プロローグ
 
 日記をなくした。

 マジで絶望だ。私はとりあえず、落ち着くためにヘッドホンをして、ブルーハーツを大音量で流した。
 そして、白のTシャツとジーンズに着替え、サンダルを履き、夜九時の外に出た。夏休みが始まる一週間前なのに、もう、外の空気は湿度で重くて、走っている間に簡単に息が上がってしまった。

 仕方ない。私は、焦る気持ちを抑えながら、徐々に走る速さを緩めた。
 それでも心拍数は派手に上がっている。
 家から5分もかからない中学校までの道のりが遠く感じる。

 ヘッドホンの中では、『青空』が流れ始めていた。
 なんでよりによって、こんなゆったりとした曲が流れるんだろう。
 そもそも、日記なんか持っていくんじゃなかった。書きたいことは夜の家で書けばいいだけなのに。

 学校の玄関に着き、玄関の扉の中で開いているものがないか、扉という扉に手をかけて確認したけど、もちろん、開いている扉なんてなかった。
 そして、裏手にある用務員室の勝手口の扉や、体育館の扉も試してみたけど、当たり前のように鍵がかかっていた。

 私はがっかりした。
 学校の扉って、意外とちゃんと閉まってるんだ……。
 明日、6時くらいに学校に行けば、誰にも悟られることなく日記を回収することができるだろうか。

 ため息をついたあと、体育館の向かいにあるプールのフェンスの扉が開いているのに気づいた。
 私はプールに吸い寄せられるようにそのほうへ歩いた。
 
 プールサイドに入るとき、ちょうどヘッドホンからは、情熱の薔薇が流れ始めた。ここまで、五、六曲聴いたおかげで少し落ち着いた。
 だから私は腕を組んで、冷静に状況を整理してみることにした。
 どこいったんだ、あのノート。思い当たる場所なんて家か学校しかない。

 ホント、学校になんか持っていった私は馬鹿だ。
 そして、今、気持ちだけで学校に来たのも馬鹿だ。私はもう一度、ため息を吐きながら、サンダルを脱いだ。
 両足のジーンズの裾をまくり上げて、水が張った薄暗い水面に両足を入れる。プールの水面は道路にある街灯の光が弱く反射して、底に塗ってある青色のラインが揺れていた。

 私にとって、あの日記は有り余った情熱のはけ口にすぎない。だけど、そのはけ口がないと私は私でいられなくなるような気がする。
 だって、家族も友達も本当の私を知らない。
 みんなから見た私は「大人しくておしとやかなクールビューティー」で通っているはずだ。
 これは、私が見つけた生存戦略。
 明るくもない社交的でもない足も早くない女子にとって、クールビューティーは唯一モテそうな生存戦略だと思う。
 ムカついて眠れない夜は、友達に愚痴るでもなくSNSにポエムを投稿するでもなく家族に八つ当たりだってしない。
 そのかわりに……ノートに感情の全てを書きつらねる。それでスッキリ、次の日からまた通常運転できるんだ。

 だけど、そんなことは今、どうでもいい。
 一番気がかりなのは、あの日記を誰かに読まれてしまうこと。

「この曲が終わったら帰ろう」
 私はそう呟いたあと、両足を何度かばたつかせた。水面が揺れて、光を反射した白い珠が波と波の間で(はかな)くきらめいた。





【4/20】

 なんで私がフラれないといけないの、そっちから告ってきたくせに!
 守りたい人ができたってなに? 相手はクリオネくらい繊細(せんさい)な人なの? そんなスケルトンに清い人を、好きだった女の子が、初めてやるスマブラを手加減しないで、ボコボコにするくらい鈍感なヒロキが守れるわけないじゃん。あー、昨日にタイムスリップしたい。せめて私にフラせてよ。

 てかさ、てかさ、
「俺、ミサキのこと放っておけないんだ、俺がミサキを守るから、俺と付き合ってください」って言ってきたの5ヶ月前だよねぇ? 
 まだ半年も経ってないし、イブに付き合って、クリスマスにデートして、先週、ヒロキの誕生日祝って、で? は? 

 私の誕生日、明日なんだけど。
 これって確信犯? 彼氏との誕生日、楽しみにしてたんですけど。
 十四歳の幕開け、憂鬱だわぁ。あと、1ヶ月早く生まれて、早生まれになっていれば、私はこんな仕方ないことで、こんな思いしなくてよかったんだろうなぁ……。

 もう寝よ。ミサキ、早いけどハッピーバースデー。
 もし、LINEを自分に送れるなら、素直にそれを0時00分に送りたい。
 


【4/21】

 瑠璃(るり)ちゃんって、ほんと天使。
 結局3時間も話聞いてくれたし、アイス奢ってくれたし、やっぱり持つべきものは友だね。しかも、誕生日祝ってくれたし。瑠璃ちゃんが彼氏だったら、最高だったんだろうなって、よくわからないこと瑠璃ちゃんに言ったら、今日、1日だけ、彼氏になってもいいよって、言ってくれたから、じゃあ、アイス食べたいって言ったら、ローソンに行くことになって、北海道産のローソンオリジナルのアイスクリームを買ってくれた。

 なんで、北海道のメロンって、オレンジなの? 
 なんで、こんなに瑠璃ちゃんは男前なんだよーーー。

 惚れるし、ショートするぞ、思考回路が。倒置法セーラームーンになっちまうよ。それくらい瑠璃ちゃんの優しさを感じた。
 いつか、瑠璃ちゃんと世界を守ることになったら、美少女戦士を名乗るか、プリキュアになるわ。瑠璃ちゃんは天使でかわいいから、ピンクのフリフリドレスをあげる。私は青いドレスで、星型のステッキをヒロキに振りかざすよ。

 ヒロキ! お前なんかクリオネにフラれろ! 
 オレンジメロン トルネード スプラッシュ アタック!



