46.
阿刀恵 様
拝啓
このような手紙を綴ることを、どうか許してほしい。
私は今、自身の死が近いと感じている。
そして、その原因はおそらく私が長年追い求めてきた謎、すなわち、あめつちの詞の16文字―――「ゆわさる おふせよ えの𛀁を なれゐて」―――にまつわる呪いのような力にあると確信しているのだ。
あるいは「呪い」などという言葉は、学問の世界では到底受け容れられないかもしれない。しかし、私がこの身で体験している異常な出来事――たとえば、あちらこちらでムカデの姿を頻繁に見かけるようになったことなど――を総合的に考えると、いまやそれ以外の言葉では説明がつかない。
そもそもの発端は、貴女もよく知る加藤と私が、ある古いトンネルの先へと踏み込んだ出来事だった。
私と彼は、もろもろの情報からひとつの答えを見つけ出し、あのトンネルを探し当てた。そして、二人で現地に足を運ぶことになったのだ。
貴女に送った資料のどこかにあったかもしれないが、そのトンネル、つまり事の核心に地元の人間も「近づくな」と言っていた。
それでも、私は市井の学者として「真相を掴みたい」という知的好奇心を抑えきれず、加藤も同じ気持ちを抱いていたようだ。
そして、我々はそのトンネルの最奥で、祠と16文字の漢字を見つけた。
あの時の私は、まるで少年のように無邪気な興奮に突き動かされていた。加藤も同様で、互いに「これで長年の謎に近づける」と胸を躍らせていた。
が、今となっては、その瞬間こそが運命の分かれ道だったのだと思う。あれほど心から喜んだことが、いまの私にとっては激しい後悔となって胸を苛む。あの16文字を見なければ、私も、こんな苦悩や恐怖を抱えずに済んだのではないか。私たちがあの場に足を運んだこと自体が間違いであり、どうしようもなく取り返しのつかない行為だったのだと痛感している。
もっとも、加藤と私が同じものを見たあの日以降、彼の行方ははっきりしないままだ。
私以外に加藤を知る者は見当たらず、まるで彼の存在そのものが最初からこの世の中に存在していなかったかのように感じることさえある。
だが、ある日ふと目にしたテレビで、加藤らしき人物が事故で死亡したと報じられていたのだ。
そうだ、確かに加藤は死んだと思う。
それなのに、私は心のどこかでその死を受け入れられずにいる。なぜなら、私は彼を確かに見たからだ。
何度か見たあの加藤らしい人物が、それが亡霊なのか幻覚なのか、それとも加藤が実はまだ生きているのか――今の私には判断がつかない。ただ確かなのは、あの16文字を見て以来、私の周囲で不可解な現象が相次ぎ、まるで加藤自身が私のもとへ立ち戻り、何かの警告を発しているようにも思えることだ。
そして、肝心の私自身も、このままでは加藤と同じ結末を迎えるだろう。
手元の資料や、貴女に協力してもらって集めた数々の文献を再度読み込んでみると、あの16文字には呪詞としての実体が確かにあることがわかる。単なる伝説や作り話ではなく、現代に息づいている恐ろしい力だと私は感じている。先日の段階から、あちらこちらで目撃する“ムカデ”が、その暗い兆しの象徴として私の視界に入り込んでくる。以前はムカデなど見かけたことがなかった場所に、なぜか突然現れるのだ。しかも、私がこのことを意識すればするほど、あの忌まわしい虫が姿を見せる頻度が増す。それはまるで、私の運命が呪いに捕らえられていることを示す合図のようだ。
思えば、加藤も同じ不安を口にしていた。
その時、私はと能天気に言い含め、加藤の不安をあまり深刻に受けとめなかった。今では、その私の態度こそが最大の悔恨である。もし私がもう少し慎重にあのトンネルを調べ、あの16文字の危険性を先に察知することができていたならば、二人であんな場所へ訪れることもなかっただろうし、貴女をもこの厄介な渦に巻き込むこともなかっただろう。
このような形でしか謝罪できないのが心苦しいが、どうか許してほしい。
貴女は私が地道に収集してきた郷土史や古文献の整理を手伝ってくれた、大切な友人であり、私にとっては唯一無二の心強い協力者だった。
