「それで、言われた通りカメラ持ってきたけど、何をすれば良い?」
 翌日、いつもの公園で花怜と待ち合わせをしていた。
「お、ホントにカメラ持ってきてくれたんだ、ありがとう!」
 昨日の別れ際、花怜から「家にカメラがあったら持ってきて欲しい」と頼まれていた。幸いにも隼人の家には誰も使っていない一眼レフのカメラがあった。
「じゃあそれ借りても良い?」
「いいよ…っていうかしばらく持ってていいよ。うちの家族に写真にこだわってる人とかいないし」
「わーいありがとう!」
 花怜は目を輝かせて喜んでいる。聞いたところによると、花怜は引っ越す時にカメラを無くしてしまったらしい。
「隼人くんには、この街の写真映えするスポットを選んでもらいたいんだ」
「なるほど…?」
「隼人くんがここ撮りたいって思う場所に行って私が写真を撮る!これぞ二人の合作って感じがして良くない?」
 写真について語っている花怜は昨日よりテンションが高いように見えた。本当に写真というものが好きなんだろう。そして、ちゃんと隼人にも手伝う余地がある提案をしてくれたので隼人は内心ホッとする。
「分かった。写真スポット考えてみるよ」
 この日から隼人の生活は一変した。放課後にはいつもの木の下で花怜と会い、カメラを片手に二人で写真スポット探しをする。街のあらゆる場所を訪れ、多くの写真を撮った。
 今まで、学校と部活が終わってから特にすることも無かった隼人にとって、花怜との時間はとても新鮮なものになっていた。花怜の素敵な夢を応援したいという一心で、時には部活を休むこともあった。
「お前が部活休むなんて珍しいなー。何か起きたのか?」
 ある日の帰り道、誠に尋ねられる。
「ああ、ちょっとやりたいことができたんだ。でも部活もそこまで疎かにはしないと思うから」
 部活を疎かにはしない。このときの隼人はそう考えていた。
 そして時は過ぎていき、夏が来た。花怜との待ち合わせの定番となった大きな木も深い緑の葉をつけるようになった。木々の深緑と蝉の鳴き声が、いよいよ夏が訪れたということを嫌というほど教えてくる。
「隼人くん、たまにはこの公園でも写真撮ってみない?」
 それは名案だった。今までは山や住宅街など街のあらゆる場所に出向いていて、何気にこの公園で写真を撮ったことはない。
「よし分かった。公園のどこ撮る?」
「そんなの決まってるじゃん!ここだよ、ここ」
 と言って花怜はすぐ隣を指差した。つまりはいつも待ち合わせをしているこの木で、いい感じの写真を撮ろうということである。
「なるほどな、それは盲点だった」
 そう呟いているとすでに花怜は撮る角度を試行錯誤しているようで、木の周りをぐるぐると駆けまわっていた。相変わらず写真の話になると
「行動に移すとなると早いんだよな…」
 声を漏らしながら隼人もその後を追う。
「あッ!?」
 視線を花怜の方に向けていたがために、足元にまで注意が及んでいなかった。足元に出っ張っているゴツゴツとした岩の存在に気づかず、足を引っかけて盛大に転んでしまった。地面に手をつく鈍い音が鳴った。
「あはは!隼人くんどうしちゃったの!」
 不運なことに花怜にもその瞬間を見られていた。花怜は笑いながらこちらに向けてシャッターを切ってくる。こんな無様な姿を撮られてしまうなんて…
「陸上部でも転ぶことってあるんだね」
「そうじゃん、俺陸上部のはずなのに…っていうか俺を撮る暇あるなら木の方撮れよ」
 恥ずかしさを紛らわしたくて、木の方に注意を向けさせようとする。
「だいじょぶ!木もちゃんと撮れたから」
 いや本当に行動が早いな…
 花怜はカメラを見せてくる。そこには、木の緑の美しさと夏らしい快晴の空の色が際立った写真があった。
「花怜、本当に写真上手くなったよな」
 この春から夏にかけて、間違いなく写真の撮り方が上達している。
「えーどうしたの急に、嬉しいな!」
「来年の桜もこのくらい上手く撮ってくれるかもって考えると楽しみだ」
 何気ない会話の一端として話したつもりだったが、途端、花怜は少し表情を曇らせた。
「…なんか、ごめん」
 今まで、花怜が負の感情を出す様子を見たことはなかった。滝野花怜とはそういう人物なのだと勝手に推測していたがそれは間違いだったのかもしれない。
「いや…私、来年にはもういないんだと思う」
 消え入りそうなその声を隼人は聞き逃さなかった。
「な!?来年いないってどういうことだよ…?」
「あ、えっと…来年にはまた引っ越すことになるかもしれない…からさ?」
 花怜の家庭はよく引っ越すのだろうか。そういう家庭も世の中には多くあるし、特別変な理由でもなかった。
 でも、何だろうな、この違和感は…
「引っ越しちゃったとしても頑張れば会えるかもしれないし、そんな悲しい顔しないでよ、俺まで悲しくなっちゃうからさ」
 流石に違和感は気のせいだろう。第一、ここで花怜が嘘をつく理由が見当たらない。
「…うん、そうだね」
 普段見せることのない、花怜の何かに怯えているかのような表情。隼人は率直に、そんな表情をして欲しくないと思ってしまった。
「今日俺時間あるしさ、もう一枚くらい写真撮っていかない?」
「え、本当に!?」
 花怜の元気を取り戻したい思いでの発言だったが、見事に狙いは的中したらしい。花怜はまたいつも通りの笑顔に戻った。その笑顔は隼人にとって、夏の照りつける太陽よりも眩しかった。
 この時、隼人は気づいていた。微かながらに花怜に特別な感情を抱いていることに。だからこそ、この楽しい日々にいつか終わりが来ることを認めたくは無かった。