【4/25】

 あいつ浮かれてたな、どこぞのクリオネとうまくいったんか。
 あー、あいつの頭の上に何か落っこちないかなぁ。へぇ、海行くんだ。海でサメに追いかけられればいいのに。

 元カノが同じ教室の中にいる中で、男子たちに声高らかに今カノとのデート予定を話しするのって、どれだけ気持ちいいことなんだろう。

 人って、たった5日で変わることができるんだね。
 私はその間に14歳になったよ。先週末、家でケーキだって食べた。お父さんと、お母さんとお姉ちゃんと。それで、メインディッシュはケンタッキーフライドチキンだった。二人のカーネル・サンダースが見つめ合い、微笑みあうバケツ。

 つまり、バケツチキン二つを囲んで、この日だけは、久々に家族らしいことしたけど、その次の日には、またいつも通り、お父さんもお母さんも、そして、お姉ちゃんも自分の忙しさに戻ったよ。暇な私だけ、失恋の傷を癒やすために、ブルーハーツを部屋の中でずっと聞いていたよ。

 あーあ。私、このまま一生結婚できないのかな。
 それはそれでいいかもしれない。
 
 どうせ、ヒロキだって、私をふってまで、クリオネに行ったんだから、クリオネと結婚するよね? だって、クリオネ、女子の間じゃ、メンヘラだって有名だよ。それを男子の目から見ると、守ってあげたいになるのかな。逆ユーミンじゃん。

 ゲームでわざと負けてあげないと、それって本当の意味で守るってことにならないよ? 



【5/1】

 今日、目の前に王子様が現れた。
 転校生の、斎藤アリエル七之助(しちのすけ)君です。 

 待ってたって王子様は現れない。なんて言っていたあなた。残念ながら王子様は実在しました。二年二組に。とはいえ、アリエル君は人魚姫くらいには希少な生き物なのかもしれない。
 金髪に碧眼(へきがん)の王子様。あんなに色素が薄くて顔のパーツも整った美しい人を、私は見たことがない。担任が黒板に書いた名前は縦書きで、黒板の上から下まで使われていた。最後の『助』の字が少しだけ、小さくなっていた。

 元々、担任の字が下手なのはわかっているけど、王子様なんだから、大切にしてほしかった。
 なんで、こんなに王子様なんだろう。
 アリエル君は、きっと、もう、身長は180センチ近い。だから、担任を見下ろしていたし、私がもし、アリエル君の隣に立ったら、結構な身長差なんだろうな。

 そういえば、TikTokでいつかみた、男女の理想の身長差は15センチくらいとか、言ってたっけ。きっと、アリエル君と私、25センチくらい差がありそうだな。
 もう、あまり身長を伸ばす気はなかったけど、牛乳に相談しようかな。

 あの王子様が馬にまたがったら、一体どれくらいになるんだろう。
 白馬が似合う系男子って世の中には存在しないと思っていた。だけど、アリエル君は最強だ。黒板に書かれた長い名前で教室がくすくすし始めても、アリエル君は緊張した素振りもなく、自分の名前を独特の発音でスマートに言っていた。お父さんの仕事の都合でこっちに来たらしい。

 普通、そんな、くすくす笑われ始めたら、心折れそうになるのに、アリエル君はめげてなかった。
 ホームルームのあと、からかいに来た男子たちも、気がついたら、アリエル君がまとめあげていた。

 しかもね。
 アリエル君、私の斜め前の席なんだよ! 斜め前。

 アリエル君の席が私の席の斜め前で良かった。特等席じゃん。というか、めっちゃドキドキしちゃうし、ふとした時のアリエル君のリアクションを鑑賞できるなんて、これ、なんのご褒美? これから毎日、御樽顔を拝めるわ。

 え、ヒロキ? そんな存在、忘れたな。あ、思い出したよ。私に誕生日プレゼントを渡してくれなかった人のこと? ははは、私はもう、あなたなんて、必要としていないのよ。スマブラでボコボコに蹴り飛ばす私のことを、なんとも思っていない、あなたのことなんて、なーんにも、これっぽっちも思い出せないわ。

 アリエル君の第一印象は優しさの一言に尽きると思う。
 だって、アリエル君が自己紹介をしているとき、私と目があったような気がしたんだ。これって、恋だよね? 恋、恋、こいのぼりだよね? ま、それは自分でも意味わからないけど、今日、アリエル君に話しかけられて、私は中川ミサキって、教えたら、
「僕は斎藤アリエル七之助」とアリエル君は眩しすぎるくらい、微笑みながら、そう言ってくれた。

 それすら奇跡じゃない? 
 もうさ、それがあったのが、2時間目と3時間目の間の休憩時間だった。

 いや、正確には、この10分休憩が終わるチャイムが鳴って、先生が少し遅れて教室に入って来るまでの1分間のことだった。つまり、10分の休憩時間の時、1時間目と2時間目の間と同じように、2時間目と3時間目の間も、アリエル君はいろんな男子、女子に囲まれていた。

 初日から、人気すぎね? ってくらい。
 それで、話しかけたくても、話しかけられなくて、もどかしく思っていたら、1分間、アリエル君と話すことができたんだよ! 最高すぎるって。しかも、私のことを、アリエル君が認識してくれたこと自体、すごく嬉しかったから、社会科のヨシカワなんて、永遠に教室に入って来なくてよかったのにね。

 だけど、時は無情。
 今日の私とアリエル君のドラマはこれで終わってしまった。

 あとは、邪魔くさい、1軍のクラスメイトが終日、アリエル君に群がっていた。それを私は、瑠璃ちゃんと一緒にすごいねって言いながら、眺めているだけだった。
 だけど、絶対に明日から、何かが起きそうだし、なにより、学校にいる間は、ずっとアリエル君のことを見ていられるという事実だけで、私はすごく、嬉しいよ。

エブリディ エンジョイ! ハッピーライフ!



