困惑する俺を後回しにしたまま、フタさんは黙りこくってしまった。
ついさっきまでこのボイスチャットにはロッピャクもいたはずで、何かがあったのは明白だったが状況が一切吞み込めない。
何か二人がもめたのであれば事態は複雑ではないが、
それよりもこのチャット欄にアップロードされた『2007-sanaka.MOV』という動画ファイルと、
フタさんの方から聞こえてきた『えええええ』という人の声のような機械音のような音があまりにも怖かった。
単純な感情だが、音一つでここまで頭がかき乱されるだろうか。
フタさんは恐らくあの音と、そしてその正体を目の当たりにしたのだろう。
何があったのかと聞きだすよりも、彼が話せるようになるまで待つしかなかった。
時刻は夜の9時。
いつもならこのグループでは流行りのFPSゲームをする時間だった。
今日は集まりが悪い日ではあったが、ロッピャクとフタさんともうひとり、シップが参加して遊ぶ予定だった。シップはまだ来ない。
「ハロ、ごめん。ぼーっとしてたわ」
しばらくしてようやくフタさんが声をかけてくれた。
「ぼーっとしてたとかいう次元じゃないだろ…この動画?ロッピャクから送られてきてるやつを見たの?」
「そう。これ、なんなんだ…」
「えっ何か知っててロッピャクと一緒に見てたとかじゃないのかよ」
「いやあいつが急にこれだけ送ってきたんだ。まぁその前に色々ありはしたんだけどよ」
フタさんは口籠り、狼狽していた。こんな様子を見るのは初めてだった。
「なんか怖い系?」
少し茶化すつもりでそう言った。
「そうだな」
「……」
「ああ、ごめん。まだ少し咀嚼するのに時間がかかってて…ちょっと待ってくれな」
「俺も見てみようかな?」
「待ってくれ。それはちょっと、ちょっとまだ待ってくれ」
内容に興味があるよりも、ただの動画で何故こんなに彼が困惑しているのか、その理由が知りたいがために動画を見てみたかった。
しばらくヘッドフォンの向こうからフタさんの呼吸が繰り返される音と、何度か水を飲むような音が聞こえてきた。この時間はなんなのだ。
「なあ、なんかどうでもいいけど、今日は遊ばないの?てかシップも来ないし…」
そう声をかけたとき、フタさんの方から大きな物音がした。椅子を倒すような、そして荒々しくそれをさらになぎ倒すような音だ。そしてそのあとすぐに少し遠くから嘔吐するような彼の苦しむ声が聞こえてきた。
「フタさん!?」
さっきからなんなのだ。何が起こっているのか。
俺は何度かボイスチャット越しに彼に声をかけたが、恐らく聞こえてはいないだろう。当然聞いているだけの俺になにかできるわけもなく、フタさんがボイスチャットに復帰するのを固唾を飲んで待つしかなかった。
その間、『2007-sanaka.MOV』という文字列と睨みあうことになった。これを見れば、ロッピャクとフタさんに何があったのか知ることができるのはわかりきっている。ふたりがこんなに取り乱すほど恐ろしい動画なのだろうか?だがそんな恐ろしいものをわざわざロッピャクがチャットに送信してくるだろうか。彼はどちらかといえば人を楽しませるのが好きで、話すことも面白い。フタさんが調子を悪くするほどの内容の動画ファイルを送ってくるとは少し考えられなかった。そのせいで余計に、この中身が気になった。
マウスカーソルは次第にMOVファイルの方へ引き寄せられるようにゆっくりと動く。フタさんの苦しむ声を聞きながら何もしてあげられない俺はただ呆然とその吸引力に逆らえず、モニターをじっと見つめていた。しばらくして、フタさんは状態が回復してきたのかいくらか落ち着きを取り戻したような息遣いが聞こえてくる。
「フタさん…?」
もう一度声をかけてみる。
「あー、ゲホッ…すまん、大丈夫だ」
「吐いたの?」
「まあ、そう」
「なんか体調が悪かったの?」
