Yellow BOX
これはとあるサイトの名称だ。
サービス内容はYoutubeや他の動画アップロードサイトとたいして差はないが、投稿される動画や画像の内容がこのサイト名からは連想できないような、あまりにも酷く、猟奇的で、残忍な、何故こんなものがネットの海に放流されているのかはなはだ理解しがたいようなものばかりなのだ。
先日、まだ十代の若者が自殺配信をした。配信そのものは誰でも目に付きやすいメジャーな配信サイトで行われたが、事件がメディアによって拡散されてからは、自殺配信のアーカイブは関係者により削除された。
しかしこのYellow BOXには、その動画は今でも存在する。何故そんなものをわざわざここにアップロードし直したのか、投稿者やその動画に寄せられたコメントを見れば理由は一目瞭然で、中には「元々世界に向けて故人が発信したのだから、残したい意思があるはずだ」だとか、昨今の世間へ向けた皮肉なのか良心なのかわからない主張が多いのだが、そんなのは見え透いた偽善で、このYellow BOXに集まる人間は怖いもの見たさでやってきた野次馬が残したグロテスクなコメント欄と、死んでいった若者に興奮するような変態しかいないのだった。
今まさにスマートフォンでYellow BOXを閲覧する僕も、その変態の一員であることに間違いない。
年齢制限とはやはり重要だと我ながら心底そう思う。僕は幼少期にたまたま閲覧してしまった所謂『検索してはいけない言葉』の中からとても直視できないような凄惨な事故で身体を傷つけてしまった人間のJPGを目の当たりにした。
当時は恐ろしくてすぐにページを閉じた筈だったが、その被害者の恐ろしい相貌は瞼の裏に焼き付いてしまい、時間が経っても度々思い出されるほど衝撃的だった。そしてその衝撃が、やがて僕の性癖となり果てるまで時間はかからなかった。
「もう一度見たい」好奇心であることに間違いないが、その時僅かに昂るような感覚がしたのを覚えている。
あれはとても気持ちが良かった。頭では嫌だと警鐘を鳴らす自分がいる一方で、あの写真を細部までもう一度見たいという欲求がじわりじわりと背筋を登ってきたのだ。
その時たどり着いたのがこのYellow BOXだ。
当時あの画像を見たときは確か一部にモザイク加工がされていた筈だが、このサイトでは加工は一切なく、被害者の酷く破壊されつくした肉片や頭蓋骨、脳漿が細部まで閲覧できた。あの時から僕はもう変わってしまったのだ。
「ねえ、フタさん。Yellow BOXって知ってる?」
スマートフォンの向こう側にいる友人に声をかけた。友人は適当に相槌をうったあと、もう一度「なんだって?」と僕にたずね返す。ちょうどプレイしていたゲームが一区切りついたようだった。
「だから、Yellow BOXっていうサイト。知ってる?」
「知らないよ。なに?それ」
とても気だるげな声だ。これはいつもの”フタさん”の喋り方で、別に不機嫌であるわけではない。僕はフタさん…フルネーム—といってもハンドルネームだが—”カプラの蓋”という名の彼に話し続けた。
「世界中の人が色んな動画をアップできるサイト」
「Youtubeと何が違うの?」
フタさんとの通話の向こう側から、再びマッチングを始める音が聞こえてきた。僕らはいつもこんな風に各々好きなようにすごして、雑談をしながら憂鬱な夜をやり過ごしている。
「アップされる動画のほとんどは検閲されない」
「えろいわけ?」
「そっちじゃないかな」
「お前グロいの見て喜ぶたちか」
「喜んでないよ!」
嘘をついた。
「まぁ確かにグロいのとかが多いんだけど、今は世界情勢がダイレクトに発信されてたり、勉強になることも多いんだよ」
これも嘘だ。というより、詭弁である。
「そういう見方もあるわけね」
フタさんは冷静にそう返した。
