29.テープ

――以下、テープに録音された音声を書き起こしたものです――

(録音開始)

戸黒さん(低めの声、やや上ずった調子)
「……うん、あー、回ってるな。ええっと……(少し息を吐く音)時間はもう夜の8時近い。少し前まで小雨が降ってたけど、今は止んだみたいだ。……加藤さん、ちゃんと声入ってるか試してみてもらえます?」

加藤さんと思われる人物(落ち着いた口調)
「聞こえますか。テスト、テスト……。まあ大丈夫じゃないですか。音量も問題ないでしょう。ええ。……ああ、そこからダムの堤頂が見えてきましたね」

戸黒
「うわぁ……久しぶりに来たけど、やっぱりデカいな。このダム、造られてから何十年経つんでしたっけ?」

加藤
「昭和30年代の頭には完成してた、って話です。もう60年くらい前になりますか」

戸黒
「そんなに前なんですね……。あの頃、ここでは色々なことが起こって、地元の人たちしか知らない奇妙な噂もあって…。、あれって全部ほんとなんですかね? ……まだ僕たちも全部が全部は分かってないですけど」

加藤
「そうですね。ダムとかトンネルとかって、どこでもこういう話が色々あるけど、それでも、やっぱりここは異常ですよね。」

戸黒
「そうですよね」

加藤
「昔、その場所で何が行われていたかなんて……記録そのものが曖昧だし、誰もまともに語り継いでないし、そんな“消された歴史”ばっかりですけど、ここは違う。何かがある」

戸黒
「それを確かめに来たわけですものね、僕たち。こんな時間に、こんな山奥まで……普通の観光客じゃ来ないですよ。しかももう気温は5度切ってるだろうし……寒いはずなんだけど、変に汗かいてるな、俺」

加藤
「大丈夫ですか。体調が悪いなら無理はしないほうが……」

戸黒
「いや、全然平気です。こういうの、血が騒ぐっていうのかな。今は好奇心のほうが勝ってますよ」

加藤
「そうですか」

(足音がコンクリートを踏む音、遠くに水の流れる音)

戸黒
「おっと、足元、滑りそうですね。ライトをもうちょい上に向けてもらえますか? ダムって、夜は静かだけど水の音はやっぱり重々しいな……。何だろう、この音聞いてると、じわじわと不安が湧いてくる。昔は、この水の下にある村で――」

加藤
「うん。ひょっとしたら、その“祭り”が今でもどこかで……なんて言う人もいる。実際、誰も確かめてないだけかもしれませんし」

戸黒
「加藤さん、あんまりそういうこと言わないでくださいよ。変に想像膨らむから(笑)。……でも来ちゃったからには、見てやろうじゃないですか。本当に何もないのか。それとも変なモノが残ってるのか」

(マイクに軽い風切り音)

加藤
「すごい風ですね。水面のほうから吹き上げてるんでしょうか。ちょっと寒い……。戸黒さん、こっち来てください。あっちにトンネルがあるの、見えます?」

戸黒
「ああ……ライトで照らしてみます。……ありましたね。入口は、補修工事が終わったばかりとあって綺麗ですね」

加藤
「そうですね」

戸黒
「昔はあのトンネルの向こうから生活道路が伸びてたって話を聞いたことがありますよ。でも今はほとんど使われてないらしいですね」

加藤
「そのはずです。だいぶ前に水没するはずだった道ですし……こんな深夜近くになってしまいましたけど、本当にいきますか?」

戸黒
「余裕ですよ。むしろ、補修されちゃってて思ったよりも不気味じゃないことに少しがっかりしてるくらいです」

加藤
「はあ……。まあ、行きましょうか。テープ止めないで続けます?」

戸黒
「ええ、もちろん! せっかくこうやって来てるんだ。録音しておかないと。でないと、誰も信じてくれないですからね(笑)」

(しばし足音だけが響く。ザッザッ……ザッザッ……)

