放課後。彼がクラスまで迎えに来てくれ、どこで話そうかと迷っていたときに「ちょっと行きたいとこあるんだけど、つき合ってくれない?」と誘われた。
 うなずいて着いていく。
 電車を乗り継いで着いた先は話題のパンケーキの店だった。

「……ここ?」
「うん。……ひとりじゃ入りにくかったから」
「まぁ、そっか。カフェとかスイーツのお店って女子ばっかのイメージあるもんね」
「そうそう。SNSで見て、ずっと気になってて。……甘いもの嫌いじゃない?」
「好きだよ。ここのパンケーキ、ふわふわで美味しそうだったし」

 自分も投稿された写真に何度かいいねをつけたことを思い出して言うと、南(くん付けはくすぐったいから南でいいらしい)はふわっと自然に笑って「……よかった」とつぶやいた。

 他愛もない話をしながら、三十分ほど並んだだろうか。
 入った店内は予想どおりほとんどが女性客で、インフルエンサーがふたり揃っているせいもあってか声をかけられたり、カメラを向けられたりすることも多かった。

「相野って、やっぱり人気なんだな……」
「そっちこそ。南のファン、目がハートになってる感じがする」
「そうかな? まぁ、目立ってはいるよな」
「目立ってるね。……でも、悪い気はしないかな? 注目されるの嫌いじゃないし」
「相野ってさ、なんで動画投稿始めたの?」
「うーん……単純に楽しそうだったからかな。歌ったり踊ったりするのも好きだったし、有名になりたいなって気持ちもあったし」
「そっか」
「南はどう? わりと最近だよね、投稿始めたの」

 おれはさっき見た南の動画を思い出しながら訊いた。
 投稿の日付は半年前からで、こんな短期間なのにすごい再生数だと思ったから、よく憶えていた。

「俺は、そうだな……好きなインフルエンサーがいたから、かな。それに憧れて」
「えっ、誰だよそれ」
「そう訊かれて素直に言うと思う?」
「……ひねくれてんのね、南って」
「そんなとこ。……相野の好きな人を教えてくれたら、言ってもいいよ」

 タイミングよく、注文したパンケーキが運ばれてきた。
 皿を動かすとふるふると揺れるそれは分厚くてふわふわで、写真で見るよりもずっと美味しそうだった。メープルシロップとたっぷりの生クリーム。
 ふたりで写真を撮ってから食べ始めた。

「わっ、これすごく美味しい」
「美味いね。来てよかった。……で、好きな人は?」
「えぇ~……そんなに気になる? べつに、特にいないよ。そういう憧れの存在とかは」
「じゃあ、つき合ってる人は?」
「そういうのもない」
「ふぅん」

 南は特に興味もなさそうにそう言って、黙ってパンケーキを食べ進めている。
 メープルシロップをたっぷりかけて、生クリームを山盛りにして……。
 ひねくれてはいるが、甘いものが好きなんだなというのはよくわかった。

「それで、南は? 憧れのインフルエンサー」
「……何の話だっけ?」
「こいつ」
「教えてくれたら言うとは言ったけど、いないならフェアじゃないだろ」

 そいつは腹が立つほどクールに言い放ち、口の端に生クリームをつけたままニヤリと笑った。
 むかついたので写真を撮って送ってやる。

「生クリーム。ついてるよ」

 自分の顔を指差して教えてやると、無言でずい、と顔を前に出してくる。
 まるで「拭いて」と言わんばかりだ。

「ったく、仕方ない……」

 赤ちゃんかよ……。
 そう思いつつ、紙ナプキンで口許を拭いてやる。

「ありがと。……優しいんだな、相野って」
「どういたしましてっ。よく言われるよ」
「知ってる」
「えっ?」
「……ううん、なんでも。それより相談があるんだろ?」
「あ……そうだった。すっかり忘れるところだった」

 おれはフォークを置いて、スマートフォンを手に取った。
 アプリを開いて自分のアカウントを表示する。

「SNSについて、だっけ?」
「そう。じつは最近、アンチが増えてきちゃってさ……」

 話しながら、動画のコメント欄を南に見せた。
 心ない言葉の数々に、彼の顔が一瞬だけ歪む。

「……誹謗中傷みたいなのもあるんだ」
「そうだね。最近は」
「相野って、こういうのは気にならないの? この『きし』ってアカウント、すごいコメントの数だろ。……ストーカーみたい」
「ああ、そのアカウントは……いちおう古参のファンなんだよ。批判的なコメントとかはあんまりないから、特に気にしてはないかな」
「ふぅん。……じゃ、気になるのはこのアンチアカウントだけってことか」
「そうなるね。南はどうしてるの? アンチ対策って」
「気にしてないよ。全部、無視してる」
「気にならないの?」
「あんまり。ふぅんって感じで、いつも流してるかな。いろんな意見もあるでしょって思うから」
「そっか……。そんなもんかぁ……」

 南みたいに、さらっと流せるのは正直うらやましかった。
 そうできない自分が悪いのかと思った時期もあったけど、これは性格の問題だろう。
 南も「まぁ、気になる人が大半だと思うよ」とフォローしてくれた。

