あっという間の時間だった。俺とフタさんは例の住所にたどり着き、呆然と目の前にある家を見上げていた。小さな一軒家だ。簡単な柵と門はさび付いていて、入り口が半開きになっている。ストリートビューのとおり、家の窓は全てふさがれている不気味な佇まいだ。
「入ろうか」
俺はフタさんより先に門を通った。
念のため持ってきておいた懐中電灯で足元を照らしながら敷地に踏み込んでいく。フタさんもそれに続いた。玄関にたどり着き顔を上げてみてぎょっとした。貼り紙がしてあったのだ。
『ご迷惑をおかけします』
なんとなくその文体と筆跡が、シップのものだと感じた。
「なあこれ」
横にいたフタさんが声をかけてきた。
玄関のすぐ横に、外門とは違う表札が設置されていた。それはもう雑草やツタのせいで読みづらくなっていたが、フタさんがそれらをむしり取り、明らかにしてくれた。
『上篠 隆弥
    春子
   舟
   佐奈花』
「サナカ…」フタさんが呟いた。
「舟…しゅう、かな…?」
「シップ…か」
やはりこの家は、シップの実家だ。
目の前の貼り紙が忌々しい。まだこのドアノブに手をかける勇気がなかった。
「ハロ、急ごう。間に合うかもしれねえんだ…ハロ?」
堪えきれなかった。情けないが、”舟”の文字を見てもう駄目かもしれないと、そう感じたのだ。
「無理すんな。俺が見てきたって良い」
「いや…行くよ。シップに挑発されちゃったからさ。探偵ごっこを終わらせろって」
「…」
このドアが開いていることは、貼り紙からしてわかりきっていた。そしてやはり、手をかけてみれば何の抵抗もなくドアノブは動いて、扉が開いた。ここが、上篠家だ。

真っ暗な家に足を踏み入れる。一度だけ玄関の明かりがつくか試すためにスイッチを押してみると、あたりはパッとあかるく照らされた。電気は通っているようだ。しかしすぐにまた押して、暗くした。俺たちは懐中電灯を使って家に上がりこむことにした。深夜ということもあり、あまり目立ちたくなかったのだ。
「すみません、誰かいませんか」
声をかけたが応答はない。
「シップ…?あがるよ」
もう一度声をかけた後、俺はフタさんと視線を合わせてうなずいた。すぐに靴を脱いで家にあがる。廊下にはパンパンに溜まったゴミ袋がこの付近にまとめられていたりペットボトルや誰かの衣服が、廊下のすみに落ちたままになっている。すべてが埃っぽいが、俺たちは靴下のまま、廊下を進むことにした。
小さな家だから、シップを探すのに手間はかからなさそうだと思った。
「なあ、気になることがあるんだ。2階より、居間とかをまず見てもいいか?」
フタさんがそう言った。はじめて上がる家だが、勝手なんて大体わかる。1階にはリビングや風呂やダイニングや…当たり前に色んな部屋があるのだろう。俺たちはまずリビングと思われる部屋に入って、懐中電灯で照らして家の中を彷徨った。
人が暮らしている割には荒れていて、コンビニ飯のゴミとか洗濯ものがそこら中に乱雑に積み上げられている。この部屋のすぐ隣に、襖がすでに開けられている和室が見えた。
「あった。仏間だ…映像にあった場所で間違いない」
フタさんが仏間を照らし出す。そこには仏壇というよりも何かを祀るような、仰々しくも埃だらけの祭壇があった。祭壇だと思ったのは、そこには故人の写真や位牌も無く、中央に仏像が佇んでいたからだ、
「映像じゃ坊さん?が座ってたからよく見えなかったが、間違いないと思う。…しかしこれは…位牌もないし仏壇じゃねえな。なんだこの真ん中の…仏像みたいなのは」
見慣れない仏像だった。仏教にあかるい訳ではないが、嫌に金を纏ってニタリと笑う像に嫌悪感を抱く。
「俺少し調べたんだ。光如会の祭壇だと思う」
僕は念のため、フタさんに補足した。
「例のカルトな…あの映像であいつらは…何してたんだろうな」
「…」
怒鳴る女の顔、そのあとの罵声、殴打するような音。ここで行われていたのは儀式だけじゃなく、あの映像の撮影者を痛めつける暴力や罵り、すべてがこの部屋で行われていたのだ。胸が痛む。その、殴られていたのは誰だったのか。考えたくなかった。
移動中、実は少し例のカルトについてさらに調べていた。光如会は教祖を神として崇め、この仏像に向かって祈りをささげるのだ。他にもよくある新興宗教と同じように献金や勧誘ノルマなどが信者には課せられていたようだが、酷い霊感商法も行っているという噂だった。上篠家は一体どこまで浸かっていたのだろうか。そしてシップも、やはりそこにいたのだろうか。
「儀式がいくつかあるらしいんだ。例えば…それこそお葬式みたいに故人のための儀式もあるんだけど、光如会を信じない者たちに罰が下るようにとかそういう…」
「…物騒だな」
「フタさんも調べてくれたでしょ。信者らしい人のブログにあった儀礼とかいうの。すごい数の儀式があるらしいんだ」
俺が佇んだままそんなことを話している間、フタさんは容赦なく祭壇を調べていた。仏像を動かそうとしたり、祭壇の引き出しを開けてみたりしている。