それゆえ、私が抱える問題は必然的に貴女のもとへも波及してしまった。加藤との一連の出来事を通じて私が得た危険な知識を、貴女も共有することになったからだ。恐らく、これまでの文献の中にも、あの16文字の呪いについて触れているらしき断片は存在したはず。だが私は、自分の探究心を優先してしまい、貴女の安全を軽視してきた。
しかし、今となっては私にできることは限られている。私自身、死を回避する確たる方法を見つけ出すことができず、加藤の後を追うように、この世界から消えてしまうのではないか――そんな予感が日に日に強まっているのだ。
ここからは、貴女の知識欲を少しでも満たせるよう、私の考察を語りたい。
貴女も興味を持っているであろう“あめつちの詞”について、私なりの結論に達した。
従来、私たちが知る“あめつちの詞”は、前半から始まり、長大な言の葉を連ねた祝詞のように認識されていた。だが、実際には、あの後半16文字が先に存在していたのではないかと考えるのが妥当だ。あの16文字が強烈な呪いの核となっており、時代を経て危険を緩和するためか、あるいは人々の祈りを付与するためか、とにかく“保護幕”のようなものとして長い前半部分が付け加えられていったのではないか――これが私の推測だ。
そして、その呪いは“字と音”の両方を認識することで発動すると思われる。だからこそ、文字としては残さず、音だけで祀る、あるいは暗誦する形に変化させてきたのではないだろうか。もし文字がそのまま伝承され続けていたら、多くの人が取り返しのつかない災厄を被ったに違いない。そのことを先人たちは理解していたからこそ、危険性を隠す手段として“表面上の詞”だけを伝え、肝腎の部分は封印したのだろう。私はそう推理している。
貴女には、これまで集めた資料を改めて整理してもらえれば、あの謎の呪詞が大昔から存在している形跡を見いだせるはずだ。地方の伝承や神事の口伝、祭りの中で暗唱される言葉など、それらを関連づければ、同じ根っこから派生しているのが透けて見えてくる。
実際、加藤ともよく議論したのだが、彼はあの16文字を全面的に復元すれば、何か途方もない力を解き放てると考えていたのかもしれない。
あるいは、「彼の家系」に秘められたものがあったのか……彼がどこからその知識を得ていたのか、私にはわからない。
そうなのだ。彼の家系。
これは書こうどうしようか迷っていたことだが、実のところ、カトウという名の人物は、今にして思えば、私の調査の中でも時代や地域を越えてたびたび姿を見せているように思える。もちろん、単に別人かもしれないが、あまりにも偶然が重なり過ぎている。まるで歴史の裏側で何かを守り追い続けている“カトウという一族”がいたかのようだ。荒唐無稽かもしれないが、あのトンネルの奥で加藤と私が遭遇した16文字、そして彼の死後の出現を思い出すと、何らかの意図がそこに働いていたとしか思えないのだ。
馬鹿らしい妄言だと思うだろうが、ぜひ資料を見直してもらいたい。
さて、ここで私の知り得た16文字「ゆわさる おふせよ えの𛀁を なれゐて」の“意味”についてだけは記しておこう。
先に述べたように、呪いは“字と音”の双方を揃って認識すると危険だと思われるため、私は字そのものを書くことを避け、意味の部分だけをここに書き留める。もし貴女が危険に巻き込まれたくないのなら、この先を読まずに飛ばしてほしい。
あの16音に対応する16文字の漢字が示していた意味は「調和を散り流して、現世ならぬ世界と通じ合い、我が身と我が縁を、御神に捧げ申し上げる」というものだった。一読すると献身的な祈りのようだが、その本質は自らと自らに繋がる縁を“別の世界”に奉り、何らかの交換ないし契約を行うことを暗示しているとも取れる。実際、そうした解釈の延長で考えると、加藤の件や、私がこうして死の気配を感じるのも、まったく荒唐無稽ではなくなる。そこには、得体の知れない世界と通じ合う扉が用意されていたのではないかと、今では思っている。
