「喜与。それならば尚更こんな夜更けにここに来るでない。体が冷えてしまうだろう」

「だって……月読様が見えなくなってしまう夢を見て、どうしても会いたかった。私があの屋敷を抜け出せるのは夜しかないのです。月読様は私に会いたくなかったですか? 寂しくなかったですか?」

月読様の手が、私の頬に触れる。
泣き出しそうな瞳に、夢の中の月読様を思い出した。
私も月読様の頬に手を伸ばす。

「ずるいことを申すな。会いたかったに決まっているだろう」

風がやみ、星が流れる。
幻想的な夜空の下、私たちはどちらからともなく口づけを交わした。
優しくてあたたかい月読様の気持ちが流れ込んでくるよう。離れたくないと、ぎゅうっと月読様の着物を握りしめる。

約束は破られた。破ったのは私。
それが悪いことだと、自覚している。
それなのに、嬉しいと思った。幸せだと思ってしまった。

月読様とずっと一緒にいれたらいいのに――

その願いだけは叶えられることはない。
私は人。月読様は神様。そして私は伴藤家の嫁。
どうにも変えられない現実が、絶望となって私を襲う。

「喜与。出産は秋ごろだろうか」

「はい、その通りです」

「お主が無事に出産を終えることができるよう、祈っておこう」

月読様は私の下腹に手を当てる。触れられた部分がほんのりとあたたかみを感じた。引いていた血の気も戻ってくる感じがする。

絶望しきれないのは、こうして月読様の優しさに触れるからだろうか。胸が熱くなり想いが弾けそうになる。

「月読様。やっぱり今日お会いできてよかったです」

「ああ。私も嬉しかった。下まで送っていこう」

月読様は私を軽々と抱えると、ふわりと宙に浮くように飛んだ。息を切らした石段も、一瞬のうちに飛び越えてしまう。

「喜与」

「はい」

「愛しているよ」

慈しむように微笑んでくれた月読様は月夜に照らされてとても幻想的で、そのあまりの美しさに何も言葉が出てこなかった。ただ、ぽっかり空いていた心の隙間が、完全に埋められた夜だった。