――「ニ〇一三年一二月三一日」――


 二三時過ぎ。夜空を眺めていた。

 降り積もった雪は微かに月光を照り返して、真っ黒な外界を神秘的に燈している。

 僕は部屋の明かりを消して星空を眺めながら、今日一日を振り返っていた。
 

 一年の締めくくりは、やはり特別。


 今年も、お母さんがご馳走を作ってくれた。それを三人で囲み、一年間のすべてが笑顔に変わる一日。

 テレビのお笑い番組も相まって、今日は久しぶりにたくさん笑った。頬が疲れるまで笑えたのは、いつぶりだろうか。
 

 ――この頃、憂鬱な毎日が続いていた。


 どこからともなく湧いてくる、理由なき不安や焦燥。

 その根源も分からないまま駆られ続けて、いつしかそれらは、自分の許容範囲を上回るようになっていた。

 勝手に作られる不安が臆病な自分を形作って、新たな目標に挑む気力をなくし、輝かせたい毎日に影を落としていく。

 そんなヘタレで周囲はともかく、何より自分に呆れられる僕。

 ここ最近は、そんな自分の存在価値について考え始めていた。

 
 ――「自分は、誰かのためになれているだろうか? 僕がここに存在する意味なんて、ないのではないか。いつも家族には暗い面持ちばかり見せつけて、負担ばかりかけて」――

 
 いつも心だけ必死で、行動できない。結局、何もできないまま一日が終わる。

 毎日頑張って生きてるのに、今日の自分は昨日の自分よりも醜くなる。


 ――今日くらいは、そんなこと忘れて楽しみたい。

 家族に無理やりでも元気な姿を見せたいと思って、最初は意図的に明るく振る舞っていた。

 しかし、時間が経つにつれて、何のしがらみもなく心からその時間を楽しめている自分に気づけた時は、本当に幸せだった。

 小さい頃は、毎日がそうだったけど。

 
 ――そして今、僕は今年最後の星空を見上げている。


 冬の冷たくて澄んだ空気は、綺麗な星の瞬きを瞳に届けてくれた。

 星空観察が好きな僕は、落ち込んだ日は決まって自分の部屋を真っ暗にして、夜空を見上げる。

 この部屋くらい光のない一日でも、星が綺麗なだけで、その日を色づけられると思えるから。
 
 当初はただ星空を眺めるに留めていたが、せっかく見るならより多くの知識を身に着けた上で見てみたいと思うようになって、最近は星座についても手を伸ばし始めた。

 無数の星の中に、自分で調べた星座を見つけ出せた時には妙な嬉しさがある。

 
 ――オリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンを結んで冬の大三角ができる。

 おうし座のアルデバランそして、アルデバランから西の方へ目を向けると、プレアデス星団が薄っすらと輝いている。まだまだ、入門レベルだが。


 星の光には、凝り固まった心を解きほぐしてくれるような繊細で、どこか心強い力があると思う。

 向こうに行ってみたいって、不思議な気持ちにも駆られる。
 
 確かに僕は、忙しい毎日から距離を置く時間が欲しくて、この時間を設けているという節がある。

 もう一方の理由としては、普段は何気に過ぎ去っていく「時間」について意識させられるからだ。

 
 ――僕たちが目にする星の光は、過去そのもの。


 光はものすごいスピードで移動できるから、普段の生活ではその瞬間の光を見ているかのように思えるが、光にだってスピードがあるということは、遠くの光が地球に届くのにも時間がかかる。

 例えば、地球に届く太陽の光は約八分前の光で、月の光にしても約一・三秒前のものなのだそうだ。

 何気に使っている電気も、スイッチを押した瞬間についたように見えるが、実際には少しのズレがあるのと一緒。

 距離が長くなるだけ、光源からのズレは大きくなっていく。

 
 僕たちは「現在」を生きているのに、空から照らしている光は「過去」のもの。

 そうだとするなら「現在」しか存在しないと思っていた世の中は、実際には「過去」と「現在」が融合した世の中だと捉えることもできるんだなって、星空を見てから感じるようになった。

 
 僕が言いたいのは、「現在」に存在するすべてが「現在」のものであるとは限らない、ということ。


 人の性格にも、同じことが言える。


 人との会話の中で時折感じる「いらっ」という感情。

 それを感じてしまった時、僕は相手が何故そのような発言をする人物に至ったのかを考えるようにしている。

 価値観や考え方一つにしても、全く同じ環境で育った人はいない。ということは、一つのものに対する考えや発言にしても、十人十色というわけだ。

 その人の「現在」の姿が全てのように思えて、不意に苛立ちを隠せなくなる時はあるが、実質それは「過去」の産物でしかない。

 ――そう思えると、どんな発言に対しても自分の中で落とし込めるようになった。

 そしてこれは定番だが、星空を見ることで自分の悩みなんてちっぽけなんだと言い聞かせたいからだ。

 地球は太陽系の一部。太陽系は、天の川銀河の本当に小さな一部分。

 それほど大きな銀河が、宇宙には無数に存在している。

 その宇宙は今もなお膨張し続けていて、人類は宇宙の端を知らない。

 いや、端なんて無いのかもしれない。

 人類が知っている宇宙は、赤外線や数値を基にした仮説がほとんどで、実際に訪れたのは月まで。

 あくまで僕の考えでしかないが、「科学」という一つの手段だけで宇宙を見つめるから、視点が狭くなっているのではないかと、一丁前に思ってしまう。

 科学というのは、この世で起こる現象を人間にも分かる形に翻訳するもの。

 だから、他の手段で訳そうとすれば、また一つ違った世界が広がっているのかもしれないって考えることもできる。
 
 そう考えると、想像を絶するような未知の何かが、僕たちを覆っている可能性だってゼロではない。

 未知のものを創造するのは楽しい。


 それはきっと、未だ「当たり前」に認定されてしまう定説がなくて、可能性が無限大に広がっているのを、形を変えて感じられるからだろうか。

 
「はぁ、なんか疲れてきた……」
 
 頭で考え過ぎて行動が鈍るのは、僕の多すぎる欠点の一つで、「道人は考えるだけじゃなくて、行動してみなきゃ何も分からないじゃない」ってお母さんと妹によく言われる。

 それは正解だと思うし、僕だって重々承知している。分かってはいるが――僕には、それができない。
 
 今の僕にとって、小さい頃にあった夢とか希望の類はとっくに時効を迎えて、「常識」という名の知識によって、一歩を踏み出すことさえ許してくれない。

 取りあえず、今日も平凡に終わってくれればそれで良い、それが幸せなんだって思うようになってしまった。
 
 帰する所、そんな人生に満足できていないのか、僕は嫌な出来事があればすぐに態度に出てしまう、弱い人間でもある。

 お母さん、そして妹の優花だって心苦しい経験をしているはずだ。なのに、二人とも表ではいつも明るい。

 そんな二人は強い人だと日々感心していて、僕もそういう人間でありたいとは思う。

 しかし、なかなかそうはなれない自分が、とにかく嘆かわしい。

 それ故に僕は、二人を影ながら見習っている。 

 見習っても、実践しないことには何も変わらないが。それが、現実なんだ。

「目に見える成果が全て」という現実にも、少し疲れてしまったみたいだ。
 
 考えていると、うつらうつらして気が遠くなってきた。でも、今日は寝ちゃだめだ。

 何故なら、今日はお母さんと優花と僕の三人で、年越しのタイミングでジャンプすると、優花が言ってたからだ。
 
「仕方ないか。そろそろ、リビングに戻らないと」

 ため息交じりにゆっくりと体を起こし、伸びをする。

「ん……」

 ポキポキと、心地良い音が鳴る。

 立ち上がり、暗い足元に気をつけながら自室の扉へ向かう。

 この間、床に落ちた消しゴムを踏んづけた時は地味に痛かったから、余計に注意するようにしていた。

 暗闇に慣れた瞳で部屋の扉を開けると、廊下の電気がやけに眩しく感じられて、思わず目を細める。

 
 ――さながら、あの星のように。


 そう、何の星かはよく分からないが、一つだけとても強い光を放つ星があった。

 その星の輝きが、少し気になった。
 

 その日の夜。不思議な夢を見た。

 どうやら、今から程遠い未来が舞台のようだ。

 
 ――「五五八〇年一ニ月三一日」――

 
 随分と極端な年代設定だな。

 僕は、古めかしい銭湯の受付前にいた。受付のカウンター横にかかったカレンダーの表記からするに、そこは未来の日本だった。

 未来の日本は、整備され尽くした街並みにガラス張りの高層ビルが軒を連ね、車は宙に浮かび、ヒューマノイドなんかが歩いていて――と、よくありがちな情景を想像していた、が。
 
 その街並みは日本史の教科書で見た、古き良き昭和の日本だった。

 どこを見ても、未来の〝メカメカしい物〟は見つからない。

 改めて、古風なデザインのカレンダーに目を細める。


 ――「五五八〇年一二月三一日」――

 
 やっぱり、ここって未来なのか?

