由(わけ)もなく行けばきっと下心を見透かされるだろうし、がっつりボランティア要員になるには気合いが足りなかった。無理だと諦めかけたとき、チラシの隅にフードバンクのボランティア協力のお願いが目に入った。家庭で余っている食料品を寄付するものだ。消費期限切れでなければいいとのこと。

(これだ!)

 閃いたとばかり、早速食料品の捜索に取りかかった。