「相野の所属してる事務所は、開示請求とかやってくれないんだっけ?」
「前に相談したこともあるんだけど、全部そうするわけにもいかないみたいで……」
「じゃ、他の方法で……ってことか。わかった」
「何かいい案あるの?」
「まぁ、上手くいくかはわかんないけど。一週間くらい俺にくれない?」

 甘々なパンケーキをぺろりと平らげた彼は、コップの水を飲み干してから言った。
 おおっ……! すごく頼りになりそうな感じがする……!
 おれは三つあるうちのパンケーキのひとつを南の皿に移し、そこに生クリームを乗せてから言った。

「まじでやってくれんの!? 本当に?」
「保証はないけどな。報酬は成功後にしていただきたい」

 そうクソ真面目な顔でふざけつつ、「……このパンケーキはもらうけど」とうそぶいている。

 動画やその見た目からは、ちょっと想像ができない姿だった。
 ひねくれてて腹立たしい部分もあるけれど、案外いい奴なのかもしれない。

「よろしくお願いします、南さん」
「まぁまぁ、頭を上げてくれよ。……じつは俺からも頼みたいことあるし」
「えっ、何? 何かあるの」
「コラボ動画、出したくない? さっきから撮られてる写真もそのうち出回るだろうし……話題性があっていいかなって」
「いいね、それ! 俺もやりたい。……どんな感じにする?」
「俺がギター弾いて、相野が歌かな。やりたい曲あったら、いくつか選んで送ってほしい。練習しとくし」
「わかった!」

 南のギターは聞いていて心地いいし、それに合わせて自分が歌うのも楽しそうだ。
 きっと面白い動画になる――そんな予感しかしなかった。

 おれはふたつ返事で了承すると、南と撮影の日取りを決めた。
 撮影は翌週の金曜日。

「また何かあったら連絡する」

 そう話す南と店を出て、帰路についた。
 仲のいい友達やクラスメイトはたくさんいるけれど、こうして動画について話せる友達は初めてで――嬉しくて、どこかくすぐったいような気もする。

(金曜日……ちょっと、楽しみかもしれないな)

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

 次の日から、南とのメッセージのやりとりが始まった。
 ギターで歌うならどの曲がいいか、自分の声質や南の弾き方も考えつつ動画のリンクを送る。

『いっしょにやる曲、こんなのはどうかな?』
『いいんじゃない? 選曲が相野すぎる』
『……どういう意味だよ?』
『いい趣味だってこと。練習しとく』
『一週間で間に合うの?』
『なめんな』

 授業中にも関わらず、あいつは平気でメッセージを送ってくる。
 余裕を感じるセリフの後で、さっきとは180度違う内容のコメントが送られてきた。

『……フルじゃなくてもいい?』

 思わず吹き出してしまい、教師にバレてスマホを没収された。
 ……悔しすぎる。
 放課後。平謝りをして返してもらった後で、南に文句を言った。

『お前のせいで、スマホ没収されたんだけど』
『なんで』
『……フルじゃなくてもいい? って何あれ。その前の余裕どこいったの』
『べつに。相野、ショート動画がメインだろ』
『南はフルでやってるじゃん』
『そうだけど。……じゃ、フルでやるか』
『無理してない?』
『してない。俺を誰だと思ってんの』

 この余裕はどこから来るんだろうか。
 まさに『俺様』って感じのメッセージに、電車の中で思わず笑ってしまった。

『期待してます』
『よろしい。相野も練習しておくように』

 またそう偉そうに言うので、こっちも『俺を誰だと思ってんの』と余裕ぶって送ってやる。
 なんて返してくるかな、と思っていたら、意外な文字列が画面上に並んだ。

『相野陽向』

 ……そのままじゃん。

(どういう意味なんだろうな)

 たまにこういう意味深な返しをしてくるのも、また南らしいと思う。
 考えさせられるというか、ただ振り回されているだけというか……。

「考えてても仕方ないし、動画の準備でもするか……」

 メッセージの画面を閉じて、イヤホンから音楽を流す。
 リズムに乗りながら何気なく自分の動画のコメント欄を眺めていると、自分へのアンチコメントについたレスを見つけた。
 例のストーカーっぽさがある古参のファン、『きし』だ。
 欄をあさっていくと、すべてのアンチコメントに返信しているようだった。
 ところどころでレスバトルが始まっているが、あまりのしつこさにほとんどの人が途中で諦めている。

(これが、南の作戦なんだろうか……?)

 アンチに対して粘着気質のファンをけしかける。
 一見すると、うまくおさまっているようではあるけれど……。

(これを本当に南がやったかどうかもわからないし……今度聞いてみよう)

 揺れる電車の中。
 おれは今度こそ画面を閉じて、翌週に歌う曲を心の中で口ずさんだ。

 授業と動画撮影、コメントへの返信、南との他愛もないやりとりで、一週間はあっという間に過ぎていった。
 撮影当日。どこで撮るのか聞いたおれに南は「じゃあ、うち来る?」と訊いた。