 それにしては、時代と雰囲気がうまくマッチしていない。

「いや、まぁこれは夢だから。夢っていうのは何でも起きる空間で、おかしなことなんて何一つない。おかしいって思うことが、おかしいことだから」

 自分でもよく分からないことを言い聞かせながら、どこか懐かしくて温かみのある風景を横目に、歩みを進める。
 
 歩いてしばらくすると、駄菓子屋さんらしき建物が目に入った。

『ラムネ』と書かれた旗が立っていて、この時代に相応しい雰囲気を醸し出している。

 未だに頭が上手く回ってないようなので、何か飲んで頭を冷やそうと思いつき早速、戸を開く。

 
 ――お店に入ると、痩せた体つきに首襟が伸び切った白いシャツを着て、ハチマキを巻いたおじいさんが一人、暖簾の向こう側から顔をのぞかせた。

 
「いらっしゃい。お前さん、見ない顔だな。ま、何にする?」

 慣れた口調で、おじいさんは言った。

 周囲を見渡すと、色とりどりの小さなお菓子の入った瓶が並べてあった。

 全体的に少し「ごちゃっ」としているが、どこか懐かしさもあって良い感じだ。

 しかし、傾き始めた夕陽に照らされる店内にはおじいさんの姿しかなくて、しんと静まり返っている。

 学校も終わる時間帯だろうし、子どもたちの賑やかな声が聞こえても、おかしくないと思うのだが――。

 ラムネ一本を買って、外に出る。

 どうやら、お財布はちゃんとポケットに忍ばせていたようで安心した。

 しかし僕がいつも所持しているそれと比べて、妙に同等の金額が入っているのが現実味を帯びているように思えて、若干身震いする。

 ガラス瓶に入ったラムネは、おなじみのビー玉がからんと涼しげな音を奏でる。

 店前の色褪せた青いベンチに座り、キンキンに冷えたラムネを飲んでいると、幾分か頭が整理されてきた。

 
 そして、何か違和感を覚えているのを自覚する。

 
「この世界、何かおかしくない? 時代と雰囲気が全く合っていないのはもちろんだが……それ以上に、何かがおかしい」


 目と耳をそば立てて、感覚を研ぎ澄ませる。

 
 ――そうだ、街を歩く人の「目つき」がおかしいんだ。

 
 高度経済成長期の日本――世間は活気に満ちていたと、日本史の授業で習った。

 確かに、眼前に広がる街並みは教科書通りで、その風景がそっくりそのまま切り取られているようだった。

 しかし。

 
 この街には、活気なんて全くないに等しい。


 話し声だとか、店主の宣伝文句なんかが聞こえない。
 
 新たな建物を立てたり、工事をしたりといった活気のある音さえしない。


 だって……街並みは既に整いすぎているくらいに綺麗だから。


 古めかしい景色にラメを散りばめたように、どこかまっすぐな昭和の趣を感じ取れない。

「あえてこの街並みに仕上げました」とでも言うような雰囲気というか、そんな感じがする。


 人はまばらだが、歩いてはいる。一人で。


 誰もが皆一人きりで歩き、感情のないような表情を浮かべ、進行方向だけをまっすぐ見て、僕の前を横切っていく。

 
 何か、怖い。
 早く、逃げ出したい。
 

 直接何かをされたわけでもないのに、物事に対してこれほど逃げたいと思うのは初めてだった。

 そんな中、珍しく歩きながら話している二人組が通りかかった。

 周りの人々は、それに蔑むような視線を送りながら、早足で追い越していく。

 揃いも揃って、なぜそこまで拒絶するんだろう。別に、普通のことじゃない?

 その人たちの会話に、耳を傾けてみる。
 
「俺、今の人生設定飽きたわ。フリーダム使って、また別の設定にしてもらおうかなぁ」

「また、フリーダム使うのか。お前はほんと、すぐに今の設定に飽きるもんな」

「おめぇも人のこと言えねぇだろう、この前はアイティー会社の社長になって、今は大工の親方になってるんだからよ!」

「別に良いだろう? 人生ってのは、それぞれの自由なんだから――」

 
 ――え?

 この人たち、何言ってるんだ?


 大工の親方なんか、そんなすぐになれるものじゃない。

 弟子としてたくさん努力して、初めてなれるものなんじゃないのか? 


 ……っていうか『フリーダム』って何?


 いや、きっとあの二人、酔っ払ってるんだ。

 足取りからしてそうだし、丁度仕事も終わって一飲みする時間だろうから。

 僕の数少ない昭和についての知識を基に、そう思うことにする。

 その後も一人だけで歩く人が、視界を横切っていった。

 どこか懐かしくて温かみのある景色とは裏腹に、そこには冷え切った空気が流れ続けていた。

 
 ――ラムネを飲み終えた頃、一人の少女が通りかかった。

 少女と言っても、僕と同じ高校生くらいの風貌。

 少女も一人で歩き、片手には星空写真カバーの本を持っていた。

 彼女も同じく、まっすぐ前だけを見つめて歩いている。

 言うまでもなくその目に活気はなく、感情の一つも感じられない。

 無駄に辺りを見回すことなく、機械化人の如く僕の前を通り過ぎていく。

 
 ――僕は普段、積極的に誰かと会話するような質ではない。

 
「コミュニケーション」という言葉に嫌悪感を抱くほど、人と話すのが苦手。できれば、関わりたくない。

 面倒事に巻き込まれるのが嫌だし、わざわざ自分からその確率を上げる必要はない――そういう思考が先走りして、声が掠れてしまう。

 一方で、こんな自分に話しかけてくれる人に対しては、本当に感謝している自分もいる。


 ――しかしこの世界では、そんな僕がうるさい立場になるくらい静かな雰囲気が漂っているのだ。


 なんだか、むしゃくしゃする気持ちになった。

 それに加えて、さっきの泥酔したおじさん達の話が頭から離れず、どうにも落ち着かない。

 
「きっと彼女なら、しっかりとした『普通』の答えを述べてくれるのではないか」


 自然と、そう思った。

 年が同じくらいだから、勝手な親近感を覚えているのかもしれない。

 少女もきっと、この不思議な時代を生きる人だろう。

 彼女なら、あの二人の話の真偽について知っているかもしれない。

「何なの、『フリーダム』って」

 たとえ彼女にそう思われたとしても、確かめたい気持ちの方が強い。

 きっと、早く安心したかったんだと思う。

 一刻も早く、この気持ちを鎮めたい。
 
 嫌な予想が行動を鈍らす前に思い切って立ち上がり、少女に近づいていく。

 怪しいと思われないように普段、人に話しかけるスタイルで何気ない雰囲気づくりを心掛ける。

 ある程度近づいた。

 話しかけるだけだ。

 なんてことはない。

 大丈夫だ……待って、一呼吸ついておこう。

 自分から話しを切り出すことと言えば、明日の持ち物について心配な場合にクラスメイトに尋ねるくらいだから、これが本当に緊張した。
 
「あ……あの、すいません」

 精一杯の勇気を出して声をかける。

 少女は、途端に歩いていた足をぴたっと止めた。

 しばらくそのままじっとした後、おそるおそるこちらを振り向く。

 そして、必要以上に驚いた表情で僕を見た。

 その目は大きく見開いていて、顔がかなり引きつっている。

 あまりに驚いていたから、僕も動揺してしまった。

「な……なんですか?」

 少し間を開けてから、少女は言った。

 その声は、かなり震えている。

 近くでよく見ると、容姿端麗で茶の混じった黒髪ストレートの少女はかなりの美人で、目を合わせられないほどだった。
 
 整い過ぎた顔立ちに氷のような冷たさを感じる一方、細長いまつ毛の下に隠れる儚い瞳は、彼女の心の底を移しているようにも見える。

 そんな反応に話しかけない方が良かったか――と後悔したが、ここまできたら聞いてみるしかないと腹をくくる。
 
「あの……急にすいません。フリーダムって、何か知っていますか?」 

 その瞬間、彼女の大きく見開いていた目は点になって、僕をじーっと見つめている。

 そうか。

 やはりあれは、よくある泥酔したおじさんたちのおかしな会話で、僕は少女から頭のおかしな人だって呆れられたのか。

 少女にどうかしてると思われるのは気が引けるが、この夢の中の人々は、僕たちと同じ普通の人間なんだと安心できることの方が大きい。

 正直こんなにも突飛な夢を見てしまって、だいぶ焦っていたところだ。

 さっきのお財布の金額といい、妙に現実味を帯びてる部分もあるし――。

 
「え、も……もしかして、フリーダムを知らないのですか?」

「え……っ」
 

 力の抜けた、声にならないような音が出る。

 少女は、そんな僕をよそに話し始める。

「フリーダムは誰しも知っているものだと思っていたけれど……。フリーダムは簡潔に言うと、自分の思い描く人生を、現実に投影する機械です。この世界のほとんどの人、いや、各家庭に一台ずつ国から無償で支給されているものですし、あ……あなたの家には、無いのですか?」
 
 えっ、逆に質問? 

