4.昭和35年 診察記録
医療機関名:○○大学病院精神科
患者氏名:Mさん
年齢:42歳
ご職業:トンネル工事の作業員
診断名:精神分裂病
記録者:精神科医 加藤元樹
==== ==== ==== ====
【第1回目の診察(昭和35年4月15日)】
主訴/
Mさんは数週間前から鏡を見るたびに自分の背後に巨大なムカデが映ると訴え来院。
実際には周囲にムカデの存在は確認されておらず、彼自身も「それが現実ではない」と理解しているものの、幻覚が引き起こす強烈な不安により日常生活に支障をきたしている。
診察内容/
Mさんは冷静で、話し方も一見論理的。
しかし、話題がムカデに及ぶと異様な興奮を見せ、「あれはただの虫ではない」と断言する。
彼の話によると、最初にムカデを見たのは数カ月前。夜中に目を覚まし、ふと鏡を見ると、背後の壁をムカデが這っていたという。
その時は気のせいだと思い再び眠ったが、翌朝も鏡に同じムカデが映っていた。
以降、ムカデは日に日に存在感を増し、氏の背後に常にいるようになったという。
Mさんは職場(ダム開発に伴う周辺道路の整備現場)で作業中も、同僚の背後にムカデが見えることがあると語る。
そのため集中力を欠き、業務上のミスが増えたことが職場でのトラブルにつながったと説明している。
「鏡の中だけでなく、目を閉じても見えるんです」と彼は語る。
「それが近づいてくると、全身が硬直して動けなくなる。皮膚の感覚まであるんですよ。触られているような感覚が。」
手記の提出/
Mさんは幻覚の詳細を記録した手記を診察時に持参した。その内容は極めて生々しく、特に次の一節が印象的である:
―――鏡の中でうごめく黒い足。それが私に何かを語りかけている。初めは意味不明な言葉だった。それなのに、その言葉が頭の中で鳴り続け、不安な気持ちでいっぱいになる。そしてその音と言葉を忘れることができない。それが何度も繰り返されるたびに、私は拒否しようとするが、鏡の中のムカデはじわじわとこちらに迫ってくる。やがて鏡の表面を超えて、私の背後に実体化した。私はその冷たい足の感触を忘れることができない。
治療方針/
初診時にはリスペリドンを処方し、1週間後の再診を指示。
==== ==== ==== ====
【第2回目の診察(昭和35年4月22日)】
診察内容/
Mさんは「ムカデの出現頻度は減ったが完全には消えていない」と報告。
睡眠の質は多少改善されたものの、依然として幻覚が現れると不安で眠れなくなるという。
再診時、Mさんは新たな手記を提出。その内容には更なる進展が記されていた。
―――私だけではない。このムカデは他の人間にも映る。ある夜、同僚の加藤君を部屋に呼び、鏡を見せた。すると彼は一瞬怯えた表情を見せた後、「何もないじゃないか」と言った。しかし、私は彼の目に映る恐怖を見逃さなかった。彼も見たのだ。ただ、それを認めることができないだけだ。ムカデは私だけではなく、他者にも干渉を始めた。
所見/
Mさんの主張には奇妙な説得力があり、他者を巻き込んだ可能性について慎重に検討する必要がある。
幻覚の内容がますます具体化しており、彼の孤立感が深まっている様子が見受けられる。
治療方針/
引き続きリスペリドンの投与を継続し、次回の診察までの間に幻覚の記録を詳細に取るよう指示。
また、家族への状況説明と協力を求める予定。
==== ==== ==== ====
【総括】
Mさんの症状は精神分裂病による幻覚と診断されるが、その内容の異様さと他者への影響を考慮し、さらなる治療と経過観察が必要とされる。
治療の進展に応じて適切な心理療法の導入を検討する。
==== ==== ==== ====
【最終所見】
昭和35年5月、Mさんに対する定期的な診察が行われる予定であったが、連絡が途絶えた。
その後、職場関係者や家族の証言により、Mさんは一部の症状が悪化している可能性が指摘された。
詳細な状況は不明であるが、最終的に彼の生存が確認されることはなかった。
これらの出来事を受け、幻覚や孤立感が彼の心理的・身体的状況に大きく影響を与えたものと推察される。
医療機関名:○○大学病院精神科
患者氏名:Mさん
年齢:42歳
ご職業:トンネル工事の作業員
診断名:精神分裂病