最後に、貴女への謝辞と祈りの言葉を改めて伝えたい。私は貴女をこの問題に巻き込んでしまった。あれほど危険なものだとわかっていたなら、決してトンネルへ行ったり、加藤と共に調査を続けたりなどしなかっただろう。もし、私の身にこれから起きる事態が一連の呪いによるものだとしたら、その呪いが貴女へ及ばないことを切に願う。私にできる最後のわずかな抵抗は、あの16文字の音を曖昧に留め、あくまで意味だけを伝える、その危険を知らせることだ。
さらに言えば、私も完全に運命を諦めたわけではない。もしかしたら奇跡的に生き延びる可能性があるかもしれない――もっとも、その確率は限りなく低いのかもしれないが。しかし、誰にも未来を断言することはできない。もし私がこのまま加藤の後を追う形で命を落とすとしても、死後の世界があるのなら、加藤と再会して真実を確かめたい。
加藤が本当に死んだのか、あるいは別の何かが裏側で働いているのか移ってしまったのか、そうした疑問はきっとあちらで解けるだろう。
ともあれ、なんども書いたように、私が一番恐れているのは貴女に禍が及ぶことだ。
だからどうか、私が残した資料や書き込みをもう一度読み直して、慎重に保管してほしい。もし捨てることが貴女の安全に繋がるならば、それも選択肢の一つだろう。私は学者としての矜持を曲げて、そんなことを推奨するのは本意ではないが、貴女が生き延びることが最優先だ。私としては、貴女にまで不幸が及ぶことだけは絶対に避けたい。
最後に、これまで支えてくれたことへの感謝をもう一度伝える。
結果的に呪いを呼び寄せてしまったと言えばそれまでだが、いずれにせよ私の人生において、貴女の存在は大きな救いだったのだ。ありがとう。そして、私からの別れの言葉としてはあまりに無責任に聞こえるかもしれないが、貴女が無事でいてくれることを願うばかりだ。どうか名の通り、貴女の人生に恵みの多い未来が訪れますように。
私はこれから、このどうしようもない運命を受け止め、もしかしたら訪れるかもしれない奇跡を待つ。あるいは私も加藤と同じ道を辿るのだろう。しかし、どのような形であれ、貴女だけは生き抜いてほしい。勝手な願いではあるけれど、それが今の私に残された唯一の願望だ。
阿刀恵さま、今まで本当にありがとう。
草々
戸黒正彰
阿刀恵 様
拝啓
このような手紙を綴ることを、どうか許してほしい。
私は今、自身の死が近いと感じている。
そして、その原因はおそらく私が長年追い求めてきた謎、すなわち、あめつちの詞の16文字―――「ゆわさる おふせよ えの𛀁を なれゐて」―――にまつわる呪いのような力にあると確信しているのだ。
あるいは「呪い」などという言葉は、学問の世界では到底受け容れられないかもしれない。しかし、私がこの身で体験している異常な出来事――たとえば、あちらこちらでムカデの姿を頻繁に見かけるようになったことなど――を総合的に考えると、いまやそれ以外の言葉では説明がつかない。
そもそもの発端は、貴女もよく知る加藤と私が、ある古いトンネルの先へと踏み込んだ出来事だった。
私と彼は、もろもろの情報からひとつの答えを見つけ出し、あのトンネルを探し当てた。そして、二人で現地に足を運ぶことになったのだ。
貴女に送った資料のどこかにあったかもしれないが、そのトンネル、つまり事の核心に地元の人間も「近づくな」と言っていた。
それでも、私は市井の学者として「真相を掴みたい」という知的好奇心を抑えきれず、加藤も同じ気持ちを抱いていたようだ。
そして、我々はそのトンネルの最奥で、祠と16文字の漢字を見つけた。
あの時の私は、まるで少年のように無邪気な興奮に突き動かされていた。加藤も同様で、互いに「これで長年の謎に近づける」と胸を躍らせていた。
が、今となっては、その瞬間こそが運命の分かれ道だったのだと思う。あれほど心から喜んだことが、いまの私にとっては激しい後悔となって胸を苛む。あの16文字を見なければ、私も、こんな苦悩や恐怖を抱えずに済んだのではないか。私たちがあの場に足を運んだこと自体が間違いであり、どうしようもなく取り返しのつかない行為だったのだと痛感している。
もっとも、加藤と私が同じものを見たあの日以降、彼の行方ははっきりしないままだ。
私以外に加藤を知る者は見当たらず、まるで彼の存在そのものが最初からこの世の中に存在していなかったかのように感じることさえある。