 ちょっと待って、僕の想像してた流れと違う。呆然とする中、何とか言葉を紡ぐ。

「それだと……何もすることなく、物事を現実にできる、ということですか?」

「え……えぇそうですよ。それとも、フリーダムなしでどのように生活しているのですか?」

「えっと、そ、そうなんですね、分かりましたありがとうございました」

 そう言った途端、気がつけば僕の両足は走り始めていた。
 
「ど、どういうこと!?」

「な……なんだ、この世界は。これが未来の地球? いやいや、これは夢なんだからただの空想にすぎなくて、夢の中では何でもありなんだから」

 それにしても、街を歩く人々の冷徹な視線が頭から離れない。

 走っていた足が止まり、両手を膝につく。

 どうやら、身体はだいぶ疲れているらしい。

 全身に悪寒が走り、嫌な汗をかいている。


 別に、夢なんだからそこまで怖がる必要ないのに……。

 
 夕日が雲から顔をのぞかせて、街中を蜜柑色に染め上げた。

 それは嫌な汗をかいた背中を優しく照らす――と、身体を優しく包み込んでいく感触があった。

 感じたことのない包容力と浮遊感とともに、光の中はいつもの家庭の匂いがした。

 正直、この時の記憶は定かでない。

 ただそれはとても懐かしくて、肩の力が一気に抜けていく感覚がしたのを覚えている。

 不思議な夢を見た。

 それは、変わった男の子と話してる夢。
 

 ――「五五八〇年一二月三一日」――


 私はいつもの本屋さんで一冊の本を前に、頭を抱えていた。

『星空観察』という、シンプルなデザインの本。

 星空を見たり、木々を飽きるまで一人眺めたりする時間には、何とも言えない良さがある。

 これまではただ眺めるだけで満足してたけれど、それらについて調べることで、一味違った景色が見えてくるかもしれないと思って、この本を買おうか頭を抱えていた。

 ――その古びた本屋はいつも人気がなくて、店員のおばあさんが一人いるだけ。

 それもそのはず。

 今の時代は、フリーダムがあるから本なんて必要ないと言われる時代。

 フリーダムに頼ってしまえば、星についての一から百までの知識を一瞬で身につけてしまうことなんて、朝飯前。

 しかし第一として、私はフリーダムを信用していない。

 だから、フリーダムを使うという選択肢は、私の中では存在すらしない。

 何故私が、この時代の「普通」に馴染めないのかには、はっきりとした理由がある。

 
 ――私は父や周囲からよく〝変わっている〟と言われる。


 その証拠として、私が本屋に入ろうとすると、周囲のほとんどが軽蔑の眼差しを向けてくる。
 
 そんな私を唯一、見守ってくれる人がいた。それは、私の母。

 母は父とは正反対の性格で、本が好きな私を尊重してくれて、よく絵本を読み聞かせてくれた。

 母も珍しく、本が好きな人だった。

 何故そうだったのかまでは、分からない。

 今思えば、聞いておくべきだったかな……過去を思い出すだけ、後悔に苛まれるから。

 取り分け、私は星や歴史をテーマにした絵本が大好きだった。

 これといった理由はないが、あえて上げるとするなら、どこか惹かれるものがあったから、だろうか。

 
 ――幼い頃、私は「おかあさん、むかしの世界に行くことはできるのー?」って聞いたことがある。

 今思うと、変な質問だけれど。

 お母さんはそんな突飛な問いかけに対しても、丁寧に返してくれた。

「いいえ、過去の地球にも未来の地球にも、行くことはできないの。私たちは今を生きることしかできない。その代わり、過去のことも未来のことも、フリーダムを使えば分かると思うよ。でもね、お母さんはそれがすべてではないと思うの」
 
 丁寧に言葉を紡ぐように、よく考えながらお母さんは続ける。

「お母さんはね、本を読んで自分で考えてみるのも、大切なんじゃないかなって思うの。そうしないと、人の存在する意味がなくなる気がしてね……。そうすればきっと、大切な何かを知ることができるって、なんとなく信じてるの。ごめんね。今はまだ、アカネには難しいお話かもしれないね」

 私は、今では出せないような、一段と明るかった声音で言った。

「ううん、あかね分かるよ。あかね、えほん読むの大好きだもん!」
 
 その言葉を聞いたお母さんの嬉しそうな表情には、不安が入り混じっているようにも見えた。

 どうして、そんな表情をしたのか。

 けれど、そこまで幼い時の記憶を今でも鮮明に覚えているのは、確かだった。

 私はそれからも極力、「フリーダム」ではなく「本」で知識を得るようにしていた。
 

 ――しかし、母はもういない。


 原因不明の事故に遭い、フリーダムにお願いしても、母を助けることはできなかった。

 それから、私は変わってしまった。

 フリーダムが大嫌いになった。


 全ての病気や怪我を完治できると言われていたあのフリーダムが、母を救わなかったから。
 

 その日を境に、この先どれだけ苦労しようとも、フリーダムの力は一切使わないと心に誓った。
 
 私はそれ以前から、フリーダムに対して不信感を抱いていた。

 ――何故なら、フリーダムは私と母に対し、他の人とは明らかに違う扱いをしていたから。

 私と母は一度、「過去について知りたい」とフリーダムに入力した。

 歴史書だけでは不可解な点も多くて、その点についてどうしても知りたかったからだ。

 フリーダムに入力すると、一冊の本が私たちの前に現れた。


 ――しかし、本には何も書いてなくて、中のページはただの白紙だった。

 
 その質問をしてからというもの、私と母からの要望は一切聞かなくなる時期もあった。

 そんな事例は、他に聞いた試しがない。

「故障か?」

 お父さんも驚いて、一から修理してもその状態は全く改善されなかった。
 
 きっと、フリーダムに対して過去について聞いていたのは、私たちくらいだろう。

 今の時代、人々は過去よりも未来を大切にするのが価値観になっている。

 そのことから、フリーダムは故障ではなく、私たちに何かしらの脅威を感じているのではないかと考えるようになった。
 
 フリーダムは今や全ての領域で、人知を軽々と超えている。

 フリーダムと人類の差が今日も少しずつ広がっていると考えると、恐ろしくて仕方ない。

 周囲や世間一般はそんな私に対して、いかにも理屈っぽい理由を下にバカバカしいと言い放ち、軽蔑する。

 
 いずれにしても、フリーダムは母を〝守れなかった〟のではない、〝守らなかった〟のだ。

 その理由は、未だ分からない。

 それを明確にするためにも、本を読み続けている。

 フリーダムに対抗できる唯一の策だって考えてるし、信じてるから。

 
 ――またそんなことを思い出していると、本を読む手が止まっているのに気づいたのだろうか、おばあさんが話しかけてきた。

 
「あなた、お若いのに、いつもここに来ているわよね? お客は、あなたくらいしかいないから。いつも、ありがとうね」

 見慣れているおばあさんだけれど、話しかけられたのはこれが初めてだった。

 いざ話しかけられると、どう答えたら良いのか分からなくなって、一気に背中が熱くなった。
 
 おばあさんは、おろおろしている私の手元を見つめて、穏やかな口調で話し始める。

「星空に興味があるのかい? 良いわねぇ。いつも来てくれているから、それはあなたにあげるわ」

「え、いや、いいです。ちゃんと代金は払いますから」

 お財布を出そうとした私の手を止め、おばあさんは言った。

「あなたそのお金、自分で努力して稼いだでしょう」

「えっ……」

 思わず、掠れた声が出る。おばあさんは続けた。

「今はフリーダムがあるから、お金になんて困らない。フリーダムを使えば、ここにある本の全てを買うことだってできるのに、あなたはその一冊を買うだけで、とても迷っていたからねぇ。そんなあなたの、力になりたいと思ったのよ」
 
 驚いた。

 この人も、〝この世界にお金が存在する意味のなさ〟が分かる人なのかと感激したからだ。

 私はその本を素直に受け取り、「ありがとうございます」とお礼をして本屋を後にした。

 
 ――そう、フリーダムがあれば億万長者にだってなれる。


 実際、私の周りでもそうなってる人が結構いる。  

 しかし、たとえお金持ちになったとしても、その生活に飽きが生じてくる人が多いらしく結局、以前の質素な生活に戻っている、というのがありがちなパターン。

 
 フリーダムの力を一切使わなくなり、気づいたことが一つある。


 それは、「この世界において、お金が存在する意味はない」ということ。

 フリーダムの力さえ使ってしまえば、お金はいくらでも手に入る。

 お金はいくらでも手に入るから、あってないようなもの。

 それでもこの世界には、意味もなく「お金」という概念が存在する。

 そしてみんな、それを当たり前のように使ってる。

 
 何故ならば、それがいわゆる「普通」だから。

 
 この世界には、普通ではない「普通」が存在する。

 
 ――帰り道。


 おばあさんの言葉を、何度も回想していた。

 おばあさんの言葉で、もう一つ引っかかるものがあったからだ。

 私は、おばあさんが言っていた『努力』という言葉を耳にしたことがなくて、その言葉の意味が分からなかった。

 家に帰ったら、辞書で調べてみようと思っていたその時。

 
 男の子に、出会った。

 
「あ……あの、すいません」

 背後から話しかけられ、何かに撃ち抜かれたようにびくっとする。それもそうだ。

 見ず知らずの人に突然話しかける人なんて、まずいない。


「最初は何も話さずに、その人の詳細について十分把握した上で話しかける」という接し方が「普通」なのに、その人は、この世界の暗黙の了解を一切無視して話しかけてきた。

 
 しかしいつものように冷たく接して、早く会話を切り上げようとも思えなかった。

「普通」を通り越した男の子に対して、何かしらの好奇心が湧いたからだろうか。

 その男の子は、雰囲気というか何かが違った。

 何が違うのか、はっきりとは言い表せない。

 それなのに、声を聞いただけでそう感じるのはどうしてだろうか。

 でもなんだろう、生き生きしているというか――本能的に、そう思えた。
 
 勇気を振り絞っておそるおそる振り返ると、セットされた少し長めの黒髪に、ほっそりとした体つきの男の子が困惑した表情で立っていた。

 見た目からして、私と同じくらいだと考えられる。

 とても心配そうな顔をしてこちらを見たり、ぎこちなく目を逸らしたりしている。

 
 ――どうして、私は逃げないんだろう。

 怖いなら、逃げれば良いのに。


 しかし、一見不穏に感じるその人の雰囲気は同時に、異様な温かみを帯びているようにも見えた。


 その雰囲気が、私に二つの気持ちを突きつけてくる。

 
 一つは瞬間的に感じた、逃げたいという単純な気持ち。

 そしてもう一つ。

 
 それは、男の子の圧倒的な違和感からくる、私が探し続けている問いの答えを知っているのではないか、という淡い期待。

 
 二つの感情を総合的に吟味した結果、話してみようという考えに至った。

 考えたのは時間にして多分、十秒くらい。

 唇の震えをなんとか落ち着かせて、声を絞り出す。

「な……なんですか?」

「あの……急にすいません、フリーダムって何か知っていますか?」

 
 頭が真っ白になった。


 え……。

 どうして、「普通」を知らないの?