「あっ」
唐突に声を上げた。彼は何かを取り落としていた。
「ど、どうしたの」
「おい、これ…」
落としてしまったそれに明かりを向ける。毛髪の束だ。とても長くて黒い毛髪だ。半紙で巻いてあり、間に何か他にも写真のようなものが挟まっているのが見える。
「髪の束だ…あのブログと同じ」
「気持ちわりい…勘弁してくれ」
「ねえそれ、なんか挟まってない?」
「…触るぞ」
フタさんが束を拾い上げ、そしてとめられていた部分を外して中身を出してくれた。そこにあったのは人の写真と、とめていた半紙の裏に何か文字が書かれていた。
「誰だ…これ…」
写真には見知らぬ男が一人写っていた。全く覚えがない。若い男だ。
「安富…太…?を…邪術…滅…」
半紙に書かれた細い文字を読もうとしたが、ところどころ黒いシミのようなもので汚れていたせいだ。頼りないか細い文字だ。何か良くないことが書いてある気がする。
「呪いみたいだ」
そうつぶやいた。
「そうみたいだぜ」
フタさんは他の引き出しも開けていた。見てみろと言わんばかりに懐中電灯で照らしている。恐る恐る中を覗いてみれば、そこには黒くて長い毛髪が大量に押し込められていた。まとめられているわけではない。とにかく毟り取った髪の毛を、この引き出しに押し込んだみたいに、のたうつ髪が開けられるのを待っていたかのようにだらしなく飛び出していた。
「ひっ」
思わず声を上げて後ろに転んでしまった。気持ちが悪い。埃なのかフケなのか、白いものが毛髪に纏わりつき、見ているだけで頭皮の匂いがしてくるような不快感に襲われる。気持ちが悪い。もう限界だった。
「これ、そっちのまとめられてるのとは違う人間の髪に見える。白髪が混じってんだ」
「やっやめて、言わないでくれ。もう嫌だ…この祭壇は見たくない…」
「でもよ、多分ここで何か…」
「頼むよ…いやなんだ…」
「わ…わかった。すまん。しまうから、落ち着けってハロ。な?」
フタさんは慌てて引き出しを元に戻してくれた。
「悪かった。とにかく、シップを探さなくちゃな。見つけてからでもいい」
「…そうしたい。ごめん、フタさん」
暗くて表情は見えなかったが、フタさんは力強く俺の肩を支えてくれた。
そのまま腕を掴み立ち上がらせてくれる。
「この部屋でさ、なんか色々あったと思うと」
「…ムカつくよな」
「……」
無言で肯定した。
「知らずに友達やってたけど、でもそれでよかったんじゃねえかって俺は思うよ。たまたま知っちまったけどさ、その、ハロ、思いつめるなよ」
震える自分の手をおさえつけて誤魔化した。
「ありがとう、フタさん。もう大丈夫」
俺たちは仏間を後にした。そのまま廊下へと戻り、暗い廊下を懐中電灯で照らした。会談はすぐ目の前にあった。とても長い階段に思えた。年季の入った木目の床がはげている。この階段には、隅以外埃はかぶっていない。きっとよく使っていたんだろう。それこそ、今日だってきっと。
多分この家にはシップしか暮らしていない。本人が前にそう言っていた。一人暮らしだと言っていたが、まさか実家で一人暮らしだとは思っていなかった。両親はどこにいったのだろう。表札には確かに存在していた形跡があったが、この家にはもういないのだろう。
シップはずっと、あの祭壇といなくなった佐奈花ちゃんを想って、ここで独りで暮らしていたのだ。
暗い2階を見上げる。自分の心拍数があがっているのがわかる。呼吸が浅くなり、緊張しているし怖かった。
「シップ」
暗闇に呼びかけた。
返事はない。
「今行くよ」
俺はゆっくりと階段を上り始めた。

階段を登りきると、2階には2つの部屋があるようだったが、その一方の部屋の扉は開いたままになっていた。俺たちを招き入れるかのように感じた。中から薄明るい光が漏れている。モニターの明かりだろうと思った。いつもならみんなでゲームをしている時間だ。そんなことが頭をよぎったが、もう遠い記憶のようだ。
部屋の中から、けたたましく鳴く犬の声が聞こえる。ああきっと、シップはあの動画を再生しているのだ。この部屋に入れば俺はやっと例の映像を見ることができる。
扉へと近づく。もう二人とも何も話さなかった。
踏み込んだ部屋の中はあまりにも不衛生だった。ため込んだゴミから異臭がするし、敷きっぱなしの布団がだらしなく床の上を這っている。扉から正面に位置したデスクの上にはいくつかのモニターとヘッドフォンやマイク、ここでシップがどう過ごしていたか、なんとなくすぐに連想できた。はじめてみるのに、懐かしいものでも見るかのようだ。そして、シップはそこにいた。ゲーミングチェアに器用に括り付けた太い紐、モニターに照らされたその人は、小さな白い骨壺袋を抱えてうなだれていた。
「…女…?」
俺と同い年ぐらいだろうか、長い髪を垂らして、パジャマを着たままの女性が首をくくって力なくうなだれている。その髪は、乱雑に切られていた。
「…遅かった」
フタさんがそう呟いた。