「ねえ、このサーバーに新しい人いれてもいい?」
ロッピャクは唐突に言った。その日も変わらずただゲームをする為だけにボイスチャットに何名かが集まっていた。同じ趣味がある人間がそれ以上の関わり合いもなく過ごすだけの集まりだ。だから正直誰が新しく入ってきても、誰かが急にいなくなってもどうでもよかった。ロッピャクの提案にみな適当に相槌を打っていたと思う。楽し気な彼の声音とは裏腹に、俺たちにとってはそこまで大きな出来事でもなかった。
ボイスチャットに入室を知らせる音が鳴る。
「あー、どうも、こんばんは」
イケボ。第一印象はそんな感じだったと思う。スラっと通る声が意外で、ちょっとだけ興味が湧いた。
「こんばんは。よろしくね。えっと、shipさん?」
俺はそんな感じで挨拶をしたと思う。彼のハンドルネームはshipだった。アイコンは初期設定のまま。得られる情報はそれだけだ。
「はい。よろしくお願いします。好きに呼んでください」
「もうそのままシップって呼んでるんだ」
ロッピャクが我々の仲介をした。
「もう二人は結構遊んでるの?」
何となくそう聞いた。
「いや、実はまだでさ。シップとはSNSで知り合ったんだ。こいつがプレイ動画をちょいちょいアップするから、どのくらいの腕前なのかは知ってるけど実際遊んだことはまだない」
「僕が、610mさんに声をかけてみたんです。いつも見てくれるから、一緒に遊びたいって」
「610m…」
呼び方に笑ってしまった。
「みんなロッピャクって呼んでるよ」
「あ、じゃあ…僕もそう呼ばせてもらいますね」
「かってーな~」
ずっと黙っていたフタさんが声を出した。多分ゲームが一区切りついたのだろう。
「えっと…」
シップは突然聞こえた酒ヤケ声の男に困惑していたと思う。
「すげえ丁寧じゃん。シップくん?あんまそういうの気にしなくていいよ」
あまりにも威圧的だと思ったが、フタさんには悪気があるわけではないのだ。俺たちにはわかっていたが、どうみてもシップは戸惑っていた。
「この人ね、いつもこんな感じだから気にしなくていいよ。フタさんっていうんだ。今酔っぱらっててちょっと声がでかい」
「ああ…そうなんですね」
「じゃちょっと折角だし全員でマッチしようや。人数も…4人でちょうどいいな。おし。早くしろ」
「は、はい」
こうやってはじめて、俺たちは集まったのだ。その後も適当に、なんとなく毎晩が過ぎていった。確かこれは2年ほど前の出来事だ。ロッピャクは新しくできた友人に喜んでいたと思う。あいつはこのメンバーのなかでも明るくてどんな人にも友好的な奴だった。特にロッピャクとシップはいつも一緒に過ごしていて、よく遊んでいたと思う。気が合うのだろう。俺もシップとはたまに二人で遊ぶ機会もあった。当たり障りなくゆっくり話す奴だ。そんな印象を抱いていたが、しばらくそんな風にすごしていると、彼のだらしなさも垣間見えてきた。本人はフリーターだと言っていた気がする。たまに昼間のアルバイトに出てて、それ以外の時間はだいたい寝ているようだった。通話をしている最中に彼のデスクに積まれた何かが雪崩を起こして大変なことになっていたり、寝すぎて約束を破りがちだという一面もあった。
でも全員がそんなもんだった。個性豊かなメンバーだったけど、みんな現実に友達がいなくて、というか関わりたくなくて避けてきた。昼間は一人の人間としてそれぞれ生きて、夜になればハンドルネームとアイコンで武装した姿でインターネットに飛び込んだ。そこにぬくもりなんてものはないけど、窒息しそうな毎日をやり過ごすために必要な場所だ。でもきっと時間が経てばメンバーは入れ替わり、自然とここも姿を変える。強い繋がりなどない場所だけど、少なくとも俺には、確かな防空壕だったんだ。
「ハロは普段なにをしているんですか?」
シップにそう聞かれたことがある。回答に困った。
「え、気になる?」