「え、も……もしかして、フリーダムを知らないのですか?」

「えっ」という表情が、返事として返ってくる。
 
 やっぱり、もしかして……。

 いや、冷静に考えないと。

 記憶喪失かもしれない。

 変わった人とこのまま話すのは気が引けるけれど、気がついた時には既に、フリーダムの説明を始めていた。

 頭の中が渦巻いている中、なんとか噛み砕いて説明し、その人のおかしな質問にも答えた。

 しっかりと答えられただろうか。正直、自信はない。
 
 取りあえず、一通りの説明はできた。

 よし。次は流れからして私が質問する番だよね――と思ったのも束の間、男の子は走って逃げてしまった。

「えっ……ちょっ、ちょっと待って! 私もあなたに聞きたいことが――」
 
 そんな心の声が届くはずもなく、人影はどんどん小さくなっていく。

 余りに瞬間の出来事で、言葉を声に置き換える時間さえ与えてくれなかった。

 もう一度、『星空観察』の本を見つめる。

 
「お母さん、私……間違ってないよね」

 
 顔を上げて、空を見る。

 この街を黄金色に染め上げていた夕焼けは、暗くて汚いピンク色に変わり始めている。

 今日もため息一つの夜が来るのを、告げているようだった。
「わっ!」と目が覚める。すぐに、本棚の上のカレンダーを見る。


 ――「二〇一四年一月一日」――
 

 念のため、もう一度確認する。


 ――「二〇一四年一月一日」――


 それを見て、ようやく一息つく。

 布団をよけて、いつものように「ふぁぁ……」と誰にも見られたくないようなあくびをした後、毛布とタオルケットを整えながら、夢の一つ一つを思い返す。
 
 ――未来にいた。

 それも、「五五八〇年」に。

『フリーダム』か。

 努力しなくても、夢が現実になる機械。確かに、夢みたいな代物なのかもしれない。

 しかしそれは、人の存在意義を消し去ってしまうのではないか。

 それにも関わらず、夢の中の人々はそれを当然のように使い、思い描く人生を現実にしている。

 それでも、やはり興味はある。それを使えば、今の悩みなんて……。けれど。
 
 夢はただ現実にすれば、良いものではない。

 夢というのは努力して、自分の力で叶えるものだからこそ、偉大なものなのだから――と何かの綺麗ごとのように、一丁前に思う。

 スポットライトに照らされた状態で金言を言っているかのようで、我ながらすごく恥ずかしいことを妄想しているように感じたから、心の中ですぐに取り消した。
 
 僕は努力できる人間ですかと聞かれて、「はい、できます」などと胸を張って言えるほどの質ではない。努力はできる。

 でも今は、それ以前に努力を向けるべき対象が分からない。 

 そんな僕が、偉そうな素振りなんて取れるわけがない。

 それにしても、あの時代はなんだか気持ち悪かった。

 
 ――「当たり前」という概念は、時にとても恐ろしいものになる。


 歴史を見ていたってそうだ。

 その時代の風潮に流されて、周りの影響と自分の考えの境界が曖昧になり、恵まれた才能を有しておきながら、まともな判断をするための物差しが欠落したことで失敗した人物はたくさんいた。

 対して、その時代の当たり前の概念が、新しい事柄を始めようとした人々の脅威となり、生み出されなかった瞬間も多かったように思う。
 
 僕は自分を見失いたくないな。自分のはっきりとした意志がない今となってはもう、見失っているのかもしれないけれど。

 頭の中で一言の感想を綴って、部屋の扉を開ける。
 
 でも、不思議だ。

 いつも見る夢は、起きた後には夢を見たこと自体は覚えていても、内容は忘れているか断片的に覚えているだけなのに。

 知人が夢に出てきたが、その人の服装までは覚えてない、みたいな。

 対して今日の夢は、細かい部分まで鮮明に記憶されている。刺激が強すぎたのかもしれない。

 ――そんなことを考えながら残り一つの伊達巻を食べていると、僕の向かいに座り紅白かまぼこの白を箸でつかむ優花が、心配そうな表情でこちらを見ているのに気がついた。

「お兄ちゃん大丈夫? 起きるの遅いし、元気ないし。初日の出、すごく綺麗だったのに。お兄ちゃん、全然起きないから」

 え、そんなにぐっすり寝てたのか。それより、また優花に心配をかけて申し訳ない。
 
 妹の優花は中学一年生で勉強、水泳と二刀流の文武両道。クラスの模範的な存在で、男女関わらず人気があると、遊びに来ていた優花の友人が母に言っていた。

 普通なら、兄である僕に反抗してきてもおかしくない年頃だ。

 対して彼女は、この年になっても小さい頃と変わらず、とても優しくて明るい性格の持ち主だった。

 まるで絵に書いたような妹の存在は、嬉しさと同時に兄としての威厳を惨めにしていた。 

 クラスで人気者の彼女が兄について聞かれた時、何一つ取り柄のない僕をどのように説明しているのだろう。

 優花が笑って誤魔化す姿を想像するだけで、苦しくなっていく。
 
 そんな妹に余計な心配をかけてしまっては、本当に申し訳ない。

「いや、大丈夫だよ。ありがとう。ちょっと、変わった夢を見てさ」

「変わった夢……へぇ、ちなみに、どんな夢?」

「僕、未来にいたんだ。それも五五八〇年の話でさ。なんか、変わった世界で――」と大まかに説明していった。
 
 ――一通り話し終えた後。

「でもさぁ、未来に何が起こるのかなんて、誰にも分からないよね。お兄ちゃんが言ったこと、未来には現実になってるかもしれないし。私だったら、何頼むかな」

「そうかもね。だけどさ、こんな未来が待ってるって思うと、なんか怖くない?」

「どうして?」

「人が、人じゃなくなるみたいだから」

「うん、確かに、それは言えてるかも。夢っていう概念自体もなくなっちゃうからね。私もそれは、嫌だな」

 僕たちが話してると、洗濯を終えたお母さんは台所で朝食の片付けに取りかかろうとしていた。

「二人とも話すのは良いけど、食べたらお皿下げなよー」
 
 時を同じくして、壁掛け時計の小さな扉から小鳥が飛び出す。針は二本とも、上を指している。

「ちょうど一ニ時か、もうお昼だね」

 僕がそう言うと、優花は机上にあるリモコンを手に取り、「せっかくだし、お正月番組見ようよ」と言ってテレビをつける。

 少し経ってから、テレビから賑やかな声が聞こえてくる。お笑い番組だろうか。

 それを聞いて、「やっと、現実へ戻れた」と実感できた。 





            ※





「はっ」と目が覚める。本棚の上のカレンダーを見る。

 
 ――「五五八一年一月一日」――


 カプセルの自動扉が開いて、いつものように伸びをする。カーテンを開けて、外を見る。

 今日も変わらない、外気温二二度、湿度六〇パーセントの世界。

 今年もまた一年、過去が増えた。


 ――今日の夢を思い出す。変わった男の子と、出会う夢を見た。
 
 フリーダムを知らない、あの男の子は何者なんだろう。きっと、彼は私と同い年くらい。

 それにしても、彼は何かが違った。

 とある噂によると、昔を生きた人類は、今では普通となったフリーダムが存在していない世界で生きていたらしい。

 私がそんな過去の人類にフリーダムを説明する場合、きっと夢の中で言ったのと同じような説明をすると思う。

 
「フリーダムとは自分の人生だとか、ある程度の願い事を、現実に投影する機械。使い方は簡単で、自分の希望なんかをフリーダムに入力して、フリーダム本体から出ているケーブルの先端についているシートを頭に貼り付けてスイッチを押す。その後の世界では、自分で入力した事柄が現実になっている」