【5/19】

 アリエル君はいつも銀色のペンダントをしている。
 給食を食べるときも、サッカーをするときも、本を読んでいるときも、いつもだ。たぶん写真とか入れられるやつだから、あのペンダントには、アリエル君にとってすごく大切な思い出が詰まっているに違いない。

 そんなことを考えていたら、なんと、休み時間、「ペンダント気になる?」ってアリエル君が話しかけてきたじゃないか! 空想してる間にペンダントをガン見してしまったのだろうか。
 それだったら、とても恥ずかしい。次に同じ過ちをしたら、その時は、いざ、勇ましく、切腹しよう。

 そして、アリエル君はペンダントを首から外すと、ロケットの隙間に爪を差し込んでカチッと開いた。やっぱり写真だった。
 だけど、被写体はガールフレンドのミス・ミルキーではなかった。そこには満面の笑みを浮かべたコーギーがこちらを見ていた。その子は首元に赤い蝶ネクタイをつけていた。

 なんて、なんて可愛いんでしょう! しかも気品がある、うちのムギとは大違いだ。団子鼻のムギも可愛いけど、犬にも美形とかってあるんだって、TikTokに流れてきた美形のコーギーを観て、私がショックを受けたのは、中1の夏休みのことだった。

「うちで飼ってるわんこ」
 アリエル君が、いつもの優しい声で言った。
「え! 可愛い! うちもコーギー飼ってるの! 名前は?」
「マルセル三世」
「マルセル……三世」 
「中川さんちのわんちゃんは?」
「えっと……ム、ムギ」
 名前つけるとき、最後までムギとジョンで迷ったんだよなぁ、アメリカ人の貴公子とお近づきになる未来が来るのなら、アリエル君も故郷を懐かしみ、親しみやすいように、ジョンにしときゃよかった、ジョンにしときゃよかった……。
「ムギって、可愛いね、名前」
 可愛いね、カワイイネ、かわいいね。アリエル君の一言で、私の頭の中で、私が知る限りの花々がいっせいに咲いた。ヒマワリにタンポポにハイビスカスでしょ、あとチューリップとかバラとか、そんな感じ。最高。
 


【5/24】

 アリエル君って、映画好きなのかな?
 ハリーポッターのペンケース、ジョーズの下敷き、ドラえもんのシャーペン。なかなか系統がつかめない。
 最近気づいたけど、無邪気なオーラを放ってるアリエル君には、逆になんでも似合うと思う。

 例えば、外国のお城。
 これは間違いなく似合う。紳士のアリエル君には完璧に似合う。アリエル君はさ、プリントを後ろの席に回すとき、必ず笑顔で振り向いて「はい、中田君」って言うんだよ。アリエル君、尊い! 中田ずるい! 私と席変われ! 中田のやつ天然だから、三日目くらいで簡単にアリエル君の紳士が感染った。

 それまで無口だった中田が明るい声で挨拶してくるようになったし、プリント回すとき、後ろの席の瑠璃ちゃんに「はい、木村さん」と声がけをするようになった。中田に紳士の毛が生えたって、私にはどうでもいい。
 紳士の精神が芽生えたくらいで、中田のしゃくれたアゴはどうにもできない。紳士の力では、中田の白ニキビの噴火は抑えられない。とりあえず中田、私の作戦の邪魔をするな。私は、なんとしてもアリエル君との接点が欲しくて、わざと肘で自分の消しゴムを落としている。

 名付けて「アリエルホイホイ消しゴムコロリン作戦」
 成果はまだない。

 なぜなら、無駄に紳士になった中田に邪魔されているからだ。
 卓球部の中田は、無駄に動体視力がいい。私がさりげなく落とす消しゴムが床に落ちる前に、アリエル君のテリトリーに入る前に、消しゴムをキャッチしては得意げに私に渡してくる。

「はい、中川さん」じゃねぇよ。
 私は中田の芸を見たいんじゃないんだよ。お前は温泉街のサルかよ。玉拾いは部活だけにしろよ。いや、私が落としているのは玉じゃない、ゴムか。アリエル君に、まるで私がおっちょこちょいな女子みたいに誤解されちゃうじゃん。中田は大人しく、私とアリエル君の日常をオブジェのように見守っていればいいんだ。



 例えば、アリエル君がお城に住む貴公子だとしたら、私はなんだろう。
お母さんと一緒に食器棚に入ってる歌うティーカップとか、屋根裏に住み着いているしゃべれるネズミか。ダメだ、虚しくなってきた。

 じゃあ、もし、アリエル君が金太郎だったとしたらどうなるだろう。
 金髪に碧眼のアリエル君は、これまでの日本の常識を覆すだろう。あの赤い前かけをスタイリッシュに着こなして、マサカリを担ぎ、颯爽と熊の前に現れる。

「さぁ、相撲をしよう、力比べだ、ハッケヨイ!」

 そんな凛々しいアリエル君のセリフを聞いて、またまたハートを射抜かれた私は、こっそり熊に麻酔銃を打ち込んでアリエル君をアシストする。熊は、意識が朦朧とし始めたとき、アリエル君に張り手をしっかりかまされる。
そして熊は、半分夢を見始め、その場に倒れた。見事にアリエル君の勝利! 

