それから数週間。隼人はより一層花怜のことを大切にするようにした。花怜と共に写真を撮る生活。そこには変わらぬ幸せがあった。花怜が消える日までその幸せは続くと隼人は思っていた。しかし現実は甘くなかった。
「なあ隼人。古舘先生がお前のこと呼んでたぞ」
 ある日の学校終わり。久しぶりに誠から声をかけられる。
「古舘先生…か」
 古舘先生は陸上部の顧問、自分にも他人にも厳しく好き嫌いが別れそうなタイプの先生だった。実際、隼人はその先生のことが嫌いではなかった。
「お前全然部活出てないし、そのことだと思うんだが」
「分かった。先生のとこ行ってみるよ」
 怖かった。部活をサボって花怜と一緒にいる所でも見られたのだろうか。でも、俺はもう逃げたくない。体育教官室に足を踏み入れる。
「おお磯崎。ちょっとお前に話さなければならないことがあってな」
「はい、なんでしょう?」
 椅子を隼人の方に向けて話す。古舘は声が低いため、こうして向かい合うだけで威圧感があった。
「お前は今度の大会、レギュラーから外される」
 その一言に一瞬で全身が凍りついた。
「今度の大会って…新人体育選手の登竜門と言われてる、県予選ですよね?」
 なんとか声を絞り出す。
「ああそうだ。理由は分かるよな?」
 間違いなく部活よりも花怜と過ごす時間の方が長くなっているからだろう。無言で頷く。
「その大会に出れないとなると、お前がアスリートの道に進むのは厳しくなる」
 ショックだった。流されるままアスリートになることには疑問をもっていたが、花怜と出会うまでは部活は休むことなく、ずっと努力していた。その努力が報われないのは絶望でさえあった。
「でもお前にはアスリートの道に進んで欲しいからよ、救済措置を作った」
 一体どんなものなのだろう。
「明日から毎日欠かさず部活に来て自主練もして、人より頑張ってる姿が見られたらレギュラー復帰を考えてやる」
 一見ありがたい提案のように思えた。やろうと思えばできる自信もあった。だがその提案を飲むと花怜と過ごす時間はほぼ無くなる。
 安定した将来への道か、いつか消える彼女との儚い時間か、どちらかを選ばなければならないというのか。
 思案に耽ろうとした刹那、いつかの声が隼人の中をリフレインした。

「花怜の夢の話を聞いて、やっぱり自分の夢に向き合わなきゃなって思ったんだ」

 ひたむきに夢を追う花怜を見て、俺は何を学んだ?何を決意した?真摯に写真と向き合う花怜の姿が、俺に教えてくれたものは?
 そう思った時、答えは一つしかなかった。
「嫌です」
「何!?」
「嫌だと、言ったんです」
 一度吐いた思いは止まることはなかった。
「まず、俺をアスリートの道に進ませようとするのは先生の勝手ですよね?いや先生だけじゃない。部活の仲間や他の先生だって!俺の気持ちに寄り添いもしないで勝手に将来のレールを敷かないでくださいよ!!」
 こんなに大声を出したのは初めてだった。古舘は拳を握り締め怒っているようだ。
「磯崎、お前は大馬鹿者だよ。そこまでして部活に出たくないのか!?部活に行かずにお前は何をしている!?」
「もうあと半年も生きられない、大切な人に会いに行くんです。俺に夢に向き合うことの大切さを教えてくれたのもその人ですから」
 古舘はため息をついた。
「考え直せ磯崎。その人をどれほど大切に思っているのかは分からないが、半年後にそいつが死んだ時、夢を捨てたお前には何も残らないだろうが」
「…は?」
 こいつは何を言っているんだ?おおよそ人間から発せられる言葉とは思えなかった。死んだら何も残らないだと?花怜が俺に与えてくれたものを何も知らずに、何故こいつはそんな無責任なことが言えるのだ?腹の底から怒りが湧いてきた。
「あなたは何も!!知らないくせに!!!」
 もはや絶叫のようになったその声が体育教官室を支配する。そのすぐ後に我に返った。
「…俺、部活辞めますから」
 それだけ言い残して走って体育教官室を出ていった。

 頭がぼーっとする。あんなに怒ったのは初めてだった。それでも俺は無意識に例の場所に向かっていた。
「あ、隼人くん今日は遅かったね」
 いつもと変わらない様子の花怜を見た瞬間、張り詰めていた糸がぷつんと切れたかのように隼人の目から涙が溢れた。
「わわ!?どうしたの隼人くん」
 花怜の前では弱い姿は見せたくなかったのに…そう思いつつも、隼人の涙は簡単に止まってはくれなかった。