 
 ある程度の事柄は可能なものの、何でもこなせるというわけではない。変えられないものもある。

 例えば、他の人に不利益を被ることだとか、自分の見た目や性格を変えること、はたまた命に関わる運命を変えること、過去や未来に行くなどだ。

 まだあるのだろうけれどしばらくの間、使ってないから忘れてしまった。

 まぁ、全ての人が尊重されて満足のいく世界で、そんな事柄を変えたいと思う人は、私を除いていないと思うけれど。
 
 あの男の子は本当に、フリーダムを知らないのだろうか。からかってただけかな。いや、あの困惑した表情は、本当に知らなさそうだった。

 私の方から質問したいこともあったのに、何故か逃げられた。何か悪いことしたかな……私。

 というか、どうして私は夢をまるで現実に起きたことのように捉えているのだろう。

 それに、ここまで夢の内容を覚えていた試しはない。第一、普段は夢さえ見ないのに。

 
 ――しかし、この夢を見て一つ気づいたことがある。
 

 それは「今、私が生きている世界が普通だとは限らない」ということ。

 宇宙は無限である以上、他の星には私の想像もつかない世界が広がっているのかもしれない。

 何度も言うように、私は太古からあるとされる、本を読むのが好きだ。

 その中でも、歴史書などには特に関心がある。

 歴史書を見ると、今の世界がどのように形成されたのかが見えてくるから。

 
 ――約千年前から百年前にかけて『千年戦争』が続き、人間と機械人の対立による戦争が続いた。

 死闘の末、勝利したのは人間だったものの、多くの仲間を失い苦しい状況だった。

 何人かの優秀なエンジニアたちは、そんな「未来への希望を失った人々のために何かできないか」と、辺りに散らばった機械の部品を見て、フリーダムの構想を練り始めた。

 
――「これはただの〝機械〟ではない。人間の幸福を真に追求し、それを実現する〝機会〟を与えるものだ」――

 
 という少し長めのキャッチコピーと共に、フリーダムは大ヒットを記録し、その存在が当たり前のものにまでなったのだという。

 ある人が持つと他の人が不利益を被るのを踏まえて、各国の政府も支援に乗り出し、各家庭に一台は備え付けられるものまでになった。

 ある時、フリーダムを使用すると、何かしらの副作用があると噂になったらしい。

 しかし、「それは虚偽の報告だ」と当時の政府や世界の機関は宣言したと記されている。

 
 ――今日見た夢を、現実と仮定して考えてみよう。

 男の子が実在するとして、彼はフリーダムを知らなかった。

 とするなら、彼は私よりもかなり離れた時代を生きた人だということになる。

 もしも彼が千年戦争以前の地球を生きた人だとすれば、男の子に対する違和感の答えがあるのではないか。

 そして、それが副作用ではないだろうか。
 
 私が歴史書を見ている時、父は「過ぎたことは考えないで、未来を大切にしなさい」と決まり文句のように言っていた。

 まるで、フリーダムを擁護するかのような発言。私は、それが大嫌いだ。その言葉を聞けば聞くほど、過去を知りたくなった。

「そうだ。おばあさんが言っていた、『努力』の意味を調べてみよう」
 
 それが、何かにつながるかもしれない。

 今日は歴史書ではなくて、日に焼けて黄色くなった国語辞典のページをめくる。
 優花と夢について話した日の夜、雲一つない新月の夜空は、星々の瞬きを引き立てていた。

 綺麗な星空に照らされながら寝床につくと、僕はまた夢の中にいた。

 フワフワとした、なんとも言えない浮遊感があるから、そう認識できる。

「この景色、見たことあるような……」

 窓の外には日本史の教科書に描かれた、高度経済成長期の日本の街並みが見える。

 外へ出ると、背後には暖簾に『ゆ』と書かれた、湯気の立ち上る建物が立っている。

 再び銭湯に戻り昨日と同様、カウンター横のカレンダーを見に行く。


 ――「五五八一年一月一日」――


「これってもしかして……昨日見た夢の、次の日の夢?」

 夢はしっかりと、時系列になっていた。

 夢の中で夢のことを思い出すという、何とも言えない感覚に陥っていたが、その感情はすぐに恐怖へと変わる。

「やっぱり……またあの変な世界に来たのか」

 頭を抱えながら、暗い面持ちで外に出る。

 これくらい暗い方がこの世界にとっては丁度良いのではないかと感じて、余計に恐怖を増幅させた。

 ――次に行く先は、既に決まっていた。そう、ラムネの旗が立った例の駄菓子屋さんだ。

 思い返してみると、向こうから僕に話しかけてきた人は、あの駄菓子屋さんにいたおじいさんだけだったはず。

 現時点において、かろうじて話しやすそうな人物は、あのおじいさんだけだ。だから、もし同じ夢を見たら駄菓子屋さんへ足を運んでみようと決めていた。
 
 不安は募る一方だが、この夢を二度も見るのには何かしらの理由があるのかもしれない。

 それを知るには、この世界について、もっと理解する必要がある。

 ――そんなことを考えながら歩いていると、あっという間に駄菓子屋さんの前に着いた。
 
「よし、おじいさんに話しかけよう」

 お店の出入り口に向かって歩き始めようとした、その時。

 ――背後に、妙な気配を感じた。

 物理的な気配ではなくて、感覚的な気配。おそるおそる後ろを振り向いてみる。
 
 そこには、少女がいた――黒髪ストレート、整い過ぎた顔立ちに儚い瞳。
 
 それは、僕が勇気を振り絞って話しかけた、あの少女。

 僕の方を見向きもせず、少女は僕よりも先に駄菓子屋さんの戸に手を添える。何か、買おうとしているのだろうか。

 
 しかし、戸を開こうとはしなかった。


 しばらくじっと戸を見つめた後、僕の目線に違和感を覚えたのか、ぎこちなくこちらを見た。
 
 視線がぶつかった瞬間、彼女の機械のように一定だった動きが急に乱れた。

 少女は何か迷っているような、ぎこちない表情を浮かべている。

 僕から話しかけた方が、良いだろうか。

 しかし、これ以上自分からぐいぐい行ってしまえば、相手に威圧感を植えつけてしまう恐れがある。それじゃあ、どうすれば――。
 
「あの……昨日ここでお会いしましたよね。私は、No.五五六三―〇一〇五―〇一のアカネ アマツキと言います」

 ……な、ナンバー!? なに、それ? 

 もしかして彼女って……人間の見た目をした最先端のヒューマノイド、みたいな?

 いや、でもその割にはすごくぎこちないし、今にも泣き出しそうな表情を浮かべてるし――すごく、人間っぽい。

 彼女が人間だとして、どうしてそこまでして話そうとしているのかは、分からなかった。ただ、とても申し訳ない気持ちになる。

「僕は、神山 道人です。昨日はその……自分から話しかけておいて、急に逃げたりしてしまって、本当に申し訳ありませんでした」

 急に話しかけておいて勝手に逃げるという、失礼な態度を取ってしまったことを今更自覚して、咄嗟に頭を下げた。身勝手にもほどがあるよな。

「いえ、気になさらないでください。それよりも、急なのですが、質問させていただいてもよろしいですか?」

 彼女は、手のひらサイズの小さな機械を手に添えて言った。

「あっ、はい、良いですよ。その前に……一つ、良いですか?」

「はい、何でしょう?」

「先ほどおっしゃってた『ナンバー』って、何ですか?」
 
 すると、彼女の冷たかった瞳は昨日のようにまん丸になった。

 そして眉をひそめ、困惑した表情を浮かべながら、くぐもった声で静かに呟く。

「……ナンバーを聞かずして、どうやって相手を判別するのですか?」

「判別?」

「あ、あなたはナンバーを持ってないのですか?」

「いや……僕は、名前しか持ってなくて」
 
 彼女は頭を抱えながら、ぶつぶつと独り言のように何かを呟いている。

 しばらくして、時折声を裏返しながらも慎重に言葉を紡ぎ出す。

「カミヤマさんは、フリーダムの存在を知らないとおっしゃっていましたよね? それは……あなたがこの世界の人ではない、ということになるのではと考えたんです……ごめんなさい、私、変なことを聞いてしまって」
 
 ――そうだ、僕はこんな時代を生きている人間ではない。

 そうか。彼女からすれば、僕は過去の人間という立ち位置になるのか。

「……そうですね。僕にとってこの場所は未来の世界で。なんていうか、その……僕はこの世界から三千年以上前を生きているんです。なので、フリーダムなんて見たことも聞いたこともなくて――」
 