「答えたくないのなら答えなくて大丈夫ですよ。そういえばと思っただけです」
「うーん」
実際、ただの大学生だった。適度にバイトして、両親から少しの仕送りをもらって過ごしている地味な人間だ。何かを志しているわけでもない。他の同級生からしたら、舐め切った毎日を過ごしている方に分類されるような気はしていた。
「大学生やってるよ。特に不便もなく」
「なるほど」
何が腑に落ちたのかしらないが、シップはそんな反応をした。
「バイトもしてましたよね。奨学金とか大変なんですか?」
「いや、親がね…払ってくれてるし、大して苦労してない…んです」
「へえ…」
突っ込んでくれた方が気が楽なのに、シップは真面目に受け答えした。
「僕は大学行ってないんですよ。だから憧れがある」
「あ、そうなんだ。じゃあ…高校出てそのままバイト?」
「そんな感じです」
「シップは俺より年上だったよね」
「確かそう。というかそうですね」
「なんか…」
シップは真面目な人間だ。だけどこの話を聞いたときに、彼は一体なんのために、どんな風に毎日を過ごしているのか、少し聞いてみたくなった。でも、かなり失礼だ。という考えが俺の次の言葉を制した。
「無気力でしょ。ハロの想像通り、何もない人生ですよ」
シップは俺の沈黙をくみ取ってそう話した。
「うーん、ごめんなさい」
「謝らなくていい。こういう人間もいるって、反面教師にしてください」
「そういうポジションはフタさんで間に合ってるよ」
「彼は立派ですよ。普段どういう人なのか知りませんけど、夜は酒カスですが昼間は会社員やってるんですから」
酒カスという発言に思わず笑ってしまった。
「シップは正社員とか目指さないの?聞いていいのかわからんけど」
「うーん、そうですね。生活はバイトで間に合ってるし」
「そんなもんか…」
俺は自分が近い未来、フタさんとシップのどちらかになるんだろうとぼんやり考えた。
「でもね、目的みたいなのは僕にもあるんですよ」
「え、そうなの?」
「うん。秘密ですけどね。それが果たせたらおわりです」
「…どういうこと?」
「満足したら死のうかなって思ってます」
突然そんなことを言うもんだから呆気にとられた。聞き間違いかとも思った。
「え、…死?」
「あのねハロ。こういう人間って結構多いんですよ」
シップが話を始めた。
「人生のパートナーを見つけて結婚して、子供をのこして社会に属する人間とその定型にはまらない人間は、この世界に五分五分の割合ぐらいでいるんじゃないかと思ってる。現代なんて後者の方が多いかも…いやそれはないか。でも、少なくとも僕は後者で、それでも”おわり”を明確に決めているからもしかしたらまだ救われている方なのかもしれない。目的も生きる意味もなく年を取っていくのはきっと怖いことですから」
「はあ…」
「自死って、個人の自由なんです。悪いことじゃない」
「そうかな…」
「僕は無神論者だから、そう思ってますよ」
「無神論…なに?」
「自死を選択することは地獄に落ちることだと説く人もいますけど、そんなことはないって思ってる。ってだけです」
気まずくなってきた。普段こんなに誰かと話し込むことなんてないからというのもあるが、シップは何か重要なことを話している気がするのに俺はそれに対して真摯に対応できないからだ。こんなに真剣に話してくれているのに、適当な返答を見つけられずにいた。
「ハロは優しいですね」
「えっ、なに急に…気持ち悪いって」
「ごめんね、ロッピャクとはこんな話絶対しないし、フタさんなんて流すでしょ。でもハロは…はは、明らかに困惑してるけど返事を探してくれてる」
「いやそりゃそうでしょ…こんな重たい話、適当に流せないって」
「重いかあ」
「重いよ」
「せっかくだから返事を考えてみるよ。ちょっと待ってて」
「うん」
シップは笑いながら間抜けな俺の返事を待ってくれた。