「君はすごい。これからは君の時代だ」と、熊はなぜか上から目線のコメントを残し、翌日からアリエル君の舎弟になるのだった。

 で、私はというと、小汚いタヌキになって、草むらから熊とアリエル君を見守ることしかできない。きっと、よもぎを片手に握りしめ、モゴモゴよもぎの苦味を噛み締めながら、アリエル君に近づきたいと思っているだけだ。

 久々によもぎまんじゅう食べたいな。てか、よもぎってより、あんこが食べたい。

 あ、ダメだ、虚しくなってきた。
 そろそろ寝よ。さよなら、現実。
 


【5/25】

「中川さん! トトロ!」
 びっくりした。急にアリエル君に話しかけられたから。でも大丈夫、私、ポーカーフェイスに定評あるから。よく「なに考えてるか、わからない」って言われるから。
 アリエル君に私の気持ちはバレてない、大丈夫、大丈夫。

「アリエル君、トトロ知ってるんだね」って言ったら、
「名前だけ知ってて、映画観たいんだけど、いつもDVD貸し出し中になってて観れないんだ」って言ってたから、話の流れで今度、うちにあるトトロのDVDを貸すことになってしまった。

 いぇい! 
 ヒロキがUFOキャッチャーで取ってくれたトトロのキーホルダー、カバンから外すの忘れてただけなんだけどね。

 サンキューヒロキ。
 君との恋は無駄じゃなかった。


 
【5/26】

 お姉ちゃん大っ嫌い! 
 なんで勝手に私のDVD、他人に貸してんの? 信じられないんだけど、人として。
 カムバック トトロ! 
 代わりに魔女の宅急便でもいいかな? 



【6/1】

 とりあえずテスト一日目、お疲れ様でしたー。
 今夜は暗記の一夜漬けコース! 社会と理科は覚えちゃえば余裕、余裕。

 今日のテストが終わったあと、中田を中心に、アリエルと瑠璃ちゃん、そして、私の4人で、テストについて、あーだ、こーだを言っていた。そのとき、アリエル君に私は聞いてみた。引っ越してきて、すぐテストなんて酷なんじゃないのって。そしたら、なんとかパーフェクトだよ、中川さん。って言われた。発音すごすぎて聞き取れなかったから、愛想笑いで誤魔化したら、なんとアリエル君、ノートの隅に一筆書いてくれた。

【Practice makes perfect.】
 もちろん、私は家に帰ってすぐにGoogleで検索した。アリエル君て、やっぱり紳士! 

 アリエル君! 
 わたし頑張るよ! 
 継続は力なりエル。



【6/2】

 テスト終わったー。
 おつかれサンセット、また来て明日。

 理科のヤマ外れたんだけど! やばいって! マジで昨日の私に伝えたい、覚えるのは3ページ前の図2だってことを。
 もう終わったことはしょうがない。なるようにしか、ならないんだから。アリエル君、私、実は継続力はないんだ。だから、いつもヤマを外すんだよ。そんな、継続力のしょぼい私のこと、アリエル君は受け入れてくれるかしら。

 そんなことより大事件。
 アリエル君に貸してた魔女宅が帰ってきた。しかもアリエル君、お気に入りの、ハリーポッターもセットで。ハリーポッターのDVDボックス、アリエル君、重かっただろうな、だって私の腕もちぎれそうになったもん。アリエル君は、一気に貸すタイプなのね、オッケーオッケー。

 アリエル君のために、ハリポタ全編、本気で分析するか。
 倍速、倍速。
 ウィンガーディアム・レヴィオーサ。



【6/20】
 
 中田、なんなんだあいつ。
 最近なんか馴れ馴れしいんだけど。今日どさくさに紛れて、わたしのこと「ミサキちゃん」って言ってきた。
 中田ごときにドキドキするのもムカつくし、スルーしたけど、アリエル君も瑠璃ちゃんも一瞬「え?」って顔してたし、迷惑でしかない。
 私、中田の下の名前なんて知らないんだけど、馴れ馴れしいやつキモチワルイ。
 虫みたいなダミ声しやがって。
 


【6/21】

 ちょっとー! アリエル君に「ミサキちゃん」て呼ばれたんだけど! 
 ナイスじゃん中田! 瑠璃ちゃんも、アリエル君に、今日から「木村さん」から「瑠璃ちゃん」になってたよ。
 まぁいいか、てか、なんで二人ともファーストネームに昇格したの? 

 そんなことより中田。
 お前までちゃっかり「タダシ君」に昇格してんじゃねぇよ。瑠璃ちゃん、どうしたのかな。中田につられたのかな。いや、きっと、パーフェクトアリエル君につられただけだよね。嘘だと言ってよ! 瑠璃。
 てか、そうなってしまったら、私も「タダシ君」って呼ばなきゃいけない空気になったじゃん。あと、中田は「瑠璃ちゃん」て呼ぶのやめろ。
 そして、瑠璃ちゃん呼ぶ前に毎回、唾飲み込むのもやめろ。



【6/22】

 正直、嫌な予感はしてた。
「中川さんに話があって……」
 え、なに。これって、もしかして、そういうこと。
 中田に放課後、呼び出された。隣の席なんだから、どっちに転んでも気まずいじゃんバカじゃないの? だけど私にはアリエル君が――。

「木村、瑠璃ちゃんって……」
 そこで、私は力が抜けて、ようやっと息ができた気がした。
「どんなのがスススッススススキなのかなぁ?」
「どんなってなに? 瑠璃ちゃんの好きなドラマとかってこと?」
「そうそう、そういうの、中川さん、瑠璃ちゃんと仲良いんだから知ってるんでしょ? 教えてよ」
 必殺仕事人。って答えるのを私はやめた。

 こうやって最近の日記を見返してて、なるほどなって感じだ。
 中田のやつ瑠璃ちゃんが、スススッスススススス好きだったなんて。
 スの数だけ、強くなれるよ。てか、それ以前の、問題だけど。