 それを聞いたアマツキさんは、目を見張るように僕を見つめたまま、震える口元に手を当てている。

 まるで、何かみっともないものを目にしたかのような素振り。

 その体勢のままぴたっと静止していた彼女は、途端にふらついてその場に膝をついた。そして、再び独り言を呟いている。
 
「え、ちょっ、ちょっと待って、そんなことって……。あ、あり得ない、あり得ない、あり得ない――」

「ちょっ……ちょっと、大丈夫!?」

 僕は慌てて手を差し伸べる。

 アマツキさんの表情は、話し始めた時とはまるで違った。

 血の気がなくて、一方できらきらした希望を抱いているような、とても普通とは言えない表情をしている。正直、少し怖い。

 膝をついて制服のスカートが汚れたことなど気にも留めず、自力で立ち上がり唐突に質問してきた。
 
「それじゃあ、カミヤマさんは過去を生きている人ってことですか? そうだよね、そうなんですよね! もっと、いろんなこと教えてほしいです!」  

 ちょっと待って、さっきとだいぶ雰囲気が……。

 本当は結構、明るい人なのかな。ちょっと怖いけど、元気出たみたいで良かっただろうか――なんて安堵していると、隙をつくらずに質問を投げかけてくる。
 
「その時代は、どのような世界なの?」

「フリーダムを使わずに、人々はどうやって生きているの?」

「三千年前の文明について教えてほしいです!」

「この時代の人と三千年前の人を比べて、どこか違う点はありますか?」
 
 ちょっと待って……。

 でも、どこか嬉しそうで安心した。出会った時は、なんかすごく嫌そうだったから……。

 なんだか、この時代に来て初めて、安心して呼吸できるようになれたかもしれない。

「わ、分かりました。一つずつ答えるからまずは落ち着いて……」

 周りの景色に目を移すくらい余裕が生まれてくると、夕日が街を薄めの橙色に染め始める時間帯であることに気がつく。
 
 その光が雲を抜け出して、駄菓子屋さんの窓を反射し――僕の目を直撃した。
 
「わ、目が……」

 思わず目をつぶる。痛い目をこすりながら開くと――僕の身体は、その光りに包まれたように白く透明になり始めていた。
 
 ――誰かの叫んでいるような声が、微かに聞こえる。

 淀んでいく景色の中、目を凝らす。

 その先には、顔を真っ赤にして叫ぶアマツキさんがいた。

 しかしその声は、その剣幕と反比例するように、小さくなっていく。

「もし――会えたら、いろ――こと――教え――いつでも――場所――いる――」
 
 アマツキさんがどういう人なのかは、見当もつかない。

 でも、分かることが一つある――彼女は何かに、怯えている。

 それが何かは分からないが、助けを求められているように思えた。僕はそれに答えようと、叫んだ。

「分かった! もし来られたら、ここに、必ず来るから!!」
 
 光は強さを増し、僕を容赦なく包みこんでいく。

 そこからは、よく覚えていない。

 ただ以前と同じように、こわばっていた肩の力が抜けていく感覚があった。





            ※





 夢の中。

 いつものように、帰り道を一人で歩いている。

 
 ――「五五八一年一月一日」――


 昨日、『星空観察』についての本を読んでからというもの、実際に星空を見たくなってしょうがなくなった。

 ――そして、今日の帰り道。

 そのまま家に帰ろうか、薄暗い空き地で星空を見に行こうか考えていた。
 
 でも、寄り道して帰りが遅くなれば、お父さんにまた何か言われるのがオチ。

 まぁ、どうでも良いか。とにかく私は、星空を見たい。
 
 ということで、空き地へ向かうことにする。時計を見てみる。

「一六時四〇分」

 このまま空き地に行けば、お腹が空くのは必然。

 空を見上げる。日が暮れ始めた夕空には、西の雲が鮮やかな蜜柑色と混ざり合っていた。
 
 あと一時間もすれば、日は完全に沈む。

 すぐに空き地に行きたい気持ちはやまやまだけれど、ここは急がば回れだ。一旦、駄菓子屋で軽食を買ってから向かうのが吉だろう。

 若干急ぎ足で駄菓子屋に向かう。せっかくだから早めに空き地へ行って、日が沈む様相も見届けたいと思った。

 
 ――いや。それは嘘……なのかもしれない。


 正直、あの男の子が今日もいるのではないかと淡い期待が募り、私の歩みは自然と速くなっていた。
 
 後から苦しむくらいなら、根拠もない期待なんてしてほしくない。

 でもどこか、ときめいてしまう自分がいる。もし会えたなら、質問してみたいことがたくさんあったから。

「確か駄菓子屋には、おにぎりとかもあったよね。何にしようかな。できるだけ、安く済ませないと」

 などと気を紛らわせていると、あっという間に駄菓子屋の前に着いた。
 
「別に期待はしてない。だから、すぐにおにぎりを買って、空き地に向かうんだ」

 そう思うように意識して、周りにいる人々にはあえて目を向けないようにした。

 自分の中で生まれた勝手な期待を裏切られるのが怖くて、視界を覆いたくなった。

 
 ――しかし。

 不意に誰かの視線を感じてしまった。私は〝意識して〟気にせず歩き続ける。


 いつものように、駄菓子屋の扉前に立つ。取手に手を添えて、扉を引いて中に入る――。
 
 手に力が入らない。

 どうしてだろう。いや、答えは分かってる。ただ……認めたくないだけ。

 こんな夢を見てしまったばかりに、自分の弱い部分を実感することになってしまって、自分でも不甲斐ない。

 戸を開けるのは……諦めよう。
 
 今の私には、この先を一人で進む自信はおろか手段さえ尽きそうだ。でも、振り返るのも怖い。

 もし期待とは違う結果だったら。悲しい気持ちになってしまったら。また、一人になってしまったら――。
 
 私はいつも表では強がってるだけで、実際はフリーダムが作る未来だってお母さんを失った過去だって怖くて、結局は鮮明な「今」に留まっていただけだった。

 怖い。だけど。

 前へ進むには、行動しなければならない。

 お母さんが言っていた、本当に大切なものを見つけるためにも。


 だから私は、振り返った。

 
 ――私の期待は、私を裏切らなかった。

 そこにいたのは、あの男の子。少しの間、ほっとした。

 しかし、その感情はすぐに焦りへと変わる。

「これって、私から話しかけた方が良いのかな。いや、でも、どうやって会話切り開くべきかなんて、分からないし……」

 完全に人との関係を断ち切っていた私は、自分でもびっくりするほど、人と話せない状態になっていた。

 私を軽蔑してる人は多くて、学校でも、家でもあえて人と話さないようにしていた。

 そうすれば、自分が傷つく心配もなくなるから。
 
 いやしかし、先日はぎこちないながらも図書館のおばあさんとは話せた。

 でも、やっぱり……怖い。

 この男の子の独特な雰囲気が、私のそういう気持ちを余計に強めているのかもしれない。

「落ち着いて……こういう時って、最初は自己紹介をするのが、妥当な流れよね」

 男の子も、何か困ってるようだし……。
 
「よし、今日は私から話しかけてみよう」

 そう決心して、震える唇に力を加えて落ち着かせる。

 緊張と安心感の両極端な感情が一気に押し寄せて、私の目はまた潤んでいた。

 
 ――泣いている自分は、好きじゃない。

 人に弱々しい姿を晒すのは、すごく嫌だ。
 それは、私を軽蔑する人たちの、格好の餌になるから。

 だから私は、何とか潤んだままの状態を保った。今までもそうしてきた。

 でも……こんなことで怖気づくなんて、私は自分が想像している以上に、臆病な人間なのかもしれない。

 
「あの……昨日ここでお会いしましたよね。私は、No.五五六三―〇一〇五―〇一のアカネ アマツキと言います」

 よし、なんとか言えた。

 それから男の子は微かに安心した表情――になって欲しかったのだけれど、かなり戸惑った顔つきへと変わってしまった。

『カミヤマ ミチヒト』という名前らしい。

 昨日、突然逃げてしまったことへのお詫びもしてきた。できればその理由も知りたいけれど、まぁ良いかな。

 自己紹介されたからには、「カミヤマさん」と呼んで良いのだろうか。でも、その前に。

「急なのですが、質問させていただいてもよろしいですか?」
 
 ――どうして彼は、『No.』を言わないの?

 私が勇気を振り絞って、彼に話しかけた理由。

それは、彼が生きている時代について知りたかったから。

 でも、それ以前に、No.を知らないと話にならない。

 私は早速、『対象人物分析システム メンタルビュワー』を手に取り、起動させる。

 これは、相手のNo.を入力することで、その人の詳細を知るための機械。

 いつでも取り出せるように、この世界の人にとってはお財布と同じくらいの必需品。

「あっ、はい、良いですよ。その前に……一つ、良いですか?」

「はい、何でしょう?」

「『No.』って、何ですか?」
 
 ――えっ!? この人、本当に、なに? 

「普通」が、全く通じない。

「……No.を聞かずして、どうやって相手を判別するのですか?」

「判別?」

「あ、あなたはNo.を持ってない……のですか?」

「いや……僕は、名前しか持ってなくて」
 
 No.を持ってない……?

『No.』は、生まれた時に誰もが与えられる数字。

 効率良く管理するために、『千年戦争』が終わった頃から採用され始めた。

 最初の四桁は生まれた年、その次の四桁は生まれた月日、最後の数字はその日のうち、何番目に生まれたのかを示している。

 彼はそんな「普通」を知らない。

 この前も、そうだった。フリーダムを知らなかった。

 万が一にも、彼が記憶喪失ではないとしたら。

 きっと彼は――私たちとは違う概念を持った人間に似た生物か、違う文明を生きた人類ということになる。

 でも、彼はどう見ても人間。失礼だけど、少しおかしな人間。だから――。
 
「カミヤマさんは、フリーダムの存在を知らないとおっしゃっていましたよね? それは……あなたがこの世界の人ではない、ということになるのではと考えたんです……ごめんなさい、私、変なことを聞いてしまって」

 こんな質問をして、おかしな人だと思われるのは分かってる。

 でも、これは確認しておかなければならないことだった。それに、カミヤマさんだって十分おかしい。


 ――彼が他の人と同様、私を軽蔑の眼差しで見つめてくる姿が頭に浮かんで、心を身構える。

 
 返答に困っているのか、彼は私から少し視線をずらしてだまっている。

 やっぱり、おかしい人だって、思われただろうか。
 
 しばらくして、彼は一呼吸おいてから話し始めた。

「……そうですね。僕にとってこの場所は未来の世界で。なんていうか、その……僕はこの世界から三千年以上前を生きているんです。なので、フリーダムなんて見たことも聞いたこともなくて――」
 
 えっ……。今なんて、言った?

