38.原文
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拝啓 貴誌編集部様
私、G県T市在住のAと申します。はじめまして、になるんでしょうか。そちらの雑誌をいつも拝読しているわけではないのですが、どうしても――どうしても「奇妙な体験」を誰かに知ってほしくて、筆を取りました。
もしかすると、これを書いているうちに、私自身も少し混乱してしまうかもしれませんがご容赦ください。
あれは、私がまだ小学生の頃のことでした。夏休みを利用して、山奥の村へ行ったのです。あそこは今でも電波も入りにくい場所で、夜になると辺り一面が黒で塗りつぶしたように暗くて。うまく言えないんですけど、“あの暗さ”はただの夜じゃありませんでした。
知人の誰かから「この村には古い祭りがあるよ」とは聞かされていました。でも、あの人たちは誰もその詳細を教えてくれないんですよ。ヘラヘラ笑って、「小さい子は行くもんじゃないさ」って。わかります? わざとらしい――いやらしい笑い方。あれ、今でも耳について離れません。
でも、私も子どもでしたから、逆に見たくなるわけですよ。知りたくなるわけですよ。大人が「ダメ」と言ったら、なおさら。そういうものですよね? ええ、それで、ある夜、こっそり抜け出しました。
布団から抜けるとき、やけに布がザワザワ音を立てたのを覚えています。まだ耳に残ってる。聞こえてくるんですよ、あのザワザワが。……ああ、思い出すだけでも背筋がザワつきます。
外は見たこともないほどの暗闇でした。町中の夜とは全然違う。懐中電灯で照らした先も、薄気味悪い草むらしか見えないんです。まるで何かが森の奥からこっちを睨んでいるような……。いや、あれは錯覚じゃなかったかもしれない。
私は息を殺して、昼間に見かけた山道の外れに向かいました。草をかき分け、藪をのぞいて、こそこそ、こそこそ……。まるで何かに導かれるように、進んでいた気がします。
しばらくすると、真っ暗な道の先に赤い光がチラチラ見えてきました。提灯みたいなものが揺れていたんです。その灯りは、ああ、うまく言えませんが、生臭い赤さとでもいいのでしょうか。
胸がドキドキするんですね。ワクワクとは違う、もっと嫌な鼓動。鼓動ってこんなに耳に響くものなんだって、そのとき初めて知ったんです。
そーっと近づくと、そこは小さな祠がある場所でした。普通のお祭りなら、どこか明るいものがあるじゃないですか。太鼓とか笛とか、笑い声とか。でも、そこには何もない。代わりに、奇妙な面をかぶった人たちが、小さな祠の前で静かに踊っていました。無言です。音もなく踊るんですよ。でも、時々、低い声で何かを唱えていて、それも不気味でした。
地面を踏みしめる足音と、生臭い赤い灯り、そして声。そして、それらが妙に心臓を締めつけるんです。頭の奥をコンコン叩かれるような、あの感覚。
そして、気づいてしまったんです。踊り手の一人に、見覚えのある姿がいたことに。K婆さん。とっくに死んだはずのK婆さんが、若い姿のままでそこにいた。何度も写真で見せられてきた顔だから間違いないって、今でも断言できます。でも、そのときはあまりにも恐ろしくて、自分の目を疑うしかありませんでした。夢だったのか? 幻だったのか? でも、K婆さんは私の目の前でゆらゆら踊っていたんです。
さらにおかしいのは、その踊り手たち、私にまるで気づいていない風だったこと。辺りは星さえ見えないほど真っ暗なのに、あの人たちは闇と一体化したように踊ってる。でも次の瞬間、私が音を立ててしまった。そしたら……踊り手が全員、ピタッと止まって、こっちを向きました。
「面」が一斉にこちらを向いた。それが正確かもしれません。真っ暗なのに、その面の奥から覗く瞳が赤黒く血走って見えたんです。暗闇にそんなものが見えるわけないじゃないですか。でも確かに見えた。ねっとりと、瞳が私の目を覗きこんでくるんですよ。ぎろりと。グイッと。
もう体が硬直して、声も出せない。逃げたいのに足が震えて動かない。でも、何とか振り絞って逃げ出しました。夢中で走って、どこをどう走ったのかも覚えていません。ただ、背後から音が追ってくる感じはなかった。でも、視線――視線だけが背中に突き刺さっていた。まるで瞳が空中を飛んで、私にまとわりついているかのように。