「全然頭になかった考えを急に突きつけられたから困惑しちゃったけど、やることやったら死のうって思うのは本人からしたら希望なのかもしれないって思った。俺はやっぱりそれすげぇ怖いし、あと普通にシップがいなくなるの悲しいしさ」
「うん」
「いやーでも俺シップのこともみんなのことも何にも知らないからな。その考えを訂正する気が起きないのは、やっぱり本人を知らないからで、知らないからこそ俺は、ああ、そうなんだ。としか思えないかも。薄情かな?」
「そんなことないですよ」
「そうだよね、だって届かないもん。俺じゃあきっと」
「むしろ届かせませんよ」
「なんかさ、シップにあるのって絶望とかよりも野望なんだなって思った」
「ああ…なるほど」
「もう少しシップについて教えてくれるなら、最後は死んでやるっていう気持ちについて、捻じ曲げてやろうって思えるかも」
「そこまでしなくて良いです」
「そっか」
少しの間沈黙した。
「俺たちってさ、お互いのことよく知らないけど、でもなんか現実で知り合うよりずっと、その人の根本的な部分を見せ合ってる気がするよ」
「ほう。どういうことですか」
「シップは現実の知り合いに今の話する?」
「いや絶対しないですよ」
「そうだよな。俺も面と向かってこんな話恥ずかしくてできないよ」
恥ずかしいとかなんだ、といってシップはまた笑っていた。
「ここだけじゃなくて、ネットで知り合ったひとみんな、現実に対しての不満を呟いてたり怒ってたり、ストレス発散してたりしてさ、ある意味顔を知ってる知り合いよりも深い部分を知れてるんだなって、思ったかな」
「でも、実際のことを何も知らないから、善悪がわかりませんよ」
「善悪か。さらに深い話になってきたな…」
「このくらいにしておきますか」
「うん。…話してくれてありがとう、シップ」
「いいえ、聞いてくれてありがとう」
少し恥ずかしくなってきた。誤魔化すためにせわしなくキーボードを叩いてみたが、何かしてる風を装っただけだ。シップももう話は完全に終わったと思っているのか、鼻歌を歌いながらゲームに戻っていた。『死のうと思う』が思いのほか重くのしかかってきた。目の前にはいないけど、ヘッドフォンの向こうにいる楽し気なこの人は、そんなことを抱えながら呑気に遊んでいるんだ。変な気分になった。
「…ねぇ、そういえばshipっていうハンドルネームにはなにか由来があるの?」
俺は話を逸らすつもりでそう聞いた。
「ああ、これはね、本名をもじってるんです」
「へぇ~かっこいいな」
「ハロは?ハロって名前、明るいし呼びやすいし良い名前ですよね」
「え、そうかな…俺はマジでなんの意味もない。なんで名乗ってるのかさえ覚えてないや」
「そうなんですね」
また少し黙った。
「俺の本名聞いてくれない?」
「え、いいんですか?」
「全然何の問題もない。実は本名気に入っててさ。でもクッソ名前負けしてんの」
「どういうこと?」
シップは笑ってくれた。
「めっちゃくさいんだけど幸せな時って書いて幸時(きはる)っていうんだ。マジで恥ずかしい」
「良い名前。名前負けしてるんですか?」
「いやもうだって、ほんと無気力だもん。この先どうなるかもわからないしさ」
「大学生でしょ。不安になるのにはちょっと早すぎます」
そんな話をして笑いあった。その日はたった二人だけで夜を乗り越えて、朝方どちらからともなく眠るために解散したと思う。次の日の夜にはまた声だけで集まって、代わり映えのしない日々を送った。
あれはシップと仲良くなるきっかけになった出来事だったと思う。ずっと敬語が抜けない堅苦しいシップと、ようやくうまく話せたと感じていた。
俺は、この現実逃避の世界にまたひとり新しい友達ができたと、そう思っていたのだと思う。シップが抱える問題が、こんな呑気な俺だけでは到底抱えきれないほど暗くて怖くて、大きな悲しみであることなんて、はじめから知る由もなかったし、権利すらシップに与えてもらえていなかったのだ。