加藤
「暗いな……ライトがあってもよく見えない。天井が低いわけではないけど、湿気がすごいですね。壁にも苔が生えて……」

戸黒
「うわ、マジか……。苔の奥、ムカデみたいな形の虫がいっぱい。光が当たると動き回ってる。なんでこんなに……」

加藤
「やめてください、気持ち悪い……。でも戸黒さん、平気そうですね?」

戸黒
「むしろワクワクしてますよ。ただ、あのムカデを象徴にした祭りって、本当にこういう形の虫を祀ってたのかなって思うと、ゾクッとはします」

加藤
「確かに。…呪術だったんでしょうね。ムカデの刺繍が入った祭り装束があったとか、そういう話をちらっと聞いた覚えもあるんです」

戸黒
「地元の郷土資料室にも一切ない資料ですよね。ほんと世界は"消された歴史"でいっぱいですね」

加藤
「そうですね。……あ、ちょっと待って。今、何か聞こえませんでしたか?」

戸黒
「え? 水滴の音じゃないですか? ポタポタ落ちる音とか」

加藤
「それとは違うような……人の声というか、遠くから誰かが囁いてるような、そんな感じが……」

戸黒
「やめてくださいよ。怖いじゃないですか。でも聞こえなかったな……。とにかく、奥まで行ってみましょう。もしかしたらどこかに扉みたいなのがあって、その先に何か眠ってるかもしれない」

加藤
「ふう。わかりました。戸黒さん、先に行ってください。私はライトをもう少し後ろから当てます」

戸黒
「りょうかい。……(足音が一歩、二歩、と慎重に進む) なんか、想像してたよりずっと古いですね。補修工事したばかりのはずなのに。苔はすごいし、足元には泥と落ち葉が混ざってる。思っているよりも車が通るのかな?」

加藤と思われる人物
「そうなんでしょうね。今でも村の人たちが使っているんじゃないですか?ああ、足元に気をつけてください。滑りますよ」

戸黒
「ありがとうございます……。ねえ、加藤さん、もし本当にその“詞”とか“ムカデ”とかの何かが見つかったらどうします? 世界の七不思議みたいに、全国ニュースになりますかね(笑)」

加藤
「どうでしょう。マスコミに騒がれる可能性もあるでしょうけど、結局は『都市伝説』扱いで終わるんじゃないですか。みんな怖い話は好きだけど、現実だと思いたくないですから。ましてや……真相なんて誰にも確かめようがない」

戸黒
「でも、その一端をこうやって俺たちが明らかにできるかもしれない。そう思うと、なんかワクワクしますよね。」

加藤
「戸黒さんにとっては、恐怖より好奇心なんでしょうね。……あ、テープはそのまま回しておきましょう。なにか変な音が入ってるかもしれませんし」

戸黒
「そうですね。後で聞き返して何か謎の音声が……なんてことになったら、ちょっと怖いけど。」

加藤
「ふふ。じゃあ、もう少し奥に行ってみましょうか。暗いけど、道は……まだ続いてそうですね」

戸黒
「はい。じゃあ録音を続けながら進みましょう。加藤さん、そっちのライトで足元照らしてもらっていいですか? ……あ、やっぱり少し冷えてきましたね。こういう場所って何かいるって話を耳にすると……僕の心臓もさすがにドキドキしてきた」

加藤
「私も、今さらだけど少し不気味だと思い始めました。でも、ここまで来たからには……とことん行くしかないですよね」

戸黒
「ええ。もし戻るとしても、また来るのも面倒だし。先に進みましょう」

(長い沈黙ののち、水滴の音、衣擦れの音などが続く)

加藤
「……じゃあ、行きましょうか。何かあったら、すぐ戻るということで」

戸黒
「了解です。じゃあテープも回ったままで……」

(足音が奥へと続いていく)

(録音ここで切れる)

――テープ書き起こしここまで――