41.聲祭り(『日本山岳信仰研究資料集 第三巻』より)
むかし黒穂の山奥に、小さき里ありけり。年ごとに「詞を刻む聲の祭」と申す式を執り行い、贄に罪人や病を負う者を供へ、神の御恩寵を乞うのが習いなり。
祭りの折、里人こぞりて怪しき詞を唱へ、拝殿を取り囲む。その中に神官と呼ばるる者あり。此の神官こそ、先の祭りにて奇跡を得し贄なり。若かりし頃は病に伏せりしが、呪詞の只中に生を拾ひ、黒穂の神の力を授かりけるとぞ。
やがて呪いの聲、拝殿を満たすに及び、生贄どもは命果てゆく。されどそのうち唯一、血も穢れも雪がる如く浄められ、生き永らう者あらば、これこそ新たなる恩寵の受け手なり。かくて奇跡の者は、神官の後継として崇められ、祭りを次へと繋ぎ伝う。
されど数多の命が散りゆく事は変わらず、里人らは恐れつつも、祭りを絶やすまじと念じける。もとより罪人や病人を供えれば、凶作や疫の難は遠のくと古より信じられし故にこそ。
時移り、ある年にはまた新たなる神官が去りて、後継者を残せば、里は同じ式を繰り返すといふ。さて、この忌まわしき祭りの謎を解く者はなきまま、伝え語られる御伽草子に、只静かにその名を留めけるとぞ。
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聲祭りとは、黒穂の山あいで古くより行われていたと伝わる、いまでは失われてしまった儀式です。罪を犯した者や重い病に冒された者を生贄に選び、古来の呪詞を唱えながら神の恩寵を乞うことで、凶作や疫病を鎮めようとしたとされます。事実は不明ですが、多くの生贄は儀式の末に死に至るが、ただひとりだけが奇跡を授かり、穢れから解き放たれる、というのも極めて特徴的です。
しかし、この祭りは時代を経るにつれて廃れ、いまは記録や伝承の断片から推測するほかありません。とりわけ「前回の祭りで救われた者が神官となる」という独自の継承の仕組みは、当時の人びとの信仰や恐怖、そして共同体内の秩序を映し出していたのでしょう。いまでは御伽草子や口承によってのみ、その残響を知ることができます。
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出典元:『日本山岳信仰研究資料集 第三巻』
発行年:1932年
編集・監修:桑原功、加藤宗之介
発行所:古今民俗学会
解説: 『日本山岳信仰研究資料集』は、大正から昭和にかけて各地の民俗資料や伝承を収集し、日本人の信仰文化を研究した学者・桑原功による全5巻からなるシリーズの一部です。このシリーズは特に山岳信仰や秘祭、失われた宗教儀礼に焦点を当てており、戦前の民俗学・歴史学研究に多大な影響を与えました。
「聲(こえ)祭り」に関する記述は第三巻に収録されており、山岳地帯における独自の儀式や信仰体系を詳細に記録した部分に含まれています。特に、○○県の山間部で行われたとされる「聲祭り」は、その特殊性と残虐性から注目を集めました。この資料は桑原氏が1930年に現地調査を行い、地元住民からの口承や古文書の断片をもとに再構築したものとされています。
同巻には、以下のような解説が添えられています。
「聲祭りは日本の多くの秘祭と同様、共同体の秩序維持や災厄除去を目的としていたと考えられる。罪人や病人を生贄に用いる点、また奇跡的に生き延びた者を神官とする継承制度は、独特の呪術的性質を持つ。だが、戦後の急速な近代化によりこの儀式は失われ、現地住民の記憶にもほとんど残されていない。」
※本書は現在、逸書となっています
むかし黒穂の山奥に、小さき里ありけり。年ごとに「詞を刻む聲の祭」と申す式を執り行い、贄に罪人や病を負う者を供へ、神の御恩寵を乞うのが習いなり。
祭りの折、里人こぞりて怪しき詞を唱へ、拝殿を取り囲む。その中に神官と呼ばるる者あり。此の神官こそ、先の祭りにて奇跡を得し贄なり。若かりし頃は病に伏せりしが、呪詞の只中に生を拾ひ、黒穂の神の力を授かりけるとぞ。
やがて呪いの聲、拝殿を満たすに及び、生贄どもは命果てゆく。されどそのうち唯一、血も穢れも雪がる如く浄められ、生き永らう者あらば、これこそ新たなる恩寵の受け手なり。かくて奇跡の者は、神官の後継として崇められ、祭りを次へと繋ぎ伝う。
されど数多の命が散りゆく事は変わらず、里人らは恐れつつも、祭りを絶やすまじと念じける。もとより罪人や病人を供えれば、凶作や疫の難は遠のくと古より信じられし故にこそ。
時移り、ある年にはまた新たなる神官が去りて、後継者を残せば、里は同じ式を繰り返すといふ。さて、この忌まわしき祭りの謎を解く者はなきまま、伝え語られる御伽草子に、只静かにその名を留めけるとぞ。
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聲祭りとは、黒穂の山あいで古くより行われていたと伝わる、いまでは失われてしまった儀式です。罪を犯した者や重い病に冒された者を生贄に選び、古来の呪詞を唱えながら神の恩寵を乞うことで、凶作や疫病を鎮めようとしたとされます。事実は不明ですが、多くの生贄は儀式の末に死に至るが、ただひとりだけが奇跡を授かり、穢れから解き放たれる、というのも極めて特徴的です。
しかし、この祭りは時代を経るにつれて廃れ、いまは記録や伝承の断片から推測するほかありません。とりわけ「前回の祭りで救われた者が神官となる」という独自の継承の仕組みは、当時の人びとの信仰や恐怖、そして共同体内の秩序を映し出していたのでしょう。いまでは御伽草子や口承によってのみ、その残響を知ることができます。
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出典元:『日本山岳信仰研究資料集 第三巻』
発行年:1932年
編集・監修:桑原功、加藤宗之介
発行所:古今民俗学会
解説: 『日本山岳信仰研究資料集』は、大正から昭和にかけて各地の民俗資料や伝承を収集し、日本人の信仰文化を研究した学者・桑原功による全5巻からなるシリーズの一部です。このシリーズは特に山岳信仰や秘祭、失われた宗教儀礼に焦点を当てており、戦前の民俗学・歴史学研究に多大な影響を与えました。
「聲(こえ)祭り」に関する記述は第三巻に収録されており、山岳地帯における独自の儀式や信仰体系を詳細に記録した部分に含まれています。特に、○○県の山間部で行われたとされる「聲祭り」は、その特殊性と残虐性から注目を集めました。この資料は桑原氏が1930年に現地調査を行い、地元住民からの口承や古文書の断片をもとに再構築したものとされています。
同巻には、以下のような解説が添えられています。
「聲祭りは日本の多くの秘祭と同様、共同体の秩序維持や災厄除去を目的としていたと考えられる。罪人や病人を生贄に用いる点、また奇跡的に生き延びた者を神官とする継承制度は、独特の呪術的性質を持つ。だが、戦後の急速な近代化によりこの儀式は失われ、現地住民の記憶にもほとんど残されていない。」
※本書は現在、逸書となっています