ロッピャクは唐突に言った。その日も変わらずただゲームをする為だけにボイスチャットに何名かが集まっていた。同じ趣味がある人間がそれ以上の関わり合いもなく過ごすだけの集まりだ。だから正直誰が新しく入ってきても、誰かが急にいなくなってもどうでもよかった。ロッピャクの提案にみな適当に相槌を打っていたと思う。楽し気な彼の声音とは裏腹に、俺たちにとってはそこまで大きな出来事でもなかった。
ボイスチャットに入室を知らせる音が鳴る。
「あー、どうも、こんばんは」
イケボ。第一印象はそんな感じだったと思う。スラっと通る声が意外で、ちょっとだけ興味が湧いた。
「こんばんは。よろしくね。えっと、shipさん?」
俺はそんな感じで挨拶をしたと思う。彼のハンドルネームはshipだった。アイコンは初期設定のまま。得られる情報はそれだけだ。
「はい。よろしくお願いします。好きに呼んでください」
「もうそのままシップって呼んでるんだ」
ロッピャクが我々の仲介をした。
「もう二人は結構遊んでるの?」
何となくそう聞いた。
「いや、実はまだでさ。シップとはSNSで知り合ったんだ。こいつがプレイ動画をちょいちょいアップするから、どのくらいの腕前なのかは知ってるけど実際遊んだことはまだない」
「僕が、610mさんに声をかけてみたんです。いつも見てくれるから、一緒に遊びたいって」
「610m…」
呼び方に笑ってしまった。
「みんなロッピャクって呼んでるよ」
「あ、じゃあ…僕もそう呼ばせてもらいますね」
「かってーな~」
ずっと黙っていたフタさんが声を出した。多分ゲームが一区切りついたのだろう。
「えっと…」
シップは突然聞こえた酒ヤケ声の男に困惑していたと思う。
「すげえ丁寧じゃん。シップくん?あんまそういうの気にしなくていいよ」
あまりにも威圧的だと思ったが、フタさんには悪気があるわけではないのだ。俺たちにはわかっていたが、どうみてもシップは戸惑っていた。
「この人ね、いつもこんな感じだから気にしなくていいよ。フタさんっていうんだ。今酔っぱらっててちょっと声がでかい」
「ああ…そうなんですね」
「じゃちょっと折角だし全員でマッチしようや。人数も…4人でちょうどいいな。おし。早くしろ」
「は、はい」
こうやってはじめて、俺たちは集まったのだ。その後も適当に、なんとなく毎晩が過ぎていった。確かこれは2年ほど前の出来事だ。ロッピャクは新しくできた友人に喜んでいたと思う。あいつはこのメンバーのなかでも明るくてどんな人にも友好的な奴だった。特にロッピャクとシップはいつも一緒に過ごしていて、よく遊んでいたと思う。気が合うのだろう。俺もシップとはたまに二人で遊ぶ機会もあった。当たり障りなくゆっくり話す奴だ。そんな印象を抱いていたが、しばらくそんな風にすごしていると、彼のだらしなさも垣間見えてきた。本人はフリーターだと言っていた気がする。たまに昼間のアルバイトに出てて、それ以外の時間はだいたい寝ているようだった。通話をしている最中に彼のデスクに積まれた何かが雪崩を起こして大変なことになっていたり、寝すぎて約束を破りがちだという一面もあった。
でも全員がそんなもんだった。個性豊かなメンバーだったけど、みんな現実に友達がいなくて、というか関わりたくなくて避けてきた。昼間は一人の人間としてそれぞれ生きて、夜になればハンドルネームとアイコンで武装した姿でインターネットに飛び込んだ。そこにぬくもりなんてものはないけど、窒息しそうな毎日をやり過ごすために必要な場所だ。でもきっと時間が経てばメンバーは入れ替わり、自然とここも姿を変える。強い繋がりなどない場所だけど、少なくとも俺には、確かな防空壕だったんだ。
「ハロは普段なにをしているんですか?」
シップにそう聞かれたことがある。回答に困った。
「え、気になる?」