 やっぱりばかじゃん、中田&私。
 なるほど、こいつ、瑠璃ちゃんの前でだけ私のことをミサキちゃんと呼んでるのはそういうことか。やらしいやつ。私を踏み台にして。私は自力で憧れのアリエル君にアタックしているというのに、小賢しい奴め。ムカついたから言ってやった。

「そんなの、自分で瑠璃ちゃんに聞きなよ」
 中田はなんかゴニョゴニョ言い訳してたけど、中田の恋なんて、マジでどうでもいい。

 だいたいさぁ、人の手を借りて恋愛育むなんて、よっぽどの状況だよ? 私が助けてやってもしょうがないって思うのは、例えば不慮の事故で上半身が恐竜になってしまった系女子と、海でサメに噛まれたまま下半身がサカナになっちゃった系男子の純愛くらいだと思う。中田はその基準にはまだ、到底達してないよ?

 そういえば、今年庭に来たカッコウは、まだ鳴いている。
 普通にいい声なんだけど、こう一ヶ月以上鳴かれると、なんかいたたまれない。晩婚化の波はカッコウにもじわじわ来ているのかもしれない。彼らは必死で恋を探している。あんたもこのくらいの気合を見せなよ、中田。カタツムリの私だって、アリエル君に貸すために、明日ドラえもん全45冊学校に持ってくんだから。

 二十年後、三十年後、私なにしてるかな。
 きっと、誰かと結婚して、くだらない空想して、思い出したように、ときどき日記を書いてストレス発散でもしているに違いない。相手なんて、まだ、十四歳の私にはわからない。将来なんて想像もつかないけど、公園で鳴いてるカッコウには、ちゃんとパートナーに恵まれ続けて絶滅しないでいてほしい。



【7/5】

 アリエル君は見目麗(みめうるわ)しい上に性格が天使だから、きっとみんな言わないだけで、本当は瑠璃ちゃん以外の女子は全員アリエル君を狙ってるって思ってた。
 だけど、案外ちがうのかもしれない。ラッキー!

 今日瑠璃ちゃんと、「アリエル君がどの有名人に似てるか選手権」で盛り上がってたら、瑠璃ちゃんがアリエル君はスーパーマンに似てるとか言い出した。
 基本的にスケさんカクさんしか見ない瑠璃ちゃんにとって、外国人のイケメンなんて見分けがつかないんだろう。私だって凛々しいちょんまげは、スケさんカクさんまとめてコロ助なんだから、おあいこだ。
 そして瑠璃ちゃんの提案は遠からず近からずって感じ。
 瑠璃ちゃんに、どのへんがスーパーマン? って聞いたら「ケツアゴだから」って、そんなあけすけな言い方、なんだか恥ずかしい。アゴの割れ目は紳士の証。

「え、アリエルってアゴ割れてんの?」ってお前は話に入ってくんなよ、中田。
 お前は瑠璃ちゃんをずっと見ていればいいよ。アゴの割れで言ったら、スーパーマンよりバットマンでしょう。
 ていうかバットマンのスペックやばいからね、お金持ち、独身、有能なじいや付き、物理的にフィジカルめっちゃ強い、ガジェット系も強い。世界一男子力高いよ、バットマン。ついでに添えると、男はスネ毛があってなんぼでしょ、男はアゴが割れててなんぼでしょ!

 アリエル君の朝は早い。
 毎朝四時に起きるんだって、登校もクラスで一番早い、らしい。私はいつもギリギリ8時25分登校だから、アリエル君のそんな一面知らなかった。
 アリエル君は、早く学校に行って、なんと、あのガリ勉メガネ坊やの清水(しみず)と宿題やってるんだって、さすがアリエル君! 清水ずるい! 



【7/6】

 七夕といえばザ・和風。
 どの国からでもきっと夜空は見えるのに、切ないラブストーリーを思いついた先人は、ちょうど中二病をこじらせて、脳内がお花畑だったんだろう。語り継いで来た人たちも公式なデートの誘い文句として、長年七夕を頼ってきた。
 中田や私と一緒だ。ありがとう、先輩たち。ありがとう、中田。

「ミサキちゃん、明日の夜、諏訪湖に星見に行こ? タダシ君と瑠璃ちゃんと4人で七夕のお祝いしてみたいんだ、どうかな?」
 七夕って、お祝いするものなのか? 織姫と彦星の再会のお祝い? そもそも織姫と彦星が再会して、笹にくくりつけた短冊に書いた願い事が叶う世界観ってなに? なにそのシステム、商業的な匂いぷんぷんなんですけどって。しかし、そんなことはどうでもいい。
 きました! 
 まさかのダブルデートです! 
 幸せすぎて死ぬ! 
 キュンです!

 アリエル君の後ろに中田が霞んで見えるのはムカつくけど、これは完全に、デートに誘われたってことだよね? やるじゃん中田!  私はといえば、アリエル君に下心がバレないように真顔で答えた。

「明日の夜? 全然オッケー グッジョブ七夕」大丈夫、大丈夫。
 浮かれた気持ちバレてないはず、キモくないキモくない。
 キキキッキキキキキキモくはない!
 