彼はこのグループの中で一番の年長者であるらしいが、実際の年齢は知らない。特に興味もない。たまに会社の愚痴をこぼしたり、酒を飲みながら止まらぬ暴言を吐き続けゲームをする様をボイスチャット越しに見せてくれる。彼以外、僕を含めて他のメンバーはみな大学生かフリーターだったから、僕らにとってフタさんは良い反面教師だ。
「ロッピャクお前、そういうの見てるとPCにウイルス入ってきたりするんじゃねえの」
「いつの時代だよ。見てるだけだったらそんなのないって」
「ブラクラとかあるの?」
「だからいつの時代だよ」
けらけらと笑う。
”ロッピャク”と呼ばれる僕のハンドルネームは”610m”だ。
みんなからは省略して呼ばれている。別に本名にそれらしい言葉が含まれているわけではない。
「俺が子供のころはflashってのがあって、ブラクラに脅かされたもんだよ」
「それは知ってるよ。なんかほら、同時にグロ画像とかも流行ったよね」
「流行るというか、誰しも一度は通る道なんかね。子供にトラウマ植え付けんなよな」
植えつけられて歪んでしまったのが僕である。
言わば被害者かと、なんとなく思った。
「で、それがどうした」
フタさんがそう聞いてきた。
「ううん、今ちょうど見てたからさ。知ってるかなーって」
「初めて聞いたよ。ていうかその、世界情勢?ってつまり色んな国の今起きてる可哀そうなことが動画でアップロードされてるわけ」
「可哀そうで片付くことかな。でもまあそういうこと」
「すごいな、最近の若い子は。そういうサービスって結構あるの?」
「あるよ。その中でもこのYellow BOXはUIも良いから使いやすいし…動画を見ててストレス感じないし、使い心地が良いからたまに見るんだ」
「いやお前…結構見てそうな言い方するなよ」
「あはは。野次馬だよね。良い趣味ではないかも」
通話をしながら画面をスクロールして閲覧を続ける。フタさんの言う通り、テロや爆発事件の現場を撮った動画はもちろんあるし、その類はまだ良い方だ。世界に発信して知ってもらいたいという動機がある。それよりも凄惨だと感じるのは、名前も知らない、どこかもしらない場所で傷つけられ、そして世界にその様子を無断でアップロードされる被害者たちの動画だ。
善悪の区別なんて当然ついている。気の毒だと思う気持ちだって持ち合わせている。ただ、これをただの”コンテンツ”として楽しむこと自体に規制はいるだろうか?いややめよう。そんなことを考えるためにこのページを開いているわけではない。
僕は友達とボイスチャットをしているその背後で、しばらく分のストックを見定めていた。
「…おすすめがあるんだけど、フタさんも見てみない?」
僕はそう声をかけた。
「どういう内容?」
スマホから素っ気ない声が返ってきた。
「内容…は色々あるんだけど、動画っていうかおすすめの投稿者がいてさ」
「はあ?なにその言い方。お前本当に気持ち悪くなってきたぞ」
「見てからにしてよ!ちょっと個別のDMでURL送るね」
そう言ってスマホの画面を軽快にタップする。すぐにそのページはフタさんに共有された。
「…”みんなのともだち”?」
フタさんに共有したのは『みんなのともだち』というハンドルネームの投稿者のページだ。
「そう。この人の動画がなんかその…映画みたいで良くってさ」
そういいながら惚れ惚れと画面を指でなぞる。並んでいるサムネイルには、どれも同一人物と思われる女の子がモザイク無しではっきりと表示されていた。僕はこれが絵画が並んでいるように思えるのだ。どれも肖像画の様に、しかし少しずつ変化した、モナ・リザというより…そうだ、アルチンボルドの『四季』のように変化して変わっていく。このサムネイルの女性の肌を撫でるように僕は「やめろよ」
フタさんが言った。
「このページだけで何か嫌だわ。お前の中だけにしてくれ」
「え、見ないの?」