「答えたくないのなら答えなくて大丈夫ですよ。そういえばと思っただけです」
「うーん」
実際、ただの大学生だった。適度にバイトして、両親から少しの仕送りをもらって過ごしている地味な人間だ。何かを志しているわけでもない。他の同級生からしたら、舐め切った毎日を過ごしている方に分類されるような気はしていた。
「大学生やってるよ。特に不便もなく」
「なるほど」
何が腑に落ちたのかしらないが、シップはそんな反応をした。
「バイトもしてましたよね。奨学金とか大変なんですか?」
「いや、親がね…払ってくれてるし、大して苦労してない…んです」
「へえ…」
突っ込んでくれた方が気が楽なのに、シップは真面目に受け答えした。
「僕は大学行ってないんですよ。だから憧れがある」
「あ、そうなんだ。じゃあ…高校出てそのままバイト?」
「そんな感じです」
「シップは俺より年上だったよね」
「確かそう。というかそうですね」
「なんか…」
シップは真面目な人間だ。だけどこの話を聞いたときに、彼は一体なんのために、どんな風に毎日を過ごしているのか、少し聞いてみたくなった。でも、かなり失礼だ。という考えが俺の次の言葉を制した。
「無気力でしょ。ハロの想像通り、何もない人生ですよ」
シップは俺の沈黙をくみ取ってそう話した。
「うーん、ごめんなさい」
「謝らなくていい。こういう人間もいるって、反面教師にしてください」
「そういうポジションはフタさんで間に合ってるよ」
「彼は立派ですよ。普段どういう人なのか知りませんけど、夜は酒カスですが昼間は会社員やってるんですから」
酒カスという発言に思わず笑ってしまった。
「シップは正社員とか目指さないの?聞いていいのかわからんけど」
「うーん、そうですね。生活はバイトで間に合ってるし」
「そんなもんか…」
俺は自分が近い未来、フタさんとシップのどちらかになるんだろうとぼんやり考えた。
「でもね、目的みたいなのは僕にもあるんですよ」
「え、そうなの?」
「うん。秘密ですけどね。それが果たせたらおわりです」
「…どういうこと?」
「満足したら死のうかなって思ってます」
突然そんなことを言うもんだから呆気にとられた。聞き間違いかとも思った。
「え、…死?」
「あのねハロ。こういう人間って結構多いんですよ」
シップが話を始めた。
「人生のパートナーを見つけて結婚して、子供をのこして社会に属する人間とその定型にはまらない人間は、この世界に五分五分の割合ぐらいでいるんじゃないかと思ってる。現代なんて後者の方が多いかも…いやそれはないか。でも、少なくとも僕は後者で、それでも”おわり”を明確に決めているからもしかしたらまだ救われている方なのかもしれない。目的も生きる意味もなく年を取っていくのはきっと怖いことですから」
「はあ…」
「自死って、個人の自由なんです。悪いことじゃない」
「そうかな…」
「僕は無神論者だから、そう思ってますよ」
「無神論…なに?」
「自死を選択することは地獄に落ちることだと説く人もいますけど、そんなことはないって思ってる。ってだけです」
気まずくなってきた。普段こんなに誰かと話し込むことなんてないからというのもあるが、シップは何か重要なことを話している気がするのに俺はそれに対して真摯に対応できないからだ。こんなに真剣に話してくれているのに、適当な返答を見つけられずにいた。
「ハロは優しいですね」
「えっ、なに急に…気持ち悪いって」
「ごめんね、ロッピャクとはこんな話絶対しないし、フタさんなんて流すでしょ。でもハロは…はは、明らかに困惑してるけど返事を探してくれてる」
「いやそりゃそうでしょ…こんな重たい話、適当に流せないって」
「重いかあ」
「重いよ」
「せっかくだから返事を考えてみるよ。ちょっと待ってて」
「うん」
シップは笑いながら間抜けな俺の返事を待ってくれた。