【7/7】

 突然の台風だった。
 いや、台風に突然てことはないんだけど、普通台風って八月なんじゃないの? とりあえず、せっかち台風のせいで「星空七夕ダブルデート」は中止になっちゃった。というか、中田を始め、私たち4人は誰一人として、約束をした次の日に台風が来ることを認識していなかった、リサーチ不足の世間知らずだった。
 だけど、私たちにはそんな世間とのズレなんて全く関係ない。
 七夕なんて、所詮(しょせん)、織姫と彦星の再会のお祝いだ。
 乱れ髪のそなたも美しいとか言って、今年もあいつらは愛を育んでいるに違いない。



【7/10】

 中田がついに、やりやがった。
 ラブレターなんて古風な手段、なかなかやるじゃん、あいつ。瑠璃ちゃん、困ってたけど、ちょっと嬉しそうだったなぁ。
「ミサキちゃん誰にも言わないでね、なんかさ、タダシ君からラブレター貰っちゃったんだけど、どうしよう、どうしたらいいかわかんないよ」
「えーーー! タダシ君から、そっか、びっくりだね……。瑠璃ちゃん、アリなの? あいつ」
「うーん、そういうふうに見たことなかったからよくわかんないよ、だけど誰かに好かれるのは単純に嬉しいかも。でもどうしよう……」
「そっかぁ、とりあえず、雪見だいふく奢るから、風呂入って、アイス食べて、ゆっくり寝なよ。明日また考えよ?」
「うん、そうする。ミサキちゃんありがとう」
 そうして、私は瑠璃ちゃんとの学校の帰り、ローソンで期間限定の雪見だいふくを二つ買って、そのうちの一つを瑠璃ちゃんに渡した。

 そっか、そういうものなのか。
 瑠璃ちゃんにとっての中田が、「そういうふうに見たことない」から、「好かれるのは嬉しい」とか、なんとなくナシではない、みたいなポジションに飛び級できるのか。ラブレター(あなど)れない。
 話の流れで、中田の瑠璃ちゃんへの恋文を読んだけど、どの歌からとってきたんですかー? ってくらいキラキラした言葉が並んでて、もうあれは中田らしさがまるでないじゃん、って感じだった。
『眠れないくらい、瑠璃ちゃんが頭から離れない』
『瑠璃ちゃんになんて、言えないよ。好きだなんて』
『頭の中、ほとんど、瑠璃ちゃん』
 私はそんな文面に笑いそうになった。だけど、笑っちゃ、ぶち壊しになってしまうし、たぶん、中田は中田なりにニキビを潰しながら、一生懸命考えたんだ。だったら、その努力くらいは笑わないという態度で示した方がいい気がした。だいだいさぁ、瑠璃ちゃんに渡す前に、ちゃんと自分で内容精査したの? って話。

 最低でも三パターンぐらいはラブレター書いて、ちゃんとベストなやつを(ひね)り出しなさいよ。どうせラブソング聴いてたら、気持ちが爆発して、勢いでアクションしただけでしょ。夏休みに瑠璃ちゃんとデートしたいがために焦っちゃっただけでしょ? 
私にはお見通しだよ、中田。

 なぜなら私の、アリエル君への気持ちも爆発しそうだから。
 今までずっと、アリエル君への気持ちを、なんの生産性のないヘンな話で吐き出してきたけど、もうやめる。
 中田、君は十分、生産性がある文章を瑠璃ちゃんに渡していると思うよ。私なんかよりも。
 中田にだって、恋文を書けるなら、恐れる必要はない。

 だから、私は決意した。私もちゃんと、現実のアリエル君に気持ちを伝えるんだ。
 明日からラブレターの練習しよっと。



 
【7/11】

 パターンA
 
 アリエル君へ 

 もうすぐ夏休みだね。
 一ヶ月以上会えなくなるなんて、想像しただけで寂しくて泣きそう。
 アリエル君好きエル。
 
 from ミサキ


 
【7/12】

 パターンB
 
 アリエル君へ

 五月一日、あの日、とある妖精の王子様がこの二年二組に舞い降りました。
 もちろん、アリエル君、あなたのことです。
 あなたを一目見た瞬間、私の頭の中では、ホラ吹きマンボウがセクシーな唇でホラ貝を吹きました。
 つまり、恋が始まるゴングが鳴ったってことです。
 そして私は、二ヶ月間ずっとあなたを見てきました。
 トウモロコシ畑のような金色の髪、長いまつ毛、控えめな鼻毛、銀のペンダント、スタバのタンブラー、その他もろもろです。
 もろもろ、もろもろ全部大好きです。

 つまり、アリエル君が大好きです。
 今の私の生きがいはそれだけです。

 アリエル君と会えないと、私はなにもロマンスのない日常に飽きて、グレると思います。
 グレるというのはつまり、学校に行かず、諏訪湖のほとりで一日中キモチワルイ小話を書き続ける毎日を、お婆さんになるまで繰り返すということです。
 そうです、これといってアリエル君に迷惑をかけるようなことはしません。
 約束します。

 ただ、たまに知らない子供たちが執筆中の私に話しかけてくるので、魔がさして小話を読ませてあげると、その子らが学校の友達に噂を広げるかもしれません。
「ねぇねぇ、こないだ諏訪湖でさぁ、中二の片想いを拗らせたお婆さんが、なんか不気味な小説読ませてきたんだけど」
「あー知ってる、知ってる、ミサキ泥吐きババアでしょ? あの婆さん、毎日泥みたいな小話吐き出し続けてるよね」
「ねー、諏訪湖が臭くなるからやめて欲しいよね」
「わかる、わかる」
 きっと、こんな感じです。
 諏訪湖の汚染の原因が私だというデマが、いつの間にか子供たちからマスコミにまで広がり、昼のワイドショーでモザイクのかかった私が映し出されます。私は加工された甲高い声で諏訪湖にむかって叫びます。
「アリエル君が大好きでーす!」
 もし、あなたへの恋が成就しなくても、私はお婆ちゃんになるまでなんとかやっていけそうです。
 そうです、あなたとの恋が成就する可能性なんて、アリの糞ほどちっちゃなものです。そんなことはわかってますし、覚悟はとっくにできてます。