記録者:精神科医 加藤元樹
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【第1回目の診察(昭和35年4月15日)】
主訴/
Mさんは数週間前から鏡を見るたびに自分の背後に巨大なムカデが映ると訴え来院。
実際には周囲にムカデの存在は確認されておらず、彼自身も「それが現実ではない」と理解しているものの、幻覚が引き起こす強烈な不安により日常生活に支障をきたしている。
診察内容/
Mさんは冷静で、話し方も一見論理的。
しかし、話題がムカデに及ぶと異様な興奮を見せ、「あれはただの虫ではない」と断言する。
彼の話によると、最初にムカデを見たのは数カ月前。夜中に目を覚まし、ふと鏡を見ると、背後の壁をムカデが這っていたという。
その時は気のせいだと思い再び眠ったが、翌朝も鏡に同じムカデが映っていた。
以降、ムカデは日に日に存在感を増し、氏の背後に常にいるようになったという。
Mさんは職場(ダム開発に伴う周辺道路の整備現場)で作業中も、同僚の背後にムカデが見えることがあると語る。
そのため集中力を欠き、業務上のミスが増えたことが職場でのトラブルにつながったと説明している。
「鏡の中だけでなく、目を閉じても見えるんです」と彼は語る。
「それが近づいてくると、全身が硬直して動けなくなる。皮膚の感覚まであるんですよ。触られているような感覚が。」
手記の提出/
Mさんは幻覚の詳細を記録した手記を診察時に持参した。その内容は極めて生々しく、特に次の一節が印象的である:
―――鏡の中でうごめく黒い足。それが私に何かを語りかけている。初めは意味不明な言葉だった。それなのに、その言葉が頭の中で鳴り続け、不安な気持ちでいっぱいになる。そしてその音と言葉を忘れることができない。それが何度も繰り返されるたびに、私は拒否しようとするが、鏡の中のムカデはじわじわとこちらに迫ってくる。やがて鏡の表面を超えて、私の背後に実体化した。私はその冷たい足の感触を忘れることができない。
治療方針/
初診時にはリスペリドンを処方し、1週間後の再診を指示。
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【第2回目の診察(昭和35年4月22日)】
診察内容/
Mさんは「ムカデの出現頻度は減ったが完全には消えていない」と報告。
睡眠の質は多少改善されたものの、依然として幻覚が現れると不安で眠れなくなるという。
再診時、Mさんは新たな手記を提出。その内容には更なる進展が記されていた。
―――私だけではない。このムカデは他の人間にも映る。ある夜、同僚の加藤君を部屋に呼び、鏡を見せた。すると彼は一瞬怯えた表情を見せた後、「何もないじゃないか」と言った。しかし、私は彼の目に映る恐怖を見逃さなかった。彼も見たのだ。ただ、それを認めることができないだけだ。ムカデは私だけではなく、他者にも干渉を始めた。
所見/
Mさんの主張には奇妙な説得力があり、他者を巻き込んだ可能性について慎重に検討する必要がある。
幻覚の内容がますます具体化しており、彼の孤立感が深まっている様子が見受けられる。
治療方針/
引き続きリスペリドンの投与を継続し、次回の診察までの間に幻覚の記録を詳細に取るよう指示。
また、家族への状況説明と協力を求める予定。
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【総括】
Mさんの症状は精神分裂病による幻覚と診断されるが、その内容の異様さと他者への影響を考慮し、さらなる治療と経過観察が必要とされる。
治療の進展に応じて適切な心理療法の導入を検討する。
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【最終所見】
昭和35年5月、Mさんに対する定期的な診察が行われる予定であったが、連絡が途絶えた。
その後、職場関係者や家族の証言により、Mさんは一部の症状が悪化している可能性が指摘された。
詳細な状況は不明であるが、最終的に彼の生存が確認されることはなかった。
これらの出来事を受け、幻覚や孤立感が彼の心理的・身体的状況に大きく影響を与えたものと推察される。