 更に時は過ぎて十月に差し掛かり、いよいよ秋到来という時期。隼人は3連休中に、家族で祖母の家に遊びに行くことになった。祖母の家は隼人の住む街から車で一時間ほど行った場所にある金原村という村に位置していた。
「隼人の元気な姿を見せたらおばあちゃんも喜んでくれるでしょうね」
 車の中で口を開いたのは母親だった。
「そうなんかな…」
 テキトーな相槌を打ったところでふと、あることを思い出す。
「そういえばさ、金原村にお土産屋さんってあるっけ?」
「ああ、ちょうどおばあちゃん家の近くにあるな」
 父親が運転しながらそう答えた。
「お土産、買っていきたいのか?」
「うん。あ、もちろんお金は俺が出すけどね」
「分かった。帰る時にでも寄って行こうか」
 そんな会話を続けていると、赤い茅葺き屋根の家が目に入ってきた。ここが祖母の家である。そこまで大きいわけではないのだが、屋根の色味や年季の入った壁が独特の存在感を放っていた。
「やあいらっしゃい、久しぶりだねぇ隼人」
「久しぶりおばあちゃん!元気だった?」
 着くや否や祖母が笑顔で出迎えてくれた。祖母は隼人に夢を押し付けたりするような人ではなく、そんな理由からも祖母のことが好きだった。玄関先で皆で軽く世間話をしていると、
「来てすぐのところ申し訳ないんじゃが隼人、倉庫から漬物石を取ってきてくれんかの?」
「オッケー、漬物石だね?すぐ取ってくるよ」
 力仕事はあまり得意分野ではないが、断るわけにもいかないため隼人はすぐに裏手の倉庫に向かった。
「うっわ」
 扉を開けるとカビの匂いが鼻を貫いた。年季の入った倉庫の中は蜘蛛の巣と埃だらけで、お世辞にも綺麗とは言えなかった。幸いなことに漬物石は扉のすぐ近くに鎮座していた。
 だが、隼人の中で早く汚い場所から退散したい気持ちと物珍しい年季の入った倉庫を物色してみたい気持ちが戦っていた。少しの間悩んだ末、結局後者の気持ちが勝ってしまった。
「少しだけ、少しだけ…」
 倉庫の奥の方へ進む。足を前に出すたびに床の木材がギシギシと音を立てるので、床が外れるんじゃないかと不安でならなかった。
「ん?」
 奥に進むと倉庫内の古新聞の束が目に留まった。
「なんでこんなに束になってるんだ?」
 見てみるとその新聞は七年前のものだった。何故この新聞が目に留まったのか。それはおそらく、その新聞が七年前に金原村を襲った大洪水のことを報じていたからだろう。七年前に村を襲った洪水の話はよく祖母から聞いていたので記憶に新しかったし、祖父が亡くなったのもこの洪水が原因だった。そのためあまり良い気分にはならなかったが、ほんの気まぐれに隼人はその新聞を開いてみる。
 そこには洪水の犠牲者の名と写真が載っていた。祖父の名も乗っているかもしれないと思い流し読みをする。
「え…!?」
 だが、隼人は決定的な文字を見つけてしまった。最近頻繁に呼ぶようになった“その名”を。隼人は血の気が引いていくのを感じた。一瞬視界がぐわんと揺れる。
「嘘…だろ?」

 犠牲者名簿 
 滝野花怜(17)

 見間違いだと思った。しかし、その上の顔写真も最近の隼人がよく知る人物、滝野花怜に他ならなかった。
 その後のことはあまり覚えていない。なんとか祖母たちの前ではなんとか平然を保ち、あっという間に3連休は過ぎ平日を迎えてしまった。結局真相が分からないまま花怜と対面することになった。