27.小栗忠順の書状
越中守 殿
はからずも今般の一件にて、私儀、明日をもって御処刑との仰せを賜り候。この度は格別の御配慮を賜り、筆を執らせていただき、誠に恐れ入り候。
さて、かねてより御相談申し上げ候「件の詞」の儀につき、最期の願いとして一言申し述べたく存じ奉り候。当該の詞は、諸家の存亡に関わる重要なる事柄を含み候ゆえ、慎重なる取り扱いを要する次第にて御座候。
思えば、この詞により、数多の者共が命を落とし、また流謫の憂き目に遭い候。されど、私の命をもってこの一件は終わりとなり、これにて新たな犠牲は出でざることと存じ奉り候。この思いだけが、わずかながら私の心の慰めとなり申し候。
この詞、私より御預かり願い候折には、その真意を察せられ、深くご理解賜りし事、今も感謝に堪えず候。しかしながら、詞の内容が世に漏れ出ることともなれば、幕府の威信にも関わる大事となり申すべく候。
つきましては、私より最後の願いとして、下記の始末を賜りたく存じ奉り候。
一、当該の詞に関わります書状は、速やかに御焼却願い候こと
一、かような詞の存在そのものについて、永久に口外なされざること
一、もし万が一にも、この様な詞の存在について風聞などございました折には、そのような物など存在せざる旨、断固として申し立て願い候こと
以上、突然の願い、誠に恐れ入り候えども、幕府の安寧を思い、この一書認め候次第にて御座候。
私儀、明日をもって御処刑となり候えども、最期まで幕臣としての忠義を全うせんと存じ奉り候。
取り急ぎ、以上申し上げ候。
慶応四年卯月五日
小栗上野介忠順
==== ==== ==== ====
資料発見報告書
発見日:平成26年10月1日
報告者:小林誠一(■■県立歴史博物館主任研究員)
旧松平家文書の整理中、慶応四年四月五日付、小栗忠順から加藤越中守宛ての書状を発見した。処刑前日に認められた最期の書状と見られ、「件の詞」と呼ばれる何らかの機密文書の存在とその処分に関する依頼が記されている。文面からは当該文書の内容は不明であるが、幕府の威信に関わる極めて重要な内容であったことが推察される。本資料は、幕末期における幕府内部の機密管理体制を示す貴重な一次史料として、高い歴史的価値を有すると考えられる。
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※小栗忠順(おぐり ただまさ、1827年 - 1868年)は、江戸時代末期から明治維新にかけて活躍した幕臣であり、外交官、経済改革者として知られます。江戸で生まれ、主に財政や外交分野で能力を発揮しました。徳川幕府の要職に就き、西洋技術の導入や軍事力の近代化に尽力しました。また、横須賀製鉄所の建設を主導し、日本の近代産業の基盤を築きました。彼には「徳川埋蔵金」にまつわる風説が当時より多々あり、幕府滅亡を見越して莫大な財宝を隠したという伝説として現代まで語り継がれています。明治維新後、徳川家を支援したため、新政府軍に捕らえられ、1868年に斬首されました。その功績は後に再評価され、日本の近代化の先駆者とされています。

(村上照賢画・東善寺所蔵)(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
越中守 殿
はからずも今般の一件にて、私儀、明日をもって御処刑との仰せを賜り候。この度は格別の御配慮を賜り、筆を執らせていただき、誠に恐れ入り候。
さて、かねてより御相談申し上げ候「件の詞」の儀につき、最期の願いとして一言申し述べたく存じ奉り候。当該の詞は、諸家の存亡に関わる重要なる事柄を含み候ゆえ、慎重なる取り扱いを要する次第にて御座候。
思えば、この詞により、数多の者共が命を落とし、また流謫の憂き目に遭い候。されど、私の命をもってこの一件は終わりとなり、これにて新たな犠牲は出でざることと存じ奉り候。この思いだけが、わずかながら私の心の慰めとなり申し候。
この詞、私より御預かり願い候折には、その真意を察せられ、深くご理解賜りし事、今も感謝に堪えず候。しかしながら、詞の内容が世に漏れ出ることともなれば、幕府の威信にも関わる大事となり申すべく候。
つきましては、私より最後の願いとして、下記の始末を賜りたく存じ奉り候。
一、当該の詞に関わります書状は、速やかに御焼却願い候こと
一、かような詞の存在そのものについて、永久に口外なされざること
一、もし万が一にも、この様な詞の存在について風聞などございました折には、そのような物など存在せざる旨、断固として申し立て願い候こと
以上、突然の願い、誠に恐れ入り候えども、幕府の安寧を思い、この一書認め候次第にて御座候。
私儀、明日をもって御処刑となり候えども、最期まで幕臣としての忠義を全うせんと存じ奉り候。
取り急ぎ、以上申し上げ候。
慶応四年卯月五日
小栗上野介忠順
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資料発見報告書
発見日:平成26年10月1日
報告者:小林誠一(■■県立歴史博物館主任研究員)
旧松平家文書の整理中、慶応四年四月五日付、小栗忠順から加藤越中守宛ての書状を発見した。処刑前日に認められた最期の書状と見られ、「件の詞」と呼ばれる何らかの機密文書の存在とその処分に関する依頼が記されている。文面からは当該文書の内容は不明であるが、幕府の威信に関わる極めて重要な内容であったことが推察される。本資料は、幕末期における幕府内部の機密管理体制を示す貴重な一次史料として、高い歴史的価値を有すると考えられる。
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※小栗忠順(おぐり ただまさ、1827年 - 1868年)は、江戸時代末期から明治維新にかけて活躍した幕臣であり、外交官、経済改革者として知られます。江戸で生まれ、主に財政や外交分野で能力を発揮しました。徳川幕府の要職に就き、西洋技術の導入や軍事力の近代化に尽力しました。また、横須賀製鉄所の建設を主導し、日本の近代産業の基盤を築きました。彼には「徳川埋蔵金」にまつわる風説が当時より多々あり、幕府滅亡を見越して莫大な財宝を隠したという伝説として現代まで語り継がれています。明治維新後、徳川家を支援したため、新政府軍に捕らえられ、1868年に斬首されました。その功績は後に再評価され、日本の近代化の先駆者とされています。

(村上照賢画・東善寺所蔵)(Unknown author, Public domain, ウィキメディア・コモンズ経由で)