 もう一回、聞きたい。
 
 でも、だめだ。

 全身に力が入らなくなっている。

 これが呆気にとられるということなんだなと実感しながら、膝から崩れ落ちた。

 無意識に何かを呟いている。自分でも何て言ってるのか、よく分からない。

「ちょっと、大丈夫!?」――カミヤマさんの心配そうな声が、微かに聞こえる。正直、この時については、それくらいの記憶しかない。

 少なくとも、今までに感じたことのない感情が、私の心を支配していたのは確かだ。
 
 自力で立ち上がる。胸の奥からこみ上げる気持ちをなんとか落ち着かせて、口を開く。

「それじゃあ、カミヤマさんは過去を生きている人ってことですか? そうだよね、そうなんですよね! もっといろんなこと教えてほしいです!」
 

 ――「そうだよ」って、言ってほしい。


 はじけちゃって、馬鹿みたいだな、私。

 もちろん、恥ずかしい。
 他人に突っ込まれるようなことを、自らひけらかしているようなものだ。

 でもそれ以上に、今はもっとたくさんのことを知りたい。

 知りたいことが次から次へと浮かんできて、彼に質問をぶつける。

 ここまで自分がうるさい立場になったのは、生まれて初めてだった。
 
 頭の中にあった疑問は減るばかりか、次々に増えていく――しかし彼の戸惑った表情を見て、ようやく我に返った。

 その瞬間、雲に遮られていた夕焼けが街を蜜柑色に染めた。

 眩しくて、思わず目を逸らす。そしてすぐに、彼へと視線を戻す。

 その光は、カミヤマさんだけを著しく照らしていた。

 彼は周りと比べて、一段と明るい光に包まれている。

 光は、彼の影を地面に色濃く残し、同時にその姿形を薄くしていく。

 
 ――ここで、ようやく気がついた。


 そう、これは夢だ。

 だって、こんなの私にとって都合良すぎだ。

 こんなのは、きっと……ただの期待からくる幻想。

 期待に反比例するように、彼はみるみる薄くなっていく。
 
 ――そうだとしても。

 私はこれほど、心に熱を帯びた覚えはなかった。

 これが夢でも現実でも理想でも構わない。

 もう前のような一人に戻るのはうんざりだし、正直すごく怖い。

 だから、今出せる最大限の声で、名前しか知らない彼に叫ぶ。

「もしまた会えたら、いろんなこと教えてほしい! いつでもここに、この場所に、いるから!!」
 
 久しぶりに大声を出して、派手に咳き込む。

 私という存在が実在することを、空想上かもしれないカミヤマさんに伝えたかった。

 少し遅れて彼の声を聞いた――気がした。
 
「分かっ――次――ここ――来る――」

 いや、都合の良い理想からくる、ただの幻聴だ。
 
 彼が消えていく。

 そして、完全に消えた。

 空を見上げる。雲がいつもより、空の迫力を増幅させているように見える。 

 沈む一歩手前の夕焼けは、その雲を不気味な赤色に染め上げていた。
 
 ――「今週は冬型の気圧配置となり、本格的な寒波が到来するでしょう。積雪が増える見込みなので」――

 
 その天気予報は的中し、四日間、星空には雲がかかった。

 年明けから、家族三人で協力して、雪かきする日々が続く。

「すごい雪だね。今年も雪、多いのかな」

 優花が雪だるまを作りながら、若干嬉しそうに呟く。
 
 彼女は自称『雪だるまマスター』で、そこらのものなど比にならない完成度の雪だるまを、毎年丹精込めて作っている。

 雪だるまの土台だけ見ても、既に今年の作品(雪だるま)もかなりの出来になりそうな予感が漂っている。

 対して僕は、しきりに降り続ける雪をかき分けていく。
 
「お兄ちゃん、どうかな」

 約一時間後、出来上がった雪だるまを、ふふんと満足そうに見つめながら、彼女は言った。

 綺麗に丸められた雪玉は三段重ねになっていて、優花と同じくらいの背丈がある。

 よく見る雪だるまのように、ただ大きいだけではなく、細かいところまで綿密に作ってあるから、夜になると動き出しそうな生命力さえ感じた。
 
「百点満点だよ」

「本当!? 良かった。じゃあさ、この雪だるま雪で埋もれたり、溶けちゃったりしたら嫌だからお兄ちゃん、かまくら作ってよ。私、もう手冷たくて、作れないからさ」

 そう言われても、僕もだいぶ手が冷たいのだが……。

 いやでも、だいぶ長い時間かけて作ってたし、ここで僕が協力すれば、喜んでもらえるかも。よし。

「良いよ。雪かきが終わったら、作るね」

「やった! じゃあ、よろしく。完成したら呼んでね。かまくらの中に雪だるま運ぶの、二人じゃないと安定しないから」
 
 雪も幾分か弱まってきてたから、雪かきは早めに終わらせて、かまくら作りに専念する。

 作っていると、細かい部分まで気になり始めて、気がつけば二時間弱が経過していた。
 
 我ながら、良い出来だ。

 雪だるまを置く土台は、あたかも鉋で削ったみたいに平らに仕上げ、二人並んで座れるスペースには座りやすいよう、丁寧にくぼみも作った。壁も磨き上げて、ピカピカだ。

 でも、手の感覚は既になくなってきている。
 一段落して、手袋の中でグーを作ってなんとか手を温めていると、タイミング良く優花が家から出てきた。
 
「優花、かまくらできたよ」

「お兄ちゃんごめん、結構大変だった? わぁ、すごい! こんなにしっかり作らなくても、良かったのに」

 あまりに時間をかけていたからか、心配しているようだった。

「大丈夫だよ。作ってたらさ、細かい部分まで気になっちゃって。雪だるま、早くかまくらの中に入れよう。雪、降ってきたし」

 雪だるまが崩れないように、二人で協力して慎重に運んでいく。これが、めちゃめちゃ重い。
 
「これで、安心だね」

 ニコっとした笑顔とともに、優花は言った。


 ――誰かのために努力して、その人の喜んでいる姿を見ると自分も嬉しくなる。

 綺麗ごとのように聞こえるが、こういう時にしか得られない高揚感で満たされた経験がある人は、結構いると思う。

 これが、僕の生きがいなのかもしれない。自分の存在を色づけてくれる、数少ない瞬間だから。


 雪だるまとのスリーショットをとって、温かい家の中に入った。
 
 ――雪かきとかまくら作りは楽しかったが、流石に疲れた。

 僕はリビングにある電気ストーブで手を温めた後、自分の部屋のベッドに横たわった。

 不意に、壁にかけてあるカレンダーが、目に映る。

 
 ――「二〇一四年一月六日」――


 四日間、あの夢を見られていない。アマツキさんは、どうしているだろう。

 彼女は、何かに怯えていた。

 ただの夢――しかし、あそこまで鮮烈な夢を見せつけられると、傍観しているだけでは、罪悪感さえ覚えてしまう。
 
 この気持ちに終止符を打つには、僕はあの〝想像上かもしれない〟アマツキさんを助けなければならない。

 そうしないと、何かが落ち着かない。

 しかし、あの夢を見られないのではどうもできない。

 やっぱりあれは、ただの空想に過ぎなかったのだろうか。普通はそう考えるのが妥当だよな。でも――。

「晩ごはんできたよー。道人、降りてきなさーい」

 お母さんの大きめな声が、一階から響いてくる。

「分かったー」

 いつものそっけない返事をしながら、階段を降りてリビングに向かう。

 考えるのは、後の自分に預けよう。

 
 ――今日の晩ごはんは、僕の大好きなハンバーグ。


 お母さんの作るハンバーグは、お店で出てくるものよりも格段に美味しい。

 表面の香ばしさと、中のジュワッとした旨味はやみつきになる。
 かといってくどくはなく、あっさりしている。ちなみに、隠し味は内緒らしい。

 優花も、目を輝かせながら喜んでいた。

「いただきまーす!」

 優花が今日の雪だるま作りについて話していると、天気予報が流れた。
 
 ――「今週は厳しい寒さが続きましたが、今後はどのような予報になりそうですか?」

「明日からの一週間は天気が一変して、晴れた青空が広がる見込みです。この時期としては比較的暖かい気温となる地域が多い予報ですので、屋根からの落雪には十分に警戒するよう」――