気がついたら、家の前にいました。玄関を開けるとき、遠くからかすかに“声”が聞こえた気がする。違う、あれは耳鳴りだったんでしょうか。それともまだ踊っていたんでしょうか? わからない。でも、しばらくあの音が頭の中でガンガン鳴っていた。
翌朝、勇気を出して大人たちに話したんです。「あのお祭りを見たよ」って。だけど帰ってきたのは「そんな祭りはない」「夢でも見たんだろう」という言葉ばかり。そこにいたみんなの笑顔が……なんだか貼りついた仮面みたいで、こっちの方が怖かった。K婆さんのことは、もう言えませんでした。言ったら何をされるか、怖くて。
それ以来、その村へ行くことはほとんどなくなりました。でも、夏の夜の匂いを嗅ぐたびに、あの光景が頭の中に再生されるんです。脳裏にこびりついたというより、むしろ私の中で蠢いている感じ。
本当にあの祭りが存在するのか、私が何かの間違いを見たのか、今ではもう確かめようがありません。私だけが知っている幻覚かもしれない。だけど……誰か、確かめに行ってくれませんか。まだ、あそこにある気がするんですよ、あの祠とあの踊り。ずっと同じように踊っている気がするんです。私と同じ“視線”を感じる人が、いつか出てくるかもしれない。それを考えると、怖くて怖くて仕方がないのに……なぜだか、少しだけ、あの“踊り”をもう一度見たいような気もしている自分がいるんです。おかしいでしょう?
以上が、私の体験談です。
夜が、また来ますね。すみません、妙なことを散々書き散らしてしまって。でも、これを読んだ方には、何か受け取ってもらえれば――それだけで、少しだけ心が軽くなる気がします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。どうか、この手紙をゴミ箱に捨てず、少しだけ気に留めておいてくださいね。
…こちらは、いまだにあの視線を感じています。何かの気配が、夜ごとに屋根を軋ませるんです。
――ああ、いけない。これ以上はやめておきます。変だと自分でもわかってますから。
きっと夢を見たんですね。
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拝啓 貴誌編集部様
私、G県T市在住のAと申します。はじめまして、になるんでしょうか。そちらの雑誌をいつも拝読しているわけではないのですが、どうしても――どうしても「奇妙な体験」を誰かに知ってほしくて、筆を取りました。
もしかすると、これを書いているうちに、私自身も少し混乱してしまうかもしれませんがご容赦ください。
あれは、私がまだ小学生の頃のことでした。夏休みを利用して、山奥の村へ行ったのです。あそこは今でも電波も入りにくい場所で、夜になると辺り一面が黒で塗りつぶしたように暗くて。うまく言えないんですけど、“あの暗さ”はただの夜じゃありませんでした。
知人の誰かから「この村には古い祭りがあるよ」とは聞かされていました。でも、あの人たちは誰もその詳細を教えてくれないんですよ。ヘラヘラ笑って、「小さい子は行くもんじゃないさ」って。わかります? わざとらしい――いやらしい笑い方。あれ、今でも耳について離れません。
でも、私も子どもでしたから、逆に見たくなるわけですよ。知りたくなるわけですよ。大人が「ダメ」と言ったら、なおさら。そういうものですよね? ええ、それで、ある夜、こっそり抜け出しました。
布団から抜けるとき、やけに布がザワザワ音を立てたのを覚えています。まだ耳に残ってる。聞こえてくるんですよ、あのザワザワが。……ああ、思い出すだけでも背筋がザワつきます。
外は見たこともないほどの暗闇でした。町中の夜とは全然違う。懐中電灯で照らした先も、薄気味悪い草むらしか見えないんです。まるで何かが森の奥からこっちを睨んでいるような……。いや、あれは錯覚じゃなかったかもしれない。
私は息を殺して、昼間に見かけた山道の外れに向かいました。草をかき分け、藪をのぞいて、こそこそ、こそこそ……。まるで何かに導かれるように、進んでいた気がします。
しばらくすると、真っ暗な道の先に赤い光がチラチラ見えてきました。提灯みたいなものが揺れていたんです。その灯りは、ああ、うまく言えませんが、生臭い赤さとでもいいのでしょうか。