「見ないよ、こんなもの。サムネイルだけでなんか…痛々しいわ。グロいやつだろこれ。黙っててやるから他のやつらにも言うなよ」
「え…なんで」
「内容知らないけどさ、全然しらん子の実写動画ってだけで不快だ。それになにこれ…この、血…?とか…本物なわけ…?さすがに無理だわ」
「不快、か…ごめん、そんなつもりはなかった」
「いや、いいよ。でもとにかくこれ系は見たくない」
きっぱりとそういわれて正直落ち込んだ。僕のこの趣味を打ち明けたのはフタさんが初めてで、前から話したかったというよりその場の勢いではあったが、彼ならなんとなく適当に見てくれるんじゃないかと思っていたからだ。
そのあとはしばらく沈黙が続いた。せわしなく鳴るコントローラーの音とたまに聞こえる舌打ち。あとは僕が画面をタップする音。通話を続ける意味はわからなかったが、僕の頭を整理する為の時間にはなったかもしれない。萎えた気持ちでYellow BOXを閲覧し続ける。もうそれは見定めるような目的ではなく、自堕落に無気力に貪っているに過ぎない。こうなってくると、自然と同じトップ画面を読み込み続けたり、プロフィールページを繰り返し見に行ったり、無意味な動きを延々と続けることになってくる。
ふと”みんなのともだち”の投稿動画一覧にもどり、ひとつの動画を再生する。この音はフタさんには聞こえていない。
「…ん?」
微かに僕はそういった。
「どうした」
小さな声だったにもかかわらず、フタさんはそれに返事をしてくれた。
「いや、ごめん…コメント欄に何か…ちょっと動画のURLが貼ってあって」
「んー」
「えっと、グロいのとかじゃないから、全然」
「別になんも言ってないだろ」
正直、フタさんのこの返事は僕の耳には届いていなかった。僕のコレクションの動画にコメントされたURL。既にその先に飛んで何があるのか確認していたからだ。そこには一つの動画ファイルがアップロードされていた。すぐに再生ボタンを押せば読み込みが終わり、動画が再生された。
「なに…これ…」
「どうした?」
ケラケラ笑う少女。画面が変わり、チカチカ光る。
『ねぇえええええええええええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーー』
「なんだ!?」
フタさんは驚いてそういった。僕の手は震えていた。
ちょうどその時、僕とフタさんしかいなかったボイスチャットに、もう一人参加者が現れた。入室を知らせる音が鳴る。
「はよーーー。夜だが」
「ハロ、タイミング悪すぎる。今色々あって」
言葉を発せられない僕に代わってフタさんがそう説明してくれた。
「どうしたの?なんか気まずい感じ?」
「いや、変な声がさ、声か?『ええええー』ってロッピャクの方から聞こえてきて…おいロッピャク、聞こえるか?それ、わかんねえけど止めろよ。変な声だけやたらこっちにまで聞こえてくるんだよ。返事しろって。再生してるんだろ?…お前まさかふざけてるのか?怒ってるのか?俺別にお前のこと否定してねえよな!…やめろ!うるさいって!リピートしてるのか?おいロッピャク!返事しろ!...おい………なんだよこれ」
「え、何この動画?」
「おいお前俺が見ねぇからって直接送りやがったな。いいか、見る見ないは自由だが見ることで傷つく人間がいることを忘れんな。てめぇの中だけでやっとけ変態が!ハロ、見るな絶対ロクなもんじゃ…いやこれ…違うな、さっきの一覧にはなかった」
事態が呑み込めないハロを置いてけぼりにして、次にフタさんが黙ってしまった。
「フタさん…?ロッピャク?おーい…あれっ…ロッピャク退出しちゃった…」
「…ハロ」
「フタさんどうしたの、なにがあったの。この動画なに?見ていいやつ?」
「俺ちょっとこの動画しら『ねぇええええええええええええええええええええええええ』
奇怪な音が、ヘッドフォンを劈いた。