「いやそんなことはない。これを見てから急にだ。悪寒…?それこそ風邪のときみたいな不快さと一気に寒くなるような。そのあとぐらっときてな…」
「そうなんだ…そう言われると心配よりも先に何が起きたのか気になってしょうがないんだけど」
「そうだよな。えっと…説明する。だから一旦その動画ファイルは見なくていい」
「…わかった」
とりあえず、何があったのか聞いてからにしよう。俺だって嘔吐するほど不快な動画は見たくない。
「ことの経緯は、まぁただの雑談からだった。あいつが急に趣味の話をしてきてさ」
「趣味?」
「趣味嗜好ってやつか」
「はあ」
「俺は全然興味なかったから。お前もそうだろ?ハロ。誰がいつ何で抜いてんのかなんて聞きたくねえ」
「ロッピャクにしては急だね」
「そうだろ?まぁお互い暇だったんだよ。時間までお前らを待つのにさ、することもなくて」
そこまで話して、フタさんはまた少し咽た。
「冷えるな」
「まだ調子悪いんじゃない?」
「そうだと思う。まいったな…ところでシップはまだ来てないのか」
「うん、そうなんだ。今までもたまに寝坊したとかいって遅れてくることはあったし…寝てるんじゃないか」
「そうか」
シップがフリーターだということはみんな知っている。とはいってもいつ働いていて、何をしているのかは誰も知らない。そんなものだ。ただ、昼間は寝ていることが多いからフリーランスか何かなんだろうと、みなその程度でしかお互いを知らない。
「それで…この動画は?」
「ああそう。ロッピャクが変な話しだして、興味ねえから黙れっていったあとしばらくお互い黙ったままでさ。俺的にはその空気でこの話は終いにしようと思ってたわけ」
「うん」相槌を打つ。
「そしたら、なんつってたっけな…また蒸し返したっていうか。突然共有してきたのがこの動画っていうわけで…」
「よくわからないけど、良い動画あったから見て~みたいなこと?」
「そういうノリではなかったんだよ。あいつもちょっとびっくり…?してたようなそんな感じだったんだけど、やめろっつったのにまだ動画の話すんのかコイツと思ってたらその…変な音がロッピャクの方から聞こえて」
自分がこのボイスチャットに入ったときにも聞こえた金切声のような金属音が引き攣るような音のことだろうか。
「えええ~ってやつ?」
「そう!ハロにも聞こえてたか」
「フタさんが再生してたときに聞いたよ」
「そうだったな…そのあたりで丁度お前も入室してきたんだ。あとは俺が怒鳴ったあとロッピャクが退出して、俺が再生して…今に至るっつーか」
「フタさんは俺には見るなって言うくせに自分は見たのかよ」
率直に言った。
「俺も少し混乱してたんだ。ちょっとロッピャクに腹が立ってたってのもあったが…説得力無くなっちまうけど”音”がやけに気になって」
「やっぱりよくわからないな…」
フタさんはすまんと一言俺に謝った。
ここまで焦らされると興味も薄れてくるというもの。
そんなに見るなというならこのまま流せば良いのに、フタさんはいまだに何かぶつぶつ呟いている。
体調不良もあるし落ち着かないのだろうか。
「なあハロ…俺、少しこの動画について調べたい」
フタさんがそう言った。
「いやいや、なんかさすがにそこまで来たら俺に見るなっていうのも苦しくない?」
「そうだよな…正直ハロにも見てもらって確認したいことはいくつかあるんだが、視聴したロッピャクはいなくなっちまったし、俺は吐いたし、とにかくなんかこう、嫌な気持ちになるんだ。内容は、素人がつくった呪いのビデオみたいな感じなのに」
「ああ、それ系なんだ」
別にみても構わないと思った。俺は特にホラーが苦手ということもないし見たら呪われる系に対しても特に何も思っていない。フタさんもそうだと思うが、やはりロッピャクとの前後の会話や自分の体調不良などがあって勧めづらいんだろう。
「…じゃあ、フタさんが口頭で説明するのは?」
「…やってみるか。俺説明苦手なんだけどな」