胸がドキドキするんですね。ワクワクとは違う、もっと嫌な鼓動。鼓動ってこんなに耳に響くものなんだって、そのとき初めて知ったんです。
そーっと近づくと、そこは小さな祠がある場所でした。普通のお祭りなら、どこか明るいものがあるじゃないですか。太鼓とか笛とか、笑い声とか。でも、そこには何もない。代わりに、奇妙な面をかぶった人たちが、小さな祠の前で静かに踊っていました。無言です。音もなく踊るんですよ。でも、時々、低い声で何かを唱えていて、それも不気味でした。
地面を踏みしめる足音と、生臭い赤い灯り、そして声。そして、それらが妙に心臓を締めつけるんです。頭の奥をコンコン叩かれるような、あの感覚。
そして、気づいてしまったんです。踊り手の一人に、見覚えのある姿がいたことに。K婆さん。とっくに死んだはずのK婆さんが、若い姿のままでそこにいた。何度も写真で見せられてきた顔だから間違いないって、今でも断言できます。でも、そのときはあまりにも恐ろしくて、自分の目を疑うしかありませんでした。夢だったのか? 幻だったのか? でも、K婆さんは私の目の前でゆらゆら踊っていたんです。
さらにおかしいのは、その踊り手たち、私にまるで気づいていない風だったこと。辺りは星さえ見えないほど真っ暗なのに、あの人たちは闇と一体化したように踊ってる。でも次の瞬間、私が音を立ててしまった。そしたら……踊り手が全員、ピタッと止まって、こっちを向きました。
「面」が一斉にこちらを向いた。それが正確かもしれません。真っ暗なのに、その面の奥から覗く瞳が赤黒く血走って見えたんです。暗闇にそんなものが見えるわけないじゃないですか。でも確かに見えた。ねっとりと、瞳が私の目を覗きこんでくるんですよ。ぎろりと。グイッと。
もう体が硬直して、声も出せない。逃げたいのに足が震えて動かない。でも、何とか振り絞って逃げ出しました。夢中で走って、どこをどう走ったのかも覚えていません。ただ、背後から音が追ってくる感じはなかった。でも、視線――視線だけが背中に突き刺さっていた。まるで瞳が空中を飛んで、私にまとわりついているかのように。
気がついたら、家の前にいました。玄関を開けるとき、遠くからかすかに“声”が聞こえた気がする。違う、あれは耳鳴りだったんでしょうか。それともまだ踊っていたんでしょうか? わからない。でも、しばらくあの音が頭の中でガンガン鳴っていた。
翌朝、勇気を出して大人たちに話したんです。「あのお祭りを見たよ」って。だけど帰ってきたのは「そんな祭りはない」「夢でも見たんだろう」という言葉ばかり。そこにいたみんなの笑顔が……なんだか貼りついた仮面みたいで、こっちの方が怖かった。K婆さんのことは、もう言えませんでした。言ったら何をされるか、怖くて。
それ以来、その村へ行くことはほとんどなくなりました。でも、夏の夜の匂いを嗅ぐたびに、あの光景が頭の中に再生されるんです。脳裏にこびりついたというより、むしろ私の中で蠢いている感じ。
本当にあの祭りが存在するのか、私が何かの間違いを見たのか、今ではもう確かめようがありません。私だけが知っている幻覚かもしれない。だけど……誰か、確かめに行ってくれませんか。まだ、あそこにある気がするんですよ、あの祠とあの踊り。ずっと同じように踊っている気がするんです。私と同じ“視線”を感じる人が、いつか出てくるかもしれない。それを考えると、怖くて怖くて仕方がないのに……なぜだか、少しだけ、あの“踊り”をもう一度見たいような気もしている自分がいるんです。おかしいでしょう?
以上が、私の体験談です。
夜が、また来ますね。すみません、妙なことを散々書き散らしてしまって。でも、これを読んだ方には、何か受け取ってもらえれば――それだけで、少しだけ心が軽くなる気がします。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。どうか、この手紙をゴミ箱に捨てず、少しだけ気に留めておいてくださいね。
…こちらは、いまだにあの視線を感じています。何かの気配が、夜ごとに屋根を軋ませるんです。
――ああ、いけない。これ以上はやめておきます。変だと自分でもわかってますから。
きっと夢を見たんですね。