だが、ある日ふと目にしたテレビで、加藤らしき人物が事故で死亡したと報じられていたのだ。
そうだ、確かに加藤は死んだと思う。
それなのに、私は心のどこかでその死を受け入れられずにいる。なぜなら、私は彼を確かに見たからだ。
何度か見たあの加藤らしい人物が、それが亡霊なのか幻覚なのか、それとも加藤が実はまだ生きているのか――今の私には判断がつかない。ただ確かなのは、あの16文字を見て以来、私の周囲で不可解な現象が相次ぎ、まるで加藤自身が私のもとへ立ち戻り、何かの警告を発しているようにも思えることだ。
そして、肝心の私自身も、このままでは加藤と同じ結末を迎えるだろう。
手元の資料や、貴女に協力してもらって集めた数々の文献を再度読み込んでみると、あの16文字には呪詞としての実体が確かにあることがわかる。単なる伝説や作り話ではなく、現代に息づいている恐ろしい力だと私は感じている。先日の段階から、あちらこちらで目撃する“ムカデ”が、その暗い兆しの象徴として私の視界に入り込んでくる。以前はムカデなど見かけたことがなかった場所に、なぜか突然現れるのだ。しかも、私がこのことを意識すればするほど、あの忌まわしい虫が姿を見せる頻度が増す。それはまるで、私の運命が呪いに捕らえられていることを示す合図のようだ。
思えば、加藤も同じ不安を口にしていた。
その時、私はと能天気に言い含め、加藤の不安をあまり深刻に受けとめなかった。今では、その私の態度こそが最大の悔恨である。もし私がもう少し慎重にあのトンネルを調べ、あの16文字の危険性を先に察知することができていたならば、二人であんな場所へ訪れることもなかっただろうし、貴女をもこの厄介な渦に巻き込むこともなかっただろう。
このような形でしか謝罪できないのが心苦しいが、どうか許してほしい。
貴女は私が地道に収集してきた郷土史や古文献の整理を手伝ってくれた、大切な友人であり、私にとっては唯一無二の心強い協力者だった。
それゆえ、私が抱える問題は必然的に貴女のもとへも波及してしまった。加藤との一連の出来事を通じて私が得た危険な知識を、貴女も共有することになったからだ。恐らく、これまでの文献の中にも、あの16文字の呪いについて触れているらしき断片は存在したはず。だが私は、自分の探究心を優先してしまい、貴女の安全を軽視してきた。
しかし、今となっては私にできることは限られている。私自身、死を回避する確たる方法を見つけ出すことができず、加藤の後を追うように、この世界から消えてしまうのではないか――そんな予感が日に日に強まっているのだ。
ここからは、貴女の知識欲を少しでも満たせるよう、私の考察を語りたい。
貴女も興味を持っているであろう“あめつちの詞”について、私なりの結論に達した。
従来、私たちが知る“あめつちの詞”は、前半から始まり、長大な言の葉を連ねた祝詞のように認識されていた。だが、実際には、あの後半16文字が先に存在していたのではないかと考えるのが妥当だ。あの16文字が強烈な呪いの核となっており、時代を経て危険を緩和するためか、あるいは人々の祈りを付与するためか、とにかく“保護幕”のようなものとして長い前半部分が付け加えられていったのではないか――これが私の推測だ。
そして、その呪いは“字と音”の両方を認識することで発動すると思われる。だからこそ、文字としては残さず、音だけで祀る、あるいは暗誦する形に変化させてきたのではないだろうか。もし文字がそのまま伝承され続けていたら、多くの人が取り返しのつかない災厄を被ったに違いない。そのことを先人たちは理解していたからこそ、危険性を隠す手段として“表面上の詞”だけを伝え、肝腎の部分は封印したのだろう。私はそう推理している。
貴女には、これまで集めた資料を改めて整理してもらえれば、あの謎の呪詞が大昔から存在している形跡を見いだせるはずだ。地方の伝承や神事の口伝、祭りの中で暗唱される言葉など、それらを関連づければ、同じ根っこから派生しているのが透けて見えてくる。
実際、加藤ともよく議論したのだが、彼はあの16文字を全面的に復元すれば、何か途方もない力を解き放てると考えていたのかもしれない。