俺とフタさん、ふたりの話し合いが始まった。
ついさっきまでこのボイスチャットにはロッピャクもいたはずで、何かがあったのは明白だったが状況が一切吞み込めない。
何か二人がもめたのであれば事態は複雑ではないが、
それよりもこのチャット欄にアップロードされた『2007-sanaka.MOV』という動画ファイルと、
フタさんの方から聞こえてきた『えええええ』という人の声のような機械音のような音があまりにも怖かった。
単純な感情だが、音一つでここまで頭がかき乱されるだろうか。
フタさんは恐らくあの音と、そしてその正体を目の当たりにしたのだろう。
何があったのかと聞きだすよりも、彼が話せるようになるまで待つしかなかった。
時刻は夜の9時。
いつもならこのグループでは流行りのFPSゲームをする時間だった。
今日は集まりが悪い日ではあったが、ロッピャクとフタさんともうひとり、シップが参加して遊ぶ予定だった。シップはまだ来ない。
「ハロ、ごめん。ぼーっとしてたわ」
しばらくしてようやくフタさんが声をかけてくれた。
「ぼーっとしてたとかいう次元じゃないだろ…この動画?ロッピャクから送られてきてるやつを見たの?」
「そう。これ、なんなんだ…」
「えっ何か知っててロッピャクと一緒に見てたとかじゃないのかよ」
「いやあいつが急にこれだけ送ってきたんだ。まぁその前に色々ありはしたんだけどよ」
フタさんは口籠り、狼狽していた。こんな様子を見るのは初めてだった。
「なんか怖い系?」
少し茶化すつもりでそう言った。
「そうだな」
「……」
「ああ、ごめん。まだ少し咀嚼するのに時間がかかってて…ちょっと待ってくれな」
「俺も見てみようかな?」
「待ってくれ。それはちょっと、ちょっとまだ待ってくれ」
内容に興味があるよりも、ただの動画で何故こんなに彼が困惑しているのか、その理由が知りたいがために動画を見てみたかった。
しばらくヘッドフォンの向こうからフタさんの呼吸が繰り返される音と、何度か水を飲むような音が聞こえてきた。この時間はなんなのだ。
「なあ、なんかどうでもいいけど、今日は遊ばないの?てかシップも来ないし…」
そう声をかけたとき、フタさんの方から大きな物音がした。椅子を倒すような、そして荒々しくそれをさらになぎ倒すような音だ。そしてそのあとすぐに少し遠くから嘔吐するような彼の苦しむ声が聞こえてきた。
「フタさん!?」
さっきからなんなのだ。何が起こっているのか。
俺は何度かボイスチャット越しに彼に声をかけたが、恐らく聞こえてはいないだろう。当然聞いているだけの俺になにかできるわけもなく、フタさんがボイスチャットに復帰するのを固唾を飲んで待つしかなかった。
その間、『2007-sanaka.MOV』という文字列と睨みあうことになった。これを見れば、ロッピャクとフタさんに何があったのか知ることができるのはわかりきっている。ふたりがこんなに取り乱すほど恐ろしい動画なのだろうか?だがそんな恐ろしいものをわざわざロッピャクがチャットに送信してくるだろうか。彼はどちらかといえば人を楽しませるのが好きで、話すことも面白い。フタさんが調子を悪くするほどの内容の動画ファイルを送ってくるとは少し考えられなかった。そのせいで余計に、この中身が気になった。
マウスカーソルは次第にMOVファイルの方へ引き寄せられるようにゆっくりと動く。フタさんの苦しむ声を聞きながら何もしてあげられない俺はただ呆然とその吸引力に逆らえず、モニターをじっと見つめていた。しばらくして、フタさんは状態が回復してきたのかいくらか落ち着きを取り戻したような息遣いが聞こえてくる。
「フタさん…?」
もう一度声をかけてみる。
「あー、ゲホッ…すまん、大丈夫だ」
「吐いたの?」
「まあ、そう」
「なんか体調が悪かったの?」
「いやそんなことはない。これを見てから急にだ。悪寒…?それこそ風邪のときみたいな不快さと一気に寒くなるような。そのあとぐらっときてな…」