 だから……。
 あなたにフラれたとしても、私のハートは余裕のよっち。
 とはいえ、やっぱり両思いがいいです。
 
 fromミサキ
 


【7/13】

 パターンC
 
 アリエル君へ

 アイエル君、私と恋のラビリンスに出かけませんか?
 二人で魔法の絨毯(じゅうたん)に乗って新しい魔法の呪文を発明しましょう。武術を習って二人で怪人を倒し世界の平和を守るのもいいですね。 
 そのくらい、アリエル君となら、私はなんでもできる気がしています。
 マルセルとムギを連れて、不思議の国を冒険するのも二人なら、きっと楽しいと思います。
 というか、そんな暇あるなら、ジェシーが待ってる妖精の国を救うのが最初かもしれません。
 
 ですがその前に、放課後マックに行きませんか? 
 答えがYESなら、私の右の肩をたたいて合図してください。
 きっと、笑顔で振り向きます。
 
 fromミサキ 



【7/14】

 第一回恋文評論会を開催します。
 とりあえず三種、出揃いました。書いてみると意外と奥が深いね、ラブレター。
 今日はアリエル君の気持ちになって日頃の恋文練習の振り返りと、今後の方針および具体的な目標決めをします。


 パターンA。
 今の素直な気持ちをそのまま書いたという意味では、一番わかりやすいかもしれない。
 難しい言葉も使ってないし、何より短い。相手に「読ませる」負担を考慮すると悪くない。
 ただ、最後の「好きエル」を、アリエル君がどう捉えるかは未知。高貴な僕の名前をネタにしやがってと、金輪際(こんりんざい)口を聞いてくれなくなるリスクはある。
 そんな未来は嫌だ! ボツ!


 パターンB。
 長い。自分語りが長い。しかも、なんか全体的に暗いし汚いし、キラキラしてない。というか、これでは中二病だと笑われるではないか! 
 こんな文章、書くのはクリオネがヒロキに宛てた恋文、または、生産性ゼロのくだらないLINEだけでよろしい。
 これじゃあ中田のラブレターの方が100倍マシだ。私も一応努力はしたんだよ、YouTubeでラブソング聴いてみたけど、コメント欄の一番上にあった。

 【この恋が実ったら、アイルビーバック】って、コメントが切実すぎて深夜のテンションにツボっちゃって、一文字も進まなくなってしまった。一時停止した。しかも、私はアリエル君の鼻毛について、なぜ言及したのか。そして、アリの糞という、糞ワードをラブレターに使う時点で、糞だと思うな、メルドー。しかも、アリエル君、この字を読めない可能性だってある。

 もし、仮にパターンBでアリエル君を射止めた場合、
「ミサキちゃん、この字が読めなかったんだ」
「あー、それね。『くそ』って読むんだよ!」って私が素直に伝えたら、きっと、アリエル君は、「メルドー」と言って、私は振られてしまうに違いない。そして、60年後、74歳になった私は諏訪湖のほとりで、アリエル君大好きでーす! と毎日叫ぶことが日課になり、ミサキ泥吐きババァと噂される将来しかなくなってしまう。
 これは私が望んだ未来じゃない!

 冷静になろう。
 勘違いしてはいけない。恋文は書くのが目的じゃない。
 書き切って、渡す相手に笑顔になってもらわないと意味がない。例え恋が実らなかったとしても、せめて、アリエル君にとっても、私にとっても、淡い青春の思い出として、しっかりと青をモンタージュさせなければならない。


 パターンC。
 アリエルに渡すのに、アラジンはちょっとな。全体的にロマンティックさが溢れて、パターンBよりは中二感は薄まった印象だね。
 
 しかも、ムギとマルセルなんたらを入れているのは好感度高いかも。
 これは全世界の愛犬家にウケる恋文だと思う。
 
 101匹のダルメシアンを飼っている人も、大統領の犬を飼っている大統領も、土佐犬とチワワのミックスを飼っている人も、そして、コーギーのマルセルなんたらを飼っているアリエル君も、きっと、喜んでくれると思う。というか、これだったら、アリエル君は笑顔になってくれるような気がする。
 ただ、ジェシーは一体誰だい? とアリエル君はきっと聞いてくるに違いないから、これはやめておこう。
 最後、マックに一緒に来てくれるなら、肩を叩いてって言うのは『付き合ってください』より、ハードルが低いような気がする。


 うーん。そう考えると、AかC。
 そもそも、眼中にない人からの恋文なんて、恐怖かスベリ芸に見えるだろう。やっぱ練習は必要ってことよ。
 うーん。そう考えると、AかC。
 松竹梅決めるか。松竹梅と言えば、うな重セット。ウナギとドジョウはなにが違うの? どうしておじさんはウナギが好きなの?それは、精がつくからだよ! ミっちゃん。誰だお前。
 よし、それを踏まえて、こうしよう。
 

 アリエル君へ

 アリエル君ちのマルセルとうちのムギを連れて、諏訪湖のほとりを一緒に歩けたら、本当に楽しいだろうなって思うんです。
 だけど、その前に夏休みにアリエル君と二人で一緒に過ごしてみたいです。
 ですがその前に、今日の放課後、一緒にマックに行きませんか? 
 答えがYESなら、私の右の肩をたたいて合図してください。きっと、笑顔で振り向きます。アリエル君好きエル。

 中川みさきより。



エピローグ

 冷静に考えてみたら、誰かが日記を拾って読んだからって、持ち主が誰か断定できる情報は書いていないはずだ、たぶん。
 正直、どんなことが書いてあるかあんまり覚えてない。
 だって日記なんてそんなもんでしょ。
 もしあの日記が全校生徒に晒されても、素知らぬ顔でいればいい。皆勤賞の私が急に学校を休む方が、怪しまれるだろう。