「全然頭になかった考えを急に突きつけられたから困惑しちゃったけど、やることやったら死のうって思うのは本人からしたら希望なのかもしれないって思った。俺はやっぱりそれすげぇ怖いし、あと普通にシップがいなくなるの悲しいしさ」
「うん」
「いやーでも俺シップのこともみんなのことも何にも知らないからな。その考えを訂正する気が起きないのは、やっぱり本人を知らないからで、知らないからこそ俺は、ああ、そうなんだ。としか思えないかも。薄情かな?」
「そんなことないですよ」
「そうだよね、だって届かないもん。俺じゃあきっと」
「むしろ届かせませんよ」
「なんかさ、シップにあるのって絶望とかよりも野望なんだなって思った」
「ああ…なるほど」
「もう少しシップについて教えてくれるなら、最後は死んでやるっていう気持ちについて、捻じ曲げてやろうって思えるかも」
「そこまでしなくて良いです」
「そっか」
少しの間沈黙した。
「俺たちってさ、お互いのことよく知らないけど、でもなんか現実で知り合うよりずっと、その人の根本的な部分を見せ合ってる気がするよ」
「ほう。どういうことですか」
「シップは現実の知り合いに今の話する?」
「いや絶対しないですよ」
「そうだよな。俺も面と向かってこんな話恥ずかしくてできないよ」
恥ずかしいとかなんだ、といってシップはまた笑っていた。
「ここだけじゃなくて、ネットで知り合ったひとみんな、現実に対しての不満を呟いてたり怒ってたり、ストレス発散してたりしてさ、ある意味顔を知ってる知り合いよりも深い部分を知れてるんだなって、思ったかな」
「でも、実際のことを何も知らないから、善悪がわかりませんよ」
「善悪か。さらに深い話になってきたな…」
「このくらいにしておきますか」
「うん。…話してくれてありがとう、シップ」
「いいえ、聞いてくれてありがとう」
少し恥ずかしくなってきた。誤魔化すためにせわしなくキーボードを叩いてみたが、何かしてる風を装っただけだ。シップももう話は完全に終わったと思っているのか、鼻歌を歌いながらゲームに戻っていた。『死のうと思う』が思いのほか重くのしかかってきた。目の前にはいないけど、ヘッドフォンの向こうにいる楽し気なこの人は、そんなことを抱えながら呑気に遊んでいるんだ。変な気分になった。
「…ねぇ、そういえばshipっていうハンドルネームにはなにか由来があるの?」
俺は話を逸らすつもりでそう聞いた。
「ああ、これはね、本名をもじってるんです」
「へぇ~かっこいいな」
「ハロは?ハロって名前、明るいし呼びやすいし良い名前ですよね」
「え、そうかな…俺はマジでなんの意味もない。なんで名乗ってるのかさえ覚えてないや」
「そうなんですね」
また少し黙った。
「俺の本名聞いてくれない?」
「え、いいんですか?」
「全然何の問題もない。実は本名気に入っててさ。でもクッソ名前負けしてんの」
「どういうこと?」
シップは笑ってくれた。
「めっちゃくさいんだけど幸せな時って書いて幸時(きはる)っていうんだ。マジで恥ずかしい」
「良い名前。名前負けしてるんですか?」
「いやもうだって、ほんと無気力だもん。この先どうなるかもわからないしさ」
「大学生でしょ。不安になるのにはちょっと早すぎます」
そんな話をして笑いあった。その日はたった二人だけで夜を乗り越えて、朝方どちらからともなく眠るために解散したと思う。次の日の夜にはまた声だけで集まって、代わり映えのしない日々を送った。
あれはシップと仲良くなるきっかけになった出来事だったと思う。ずっと敬語が抜けない堅苦しいシップと、ようやくうまく話せたと感じていた。
俺は、この現実逃避の世界にまたひとり新しい友達ができたと、そう思っていたのだと思う。シップが抱える問題が、こんな呑気な俺だけでは到底抱えきれないほど暗くて怖くて、大きな悲しみであることなんて、はじめから知る由もなかったし、権利すらシップに与えてもらえていなかったのだ。