「雪だるま、溶けちゃわないかな」

 若干眉をひそめながら、優花は言った。

「かまくらの中にあるから、大丈夫そうだけどな」

「確かに。ありがとね、お兄ちゃん」
 
 これでも優花は、学校ではかなり大人びた雰囲気を纏い、家での様子とは全然違ったと、彼女の授業参観に行った母は言っていた。

「優花もまだ中学生になり立てだから、葛藤してるのかもしれないね」と、母が言っていたのを覚えている。

 僕も、その気持ちはよく理解できる。僕にもそういう時期があったから。


 ――きっと彼女には、肩の荷をすべて下ろせるような、息抜きの場が必要なのだと。
 

 優花がそのような時期に差しかかっても、僕をその「場」にしてくれることが、嬉しかった。

 だから優花に対しては、自然に接するようにしている。それが結構、難しいのだけれど。

 何故、僕が妹を気にかけるのか。別に、シスコンではない。ただ、それには、切実な理由がある。

 
 ――「ありがとう。優花は、優しいな」――


 三年ほど前、僕は優花に対して、そう呟いた。

 この時、優花は僕の悩みを真剣に聞き、一緒に考えてくれていた。
 
「別に。それは……お兄ちゃんが、私に優しくするから、私も同じことしてるだけ。なんか、恥ずかしいから、そんなこと言わないでよ」

「ごめん、ごめん」

 彼女は若干目を泳がせながらも、話を切り出す。

「私の友達、お兄ちゃんお姉ちゃんなんか嫌いって言ってる人、多くて。それ聞く度に、いつも疑問に思うの。そう思える私って、結構幸せなんだなって、思ったからかな」

「そっか。でも……僕って、自分が優花のためになれてるって、思えないんだ」

「はぁ……あのさ、お兄ちゃんは何ごとにしても、もう少し自信持った方が良いと思う。弱腰すぎると、大人社会で舐められそうだし」

 なんとなくの発言に、優花は真面目に答えてくれた。

 彼女の一言一句が心に響いて、じわっと沁みていったのを、昨日のことのように覚えている。

 ――「自信を持った方が良い」――
 
 僕はそれからというもの、本当に少しだけど、自分に自信を持てるようになった。

 だから僕は兄として、優花にとってもそのような存在でありたいと思ってるのが、彼女を大切に思う最もな理由だ。

 
 ――食後、僕は自室で星空を眺めていた。


 五日ぶりに夜空は晴れ渡り、星屑が輝いている。久しぶりの星空だからか、いつも以上に綺麗に見える。

 その星空の中に一つ、とても輝いている星があった。

 あまりに明るいから、今日の天文イベントについてスマホで調べてみる。
 
 ――しかし、調べても特段、何も出てこない。

 え、おかしくないか? あの星、すごく明るいのに……。

 目を細めないと見られないほどに、明るい。

 さながら、太陽をぎゅっと縮めたように、小さくギラギラと輝いている。

 僕はすぐに部屋を出て、階段上から一階のリビングに向かって、大きめの声で優花を呼んでみる。
 
「ゆうかー。なんか、すごく明るい星があるから、見てみてくれない?」

「分かった……いま、行く」

 優花は雪だるま作りで疲れ切っていて、眠たそうだ。でも、優花にも見てもらって確かめたかった。

 二人で、窓の外を見る。

「ほら、あれ。すごく、明るくない?」

「わぁ、本当だ! 目が覚めたよ」――って、返事を期待していた。
 
 ――しかし、それは僕の思い込みだった。

「え、どこ? いつもと変わんなくない?」

 えっ?

「いや、ちょっと左の方で光ってない?」

「えー、私、何も見えないよ。お兄ちゃん、疲れて幻覚でも見てるんじゃない? 早く寝た方が良いと思う」

 そう言って、優花はリビングに戻った。そんなこと言う優花が、幻を見てるんじゃないか?
 
 そうならばと、お母さんにも聞いてみることにする。しかし、お母さんの返答も一緒だった。

「いつもと変わらないと思うけど。道人、大丈夫? ちょっと、疲れてるんじゃない? 今日は暖かくして、早く寝ないとね」

 えっ、本当に見えないの? でも、あそこまで明るい光、誰にでも見えるはずじゃ……。
 
 言われた通り、早く寝ることにする。お風呂に入って、歯を磨き寝床についた。

 例のギラギラ星は、今もなお街中を照らしている。何かが生まれるような、神々しささえ感じられる。


 それにしても、こんな奇妙な現象が起きるのは初めて……じゃない。


 ――初めて、あの変わった夢を見た日の夜も、いや、それに限らず夢を見た日は、一つの星がやけに明るく輝いてたっけ。

 しかし、ここまで鮮明な光ではなかったはず。
 
 ――もし、あの奇妙な夢と、星の輝きが関係しているのだとすれば。いや、そんなのあるわけないよな。

 最近、自分でも呆れるほど、変なことばかり考えてる。やっぱり、疲れているのだろう。

 今日はもう寝ようと目を閉じて、すぐに眠りについた。





            ※





 ――それからというもの、カミヤマさんに会えない日が続いた。
 
 私は毎日、駄菓子屋の前にいる夢を見られている。でも、カミヤマさんは現れない。

 彼に約束した通り、今日も駄菓子屋の前でひたすら待ち続けていた。

 かれこれ夢の中で待ち続けて、今日で四日が経つ。

 やはり彼は、「自分の理想からくるただの幻影だったのかな」という私にとって都合の悪い嫌な考えが、頭をよぎる。
 
 ――でも、とても諦める気には、なれなかった。


 あの人は私からすれば、「最後の希望」のような人だから。
 

 私にとって、彼を待つのを辞めるというのは、「暗闇にある最後の灯火を消す」ことと同義になる。

 だから私は、たとえ何年経とうと、待ち続けると心に決めていた。

 おかしな考えだというのは、自分が一番よく分かってる。でも、今はそれしかできない。 

 一人でできることは、もう全て試し尽くしたから。
 
 ひとまず、一息つくことのできる環境が欲しかったのかもしれない。

 そのためには、周りの人々とかけ離れた私の考えに対する承認欲求に、期待通りに答えてくれる人が必要だった。


 それはきっと、カミヤマさんだけ。


 彼に出会ってしまったばかりに、私はこれまで一人で耐えられていた感情への耐性が、かなり弱まっていた。

 これからどうしていけば良いのか、分からない。また一人になるのは正直、辛い。
 
 ――しかし、これからも夢を見続けられるという保証はない。

 だから、放課後にはこれまでと同様、街外れの図書館に行って本を読んでいた。

 以前のような、一人で行動する未来に耐えられるように。

 しかし現実は厳しくて、この図書館も、もう少しでなくなるかもしれない。
 私にとっては大切なこの場所も、周囲からすれば〝無駄なスペース〟でしかないのだ。

 
 ――でも、薄々気がついてはいた。


 千年戦争以前の書物は、争いによりほとんどが焼失していること、そしてその時代に多くの人が亡くなったという事実。

 その事実がある以上、私がこの世界の本や資料の全てを読み切ったとしても、千年戦争より前の時代を知ることは、絶対にできない。

 私が本を読むのはもちろん、過去を知りたいという理由が一つ。

 しかし、それだけではない。

 
 きっと私は、「読書」という行為を通して、自分の気持ちを安心させようとしているんだ。

 
 この世界の人は、本を読まない。

 だから、人々と違う行動を取ることで、自分がこの世界の人間と同じ色に染まらないようにしているのだろう。

 今の時代の本を読んだって、何の解決にもならない。

 だからといって本を読むのを辞めれば、私は私が嫌っている人たちと、一緒の立場になってしまう。


 どうしたら良いのか、何度も考えた。
 しかし、答えはいつも一緒だった。
 

 ――だから、夢の中で出会った彼は、私にとって最後の希望のような人なんだ。

 
 いつものことだけれど、この四日間もずっと一人で本を読んでいて、父とも必要最低限の会話しかしていない。

 ――夢の中で生きる自分の瞳は、きっと今のものとは違う。

 毎日をあんなにきらきらした気持ちで迎えられたら、どれだけ素敵なことだろう。

 そう思った日の夜、寝床に着く手前、星空を眺めていた。

 ――嗚呼、このまま、身も心も、夜空に吸い込まれてしまいたいな。

 
「――あれ?」


 何か、いつもと違わない?

 無数の星の中に、一つだけ「ギラギラ」と表現しても良いくらいに強く光っている、とても小さな星が一つ、ある。

 大きさの割に、光度が全く見合っていない。
 
「あの星、なに?」

 私は『ホーク』を使って、その星をスキャンする。

『ホーク』は、研究者が調査してきた星々の情報がすべて網羅されている機械。

 調べたい星に焦点を合わせると、自動でその星に関する検索結果を表示してくれる、という昔の人々が言う「優れもの」だった。

 今の時代にもなれば、ここまで不効率な機械を使う人なんていないけれど、今でも情報は更新されているため、私はいつも役立てている。

 スキャンして、検索結果が表示されるまでのワクワクが好きだった。

 今回に限っては、その時間がとても長く感じるくらい、とにかく結果が気になる。

 一分ほど待っていると、ホークは調査結果を画面に表示した。その結果を見て、息を呑む。
 
《正体不明――対象の星は未調査であり、詳細を表示できません。スキャン箇所を変更して、もう一度検索してください》

「どうして……」

 ホークは、全ての星を正確に網羅する機械。ホークが未だに調査できてない事例なんて、聞いたことがない。

 もう一度、対象をスキャンする。

《正体不明――対象の星は未調査であり、詳細を表示できません。スキャン箇所を変更して、もう一度検索してください》
 
 やっぱり。

 私にしか見えない星……幻覚でも、見ているのだろうか。

 しかし目を凝らしても、やはり見えてしまう。

 
 ――万が一にも、私の見る夢が、この奇妙な現象に関係性があるとすれば。


 最初の夢を見たあの日も、今ほどではないけれど強く輝く星が一つ、煌めいていたはず。

 それは私にとって、何か大きな発見につながるのでは――いや、そんなに都合の良いことなんて、起きるはずないよね。

 奇妙なことばかり続いて、頭が疲れているのかもしれない。まずは、ゆっくり休まないと。

 抱きたくもない微かな期待を胸に、眠りについた。