あるいは、「彼の家系」に秘められたものがあったのか……彼がどこからその知識を得ていたのか、私にはわからない。
そうなのだ。彼の家系。
これは書こうどうしようか迷っていたことだが、実のところ、カトウという名の人物は、今にして思えば、私の調査の中でも時代や地域を越えてたびたび姿を見せているように思える。もちろん、単に別人かもしれないが、あまりにも偶然が重なり過ぎている。まるで歴史の裏側で何かを守り追い続けている“カトウという一族”がいたかのようだ。荒唐無稽かもしれないが、あのトンネルの奥で加藤と私が遭遇した16文字、そして彼の死後の出現を思い出すと、何らかの意図がそこに働いていたとしか思えないのだ。
馬鹿らしい妄言だと思うだろうが、ぜひ資料を見直してもらいたい。
さて、ここで私の知り得た16文字「ゆわさる おふせよ えの𛀁を なれゐて」の“意味”についてだけは記しておこう。
先に述べたように、呪いは“字と音”の双方を揃って認識すると危険だと思われるため、私は字そのものを書くことを避け、意味の部分だけをここに書き留める。もし貴女が危険に巻き込まれたくないのなら、この先を読まずに飛ばしてほしい。
あの16音に対応する16文字の漢字が示していた意味は「調和を散り流して、現世ならぬ世界と通じ合い、我が身と我が縁を、御神に捧げ申し上げる」というものだった。一読すると献身的な祈りのようだが、その本質は自らと自らに繋がる縁を“別の世界”に奉り、何らかの交換ないし契約を行うことを暗示しているとも取れる。実際、そうした解釈の延長で考えると、加藤の件や、私がこうして死の気配を感じるのも、まったく荒唐無稽ではなくなる。そこには、得体の知れない世界と通じ合う扉が用意されていたのではないかと、今では思っている。
最後に、貴女への謝辞と祈りの言葉を改めて伝えたい。私は貴女をこの問題に巻き込んでしまった。あれほど危険なものだとわかっていたなら、決してトンネルへ行ったり、加藤と共に調査を続けたりなどしなかっただろう。もし、私の身にこれから起きる事態が一連の呪いによるものだとしたら、その呪いが貴女へ及ばないことを切に願う。私にできる最後のわずかな抵抗は、あの16文字の音を曖昧に留め、あくまで意味だけを伝える、その危険を知らせることだ。
さらに言えば、私も完全に運命を諦めたわけではない。もしかしたら奇跡的に生き延びる可能性があるかもしれない――もっとも、その確率は限りなく低いのかもしれないが。しかし、誰にも未来を断言することはできない。もし私がこのまま加藤の後を追う形で命を落とすとしても、死後の世界があるのなら、加藤と再会して真実を確かめたい。
加藤が本当に死んだのか、あるいは別の何かが裏側で働いているのか移ってしまったのか、そうした疑問はきっとあちらで解けるだろう。
ともあれ、なんども書いたように、私が一番恐れているのは貴女に禍が及ぶことだ。
だからどうか、私が残した資料や書き込みをもう一度読み直して、慎重に保管してほしい。もし捨てることが貴女の安全に繋がるならば、それも選択肢の一つだろう。私は学者としての矜持を曲げて、そんなことを推奨するのは本意ではないが、貴女が生き延びることが最優先だ。私としては、貴女にまで不幸が及ぶことだけは絶対に避けたい。
最後に、これまで支えてくれたことへの感謝をもう一度伝える。
結果的に呪いを呼び寄せてしまったと言えばそれまでだが、いずれにせよ私の人生において、貴女の存在は大きな救いだったのだ。ありがとう。そして、私からの別れの言葉としてはあまりに無責任に聞こえるかもしれないが、貴女が無事でいてくれることを願うばかりだ。どうか名の通り、貴女の人生に恵みの多い未来が訪れますように。
私はこれから、このどうしようもない運命を受け止め、もしかしたら訪れるかもしれない奇跡を待つ。あるいは私も加藤と同じ道を辿るのだろう。しかし、どのような形であれ、貴女だけは生き抜いてほしい。勝手な願いではあるけれど、それが今の私に残された唯一の願望だ。
阿刀恵さま、今まで本当にありがとう。
草々
戸黒正彰