「そうなんだ…そう言われると心配よりも先に何が起きたのか気になってしょうがないんだけど」
「そうだよな。えっと…説明する。だから一旦その動画ファイルは見なくていい」
「…わかった」
とりあえず、何があったのか聞いてからにしよう。俺だって嘔吐するほど不快な動画は見たくない。
「ことの経緯は、まぁただの雑談からだった。あいつが急に趣味の話をしてきてさ」
「趣味?」
「趣味嗜好ってやつか」
「はあ」
「俺は全然興味なかったから。お前もそうだろ?ハロ。誰がいつ何で抜いてんのかなんて聞きたくねえ」
「ロッピャクにしては急だね」
「そうだろ?まぁお互い暇だったんだよ。時間までお前らを待つのにさ、することもなくて」
そこまで話して、フタさんはまた少し咽た。
「冷えるな」
「まだ調子悪いんじゃない?」
「そうだと思う。まいったな…ところでシップはまだ来てないのか」
「うん、そうなんだ。今までもたまに寝坊したとかいって遅れてくることはあったし…寝てるんじゃないか」
「そうか」
シップがフリーターだということはみんな知っている。とはいってもいつ働いていて、何をしているのかは誰も知らない。そんなものだ。ただ、昼間は寝ていることが多いからフリーランスか何かなんだろうと、みなその程度でしかお互いを知らない。
「それで…この動画は?」
「ああそう。ロッピャクが変な話しだして、興味ねえから黙れっていったあとしばらくお互い黙ったままでさ。俺的にはその空気でこの話は終いにしようと思ってたわけ」
「うん」相槌を打つ。
「そしたら、なんつってたっけな…また蒸し返したっていうか。突然共有してきたのがこの動画っていうわけで…」
「よくわからないけど、良い動画あったから見て~みたいなこと?」
「そういうノリではなかったんだよ。あいつもちょっとびっくり…?してたようなそんな感じだったんだけど、やめろっつったのにまだ動画の話すんのかコイツと思ってたらその…変な音がロッピャクの方から聞こえて」
自分がこのボイスチャットに入ったときにも聞こえた金切声のような金属音が引き攣るような音のことだろうか。
「えええ~ってやつ?」
「そう!ハロにも聞こえてたか」
「フタさんが再生してたときに聞いたよ」
「そうだったな…そのあたりで丁度お前も入室してきたんだ。あとは俺が怒鳴ったあとロッピャクが退出して、俺が再生して…今に至るっつーか」
「フタさんは俺には見るなって言うくせに自分は見たのかよ」
率直に言った。
「俺も少し混乱してたんだ。ちょっとロッピャクに腹が立ってたってのもあったが…説得力無くなっちまうけど”音”がやけに気になって」
「やっぱりよくわからないな…」
フタさんはすまんと一言俺に謝った。
ここまで焦らされると興味も薄れてくるというもの。
そんなに見るなというならこのまま流せば良いのに、フタさんはいまだに何かぶつぶつ呟いている。
体調不良もあるし落ち着かないのだろうか。
「なあハロ…俺、少しこの動画について調べたい」
フタさんがそう言った。
「いやいや、なんかさすがにそこまで来たら俺に見るなっていうのも苦しくない?」
「そうだよな…正直ハロにも見てもらって確認したいことはいくつかあるんだが、視聴したロッピャクはいなくなっちまったし、俺は吐いたし、とにかくなんかこう、嫌な気持ちになるんだ。内容は、素人がつくった呪いのビデオみたいな感じなのに」
「ああ、それ系なんだ」
別にみても構わないと思った。俺は特にホラーが苦手ということもないし見たら呪われる系に対しても特に何も思っていない。フタさんもそうだと思うが、やはりロッピャクとの前後の会話や自分の体調不良などがあって勧めづらいんだろう。
「…じゃあ、フタさんが口頭で説明するのは?」
「…やってみるか。俺説明苦手なんだけどな」
俺とフタさん、ふたりの話し合いが始まった。