 そんなことを考えながら、私は教室のドアを引いた。教室にはまだ誰もいなかった。それだけで少し、安心した気持ちになった。
 あとは、学校に一泊二日したはずの日記を机から取り出すだけだ。

 教室のちょうど真ん中くらいにある私の席へ早足で行き、バッグを机の上に置く。
 そして、椅子をひいて、机の中に左手を滑らせた。だけど、左手の感触はアルミの冷たい感触しかしなかった。
 心臓がバクバクし始めた。小さく息を吐き、一度、落ち着こうとしたけど、もう思い当たる場所なんて、考えつかない。
 私は少しだけ、寝不足気味でまだ開ききっていない右目をこすった。

 そして、一旦、気持ちを落ち着けるために、窓の方へ向かった。朝日が差し込む教室の窓を開ける。
 窓を開けると、少しだけ冷えた朝の冷たい風が入り込んできた。その風で、横髪が乱れて、口に髪が入り込んだ。そんなのはどうでもいい。まずは、日記を探さなければ。
 
「あれ、ミサキちゃんおはよう、今日は早いね」
 後ろから爽やかな声がして、私は固まってしまった。

「あれ、ミサキちゃん?」ともう一度、爽やかな声がしたから、私はゆっくりと、声がする方を向く。
「ミサキちゃん?」 
「アリエル君……」
 私は思い出した。日記にアリエル君のことめっちゃ書いてるじゃん。やっぱり早く見つけないとヤバいかも。
 教室のドアがガラガラ開いて、ガリ勉メガネ坊やの清水が入ってきた。アリエル君はいいとして、お前が学校に来るのは早すぎだろ。まだ6時15分じゃねーか。

「お、おはよー二人とも今日は早いね」
 私を見て、驚いたように清水が挨拶してくる。
「清水君、おはよう!」アリエル君が元気に挨拶をする。
「おはよー」と、私は黒板の上にある時計の針を見ながら、ぶっきらぼうに返してあげた。
「アリエル、やろうぜ」
「あー、ちょっと待ってね。えーっと、I have something for ミサキ」
「いいよ。中川さんに用事があるんだろ」
「そう、それ。『用事』がわからなかった」アリエル君は爽やかに笑いながら、そう言ったあと、私の方までやってきた。 

「ミサキちゃん、DVDありがとう、トトロ最高だった。僕のおすすめ映画も入れておいたから良かったら観てね」
「えーありがとう、どんな映画?」
 とか、そんなことを私はアリエル君に返したけど、正直、今、映画はどうでもいい。
「コウモリメンとペンギンメンが戦う映画、多分ミサキちゃんも気に入ってくれると思う」
「へぇー楽しみ、帰ったら観るね」
 私の返事がぶっきらぼうになっていないか不安だ。

「あと、ノートのメッセージもありがとう」
「ノート……」
 アリエル君はにっこりと微笑んで、私が昨日貸したトートバックを渡してくれた。私はバックの中身を確認する。
 バックの中にはトトロのDVDと洋画のDVD、そして……昨日からずっと探していたノートが入っていた。 
 念のため、ノートのページをパラパラめくって目を通す。見慣れた殴り書きの文字。頭がくらくらして吐き気がした。

 夜のテンションで書き散らかしたカオスな妄想ダイアリー。
 まるで風呂場の排水溝だ。過去の私から離れた体の一部が、より集まって黒い塊になって、直視できないほどに気持ち悪く育っている。

 へい! 親分久しぶり! そんな能天気な声がノートから聞こえてきそうだ。

 こんなもの朝から見るもんじゃないし、見返すものでもない。まして人に見られるなんて地獄だ。
 ノートちゃん、君はこの世から抹殺しよう。そして金輪際、私はカオスを生み出すことをやめる。
 だからだから、昨日の朝にタイムスリップさせてください、一生のお願いです。
 やっぱり私の日記ノートだった。最悪だ。
 
「ミサキちゃん、本当は僕、髪染めてるんだ。眼も、カラコンしてる」
「え?」
「お母さんがね、僕はこっちの方が僕らしいって言うんだ」
「あ、そういうタイプなんだ」
 いや、どういうタイプなんだ?
 私の頭の中はまだ、日記を見られた恥ずかしさと後悔で大混乱している。

「お母さんが言うように、心の自然体に身体を合わせているんだ。だけど髪は痛むし、眼は乾くし、すごく疲れるんだ」
「ふぅん、なんか哲学的だね」
「ありがとう。これでも僕のこと嫌いにならない?」
 アリエル君は自分のスマホを私に差し出した。
 スマホをのぞくと、黒髪のアジアンなアリエル少年が白目をむいて、太ったコーギーと畳で寝ている写真だった。

「アリエル君、すごい……」 
 すごい生活感。
 私のイメージしていたアリエル王子とマルセル三世の輝かしい日々は、砂の城みたいにひび割れてザラザラと崩れた。
 そして私の頭の中は、何もない空虚な砂地になってしまった。
 
「嫌いになんてなるわけないだろ!」
 後ろから声がして、私の肩は反射的にびくんと跳ね上がった。
 振り向いたら、清水が顔を真っ赤にして立っている。

「アリエル! 僕は君が大好きだ!」
「そうだよ! 私もアリエル君が好き!」
 
 いつの間にかコンタクトを外したアリエル君が、すこし寂しそうに微笑んだ。
 初めてみる黒い瞳のアリエル君は、とんでもないエキゾチックビューティーだ。
 一撃で私のハートは撃ち抜かれて、その場に平伏して床にノートを広げ、めくるめく妄想話を書き連ねて後世に残したいくらいイケメンだ。

 アリエル君は微笑んだまま、そっと私の右肩に手をおいた。

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